- ファミコンの抱き合わせ販売は本当?ドラクエIV事件を公取委資料で検証
- 先に結論|ファミコンの「抱き合わせ販売」は本当にあった
- 「ドラクエIVを1本欲しければ、必ず別ソフト3本」ではない
- 店は本当に「買わされた」のか
- 誰が誰に押し付けた?メーカーではなく卸売業者だった
- なぜ「普通の数量配分」と抱き合わせを分ける必要があるのか
- 公取委は何を問題にしたのか
- 実は藤田屋だけではなかった|ゲームボーイでも抱き合わせ
- 「業界では普通だった」と言っていいのか
- なぜゲームソフトは、そんなに在庫を抱えやすかったのか
- 売れ残ったゲームは返品できなかった?
- 抱き合わせされたゲームは、そのままワゴンへ行ったのか
- 消費者もドラクエと別ゲームを一緒に買わされたのか
- 任天堂やエニックスが抱き合わせを指示したのか
- ドラクエIIIでも抱き合わせはあった?
- 公取委資料の「約3,500本」と「約3,100本」について
- 発売前からすでに抱き合わせ条件が動いていた
- ファミコンのゲームは、店頭へ来るまでに何段階も通っていた
- 1990年代半ば、PlayStationは別の流通を作ろうとした
- 中古ゲーム市場との関係は?
- 「ファミコン抱き合わせ伝説」は、どこまで本当だったのか
- まとめ|「全部が抱き合わせ」ではない。それでも伝説ではなかった
ファミコンの抱き合わせ販売は本当?ドラクエIV事件を公取委資料で検証

人気ゲームを仕入れたければ、欲しくないゲームまで一緒に買わなければならない。
ファミコン時代のゲームショップを語るとき、そんな「抱き合わせ販売」の話を聞くことがあります。
とりわけ有名なのが、『ドラゴンクエスト』のような大ヒット作を多く仕入れるため、不人気なゲームまで問屋から押し付けられた――という話です。
では、これは後年に大げさになった昔話なのでしょうか。
結論から言えば、抱き合わせ販売そのものは実際にありました。
しかも伝聞ではありません。公正取引委員会の審決には、1990年発売の『ドラゴンクエストIV』を巡り、人気ソフトの追加分を仕入れたい小売店に対して、卸売業者が別のゲームソフトを一緒に購入する条件を提示した事実が、具体的な店舗数や本数まで残されています。
ただし、ここから「ドラクエIVは3本の不人気ソフトとセットでなければ仕入れられなかった」と理解すると、それも違います。
実際の事件を追うと見えてくるのは、もっと複雑なゲームショップの裏側です。
先に結論|ファミコンの「抱き合わせ販売」は本当にあった
今回の中心となるのは、公正取引委員会の「株式会社藤田屋に対する件」です。
藤田屋は、家庭用ゲーム機やゲームソフトなどを一次卸から仕入れ、小売店などへ販売していた卸売業者でした。
公取委の認定によると、藤田屋は『ドラゴンクエストIV』(以下、ドラクエIV)の発売を前に、取引先の小売店約310店について、まず過去の取引実績に応じた数量を配分しました。
問題になったのは、その通常配分を超えて、さらにドラクエIVを欲しい店に対する販売です。
藤田屋は在庫となっていたゲームソフト3本を購入することを条件に、ドラクエIVを1本販売することなどを取引先へ通知しました。
公取委が認定した主な数字を整理すると、次のようになります。
| 項目 | 公取委が認定した内容 |
|---|---|
| 藤田屋が仕入れたドラクエIV | 約7万7,600本 |
| 通常の取引実績に応じて配分予定 | 約7万3,300本 |
| 通常配分の対象となった取引先 | 約310店 |
| 抱き合わせ条件に応じた小売店 | 25店 |
| 抱き合わせ取引で販売されたドラクエIV | 約1,700本 |
| 一緒に購入させた他のゲームソフト | 約3,500本 |
数字だけを見ると、後年語られてきた「人気ゲームと一緒に別のゲームも買わされた」という話は、かなり具体的な事実を含んでいたことが分かります。
一方で、約7万7,600本のドラクエIVすべてが抱き合わせで販売されたわけではありません。
約7万3,300本、つまり公取委審決が約94%とした大部分については、従来の取引実績に応じて配分する予定でした。
「普通に割り当てられる分」があり、それを超えてもっと欲しい店に別ソフト購入の条件が付いた。
ここを外すと、事件の姿が大きく変わってしまいます。
