- ゲームの「裏技」は誰が最初に広めた?コロコロ・ファミマガ・雑誌文化の起源
- 結論|「裏技」を広めたのは一誌ではない
- そもそも「裏技」という言葉は誰が作ったのか
- では「裏技」の名付け親はコロコロ編集者なのか
- 高橋名人にも、別の「裏技誕生」証言がある
- 実は「裏技のようなもの」はファミコン以前からあった
- 1985年2月、雑誌が『ドルアーガの塔』の「答え」を載せた
- 1985年、秘密が一気に「売れる情報」になった
- 『コンプティーク』が載せた『ゼビウス』無敵コマンド
- 雑誌が裏技を「見つけていた」とは限らない
- コロコロは「メーカーの秘密を全部暴く雑誌」ではなかった
- ファミマガは「裏技の元祖」ではない
- 『週刊少年ジャンプ』は「全部載せる」方向へ進んだ
- ただし、メーカーと雑誌はずっと敵だったわけではない
- 「裏技=バグ」ではない
- では、なぜ1985年に裏技文化が爆発したのか
- 1985年の流れを時系列で見る
- この文化は、その後さらに巨大になっていく
- 今では「裏技」の意味も大きく変わった
- 結局、「裏技」を最初に広めたのは誰だったのか
ゲームの「裏技」は誰が最初に広めた?コロコロ・ファミマガ・雑誌文化の起源

ファミコンの時代を知っている人なら、「裏技」という言葉には少し特別な響きがあるかもしれない。
無敵になる。見えないキャラクターが出る。本来なら行けない場所へ入れる。説明書には一言も書かれていないコマンドを入力すると、ゲームが突然おかしな動きを始める。
そして翌日、それを学校で誰かに教える。
そんな裏技は、いったい誰が最初に広めたのだろうか。
『ファミリーコンピュータMagazine』だったのか。『月刊コロコロコミック』だったのか。それともゲームメーカー自身だったのか。
先に結論を言うと、「裏技」を最初に発明した一人を特定することはできない。
ただし、現在につながるゲーム用語として「裏技」を全国の子どもへ大きく広めた有力な起点は、1985年春の『月刊コロコロコミック』だったと考えられる。
そして同じ1985年、メーカーが公表していない情報まで雑誌が競って掲載する時代が始まった。
ただ、ここでひとつ誤解を解いておきたい。
裏技は、すべて「メーカーが隠していた秘密」だったわけではない。
意図的に仕込まれた隠し要素もあれば、プログラムのバグ、開発用機能の消し忘れ、単なる高度な攻略法まで一緒に「裏技」と呼ばれていた。
そして雑誌も、最初からメーカーと戦っていたわけではなかった。
この少し入り組んだ歴史をたどると、「裏技」という言葉が生まれた話以上に面白いものが見えてくる。
結論|「裏技」を広めたのは一誌ではない
1985年前後の流れを先に整理すると、各媒体の役割はかなり違っている。
| 媒体・出来事 | 時期 | 裏技文化での意味 |
|---|---|---|
| 『マイコンBASICマガジン』 | 1985年2月号 | 『ドルアーガの塔』全60階の攻略情報を掲載。「秘密そのもの」が雑誌の商品になる前史 |
| 二見書房『ファミリーコンピュータ人気ゲーム裏ワザ大全集』 | 1985年3月 | ゲーム出版物で確認できる非常に早い「裏ワザ」の使用例 |
| 『月刊コロコロコミック』 | 1985年5月号 | 現在に近い意味の「裏技」を大きく特集し、子どもへ広めた有力な起点 |
| 『コンプティーク』 | 1985年6月16日発売号 | ファミコン版『ゼビウス』のメーカー非公表コマンドを掲載。スクープ文化の象徴 |
| 『ファミリーコンピュータMagazine』 | 1985年7月8日創刊 | 「ウル技」を継続企画化し、専門誌の定番コンテンツへ発展 |
