- オープンワールドに釣りは必要なのか?かつて歓迎された“寄り道”が不満に変わった理由
- ゲーム内の釣りは、もともと“うれしい寄り道”だった
- 『時のオカリナ』の釣りが印象に残った理由
- オープンワールド時代に釣りは“定番装備”になった
- 不満の正体は「釣りが嫌い」ではなく「テンポが止まる」こと
- 「やりたい」から「やらなきゃ」に変わると釣りは苦しくなる
- 世界観と釣りが噛み合わないと、急に違和感が出る
- それでも釣りが評価されるゲームはある
- オープンワールドに必要なのは釣りではなく“納得できる寄り道”
- 開発側が釣りを入れたくなる理由もわかる
- 釣りが面白くなるゲームには共通点がある
- 報酬が強すぎると、釣りは自由ではなくなる
- 釣りは“待つ遊び”だから現代ゲームと相性が難しい
- 釣りが苦手な人に逃げ道を用意できているか
- 「釣りがあるゲーム」ではなく「釣りをしたくなる世界」が理想
- 「また釣りか」と言われる時代だからこそ、釣りの見せ方が問われている
- まとめ:オープンワールドに釣りが必要かどうかは、ゲームごとに違う
オープンワールドに釣りは必要なのか?かつて歓迎された“寄り道”が不満に変わった理由

「また釣りか」
最近のオープンワールドゲームや大型RPGで、釣り要素が発表されるたびに、SNSやコメント欄でそんな反応を見かけることが増えました。
広いフィールド。川や湖。生活感のある世界。そこに釣りがあること自体は、決して不自然ではありません。むしろオープンワールドらしい寄り道として、世界に奥行きを与える要素でもあります。
しかし一方で、プレイヤーの中には「テンポが止まる」「結局やらされる」「また似たようなミニゲームか」と感じる人も少なくありません。
面白いのは、ゲーム内の釣りが最初から嫌われていたわけではないという点です。
1990年代のRPGやアクションアドベンチャーでは、釣りはむしろ“入っていると嬉しいおまけ”でした。たとえば『ブレス オブ ファイア 竜の戦士』では、リュウに釣り竿と餌を装備させることで、特定の水辺や井戸などで釣りができる要素がありました。
また『ゼルダの伝説 夢をみる島』にも、メーベの村に10ルピーで遊べる釣り堀が登場します。序盤から触れられる小さな遊びとして、釣りは本編とは別の“寄り道の楽しさ”を作っていました。
では、なぜ今になって「また釣りか」と言われるようになったのでしょうか。
理由は、釣りそのものが悪くなったからではありません。
かつての釣りは、ゲームの中に隠された小さな驚きでした。しかし現在のオープンワールドでは、釣りが「広い世界にはとりあえず入っている定番要素」になりすぎたことで、プレイヤーに新鮮さよりも作業感を与える場面が増えているのです。
さらに、釣りでしか手に入らない報酬や強力な装備が用意されると、プレイヤーの感覚は「やってみたい」から「やらなければならない」へ変わります。たとえば『原神』では、釣りで交換できる星4武器「漁獲」が実用性の高い武器として知られ、釣り要素そのものより報酬目的で取り組んだプレイヤーも多かったはずです。
釣りは、本来なら世界をゆっくり味わうための遊びです。
けれど、それがテンポを止める作業になった時、あるいは報酬のためのノルマになった時、プレイヤーはこう感じてしまいます。
「釣りがしたいわけじゃないんだけどな」と。
この記事では、ゲームにおける釣り要素の歴史を振り返りながら、なぜオープンワールドの釣りが不満を集めるようになったのか。そして、今でも面白い釣りと、作業に感じられる釣りの違いについて考えていきます。
ゲーム内の釣りは、もともと“うれしい寄り道”だった
ゲームにおける釣り要素を考える時、まず押さえておきたいのは、釣りが最初から不満の対象だったわけではないという点です。
むしろ昔のゲームでは、釣りは「こんな遊びまで入っているのか」と驚かれる要素でした。
