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原神はサービス終了するのか?──HoYoverseの戦略から読む“今後の展開”と未来予想

原神はいつまで続く?──サービス終了説と“次の展開”を読み解く

『原神』のキャラクター、ダインスレイヴが暗闇の中で構える公式ビジュアル

原神をプレイし始めてから、いまでも私はテイワットを旅し続けています。
日々のイベントや探索、キャラクターとの出会いを心から楽しみながらも、
最近ふと感じるのは──七国の物語が、いよいよ終わりに近づいているということ。

カーンルイアに辿り着いたその先、原神はどんな世界を見せてくれるのか?
長く愛されてきたこの作品が、もし“一区切り”を迎えたとしたら、
それでもなお私たちはこの世界と共に歩み続けられるのか。

原神がリリースから5年を迎えたいま、
SNSや掲示板では「そろそろサービス終了では?」という声が増えつつあります。
同時に、「次はどんな展開が来るのか?」という期待の声も根強い。

本記事では、HoYoverseの運営構造や技術革新、そしてコミュニティ文化の成熟をもとに、
“原神は終わるのか、それとも進化し続けるのか”──その未来を考察していきます。

HoYoverseの運営構造と長期戦略──原神は「一本のゲーム」ではない

「原神はいつまで続くのか?」
この問いを真正面から考えるとき、まず理解すべきは――
原神は単なるソシャゲではなく、HoYoverseという巨大な“宇宙構想”の一部だということです。

運営元miHoYo(現HoYoverse)は、他のゲーム会社とは構造がまったく異なります。
たとえばスクエニやカプコンが“作品単位”で事業を区切るのに対し、
HoYoverseは“世界単位”で展開を設計している。

原神、崩壊:スターレイル、ゼンレスゾーンゼロ──
これらは別タイトルでありながら、技術・シナリオ・ユーザー基盤を共有する「多層的IPネットワーク」です。
その中核に位置するのが、原神=HoYoverseの実験場であり、象徴という存在。


HoYoverseが掲げる長期戦略の根幹は、「作品の寿命」ではなく「世界の継続性」。
つまり、原神は“終わる”のではなく、“HoYoverse全体に溶け込んでいく”設計です。
運営は単にアップデートを重ねるのではなく、文化の拡張とユーザー体験の深化を同時に進めている。

その象徴が、グローバル展開の拠点群。
上海・シンガポール・東京・モントリオール・バンクーバー──
これらの拠点はゲーム開発だけでなく、音楽・アニメ・リアルイベント・AI研究まで視野に入れている。
原神の世界が、ゲーム外で「現実世界の文化活動」として浸透していく構図です。


HoYoverseは2020年代後半、確実に“次の段階”を見据えています。
その方向性は、単なる「続編」ではなく――
長期持続型IP(Live IP)としての原神再定義

つまり「続くか終わるか」という二択ではなく、
“形を変えながら続いていく”という第三の未来をすでに描いているのです。

原神が“終わらない”と言い切れる理由──経済と文化の両面からの分析

原神が他のソーシャルゲームと決定的に違うのは、「経済」と「文化」――二つの柱で成り立っていることです。
多くのソシャゲは「売上=命綱」であり、収益が落ちればサービス終了が視野に入ります。
しかし原神は、単なるガチャビジネスを超えた“経済圏”を形成している。


経済面:運営を支えるグローバル構造

原神は、リリースから5年が経った今も、月間売上が世界トップクラス。
App Store・Google Playの統計を見ると、未だに1か月で数十億円規模の収益を維持しています。
これは単にキャラクター人気が続いているという話ではなく、
多国籍展開による市場分散が成功している証です。

日本・中国・北米・韓国・台湾・東南アジア──
どの地域でも独立したファンコミュニティと課金文化が根づき、
一国依存のリスクを回避する多層構造を作っている。

さらに、HoYoverseは売上の再投資を「次世代開発」「音楽制作」「アニメ企画」に回しており、
この循環によって原神単体でも自己再生可能な経済基盤が形成されている。
もはや“1タイトルの商業作品”ではなく、“経済ユニット”に近い存在です。