| 『週刊少年ジャンプ』「ファミコン神拳」 | 1985年8月19日号 | 巨大な少年漫画誌が裏技・攻略情報を扱い、さらに大衆化 |
つまり、どこか一誌だけを「裏技文化の元祖」とするのは難しい。
コロコロが名前とブームを作り、コンプティークがスクープとしての破壊力を示し、ファミマガが継続的な雑誌コンテンツにし、ジャンプが巨大な読者層へ届けた。
この流れで見るのが実態に近い。
そもそも「裏技」という言葉は誰が作ったのか
まず、「裏技」という日本語そのものをゲーム業界が発明したわけではない。
ゲーム以前にも「裏技」という言葉の使用例は存在する。そのため調べるべきなのは、「裏技」という日本語の発明者ではなく、現在のようなゲーム用語として誰が使い、誰が広めたのかという問題になる。
1985年3月には、すでに「裏ワザ大全集」があった
国立国会図書館の書誌には、二見書房から1985年3月に刊行された『ファミリーコンピュータ人気ゲーム裏ワザ大全集』が登録されている。
これは『ゼビウス』『エキサイトバイク』『マリオブラザーズ』などを扱った5冊組の攻略本だった。
時系列だけを見ると、後述するコロコロ1985年5月号より早い。
では、この本こそゲームの「裏技」の元祖なのか。
話はそれほど単純ではない。
現物を検証した資料によれば、同書で「裏ワザ」とされた内容の多くは、現在なら「高度な攻略テクニック」と呼ぶものだった。バグや隠しコマンドを大量に集めた、後年のいわゆる裏技本とは性格が違う。
つまり1985年初頭には、「裏ワザ」という言葉自体は存在していたものの、その意味はまだ固まっていなかったと考えた方が分かりやすい。
現在につながる意味を大きく広めたのがコロコロだった
転機になったのが『月刊コロコロコミック』1985年5月号だ。
同号では「裏技」の文字を大きく掲げた袋とじ特集が組まれた。さらに、その前月にあたる4月号の次号予告ですでに「裏技」という言葉が使われていることも確認されている。
ここで扱われたのは単なる上級者向けテクニックだけではなかった。
たとえばファミコン版『ロードランナー』で、主人公がはしごにつかまり特定の姿勢で停止すると敵に触れられてもミスにならない現象など、通常のルールから外れた挙動も「裏技」として紹介された。
現在、多くの人が「ゲームの裏技」と聞いて想像するものにかなり近い。
その後、コロコロは『ファミコンロッキー』などでも裏技を題材として扱った。実在する技と創作上の技まで入り混じるほど、「ゲームには誰も知らない秘密がある」という感覚そのものが娯楽になっていく。
この意味で、ゲーム用語としての「裏技」を一般の子どもたちへ広く定着させた媒体として、コロコロは非常に重要な存在だったと言える。
では「裏技」の名付け親はコロコロ編集者なのか
ここは断定しない方がいい。
コロコロで最初の裏技特集を担当した編集者・利田浩一氏は、後年のインタビューで、自分が攻略法を「裏技」というタイトルで呼ぶことを提案したと振り返っている。
利田氏はその着想について、プロレスで観客から見えないところで技をかける行為を俗に「裏技」と呼ぶという話を聞いたことがあった、とも説明している。
ただし、この証言は1985年当時ではなく20年以上後の回想だ。
さらに後年行われた資料調査では、1984年前後のプロレス雑誌や新聞などから、その意味で「裏技」が一般的に使われていた明確な実例は確認できなかったという。
したがって、
「裏技というゲーム用語を利田浩一氏が発明した」
あるいは、
「裏技の語源はプロレスである」
と断定するのは難しい。
より正確なのは、「コロコロの裏技特集という名称を利田氏が提案したという本人証言が残っている」というところまでだ。
高橋名人にも、別の「裏技誕生」証言がある
もうひとつ興味深い証言を残しているのが、高橋名人こと高橋利幸氏だ。