「ドラクエIVを1本欲しければ、必ず別ソフト3本」ではない
公取委資料には、藤田屋が1989年12月下旬以降、在庫ゲームソフト3本を購入することを条件にドラクエIVを1本販売することなどを、商品案内の送付などで通知したとあります。
この「など」が重要です。
もし25店へ販売したドラクエIV約1,700本のすべてに一律で3本ずつ別ソフトが付いていたのであれば、他のゲームソフトは計算上5,100本になります。
ところが、公取委の事実認定に出てくる数量は約3,500本です。
したがって、
「実際に販売されたドラクエIV約1,700本のすべてが、必ず3対1の条件だった」
と一般化することはできません。
公取委資料から安全に言えるのは、「3本の在庫ソフトを買えばドラクエIVを1本販売することなどの条件が提示され、実際に25店が抱き合わせ購入に応じた」というところまでです。
店は本当に「買わされた」のか
ここで気になるのが、強制だったのかどうかです。
藤田屋側は審判で、取引先の小売店は自分で商売上の利益を考え、納得して注文したのであり、強制したわけではないという趣旨の主張をしています。
実際、抱き合わせの申し入れを受けながら応じなかった小売店もありました。
公取委も、藤田屋が何店へ申し入れをしたのか正確な総数は明らかでないものの、25店を相当上回ると推認し、その中には抱き合わせを受け入れなかった店が相当数あったと認定しています。
では、断ることができたのなら問題なかったのでしょうか。
公取委の判断は違いました。
当時のドラクエIVは需要が供給を大きく上回っていました。卸は過去の取引実績によって各店への販売数量を決めるのが通常であり、これまで取引していなかった別の卸から突然ドラクエIVだけを確保することも容易ではありません。
ゲームショップにとって、人気作をどれだけ確保できるかは単に一本の売上だけの問題ではありませんでした。
公取委審決では、人気作を多く確保して客の要望に応えることが、店の格や信用、今後の営業成績にも影響する状況だったと認定されています。
その中で実際に25店が、本来はドラクエIVだけを欲していたにもかかわらず、それを手に入れるため希望していなかった別のゲームソフトも購入しました。
公取委はこれを、客観的に見て少なからぬ顧客が他の商品を購入せざるを得ない販売方法だったと判断しています。
つまり、この事件については「形式上、断る店は存在した。しかし、人気商品の追加分を手に入れようとすれば、別商品まで買わざるを得ない店が生じる状況だった」というのが実態に近いでしょう。
誰が誰に押し付けた?メーカーではなく卸売業者だった
この話でもっとも誤解されやすいのが、誰が抱き合わせを行ったのかです。
藤田屋事件について確認できる商流は、大まかに次のようになります。
| 段階 | 藤田屋事件で確認できる関係 |
|---|---|
| 一次卸 | 服部玩具ほか4社 |
| 二次卸 | 藤田屋 |
| 小売 | ゲームソフトを販売する取引先小売店など |
| 最終購入者 | 消費者 |
つまり今回中心となる事件は、ゲームメーカーが客へ直接2本のゲームを押し付けた話ではありません。
卸売段階で起きた問題です。
さらに興味深いことがあります。
公取委審決によると、藤田屋自身もドラクエIVを上流から仕入れる際、その一部を別のゲームソフトとの抱き合わせで買わざるを得なかったとされています。
つまり、抱き合わせを行った卸自身も、流通のさらに上流では同じ問題を受けていたケースがあったことになります。
店頭に並んだ一本のゲームだけを見ていても、この構造は見えません。
なぜ「普通の数量配分」と抱き合わせを分ける必要があるのか
人気ゲームが品薄なら、店ごとに入荷本数が違うこと自体は珍しくありません。
藤田屋事件でも、まず約310店に対し、過去の取引実績に応じてドラクエIVの数量を配分することになっていました。
これは数量配分です。
一方、その配分以上に欲しい店へ、別の商品も一緒に購入するよう条件を付けた部分が今回問題となった抱き合わせ販売です。
| 取引 | 内容 | 今回の事件 |
|---|---|---|
| 数量配分 | 品薄商品を取引実績などに応じて配分する | 約7万3,300本のドラクエIV |
| 抱き合わせ | 欲しい商品を得る条件として別の商品も購入させる | 通常配分以上を求める店への追加販売 |
