M-1王者たくろうは、優勝前に何を積み重ねてきたのか

M-1グランプリ2025の王者となった「たくろう」は、赤木裕ときむらバンドのコンビ。吉本興業所属で、2016年3月9日に結成されています。
優勝直後の記事は、どうしても“決勝当日”と“放送後の反響”に情報が集中しがちです。けれど本当に知りたくなるのは、その手前――どんな道のりを経て、2025の舞台に辿り着いたのかという部分ではないでしょうか。
この記事では、たくろうの「優勝以前」に焦点を絞り、結成当初からM-1の歩み、転機になった出来事、決勝に届くまでの積み重ねを、確認できる事実にもとづいて時系列で整理していきます。
たくろうの結成と基本情報 2016年3月9日にスタートしたコンビ
たくろうは、赤木裕ときむらバンドによるお笑いコンビで、吉本興業所属。公式プロフィールでは、結成年月が2016年3月9日と明記されています。
結成の背景としては、NSC大阪校37期の赤木裕と、36期のきむらバンドが組んだコンビであることが、プロフィール紹介でも確認できます。
そして“優勝以前”を語るうえで外せないのが、結成直後から早い段階で劇場の競争の中に入り、結果を出していった点です。お笑いナタリーのプロフィールでは、結成から約5か月で大阪・よしもと漫才劇場のネタバトル「Kakeru翔グランプリ」で優勝したことが紹介されています。
M-1グランプリの歩み(優勝以前)毎年挑戦して「届きそうで届かない」を積み重ねた
たくろうは結成した2016年からM-1に出場し続け、2018年に一度、準決勝まで到達しています。
その後は準々決勝・3回戦で足踏みする年が続き、2025年に“初の決勝進出”へつながっていきました。
年ごとの到達ラウンド(優勝以前)
- 2016:3回戦
- 2017:準々決勝
- 2018:準決勝進出(予選12位/敗者復活戦5位)
- 2019:準々決勝進出
- 2020:準々決勝進出
- 2021:3回戦進出
- 2022:準々決勝進出
- 2023:3回戦進出
- 2024:準々決勝進出
ここで重要なのは、「2018に一度準決勝へ届いたのに、そこから長く停滞が続いた」ことです。事前取材記事でも、2018年の準決勝進出以降“勝ち切れない年が続いた”流れが語られています。
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2018年が最初の大きな山場 準決勝進出と「敗者復活タイムオーバー」の記憶
たくろうの“優勝以前”を語るとき、最初に必ず出てくる年が2018年です。結成から3年目でM-1準決勝まで進出し、当時の最高成績を残しました。
そして2018年は、もうひとつ強烈な出来事でも記憶されています。敗者復活戦でタイムオーバーになったコンビとして、たくろうが取り上げられていることです。赤木裕自身の文章(Quick Japan掲載コラムの転載)でも、「M-1グランプリ2018敗者復活戦で唯一タイムオーバーになってしまった」と明記されています。
この“準決勝まで届いた年”と、“敗者復活でのタイムオーバー”が同じ2018年に重なったことで、たくろうのM-1は早い時期から「あと一歩」と「痛い記憶」がセットで語られるようになります。ここが、のちに2025で頂点を取ったとき、物語として一気に回収されやすくなったポイントです。
準決勝から遠ざかった7年間で変わったこと 「とにかくウケる」を正義にした期間
2018年に準決勝へ進んだ一方で、その後は長く準決勝に届かない年が続いた――たくろう自身も、この期間を「だいぶ長い間、準決にも行けなかった」と振り返っています。
その停滞の中で大きかったのが、目標設定の切り替えです。赤木は、準決勝に行けない期間を経て「僕らの一番の正義は、目の前のお客さんに笑っていただくことだと腹をくくれた」と語り、かっこいいボケやエッジの効いたネタを目指すよりも、「とにかくウケるものを」と決めて積み上げてきたことが、2025の優勝につながったと述べています。
また、普段立つ大阪の劇場環境についても「老若男女いろんな世代の方に劇場に来ていただける」「僕らを知らない人にもフラットに観ていただけるので、漫才劇場はネタを磨くには最適な場所」と話しており、“知らないお客さんにも届く笑い”を鍛え続けた時間だったことが見えてきます。
2025決勝直前に見えていた「仕上がり」 優勝を意識せず、いつもの延長で戦える状態だった
たくろうが2025年に決勝へ届いたとき、本人たちの言葉から伝わってくるのは「特別な一発」よりも、仕上がりの安定感です。世界最速インタビューでは、きむらバンドが決勝ネタの感覚について、優勝を意識するより「みんなに見てほしい」という気持ちが先に立っていたこと、全国にネタを見てもらえる状況を「楽しい」と受け止めていたことを語っています。肩に力が入りすぎない状態で決勝に立てていた、という事実がここで確認できます。
赤木裕も、決勝の空気を“自分たちだけで作った熱”として語っていません。「みんながウケたから、僕らはあったかいときに出られた」「あったかいときのほうが強い」「安心してやれた」という趣旨で振り返っており、会場の温度や流れを冷静に見たうえで、自分たちが入りやすい状況を活かしたことが読み取れます。
さらに、舞台裏の“人間っぽいリアル”も出ています。待ち時間が長くなるほど集中が難しい中で「これ以上うしろやったら集中が切れます」と口にした直後に呼ばれた話や、待機中に頭がボーッとして他コンビのネタ合わせに入りかけた、というエピソードが紹介されていました。極限の緊張を「完璧に制御していた」という美談ではなく、揺れながらも立て直して本番に入れる。そういう現場力が、優勝以前の積み重ねとして裏側に見えます。
まとめ(優勝以前)たくろうは「一度届いて、届かない期間を越えて」2025決勝へたどり着いた
たくろうの優勝以前を時系列で追うと、大きな節目ははっきりしています。結成は2016年3月9日。早い段階から劇場の競争の中で結果を出しつつ、M-1では2018年に準決勝まで到達しました。
一方で、その後は準決勝から長く遠ざかる期間が続きます。赤木が語っているのは、その停滞の中で「目の前のお客さんに笑っていただく」を最優先の軸に据え、“とにかくウケる”方向へ振り切って積み重ねてきたこと。大阪の劇場で、知らないお客さんにも届く笑いを磨いていった時間が、優勝以前の土台になっていると読み取れます。
そして2025年。決勝を前にした本人たちの言葉からは、気負いで押し切るのではなく、いつもの延長線で戦える“仕上がり”が見えていました。優勝以前の歩みは、派手な転身よりも、方向性を定めて積み上げ直した時間として整理できます。