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初代PlayStation誕生秘話をNHK『新プロジェクトX』が特集|開発の舞台裏と放送日まとめ

放送はいつ?どこで見られる?

NHK『新プロジェクトX〜挑戦者たち〜』が、初代PlayStation誕生の舞台裏を掘り下げる回「異端児たちのゲーム機革命 〜電機メーカー 新時代への一手〜」を放送します。

日時は2025年10月11日(土)の20:00〜20:48、NHK総合。MCは有馬嘉男さん・森花子さん、語りは田口トモロヲさん。

NHK ONE(新NHKプラス)での同時・見逃し配信も予定されています。

まずはこの基本情報を押さえつつ、以降の項目では番組が示した注目ポイント(関係者・新証言・技術的論点)を順に整理していきます。

番組が示すトピック(予告段階で判明している内容)

今回の放送は「異端児たちのゲーム機革命 〜電機メーカー 新時代への一手〜」というタイトルで、初代PlayStationの開発過程を正面から扱います。焦点となるのは「リアルタイム3DCGを家庭用ゲーム機で実現する」という挑戦でした。当時の市場はまだ2Dが主流であり、ソニー社内でも懐疑的な声が多かったとされています。

出演者としては、開発リーダーを務めた久夛良木健氏、音楽事業を率いてきた丸山茂雄氏、ゲーム開発現場の坂上陽三氏らが予定されています。技術・経営・ソフト制作、それぞれの立場から語られる証言が大きな見どころです。

番組予告では、次のような要素が示されています。

  • 社内での計画中断や批判の中で、独自ゲーム機への方向転換を決断した瞬間
  • 半導体技術者との出会いによって生まれたブレークスルー
  • ナムコの参画をはじめとするサードパーティ獲得の裏側

これらはいずれも、PlayStationが「ただの新型ゲーム機」ではなく、時代を変える存在へと成長していった経緯を物語る重要な断片です。

初代PlayStation発売までの基礎年表(1990〜1994)

1990年頃
ソニーと任天堂が「スーパーファミコン向けCD-ROMアドオン」共同開発に着手。ソニー側は「Play Station(プレイ・ステーション)」と呼ばれる拡張機器を試作。

1991年
米ラスベガスのCESで、ソニーが任天堂と共同開発した「SNES-CD(スーパーファミコン用CD-ROM拡張機)」を発表。しかし、任天堂は翌日突如フィリップスとの提携を発表し、ソニーとの契約を事実上破棄。これがソニー内での大きな転機となる。

1992年
久夛良木健氏らソニー内の一部エンジニアが「自社独自のゲーム機を開発すべき」と提案。社内では懐疑的な声が強く、一度は計画が凍結される。

1993年
ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)を設立。ハード開発とソフト制作を一体で進める体制が整う。ナムコなど大手ソフトメーカーの参画が決まり、普及の見通しが立ち始める。

1994年12月3日
初代PlayStationが日本で発売。価格は39,800円。当時としては低価格ながら、ポリゴンを用いたリアルタイム3DCGを可能にする性能を備え、家庭用ゲーム市場に衝撃を与えた。

番組で語られる可能性のある舞台裏と人間ドラマ(内容予想)

今回の「新プロジェクトX」で取り上げられる初代PlayStation開発の物語は、単なる技術史ではなく、人間同士の衝突や決断が中心になると考えられます。番組予告で示された要素と、これまで一般に語られてきた史実を重ねると、次のような見どころが予想されます。

まず大きな焦点となるのは、ソニー社内での反対意見や開発計画の中断です。当時、電機メーカーが独自の家庭用ゲーム機を作るという発想は大胆すぎる挑戦でした。否定的な声の中で「それでもやる」と舵を切った瞬間が、ドラマとして再現される可能性があります。

次に注目したいのは「半導体技術者との出会い」です。リアルタイム3DCGという未踏の領域を家庭用機で実現するためには、当時の常識を覆すハード設計が必要でした。その突破口となったのが、特定の技術者との協力だったとされており、番組ではこの邂逅が人間ドラマとして描かれるでしょう。

さらに、ナムコをはじめとする大手ソフトメーカーをどう口説いたかも重要な場面です。ハードの性能が高くても、強力なタイトルがなければ普及しません。ナムコのデモ映像や技術協力が決定的な後押しとなった経緯は、番組で丁寧に取り上げられるはずです。

