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ヤーレンズは何者?楢原と出井の経歴・改名前から現在まで

目次
  1. ヤーレンズは何者?楢原と出井の経歴・旧コンビ名と改名理由
  2. ヤーレンズは何者?楢原真樹と出井隼之介の漫才コンビ
  3. ヤーレンズ結成の経緯|2人はどのように出会った?
  4. ヤーレンズの旧コンビ名は?ヒートアップから2度の改名
  5. ヤーレンズはなぜ大阪から東京へ移ったのか?
  6. ヤーレンズの漫才は何が面白い?独特な芸風と代表ネタ
  7. ヤーレンズは不仲だった?コンビの関係性が変わった転機
  8. ヤーレンズのM-1グランプリ成績|2023年準優勝までの道のり
  9. M-1以外の実績|2024年にはビートたけし杯で優勝
  10. ヤーレンズの現在の活動|テレビ・ラジオ・単独ライブ
  11. ヤーレンズの魅力は、長い時間をかけて磨いた2人だけの漫才
  12. まとめ|ヤーレンズは改名と転機を重ねてきた漫才コンビ

ヤーレンズは何者?楢原と出井の経歴・旧コンビ名と改名理由

ヤーレンズは何者?楢原真樹と出井隼之介の経歴、旧コンビ名「ヒートアップ」「パープーズ」からの改名、大阪から東京への進出を描いたイラスト

2023年の『M-1グランプリ』で準優勝し、独特な掛け合いで注目を集めたお笑いコンビ「ヤーレンズ」。

楢原真樹さんの次々と飛び出すボケと、出井隼之介さんの軽快なツッコミ。漫才を見て「この2人は何者なんだろう?」と気になった人も多いのではないでしょうか。

実はヤーレンズは、M-1で知られるようになるずっと前から活動しているコンビです。

2011年に結成し、「ヒートアップ」「パープーズ」という2つの名前を経て、2014年から「ヤーレンズ」として活動しています。

大阪の吉本興業で活動していた時代、東京への進出、思うように結果が出なかった時期、そして結成から12年以上を経てつかんだM-1準優勝。現在の漫才スタイルにたどり着くまでには、さまざまな転機がありました。

この記事では、楢原さんと出井さんのプロフィールから、2人の出会い、改名の理由、独特な漫才が生まれた背景、賞レースの実績、2026年現在の活動までを詳しく紹介します。

ヤーレンズは何者?楢原真樹と出井隼之介の漫才コンビ

ヤーレンズは、楢原真樹さんと出井隼之介さんによる、ケイダッシュステージ所属のお笑いコンビです。

結成年は2011年9月1日。2人とも大阪の吉本総合芸能学院(NSC)出身で、もともとは吉本興業の大阪所属芸人として活動していました。

現在は主に漫才を中心に、テレビ、ラジオ、単独ライブなどで活動しています。

大きな特徴は、関西の養成所出身でありながら、標準語を中心とした会話形式の漫才を披露すること。肩の力が抜けたような自然な会話から、予想外のボケが次々と生まれていきます。

2023年にM-1初の決勝進出を果たして準優勝。2024年と2025年にも決勝に進み、3年連続ファイナリストとなりました。

楢原真樹|自由なボケとネタ作りを担う

楢原真樹(ならはら・まさき)さんは、1986年11月17日生まれ、大阪府池田市出身。2026年10月27日時点で39歳です。

立ち位置は客席から見て左側。主にボケとネタ作りを担当しています。

NSC大阪校28期生で、趣味は喫茶店巡り、パン屋巡り、ポケモン、カラオケなど。サザンオールスターズのファンとしても知られています。

意外なのは、最初から強い芸人志望だったわけではないことです。

2024年のインタビューでは、大学受験に失敗したあと、母親からNSCへの入学を勧められたと語っています。本人によれば、当初は芸人として成功することを明確な目標にしていたわけではなく、入学後にさまざまな相手とコンビを試していました。

