連載/特集

サブカル文化史アーカイブ番外編:ファミ通 クロスレビュー初期の衝撃

あの“40点”は、発売日の判断基準(ものさし)だった。

ゲーム売り場に直行する前に、まずめくるのは雑誌の“あのページ”。4人の評者が10点ずつ、合計40点で採点する——ファミ通の「クロスレビュー」。90年代、地方でも都会でも、私たちはこの数字で週末の小遣いのゆく先を決めていました。点が高ければ安心、低ければ立ち読みで様子見。それだけじゃない。同じ作品に違う評価が並ぶことが、発売前から議論を生み、友だち同士の会話を熱くしたのです。

本編で追ってきた“雑誌が作る楽しみ方の設計図”という視点で見ると、クロスレビューは読者に「判断の型」を配布した仕組みでした。たった4つの短評と合計点。しかしそこには、画面写真よりも濃い情報——操作感、難易度、遊びの芯——が凝縮されていた。しかも当時は今よりずっと厳しめ。満点はおろか、35点以上でも「おっ」と声が出る。数字の重みが、発売日前の空気をピンと張らせていたのです。

この記事はサブカル文化史アーカイブの番外編として、クロスレビューの“初期”を振り返ります。どう始まり、どんな基準で語られ、どのタイトルが話題を攫ったのか。そして数字が、私たちの買い方・語り方・遊び方をどう変えたのか。次のセクションから、当時の誌面の空気をできるだけ具体的にたどっていきます。

クロスレビューの誕生(1986〜1987)

1986年、ゲーム雑誌の地図が大きく塗り替えられます。PC誌『LOGiN』の増刊号から独立するかたちで創刊したのが『ファミコン通信』(のちの『週刊ファミ通』)。創刊号は同年6月6日、当時まだ珍しかった隔週刊のペースで情報を届けるスピード感が支持を集めました。その数号後に登場したのが、のちに雑誌の代名詞となる「クロスレビュー」です。

方式はシンプル。4人の編集部員が0〜10点で採点し、その合計を40点満点で提示する。いまでは当たり前になったこのスタイルですが、実は当初は「SOFT天気予報」という星マーク形式を改良したもの。1986年10月31日号から正式にクロスレビュー方式へ移行し、誌面の核として機能しはじめました。

さらに注目すべきは、点数に基づく殿堂区分です。合計30〜31点で「シルバー」、32〜34点で「ゴールド」、35点以上で「プラチナ」。この区分は「買うべきかどうか」を読者に直感的に伝える仕掛けであり、まさに雑誌が設計した“購入判断の物差し”でした。

当時の厳しさを象徴するのが『ドラゴンクエストIII』(1988年)の38点。今でこそ満点作が珍しくありませんが、当時は35点を超えるだけで「大ニュース」になったほど。読者は「ドラクエIIIが38点!」という数字そのものに信頼を置き、発売日前から期待感を膨らませたのです。

一方で、初の満点40点は1998年『ゼルダの伝説 時のオカリナ』まで待たねばなりません。10年以上にわたって「満点は存在しない」という暗黙の了解が漂っており、その希少さが点数の重みを際立たせていました。

つまりクロスレビュー初期の本質は、ただの採点システムではなく、「数字に重みを持たせる」文化装置だったのです。雑誌が与えた点数は単なる目安を超え、子どもたちの購買行動や、放課後の会話にまで影響を及ぼしました。友達同士で「これ32点だったな」「あれは29点か、微妙だな」と語り合うこと自体が、ゲーム文化を共有する楽しみ方だったのです。

この“厳格さ”と“共通言語”の誕生こそが、クロスレビュー初期を特別な存在にしていました。次の章では、具体的な採点傾向や誌面の空気感をさらに掘り下げていきます。

初期の採点傾向と“空気感”

クロスレビュー創設期は、とにかく数字が渋い。4人×10点=40満点という仕組み自体は今と同じでも、当時は35点台がめったに出ないので、誌面に並ぶ「31点」「32点」という数字だけで読者の背筋が伸びました。レビュー方式そのものは“4人の合計40点方式で、創刊期からファミ通の看板に育っていきます。ウィキペディア+1