| 通常のセット商品 | 最初から複数商品を一組の商品として販売する | 今回問題となった取引とは別 |
「人気商品が品薄だった」という事実だけから、「だから抱き合わせだった」と判断することはできません。
この二つを分けることが、当時のゲーム流通を正確に見る第一歩です。
公取委は何を問題にしたのか
藤田屋事件では、当時の「不公正な取引方法」の一般指定第10項に当たる抱き合わせ販売として、独占禁止法第19条違反と判断されました。
公取委が問題にしたのは、単純に「小売店が損をしたかどうか」ではありません。
人気の高いドラクエIVを利用して他の商品まで購入させれば、買い手は本来選びたくなかった商品まで仕入れることになります。
その結果、どの商品を仕入れるかという買い手の商品選択の自由が妨げられます。
さらに、本来なら価格や品質で競争するはずのゲームソフトについて、「人気商品と一緒なら売れる」という取引が成り立てば、卸売業者間の競争にも悪影響が出ると公取委は判断しました。
藤田屋側は、小売店に実際の損害が発生していないことなども主張しましたが、公取委は、損害発生そのものは抱き合わせ販売成立の条件ではないとしています。
最終的に藤田屋には、抱き合わせ販売を取りやめたことを取引先へ周知し、今後同様の販売を行わないことなどが命じられました。
審決日は1992年2月28日です。
実は藤田屋だけではなかった|ゲームボーイでも抱き合わせ
ここまでなら、「一つの卸が特殊なことをしただけ」と考えることもできます。
しかし、公取委の1990年度年報を見ると話は広がります。
年報には、次の5社に対する勧告事件がまとめて掲載されています。
- 松葉屋
- マルイチ商事
- 光陽
- 一世
- ワールドアオヤマ
対象となった人気商品は、ドラクエIVだけではありません。
ゲームボーイ1台にゲームソフト3本
ゲームボーイは1989年4月21日に発売され、その年の夏ごろから人気が高まり、小売店が十分な数量を確保しにくい状態になっていました。
公取委年報によると、二次卸3社は1989年11月以降、ゲームソフト3本を購入することを条件にゲームボーイ1台を販売することなどを取引先へ通知し、条件に応じた店に在庫ソフトを抱き合わせて購入させました。
ドラクエIVでも二次卸4社
ドラクエIVについても、二次卸4社が1989年12月以降、ゲームソフト3本を購入することを条件にドラクエIVを1本販売することなどを取引先へ通知したと年報に記録されています。
さらに松葉屋については、二次卸である光陽に対しても、在庫ゲームソフトを抱き合わせて購入させたとされています。
つまり問題は、単純な「卸からゲームショップ」という一段だけではありません。
流通の上流から下流まで、複数の段階で人気商品が在庫処分に利用される可能性がありました。
「業界では普通だった」と言っていいのか
ここは慎重に分けなければなりません。
一つの事件から「全国すべてのゲームショップが同じ目に遭っていた」と結論付けることはできません。
地域、取引先、卸、時期によって仕入れ条件は異なります。
一方で、公取委は藤田屋審決の中で、当時のゲームソフト業界では、人気商品と不人気商品を組み合わせる販売が珍しいものではなかったという趣旨の認定をしています。
その理由として、ゲームソフトは人気商品が全体の一部に限られる一方、流通業者が在庫を抱えやすく、人気商品が出たときに在庫処分へ利用する行為が生じていたことが挙げられています。
さらに藤田屋自身も、前作『ドラゴンクエストIII』の販売時に同様の抱き合わせ販売を行い、公取委から警告を受けていたことが審決に記録されています。
したがって、
「藤田屋だけの一度限りの特殊な事件だった」
とは言えません。
しかし同時に、
「ファミコン時代は全国どこの店でも抱き合わせが当たり前だった」
とまで広げる根拠も確認できません。
一番正確なのは、「公取委が複数の卸を問題にし、業界内で同種の行為が稀ではなかったと認定する程度には存在していた」というところです。
なぜゲームソフトは、そんなに在庫を抱えやすかったのか
抱き合わせを単なる悪質商法として見るだけでは、ファミコン時代の流通は見えてきません。
背景には、当時のゲームソフトそのものが持っていた厄介な性質があります。