たとえば『ゼルダの伝説 夢をみる島』では、メーベの村に釣り堀があり、序盤からルピーを払って釣りを楽しむことができます。Nintendo公式の開発者コメントでも、釣り堀は「冒険の合間に立ち寄れる場所」として紹介されており、サイドビューで魚の動きが見える独自の遊びとして語られています。
ここで重要なのは、釣りが本編の進行を強制的に止めるものではなく、あくまで“寄り道”だったことです。
少しルピーを使って遊ぶ。うまく釣れたらうれしい。景品がもらえたら得をした気分になる。
この頃の釣りは、ゲームの世界に小さな生活感を足す存在でした。
『ブレス オブ ファイア』シリーズでも、初代から釣り竿と餌を使った釣り要素があり、『ブレス オブ ファイアII』ではさらにミニゲームとしての存在感が増していきます。RPGの本筋とは別に、フィールド上で魚を釣るという行為は、当時としてはかなり新鮮な寄り道でした。
1990年代のゲームにおいて、ミニゲームや隠し要素は「豪華さ」の象徴でもありました。
メインストーリーだけでなく、カジノ、闘技場、レース、カードゲーム、釣りなどが入っていると、それだけで「遊びごたえがある」と感じられた時代です。
今のようにアップデートで要素が追加されるのが当たり前ではなかったからこそ、一本のゲームソフトの中にどれだけ遊びが詰まっているかは、大きな価値でした。
つまり、昔の釣りは「やらされる作業」ではなく、「見つけるとうれしい遊び」だったのです。
『時のオカリナ』の釣りが印象に残った理由
ゲーム内の釣りを語るうえで、多くの人が思い出す作品のひとつが『ゼルダの伝説 時のオカリナ』です。
作中には釣り堀があり、ルアーを投げ、魚との駆け引きを楽しむミニゲームとして存在していました。攻略情報でも、ハートのかけらや金のウロコ、ハイラルどじょうなどが釣り堀の目標として扱われています。
この釣りが印象深かったのは、単に報酬があったからではありません。
冒険の緊張感から少し離れて、静かな池で魚を待つ時間があったからです。
『時のオカリナ』は、世界を救う大きな物語です。けれど、その世界の中には、ただ魚を釣るだけの場所もある。そこに、ハイラルという世界の広がりがありました。
この頃の釣りは、ゲームのテンポを邪魔するというより、世界に余白を作る役割を持っていました。
プレイヤーは、釣りをするためにゲームを中断しているのではなく、ゲームの世界にもう少し長く滞在している感覚を味わっていたのです。
この違いはかなり大きいです。
オープンワールド時代に釣りは“定番装備”になった
では、なぜ今の釣り要素には不満の声が出やすくなったのでしょうか。
大きな理由は、オープンワールドゲームの増加です。
オープンワールドでは、広いフィールドを作ります。山があり、森があり、川があり、湖があり、海があります。自然環境を作る以上、水辺はほぼ必ず登場します。
そして水辺があると、開発側はこう考えやすくなります。
「魚がいる方が自然だ」
「魚がいるなら釣りができた方がいい」
「釣りができるなら収集要素や報酬も用意しよう」
この流れ自体は、とても自然です。
問題は、あまりにも多くの作品で同じ流れが繰り返された結果、プレイヤー側が新鮮さを感じにくくなったことです。
昔は「このゲーム、釣りまでできるのか」でした。
今は「このゲームも釣りがあるのか」になっている。
この差が、まさに不満の出発点です。
釣りが悪いのではありません。
釣りが“珍しい遊び”から“よくある標準機能”になったことで、プレイヤーの受け取り方が変わったのです。
不満の正体は「釣りが嫌い」ではなく「テンポが止まる」こと
釣り要素への不満でよく出てくるのが、「テンポが悪い」という声です。
オープンワールドゲームの魅力は、探索の流れにあります。
遠くに見える山へ向かう。
道中で敵と戦う。
素材を拾う。
気になる建物を見つける。
新しいクエストが始まる。
