- 1990年代のリンク集は今も開ける?100件の掲載先を追跡した結果
- まず、1996年のリンク集そのものが今も残っていた
- 実際に残っていた30年前の個人ホームページ2件
- 100件の掲載先を追跡|2026年現在も同じ対象へ到達できた例
- 同じURLなのに別サイト?古いリンクを開いて分かった意外な変化
- 1996年に開設、1998年に移転|育時連はURLを変えて記録を残した
- 「ぷくぷく」など4件は旧URLの下層ページまで確認する必要があった
- なぜ「100件中何件が生き残った」と正確に計算できないのか
- 昔のサイトが残っているのに、リンク集はなぜ使えなくなるのか
- 1990年代のリンク集を自分でたどるには?
- 1990年代のリンク集が今も残っていることの面白さ
- まとめ|30年前のリンクは、消えたものも残ったものも歴史を語っている
1990年代のリンク集は今も開ける?100件の掲載先を追跡した結果

1996年、インターネットのリンク集に登録されたホームページ。そのURLを30年後の2026年に開いたら、いったい何が表示されるのだろうか。
懐かしい個人ホームページが、そのまま残っているのか。すっかり別のサイトになっているのか。それとも「ページが見つかりません」と表示されるのか。
今回調べたのは、1996~1998年の掲載記録が残る実際のリンク集だ。そこから100件の掲載対象を選び、当時のURLと現在の行き先を追跡した。
結論から言うと、1990年代のリンク集は今も閲覧でき、そこから当時の個人ホームページへ直接アクセスできる例も見つかった。
それも、Internet Archiveで復元された画面ではない。1990年代に使われていたプロバイダのURLを、現在のブラウザで開けるのだ。
一方、古いリンクをクリックすると、まったく別の団体のホームページに移動したり、ドメイン販売サイトへ転送されたりする例もあった。元のページは開けなくなっても、運営団体が新しいURLへ移転していたケースもある。
なお、今回の調査では100件すべてについて統一条件で生存・消滅を確定できたわけではない。そのため、生存率を無理に算出することはしない。
この記事では、実際に残っていた30年前の個人サイトから紹介し、100件の調査で確認できたこと、古いリンクの意外な行き先、調査で判明した注意点まで順番に見ていこう。
調査基準日:2026年10月28日
掲載先の状況は調査時点のもの。今後、ページの移転や公開終了によって変わる可能性がある。
まず、1996年のリンク集そのものが今も残っていた
今回の出発点になったのは、研究資料サイト「生存学(arsvi.com)」に保存されているホームページのリンク集だ。
1990年代のウェブサイトを後年まとめて紹介した記事ではない。ページには、当時の新規登録記録が年月ごとに並び、実際に紹介されていたホームページへのリンクが残っている。
今回確認した原本は、次の2ページ。
ページの案内には、1996~1997年の登録分112件、1998年の登録分278件という数字も記載されている。ただし、これは原本側の登録件数の表示であり、今回独自に選んだ調査対象100件とは別の数字だ。
リンク集の内容を読むと、現在のインターネットとの違いがよく分かる。
大学教員の個人ホームページ、福祉団体、病院、出版社、企業、海外の研究機関。そうした掲載対象が、短い説明文とURLとともに並んでいる。
例えば1996年11月の記録には、リクルートが育児・出産情報を扱う掲示板サービス「ぷくぷく」を開始したという紹介がある。社会福祉・医療事業団のホームページについては、施設や病院を検索できるサービスとして説明されている。
1997年の記録では、個人のホームページについて「誰から紹介されたか」という情報まで添えられている。単にURLを並べるだけでなく、人づてに新しいウェブサイトが知られていく様子も見えてくる。
ただし、現在読める原本には2013年の改訂履歴も残っている。したがって、表示されているHTMLのすべてが1996年当時から一度も変更されていないという意味ではない。
