シェンムーに込められた鈴木裕さんの情熱
シェンムーについて今回3回目の記事となります。
今回はシェンムーの生みの親である「鈴木裕さん」について語って行きたいと思います。
鈴木裕さん
前置きとして、私は鈴木裕さんのゲームを基本シェンムーしか遊んでいません。
ただ、シェンムーを遊ぶ中で見えてきた鈴木裕さんについて語りたいと思います。
私の中での鈴木裕さんのイメージはやはりバーチャファイターを作った人
という感じです。
ゲーム業界に多大な影響を与えた一作として現代でも知られていると思います。
3D対戦格闘ゲームのパイオニアとして、セガサターンのソフトとしても
バーチャファイター2は唯一のミリオンヒットを記録しています。
そして鈴木さんはバーチャの以前にもアーケードでいくつものゲームを開発しています。
シェンムー1章や2の中でも実際に遊べるゲームの中に
ポイント
ハングオン
スペースハリアー
アウトラン
アフターバーナーⅡ
というものがあります。
1985年に可動式の専用大型筐体でハングオンが登場し
さらにそれに続く3作の存在はいずれも画期的な体験を提供し、多くのプレイヤーを熱狂させ、魅了するものとなりました。
時代背景的には任天堂の一強だった頃ですが、その裏でセガは一部の熱狂的なファンを獲得していった頃でもあると言えます。
鈴木裕さんとシェンムー
そしてシェンムーは、鈴木さんとそしてセガのそれまでの全てを注ぎ込んだかの様な大作になったと思います。
良くも悪くもセガの歩みを体現したかの様な作品。
バーチャファイターのシステムを加え、更にRPG的な要素をミックス。
日本での販売数はシェンムー一章が約35万本。
シェンムー2が約15万本。
1章の開発費だけで70億という数字を思うと、とても成功とは言いがたい数字です。
シェンムーはドリームキャストと、ハードメーカーとしてのセガにとどめを刺した戦犯の様な扱いを受けていたと思います。
今でも一部ユーザーの間では笑い草になっているかも知れません。
しかし、シェンムーほど熱い魂を込められた作品が他にあるだろうかと思います。
セガと鈴木裕さんは、シェンムーを通して
という答えを残したと思います。
当時のゲーム業界のゲーム制作への姿勢に一石を投じたと言えると思っています。
結果が付いてこなかったらビジネス的にはアウトなのかも知れません。
でも実際シェンムーは完全に否定された作品ではありません。
シェンムーがなかったら生まれていなかった大作もいくつもあるはずです。
鈴木裕さんがシェンムー2以後、ほぼゲーム製作から離れていた事は、日本のゲーム業界にとってはマイナスだったのではないかと思います。
もし鈴木裕さんがドリームキャスト以後のハードでゲームを作っていたら、新しい刺激に餓えているユーザーを魅了するような
斬新なものが生まれていたに違いないと感じます。
実績から言っても鈴木裕さんは、鉄騎、鉄騎大戦の様なゲーム業界における革新的なゲームを生み出せる数少ないゲームクリエイターだと思います。
過ぎた話ですが、マイクロソフト辺りは鈴木裕さんにゲーム製作依頼をすべきだったのではと。
何はともあれ、シェンムー3が出た事だけでも、今となっては奇跡的な事です。
シェンムー3でも完結はしませんでしたが、今度は諦めずシリーズの完結を待ち続けたいと思います。
シェンムーがセガの代表作の一つと胸を張って言える日が来る事を願って。
今回でひとまずシェンムーに関する記事は終わります。
3回に渡ってご覧いただいた方に感謝致します。
シェンムーのもう少し踏み込んだゲーム内容、疑問、及び3の感想などもいずれ記事にしたいと思っています。
宜しければまたお会いしましょう。