このような流れの中に釣りが入ると、急にゲームの速度が変わります。
釣り場を探す。
餌やルアーを選ぶ。
投げる。
待つ。
食いつくまで待つ。
タイミングを合わせる。
リールを巻く。
これは、戦闘や探索とはまったく違うリズムです。
そのため、プレイヤーが「今は冒険したい」と思っている時に釣りを求められると、急にブレーキを踏まれたように感じます。
しかも釣りの操作は、作品が違っても似やすい傾向があります。
投げる、待つ、引く。
もちろん細部の作り込みは作品ごとに違います。しかし、プレイヤーの体感としては「前にもやったような釣り」に見えやすい。
ここが不満につながります。
釣りそのものが嫌いなのではなく、ゲームの勢いを止められることが嫌なのです。
「やりたい」から「やらなきゃ」に変わると釣りは苦しくなる
もうひとつ大きいのが、報酬設計です。
釣りが完全な寄り道であれば、好きな人だけが遊べばいい。苦手な人は無視してもいい。
この状態なら、釣りはそこまで嫌われません。
しかし、釣りでしか手に入らない強力な装備や素材、実績、トロフィー、交換アイテムが用意されると話は変わります。
プレイヤーは、釣りを「遊び」ではなく「回収すべきタスク」として見るようになります。
わかりやすい例が『原神』の釣りです。
『原神』ではVer.2.1で釣りシステムが実装され、魚は料理だけでなく、各地の釣り協会で報酬と交換できる要素として追加されました。公式アップデート情報でも、釣った魚を料理や釣り協会の報酬交換に使えることが説明されています。
特に星4長柄武器「漁獲」は、稲妻釣り協会で交換できる実用性の高い武器として知られています。
このような報酬があると、釣りが好きではないプレイヤーも釣りをする理由が生まれます。
もちろん、報酬があること自体は悪くありません。
問題は、プレイヤーの気持ちが「釣りを楽しみたい」ではなく、「報酬のために釣らなければ」に変わることです。
この瞬間、釣りは寄り道ではなくノルマになります。
そしてノルマ化したミニゲームは、どうしても不満を生みやすくなります。
世界観と釣りが噛み合わないと、急に違和感が出る
釣り要素には、もうひとつ独特の問題があります。
それは、ゲームの物語や状況と噛み合わないと、妙な違和感が出やすいことです。
世界が滅びかけている。
仲間が危険な目に遭っている。
敵国との戦争が迫っている。
ラスボスが目前にいる。
そんな状況で、主人公がのんびり魚を釣っている。
これはゲームだから許されることではありますが、プレイヤーによっては「今それどころじゃないだろ」と感じてしまいます。
『ファイナルファンタジーXV』では、ノクティスの固有スキルとして釣りがあり、釣った魚はイグニスの料理素材にもつながります。つまり、キャラクター性や旅の生活感と結びついた要素として設計されています。
この場合、釣りは単なるミニゲームではなく、ノクティスというキャラクターの趣味であり、仲間との旅の空気を作る要素でもあります。
ただ、それでも物語が深刻になればなるほど、「こんな状況で釣りをしている場合なのか」というズレはネタとして受け取られやすくなります。
ここが釣り要素の難しいところです。
釣りは平和な行為です。
だからこそ、世界観に合えば癒やしになります。
しかし、緊迫した物語の中に置かれると、急にシュールな行為にも見えてしまうのです。
それでも釣りが評価されるゲームはある
ここまで不満点を見てきましたが、釣りそのものが時代遅れになったわけではありません。
今でも、釣りが楽しいゲームはあります。
たとえば『どうぶつの森』シリーズでは、釣りは生活そのものの一部です。魚を釣って売る、博物館に寄贈する、季節ごとの魚を集める。この流れがゲーム全体のテンポと一致しています。
『Stardew Valley』のような農業・生活シミュレーションでも、釣りは日々の過ごし方のひとつです。畑仕事をする、鉱山に行く、町の人と交流する。その選択肢の中に釣りがあるため、プレイヤーは自分のペースで楽しめます。