正確には、1996~1998年の掲載記録を含むリンク集が、2026年現在も公開されているということになる。
実際に残っていた30年前の個人ホームページ2件
ここからが今回の調査で特に面白かった部分だ。
1990年代のリンク集に掲載されていた個人ホームページの中に、2026年現在も当時のURLでページを開ける例があった。
今回直接確認できた2件を紹介しよう。
佐藤正繁氏の個人ホームページ|1996年9月1日の開始表示が残る
まず紹介したいのが、佐藤正繁氏の個人ページだ。
1997年9月のリンク集には、佐藤氏が千葉大学文学部行動科学科の社会学関係者として紹介され、ASAHIネット上の個人ページへリンクされている。
驚くのは、そのURLが現在も開けることだ。
ページには「since 1996.9.1」と「Last Update: 2010.9.12」の表示が残っている。つまりサイト自身は1996年9月1日を開始日、2010年9月12日を最終更新日として示している。
表示されるページは非常にシンプルだ。作者名といくつかのリンクが中心で、現在の企業サイトのように大量の画像や記事が並んでいるわけではない。
しかし、この簡素さこそ興味深い。
今ならSNSのプロフィール欄にまとめてしまいそうな情報を、当時は自分専用のウェブページとして公開していた。URLにはプロバイダの個人用領域を示す文字列が残り、ページの構成も現代的なデザインへ置き換えられていない。
1996年のインターネットから続く住所を、2026年のブラウザで訪問しているような感覚になる。
もっとも、開始日の表示だけで30年間ずっと無停止で公開されていたことまでは証明できない。また、ページからリンクされているすべての外部サービスが現在も利用できるわけではない。
確認できた重要な事実は、1997年のリンク集に記載された個人ページのURLが、現在も同じ人物のページとして閲覧できることだ。
小山隆氏「福祉関係者のホームページ」|1997年の個人サイトが今も読める
もう一つの現存例が、小山隆氏の「福祉関係者のホームページ」だ。
1997年11月のリンク集に掲載されており、当時の紹介文では同志社大学の社会福祉学専攻に関係する小山氏のページとして記録されている。
現在のトップページには「97/8/18設置」という表示と、「2013年11月20日版」という記載が残る。
こちらは佐藤氏のページと比べても、読むことのできる情報が豊富だ。
トップページには福祉・ソーシャルワークに関する研究情報、専門職の倫理綱領、福祉関連施設や団体へのリンク、文献情報、自己紹介など、多数の入口が並んでいる。
小中高生からの質問を受け付けるコーナーや、掲示板コーナー、過去の記録へ進むリンクまで用意されている。
現在のスマートフォン向けサイトとは違い、情報を小さな項目ごとに整理してリンクでつなぐ構成だ。ひとつのページが、そのまま福祉分野の情報拠点になっている。
個人が作ったサイトなのに、専門的な情報を探す人や関係者同士が交流するための入口になっていたことが分かる。
さらに興味深いのは、このサイト自体にも福祉関連の個人ホームページを集めたリンク集があることだ。
つまり、1997年のリンク集から個人ホームページに入り、その個人ホームページにある別のリンク集へ進める。昔のネットらしい、リンクからリンクへ移動する構造が今も残っている。
なお、ページに残る日付はサイト自身の設置・更新表示であり、現在も運営者が活発に更新していることを意味しない。古いリンク先の一部が開けなくなっている可能性もある。
それでも、1990年代に設置された個人サイトの本文や構成を、現在のURLから実際に確認できる貴重な例といえる。
この2件とは別に、1995年以前から続く個人ホームページの候補については、つぶログの今も生きている日本最古級の個人ホームページを探す調査記事で詳しく扱っている。今回は「最古のサイト」を決めるのではなく、実際のリンク集から30年前の掲載先を追跡することに重点を置いた。
100件の掲載先を追跡|2026年現在も同じ対象へ到達できた例
調査対象として整理したのは、1996~1998年のリンク集に掲載されていた100件だ。
