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80年代〜2020年代の芸人勢力図|その時代を支配した芸人たちをTier表で振り返る

目次
  1. 80年代〜2020年代の芸人Tier表で見えてくる“時代の主役”とは
  2. 1980年代の芸人勢力図|「一家に一台のテレビ」が生んだ巨大スター
  3. 1990年代の芸人勢力図|第三世代がテレビの主役になった
  4. 2000年代の芸人勢力図|「冠番組のスター」から「番組を回せる芸人」へ
  5. 2010年代の芸人勢力図|再ブレイクとMC力、「誰が何を言うか」の時代
  6. 2020年代の芸人勢力図|テレビの外まで含めないと「今の人気」は見えない
  7. 「芸人としての格」と「その年代の勢い」を分けないと、このTier表は成立しない
  8. 同じSSでも、天下の取り方はまったく違う
  9. 1980年代と2020年代では、同じ「人気芸人」でも意味が違う
  10. 5つの年代を並べると、お笑い番組そのものの変化が見えてくる
  11. まとめ|芸人Tier表は「誰が一番面白いか」ではなく、時代を振り返る地図

80年代〜2020年代の芸人Tier表で見えてくる“時代の主役”とは

お笑い芸人の歴史を振り返って、「誰が一番すごかったのか」を決めようとすると、すぐに難しい問題にぶつかります。

萩本欽一、ザ・ドリフターズ、ビートたけし、明石家さんま、タモリ、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ナインティナイン、有吉弘行、千鳥――。

どこを切っても、その時代を代表する名前ばかりです。

しかし、萩本欽一とダウンタウンを同じ物差しで比べるのは無理があります。

1980年代には世帯視聴率40%を超えるバラエティ番組が存在しました。2020年代にはテレビだけでなく、TVer、YouTube、ラジオ、SNS、配信サービスまで芸人が活躍する場所そのものが広がっています。

「視聴率が高い=最強」とすることも、「テレビ出演本数が多い=最強」とすることもできません。

そこでこの記事では、歴代芸人の格付けではなく、その年代にどれだけ大きな勢力を築いていたのかという視点から、1980年代〜2020年代のお笑い界をTier表にして振り返ります。

評価材料として重視するのは、冠番組・レギュラー番組の強さ、テレビ出演量、視聴率、社会的な浸透度、その時代のバラエティへの影響、後の芸人への波及、そして当時感じられた勢いです。

そのため、芸人としての歴史的評価とTierが一致しない場合があります。

たとえばダウンタウンは1990年代ではSSですが、2010年代ではA。とんねるずも1990年代ではSS、2000年代ではAとしています。

これは「面白くなくなった」「格が落ちた」という意味ではありません。

すでに時代を作り終えて王者になった人物と、その10年間に新しく勢力を伸ばした人物を区別しているからです。

逆に2020年代では、設楽統、澤部佑、川島明のように、歴代芸人ランキングなら必ずしも最上位から名前が挙がるとは限らない人物をSSに置いています。

しかし「2020年代のテレビで、どれほど継続的に必要とされてきたか」という観点なら話は変わります。

この記事のTierは、偉人ランキングではありません。

その時代のお笑い界を上空から眺めるための勢力図です。

なお、2020年代だけはまだ途中です。2026年8月までの状況を反映した暫定評価として見てください。

また、マツコ・デラックスは厳密にはお笑い芸人ではありませんが、2010年代以降のテレビバラエティを考えるうえで外すことが難しいため、例外的に含めています。


1980年代の芸人勢力図|「一家に一台のテレビ」が生んだ巨大スター

1980年代のお笑い界を現在と同じ感覚で見ることはできません。

インターネットも動画配信もなく、テレビそのものが圧倒的なマスメディアだった時代です。

人気番組を家族で見て、翌日に学校や職場で同じ話をする。全国の視聴者が同じ時間に同じ番組を見ることが、まだ当たり前に成立していました。

実際、ビデオリサーチが公開している関東地区の芸能・バラエティ高世帯視聴率では、1981年2月21日の『8時だョ!全員集合』が47.6%、1983年6月22日の『欽ちゃんのどこまでやるの!』が42.0%、1982年7月26日の『欽ドン!良い子悪い子普通の子』が38.8%。さらに1987年11月21日の『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』も36.0%を記録しています。

今のテレビと単純比較するべき数字ではありませんが、「国民的番組」という言葉が比喩ではなかった時代です。

そして1980年代の面白さは、その巨大なテレビ文化の中で王者が一組だけではなかったことにあります。

前半には萩本欽一とザ・ドリフターズがいて、漫才ブームからビートたけしや明石家さんまが飛び出し、後半になると、とんねるずが若者文化を背負うようになります。

さらに水面下では、ウッチャンナンチャンやダウンタウンも動き始めていました。

Tier芸人・グループこの年代での位置づけ
SS萩本欽一、ビートたけし、明石家さんま、とんねるず80年代のテレビの空気を大きく動かした中心人物
Sザ・ドリフターズ、志村けん、タモリ、島田紳助第一線で巨大な存在感を持った人物
AB&B、ツービート、横山やすし・西川きよし、コント赤信号、片岡鶴太郎漫才ブームとバラエティの拡大を支えた層
Bウッチャンナンチャン、ダウンタウン、爆笑問題など90年代以降に巨大化する次世代

萩本欽一|視聴率40%台を出しながら複数番組を動かした「欽ちゃん」の時代

1980年代前半のテレビを振り返るなら、萩本欽一は避けて通れません。

『欽ちゃんのどこまでやるの!』が42.0%、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』が38.8%。さらに『欽ちゃんの週刊欽曜日』も1983年8月19日に31.7%を記録しています。いずれもビデオリサーチが現在公開している過去の高視聴率データに残っています。

これだけでも十分に異常な数字ですが、欽ちゃんの価値は「一つの大ヒット番組を持っていた」ことだけではありません。

複数の冠番組を同時に成立させ、番組によって形を変えながら家庭の中に入り込んでいました。

そこで繰り広げられていた笑いも、強烈な毒舌や派手な身体芸だけで押し切るものではありません。

共演者や一般参加者の思わぬ言動を拾い、それを番組の面白さに変えていく。本人がすべての笑いを奪うのではなく、周囲から人気者を作っていくところにも特徴がありました。

テレビが家族で見る娯楽だった時代、この柔らかさは非常に大きな武器だったはずです。

後世の目線で見ると、萩本欽一は単純な「芸人」というより、司会者、演出家、プロデューサー的な役割まで一人で背負ったテレビスターに近く見えます。

1980年代全体で見れば後半には勢力図が変わっていきますが、前半の支配力を考えればSSから外す理由はありません。

ザ・ドリフターズと志村けん|70年代の王者は80年代に入っても終わっていなかった

一方、数字だけで考えるなら、ドリフをSSに置かないことに違和感を持つ人もいるでしょう。

その感覚はもっともです。

『8時だョ!全員集合』は1969年10月から1985年9月まで約16年間続き、TBSは最高世帯視聴率50.5%を記録した番組として紹介しています。全803回。TBSチャンネルでも「怪物番組」と紹介されるほどの存在でした。

しかも、1980年代に入ってからも1981年2月21日に47.6%を記録しています。

つまり、「ドリフは70年代の人たちだから80年代では一段下」という単純な話ではありません。

80年代前半にも、とてつもなく強かった。

今回Sにしたのは、この記事がキャリア全体の格ではなく、その年代で新たに勢力を広げた動きも重視しているためです。

『全員集合』は80年代半ばに終了しますが、志村けんはそこからさらに個人として残りました。

1987年の『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』は世帯視聴率36.0%を記録しています。ドリフという巨大な看板が終わっても、志村けんというスターは終わらなかったわけです。