この“厳しさ”をさらに増幅したのが殿堂区分です。合計30–31点でシルバー、32–34点でゴールド、35点以上でプラチナという目安が誌面に明示され、数字がそのまま「買いのサイン」へと直結しました。つまり31点なら“様子見”、32点を超えたら“有力”、35点以上なら“ほぼ鉄板”という体感的な翻訳が自然に共有されていきます。くま組

象徴的なのが『ドラゴンクエストIII』の38/40。満点がまったく出ない時代において、この数字は事実上の頂点級で、発売前から“確勝”ムードを作った。点数と口コミが共鳴し、購買行動を前のめりにした好例です(販売的インパクトの背景として、DQIIIが88年当時に記録的な初動・週間を叩き出したことは広く知られています)。ウィキペディア

そして初の40/40達成が現れるのはずっと後年、1998年『ゼルダの伝説 時のオカリナ』。この“最初の満点”という出来事そのものがニュースになったことは、当時の満点の希少性を物語っています。誌面の実号(週刊ファミ通519号/1998年11月27日ごろ発売)での満点記録として語り継がれ、以降も満点は特別扱いのまま文化的な“事件”であり続けました。ウィキペディアResetEraReddit

この頃の読み味をもう少し具体化すると——短評は4つの“異なる視点”が肝でした。アクションの当たり判定やテンポを気にする人、物語性や世界観を推す人、難度バランスを計る人、技術面(ロード、処理落ち)を厳しく見る人。同じゲームでも採点の揺れが生まれるからこそ、読者は「平均点」だけでなく“内訳”を読む習慣を身につけた。これは後年のネット掲示板やSNSの「多視点レビュー文化」にもつながる、雑誌ならではの“議論の型”でした。(方式の基本はファミ通の公式説明・まとめ記事や百科事典的な参照に一致します)。ウィキペディア

また、殿堂ラベルの色分けは店頭体験にも食い込みます。ゲーム屋の棚で“プラチナ殿堂”のポップを見つける→会計へ、というオフライン導線が多発。数字→殿堂→購買という一連の行動モデルを、紙媒体が設計してしまったわけです(殿堂の閾値は上記の通り)。くま組

要するに、創設〜90年代前半のクロスレビューは、「点が出にくい」=数字が語る説得力を武器に、読者の週末と小遣いを動かしていました。だからこそ35点の重み、38点の驚き、そして40点の神格化が、いま思い出しても胸が高鳴る“空気”として残っているのです。

話題を呼んだ“あの点”とタイトルたち

「数字がニュースになる」——それがクロスレビュー初期の面白さでした。象徴的なのは『ドラゴンクエストIII』の38/40。発売前から雑誌面の数字が話題になり、発売日には都内だけでなく地方でも長蛇の列、初日100万本超・学生の“ドラクエ休み”で補導者が出るという社会現象にまで発展します。点数そのものが期待の“共通言語”になり、購買行動を押し出した好例でした。ウィキペディア

その一方で、満点の40/40は長く“幻”でした。クロスレビューが始まって十余年、初めて満点が出たのは1998年『ゼルダの伝説 時のオカリナ』。誌面そのものがニュース価値を持ち、「満点=到達点」という物語が一気に可視化されます。創刊(1986年)からの長い無満点期が、その重みをさらに増幅させました。Time Extensionウィキペディア

数字の“翻訳”を分かりやすくしたのが殿堂制度です。合計30–31点がシルバー、32–34点がゴールド、35点以上がプラチナ。誌面上のラベルはそのまま店頭ポップにも波及し、「プラチナ殿堂」=鉄板という記号が読者と小売の現場で共有されていきました。紙が購買導線の設計図になっていた時代性も、クロスレビューを語るうえで欠かせません。くま組

具体的な読み味で言えば、高得点=“みんな高い”ではないのが初期の特徴。4人の短評は役割がはっきり分かれ、同じタイトルでも「操作感」「テンポ」「難度」「技術面(ロードや処理落ち)」のどこに重心を置くかで点が割れることが多い。だから読者は合計点だけでなく“内訳”を読むようになり、「自分と相性の良いレビュワー」を見つけていきました。レビューの読み方そのものを雑誌が育てた、という意味でクロスレビューは批評リテラシーの学校でもあったのです(方式=4名×10点の合計40点という基本仕様)。ウィキペディア