2003年に『赤門マネジメント・レビュー』へ掲載された和田剛明「家庭用テレビゲームソフトの流通―リスクとリターンの構造と市場への影響―」では、ファミコン流通が玩具流通を土台として形成され、卸・小売の各段階で完全買取・返品なしという取引慣行が引き継がれたと整理されています。
さらにファミコンのROMカセットは、物理的な生産工程が必要でした。
同研究では生産に約2か月を要し、発売後に追加発注した場合も完成まで約2か月かかるため、発売前の段階でかなり先の需要を予測する必要があったとされています。
人気が予想を上回れば、すぐには増産できず品切れになる。
逆に予想より売れなければ、仕入れた商品が在庫として残る。
今のダウンロード販売のように、発売後の反応を見て在庫を増減させることはできません。
ゲームソフトの価格自体も、記録媒体や流通の変化と深く結びついています。ファミコンからスーパーファミコン、PlayStationまでの価格変化については、ゲームソフトはなぜ1万円を超えた?スーファミ→PS「5800円」→現在まで「ゲームの値段」40年史でも詳しく追っています。
売れ残ったゲームは返品できなかった?
「昔のゲームソフトは絶対に返品できなかった」と、すべての時代・取引について一括りにするのは危険です。
ただし、在庫リスクを流通側が背負いやすかったこと自体は、複数の資料から確認できます。
藤田屋審決は、当時のゲームソフトについて、原則として返品できない場合もあり、流通業者が在庫として抱えるのが通常だったという事情に触れています。
先ほどの流通研究も、ファミコン市場では玩具流通由来の完全買取・返品なしという仕組みが引き継がれたと整理しています。
つまり、仕入れたゲームが売れなければ、問屋や店にとって「メーカーへ返せば終わり」とはいかないケースがありました。
だからこそ、大量に売れることがほぼ確実な人気商品は強い力を持ちます。
人気作と一緒なら、普段なら動きにくい在庫まで下流へ流せる。
藤田屋事件で公取委が認定したのは、まさにその構造でした。
抱き合わせされたゲームは、そのままワゴンへ行ったのか
ここは想像でつなげてはいけない部分です。
1990年代のゲーム流通について、過剰在庫が値下げされ、最終的にワゴンセールなどで処分された事例があったことは流通研究でも確認できます。
同研究では、市場予測を外して過剰在庫になった商品が安値で流通し、それが相場全体へ波及して価格暴落につながる構造も論じられています。
その中には、人気のない商品を人気商品と抱き合わせて処分する方法もありました。
しかし、藤田屋事件で小売店へ抱き合わせられた約3,500本のゲームについて、具体的なタイトルは公取委資料から確認できません。
そのゲームが後にどの店で値下げされ、どのワゴンへ入ったのかも追跡できません。
したがって、
「昔ワゴンで安売りされていたゲームは、抱き合わせで押し付けられたゲームだった」
という説明はできません。
言えるのは、過剰在庫、値崩れ、ワゴン販売、抱き合わせが、当時の在庫リスクという同じ問題の周辺に存在していたというところまでです。
消費者もドラクエと別ゲームを一緒に買わされたのか
今回確認した中心事件については、違います。
公取委が藤田屋事件で問題にした取引相手は小売店です。
店頭でドラクエIVを買いに来た一般客に対し、「このゲームも一緒に買わなければドラクエIVは売らない」と販売した事件ではありません。
整理すると、今回扱っているのは、
一次卸 → 二次卸 → 小売店
という、客からはほとんど見えない仕入れ側の話です。
もちろん、小売店が余計な在庫を抱えれば、値引きや仕入れ判断を通じて消費者側へ間接的な影響が出る可能性はあります。
ただし、それと「消費者が直接2本セットで買わされた」という話は分けなければなりません。
任天堂やエニックスが抱き合わせを指示したのか
今回確認した公取委資料からは、任天堂やエニックスが小売店に対する抱き合わせ販売を指示したという事実は確認できません。
ゲームボーイの発売元として任天堂、ドラクエIVの発売元としてエニックスの名前は資料に出てきます。
しかし、公取委が今回の抱き合わせ行為の主体として問題にしたのは卸売業者です。
「人気商品が任天堂やエニックスの商品だった」ことと、「メーカーが抱き合わせを命令した」ことはまったく別の話です。
特に後年の回想では「ドラクエの抱き合わせ」「任天堂時代の抱き合わせ」といった短い表現になりやすいため、主語を落とさないことが重要です。
ドラクエIIIでも抱き合わせはあった?