こうした流れは、PlayStationの誕生が偶然ではなく、数々の決断や出会い、そして人間同士の信頼によって形になったことを示すでしょう。予告の段階から、人間臭さと緊張感に満ちた物語が期待できます。

なぜ今回の特集が“貴重”なのか(編集部考察)

プレイステーションはいまや巨大ブランドですが、初代PSの「開発プロセスだけ」に焦点を当てた長尺ドキュメントを、地上波のゴールデン帯で扱う機会は多くありません
これまでの語りは、関係者の書籍、周年の短編映像、業界向けインタビュー、海外ドキュメンタリーなど“コア層に届く場”に寄りがちでした。全国放送で一次証言がまとまる今回は、一般視聴者へ歴史を“可視化”する上でも意味が大きいと考えます。

加えて、1994年発売から約30年という節目に、「なぜ独自ハードに踏み切れたのか」「どの決断が転機だったのか」を整理し直せる点も重要です。
1億台突破という結果はよく知られていますが、そこに至る“人の判断・組織の力学・技術の突破口”がどのように積み上がったのか――を、一般に共有できる機会は貴重です。

番組視聴が残す価値は、ゲーム史だけに留まりません。
新規事業の意思決定、社内反対の乗り越え方、外部パートナーの巻き込み方など、ビジネスや技術のケーススタディとしても学びが抽出できます。若い視聴者にとっては、当時の“空気”を追体験する教材にもなるはずです。

視聴前に押さえておきたい予習ポイント

1. 基本の時系列を整理しておく
1990年代初頭、ソニーは任天堂とスーパーファミコン用のCD-ROM拡張機を共同開発していました。やがてこの計画が頓挫し、独自路線に舵を切るきっかけとなります。1993年にソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が設立され、1994年12月3日に初代PlayStationが発売されました。

2. 当時の市場環境
家庭用ゲームはまだ2Dが中心で、任天堂がスーパファミコンで覇権を握り、セガがメガドライブでそこに追従していた時代です。そこに「家庭用でリアルタイム3DCGを動かす」という挑戦は、無謀と見られることもありました。この時代背景を知っておくと、番組内で語られる決断や葛藤がより鮮明に理解できます。

3. “幻の試作機”の存在
任天堂とソニーが進めていたCD-ROM拡張構想は、後に「幻のPlay Station試作機」と呼ばれる存在を残しました。これが頓挫したからこそ、ソニーは自社ハード開発へと動き出したのです。この前史を知っていると、番組の展開に深みが増します。

4. キーパーソンの視点
番組には、開発リーダーの久夛良木健氏、音楽業界からハード事業を後押しした丸山茂雄氏、ナムコでソフト開発に携わった坂上陽三氏らが登場予定です。技術・経営・ソフト制作、それぞれの立場からの証言が交差するのが見どころです。

5. サードパーティ参入の意味
ナムコの早期参画は、PlayStation普及の大きな転機でした。デモ映像のインパクトや技術協力の裏話は、番組の重要な場面になる可能性があります。

6. 発売価格と当時の衝撃
初代PlayStationは39,800円で発売されました。低価格ながら高性能という位置付けは「手の届く次世代機」として受け入れられ、市場を一気に変えるきっかけとなりました。

7. その後の規模感を示す数字
初代PSは2005年5月18日、世界で1億台以上を出荷。番組が焦点を当てる「誕生の瞬間」が、どれほど大きなムーブメントにつながったかを示す数字です。

まとめ

初代PlayStationの誕生は、単なる新しいゲーム機の開発ではなく、当時の常識を覆す大きな挑戦でした。社内での反対や計画の中断を乗り越え、半導体技術者との出会いによって新しい扉が開かれ、さらにナムコをはじめとするソフトメーカーの参画によって「普及への道筋」が整いました。

今回のNHK『新プロジェクトX』は、その舞台裏を当事者の証言を交えて振り返る貴重な機会です。放送を前に、当時の市場環境や基礎年表を押さえておくことで、番組が描く一つひとつのエピソードをより深く理解できるでしょう。

そして、2005年に1億台出荷を突破したという成果が示すように、この決断と挑戦は世界のゲーム史を変えました。放送を通じて、技術と人間ドラマが交差した瞬間に触れることで、PlayStationという存在の重みを改めて実感できるはずです。

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発売:2024年5月(日本)
出版社:オフィスちゃたに(Office Chatani Publishing)
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