
将棋棋士で「ひふみん」の愛称でも親しまれた加藤一二三(かとう・ひふみ)さんが、2026年1月22日(木)午前3時15分、都内の病院で肺炎のため亡くなったと報じられた。86歳。所属事務所の発表として各社が伝えている。
また、日本将棋連盟も公式Xで、同日時に東京都内の病院で肺炎により逝去した旨を告知している。
発表内容まとめ(確定情報)
報道で一致している主なポイントは次の通り。
- 死去:2026年1月22日(木)午前3時15分
- 死因:肺炎
- 年齢:86歳
- 発表:所属事務所が発表、日本将棋連盟も告知
(※病院名まで含めた情報は媒体により記載があります。記載がある記事では東京都内の病院とされています)
加藤一二三さんとは|将棋界の記録と「ひふみん」人気
加藤一二三(かとう・ひふみ)さんは、将棋界を代表するレジェンドの一人で、長年にわたり第一線で戦い続けた九段棋士です。2026年1月22日午前3時15分、肺炎のため都内の病院で逝去したことが、所属事務所と日本将棋連盟から発表されました。享年86。
史上初の「中学生棋士」から始まった規格外のキャリア
加藤さんのキャリアを語るうえで外せないのが、「史上初の中学生棋士」という歴史的な出発点です。14歳でプロ入りし、以後、60年以上にわたってプロ棋士として活動しました(棋士番号64)。日本将棋連盟の棋士データベースでも、生年月日(1940年1月1日)、出身地(福岡県嘉麻市)、師匠(剱持松二九段)などの基本情報とともに、将棋史に残る存在であることが整理されています。
「記録の人」でもあった——最年長勝利、最多対局など
加藤さんはタイトル歴だけでなく、「数字で残る偉業」が多い棋士としても知られます。日本将棋連盟が2017年に紹介した番組情報でも、加藤さんが最年長勝利記録、史上最多対局数、史上最多敗北数といった“歴代級”の記録を持つ棋士として言及されています。
また、棋士データベース上でも、名人1期(第40期・1982年)といった実績が確認できます。
タイトルホルダーとしての実力と「名人」戴冠
世間的にはバラエティでの“ひふみん”イメージが強い一方、将棋ファンの間では「勝負師・加藤一二三」の印象が根強く残っています。長い年月をトップ棋士として走り続け、ついに名人位にも就いた実績は、将棋史の中でも特別な重みを持ちます(名人1期は連盟データベースでも確認可能)。
「ひふみん」人気——将棋界の枠を越えた国民的キャラクターへ
加藤さんが幅広い層に親しまれた理由の一つが、「ひふみん」という愛称で浸透した独特のキャラクター性です。将棋連盟の番組紹介でも、バラエティやネットで人気を集めた存在として触れられており、競技者としての実績に加えて、将棋を知らない人にも届く“語られる存在”になっていました。
所属事務所のプロフィールでも、史上最年少棋士としての歩み、最年長勝利などの記録、さらにメディアでの活動を含めた「将棋界のレジェンド」として紹介されています。
藤井聡太フィーバー期にも“欠かせない語り手”として存在感
近年の将棋ブームを象徴する藤井聡太棋士の登場時にも、加藤さんは“語り継がれる存在”として再び注目を集めました。所属事務所プロフィールでは、藤井棋士のプロデビュー戦で対局し、その後もコメントなどで存在感を示したことが明記されています。
葬儀について
葬儀日程は報道により案内されており、フジテレビ系(FNN)の記事では通夜・告別式の日程に触れた記載がある。
(※葬儀の詳細は変更の可能性があるため、記事を出す時点で最新の報道/公式告知の確認推奨)
SNSの反応(速報時点)|“将棋界の声”が最初に広がり、一般層へ波及
訃報が報じられた直後、SNS上ではまず日本将棋連盟の公式発信が拡散の起点となった。連盟公式Xは、加藤一二三九段の逝去(日時・死因・年齢)を明記して告知し、将棋ファン以外にも届く形で急速に広がった。
その後、将棋界のトップ棋士や関係者が追悼を表明し、「記録の偉大さ」だけでなく「人柄」や「対局で受けた影響」が強く語られたのが特徴だ。
1)羽生善治九段の追悼|“出会えたことを神に感謝”
羽生善治九段は自身のXで、加藤さんの訃報に接した悲しみとともに、出会いへの感謝、安らかな眠りを祈る言葉を投稿した。
この投稿はニュースアカウントでも取り上げられ、SNS上でさらに広く共有されている。
2)藤井聡太竜王・名人の追悼|“信念を貫く姿勢を直に学んだ”
藤井聡太竜王・名人も、日本将棋連盟を通じて追悼コメントを発表したと報じられ、「長年の活躍への敬意」と「信念を貫く姿勢から学んだこと」への感謝が示された。
SNSでは、藤井さんのデビュー戦が加藤九段との対局だったこと(“62歳差対決”)を思い出す投稿が増え、当時のニュース映像や記事が再拡散される流れも生まれている。
3)棋士・関係者の追悼が連鎖|「対局姿」「会話」「優しさ」の記憶
テレビ朝日の報道では、渡辺明棋士の追悼コメント(対局姿の迫力、直接対戦した記憶、将棋への質問に嬉しそうに答えてくれたことなど)をはじめ、複数の関係者による追悼が紹介され、SNS上でも共有された。
ここで目立ったのは、勝敗の話よりも「優しくて楽しい先生だった」「会うと場が明るくなる」といった、人柄に触れる言葉が多い点だった。
4)一般層の反応|「ひふみん」への親しみと驚き
将棋ファン以外の投稿では、「ひふみん」の愛称で親しまれてきたことへの言及が非常に多く、驚きや寂しさ、感謝の言葉が目立った。
“将棋の強さ”だけでなく、“テレビで見たあの人”“独特の語り口が好きだった”という、生活の中の記憶として語られているのが印象的だ。
よくある疑問(FAQ)
いつ亡くなったの?死因は?