NSC時代から順調だったわけでもありません。本人は当時のクラス分けについて、上位ではなくCクラスにいたことも明かしています。

その後も芸人を続け、現在のような独特なボケを生み出す漫才師になったという経歴は、華やかなM-1での姿だけでは分からない一面です。

出井隼之介|ボケを受け止めるツッコミ役

出井隼之介(でい・じゅんのすけ)さんは、1987年3月2日生まれ。2026年10月27日時点で39歳です。

神奈川県横浜市で生まれ、中学生の途中から兵庫県神戸市で暮らしました。立ち位置は客席から見て右側で、主にツッコミを担当しています。

NSC大阪校29期生。コーヒー、ヒップホップ、サザンオールスターズ、美容・メイク、格闘技観戦など、幅広い趣味を持っています。

出井さんは、もともとお笑いが好きで芸人を目指した人物です。大学に1年間通ったあと、NSC大阪校に入りました。

同学年の楢原さんよりNSCでは1期後輩にあたります。

現在は落ち着いた口調でツッコミを入れる印象がありますが、以前のコンビでは関西弁を使った勢いのあるツッコミをしていました。ヤーレンズ結成後に芸風を大きく変えたことになります。

私生活では2024年5月に結婚し、2026年5月には第1子の誕生を公表しています。

ヤーレンズ結成の経緯|2人はどのように出会った?

楢原さんと出井さんは、最初から同じコンビで活動していたわけではありません。

NSC卒業後、それぞれ別の芸人とコンビを組んでいましたが、なかなか思うような結果を残せず、解散や新しい相方探しを経験しています。

結成前はそれぞれ別のコンビで活動していた

楢原さんは以前、「すいっちひった~」というコンビで活動していました。

一方、出井さんも「セカンドギア」「スクランブルハネムーン」などのコンビを経験しています。

しかし、どちらも順調な芸人人生とはいえない状況でした。

2025年のインタビューで出井さんは、いくつものコンビを試したものの相性が合わず、芸人を辞めようと考えるほど行き詰まっていた時期を振り返っています。

そんなときに楢原さんから声がかかり、2人は新しいコンビを組むことになります。

周囲から大きな期待を寄せられていたわけではありません。本人たちも、結成当初の状況を厳しかったと語っています。

それでも一緒に漫才を始めてみると、以前のコンビとは違う感触がありました。

楢原さんは、結成して間もない時期に舞台で手応えを得られたことを回想しています。出井さんも、漫才師のミルクボーイからネタを褒められたことが印象に残っているそうです。

最初から成功を確信していたわけではない2人にとって、小さな手応えの積み重ねがコンビを続ける理由になっていきました。

共通点はサザンオールスターズが好きだったこと

2人の関係を語るうえで欠かせないのが、サザンオールスターズの存在です。

2017年のインタビューで出井さんは、2010年ごろには楢原さんと知り合っていたと話しています。

楢原さんによると、自分のNSC同期と出井さんが以前コンビを組んでいたことがあり、会話するうちにサザンオールスターズが好きという共通点を知ったそうです。

サザン好きの集まりやカラオケについても語られていますが、そうした場を2人の厳密な初対面の場所と断定するのは適切ではありません。

確かなのは、芸人仲間として接点があった2人が、共通する音楽の趣味を通じて親しくなったということです。

そして、このサザンオールスターズへの愛着は、その後のコンビ名にも深く関わることになります。

ヤーレンズの旧コンビ名は?ヒートアップから2度の改名

ヤーレンズには、現在の名前になる前に2つのコンビ名がありました。

「ヒートアップ」→「パープーズ」→「ヤーレンズ」という順序です。

2024年6月12日放送のTBSラジオ『パンサー向井の#ふらっと』では、2人自身がそれぞれの命名理由を説明しています。

最初のコンビ名「ヒートアップ」は仮の名前だった

2011年9月に結成した当初、2人は「ヒートアップ」という名前を使っていました。

出井さんによれば、コンビを組むことになって、とりあえず仮の名前を付けようとしたのが始まりです。

名前には、これから勢いを付けていこうという趣旨が込められていたそうですが、周囲からの反応は芳しくなく、本人たちにも強い愛着がなかったことから、比較的短い期間で変更することになりました。