また、“出にくい点”が作る物語も確かに存在しました。たとえば35点は誌面でひときわ目を引く“事件級”。38点ともなれば発売前から「これは来る」という空気が固まり、結果として行列・在庫不足・“友達の家で順番待ち”といった現象に接続される。数ヶ月後、初の満点40点が誌面を飾ったとき、私たちは“数字が文化になる瞬間”を目撃したわけです。Time Extension

さらに歴史を俯瞰すると、2000年代に入ってからの“満点の増加”という流れも見えてきます。黎明期の“カチカチに渋い”時代から、据置機の世代交代や市場の変調を背景に40/40が相対的に増える。この変化は海外メディアにも注目され、創刊から約20年での採点姿勢の変化が指摘されました。つまりクロスレビューは“固定的な物差し”ではなく、業界の空気とともに変化する指標でもあったのです。WIRED+1

ただ、初期を覚えている読者にとってのクロスレビューは、やはり“渋さ”がブランドでした。32点で胸が高鳴り、34点に期待が膨らみ、35点で「買い」を確信する。38点は放課後の会話を独占し、40点は誌面の格が1段上がる儀式のように受け止められた。数字は単なる評価ではなく、発売日前の週を生きるためのスケジュール表であり、友だちと交わす会話のトピック表でもあったのです。

こうして並べると、クロスレビュー初期の“話題作”とは、点数の高さだけでなく、点数がどんな会話と行動を生んだかで記憶されていることが分かります。店頭のポップ、貸し借りの約束、朝のHRで交わすひと言まで含めて——数字が文化を動かした。その起点となった誌面の設計(4人×10点、殿堂区分、短評の多視点)は、今見てもよくできた仕組みでした。次章では、そうした“仕組み”が実際の購買と口コミをどう変えたかを、もう少し具体的に追っていきます。

5. クロスレビューが“買い方・語り方・並び方”を変えた

クロスレビューは、誌面の中だけで完結しませんでした。数字と短評はそのまま行動の設計図になり、読者・友だち・お店の三者を同じリズムで動かしました。

① 店頭――殿堂がポップになる
誌面で見た「ゴールド/プラチナ」のラベルは、翌週にはゲーム屋の棚ポップとして再登場します。読者は「32=有力、35=鉄板」という身体化した基準を持って入店し、店側も同じ言語で背中を押す。数字→殿堂→ポップという翻訳の直通回路ができたことで、迷い時間が目に見えて短くなりました。

② 予約と初動――“発売日前の勝負”になる
金曜発売の週なら、水曜の放課後にはすでに会話の勝敗がついている。点が高いタイトルは予約枠が埋まり、低めの作品は“様子見組”が増える。クロスレビューは購入のトリガーを発売前に前倒しし、初動の山を高くする仕組みとして働きました。

③ 口コミ――短評の一行が燃料になる
「操作が気持ちいい」「中盤の失速」といった短評の断片は、そのまま放課後の口癖になります。数字が会話の起点になり、短評が具体を与える。点を盾にするだけでなく、「自分はここが刺さった」と異論を差し込む余地が残っていたのも、4人評の良さでした。

④ 貸し借り/中古相場――点が“流通速度”に影響
35点級は友だち間の貸し借りの回転が早く、店頭中古の回転率も上がる。反対に29〜31点の“境界線”タイトルは、刺さった人の私物化が起きやすい。数字は品質の絶対値ではなく、動きやすさ(流通速度)を指し示す指標として機能しました。

⑤ 自分の“相性表”ができる
4人の評者に得意/不得意があると気づいた読者は、「この人が推すACTは外さない」「この人のRPGは自分には重い」と、相性表を頭の中に作り始めます。平均点ではなく誰の何点かで読む習慣が、のちのネット時代の“キュレーション感覚”の前段になりました。

⑥ 「点低いけど刺さる」を見つける遊び
厳しめの土壌だからこそ、31点で大好きという体験が生まれます。短評の「世界観の粘り」「音の設計」など、合計点に埋もれがちな魅力を拾い上げ、少数派の歓喜を可視化する。数字があるからこそ、数字から外れる楽しさも育ちました。