ドラクエIV以前についても、気になる記録があります。
藤田屋審決は、同社が前作『ドラゴンクエストIII』を販売した際にも今回と同様の抱き合わせ販売を行い、公正取引委員会から警告を受けていたと明記しています。
少なくとも「ドラクエIVで突然初めて起きた問題」ではありません。
ただし今回確認できた公取委資料からは、ドラクエIII時の具体的な店舗数、本数、抱き合わせ商品、詳細な販売条件までは確定できませんでした。
そのため、ドラクエIIIについて「1本につき何本を買わされた」といった数字を補うことはできません。
公取委資料の「約3,500本」と「約3,100本」について
一次資料を読むと、一か所だけ注意が必要な数字があります。
藤田屋審決の事実認定では、25店に対してドラクエIV約1,700本と、他のゲームソフト約3,500本を購入させたと記載されています。
同じ審決の後半でも、実際に抱き合わせられたゲームソフトを約3,500本としています。
一方、審判官の判断途中には、一度だけ約3,100本という記載があります。
本記事では、事実認定と後段の判断で一致している約3,500本を基準にしています。
ただし、公取委データベースの本文内に3,100本という表記も実在するため、これを勝手に消したり、「単純な誤植」と断定したりはしません。
古い資料を使ってゲーム史を追うときは、こうした小さな食い違いも含めて残しておく必要があります。
発売前からすでに抱き合わせ条件が動いていた
もう一つ、時系列を見ると興味深い点があります。
ドラクエIVの発売日は1990年2月11日です。
ところが藤田屋が取引先へ抱き合わせ条件を通知し始めたのは、前年の1989年12月下旬以降でした。
つまり、店頭にドラクエIVが並ぶより前に、裏側では「各店に何本入るのか」「追加分をどう確保するのか」という争いが始まっていました。
公取委が審査を開始した後、藤田屋は1990年1月30日以降、この抱き合わせ行為を取りやめたと認定されています。
ゲームショップにとって新作の発売日は、その日に店頭へ商品が届いて始まるのではありません。
何か月も前から発注し、割当を受け、必要なら別の仕入れ先を探す。
その「客には見えない発売前」の世界に、今回の事件は残っています。
ファミコンのゲームは、店頭へ来るまでに何段階も通っていた
1990年前後のファミコン流通をすべて一つの経路で説明することはできませんが、当時の研究からは典型的な構造が見えてきます。
サードパーティーのソフトでは、メーカーから初心会系の一次問屋、二次問屋、小売店へと商品が流れる多段階の流通が形成されていました。
その中で二次問屋は、単に箱を右から左へ運ぶだけの存在ではありません。
品不足の商品を各問屋から探したり、過剰在庫を抱えた業者から安く仕入れて別の地域へ流したりと、需要と供給のずれを埋める役割も持っていました。
ところが人気作が極端に不足すると、その「欲しい商品を持っている」という事実そのものが大きな取引力になります。
藤田屋事件は、その力が在庫処分に利用された例でした。
1990年代半ば、PlayStationは別の流通を作ろうとした
この問題は、ゲーム流通がその後変わっていく背景を考えるうえでも重要です。
1994年にPlayStationが登場すると、ソニー・コンピュータエンタテインメントは、従来の多段階流通とは異なる仕組みを導入しました。
公取委の別の審決によると、PlayStationでは小売店との直接取引を基本方針とし、直接取引できない店については卸を通す方式を採用していました。
さらにCD-ROMはROMカセットより製造期間が短く、追加注文後1~2日で製造し、受注後3~4日目には販売業者へ納入する「リピート制」が採られていました。
ファミコン期に追加生産へ長い時間が必要だった状況と比べれば、大きな変化です。
ただし、「PlayStationになってゲーム流通の問題が全部解決した」というわけでもありません。
SCEの販売政策そのものも、後に価格や販売先の制限を巡って公取委の審判対象となりました。
流通の仕組みが変われば、問題の形も変わっていったという方が正確でしょう。
その後、1997年にはコンビニでゲームを予約・購入する仕組みも広がり、ゲームを買う場所そのものが変わっていきます。当時の店頭を再現した1万円だけ持って1997年のゲームショップへ行く|12月18日、何を買う?を見ると、わずか7年ほどで販売環境が大きく変わったことが分かります。
中古ゲーム市場との関係は?