このうち、今回の確認では、原本のリンクを起点として同じ掲載対象の現在のサイトや当時のページに到達できた例が11件あった。
ただし、ここで注意してほしい。
11件という数字は「100サイトのうち11サイトだけが生存している」という意味ではない。
100件全体を同じアクセス条件で一斉測定したわけではなく、取得できなかったリンクの中にも、移転先や保存されたページが残っている可能性があるからだ。
また、以下の11件には、30年前のHTMLが残っている個人ページと、当時掲載されていた団体・企業の現行サイトへ到達する例の両方が含まれる。
| 1990年代の掲載対象 | 2026年の確認結果 | 現存の意味 |
|---|---|---|
| 佐藤正繁氏 | 1996年の開始表示が残る個人ページを閲覧可能 | 当時の個人ページが現存 |
| 小山隆氏 | 1997年の設置表示と福祉関連の本文を閲覧可能 | 当時の個人ページが現存 |
| 米国Access Board | 同じ政府機関の現行サイトへ到達 | 掲載機関への到達 |
| 社会福祉・医療事業団/WAM | 現在のWAM NETへ到達 | 後継組織のサービスへ到達 |
| 長野市民病院 | 病院の現行サイトへ到達 | 同じ病院へ到達 |
| 農文協 | 農山漁村文化協会の現行サイトへ到達 | 同じ団体へ到達 |
| リュウド | リュウド株式会社の現行サイトへ到達 | 同じ企業へ到達 |
| 日本財団 | 日本財団の現行サイトへ到達 | 同じ財団へ到達 |
| セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン | 同じ団体の現行サイトへ到達 | 同じ団体へ到達 |
| NAMI | 米国の精神保健関連団体の現行サイトへ到達 | 同じ団体へ到達 |
| 英国Mind | 1998年のリンクから現在の公式サイトへ到達 | 同じ団体へ到達 |
この表で最も重要なのは、同じ「到達できた」という結果でも中身が違うことだ。
佐藤氏と小山氏のページは、当時の個人ホームページ自体が現在も残る例になる。
一方、長野市民病院や農文協は、1990年代の掲載対象と同じ病院・団体へ現在も到達できる例だ。現行サイトのデザインや情報は当時とは変わっている可能性があり、1997年のページそのものが残っているという意味ではない。
WAM NETについても、1990年代の掲載記録には社会福祉・医療事業団の名称があるが、現在は独立行政法人福祉医療機構が運営している。運営主体の変遷を無視して、単に30年間同じページが続いているとはいえない。
この違いを整理しないと、昔のリンクが現在も開くというだけで、旧サイトの生存数を過大に数えてしまう。
同じURLなのに別サイト?古いリンクを開いて分かった意外な変化
昔のリンク集を調べていると、リンクが開けないケースだけでなく、開けたこと自体が意外な結果につながるケースがある。
当時の紹介文と現在のページを比較すると、まったく違う組織やサービスに変わっていることがあるのだ。
EIA|電子産業の業界団体だったURLが、現在は環境団体のサイトに
興味深いのが、1997年のリンク集に登場するEIAだ。
当時の原本には「Electronics Industries Association」と記載され、そのウェブサイトとして「www.EIA.org」が紹介されている。電子産業の業界団体に関する掲載だ。
ところが、2026年現在、このURLで表示されるのは「Environmental Investigation Agency」のサイトである。
現在の団体は、環境問題や野生生物、違法取引などに関する調査・活動を行っている。1997年のリンク集が紹介していた電子産業の団体とは別組織だ。
どちらも略称はEIA。しかし、名前の似た別団体が表示されるという結果になった。
この場合、ドメインが現在も利用されているからといって、1997年の掲載対象が生き残っているとは判定できない。
なお、いつどのような経緯でドメインの利用主体が変わったのかまでは確認できていない。現在の状態から過去の所有権移転の経緯を推測することは避ける。