後に『志村けんのだいじょうぶだぁ』などへ続いていくことを考えても、これは重要な点でしょう。

1980年代のドリフを「前時代の王者」とだけ表現すると実態を見誤ります。

正確には、前の時代から続く王者が、次の時代のスターたちと同時に存在していた

この重なりこそ1980年代の面白さです。

ビートたけし|漫才ブームから飛び出し、芸人が行ける場所そのものを広げた

ビートたけしは、ツービートとして漫才ブームの中心へ入り、そこからテレビタレントとして急速に領域を広げました。

萩本欽一やドリフの番組にあった家族的な安心感と比べると、たけしの笑いにはもっと荒っぽい部分があります。

言葉が鋭く、時に危うく、どこまで本気なのか分からない。

しかし、それだけではありません。

たけしが後に長期間第一線に残ることができた理由を考えると、単に毒舌だったからでは説明できません。

司会、トーク、クイズ、情報番組、さらに映画へと活動範囲を広げ、「芸人が笑いだけに留まる必要はない」という姿を結果として示していきました。

1980年代前半の漫才ブームを入口にしながら、その後のテレビ芸人像を大きく広げた一人です。

萩本欽一が家庭の中で成立するテレビスターの完成形だったとすれば、たけしはテレビの外側にまで芸人の存在感を広げていくタイプでした。

同じSSでも、評価している理由はまったく違います。

明石家さんま|「番組」より先に「しゃべり」が武器になる

明石家さんまも1980年代に大きく伸びた一人です。

さんまの場合、特定のキャラクターや一本の代表番組だけで説明しにくいところがあります。

誰かの発言を拾い、話を膨らませ、少し角度を変えて笑いにし、次の話題へ持っていく。

この能力は、テレビバラエティの形式が変わってもほとんど腐りません。

コント中心の番組でも使える。トーク番組でも使える。大人数の出演者がいる番組でも、ゲスト一人を相手にしても成立する。

『オレたちひょうきん族』などを通して80年代に存在感を高めたさんまが、その後90年代、2000年代、2010年代まで第一線であり続けた理由の一端はここにあります。

「80年代に売れた芸人」というより、80年代にテレビとの異常な相性の良さが表面化した、と考えた方が近いかもしれません。

後の時代になるほどバラエティはトーク中心になっていきます。

その意味では、さんまが早い段階で持っていた能力にテレビの側が近づいていった、と見ることもできます。

とんねるず|80年代後半、テレビに「若者側の空気」が流れ込んだ

1980年代のTierで、とんねるずをSSに置くのは最も意見が割れやすいでしょう。

10年間を均等に評価すれば、「Sの方が自然ではないか」という考え方も成立します。

それでもSSとしたのは、80年代後半に起きた変化を重く見たからです。

とんねるずがテレビへ持ち込んだのは、完成された芸を客に披露する古典的なスター像とは少し違うものでした。

学校で目立つ人、部活の先輩、仲間内の悪ふざけ。

そうした若者の身近なノリを、そのままテレビの大きな画面へ持ち込んだような勢いがあります。

1989年3月30日の『とんねるずのみなさんのおかげです 春休みスペシャル』は29.5%を記録し、ビデオリサーチの芸能・バラエティ高世帯視聴率一覧にも入っています。

80年代後半から始まったこの勢いは、そのまま90年代へ流れ込みます。

「80年代で最も長く天下を取ったのは誰か」と聞かれれば別の答えになるでしょう。

しかし「80年代の終わりに、次のテレビを最も強く感じさせたのは誰か」という問いなら、とんねるずはかなり上位に来ます。

タモリ|毎日そこにいること自体が巨大な力になった

タモリの1980年代は、他のSS・S勢とは少し違います。

何か一つの大ブームを巻き起こすというより、テレビの日常へ入り込んでいきました。

『笑っていいとも!』は1982年10月4日に放送を開始し、2014年3月31日まで続きました。フジテレビの公式資料でも、この放送期間が確認できます。

今振り返れば32年間という異常な長寿番組ですが、当然ながら1980年代にはまだその未来は分かりません。

当時起きていたのは、それまで深夜番組のイメージも強かったタモリが、平日正午の顔になっていく変化です。

春休みや夏休み、学校を休んだ日、会社の昼休み。

テレビをつければタモリがいる。

スターでありながら、日常の背景にもなっていく珍しいポジションでした。

大声や過激な企画でテレビを支配するタイプではなくても、「毎日いる」というのはそれだけで途方もなく強い。

後の時代まで考えれば、タモリのキャリアを支えた大きな柱が1980年代に完成し始めています。

島田紳助とA Tier勢|漫才ブームはテレビ芸人の入口を広げた

島田紳助は紳助・竜介として漫才ブームの中で注目され、その後、コンビ解散を経て司会・トークへ比重を移していきます。

後年の『行列のできる法律相談所』や『クイズ!ヘキサゴンII』で見せたMCとしての圧倒的な存在感はまだ先の話ですが、「言葉で場を組み立てる」能力は早くから目立っていました。

感覚的に笑いを起こすというより、状況を分析し、相手の特徴を見つけ、話の筋道そのものを笑いへ持っていく。

さんまやたけしとはまた違う司会者像です。

A Tierに置いたB&B、ツービート、横山やすし・西川きよしらは、1980年代初頭の漫才ブームを抜きに語れません。

漫才が演芸番組だけのものではなく、若者が熱狂するテレビコンテンツとして扱われるようになり、そこから多数のタレントがバラエティへ流れ込んでいきました。

コント赤信号や片岡鶴太郎も、『オレたちひょうきん族』をはじめとする80年代バラエティの空気を支えた存在です。

個々の歴史的評価ならさらに細かく分ける必要がありますが、このTierでは「80年代全体の主役だったか」という基準でAとしています。

ダウンタウンとウンナンは、すでに次の時代へ向かっていた

B Tierにはウッチャンナンチャン、ダウンタウン、爆笑問題などを置いています。

このBを低評価と受け取ると、表の意味が変わってしまいます。

彼らは1990年代以降に巨大な存在になりますが、80年代の段階ではまだ「全国のお茶の間を10年間支配した層」ではありません。

むしろ面白いのは、80年代の王者たちが活躍している裏で、次の時代の顔ぶれがすでに動いていたことです。

一つの世代が突然終わり、翌日から新しい世代に入れ替わったわけではありません。

欽ちゃんやドリフがいて、たけし・さんまがいて、とんねるずが伸び、その同じ時間の中にダウンタウンやウンナンもいた。

テレビの歴史は、こうした世代の重なりで動いています。

1980年代を振り返ると「家族のテレビ」だけでは終わらない

1980年代をひと言で説明するなら、テレビがまだ家族全員の巨大な娯楽だった一方で、若者向けの笑いが急速に力を持った10年間です。

前半の萩本欽一とドリフ。

漫才ブームから現れたたけしとさんま。

昼の帯番組に定着したタモリ。

後半から急上昇したとんねるず。

そして、その背後にいるダウンタウンとウッチャンナンチャン。

同じ1980年代でも、1980年と1989年ではテレビの風景がかなり違います。

その変化が、そのまま1990年代の「第三世代の時代」へつながっていきます。


1990年代の芸人勢力図|第三世代がテレビの主役になった

1990年代に入ると、1980年代の終盤に見え始めていた世代交代が一気に表面化します。

この時代の中心としてまず名前が挙がるのは、ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャンでしょう。

同じ「第三世代」とまとめられることが多い3組ですが、実際の売れ方も芸風もかなり違います。

だからこそ面白い。

ダウンタウンを好きだった人と、とんねるずを追っていた人と、ウンナンの番組を見ていた人では、同じ90年代を過ごしていても「テレビの中心」の記憶が違うはずです。

Tier芸人・グループこの年代での位置づけ
SSダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャン90年代バラエティを象徴する3組
S明石家さんま、タモリ、ナインティナイン、爆笑問題前世代の第一人者と後半に伸びた次世代
A今田耕司、東野幸治、出川哲朗、キャイ〜ン、ネプチューン、ココリコ人気番組を支え、2000年代へつながった層
B雨上がり決死隊、ロンドンブーツ1号2号、さまぁ〜ず、海砂利水魚など2000年代に大きく伸びる前段階