⑦ 小売・読者・編集の“往復運動”
読者は点を持って店へ行き、店は殿堂ポップで応え、売れ行きの熱が次号の誌面でランキングや特集として再び還流する。紙がプロトコル(共通規格)となり、地域差や情報格差をまたいで同時代感を共有できた――これがクロスレビューの最大の発明だったのだと思います。

要するに、クロスレビュー初期は数字が文化を動かすレバーでした。買う・語る・貸す・並ぶ――そのすべてに、40点満点の目盛りが深く刻まれていたのです。

6. クロスレビューが残した文化的影響

振り返ってみると、クロスレビューは単なる「点数表」以上の役割を担っていました。数字に物語を与えたと言っても過言ではありません。


■ 点数が“共通言語”になった

90年代、ゲーム少年少女の会話は「昨日のファミ通読んだ?」「あれ、32点だったね」から始まることが多かった。点数は、都市と地方、友達同士、さらには世代をまたいで共有できる共通言語になりました。国語や算数の成績ではなく、**“クロスレビュー偏差値”**が会話を滑らかにする――そんな時代が確かに存在したのです。


■ 評価文化の芽生え

4人の評者が異なる視点から語る短評は、「評価には多面性がある」ことを自然に教えてくれました。
例えば「操作性は抜群、でもストーリーは平凡」といったコメントに触れることで、子どもたちは好き嫌いと品質評価を切り分ける感覚
を学んでいった。これは後のレビューサイトやSNSでの議論に直結する、批評リテラシーの基礎訓練だったといえます。


■ 紙媒体が作った“購買導線”

殿堂制度や点数ラベルは、そのまま店頭に持ち込まれ、ポップ文化を形成しました。ネット通販が一般化する前の時代、小売現場に雑誌の“声”が響いていたのは大きな特徴です。これは音楽雑誌のランキングや映画雑誌の星取表と同じく、紙が売り場を動かす力を象徴していました。


■ 希少さが作った神話性

初の満点が出るまでに12年。「40点=神話」という構図が長く続いたことで、数字に“憧れ”が宿りました。高得点のニュースは読者をわくわくさせ、低得点は逆に「隠れた名作発掘」へとつながる。数字がただの数値ではなく、期待や異論を抱き込む装置になったのです。


■ 遺伝子として残ったもの

いまやレビューはYouTubeやSNSで誰もが発信できる時代ですが、その「点数文化」の下地を作ったのは間違いなくクロスレビューでした。数字に一喜一憂し、短評の一行を噛みしめ、友達と論じ合ったあの時間。クロスレビューは、「遊ぶ前から遊ぶ」文化を確立したのです。


■ まとめ

クロスレビュー初期は、渋い採点と厳格な殿堂基準で、数字そのものに重みを与えました。点数は会話を生み、購買行動を動かし、批評の感覚を育てました。たとえ今、その権威が揺らいだとしても、あの頃の「32点に心が弾む」「38点に胸が震える」体験は、間違いなく90年代サブカル文化の記憶の一部です。

あの頃、金曜日の放課後は本屋かゲーム屋に直行した。まずめくるのはクロスレビューのページ。4人×10点=40点、その数字は地方にも都会にも同じ温度で届く“共通言語”だった。32点に胸が弾み、34点で期待がふくらみ、35点は小さな事件。欄外の短評——「操作が気持ちいい」「中盤の失速」——を暗記して、翌朝のHRや昼休みに披露する。店頭には“ゴールド”“プラチナ”のポップが並び、雑誌のページがそのまま購買導線になっていた。満点が遠い時代だったからこそ、38点の震えは忘れられない。数字は単なる結果ではなく、遊ぶ前から遊ぶための地図だった。巻き戻しの音、レジ袋のざらつき、友だちの手書きメモ。クロスレビューは、ゲームそのものと同じくらい、私たちの週末を輝かせていたのだと思う。

クロスレビューの数字に、一週間のドキドキを預けてたあの頃。——32点の輝き、まだ心に残ってる

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