ファミコン期の品不足や在庫問題を調べると、中古ゲームの話にもつながっていきます。
流通研究では、新品を十分確保できないゲーム専門店が、消費者から買い取った中古ソフトで品揃えを補う構造も指摘されています。
ただし、「抱き合わせ販売が中古ゲーム市場を生んだ」と一本の原因にまとめることはできません。
中古市場には、ゲームを遊び終えた消費者が売却したいという需要、店側の利益率、新品の品不足など複数の背景があります。
中古ゲームを自由に販売できるようになるまでの法的な経緯については、中古ゲームはなぜ自由に売れる?1999年「販売差止め・廃棄」判決から2002年最高裁までで詳しく整理しています。
「ファミコン抱き合わせ伝説」は、どこまで本当だったのか
| よくある話 | 確認結果 |
|---|---|
| ファミコン時代に抱き合わせ販売はあった | 確認できる。公取委審決・年報に具体例がある |
| ドラクエIVでも行われた | 確認できる |
| ドラクエIVは必ず別ソフト3本とセットだった | 誤り。大部分は通常の実績配分だった |
| 抱き合わせを断るとドラクエIVを1本も仕入れられなかった | 確認できない。通常配分が別に存在した |
| 断れば取引停止になった | 確認できない |
| ゲームボーイでも行われた | 確認できる |
| ドラクエIIIでも同様の行為があった | 存在は確認できる。藤田屋が公取委警告を受けた記録あり |
| 任天堂が小売店へ抱き合わせを命令した | 今回確認した資料には根拠なし |
| エニックスが抱き合わせを指示した | 今回確認した資料には根拠なし |
| 抱き合わせされたゲームは全部クソゲーだった | 確認できない。具体的なタイトルは不明 |
| 昔のワゴンゲームは抱き合わせ品だった | 一般化できない |
| 全国どこのゲーム店でも当たり前だった | そこまでは確認できない。ただし公取委は同種行為が稀ではなかったと認定 |
まとめ|「全部が抱き合わせ」ではない。それでも伝説ではなかった
ファミコン時代の「人気ゲームを仕入れるには、別のゲームまで買わされた」という話は、単なる都市伝説ではありませんでした。
1990年のドラクエIVを巡り、藤田屋は通常の取引実績に基づく配分を超えて追加分を求める小売店に対し、在庫ゲームソフトを一緒に購入する条件を提示しました。
実際に25店が応じ、ドラクエIV約1,700本と、他のゲームソフト約3,500本が抱き合わせで取引されたと公取委は認定しています。
さらに、同時期にはゲームボーイやドラクエIVを巡って複数の卸売業者が公取委から勧告を受け、藤田屋自身もドラクエIIIの販売時に同様の行為で警告を受けていました。
だからといって、ファミコンソフトの仕入れがすべて抱き合わせだったわけではありません。
藤田屋が仕入れたドラクエIVの大部分は、通常の取引実績に基づいて配分される予定でした。
見えてくるのは、「人気ゲームには不人気ゲームが3本付いてきた」という単純な昔話ではありません。
追加生産に時間がかかるROMカセット。人気作の品不足。返品しにくい在庫。過去の取引実績で決まる割当。そして、一本でも多く人気作を確保したいゲームショップ。
それらが重なった場所で、人気商品そのものが在庫を動かす力になりました。
客がドラクエIVの箱を手に取ったとき、その一本が店に届くまでにどんな条件が交わされていたのかは見えません。
公取委の資料を追うと、その「店の裏側」が30年以上を経て、かなり具体的な数字とともに残っています。