高橋氏によると、ハドソンのファミコン版『ロードランナー』では、はしごにつかまった主人公を敵がすり抜ける不具合が見つかった。
ROMカートリッジは発売後に簡単な修正ができない。大量に出荷したソフトを回収することも現実的ではなかった。
そこでコロコロ側などと相談し、バグとして隠すのではなく、「表ではない面白い技」として紹介する方向になった――と高橋氏は後年振り返っている。
これも「高橋名人が裏技という言葉を発明した」と証明する話ではない。
ただ、当時メーカーと雑誌の間で、「不具合を秘密の遊び方として見せる」という発想が生まれていたことは分かる。
利田氏の証言と高橋氏の証言は、必ずしも完全に食い違うものでもない。
ハドソンとコロコロのやり取りを背景に「裏の技」として紹介する発想が生まれ、その企画に利田氏が「裏技」というタイトルを付けた可能性なら両立する。
ただし、それを証明する1985年当時の会議記録などは確認されていない。
結局、ゲーム用語として最初に「裏技」と口にした人物までは特定できないというのが、現在確認できる資料からの答えになる。
実は「裏技のようなもの」はファミコン以前からあった
ここまで読むと、1985年に突然裏技文化が誕生したように見える。
実際には違う。
名前がまだ「裏技」ではなかっただけで、プレイヤーがゲームの特殊な動きや秘密を見つけ、それを他人へ教える文化はもっと早くから存在した。
『スペースインベーダー』では、すでに秘密の技が話題になっていた
1978年に登場した『スペースインベーダー』では、「名古屋撃ち」や「レインボー」などがプレイヤーの間で話題になった。
タイトー公式の『スペースインベーダー インヴィンシブルコレクション』の作品紹介でも、これらは現在「裏技」と表現されている。
特に面白いのがレインボーだ。
初代ではバグとして起きていた現象だったが、1979年の『スペースインベーダー・パートII』では正式な仕様として取り込まれ、ボーナスまで入るようになった。
プレイヤーが見つけた想定外の現象を、メーカーが次の作品で公式の遊びへ取り込む。
裏技文化につながる関係は、ファミコン誕生以前からすでに見えていた。
『ゼビウス』と『ドルアーガの塔』は「秘密を探す遊び」を加速させた
1983年のアーケード版『ゼビウス』には、通常は地面の下に隠れている「ソル」などの隠れキャラクターが存在した。
こうした要素はゲームセンターのプレイヤー間で話題になり、「まだ誰も知らないものが画面の中にあるのではないか」という探索そのものを遊びにした。
さらに1984年の『ドルアーガの塔』では、その傾向が極端になる。
塔は60階。多くの階には宝箱があり、それぞれ特定の行動をしなければ出現しない。
しかも出現条件はほとんど説明されない。
ゲームセンターで他人のプレイを見る。知っている人に聞く。自分で試す。情報を紙に書く。
攻略情報の交換そのものが、ゲーム体験の一部になった。
1985年2月、雑誌が『ドルアーガの塔』の「答え」を載せた
そんな『ドルアーガの塔』に大きな出来事が起きる。
『マイコンBASICマガジン』1985年2月号が、「ドルアーガの塔60階全解析!」を掲載した。
同誌の年鑑資料にも、この特集名が1985年2月号の項目として記録されている。
当時のプレイヤーによる回顧では、1985年1月上旬には記事を切り抜いてゲームセンターへ持ち込み、それを見ながらプレイする人がいたという。
「1月」と「2月号」が食い違っているように見えるが、これは雑誌の号数と実際の店頭時期がずれるためだ。
ここで重要なのは日付以上に、その出来事の意味だ。
ゲームの中に隠された答えを知りたければ、雑誌を買えばいい。