つまり、釣りが評価されるかどうかは、釣り単体の出来だけで決まりません。
そのゲームの主目的と、釣りのリズムが合っているかどうか。
ここが重要です。
生活系ゲームなら、釣りは自然です。
冒険の合間に休むゲームなら、釣りは癒やしになります。
しかし、ハイスピードな戦闘や緊迫した物語が中心のゲームで、報酬のために釣りを強く求められると、途端に作業感が出ます。
オープンワールドに必要なのは釣りではなく“納得できる寄り道”
結局のところ、オープンワールドに釣りが必要かどうかの答えは、単純な「必要」「不要」ではありません。
必要なのは、釣りそのものではなく、納得できる寄り道です。
なぜその世界で釣りができるのか。
なぜ主人公が釣りをするのか。
釣りをすることで、世界やキャラクターへの理解が深まるのか。
やらなくても本編を楽しめるのか。
このあたりが丁寧に設計されていれば、釣りは今でも十分に魅力的な要素になります。
逆に、広いマップがあるから水辺を置き、水辺があるから魚を置き、魚がいるから釣りを入れた。
そんな“とりあえず感”が見えると、プレイヤーは敏感に気づきます。
そして「また釣りか」と感じるのです。
昔の釣りは、ゲームの中に隠された小さな驚きでした。
今の釣りは、オープンワールドの定番要素になりすぎたことで、驚きよりも義務感を生みやすくなっています。
だからこそ、これからのゲームに必要なのは、釣りを入れるかどうかではありません。
その釣りが、その世界に本当に必要なのか。
プレイヤーが釣りをした時に、「面倒だな」ではなく、「この世界にもう少し居たいな」と思えるか。
そこまで考えられた釣りなら、オープンワールドの中でもまだ十分に輝けるはずです。
開発側が釣りを入れたくなる理由もわかる
ここまで見ると、釣り要素に対してかなり厳しい話に聞こえるかもしれません。
ただ、開発側がオープンワールドに釣りを入れたくなる理由も、かなり理解できます。
まず、釣りは世界の生活感を出しやすい要素です。
川や湖があるのに、そこに魚がいない。海があるのに、そこに何もできることがない。そうなると、せっかく作った自然環境がただの背景になってしまいます。
一方で、魚が泳いでいて、それを釣ることができるだけで、水辺は急に“遊べる場所”になります。
プレイヤーは、ただ景色を見ているだけではなく、その場所に関わっている感覚を得られます。
『あつまれ どうぶつの森』の公式サイトでも、島で虫を集めたり、浜辺で釣りをしたりしながら自由に過ごす遊びが紹介されています。つまり、釣りは「生活するゲーム」において、世界の時間をゆっくり味わうための行動として位置づけられています。
この考え方自体は、オープンワールドにも応用しやすいものです。
広い世界をただ移動するだけではなく、そこに滞在する理由を作る。川辺で足を止める理由を作る。戦闘やクエスト以外の時間を作る。
そのための手段として、釣りはとても便利です。
さらに釣りは、ゲームシステムとしても比較的わかりやすい。
魚影を見る。
竿を投げる。
タイミングを合わせる。
釣り上げる。
図鑑に登録する。
料理や売却、交換に使う。
プレイヤーが直感的に理解しやすく、収集要素やクラフト要素にもつなげやすい。だからこそ、多くのゲームに採用されてきたのだと思います。
ただし、便利だからこそ危険でもあります。
入れやすい要素は、同時に“とりあえず入れた感”も出やすいからです。
釣りが面白くなるゲームには共通点がある
では、釣りが面白く感じられるゲームには何があるのでしょうか。
ひとつは、ゲーム全体のリズムと釣りのリズムが合っていることです。
『あつまれ どうぶつの森』では、釣りは島での暮らしの一部です。魚を釣って売る。博物館に寄贈する。季節や時間帯によって違う魚を探す。急がされるのではなく、日々の生活の中で自然に触れる遊びになっています。