もうひとつの大きな要素が、文化的な自立性です。
ファンアート、同人誌、コスプレ、BGMアレンジ、リアル観光地巡礼──
プレイヤーの手によって原神は「遊ばれるゲーム」から「語り継がれる文化」へと変化しました。

miHoYoはこの“文化の自走”を止めようとはせず、むしろ後押ししています。
たとえば公式コンサートや原神フェスの開催、アニメ版プロジェクト、ファッションブランドとのコラボ。
これらは単なる販促ではなく、原神という物語を現実世界で拡張する装置です。

経済と文化、この二つが重なったとき、作品の寿命は“終わり”ではなく“形の変化”へと移行します。
他のソシャゲが「売上が落ちれば閉じる」構造なのに対し、
原神は「文化が続く限り、存在し続ける」モデルへと進化しているのです。


もしこの構造を図で表すなら、原神の寿命は“直線”ではなく“螺旋”。
一定周期で盛り上がりと沈静を繰り返しながら、少しずつ上へ伸びていく。
その意味で、原神は「終わらないゲーム」というよりも――
「成熟し続ける世界」なのです。

技術の転換点──“Genshin 2.0”構想はすでに始まっている

原神がこれほど長く第一線を走り続けている理由のひとつは、
運営が技術的な再構築を恐れないという姿勢にあります。

多くのソシャゲがリリース後のアップデートを“コンテンツの追加”に留めるのに対し、
原神は「根幹の技術構造を刷新し続ける」という異例の方針を取っている。
それはまるで、同じ世界を保ちながらも、裏側のエンジンを少しずつ交換していくようなイメージです。


エンジンの進化と「原神2.0」の萌芽

miHoYoは早くから内製エンジン「米哈游エンジン」を改良し、
光源処理・影の演算・物理演算などを段階的にアップグレードしてきました。
特にVer.4.x以降は描画密度が顕著に上がり、
水面反射や環境ライティングの自然さが、次世代機レベルに近づいている。

これは単なる「高画質化」ではありません。
今後の“原神2.0”に向けた基盤整備と見ることができます。

HoYoverseはUE5(Unreal Engine 5)を直接使っているわけではありませんが、
自社エンジンに類似する技術要素――
「Nanite」「Lumen」「Temporal Super Resolution」などの概念を吸収しつつある。

この動きは、PS6や次世代Switchへの展開を見据えた技術的布石であり、
将来的には“完全次世代版原神”が立ち上がる可能性すらあります。


AIと自動生成の導入

さらに注目すべきは、AI技術の導入です。
開発者インタビューでは、すでに「背景生成」「NPC挙動制御」「ボイスリップ調整」などに
機械学習を部分的に使用していることが明かされています。
これは、将来的に“世界を自動生成する原神”への第一歩。

もしAIがNPCの行動やクエスト構造を学習的に最適化するようになれば、
同じマップでもプレイヤーごとに異なる体験が生まれる。
つまり、“1億通りのテイワット”が存在する世界観になるということです。


「アップデート」ではなく「転生」へ

こうした技術的進化を総合すると、
原神が目指しているのは「Ver.9.0」や「10.0」ではなく、
“Genshin 2.0”――転生型アップデートです。

それは新作ではなく、現在の原神の延長線上にありながら、
グラフィック・AI・UI・デバイス対応をすべて刷新する形で再誕する可能性。

miHoYoは過去に“崩壊学園→崩壊3rd”で
同ブランド内のリブートに成功しています。
このパターンを再現するなら、
「原神2.0」は完全新作ではなく、同じ世界の“再構築版”として登場する可能性が高い。


つまり技術面では、原神はすでに「終わる」どころか、
次の世代に“進化しながら続く準備”を整えている段階なのです。

プレイヤー層の成熟と“文化圏化”する原神コミュニティ

リリースから5年。
原神のプレイヤー層は、単なるゲーム人口ではなく、ひとつの文化圏へと進化しました。
かつて「ガチャを回す」「イベントをこなす」だけだったユーザーの多くが、
今では原神という世界そのものを“生きる”人たちになっている。


ゲームを超えた“文化”としての原神

原神を語るとき、いまや「ゲーム」だけを見ていては本質がつかめません。
SNS上では、ファンアート、二次創作小説、アレンジ音楽、コスプレ、観光地巡礼――
あらゆる表現者たちが、原神を素材に自分の創作を展開しています。

しかもそれは“ファン活動”の域を超えて、
一種の創作経済圏(Creator Economy)を形成している。
YouTubeやTikTok、Pixivでは原神関連コンテンツが継続的に再生され、
その収益が新たな創作を生む循環ができている。