2026年1月22日午前3時15分、肺炎のため都内の病院で亡くなりました。86歳でした。訃報は所属事務所と日本将棋連盟から発表されています。
どこが公式に発表したの?
所属事務所の発表に加え、日本将棋連盟も公式に訃報を伝えています。そのため、「連盟と所属事務所が発表」という表現で問題ありません。
病院名は公表されている?
一部報道では病院名に触れているものもありますが、すべての発表で統一されているわけではありません。記事では「都内の病院」とするのが一般的で、安全な書き方です。
通夜や葬儀は一般参列できる?
通夜・葬儀の詳細や一般参列の可否については、発表時点では明らかにされていません。今後の案内が出た場合は、追記対応となります。
「ひふみん」とはどういう意味?
加藤一二三さんの名前「一二三(ひふみ)」をそのまま読んだ愛称です。長年の将棋人生と穏やかな人柄が相まって、将棋ファン以外にも広く親しまれる存在となりました。
将棋棋士として、何が一番すごかったの?
最大の功績のひとつは、14歳でプロ入りした「史上初の中学生棋士」であることです。その後も長年にわたり第一線で活躍し、名人位を獲得するなど、実力と実績の両面で将棋史に名を残しました。
記録面ではどんな伝説がある?
現役生活が非常に長く、最年長勝利記録、史上最多対局数など、将棋界でも特に多くの記録を持つ棋士として知られています。「記録の人」と呼ばれる理由の一つです。
藤井聡太さんとの関係は?
藤井聡太棋士のプロデビュー戦の対局相手が、加藤一二三九段でした。将棋界の世代交代を象徴する一局として、大きな注目を集めました。
最近は将棋を指していなかったの?
公式戦からは退いていましたが、将棋界の象徴的存在としてメディア出演や解説、コメントなどを通じて、将棋の魅力を伝え続けていました。
なぜ将棋ファン以外にも知られていたの?
独特の語り口や柔らかな人柄がバラエティ番組などで注目され、「ひふみん」という愛称とともに国民的な存在となりました。将棋界の枠を越えて親しまれた点も、加藤一二三さんの大きな特徴です。
まとめ
加藤一二三さんは、将棋界の歴史を「強さ」と「記録」の両面で塗り替えてきたレジェンドでした。14歳でプロ入りした史上初の中学生棋士としてスタートし、長年にわたり第一線で戦い続け、名人位獲得などの実績も残しています。現役生活の長さから生まれた数々の記録も、加藤さんの存在を唯一無二にしました。
一方で、将棋ファンに限らず広く知られた理由は、「ひふみん」という愛称で親しまれた人柄と発信力にあります。穏やかな語り口と独特のキャラクターは、将棋の魅力を“分かる人だけの世界”から引き出し、一般層にも届ける役割を果たしました。将棋界の顔として、世代を越えて多くの人の記憶に残る存在だったと言えます。
今回の訃報は、将棋界にとって大きな節目であると同時に、「ひふみん」を知る多くの人にとっても、時代がひとつ区切られたように感じる出来事です。積み上げてきた記録と、将棋を身近にした功績は、これからも語り継がれていきます。
- 死因は肺炎で、所属事務所と日本将棋連盟が訃報を発表
- 将棋史に残る実績と、最年長勝利などの記録で「記録の人」としても知られる
- 「ひふみん」人気で将棋の枠を越え、将棋の入口を広げた功績も大きい
出典メモ
- 日刊スポーツ(日本将棋連盟の公式X告知にも言及)
- テレ朝news(所属事務所発表として)
- TBS NEWS DIG(所属事務所発表として)
- 毎日新聞(経歴の要点含む)
- FNN(葬儀日程に触れた記載)