米国障害学会の旧リンク|現在は別サービスへ転送される
1997年10月の掲載記録には、米国障害学会(Society for Disability Studies)のホームページも紹介されている。
そこには、学会の歴史や理事会、会員制度、出版物、年次大会の情報が掲載されているという説明がある。
しかし、原本に記載された「wipd.com」のSDS関連リンクを現在たどると、個人情報やオンライン上の評判管理を扱う「SUPPRESSED」という別サービスへ転送される。
1997年当時の学会案内が、そのまま残っているわけではない。
これも、リンクの接続先にページが存在することと、元の掲載内容が残っていることは別だと分かる例だ。
スキーフォーライト|個人用URLがメールサービスの案内へ
1997年のリンク集には「スキーフォーライト」という活動も紹介されている。
説明文によれば、視覚障害のあるスキーヤーと晴眼のガイドが一緒にクロスカントリースキーを楽しむ活動だった。
当時のURLは「pobox.com/~sklj/」。現在このリンクを開くと、FastmailによるPoboxの案内ページへ転送される。
元のスキー活動のページではなく、URLを提供していたサービス側の案内に変わっているわけだ。
昔の個人ホームページは、プロバイダやレンタルサービスの一部を借りて公開されることが多かった。そのため、サービスの仕組みや提供先が変わると、元のページとは関係のない内容が表示される場合がある。
このケースについても、活動自体が現在どうなっているかは、リンク先の転送だけでは判断できない。
メディカスリンクス|古い医療情報サイトのURLがドメイン販売先へ
1996年11月のリンク集には、国内外の医療情報を集めた「メディカスリンクス」が紹介されている。
当時のURLは「www.medicuslinks.com」。今回の取得では、このURLからドメイン販売サービス「HugeDomains」の関連URLへ転送されることを確認した。
ただし、転送先の販売ページ本文までは取得できなかったため、価格や販売条件などは確認していない。
少なくとも、今回のアクセスでは1996年の医療情報サイトの本文へ到達していない。
古いドメインが元の運営者とは別の用途に使われることもある。この例は、URLだけを基準にサイトの存続を判断できない理由をよく示している。
丸善|昔のページは開けなくても、公式の移転案内は残っている
反対に、古いURLの一部が開けなくても、運営元の変遷を確認できる例がある。
1998年のリンク集に掲載されていた丸善のURLは「www.maruzen.co.jp/index-j.html」だった。
この下層ページを今回取得したところ、404エラーになった。しかし、同じドメインのトップページには2016年2月1日の公式移転案内が残っている。
案内によれば、丸善株式会社と雄松堂書店の経営統合に伴い、ホームページを移行したという。
つまり、1998年のリンク先ページそのものは取得できなくても、企業のウェブサイトが移転した経緯は公式の記録から確認できる。
こうした例まで単純な「リンク切れ=消滅」に含めてしまうと、サイトの歴史を正確に追えなくなる。
1996年に開設、1998年に移転|育時連はURLを変えて記録を残した
古いリンク集の調査で忘れてはいけないのが、ホームページの移転だ。
1996年のリンク集には「育時連」のページが掲載されている。現在のURLを探すと、育時連自身が公開している活動の年表が見つかった。
年表に残るウェブサイト関連の記録は次のとおりだ。
| 時期 | 公式年表に残る記録 |
|---|---|
| 1996年 | インターネット計画開始 |
| 1996年8月 | ホームページ開設 |
| 1998年5月 | 独自ドメイン「eqg.org」取得 |
| 1998年6月 | www.eqg.org 正式公開 |
| 2007年2月 | 新しいサーバーへ移行 |
1996年のリンク集に掲載されていたのは、現在の独自ドメインではなく、当時利用していた別のサーバー上のURLだ。