楢原さんは当時の活動期間について、およそ3か月だったと振り返っています。ただし、正確な改名年月日までは確認されていません。

「パープーズ」はサザンの楽曲から命名

ヒートアップの次に名乗ったのが「パープーズ」です。

こちらは、サザンオールスターズの楽曲「我らパープー仲間」に由来しています。

ヒートアップが仮の名前に近かったのに対し、パープーズは2人に共通する音楽の趣味が反映された名前でした。

この時期には、漫才師として最初の大きな成果も生まれています。

2012年、パープーズは『THE MANZAI』で認定漫才師50組に選ばれました。

これは決勝進出や優勝とは異なる実績ですが、結成から間もない2人にとって、漫才を続けていく自信につながる出来事でした。

後年のインタビューでは、当時NON STYLEや千鳥などの漫才を間近で見て、客席から起こる笑いの大きさに圧倒された経験も語っています。

認定漫才師に選ばれたことで手応えを得る一方、自分たちと実力者の間にある差も実感した時期だったといえるでしょう。

2014年に「ヤーレンズ」へ改名|現在の名前の由来

そして2014年、コンビ名を現在の「ヤーレンズ」に変更します。

名前の由来は、サザンオールスターズの楽曲「YARLEN SHUFFLE~子羊達へのレクイエム~」です。

同曲は1998年発売のアルバム『さくら』に収録されています。

この由来も出井さんがラジオで直接説明しており、単なるファンの推測ではありません。

つまり、パープーズとヤーレンズという2つのコンビ名は、どちらもサザンオールスターズの楽曲とつながっているのです。

なお、M-1グランプリ公式サイトに掲載されている結成年は2011年9月1日です。2014年は現在のコンビ名への改名時期であり、コンビそのものが結成された年ではありません。

ヤーレンズはなぜ大阪から東京へ移ったのか?

