
8月9日、長崎は原爆投下から80年を迎え、平和祈念式典が行われました。鈴木史朗市長は、世界的な緊張の高まりの中で核戦争の危険が現実味を帯びていると警鐘を鳴らし、核抑止に依存しない安全保障と、国連憲章に沿った停戦・軍縮の具体的行動を各国に呼びかけました。式典には海外を含む多数の代表が参列し、被爆証言や若い世代のメッセージも共有されました。被爆地からの問いは、核兵器のない世界をどう実現するかという、いま私たち自身の課題でもあります。
原爆投下から80年、長崎での追悼式典
1945年8月9日の惨劇
1945年8月9日午前11時2分、長崎市上空で原子爆弾が炸裂。爆風・熱線で約2万7千人が即死し、年末までの死者は放射線障害等の影響を含めておよそ7万人に達したと報じられています。
長崎は広島に続き、世界で2度目の被爆都市となり、戦後も被爆者は後遺症や差別と闘い続けました。この日付と時間は、長崎市民だけでなく、日本全体が平和の大切さを刻み込む象徴となっています。
式典の概要と参列者の様子
2025年8月9日、長崎市の平和公園で行われた平和祈念式典には、国内外から数千人が参列しました。海外からは各国の外交団や国際機関の代表も参加し、献花や黙祷が行われました。
式典では被爆者の体験談や高校生による平和アピールが披露され、静かな中にも強い決意が感じられる時間が流れました。会場には原爆資料館の展示や平和メッセージボードも設置され、訪れた人々が思い思いに平和への願いを記しました。
市長が訴えた「核抑止の限界」
発言の要旨と背景
2025年の平和祈念式典で鈴木史朗・長崎市長は、現在の国際情勢のもとで核戦争の危険が「人類の存亡に関わる危機」として差し迫っていると警鐘を鳴らし、核兵器の廃絶を先送りできないと強調しました。さらに、国連憲章の原則に沿った即時停戦と具体的な軍縮行動を各国に求めました。ReutersNippon.comJapan Wire by KYODO NEWS
世界情勢と核リスクの高まり
市長のメッセージの背景には、ウクライナをめぐる核威嚇や中東の緊張、各国で高まる「核抑止」依存が、長年築かれてきた“核のタブー”を揺るがしている現状があります。式典には95の国・地域の代表が参列し(台湾は初参加)、被爆者団体の証言活動が改めて注目されました。日本被団協は2024年のノーベル平和賞を受賞しており、被爆証言の意義が国際的に評価されています。
国際社会の核軍縮の動き
核兵器禁止条約と日本の立場
2017年に採択された核兵器禁止条約(TPNW)は、核兵器の開発・保有・使用を全面的に禁止する初の国際条約です。2021年に発効し、現在では60か国以上が批准していますが、米国・ロシア・中国などの核保有国と、その「核の傘」に依存する国々は未参加です。日本も安全保障上の理由から参加を見送っており、「核保有国と非保有国の橋渡し役」を担うとしています。しかし、被爆地の首長や市民団体からは「条約に参加してこそ説得力がある」との声が根強くあります。
国際社会での賛否と課題
国際的には、核軍縮をめぐって大きく二つの立場が存在します。核保有国やその同盟国は、現実的な安全保障上の必要性を理由に「核抑止は不可欠」と主張。一方で、非保有国や市民社会は「核兵器の存在自体が最大の脅威」とし、核の完全廃絶を求めています。2025年現在、国連では核兵器禁止条約の実効性向上に向けた議論が進む一方、米露間の新戦略兵器削減条約(New START)の期限や、中国の核戦力拡大など、軍縮の歩みを阻む要因も顕在化しています。
若い世代へのメッセージ
戦争体験継承の取り組み
被爆から80年が経ち、直接の体験者は年々少なくなっています。その中で、長崎や広島では被爆者の証言を映像や音声で記録する活動が進められています。平和公園や原爆資料館では、修学旅行や市民団体向けに「被爆証言会」を定期開催。若い世代の語り部育成も行われており、高校生や大学生が被爆者から学び、自分の言葉で平和の大切さを伝える試みが広がっています。こうした活動は、記憶を「物語」として次世代につなぐ大切な橋渡しとなっています。
SNSや教育現場での発信事例
近年はSNSを通じた平和発信も増えています。例えば、InstagramやX(旧Twitter)で被爆証言の短編動画を発信したり、TikTokで若者向けに原爆や戦争の歴史を解説するコンテンツが注目を集めています。教育現場では、小中学校での平和学習にVRやデジタル教材を取り入れ、被爆直後の街の様子や放射線の影響を疑似体験できる授業も始まっています。デジタル世代に合わせたこうした新しい試みが、記憶の風化を防ぎ、共感と理解を広げる力になっています。
まとめ|平和を守るために私たちができること

80年前、長崎で起きた原爆投下は、一瞬で数万人の命を奪い、その後も放射線障害や差別、心の傷が長く人々を苦しめました。あの日の惨禍は、決して過去の出来事として終わらせてはいけません。
私たちができることは、決して特別なことばかりではありません。被爆体験や戦争の歴史を学び、周囲に伝える。平和や人権を守る活動を支援する。SNSで事実に基づく情報を発信する。そうした小さな行動が、核兵器のない世界へ近づく一歩になります。
「忘れない」という姿勢は、ただ記憶を持ち続けるだけでなく、行動に移すことで初めて力を持ちます。80年という節目の年に、長崎から発せられたメッセージを、私たち一人ひとりが自分ごととして受け止め、次の世代へとつないでいくことが求められています。