その旧URLから現在の公式サイトへ直接転送されることまでは確認できていない。
しかし、1996年にホームページを開設し、1998年に独自ドメインへ移り、さらに2007年にはサーバーを変更したという経緯は、運営者自身の記録から確認できる。
30年前とURLが一致しなくても、運営主体の歴史や当時の情報が引き継がれていることはある。
これは、リンク先の現在の状態だけでなく、移転案内や公式年表を調べる必要がある理由だ。
「ぷくぷく」など4件は旧URLの下層ページまで確認する必要があった
今回の調査では、リンク集のURLを記録する方法についても重要な問題が見つかった。
リンク集が特定のページを紹介しているのに、調査台帳でドメインのトップページだけを記録してしまうと、現在の状態を正しく判断できない。
例えば、1996年のリンク集に掲載されたリクルートの「ぷくぷく」は、企業のトップページではなく、育児・出産情報を扱う特定サービスだった。
リクルートの企業サイトが現在も存在するからといって、「ぷくぷく」が現在も利用できることにはならない。
そこで、調査台帳に記録されたURLを原本と照合し、下層のパスまで修正した。
| 掲載対象 | 1996年の原本にあるURL | 今回の取得結果 |
|---|---|---|
| 自分発信セミナー | http://www.try-sky.com/mizumoto/ | 404 |
| リクルート「ぷくぷく」 | http://www.recruit.co.jp/kids/ | 403 |
| JANIC | http://www.jca.or.jp/janic/ | 502 |
| 総理府男女共同参画室 | http://www.sorifu.go.jp/danjyo/ | 502 |
※結果は2026年10月28日のWeb取得環境で観測したもの。原本はHTTP形式だが、取得過程でHTTPSへ変換される場合もあるため、当時のHTTP環境での厳密な接続可否と同一視しない。
404は要求したページが見つからない状態、403はアクセス拒否、502はサーバー間の通信処理などで問題が発生した状態を示す。
ここで特に注意したいのが、403や502だ。取得できなかったからといって、その場で「サイトは消滅した」と断定することはできない。
404についても、指定されたページが現在取得できないことと、運営団体やサービスに関する情報が完全に失われたことは別になる。
当時のドメインのトップページだけを開いて判断するのではなく、原本が指定するパス、移転履歴、後継サービスまで区別して調べる必要がある。
なぜ「100件中何件が生き残った」と正確に計算できないのか
今回の企画では、当初「1990年代のホームページは何%生き残っているのか」という疑問も調べていた。
しかし、実際に古いURLを追跡すると、割合を出す前に解決しなければならない問題がいくつも見つかった。
理由1|リンク先が開かなくても、サイトが消滅したとは限らない
1996年のURLがエラーになっても、現在は別のURLへ移転している可能性がある。
育時連のように、運営者の年表を調べて初めて移転の経緯が分かる例もある。
また、昔のHTTPサイトは現在のブラウザや取得環境と相性が悪い場合もある。HTTPSへの自動変換、アクセス制限、古いサーバーの設定などによって、実際の公開状態とは異なるエラーが表示される可能性もある。
取得エラーだけで消滅と判定すると、残っているサイトを誤って数から除外してしまう。
理由2|URLがつながっていても、元のページが残っているとは限らない
EIAのように、同じドメインがまったく別の団体のウェブサイトになっているケースもある。
ドメイン販売サイトやホスティングサービスの案内ページへ転送されることもある。
こうしたリンクまで「接続成功」として生存数に加えてしまうと、逆に元サイトの生存率を過大評価してしまう。
理由3|1つのリンクが必ず1つの独立サイトを表すとは限らない
昔のリンク集には、同じ団体のトップページと下層ページが別々に登録されたり、移転前後のURLが両方残されたりすることがある。