ヤーレンズは大阪の吉本興業で活動したのち、東京へ拠点を移しました。

上京の時期については2013年と2014年の記述が混在していますが、2014年には現在のコンビ名となり、ケイダッシュステージでの活動へと移行しています。

東京へ向かった背景にあったのは、自分たちの漫才スタイルと大阪の若手芸人を取り巻く環境との違いでした。

大阪時代から標準語で漫才をしていた

ヤーレンズの漫才を初めて見た人は、大阪NSC出身と聞いて意外に感じるかもしれません。

しかし、現在につながる標準語中心の漫才は、東京へ移ったあとに始めたものではありません。

2017年のインタビューで楢原さんは、2人でコンビを組んだ段階から現在の漫才スタイルを選んでいたと説明しています。

当時の大阪では、若手芸人が強い勢いでボケたりツッコんだりするスタイルも目立っていました。

その中で2人は、声量や勢いだけで勝負するのではなく、少し距離を置いたような会話の面白さを追求しようと考えました。

ところが、その芸風は大阪の劇場では周囲から浮いてしまうこともあったそうです。

お客さんからの反応がまったくなかったわけではありません。それでも、周囲の芸人との雰囲気や求められる笑いの違いを感じていたと、本人たちは振り返っています。

そこで、自分たちの漫才をより面白がってくれる人がいるのではないかと考え、東京での活動を選びました。

ケイダッシュステージ所属のきっかけにはトム・ブラウンがいた

東京へ移ったヤーレンズが所属することになった事務所は、ケイダッシュステージでした。

この事務所選びには、同じ事務所の先輩となるお笑いコンビ「トム・ブラウン」の存在が関係しています。

大阪時代、ヤーレンズは高校生が審査するお笑い大会でトム・ブラウンのネタを見たことがありました。

その場では大きな笑いを取れていなかったものの、2人はトム・ブラウンのネタを面白いと感じ、強く印象に残っていたといいます。

その後、東京で事務所を探していた際に、ケイダッシュステージにトム・ブラウンが所属していることを知りました。

自分たちが面白いと感じた芸人がいる事務所なら、活動する場所として合っているかもしれない。そう考えたことが、所属先を決める理由の一つになりました。

ただし、トム・ブラウン本人から直接勧誘されたという話ではありません。

ヤーレンズの東京進出は、単に仕事の場所を変えるというより、自分たちの笑いを受け入れてもらえる環境を探す選択でもあったのです。

ヤーレンズの漫才は何が面白い?独特な芸風と代表ネタ

ヤーレンズの漫才には、他の漫才コンビとは少し違ったリズムがあります。

基本的には日常的な場面を題材にした会話から始まりますが、楢原さんが次々と予想外の言動を重ね、話は思いもしない方向へ展開していきます。

それを受ける出井さんのツッコミも重要です。

一つひとつのボケに大げさなリアクションをするだけではなく、会話の流れを保ちながら、相手の言葉を拾い、次の笑いへとつなげていきます。

楢原の細かなボケと出井のツッコミが生むテンポ

ヤーレンズの漫才を特徴づけているのは、ボケの数と会話のテンポです。

楢原さんは、一つのボケで大きく笑わせて終わるのではなく、細かな言葉遊びや状況のずれを重ねていきます。

話の本筋から脱線したかと思えば、何事もなかったように元の会話へ戻ることもあります。

出井さんは、その自由な言動をただ否定するのではなく、会話の相手として受け止めながら、適切なタイミングでツッコミを入れていきます。

そのため、ボケが次々と出てきても、漫才全体が単なるギャグの連続にはなりません。

登場人物同士の会話が続いているように見えることが、独特な面白さにつながっています。

また、関西弁による力強い応酬ではなく、標準語の自然な会話を中心にしていることも、このテンポを際立たせています。

もちろん、こうした漫才がすべて即興で行われているという意味ではありません。楢原さんがネタ作りを担当し、舞台で何度も試しながら漫才を磨いています。

代表ネタ「お引越し」|2023年M-1決勝で披露

ヤーレンズの漫才を初めて見るなら、2023年のM-1決勝で披露した「お引越し」が代表的な一本です。

引っ越しの挨拶という身近な状況から始まり、楢原さんが演じる人物の奇妙な言動によって、会話が次第に予測できない方向へ進んでいきます。

最初の設定は分かりやすいのに、そこから何が飛び出すかは分からない。ヤーレンズの漫才の特徴がよく表れたネタです。

このネタについて楢原さんは、2023年夏ごろに原型ができ、長い尺で作ったものを何度も舞台で試しながら仕上げていったと語っています。

実際の漫才を見ると、ボケそのものの面白さに加え、出井さんがどのタイミングで言葉を返すかによって笑いの流れが生まれていることも分かります。

次の映像は、ケイダッシュステージ公式チャンネルが公開した2023年M-1決勝の「お引越し」です。

同じ2023年の最終決戦では、ラーメン店を題材にした漫才も披露しています。設定が変わっても、日常会話から次々と笑いを生み出していくスタイルは共通しています。

ヤーレンズは不仲だった?コンビの関係性が変わった転機

息の合った漫才を見せるヤーレンズですが、結成から現在まで、ずっと円満な関係だったわけではありません。

本人たちはテレビやインタビューで、以前は意見がぶつかることが多く、互いに不満を抱えていた時期もあったと語っています。

長年活動を続ける中で、芸風や仕事への考え方が完全に一致していたわけではなかったのです。

コロナ禍で初めて本音を話し合った

2人の関係に変化が生まれた大きなきっかけとして語られているのが、新型コロナウイルスの感染拡大によってライブ活動が制限された時期です。

2024年のTBSラジオ出演時、出井さんは、ライブがなくなったことで2人が公園に集まり、長時間話すようになったことを明かしています。

それまで十分に話せていなかった互いの考え方や不満についても、この時期に言葉を交わすことができたそうです。

コンビを組んでいるからといって、相手の考えをすべて理解しているとは限りません。

漫才に向き合う2人が、舞台から離れた時間の中で互いの考えを知り直したことは、その後の関係性を考えるうえで重要な出来事でした。

ただし、コロナ禍で話し合ったことだけがM-1準優勝の直接的な原因だったと断定することはできません。

長いライブ活動やネタの改良など、さまざまな積み重ねがあったことも見落とせない部分です。

ヤーレンズのM-1グランプリ成績|2023年準優勝までの道のり

ヤーレンズの知名度を大きく高めたのは、2023年の『M-1グランプリ』でした。

しかし、その前年にも準決勝へ進出しており、さらに以前から賞レースに挑戦を重ねていました。

主要な大会成績を整理すると、次のようになります。

開催年結果決勝得点
2022年準決勝進出・敗者復活戦出場―
2023年準優勝656点
2024年決勝5位825点
2025年決勝5位843点
2026年2回戦通過(10月27日時点)―