ダウンタウン|若者にとって「何が面白いか」まで変えていった

1990年代のダウンタウンをSSから外すのは難しいでしょう。

それは人気番組を何本持っていたかという話だけではありません。

『ダウンタウンのごっつええ感じ』『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』『ダウンタウンDX』『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』など、番組のジャンルをまたぎながら存在感を広げました。

中でも『ごっつええ感じ』は、ゴールデンタイムでコントを軸にしながら、誰にでもすぐ理解できる笑いだけには寄せない部分がありました。

不条理な設定、妙に間の長い展開、キャラクターの気持ち悪さ、松本人志の発想、浜田雅功の反射的なツッコミ。

視聴者に「ここで笑ってください」と分かりやすく提示するより、見ている側が笑いを発見するような作りも多い。

この感覚は若い世代に強く刺さりました。

さらに重要なのが、後に続く芸人への影響です。

人気芸人になっただけなら、同時代にも多数います。

ダウンタウンの場合、その後「芸人になりたい」と考える若者たちが、彼らを基準の一つとして見るようになった。

芸人が芸人から憧れられる存在として巨大化した点まで含め、90年代のSSとしました。

とんねるず|芸人というより「テレビスター」と呼びたくなる華やかさ

90年代のとんねるずには、ダウンタウンとは違う種類の強さがありました。

コントの面白さだけを競っているようには見えません。

俳優、歌手、アイドル、スポーツ選手まで番組の中へ巻き込み、テレビそのものを巨大な遊び場にしてしまう。

その華やかさが強烈でした。

『とんねるずのみなさんのおかげです』ではパロディコントやキャラクター企画が次々に生まれ、音楽活動まで含めてテレビの外へ話題が広がっていきます。

1989年には同番組のスペシャルが29.5%を記録しており、その勢いを持ったまま90年代へ入りました。

とんねるずの番組には、「こんなことまでテレビでやれるのか」という豪快さがあります。

今では出演者として成立しにくいような大物スポーツ選手や人気俳優まで、芸人のホームグラウンドへ引き込んでしまう。

こうしたスター性は、後年の芸人MCとは少し違います。

ダウンタウンが笑いの基準へ強く影響したなら、とんねるずは「テレビスターとは何か」を90年代型へ更新したコンビだったと言えるでしょう。

ウッチャンナンチャン|コントから大型企画まで、二人の違いが武器になった

ウッチャンナンチャンも90年代のSSです。

内村光良と南原清隆には、ダウンタウンのような尖りとも、とんねるずのような豪快なスター感とも違う魅力がありました。

コントをやればしっかり作り込み、企画番組では若手やタレントを巻き込み、視聴者が入りやすい空気を作る。

コンビ二人のキャラクターが違うことも強みでした。

内村は後にコント、映画、企画、若手との番組で独自の立場を築き、南原は情報番組や司会へ進んでいきます。

90年代の時点では、まだその後の分岐を完全に予測できるわけではありません。

それでも、ウンナンの番組にあった「仲間と何かに挑戦する」「出演者全体を含めて愛着を持たせる」作りは、その後のテレビへかなり長く残りました。

誰か一人の天才性だけを見るのではなく、番組というチーム全体を好きにさせる。

その意味で、ウンナンは90年代テレビの重要な型を作った一組です。

さんまとタモリは世代交代の中でも消えなかった

第三世代が大きくなったからといって、80年代の主役が全員退場したわけではありません。

明石家さんまは90年代にも第一線です。

むしろテレビがトーク中心へ向かうほど、さんまの能力は使いやすくなっていきました。

ゲストが変わっても、企画が変わっても、会話さえあれば番組を動かせる。

流行の芸風に乗る必要がないため、世代交代の影響を受けにくいタイプでもあります。

タモリも同様です。

『笑っていいとも!』は90年代を通じても昼の帯番組として続いていました。

その頃には「タモリが司会をしている番組」が特別な出来事というより、昼になればタモリがいること自体が日本のテレビの日常になっています。

新しい時代を爆発的な勢いで奪った存在ではないためSSにはしていませんが、世代交代の大波の中でSに残ること自体が異常な継続力です。

ナインティナイン|90年代後半に次の若者テレビが始まった

90年代後半になると、第三世代よりさらに下の世代からナインティナインが急速に存在感を高めます。

その象徴が1996年に始まった『めちゃ×2イケてるッ!』です。

同番組は2018年まで続き、フジテレビが2017年に公開した資料では、その時点で717回を放送。番組平均視聴率14.4%、歴代最高33.2%を記録していました。最高値は2004年10月9日のスペシャルです。

つまり『めちゃイケ』の最盛期は2000年代にもかかります。

90年代のナインティナインは「完成された王者」というより、その次の時代が始まる瞬間に近い。

特に岡村隆史の身体性は、90年代後半から2000年代の若者向けバラエティと非常に相性が良いものでした。

踊る、走る、挑戦する、失敗する。

芸人がスタジオで面白いことを言うだけでなく、本人の努力や無茶そのものが長期企画になります。

ダウンタウン、とんねるず、ウンナンの後に「次は誰か」となったとき、ナインティナインが有力な答えになり始めたのが90年代後半でした。

爆笑問題|漫才師のまま、テレビで扱えるテーマを広げた

爆笑問題も90年代後半から存在感を強めます。

太田光の言葉には毒があり、時事や社会にも踏み込む。

一方の田中裕二は、暴走しそうな話を受け止めながら番組として成立させる。

この組み合わせによって、漫才師でありながら通常のバラエティだけではない場所にも入っていけました。

2000年代になると、その特徴はさらに明確になります。

90年代の段階ではダウンタウンやとんねるずと同じ規模で時代を支配したとは考えにくいためSですが、「次の10年間でさらに大きくなる」という意味ではナインティナインと並んで重要な存在です。

今田、東野、出川、キャイ〜ン、ネプチューン、ココリコ――90年代は主役以外も厚かった

90年代のテレビをTier上位だけで語ると、実際の番組の豊かさが見えなくなります。

今田耕司、東野幸治、出川哲朗、キャイ〜ン、ネプチューン、ココリコ。

このあたりの顔ぶれは、必ずしも「90年代を代表する一番手」ではありません。

しかし当時の人気番組を振り返ると、至るところで名前が出てきます。

今田と東野はダウンタウン周辺の番組から存在感を高め、後に司会者として独立したポジションへ進みます。

出川哲朗は体を張る芸人の代表格として、好感度という意味では後年とかなり違う位置にいながらも、番組に必要とされ続けました。

ネプチューンやココリコは若い世代としてゴールデン番組へ入り、その後2000年代にも残っていきます。

キャイ〜ンも含め、「一つ下の世代」がすでに厚い。

これが90年代後半のテレビの強さでした。

1990年代は第三世代の完成期であり、2000年代の準備期間でもあった

90年代のお笑い史は、ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャンの時代として語ることができます。

ただ、それだけでは半分です。

さんまとタモリがまだ強い。

ナインティナインと爆笑問題が伸びる。

今田、東野、出川、ネプチューン、ココリコがいる。

さらに下には、雨上がり決死隊、ロンドンブーツ1号2号、さまぁ〜ず、海砂利水魚らが控えていました。

つまり90年代の後半には、2000年代の主要人物までほぼ揃い始めています。

黄金期と呼ばれる時代が面白いのは、一人の大スターがいるからではありません。

同じ時代に何世代もの強者が重なっているからです。


2000年代の芸人勢力図|「冠番組のスター」から「番組を回せる芸人」へ

2000年代になると、バラエティ番組の作りがさらに多様になります。

コント、ロケ、トーク、クイズ、雑学、ドッキリ、恋愛企画、ひな壇。

芸人に求められる仕事も増えました。

自分自身が爆笑を取るだけでなく、複数の出演者をまとめる。ゲストの話を引き出す。VTRを見ながらコメントする。番組の流れを崩さず、それでも笑いを作る。

こうした能力が以前よりはっきり評価されるようになります。

Tier芸人・グループこの年代での位置づけ
SSナインティナイン、爆笑問題、くりぃむしちゅー2000年代に勢力を大きく広げた中心層
Sダウンタウン、明石家さんま、ロンドンブーツ1号2号、雨上がり決死隊、ネプチューン王者の継続と企画番組の中心人物
Aとんねるず、タモリ、ウッチャンナンチャン、さまぁ〜ず、ココリコ、今田耕司、東野幸治第一線の重要ポジションを維持
Bアンタッチャブル、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、タカアンドトシ、次長課長、フットボールアワー賞レースやネタ番組から急伸した層