Nintendoの公式ページでも、島での過ごし方として「海辺で夕日を見ながら釣りを楽しむ」ことが紹介されており、釣りが戦闘や攻略ではなく、暮らしのテンポに組み込まれていることがわかります。
『Stardew Valley』も同じです。
同作における釣りは、釣り竿で魚を釣ったり、カニかごからアイテムを集めたりするスキルとして扱われています。釣りを続けることで経験値が入り、スキルレベルが上がり、クラフトや収益にも関わっていきます。
つまり、釣りが単発のミニゲームではなく、生活・成長・経済に結びついている。
ここが大きいです。
「釣った魚に意味がある」
「釣りを続けることで自分の暮らしが少し豊かになる」
「今日は畑ではなく釣りをしよう、という選択が成り立つ」
このようなゲームでは、釣りは作業ではなくプレイスタイルになります。
逆に言えば、釣りが本編から浮いているゲームほど、プレイヤーは「なぜこれをやっているんだろう」と感じやすくなります。
報酬が強すぎると、釣りは自由ではなくなる
釣りの設計で特に難しいのが、報酬の強さです。
報酬が弱すぎると、釣りをする意味が薄くなります。
しかし報酬が強すぎると、釣りをしたくない人まで巻き込んでしまいます。
ここが難しいところです。
釣りでしか手に入らない最強級の装備。
釣りをしないと埋まらない重要な図鑑。
釣り限定の実績。
釣り素材を大量に要求する強化要素。
こうした設計は、釣り好きには目標になります。
しかし、釣りが苦手な人にとっては「やらないと損をする要素」になります。
本来、寄り道は自由だから楽しいものです。
ところが、報酬が強すぎると、寄り道は義務に変わります。
この瞬間、プレイヤーの気持ちはかなり変わります。
「釣りもできる」ではなく、「釣りもしなければならない」になるからです。
この違いは、記事のテーマとしてかなり重要です。
釣りが嫌われているのではなく、釣りを避けられない設計が嫌われている。
ここを押さえると、単なる不満記事ではなく、ゲームデザインの話として読ませることができます。
釣りは“待つ遊び”だから現代ゲームと相性が難しい
釣りが不満になりやすいもうひとつの理由は、釣りが本質的に“待つ遊び”だからです。
魚がかかるまで待つ。
タイミングを待つ。
逃げないように慎重に操作する。
同じ魚が出るまで何度も待つ。
この「待つ」時間こそ釣りの味でもあります。
しかし、現代のゲームはテンポが速くなっています。
ファストトラベルがあり、クエストマーカーがあり、素材回収もテンポよく進みます。戦闘も派手で、移動も快適になり、プレイヤーは短い時間で多くの報酬や変化を受け取ることに慣れています。
その中に、じっと待つ釣りが入る。
これが合うゲームでは、良い休憩になります。
でも合わないゲームでは、単なるテンポの断絶になります。
特に、スマホゲームやライブサービス型ゲームでは、日課やイベント報酬と結びついた瞬間に、釣りの“待つ時間”がストレスになりやすい。
ゆっくり待つ楽しさだったはずのものが、報酬回収のための待ち時間になってしまうのです。
釣りの良さは、効率の外側にある遊びです。
だからこそ、効率を求めるゲーム構造と結びつくと、矛盾が生まれます。
釣りが苦手な人に逃げ道を用意できているか
釣り要素を入れるなら、個人的にかなり大事だと思うのが「逃げ道」です。
釣りが好きな人は、好きなだけ遊べる。
でも、釣りが苦手な人は、無理にやらなくてもいい。
この状態が理想です。
たとえば、魚を料理素材に使うとしても、他の素材で代用できる。釣り限定の報酬があっても、本編攻略に必須ではない。実績や図鑑コンプリートを狙う人だけが深く遊べばいい。
こういう距離感なら、釣りは嫌われにくいです。
逆に、釣りをしないと強化が止まる。釣りをしないと便利装備が手に入らない。釣りをしないとイベント報酬を取り逃す。