そのため、掲載件数をそのまま独立したウェブサイトの数とみなすことはできない。
今回の100件も、正確にはリンク集に掲載された対象を追跡するための調査名簿だ。日本の1990年代のウェブサイト全体から無作為に選んだ100サイトではない。
理由4|全100件を同じ条件で測定できていない
今回の再確認で同じ掲載対象への到達を確認できた11件と、残り89件を単純に「生存」「消滅」に振り分けることはできない。
89件というのは11件以外の調査対象数にすぎず、89件の消滅が確認されたという意味ではない。
過去の確認結果と今回の再取得結果にも測定時点の違いがある。全100件を同一の条件で一斉再測定した数字ではない以上、11%という割合を生存率として公表するのは不適切だ。
さらに、仮に100件すべてを判定できたとしても、今回の調査対象は特定のリンク集から選んでいる。そこで得られた割合を、1990年代の日本のインターネット全体の生存率として扱うこともできない。
今回確かめられたのは、100件の掲載先を追跡した調査の中に、現在も元の個人ページを閲覧できる例や、掲載対象につながるリンクが実際に残っていたという事実だ。
昔のサイトが残っているのに、リンク集はなぜ使えなくなるのか
今回の調査を通じて見えてきたのは、ウェブサイトそのものの寿命と、そこへたどり着くためのリンクの寿命は必ずしも一致しないということだ。
例えば、個人が契約していたプロバイダのホームページ領域が終了した場合、当時のURLは使えなくなる。しかし運営者が別のサーバーへ内容を移していれば、サイトそのものは続いている。
企業や団体も同様だ。組織再編、事業の統合、サイトリニューアル、ドメイン変更などが起きると、昔のリンク集から直接たどり着けなくなることがある。
逆に、更新が止まった個人ページでも、サーバー上にファイルが残っていれば、何十年後でも閲覧できる場合がある。
佐藤氏と小山氏のページは、この後者の姿に近い。最新情報を発信し続けるサイトというより、過去の個人ホームページの構成や文章が現在も閲覧できる状態にある。
また、小山氏の「福祉関連の個人サイト等へのリンク集」には、2007年5月2日にリンクチェックを行い、相当数のリンクを整理したという記録も残っている。
これは興味深い。当時のホームページ運営者自身も、リンク切れや移転に対応しながら、自分のリンク集を管理していたことが分かるからだ。
リンク集は、一度作れば永遠に正確なまま残るものではなかった。
紹介したいサイトが増えればリンクを追加し、古いURLが変われば修正する。その地道な手入れによって、リンク集は利用者に役立つものになっていた。
こうした運営文化については、つぶログの個人ホームページ文化はいまどこへ消えたのかでも振り返っている。
1990年代のリンク集を自分でたどるには?
この記事で紹介したリンク集は、特別なソフトを使わなくても現在のブラウザから閲覧できる。
まずは1996~1997年のリンク集を開いてみてほしい。
古い企業名や団体名、個人の名前が並び、その下にリンクが置かれている。
そこで気になるページを見つけたら、現在の接続先を確認してみる。ただし、表示されたページが本当に当時の掲載対象なのかは、名称や内容も比較したい。
もしリンクが開けなければ、同じサイト名や団体名で現在の公式ページを探す方法がある。移転先が見つかった場合には、公式の移転案内や活動履歴が残っていないか調べると、より正確に追跡できる。
もう一つ役立つのが、Internet ArchiveのWayback Machineだ。
過去に保存されたURLの記録があれば、当時のページの一部や移転前の姿を確認できる場合がある。
ただし、Wayback Machineに記録がないからといって、そのページが存在しなかったことにはならない。保存されなかったページや、保存されても一部の画像・リンクが再現できないページもある。
また、アーカイブで昔のページを閲覧できることと、現在のウェブサーバーから直接ページを取得できることも別の状態だ。