「秘密を知っていること」そのものが、出版物の商品価値になり始めていた。
ただし、この段階のベーマガを「メーカーの秘密を勝手に暴いた雑誌」と考えるのは正確ではない。同誌はメーカーとの関係も持ちながら高度な攻略記事を作っていた。
ここでは、後の裏技雑誌ブームにつながる「秘密情報の商品化」がすでに始まっていた、と見るのがいい。
1985年、秘密が一気に「売れる情報」になった
1985年春から夏にかけて、状況は急速に変わる。
3月には『人気ゲーム裏ワザ大全集』。
5月にはコロコロの裏技特集。
6月には宝島社の前身であるJICC出版局から『ファミリーコンピュータ必勝本』が発売される。
そして同じ6月、裏技文化史で特に有名な事件が起きた。
『コンプティーク』が載せた『ゼビウス』無敵コマンド
問題の『コンプティーク』1985年7月号(別冊ザテレビジョン7/8月)は、ゲーム保存協会の書誌では1985年6月16日発売、7月1日発行となっている。
この号が掲載したのが、ファミコン版『ゼビウス』の特殊なコマンドだった。
『コンプティーク』創刊に携わった佐藤辰男氏は2024年、当時の経緯を詳しく振り返っている。
佐藤氏によると、ファミコン版『ゼビウス』には開発中に使われていた、自機を無敵にするなどのコマンドが存在した。
ところが、それを製品版から削除し忘れた。
そのコマンドを発見した情報が、読者から「裏技情報」として編集部へ投稿されたという。
ここは、後年ありがちな説明とかなり違う。
ナムコがプレイヤー向けに秘密の無敵コマンドを仕込んだわけではない。
『コンプティーク』編集部がROMを解析して発見したという話でもない。
少なくとも佐藤氏の証言では、製品版に残ってしまった開発用コマンドを誰かが見つけ、その情報が読者投稿として雑誌へ届いた。
編集部は、メーカーが怒る可能性を分かっていた
ここからが、それ以前の攻略記事とは少し違う。
佐藤氏によると、編集部はその情報を掲載すれば、今後メーカーから情報提供を制限されたり、法的措置を取られたりする可能性まで考えていた。
それでも掲載を決めた。
誌面ではモノクロ16ページを使い、ほかの裏技と一緒に特集したという。
結果、佐藤氏の回想では同号は売り切れて増刷され、ナムコから厳重な抗議を受けた。法的措置まで示唆され、佐藤氏自身がナムコ本社へ謝罪に通ったとも振り返っている。
ただし、これは2024年に語られた当事者の回想である。
実際にナムコが訴訟を起こしたわけではない。
また佐藤氏は、記事によって『ゼビウス』の販売も伸び、結果的にはメーカーとの関係が修復されたと述べているが、その販売増を具体的な本数で裏付ける独立資料までは確認できない。
そのため、ここも「佐藤氏によれば」という範囲で捉える必要がある。
それでもこの事件が象徴的なのは間違いない。
メーカーが公表していない情報を載せれば雑誌が売れる。しかし、メーカーとの関係を壊すかもしれない。
1985年には、ゲーム情報誌がそんな領域へ入り始めていた。
雑誌が裏技を「見つけていた」とは限らない
ここまでの流れを見ると、編集部の記者たちが毎日ゲームを解析し、隠しコマンドを発見していたように感じるかもしれない。
もちろん編集部やライター自身が発見した情報もあっただろう。
しかし裏技文化を動かした大きな力は、むしろプレイヤー自身だった。
ゲームセンターで誰かが不思議な現象を見つける。
隣のプレイヤーへ伝える。
学校や友人の間で広がる。
誰かが雑誌へ投稿する。
雑誌が全国へ掲載する。
それを読んだ別のプレイヤーが、さらに新しい現象を探し始める。
裏技文化は、メーカーから雑誌、雑誌から読者へ一方通行で流れた情報ではなかった。
プレイヤーと雑誌の間を情報が循環したことで巨大化した文化だった。
コロコロは「メーカーの秘密を全部暴く雑誌」ではなかった