ナインティナイン|『めちゃイケ』が2000年代の青春番組になった

2000年代のナインティナインを語るなら、『めちゃイケ』の存在は外せません。

2004年10月9日のスペシャルは33.2%。これはビデオリサーチの芸能・バラエティ高世帯視聴率でも上位に入る数字です。

しかし、『めちゃイケ』が長く記憶されている理由は数字だけではないでしょう。

岡村隆史がダンスやスポーツなどに挑むオファーシリーズ、中居正広との日本一周、抜き打ちテストなど、企画自体が視聴者の記憶に残っています。

面白いのは、バラエティなのに時折ドキュメンタリーのようになるところです。

岡村が本気で練習し、失敗し、最後に成功する。あるいは出演者同士の関係性を長期間追いかける。

視聴者側にも「番組のメンバーと一緒に年を取っている」ような感覚が生まれました。

これは単発のコントやトークとは違う強さです。

2000年代の若い視聴者にとって、『めちゃイケ』は笑う番組であると同時に、一種の青春番組でもありました。

ナインティナインをSSにした最大の理由です。

爆笑問題|お笑いと時事・教養の境界を行き来した

2000年代の爆笑問題には、他の人気コンビと明確に違う場所がありました。

太田光の毒や批評性と、田中裕二の安定した受け。

この二人なら、お笑い番組だけでなく、ニュース、時事、雑学、教養的なテーマまで扱えます。

テレビ側の番組ジャンルが細分化していく中で、この幅は非常に強い武器でした。

爆笑問題は「漫才をやめて司会者になった」のではありません。

漫才師としての言葉の強さを残したまま、扱うテーマを広げていった。

ここが重要です。

芸人が政治や社会について話すことの是非は、その後も繰り返し議論されます。

しかし少なくとも、2000年代のテレビで「芸人がこういう番組にいてもおかしくない」という範囲を広げた一組として、爆笑問題の存在は大きかったと考えます。

くりぃむしちゅー|海砂利水魚からMCの中心へ

2000年代の「伸び幅」で考えると、くりぃむしちゅーは特に目立ちます。

90年代には海砂利水魚として活動していた二人が、改名後にテレビで急速に存在感を高めました。

上田晋也は、ツッコミの瞬発力だけでなく、番組を整理する能力が高い。

話が脱線すれば戻し、ゲストをいじりながらも進行し、必要なら自分で笑いを取る。

有田哲平は、正反対に見える遊びの部分を担えます。

深夜番組の悪ふざけにも入れるし、キャラクターを演じることもできる。

この組み合わせによって、くりぃむしちゅーは深夜の濃いバラエティとゴールデンのMC仕事を行き来できました。

2013年のニホンモニター調査でも、有田哲平がゴールデン帯出演204本で1位、上田晋也が203本で2位となっており、後の時代までゴールデン番組で重用されることになります。

2000年代は、そのポジションを築いた10年間でした。

ダウンタウンとさんま|新王者が増えても中心から動かない

ダウンタウンを2000年代でSとしたのは、評価を下げたからではありません。

90年代ほど「今まさに新しい笑いを作っている」という伸び方ではなくなった一方で、すでにテレビ界の基準に近い位置へ移っています。

『ダウンタウンDX』『ガキの使いやあらへんで!』などが続き、個人でも多数の番組を持つ。

これは普通の「勢いが落ちた芸人」の状態とは違います。

時代を追いかける側ではなく、若手から追われる側へ移ったと考えた方が近いでしょう。

明石家さんまも同じです。

2000年代になってもトーク中心の番組で圧倒的な存在感を維持しました。

次々に新しい芸人が出てくるのに、さんまが古く見えない。

これは、特定のフォーマットより「会話そのもの」を武器にしてきた芸人ならではの強さです。

ロンブーと雨上がり決死隊|芸人同士の関係性が番組になる

2000年代らしさを考えるうえで、ロンドンブーツ1号2号と雨上がり決死隊は面白い存在です。

『ロンドンハーツ』では芸人やタレントの関係性そのものを企画化し、『アメトーーク!』では共通するテーマを持った芸人を集め、トークによって魅力を掘り出していきました。

ここでは、MC本人が毎回最も面白い必要はありません。

「この人とこの人を並べたら何が起きるか」を設計し、出演者の魅力を引き出すことが番組の価値になります。

後のひな壇バラエティやテーマトーク番組につながる重要な変化です。

多くの若手芸人にとって、こうした番組に呼ばれること自体がブレイクへの入口になりました。

テレビ番組が芸人をスターにするだけでなく、芸人が芸人を発掘する場所にもなっていったわけです。

とんねるず、ウンナン、タモリがAでも「落ちた」という意味ではない

このTierで最も説明が必要なのが、過去のSS勢です。

2000年代のとんねるずをAに置いていますが、もちろん第一線から消えたわけではありません。

『とんねるずのみなさんのおかげでした』を中心に、テレビスターとしての存在感は続いていました。

しかし、テレビ全体の流れを見ると、90年代のように「とんねるず的なテレビ」が新しい時代を作っている最中ではなくなります。

ウッチャンナンチャンもコンビ活動だけで見ると以前とは形が変わりますが、内村光良、南原清隆がそれぞれ別方向で長く残ります。

タモリも『笑っていいとも!』が続いており、昼の顔であり続けました。

Aという文字だけを見ると低く感じます。

しかし、この表でのAは「大物ではない」という意味ではありません。

すでに完成したポジションを保っている人と、その10年間に勢力を急拡大した人を分けています。

M-1が若手芸人の景色を変えた

2000年代のお笑い界を語るうえで、M-1グランプリの存在は非常に大きいでしょう。

2001年に始まったM-1は、若手漫才師に全国的な注目を一夜で集めるルートを作りました。

フットボールアワー、アンタッチャブル、ブラックマヨネーズ、チュートリアルなど、後にテレビで活躍するコンビが王者となっています。

賞レース以前にも若手芸人がブレイクする道はありました。

しかしM-1以降は、「決勝に出る」「優勝する」という出来事が、翌年以降の出演へ直結する構造がより明確になりました。

ネタの実力がテレビタレントとしての入口になる。

この仕組みは2020年代になっても続いています。

2000年代のB Tierに賞レース組が多いのは、この時代に新しいスター誕生ルートが整ったことの表れです。

2000年代は「自分が面白い」だけでは足りなくなった

90年代の人気芸人には、本人が画面に出た瞬間に空気を変えるスター性が強く求められました。

2000年代になると、それに加えて「番組を成立させる能力」の重要性が増します。

上田晋也が司会をし、雨上がり決死隊が芸人を並べ、ロンブーが関係性を企画にし、今田耕司や東野幸治がどんな現場にも対応する。

こうした芸人が強くなったのは偶然ではありません。

テレビ番組の種類が増え、芸人に求められる仕事そのものが増えたからです。

そして、この傾向は2010年代にさらに強まります。


2010年代の芸人勢力図|再ブレイクとMC力、「誰が何を言うか」の時代

2010年代になると、テレビのお笑いはまた違う局面へ入ります。

視聴率だけを見て「一番売れている芸人」を決めることが難しくなり、出演本数、MCとしての安定感、コメント力、好感度、ネットでの話題など、複数の要素を見る必要が出てきました。