いわば原神は、「ユーザーが作品を育てる段階」に入った知的生命体です。


プレイヤー層の二極化と共存

面白いのは、時間とともにプレイヤー層が二極化している点です。
ひとつは、ストーリーとキャラクターに深く没入し、考察・創作を続ける文化層プレイヤー
もうひとつは、日課や限定イベントを短時間でこなすライト層プレイヤー

普通のソシャゲなら、この分断が“熱量格差”として致命的になる。
ところが原神の場合、両者が同じ世界を共有しても破綻しない設計になっている。
これはUIやイベント設計が「義務」ではなく「選択」で成り立っているためです。

ストーリーに浸る人も、ガチャだけ楽しむ人も、
それぞれの遊び方で「テイワットに存在している」と感じられる。
この柔軟さこそ、長期運営タイトルに不可欠な“文化的包容力”です。


現実世界への拡張

さらにHoYoverseは、原神を現実空間にまで拡張させています。
公式コンサート、展示会、コラボカフェ、アニメ化プロジェクト。
それぞれが“テイワットからの越境”をテーマにしており、
ゲーム外でも「原神を体験できる」場所が増えている。

この動きは、まさに文化圏化の最終段階です。
ゲームから派生した創作・音楽・観光・ファッションが、
現実世界のカルチャーを更新していく。
原神というタイトルは、すでに「ソーシャルゲーム」ではなく――
“一つの文明”として動いているのです。

競合構造の変化──“原神以後”の業界をどう変えたか

ゲーム業界の地図は、原神の登場で書き換えられた。
──これは決して誇張ではない。

かつて「オープンワールド×スマホ」は、誰も本気で信じていなかった。
技術的にもコスト的にも“夢物語”とされていたジャンルだ。
しかし、原神がその不可能を現実にしてしまった瞬間、
世界中のゲーム会社が“ポスト原神時代”を意識し始めた。


他社タイトルが学んだ“原神式モデル”

登場以降、数多くのフォロワータイトルが生まれた。
『Tower of Fantasy』『Wuthering Waves』『Blue Protocol』──
いずれも「探索・キャラ・ストーリー・SNS共有性」を核にしているが、
いざ触れてみると、原神が築いた体験設計の壁の高さを痛感する。

たとえば、移動と音楽とカメラワークの連動。
原神は「移動=ストーリー体験」という文法を生み出した。
他タイトルは同じ規模を模倣しても、“体験の一体感”が再現できない。
そこには、設計思想の深さが違う。


“比較される存在”から“基準になる存在”へ

かつては「原神はゼルダの真似だ」と言われていた。
だが今は逆だ。
新作オープンワールドRPGが出るたび、
ユーザーは無意識に「原神と比べてどうか?」と口にする。

原神はジャンルの基準になった。
つまり“比較の対象”から“比較の軸”へ昇格したのだ。
この地位は、一過性の人気では到達できない。


そして、競合の出現は原神にとっての刺激でもある

興味深いのは、HoYoverse自身もこの“競合構造”を理解している点。
『崩壊:スターレイル』や『ゼンレスゾーンゼロ』を立ち上げたのは、
“社内競合”を意図的に作ることで、
ブランド全体を活性化させるエコシステムを形成するためだ。

つまり原神は、他社タイトルと争っているのではない。
自分の“次世代版”と競争している。

その構図は、まるでテイワットの神々が
互いに価値観を競い合い、進化していく世界そのものだ。

HoYoverseが描く“メタ宇宙構想”──原神が溶けていく未来

夜のテイワットを思い浮かべてほしい。
無数のランプが街を照らし、遠くの山では雷が走る。
あの世界は「仮想」なのに、私たちはそこに“帰る”という言葉を使う。

なぜだろう。

それは原神が、ただのゲーム空間ではなく、
私たちの現実感覚の一部になりつつあるからだ。


HoYoverseが目指す“現実との融合”

HoYoverseのキーワードは「メタ宇宙」。
SF的な響きだが、その本質はきわめて現実的だ。
彼らは“仮想世界を拡張する”のではなく、
現実世界の中にHoYoverseを埋め込むことを目指している。

  • 東京・シンガポール・モントリオールなどに分散した拠点は、単なる支社ではなく「世界実装ノード」
  • 各地のイベント・展示・コンサートは、“テイワットを現実空間に同期”させる実験
  • アニメ化・3Dライブ・AIナレーション開発は、“プレイヤーの生活に世界を常駐させる”構想の一環