ここも現在の感覚から誤解しやすい。
コロコロとハドソンは、むしろ密接な関係にあった。
高橋名人の証言にある『ロードランナー』の例も、メーカーと雑誌が相談したうえで、不具合を「裏技」という面白い遊びへ変えて見せたケースだ。
つまりコロコロの役割は、メーカーと対立して秘密を暴露することより、「このゲームにはまだ秘密がある」と子どもたちに感じさせることにあった。
秘密そのものだけではなく、秘密を探したくなる空気を売った。
これがコロコロ型の裏技文化だったと言える。
ファミマガは「裏技の元祖」ではない
裏技雑誌と聞いて『ファミリーコンピュータMagazine』、通称ファミマガを思い出す人は多い。
同誌の「ウル技(ウルテク)」は、後に裏技文化を象徴する人気企画になった。
ただし、時系列で見るとファミマガが最初ではない。
2代目編集長を務めた山本直人氏によれば、ファミマガの創刊日は1985年7月8日。創刊号自体は1985年8月号で、ゲーム保存協会の書誌では発行日が8月10日となっている。
雑誌では「8月号」が7月に店頭へ並ぶことがあるため、これは矛盾しない。
コロコロの裏技特集は5月号。『コンプティーク』の『ゼビウス』掲載号も6月16日に発売されている。
したがって、「ファミマガが裏技を最初に生み出した」という説明は時系列上成立しない。
ただし、ファミマガの重要性が小さいわけではない。
創刊号から「ウル技」が掲載され、その後、裏技やバグ技、珍現象を大量に集めて紹介する企画へ育っていった。
ファミマガの大きな功績は、「裏技を作ったこと」ではなく、ゲーム専門誌が継続的に収集・掲載する定番コンテンツとして定着させたことにある。
『週刊少年ジャンプ』は「全部載せる」方向へ進んだ
さらに1985年夏、別の巨大メディアが参戦する。
『週刊少年ジャンプ』だ。
当時の編集者だった鳥嶋和彦氏は後年、副編集長から「コロコロのファミコン特集が売れているので研究してほしい」と頼まれ、裏技特集の人気に気付いたと語っている。
鳥嶋氏によれば、当時の一部媒体はメーカーへの配慮から、本当の裏技コマンドを完全には掲載していなかった。
そこでジャンプでは、特定メーカーとのタイアップに縛られず、ゲームの評価も含めて独立した記事を作る方向を取ったという。
そうして始まったのが「ファミコン神拳」だ。
GAME Watchの資料では、最初の掲載は『週刊少年ジャンプ』1985年36号、8月19日号。
裏技、難関ステージの攻略、新作評価などを扱い、初期には『ゼビウス』の無敵コマンドも掲載されていた。
鳥嶋氏は、実際にハドソンやナムコからクレームを受けたとも振り返っている。
それでも記事は続いた。
秘密をどこまで載せるか。
この頃には、それ自体が雑誌同士の競争になり始めていた。
ただし、メーカーと雑誌はずっと敵だったわけではない
『コンプティーク』の『ゼビウス』事件だけを見ると、「秘密を守りたいメーカー」と「それを暴きたい雑誌」が対立していたように見える。
実際にはもっと複雑だ。
コロコロとハドソンのように協力関係の中で裏技を紹介した例もある。
さらに鳥嶋氏は、エニックスについて、逆に無敵コマンドを意図的に用意し、それを雑誌で特集したケースもあったと証言している。
つまり裏技が売れると分かると、メーカー側もその力を利用するようになった。
最初は「見つかってしまったもの」だった裏技が、やがて「見つけてもらうために仕込むもの」にも変わっていった。
ここまで来ると、裏技は単なる不具合や攻略法ではない。
ゲームを話題にする仕掛けそのものになっている。
「裏技=バグ」ではない
裏技文化を振り返るときに、もうひとつ注意したいのが「裏技」の中身だ。
1980年代に裏技と呼ばれたものを整理すると、少なくとも次のような種類が混在していた。