また、この時代は新人だけが主役になったわけではありません。

一度ブームを経験した有吉弘行が再び上昇し、芸人ではないマツコ・デラックスがバラエティの中心へ入り、バナナマンやオードリーが長期間テレビに定着します。

2010年代後半には千鳥が急上昇。

「若いスターが現れて世代交代」という昔ながらの図式では説明しにくい時代です。

Tier芸人・タレントこの年代での位置づけ
SS有吉弘行、マツコ・デラックス、バナナマン、オードリー、千鳥2010年代に大きく勢力を広げた中心層
Sくりぃむしちゅー、サンドウィッチマン、博多華丸・大吉、山里亮太、後藤輝基MC・コメント・好感度など異なる武器で定着
Aダウンタウン、明石家さんま、ナインティナイン、今田耕司、東野幸治、小峠英二、ハライチ第一線を維持した大物と番組常連
B吉村崇、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、ピース、パンサー、メイプル超合金、霜降り明星ブレイクや賞レースを経て存在感を高めた層

有吉弘行|「再ブレイク」の先にMCという第二の頂点があった

有吉弘行のキャリアは、2010年代のお笑い界を象徴する存在の一つです。

猿岩石で一度大きく売れ、その後テレビ出演が減り、そこから再び上がってきた。

ここまでなら「再ブレイクした芸人」で終わります。

しかし有吉は、その先へ行きました。

ニホンモニターの2011年番組出演本数ランキングでは499本で年間1位。2013年にも533本で総合3位に入っています。

つまり、一時的に毒舌キャラクターが当たっただけではありません。

大量の番組へ呼ばれる状態を作り、その後、ひな壇側からMC側へ移っていきました。

有吉の毒舌には、単純に相手を傷つけることだけを目的にしていない独特の距離があります。

言葉は強いのに、本人まで熱くなりすぎない。

視聴者が薄々感じていることを、少し過激な形で代弁する。

この冷めた観察者のような立ち位置は、2010年代のテレビと相性が良かったのでしょう。

さらに長く残ったことで、「毒舌芸人」という最初のイメージそのものを超えていきました。

再ブレイクからテレビの中心へ戻り、そこから司会者として定着する。

2010年代のSS筆頭に置いた理由です。

マツコ・デラックス|芸人ではなくても、この時代のバラエティから外せない

マツコ・デラックスは芸人ではありません。

そのため「芸人Tier表に入れるのはおかしい」という指摘は当然成立します。

それでも今回は例外として入れました。

2010年代のバラエティを振り返ったとき、マツコを除外すると時代の重要な部分が欠けるからです。

『マツコ&有吉の怒り新党』『月曜から夜ふかし』『マツコの知らない世界』など、性格の違う番組で中心人物になりました。

マツコの場合、大掛かりな企画がなくても成立します。

知らない世界について話を聞く。街について語る。食べ物を食べる。一般人の言動を面白がる。

そこで何を言うかを視聴者が見に来る。

「企画が面白い番組」から、「この人がその企画をどう見るのかが面白い番組」へ。

2010年代には、このタイプのバラエティが非常に強くなりました。

マツコはその象徴の一人です。

バナナマン|コント師から「毎日テレビにいる人」へ

バナナマンは、2010年代にテレビでの位置を大きく変えました。

もともとコント師として評価されていたコンビですが、2010年代になると、とりわけ設楽統のテレビ出演量が目立つようになります。

2013年のニホンモニター年間ランキングでは、設楽統が615本で1位。前年2012年に続く連覇でした。

2019年にも526本で年間2位。若林正恭428本、春日俊彰398本と比べても、非常に高い出演量を維持しています。

設楽が2012年から『ノンストップ!』のメインキャスターを務めていることも大きいでしょう。フジテレビも番組開始時に設楽をメインキャスターとして発表しています。

一方の日村勇紀は、設楽と同じMC型ではありません。

身体を使った企画、食、ロケ、リアクションなど、別方向の親しみやすさがあります。

二人が同じタイプではないからこそ、コンビ仕事と個人仕事の両方が成立しました。

深夜で尖ったコントをしていたコンビが、その芸人らしさを完全に捨てずに、お茶の間へ入っていく。

2010年代のバナナマンは、この変化が特に成功した例です。

オードリー|一発のブレイクで終わらず、10年間かけて別々の強みを伸ばした

オードリーは2008年のM-1グランプリをきっかけに全国的に知られるようになり、2010年代に入る時点ですでに人気者でした。

問題は、その人気をどれだけ続けられるかでした。

結果を見ると、驚くほど長く続いています。

ニホンモニターの2010年調査では、オードリーが507本で年間出演本数1位。

そして2019年にも、若林正恭が428本で男性部門5位、春日俊彰が398本で10位に入っています。

10年間の入口と出口の両方に数字が残っているのは大きい。

しかも、二人は同じ方向に成長したわけではありません。

若林は司会、トーク、エッセイ的な言語化や分析へ。

春日はキャラクター、ロケ、身体を使う企画、クイズやチャレンジへ。

さらにラジオでは、テレビとは違う濃いファンとの関係を築いていきました。

一つのキャラクターで10年間乗り切ったコンビではなく、それぞれ別々の武器を増やしながらコンビも続いている。

オードリーを2010年代SSとする理由は、瞬間最大風速よりこの継続力にあります。

千鳥|2010年代後半の伸び方だけなら最上位クラス

千鳥を2010年代SSに入れるかは、かなり迷うところです。

2010年代前半から10年間ずっと中心にいたわけではありません。

しかし、後半の伸び方があまりにも大きい。

ニホンモニターの2017年ブレイクタレント調査では、千鳥は前年162本から337本へ増加。175本増となっています。

この頃から「関西ではすでに有名な実力派」という位置から、全国ネットのバラエティで頻繁に見るコンビへ変わっていきました。

千鳥の特徴は、東京のテレビへ進出したからといって、もともとの癖を完全に消さなかったことです。

大悟の荒っぽさや独特の例え、ノブの方言を生かしたツッコミ。

全国向けに調整されながらも、均一なテレビタレントにはならなかった。

この個性が、2020年代にはさらに大きな武器になります。

2010年代の千鳥は、完成期というより上昇期。

だからこそ「その年代の勢い」を見るこのTierではSSに置きました。

くりぃむ、華大、サンド――「信頼して任せられる」ことが価値になった

S Tierには、2010年代のテレビが何を求めるようになったのかが表れています。

くりぃむしちゅーは2000年代に伸び、2010年代にはMCとして完全に定着しました。

博多華丸・大吉も全国的な人気を高め、2018年にはNHK『あさイチ』の新司会へ。

サンドウィッチマンもM-1優勝後の勢いを一過性にせず、ロケ、トーク、情報系、家族向け番組まで活動範囲を広げました。

この層の共通点は、番組側から見たときに「安心して任せられる」ことです。

これは笑いが弱くなったという意味ではありません。

出演者を傷つけすぎない。一般人とのロケが成立する。情報を扱える。俳優やアイドルがゲストでも番組を壊さない。

2010年代になると、こうした能力がより大きな価値を持つようになります。

山里亮太と後藤輝基|ツッコミは「止める」仕事から「広げる」仕事へ