※得点は決勝ファーストラウンドの合計点。2023年は審査員7人、2024年と2025年は9人のため、年ごとの得点をそのまま比較することはできません。

2022年に初めて準決勝へ進出

2022年、ヤーレンズはM-1グランプリで初めて準決勝に進出しました。

決勝進出こそ逃したものの、敗者復活戦に出場。長く東京のライブシーンで漫才を続けてきた2人にとって、全国規模の大会で存在感を示す機会となりました。

2023年の準優勝だけを見ると突然の躍進に思えるかもしれませんが、その前から着実に大会での実績を積み重ねていたことが分かります。

2023年は初のM-1決勝で準優勝|優勝まであと1票

2023年12月24日、ヤーレンズは初めてM-1グランプリの決勝に進出しました。

ファーストラウンドでは656点を獲得し、659点のさや香に続く2位で最終決戦へ進みます。

最終決戦には、さや香、ヤーレンズ、令和ロマンの3組が進出しました。

審査員7人による最終投票の結果、令和ロマンが4票、ヤーレンズが3票を獲得。わずか1票差で令和ロマンが優勝し、ヤーレンズは準優勝となりました。

結成から12年以上を経て、初めて立ったM-1決勝の舞台で、優勝まであと一歩に迫ったのです。

この大会をきっかけに、ヤーレンズはテレビやラジオでも広く知られるようになりました。

ただし、M-1で初めて実力を発揮したわけではありません。大阪時代から続けてきた漫才を東京のライブで磨き、長い時間をかけてたどり着いた結果でもありました。

2024年・2025年も決勝進出|3年連続ファイナリストに

2023年の準優勝後も、ヤーレンズはM-1への挑戦を続けました。

2024年大会では825点を獲得し、決勝5位。2025年大会では843点で、こちらも決勝5位という成績でした。

2023年から2025年まで3年連続で決勝へ進出したことになります。

2023年のように最終決戦へ進むことはできなかったものの、異なる顔ぶれや審査体制の大会で連続して決勝に残ったことは、継続的に高いレベルの漫才を披露してきた実績といえるでしょう。

2025年には新しい世代の漫才コンビも決勝に進出し、競争は続いていました。その中でもヤーレンズはファイナリストとして名を連ねています。

2025年大会の出場者や決勝までの流れについては、M-1グランプリ2025決勝進出者まとめでも紹介しています。

2026年はM-1ラストイヤー|現在の進出状況

2011年に結成したヤーレンズにとって、2026年はM-1グランプリの出場資格上、ラストイヤーとなります。

M-1グランプリ2026の出場資格は、2011年1月1日以降に結成されたコンビです。2011年9月結成のヤーレンズは、現行規定では今年が最後の出場可能年にあたります。

2026年10月27日時点では、10月12日に東京で行われた2回戦を通過したことが、M-1公式サイトで確認できます。

3回戦は10月29日から始まる予定であり、現段階で準々決勝や準決勝への進出を確定事項として扱うことはできません。

なお、ラストイヤーとはM-1への出場資格についての話であり、漫才師としての活動が終了するという意味ではありません。

2026年大会全体の進行状況や最新の日程は、M-1グランプリ2026の日程・結果まとめで確認できます。

M-1以外の実績|2024年にはビートたけし杯で優勝

ヤーレンズの賞レース実績は、M-1だけではありません。

2024年2月9日には、東京・浅草の東洋館で開催された「第6回ビートたけし杯 お笑い日本一」で優勝しています。

この大会は、ビートたけしさんの名前を冠した若手芸人の大会で、ヤーレンズはM-1準優勝から間もない時期に新たなタイトルを獲得しました。

当日の報道では、たけしさんがヤーレンズの漫才に余裕を感じたことを評価したと伝えられています。

ボケの量やテンポだけでなく、舞台上での落ち着きや掛け合いの自然さも、ヤーレンズの持ち味です。

M-1という大きな大会とは異なる場でも評価されたことは、コンビの経歴を振り返るうえで見逃せない実績といえるでしょう。

ヤーレンズの現在の活動|テレビ・ラジオ・単独ライブ

2026年10月現在、ヤーレンズはテレビ出演やラジオ番組、単独ライブなど幅広い活動を続けています。

M-1の結果だけでなく、日常的な番組出演や舞台活動でも2人の掛け合いに触れられるようになっています。

真空ジェシカとの番組『真空レンズ』にも出演

テレビでは、真空ジェシカとヤーレンズによる番組『真空レンズ』が代表的なレギュラー番組の一つです。

テレビ東京で放送され、M-1の決勝経験を持つ2組による独特なやり取りを楽しめます。

また、『ヒルナンデス!』『有吉の壁』『ゴッドタン』などの番組にも出演しています。

舞台上での漫才とは異なり、バラエティ番組ではほかの芸人や出演者とのやり取りを通じて、それぞれの個性が見える場面もあります。

ラジオでは複数のレギュラー番組を担当

ヤーレンズの活動で特に充実しているのがラジオです。

2026年10月時点で、所属事務所は次の番組をレギュラー情報として掲載しています。

  • TBSラジオ『ヤーレンズの#ふらっと』:隔週木曜日
  • ニッポン放送『ヤーレンズのオールナイトニッポン0(ZERO)』:月1回、最終土曜日
  • ABCラジオ『ツギハギ月曜日~ヤーレンズのダダダ団!~』:毎週月曜日
  • Podcast『ヤーレンズの一生ボケても怒られないサッカーの話 powered by ゲキサカ』:隔週金曜日配信