| 種類 | 内容 | 例 |
|---|---|---|
| 意図的な隠し要素 | 開発側が発見されることを想定して仕込んだもの | 隠しキャラクター、隠しモードなど |
| 隠しコマンド | 特定の入力で通常とは違う機能が動くもの | 無敵、面セレクトなど |
| 開発用機能の残存 | テストなどに使った機能が製品版へ残ったもの | 佐藤辰男氏が説明するファミコン版『ゼビウス』のコマンド |
| バグ | 本来想定していなかったプログラム上の挙動 | 『ロードランナー』で敵がすり抜ける現象など |
| 高度な攻略法 | 仕様の範囲内だが、普通には気付きにくいテクニック | 初期の「裏ワザ」本に多かったタイプ |
「裏技」という便利な言葉が広まった結果、本来かなり違うものまでひとつの箱へ入れられた。
だから「メーカーが裏技を仕込んだ」という説明も、「裏技は全部バグだった」という説明も、どちらも正しくない。
では、なぜ1985年に裏技文化が爆発したのか
「1985年」という年に集中しているのは偶然ではないように見える。
ただし、「原因はこれだった」と一つに決められる一次資料があるわけではない。
当時の資料を並べると、いくつもの条件が同時にそろったと考えるのが自然だ。
まず、アーケードゲームの時代から「秘密を探す」「人から攻略法を聞く」文化が育っていた。
『ゼビウス』や『ドルアーガの塔』は、その面白さをさらに強めた。
そこへ家庭用のファミコンが広がり、同じゲームを全国の子どもが家で遊ぶようになる。
そして出版社側も気付く。
ゲームの新作情報だけでなく、「普通には分からない秘密」には強い商品価値がある。
雑誌で読む。
家へ帰って試す。
成功したら友達へ教える。
新しい技を見つけたら雑誌へ送る。
この循環が成立した。
インターネットもSNSもない時代だからこそ、雑誌に載っている情報には時間差があり、希少価値があった。
「知っている人だけが知っている」という状態を、何週間、何カ月と維持できた。
それが裏技を単なるゲーム情報ではなく、学校や友人関係まで巻き込む文化にした。
1985年の流れを時系列で見る
| 時期 | 出来事 | 意味 |
|---|---|---|
| 1985年2月号 | 『マイコンBASICマガジン』が『ドルアーガの塔』60階を全解析 | ゲーム内の秘密を知るために雑誌を買う文化の前史 |
| 1985年3月 | 二見書房『ファミリーコンピュータ人気ゲーム裏ワザ大全集』 | 非常に早い「裏ワザ」のゲーム出版例 |
| 1985年4月号 | コロコロ次号予告に「裏技」 | 5月号特集に先行して誌面に登場 |
| 1985年5月号 | コロコロが袋とじ「裏技」特集 | 現在に近い意味の「裏技」を大衆化 |
| 1985年6月1日 | 『ファミリーコンピュータ必勝本』発売 | ファミコン攻略出版物が急速に増える時期 |
| 1985年6月16日 | 『コンプティーク』が『ゼビウス』特殊コマンド掲載号を発売 | メーカー非公表情報を掲載するスクープ文化の象徴 |
| 1985年7月8日 | 『ファミリーコンピュータMagazine』創刊 | 「ウル技」を継続する専門誌文化へ |
| 1985年8月19日号 | 『週刊少年ジャンプ』「ファミコン神拳」開始 | 巨大少年誌まで裏技・攻略競争へ参入 |
わずか半年ほどの間に、これだけの動きが集中している。
裏技文化が1985年に突然ゼロから誕生したのではない。
それ以前から存在したプレイヤーの口コミ文化、ゲームの隠し要素、攻略出版、メーカーと雑誌の関係が、1985年に一気につながった。
その結果、「裏技」という言葉が巨大なゲーム文化へ成長した。