古いリンク先には現在の運営者が不明なページもあるため、不審なファイルのダウンロードや個人情報の入力は避け、閲覧を中心に楽しむのがよいだろう。
1990年代のリンク集が今も残っていることの面白さ
現在、何かを調べようと思えば、検索エンジンに言葉を入力するのが一般的だ。SNSのおすすめや動画の関連表示から、興味のある情報へ進む人も多いだろう。
しかし1990年代のウェブでは、人が作ったリンク集も、新しいホームページを見つけるための大切な入口だった。
ある研究者のページから、同じ分野の研究者へ。福祉団体のページから、別の支援団体へ。個人の日記から、友人の日記へ。
一つのサイトにたどり着くと、そこに置かれたリンクから、また知らないサイトへ進んでいく。
今回の1996~1998年のリンク集にも、そのような構造が残っている。
しかも、リンク先の説明が単なる検索結果の抜粋ではない。「この人が紹介してくれた」「こういう活動をしている」「こんな情報が見られる」といった、人の手で書かれた案内が添えられている。
それを2026年に読み返すと、当時どんな情報が求められ、どんなウェブサイトが紹介する価値を持っていたのかも見えてくる。
例えば、1996年の「ぷくぷく」が育児・出産情報を扱う掲示板サービスとして紹介されていることからも、当時すでにネット上で生活に関する情報を交換する試みがあったことが分かる。
福祉関連の個人ホームページに交流の場が用意されていたことも、同じように興味深い。
かつてのインターネットが、趣味のホームページや企業の宣伝だけでなく、専門分野の情報共有や日常生活の相談にも使われていた様子を読み取れる。
1990年代のWeb日記同士がリンクで結びついていた様子については、日本最古級の個人日記を探す調査記事でも紹介している。
そして、今回最も印象に残ったのは、そうしたリンクの一部が30年近く経ってもまだ実際に機能していることだった。
1997年のリンク集から個人ホームページへ進み、そこに置かれた昔のリンク集を読む。
検索エンジンの結果を読むのとは少し違う、人から人へ紹介されていくような感覚が今も残っている。
パソコン通信から1990年代のネット黎明期、ブログ、動画、SNSの時代まで。NHKの特番をもとに、平成のインターネットがどう広がり、変わってきたのかを振り返る一冊。懐かしいネット文化をもっと知りたい人に。
価格・在庫・仕様や版の違いなどは変動します。購入の際は各ショップの商品ページで最新情報をご確認ください。
まとめ|30年前のリンクは、消えたものも残ったものも歴史を語っている
1996~1998年のリンク集から100件の掲載先を追跡した今回の調査では、2026年現在も当時の個人ホームページを直接閲覧できる例が見つかった。
佐藤正繁氏のページには1996年9月1日の開始表示が残り、小山隆氏の「福祉関係者のホームページ」には1997年の設置表示と、その後に蓄積された福祉関係の情報が残っている。
一方、EIAのように別団体のサイトになったURL、ドメイン販売先へ転送されるURL、企業の移転案内が残る例、独自ドメインへ移って記録を引き継いだ例も確認できた。
今回の結果から、100件中の正確な生存率を算出することはできない。リンクが開かないことと、元のサイトが完全に消滅したことは同じではないからだ。
それでも、昔のリンク集を起点に実際のURLを一つずつたどることで、単に「昔のインターネットはこうだった」と振り返るだけでは見つからないものがあった。
1990年代のページが、今も同じ場所に残っている。昔のURLが新しいサイトへの入口になっている。運営者が移転を重ねながら記録を残している。
30年前のインターネットは、すべて消えてしまったわけではない。
今も残るリンクを開けば、当時の人たちが作った小さなウェブの世界へ、2026年のブラウザからそのまま入っていける。
そして、開けなくなったリンクにも、どんなサイトが存在し、どんな情報を人々が求めていたのかという記録が残っている。
1990年代のリンク集は、単なる古いURLの一覧ではない。インターネットがどのようにつながり、変わってきたのかを知るための、今も読める歴史資料なのだ。