南海キャンディーズの山里亮太とフットボールアワーの後藤輝基も、この時代のテレビに適応したタイプです。

二人ともツッコミ側ですが、単にボケを訂正するだけではありません。

誰かの奇妙な発言を言葉にして整理し、さらに笑いを足す。

視聴者が「今の何がおかしいんだろう」と感じた部分を、瞬時に説明してくれるような役割です。

出演者が多くなるほど、この技術は重要になります。

ひな壇番組では、全員が好き勝手に話せば番組になりません。

誰かが交通整理をしながら、それを笑いにしなければならない。

2010年代に「ツッコミがMCへ進む」ルートが強くなった背景には、こうしたテレビの構造変化もあったように思います。

ダウンタウンやさんまがAなのは、2010年代に弱かったからではない

ここはTier表の中で最も誤解されやすいところです。

ダウンタウン、明石家さんま、ナインティナインをAにしています。

芸人としての格を並べるなら、かなり不自然でしょう。

しかし、この年代に「新しく伸びた勢力」を見ようとすると、有吉、マツコ、バナナマン、オードリー、千鳥の動きが目立ちます。

ダウンタウンやさんまは、その時点ですでに巨大な存在でした。

若手が追い抜いたというより、そもそも競争しているステージが違います。

2010年代のダウンタウンも第一線にいる。

さんまも第一線にいる。

それでもあえてTierを分けるのは、世代交代や上昇の動きを見えやすくするためです。

すべての年代でレジェンドをSSにしてしまえば、「その10年間に何が起きたのか」が見えなくなってしまいます。

霜降り明星の登場で、2010年代の最後に次世代が見えた

2010年代の終盤には、さらに次の世代が見え始めました。

その代表が霜降り明星です。

2018年のM-1グランプリ優勝後、2019年のニホンモニター「ブレイクタレント」では、前年59本から307本へ増加。248本増でトップとなっています。

粗品とせいやがともに若く、ラジオ、YouTube、ゲーム、音楽などテレビ外との接続も強い。

これは2020年代に芸人が置かれる環境を先取りするような存在でもありました。

2010年代の終盤には、もはやテレビだけを見て芸人の人気を測ることが難しくなり始めています。

2010年代は「この企画を見る」から「この人が何を言うかを見る」へ

もちろん、昔から芸人本人を目当てに番組を見る文化はありました。

それでも2010年代は、「誰がコメントするのか」の重要性が以前より増した時代だったと感じます。

有吉がどう言うのか。

マツコが何に引っかかるのか。

若林がどう分析するのか。

山里がどう言葉にするのか。

川島がどう拾うのか。

番組のフォーマットが似ていても、そこに誰が座るかで印象が変わります。

そして2020年代になると、この流れに配信、SNS、TVer、YouTube、ラジオが本格的に加わります。


2020年代の芸人勢力図|テレビの外まで含めないと「今の人気」は見えない

2020年代は、この記事の中で最も評価が難しい時代です。

第一に、まだ終わっていません。

第二に、テレビだけで芸人の勢力を測ることが難しくなっています。

テレビ出演本数、冠番組、TVer、YouTube、SNS、ラジオ、ライブ、賞レース。

ある場所では圧倒的に強いのに、別の場所ではほとんど見ない芸人も珍しくありません。

だからこそ、2020年代のTierは2026年8月時点の暫定版です。

Tier芸人・グループこの年代での位置づけ
SS千鳥、かまいたち、川島明、設楽統、澤部佑冠番組・MC・出演量などで2020年代前半〜中盤の中心にいる層
Sオードリー、チョコレートプラネット、霜降り明星、山里亮太、平子祐希テレビだけでなくラジオ・配信なども含め強い存在感
A有吉弘行、マツコ・デラックス、ダウンタウン、くりぃむしちゅー、サンドウィッチマン、博多華丸・大吉、見取り図、ニューヨーク実績・影響力を維持する大物と2020年代に定着した層
Bマヂカルラブリー、錦鯉、空気階段、やす子、ヒコロヒー、令和ロマン、マユリカ、ヤーレンズ、タイムマシーン3号など賞レースやブレイクを経て上昇した層

まず数字を見ると、設楽・澤部・川島の異常な安定ぶりが分かる

2020年代については、感覚だけでTierを作るとテレビで目立つ人物とネットで話題になる人物が混ざってしまいます。

そこで参考になるのが、ニホンモニターの出演本数です。

2023年の関東地区では、川島明586本、澤部佑581本、設楽統576本でトップ3。

2024年は澤部佑578本で1位、設楽統541本で2位、川島明539本で3位。

2025年は設楽統553本、澤部佑530本、川島明529本と順位が入れ替わります。

さらに2026年上半期も、設楽統299本、澤部佑282本、川島明267本で同じ3人がトップ3です。

ニホンモニター自身も「2023年から続くトップ3が今回も顔を揃えた」と説明しています。

帯番組に出演している人物が有利になるなど、出演本数には当然偏りがあります。

この数字をそのまま人気ランキングにすることはできません。

それでも、2023年、2024年、2025年、2026年上半期まで同じ3人が最上位を占め続けるという事実は無視できません。

テレビ局から継続的に必要とされる能力という意味では、2020年代を象徴する3人です。

設楽統|目立ちすぎないことが、結果的に最大の武器になった

設楽統は2010年代からすでに出演本数上位の常連でした。

それでも2020年代に入って勢いが落ちるどころか、2021年に年間1位、2025年にも年間1位、2026年上半期も1位です。2021年は530本で、2013年以来8年ぶりの年間首位でした。

派手なキャラクターで毎回番組を持っていくタイプではありません。

むしろ、番組によって自分の濃度を変えられるところに特徴があります。

バナナマンとしているときと、『ノンストップ!』で情報を扱っているときでは立ち位置が違う。

ゲスト中心の番組なら前へ出すぎず、自分が笑いを作る必要があればしっかり入る。

テレビで長期間大量に使われるには、「面白い」だけでなく「邪魔をしない」ことも重要になります。

設楽は、その難しいバランスを非常に高い水準で維持してきました。

派手な天下取りの物語とは違いますが、2020年代の実働量を考えればSSが妥当でしょう。

澤部佑|番組のどこに置いても仕事がある

澤部佑は2024年に年間出演本数1位となり、2025年2位、2026年上半期も2位です。

澤部の面白さは、「澤部のために作られた番組」だけでなくても強いことです。

MCの横。

ひな壇。

ロケ。

情報番組。

アイドル番組。

ゲスト。

芸人が大勢いる現場でも、芸人がほとんどいない現場でも対応できます。

派手な代表ギャグ一つで売れているわけでもなければ、強烈な毒舌が売りでもありません。

にもかかわらず番組数が積み上がる。

これはテレビタレントとして非常に特殊な強さです。

「この人でなければ成立しない」と「この人ならどこでも成立する」は別の能力ですが、澤部は後者の最高峰に近い。

2020年代型のテレビ芸人を考えるうえで重要な存在です。

川島明|『ラヴィット!』で朝のテレビにお笑いの居場所を作った

川島明は、2021年に『ラヴィット!』のMCとなってから立場が大きく変わりました。

TBSが現在紹介している番組コンセプトは「日本でいちばん明るい朝番組」で、ニュースやワイドショーを扱わない「ライフアイデア発見バラエティ」とされています。MCは川島明と田村真子アナウンサーです。

