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幻の未発売ゲーム特集|第2弾 MOTHER3(N64/64DD版)

任天堂64の拡張ハード・64DDを舞台に構想された幻の大作。

2000年代初頭、日本のゲームファンの心を大きく揺さぶった“幻のタイトル”があります。
それが、任天堂64とその拡張ハード「64DD」で開発されていた『MOTHER3』。海外では「EarthBound 64」とも呼ばれた、シリーズ待望の続編でした。

糸井重里が再びシナリオを担当し、任天堂の看板RPGとして大きな期待を背負っていた本作。
スペースワールドやジャンプフェスタなどのイベントでは実際に映像が公開され、雑誌でも大々的に紹介されました。
当時のファンは、ポリゴンで描かれた“新しいMOTHERの世界”に胸を高鳴らせたのです。

しかし、開発は難航し、64DDという不遇なハードの失敗も重なって、2000年に突如「中止」が発表されました。
それは、ただのゲーム中止ではなく、ファンにとって夢が閉ざされた瞬間でもありました。

本記事では、N64版MOTHER3がどのように企画され、なぜ実現できなかったのか、そしてどのようにGBA版へと姿を変えていったのか――
正確な史実に基づき、その“幻の物語”を振り返っていきます。


作品概要・基本情報

『MOTHER3』は、糸井重里が手がける人気RPGシリーズの第3作として企画されました。
1990年代半ばから構想が進み、当初は任天堂64の拡張ハード「64DD」専用ソフトとして開発がスタート。
その後、64DDの普及が思うように進まなかったことから、通常のNINTENDO64対応ソフトとして方向転換されました。

海外では「EarthBound 64」と呼ばれ、雑誌や海外メディアでも注目を集めていたのが特徴です。
ジャンルは従来と同じRPGですが、グラフィックはフル3Dポリゴンへと進化。
登場キャラクターの一部や世界観の断片は、のちにゲームボーイアドバンス版『MOTHER3』へと引き継がれています。

開発には、糸井重里のほか、当時HAL研究所社長だった岩田聡(のちの任天堂社長)も関わり、任天堂の本気度を感じさせました。
「次世代のRPG」として大きな期待を背負い、64DDの目玉タイトル、そしてN64後期の切り札と目されていたのです。

しかし、結局このN64版MOTHER3が正式に発売されることはありませんでした。
その「未完の存在」が、現在でも“幻のゲーム”として強烈な記憶を残し続けています。

発表当時の期待

E3や雑誌の“夢の見取り図”だけではありません。
『MOTHER3(EarthBound 64)』は、実際に人前で動いて見せたタイトルでした。1999年のNintendo Space World ’99では、会場で映像公開に加えて試遊台が設置され、大勢のファンが順番待ちの列を作った――そんな現地写真とレポートが今も残っています。10分区切りの体験で、町を歩き、戦闘の派手な背景や“タイミング良く押すと強くなる攻撃”を確かめられたという記述まであり、会場の熱気は本物でした。

当時のゲームメディアも手応えを言葉にしています。
IGNはスペースワールドのデモ版に触れ、鉱山のトロッコシーンを「N64で最も印象的なカットシーンのひとつ」と評し、操作感や音楽の良さにも触れました。映像だけの“絵空事”ではなく、遊べる形での手応えがあったからこそ、期待は一段と膨らんだのです。

ファンの期待感は、カレンダーにも刻まれていきます。
雑誌広告や告知で「2000年5月発売」といった具体的な時期が示され、年内~翌春の発売観測が飛び交いました。コミュニティでは“ついに現実になる”という空気が広がり、発売を前提に情報を待つムードが出来上がっていきます。

そもそも、出発点から話題性は十分でした。
1996年の段階で64DDのローンチ級タイトルとして言及され、のちにN64カートリッジへの移行が報じられる――この“ハードの命運と絡む大作”という位置づけ自体が、期待と不安を同時に煽りました。3D化した『MOTHER』の世界を見たいという純粋な欲求と、64DDという実験的ハードと歩調を合わせる開発へのロマン。両方が渾然一体となって、“RPG史に残る出来事の目撃者になれるかもしれない”という昂ぶりを生んでいたのです。

そして、糸井重里×任天堂(岩田聡・宮本茂)という布陣は、何よりも強い“約束”でした。
イベント後に糸井・宮本・岩田の鼎談が公式に公開されるほど、プロジェクトは大きな注目の中心にあり、ファンはその一挙手一投足を追い続けました。作者本人が語る場が継続的に存在したこと自体、他の未発売作とは一線を画すポイントであった、と言えます

公開された映像・試遊情報

『MOTHER3(EarthBound 64)』は、“噂だけが一人歩きした未発売タイトル”ではありません。
実際にステージで映像が流れ、イベント会場で来場者が手に触れることができた時間がありました。

会場ロビーには長い列。
係員の「次の方どうぞ」という声に促され、コントローラーを受け取る。
画面には、素朴で温かい色合いの村、起伏のある地形、木々の影。
写実ではないけれど、おもちゃ箱のような3Dの世界が息づいていました。