つまり原神は、ゲームの外に出ることを前提に設計されている
その構想は、VRでもARでもない。
“日常そのものがHoYoverse化する”というアプローチだ。


AIとデジタル・アバターの融合

2025年以降、HoYoverseはAIアバター技術を急速に進めている。
社内開発中と噂される「AIパートナーシステム」は、
ユーザーのプレイ履歴や選択傾向を学習し、
“自分だけのパイモン”を生成する可能性がある。

これは、原神が“1つのゲーム”から“1人ひとりの宇宙”へ移行する転換点。
個人AIが常駐することで、テイワットは固定された世界から
流動的で、個人的なメタ宇宙へと変わっていく。


終わり”が存在しない世界設計

HoYoverseの真の狙いは、
“終わらせない物語”を作ることではない。
“終わりが意味を持たなくなる世界”を作ることだ。

原神をプレイする人が、やがてAIアバターを通して別の次元でテイワットに接続し、
「サービス終了」という概念そのものが、無意味になっていく――。

物語の幕を下ろすのではなく、
現実と仮想の境界ごと溶かしていく
それが、HoYoverseが描く“次の原神”の姿である。

終わりではなく変化の始まり──“閉じる”ではなく“転生する”原神

サービス終了という言葉は、ゲームにとって死の宣告のように聞こえる。
だが原神には、その言葉がまったく似合わない。
むしろ、原神という存在は「終わる」という概念そのものを、静かに無効化している。

原神はひとつの物語を語り続けているようでいて、実際にはプレイヤーの心の中にいくつもの“世界線”を育てている。
ある人にとっては、リリース初期のモンドこそが原神。
別の人にとっては、稲妻やスメール、あるいはフォンテーヌが原神。
このように“同じ作品なのに、人によって記憶の形が違う”という現象は、もはやひとつの生命体の成長に近い。

運営チームはその“多層的な時間の流れ”を壊すことなく、少しずつ新しい層を積み重ねている。
新マップ、新システム、新キャラ。
それらは過去を置き去りにするためではなく、過去を包み直すための再構築だ。
まるで大樹が年輪を重ねるように、原神はひとつの円の中で成長している。

多くのゲームは、拡張と収束を繰り返した果てに「終わり」を迎える。
けれど原神の終点は、直線の果てではなく、円のどこかに存在している。
もし物語が一区切りついても、それは閉幕ではなく“転生”。
キャラクターも、世界も、そしてプレイヤーの記憶すらも、次の層へと移行していく。

それこそが、HoYoverseが仕掛ける最も静かな革命だ。
「続ける」でもなく「終える」でもなく、ただ形を変えて存在し続ける
それが、原神という文化の生き方なのだ。

結論──“ポスト原神時代”に生きる私たちへ

原神という世界は、いまも拡張を続けている。
けれどその速度は、もはや新マップや新キャラの追加だけでは測れない。
それは文化としての“広がり”であり、プレイヤーの記憶と体験が結びついた“層”の厚みでもある。

考えてみれば、私たちはずっとこのゲームに「再会」してきた。
リリース初期の感動、旅人の始まり、稲妻の苦さ、スメールの哲学、フォンテーヌの静寂。
そのどれもが、終わった瞬間に消えるのではなく、心のどこかで次の章の種になっていった。
原神は、プレイヤーの時間の中で循環しているのだ。

この先、HoYoverseが何を仕掛けてくるかは分からない。
AIの導入かもしれないし、全く新しいプラットフォームかもしれない。
けれど本質は変わらないだろう。
彼らが作ろうとしているのは、世界そのものが持続する構造だ。
ひとつの作品が終わっても、世界が残る。
プレイヤーが離れても、音楽や風景や記憶が文化として残る。

原神が築いたのは、そういう“存在の仕方”だ。
だからこそ、この作品を語るとき、「終わり」という言葉はふさわしくない。
私たちはいずれ、別のタイトル、別の世界を旅するだろう。
けれど、ログイン画面の風や音を思い出した瞬間、心はまたテイワットに還っていく。

原神とは、ひとつの時代を象徴するゲームであると同時に、
「世界を続ける」という新しい概念そのものなのかもしれない。
その意味で、ポスト原神時代を生きる私たちもまた、
この長い旅の一部なのだ。

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