朝の情報番組らしい時間帯に、かなりバラエティ寄りの番組を成立させる。

その中心に川島がいます。

若手芸人のボケを拾う。

アイドルにも振る。

番組が予定外の方向へ進んでも戻す。

必要なら自分の言葉で笑いを作る。

朝なので、深夜番組のように何でも許されるわけではありません。

それでも「芸人の面白さ」を薄めすぎない。

ここが『ラヴィット!』と川島の面白いところです。

出演本数でも2021年に486本で2位、2023年には586本で年間1位。その後もトップ3を維持しています。

40代以降にMCとしてさらに大きくなるというキャリアも、現在のお笑い界らしいものです。

千鳥|冠番組の「色」を作れるという意味では2020年代最大級

出演本数だけで2020年代を測ると、千鳥がトップ3へ入らない年もあります。

しかし、冠番組やバラエティ全体への影響まで見ると話は別です。

千鳥がMCに入ると、その番組がかなり「千鳥の番組」になります。

これは設楽や澤部とは違うタイプの強さです。

ノブのツッコミと大悟の発想、二人の関係性そのものが番組のフォーマットに影響する。

VTRを見るだけの企画でも、二人が何を言うかが見どころになる。

ロケでも成立し、大喜利でも成立し、後輩芸人を並べても成立します。

2017年に出演本数が前年から175本増えて以降の上昇が、2020年代になって冠番組を多数持つ状態へつながりました。

テレビ全体の「出演量」なら設楽・澤部・川島。

冠バラエティでの「番組の色」なら千鳥。

2020年代SSの中でも、評価軸が違います。

かまいたち|テレビとYouTubeを同時に大きくした2020年代型コンビ

かまいたちも2020年代を代表するコンビです。

2021年のニホンモニター調査では、濱家隆一が394本で年間15位。山内健司も上半期段階で201本を記録し、その後コンビとして多数の番組へ定着しました。

2025年には関西の年間出演本数で山内健司が1位、濱家隆一が3位。ニホンモニターも「コンビ揃って活躍した1年」としています。

漫才とコントの両方で賞レース実績があり、ロケもでき、MCにも入れる。

さらにYouTubeでもコンビの距離感を見せられる。

テレビで売れることとネットでファンを作ることを別々に考える必要がなくなった2020年代に、とても相性の良いコンビです。

山内と濱家の役割も固定されすぎていません。

山内が理屈や毒で笑いを作る場面もあれば、濱家が進行役になる。

逆に濱家がいじられ、山内が落ち着いている番組もある。

コンビの使い方が一種類ではないことも、長く番組を持てる理由でしょう。

オードリー|テレビ、ラジオ、ライブでファンとの関係を深くした

オードリーは2020年代でも強いままです。

2010年代からの継続組ですが、単純な「昔から売れている芸人」とも違います。

ラジオ人気が長く続き、大型イベントにまで発展しました。

若林正恭はMCやトーク番組で独自の立ち位置を築き、春日俊彰はロケ、身体を張る企画、クイズなどで今も大量に起用されています。

2026年上半期のニホンモニター調査でも、春日は203本で9位に入っています。

テレビで全国的な知名度を保ちながら、ラジオではもっと濃いキャラクターや関係性を見せる。

この二層構造は2020年代の芸人にとって大きな武器です。

「全員が同じ番組を見ている時代」が終わったからこそ、広く知られていることと、狭く深く支持されることを両立できる芸人が強くなっています。

山里亮太と平子祐希|40代以降にさらに上がる芸人が珍しくなくなった

2020年代では、若手だけを見ていても勢力図を理解できません。

山里亮太は『DayDay.』などで司会を務め、2025年の出演本数は470本で関東5位。2026年上半期も225本で5位です。

平子祐希も大きく伸びました。

2024年には関東年間4位へ上昇し、2025年483本で4位、2026年上半期211本で6位です。

若手時代に爆発的に売れ、その後落ち着くという昔ながらのキャリアだけではありません。

30代、40代で経験を積み、テレビ側が求める役割と噛み合ったところからさらに売れる。

川島明も含め、2020年代にはこのパターンが非常に目立ちます。

芸人の賞味期限が短くなったのではなく、むしろ「どの年代で何が評価されるか」が多様になったと考えた方が実態に近いでしょう。

チョコレートプラネットと霜降り明星|テレビとネットの境界が薄くなった

チョコレートプラネットはネタ、モノマネ、キャラクター、企画、YouTubeとの相性が非常に良いコンビです。

2019年のニホンモニター調査では、前年から123本増えて299本となり、ブレイクタレントの一組に入っています。2023年には松尾駿470本、長田庄平467本と、二人とも年間出演本数上位に入りました。

霜降り明星はさらにネット時代らしい。

せいやと粗品が、それぞれテレビ以外にも活動の場を持っています。

ラジオ、YouTube、音楽、ゲーム、ライブ。

粗品のようにネット上で強い発信力を持つ芸人は、地上波出演本数だけでは勢力を測りきれません。

テレビで毎日見る人だけが「売れている芸人」だった時代とは、完全に状況が変わっています。

有吉やマツコをAに置くことに違和感があるのは当然

2020年代の有吉弘行をAに置いています。

「さすがに低いだろう」と感じる人もいると思います。

その感覚は理解できます。

有吉は現在も多数の冠番組を持ち、テレビの中心人物です。

マツコ・デラックスも同様です。

したがって、2020年代そのものの「格」や「番組支配力」だけを評価するなら、もっと上に置く選択肢も十分あります。

それでもAにしたのは、このTierが「過去の実績を含めた総合格付け」ではなく、その年代で新たに拡大した勢力を見えやすくするためです。

有吉とマツコは2010年代の段階ですでに頂点級へ到達しています。

2020年代では「新しい主役になった」のではなく、「主役であり続けている」。

この違いです。

ダウンタウンは2020年代にテレビだけでは語れない状態へ

ダウンタウンの2020年代は、過去のどの年代とも状況が違います。

長く地上波の中心にいたコンビですが、2020年代半ばには活動の形そのものが変わりました。

2025年11月には、吉本興業が独自の有料配信サービス『DOWNTOWN+』を開始。松本人志がプロデュース・出演する新作コンテンツと、ダウンタウン、松本人志、浜田雅功に関するアーカイブ作品を配信するサービスとして展開されています。

これはこの記事のテーマを考えるうえでも興味深い変化です。

かつてテレビそのものの中心にいたダウンタウンが、2020年代には独自配信プラットフォームまで活動領域を広げている。

成功の規模を地上波視聴率だけで測れない時代になったことを、ある意味で象徴しています。

そのため2020年代のダウンタウンは、単純なテレビ出演量とは別枠で見る必要があります。

2020年代のB Tierは「下位」ではなく、次の主役候補が集まっている

B Tierには、M-1やキングオブコントをきっかけに大きく伸びた芸人が多く入っています。

マヂカルラブリーはM-1グランプリ2020優勝。M-1公式サイトでも第16代王者として記録されています。

空気階段はキングオブコント2021優勝。

令和ロマンはM-1で大きな実績を残し、マユリカやヤーレンズも賞レースをきっかけに知名度を上げました。

さらに、タイムマシーン3号の近年の上昇は見逃せません。

ニホンモニターの2024年ブレイクタレントでは出演本数が前年213本から353本へ増加。2026年上半期には関太が206本で7位、山本浩司も181本で17位となり、二人そろって初のトップ20入りを果たしました。

現在の勢いが続くなら、次回更新ではAあるいはSを検討してもいい位置まで来ています。

2025年M-1王者・たくろうなど、まだTierに固定するには早い勢力もいる

2020年代は進行中なので、新しい名前が毎年増えていきます。

M-1グランプリ2025では、11,521組がエントリーした大会をたくろうが制しました。2位ドンデコルテ、3位エバースです。

2026年上半期のニホンモニター「ブレイクタレント」でも、たくろうは前年同期0本から88本へ増加。ドンデコルテも58本増、レインボーも前年同期から55本増となっています。

キングオブコント2025ではロングコートダディが優勝しました。

ただし、賞レースで勝った直後にSSやSへ入れるのは早すぎます。

賞レース優勝と「その年代を代表する勢力になること」は別だからです。

ここから冠番組を持つのか。

テレビ出演を定着させるのか。

ライブや配信で独自の市場を作るのか。

2020年代後半のTierを変える可能性のある存在として、今後を見ていきたいところです。

2020年代は「売れている」の意味そのものが変わった

1980年代なら、視聴率40%の番組を持っていれば説明は簡単でした。

2020年代ではそうはいきません。

地上波の出演本数が多い。

冠番組を何本も持っている。

TVerで見られている。

YouTubeで数百万人に届く。

ラジオに熱狂的なリスナーがいる。

劇場チケットが取れない。

賞レースで一夜にして知名度が跳ねる。

全部違う強さです。

だから、2020年代のTierはこの記事の中で最も暫定的です。

数年後に見返したとき、現在Bにいる芸人がSSになっていても不思議ではありません。


「芸人としての格」と「その年代の勢い」を分けないと、このTier表は成立しない

ここまで読んで、

「ダウンタウンがAなのはおかしい」

「有吉が2020年代Aなのは低すぎる」

「80年代でドリフよりとんねるずが上なのは納得できない」

と感じた人もいると思います。

その違和感は、この企画ではむしろ自然です。

なぜなら、歴代の功績を積み上げたランキングと、年代ごとの勢力図は別物だからです。

たとえばダウンタウン。

1990年代には、自分たちが新しい笑いの中心になっていました。

若者が影響を受け、後輩芸人が憧れ、番組そのものが新しく見えた。

だからSSです。

2010年代ではどうでしょうか。

依然として巨大な存在です。

しかし、「今まさにダウンタウンが全国に知られ始めた」という段階では当然ありません。

すでに王者です。

一方でその時期には、有吉弘行が再ブレイクからMCへ進み、マツコ・デラックスが多数の番組を持ち、バナナマンやオードリーがテレビに定着し、後半には千鳥が急上昇しました。