こうなると、釣りは一気にプレッシャーになります。
これは釣りに限った話ではありません。
カードゲーム、レース、料理、農業、クラフト、ハウジングなど、どんなサブ要素でも同じです。
問題は、サブ要素そのものではなく、そのサブ要素がどれだけ本編に食い込んでくるかです。
プレイヤーにとって、寄り道は選べるから楽しい。
選べない寄り道は、もう寄り道ではありません。
「釣りがあるゲーム」ではなく「釣りをしたくなる世界」が理想
これからのオープンワールドで大事なのは、釣りがあること自体ではなく、釣りをしたくなる世界を作れるかどうかだと思います。
たとえば、川の上流と下流で釣れる魚が違う。
雨の日だけ現れる魚がいる。
村の人が釣った魚を料理してくれる。
釣りを通じて、その土地の文化や暮らしがわかる。
ただの収集ではなく、世界を知る手段になっている。
こういう釣りなら、プレイヤーは自然と足を止めます。
「報酬が欲しいから釣る」のではなく、「この場所には何がいるんだろう」と思えるからです。
釣りは、本来オープンワールドと相性が悪いわけではありません。
むしろ、水辺の存在を意味あるものに変えられるという意味では、とても相性が良い要素です。
ただし、それは釣りが世界とつながっている場合に限ります。
魚を釣って、数字が増えて、報酬と交換するだけ。
それだけでは、プレイヤーはすぐに作業だと感じます。
逆に、その魚がその土地の空気や人々の暮らしと結びついていれば、釣りは世界観を深める強い要素になります。
「また釣りか」と言われる時代だからこそ、釣りの見せ方が問われている
今は、ただ釣りが入っているだけでは驚かれない時代です。
むしろ、発表時点で「また釣りか」と言われる可能性すらあります。
だからこそ、これからのゲームで釣りを入れるなら、見せ方がかなり重要になります。
ただ「釣りもできます」と言うだけでは弱い。
そのゲームで釣りをする意味があるのか。
その世界ならではの魚がいるのか。
キャラクターや物語と結びついているのか。
釣りをしない人にも不利益が少ないのか。
釣りが好きな人には深く遊べる余地があるのか。
ここまで設計されて初めて、釣りはただのテンプレではなくなります。
昔のゲームでは、釣りがあるだけで驚きでした。
今のゲームでは、釣りがある理由まで問われるようになっています。
これは、プレイヤーがわがままになったというより、ゲーム体験が成熟した結果だと思います。
プレイヤーはもう、「要素が多い」だけでは満足しません。
その要素が、ゲーム全体の体験にどう関わっているのかを見ています。
だからこそ、釣りは今、少し難しい立場にいるのです。
まとめ:オープンワールドに釣りが必要かどうかは、ゲームごとに違う
オープンワールドに釣りは必要なのか。
この問いに対する答えは、やはり「作品による」だと思います。
生活を描くゲームなら、釣りはとても自然です。
旅を描くゲームでも、仲間との時間や土地の空気を表現するなら、釣りは良い寄り道になります。
しかし、戦闘や探索のテンポを重視するゲームで、報酬のために釣りを強く要求されると、プレイヤーは一気に冷めてしまいます。
釣りは悪くありません。
むしろ、ゲームの中に静かな時間を作れる貴重な遊びです。
ただ、それが定番化しすぎた結果、プレイヤーは「また入っている」ではなく、「なぜ入っているのか」を見るようになりました。
かつては、釣りがあるだけでうれしかった。
今は、釣りがその世界に必要かどうかまで問われる。
この変化こそ、ゲーム内の釣りが歩んできた面白い歴史なのかもしれません。
オープンワールドに本当に必要なのは、釣りそのものではありません。
プレイヤーが足を止めたくなる理由です。
その理由がきちんと作られているなら、釣りは今でも魅力的な寄り道になります。
しかし、ただ広い世界を埋めるためだけに置かれた釣りなら、プレイヤーはきっとこう言うでしょう。
「また釣りか」と。