漫才ではネタとして作り込まれた会話を披露する2人ですが、ラジオでは互いの趣味や日常の出来事、仕事についての考え方なども語っています。

サザンオールスターズやコーヒーなど、プロフィールにある趣味の話題も含め、漫才とは違う2人の魅力に触れられるのが特徴です。

また、出井さんはCanCam.jpでの連載など、個人での執筆活動も行っています。

2026年は単独ライブツアー「10ナンバーズ・からっと」を開催

2026年には、単独ライブツアー「10ナンバーズ・からっと」も開催しています。

テレビやラジオへの出演が増えたあとも、ヤーレンズは漫才を披露する舞台を大切にしています。

漫才はテレビで見るだけのものではありません。劇場では、会場の反応を受けながら進む掛け合いや、長めのネタならではの展開を楽しめることもあります。

特にヤーレンズは、長い時間をかけてライブでネタを磨いてきたコンビです。その活動の中心に漫才があることは、2026年現在も変わっていません。

2027年3月には日本武道館で初の単独ライブを予定

さらに、2026年8月4日には大きな発表がありました。

2027年3月7日(日)、東京の日本武道館で初めての単独ライブ「一万人に漫才 in 日本武道館」を開催することが決定したのです。

公演は15時開場、16時開演の予定。2026年10月25日からはチケットのオフィシャル最速先行受付も始まっています。

結成当初は周囲から大きな期待を寄せられていたわけではなく、大阪のライブシーンで苦しい時期を経験した2人。

そんなコンビが、結成15周年を迎えた年に日本武道館での単独公演を発表したことには、これまでの歩みを知るほど大きな意味を感じます。

武道館公演はM-1の結果とは別の舞台です。賞レースでの評価だけでなく、漫才そのものを見たいという観客に向けた新しい挑戦でもあります。

公演内容やチケットの詳細、最新の案内は「一万人に漫才 in 日本武道館」公式特設サイトで確認できます。

ヤーレンズの魅力は、長い時間をかけて磨いた2人だけの漫才

ヤーレンズの経歴を振り返ると、印象的なのは何度も変化を経験してきたことです。

結成前には、それぞれ別のコンビで思うような結果を残せず、芸人を辞めることまで考えた時期がありました。

2人でコンビを組んでからも改名を経験し、大阪で活動する中では自分たちの漫才スタイルが周囲と合わないと感じたこともありました。

それでも、関西弁による勢いのある漫才へ戻るのではなく、標準語の会話を中心にした自分たちの芸風を追求し続けました。

東京へ移り、ライブ活動を重ね、コンビの関係性にも変化が生まれる。そして2023年、初めて進んだM-1決勝で準優勝という結果を残します。

こうして見ると、ヤーレンズの漫才は一度の大会のために作り上げたものではなく、長い時間をかけて育ててきたスタイルであることが分かります。

楢原さんの自由なボケと、それを受け止める出井さんのツッコミ。2人が別々の経験を重ね、出会い、何度も舞台に立ってきたからこそ生まれた掛け合いなのです。

まとめ|ヤーレンズは改名と転機を重ねてきた漫才コンビ

ヤーレンズは、楢原真樹さんと出井隼之介さんによる、2011年結成の漫才コンビです。

最初は「ヒートアップ」、続いて「パープーズ」として活動し、2014年から現在の「ヤーレンズ」を名乗っています。

パープーズとヤーレンズという名前には、2人が好きなサザンオールスターズの楽曲が関係していました。

大阪の吉本興業での活動を経て東京へ進出し、ケイダッシュステージに所属。標準語を中心とする独特な漫才を磨き、2023年のM-1準優勝、2024年と2025年の連続決勝進出へとつなげています。

2026年はM-1のラストイヤーですが、テレビやラジオ、単独ライブでの活動は続いており、2027年3月には日本武道館での単独公演も予定されています。

かつて芸人を続けるかどうか迷った2人が、今では多くの観客に漫才を届ける存在になりました。

名前が変わっても、活動する場所が変わっても、漫才を続けてきたヤーレンズ。これまでの歩みを知ったうえでもう一度ネタを見ると、軽快な掛け合いの奥にある2人の積み重ねも感じられるのではないでしょうか。

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