この変化を見せるため、ダウンタウンをAにしています。

とんねるずも同様です。

1990年代のSSから2000年代にはAへ下げています。

しかし2000年代にも人気番組を持っていました。

「落ちた」というより、90年代に時代を新しく作っていたコンビが、2000年代にはすでに大物側に回っていたということです。

有吉とマツコも同じ。

2010年代には新しいテレビの中心として勢力を拡大しました。

2020年代でも中心人物ですが、「新しく出てきた勢力」ではありません。

年代別Tierで全盛期の動きを表現しようとすると、こうした上下が必要になります。


同じSSでも、天下の取り方はまったく違う

Tier表を作ってみると、もう一つ面白いことが分かります。

SSに入った人たちは、同じ方法で売れたわけではありません。

萩本欽一は、家庭全体が安心して見られる番組を複数成立させました。

ビートたけしは、毒や知性を武器に芸人が行ける領域そのものを広げました。

明石家さんまは、会話だけで番組を前へ進める能力を長期間維持しました。

とんねるずは、若者文化とテレビスターの華やかさを結びつけました。

ダウンタウンは、若い視聴者にとっての「何が面白いか」にまで影響しました。

ウッチャンナンチャンは、コントと企画、人間関係を使った番組で強さを発揮しました。

ナインティナインは、『めちゃイケ』を通して若者向けテレビの共通体験を作りました。

くりぃむしちゅーはMCとしての対応力を伸ばしました。

有吉弘行は、一度沈んだところから再び上がり、MCへ到達しました。

バナナマンとオードリーは、コンビと個人の両方を伸ばしながら長期間テレビに残りました。

千鳥はコンビの会話そのものを番組の色にしました。

設楽統、澤部佑、川島明は、2020年代に「どれだけ継続してテレビから必要とされるか」という別の強さを数字で示しています。

同じSSでも中身は全部違います。

だから、このTier表は「SS同士なら誰が一番面白いのか」を決めるためのものではありません。

時代によって、テレビや視聴者が芸人に何を求めてきたのかを見るための表でもあります。


1980年代と2020年代では、同じ「人気芸人」でも意味が違う

1980年代の高視聴率番組を見ると、現在との違いは強烈です。

『8時だョ!全員集合』47.6%。

『欽ちゃんのどこまでやるの!』42.0%。

『欽ドン!良い子悪い子普通の子』38.8%。

『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』36.0%。

この数字が成立した背景には、当時のメディア環境があります。

テレビが今よりはるかに強く、同じ時間に同じ番組を見る人が多かった。

一方の2020年代では視聴が分散しています。

リアルタイムでテレビを見る人。

録画する人。

TVerで見る人。

YouTubeの公式動画や切り抜きから知る人。

ラジオを聴く人。

SNSで話題になった部分だけを見る人。

だから1980年代の芸人と2020年代の芸人を、視聴率だけで比較しても意味がありません。

逆に2020年代のYouTube再生数を80年代の芸人に当てはめることもできません。

大事なのは、それぞれの時代に存在したメディア環境の中で、どれだけ大きな場所を占めていたかです。


5つの年代を並べると、お笑い番組そのものの変化が見えてくる

1980年代から2020年代まで並べてみると、芸人の名前以上に、テレビが芸人に求めてきた役割の変化が見えてきます。

1980年代は、家族全員をテレビの前に集められるスターが強かった。

1990年代には、若者が「この人たちの笑いが好きだ」と世代単位で支持する第三世代が中心になります。

2000年代になると、芸人は自分で笑いを取るだけでなく、番組を回し、出演者をまとめ、企画を成立させる存在になります。

2010年代には、その場で何を言えるか、視聴者の感覚をどう言葉にできるかというコメント力がさらに重要になりました。

2020年代はテレビだけでは足りません。

地上波での強さを持ちながら、ラジオ、YouTube、SNS、配信など別の場所にもファンを持つ芸人が増えています。

テレビからネットへ完全に主役が移った、という単純な話でもありません。

2026年上半期の出演本数を見ると、設楽、澤部、川島らは今なお年間数百本ペースで地上波に出演しています。

テレビはまだ巨大です。

ただし、テレビだけが芸人の価値を決める時代ではなくなった。

この変化が2020年代の最大の特徴でしょう。


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テレビが絶対王者だった時代から、ネットやSNSが当たり前になった時代へ。芸人勢力図の変化を“メディア側”から見ると、時代の流れがさらに面白く見えてきます。

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まとめ|芸人Tier表は「誰が一番面白いか」ではなく、時代を振り返る地図

1980年代から2020年代までを振り返ると、お笑い界では何度も主役が入れ替わってきました。

しかし、実際には古い世代が完全に消えてから新しい世代が出てきたわけではありません。

萩本欽一やドリフが強い時代に、たけしとさんまが伸びました。

その後ろから、とんねるずが現れました。

とんねるずがスターになった頃には、ダウンタウンとウッチャンナンチャンも動いていました。

第三世代が頂点にいた90年代後半には、ナインティナインや爆笑問題が上がってきました。

2000年代にはくりぃむしちゅー、ロンブー、雨上がりらが存在感を高め、その下からM-1世代が続きます。

2010年代には有吉弘行が驚異的な再ブレイクを果たし、マツコ、バナナマン、オードリーがテレビに定着。後半には千鳥が急上昇しました。

2020年代になると、千鳥やかまいたちが冠番組を持つ一方、出演量では設楽統、澤部佑、川島明が驚異的な安定を見せています。

さらに賞レースから次々と新しい芸人が現れています。

こうして見ると、「天下を取る」の意味は時代によって違います。

視聴率40%を取ることかもしれない。

若者の価値観を変えることかもしれない。

ゴールデンの冠番組を持つことかもしれない。

毎日テレビに出ることかもしれない。

あるいはテレビと配信の両方に巨大なファンを持つことかもしれません。

だから、このTier表に絶対の正解はありません。

ドリフを80年代SSにしたい人もいるでしょう。

2000年代のダウンタウンをSSから外すのはあり得ないと感じる人もいるでしょう。

2020年代なら有吉弘行をもっと上に置きたいという意見も当然出てくるはずです。

そうした意見の違いまで含めて、この企画は面白いと思っています。

当時どの番組を見ていたのか。

誰が出てくるとチャンネルを変えなかったのか。

学校で翌日話題になったのは誰だったのか。

親と一緒に見ていたのか。

一人で深夜番組を見ていたのか。

数字だけでは残らない記憶も、その時代のお笑い史です。

このTier表は、「歴代で一番偉い芸人」を決める表ではありません。

その時代、誰が大きく見えていたのか。なぜその人たちがテレビや世間の中心にいたのか。

1980年代から2020年代まで続く、その変化を楽しむための勢力図です。

そして2020年代は、まだ終わっていません。

2026年の先に誰が伸び、誰が新しい番組を作り、どんな芸人が次の10年間の基準になるのか。

数年後にこの表を見直したとき、今とはまったく違う勢力図になっている可能性もあります。

それもまた、お笑いの歴史をリアルタイムで追いかける面白さではないでしょうか。

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