当時のゲーム雑誌そのものをもう少し広くたどってみたい人には、『ゲーム雑誌ガイドブック』も面白い。『マイコンBASICマガジン』『ファミリーコンピュータMagazine』『ファミコン通信』など、ゲームとともに育ってきた雑誌の歴史や特徴をまとめて振り返れる一冊だ。
この文化は、その後さらに巨大になっていく
1985年に形が見え始めた裏技文化は、その後ファミコン、スーパーファミコン、ゲームボーイ、PlayStationなどの時代まで続いた。
コナミコマンドのような隠しコマンドもあれば、ゲームを壊しかねないバグ技もある。
本当かどうか分からない噂や「ウソ技」まで混ざった。
そして1990年代になると、ゲームの秘密、口コミ、雑誌という組み合わせは、別の形でも巨大な力を持つようになる。
その代表例のひとつが『ポケットモンスター 赤・緑』のミュウだ。通常のプレイでは簡単に出会えない151匹目の存在が口コミで広がり、コロコロのプレゼント企画によって一気に全国規模の話題になった。
その経緯は、「ミュウはなぜ151匹目だった?『通常では出ない』はずの一匹が“幻のポケモン”になるまで」で詳しく検証している。
雑誌を読む。秘密を知る。友達に話す。
1985年に出来上がった情報の循環は、その後も長くゲーム文化を動かし続けた。
今では「裏技」の意味も大きく変わった
現在は、攻略情報を知りたければ検索すればすぐ見つかる。
SNSや動画によって、新しいバグや隠し要素が発見されれば数時間で世界へ広がることもある。
オンラインゲームでは、昔なら「裏技」と面白がられた行為が、不正利用や修正対象として扱われることも珍しくない。
裏技そのものが消えたわけではない。
変わったのは、「秘密でいられる時間」なのかもしれない。
ファミコン時代の裏技が特別だったのは、ゲームの中に秘密があったからだけではない。
それを知っている人が少なく、誰かから聞いて初めて存在を知り、自分の手で本当に起きるのか確かめる時間があった。
裏技文化がその後どう変化し、なぜ昔ほど目立たなくなったのかは、「ゲームの裏技文化はなぜ消えたのか?コナミコマンドからバグ技・ガセネタまで振り返る」でも詳しく取り上げている。
結局、「裏技」を最初に広めたのは誰だったのか
ここまで調べても、「この一人が裏技を発明した」と言える人物は見つからない。
1985年3月には二見書房が「裏ワザ」という言葉を本のタイトルに使っていた。
コロコロは1985年5月号で、現在につながる意味の「裏技」を大きく特集した。
利田浩一氏は、その特集名を自分が提案したと後年証言している。
高橋名人は、ハドソンとコロコロの間で『ロードランナー』のバグを「裏の面白い技」として紹介する発想が生まれたと振り返っている。
その後、『コンプティーク』はメーカーが公表していない『ゼビウス』の開発用コマンドを掲載し、ファミマガは「ウル技」を定番企画へ育て、ジャンプの「ファミコン神拳」は巨大な少年漫画誌で裏技を広げた。
だから答えは、一人の名前ではない。
裏技を見つけたプレイヤーがいて、それを投稿する読者がいて、それを載せる雑誌があり、ときにはメーカー自身もその秘密を利用した。
この循環全体が、裏技文化を作った。
1985年に起きたことは「裏技の発明」というより、もっと大きな変化だった。
ゲームセンターの片隅や友達同士の口コミにあった秘密へ、「裏技」という覚えやすい名前が付いた。
そして雑誌という巨大な拡声器を手に入れた。
それまで数人しか知らなかったゲームの秘密が、翌月には全国の子どもたちの話題になる。
メーカーが隠したもの、偶然残ったもの、プレイヤーが見つけたもの、雑誌が広めたもの。
その境界が入り混じったまま膨らんでいったからこそ、あの時代の「裏技」はあれほど面白かったのだろう。