短いセクションを移動し、住人に話しかけ、イベントシーンが差し込まれる。
カメラは寄って、引いて、さっと切り替わる――N64の限られた性能のなかで、MOTHERらしい間をどう見せるか、細やかな工夫が感じられました。

バトルは、シリーズ伝統のコマンドベースを軸に、背景がうねるように動く独特の演出。
数分の体験でも、音と画のリズムでプレイヤーの想像力を引き上げてくる作りに、
「完成版ではどう広がるんだろう」と胸が高鳴った――そんな当時の感想が多数残っています。

映像素材も点ではなく“連続”でした。
イベント上映用のフッテージ、誌面に掲載された連番スクリーンショット、
さらに後年まで繰り返し引用されるデモ映像の断片
そこには、草原を駆ける子どもたち、焚き火の明かり、
夜の帳(とばり)が落ちると少しだけ不穏になる空気感――
当時のハード制約が多い中でも精一杯3Dで表現しようとした意図がはっきり見て取れます。

試遊は時間制で、操作できる範囲は決して広くはありませんでした。
けれど、キャラクターが振り向く角度、会話ウィンドウの出入り、
足音やSEのささやかな余韻といったディテールが、
「これはちゃんと“遊び”として形になっている」と確信させるのに十分だったのです。

当時のゲーム誌は、イベント直後に見開き特集を組み、
シーンの要点をコマ送りのように解説しました。
読者は紙面のスクリーンショットをなぞるように、“まだ見ぬ冒険の手触り”を共有しました。

海外のメディアも感触は好意的。
「N64でここまでドラマを見せる手つき」「演出のテンポが気持ちいい」――
技術デモに留まらない“遊べる予告編”として、手応えを語るレビューが並びます。
それは、単なる期待の空騒ぎではなく、実際に触れたうえでの期待だった、ということです。

振り返れば、公開映像と試遊は“完成版”の約束ではありませんでした。
けれど、あの短い体験の濃度は、いまもファンの記憶を確かに支えています。
「本当にここで暮らせるはずだった」――
そう思えるほどに、画面の向こうに生活の温度が宿っていたからです。

開発中止の経緯

長い間「出るはずだ」と信じられてきた『MOTHER3(N64版)』。
しかし2000年8月、糸井重里が自身の公式サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」で、はっきりと「開発中止」を告げました。
この発表は、ファンにとって唐突な幕引きとなり、ネット掲示板や雑誌の投書欄には失望と落胆の声が相次ぎました。

背景にはいくつもの要因が重なっていました。
まず、64DDというハードの不振
発売が何度も延期された末、ようやく登場したものの、対応ソフトはわずか数本。
任天堂自身もすでにN64カートリッジへ軸足を移していました。
『MOTHER3』は本来64DDの“切り札”でしたが、その土台からして揺らいでいたのです。

さらに、開発の難航
当時の技術でフル3Dの世界に「MOTHERらしい温かさとユーモア」を落とし込むのは至難の業でした。
糸井重里自身も「イメージどおりに動かせない」という苦悩をのちに語っています。
岩田聡やHAL研究所の開発者たちも尽力しましたが、予定通りに仕上げるのは不可能に近かったのでしょう。

そして、次世代機への移行期という任天堂全体の事情もありました。
2001年にはゲームキューブが登場予定で、リソースをそこに集中せざるを得なかった。
N64後期の大作として『MOTHER3』に注力し続ける判断は、会社として現実的ではなくなっていたのです。

こうして、『MOTHER3』は「未完成のまま打ち切られる」という形で歴史に刻まれました。
ただの一本の中止ではなく、任天堂とファンが長く共有してきた“夢”が閉じられる瞬間。
多くの人にとって、それは「失われた未来」そのものでした。

GBA版MOTHER3への受け継ぎ

N64での『MOTHER3』が頓挫してしまったあとも、「物語そのもの」が完全に失われたわけではありませんでした。
糸井重里は「このまま眠らせてしまうのは惜しい」と考え、任天堂の社内でも再び企画が動き出します。
舞台は、すでに全盛期を迎えていたゲームボーイアドバンス(GBA)へと移されました。

2003年、雑誌や公式発表で「MOTHER3はGBAで復活する」と告知され、ファンの間に再び期待の波が広がります。
そして2006年、ついに『MOTHER3』がGBAソフトとして発売。
それは、N64版が未完に終わってから実に6年越しの実現でした。

ストーリーの大枠――田舎の村を舞台にした兄弟の物語、章仕立ての進行、
そしてシリーズらしい温かさと切なさが同居する世界観は、しっかりと引き継がれていました。
一方で、グラフィックは2Dドット絵に再構築され、N64版で目指していたポリゴン表現は姿を消しました。

しかし、この選択は結果的に功を奏しました。
携帯機ならではの親しみやすさ、ドット絵ならではの柔らかさが、MOTHERシリーズの本質と絶妙に噛み合ったのです。
GBA版『MOTHER3』は完成度の高い作品として評価され、シリーズ最終作にふさわしい結末をファンに届けました。

発売当時、多くの人が「ついに出た」と安堵しながらも、同時に「もしN64版が完成していたら…」と想像せずにはいられませんでした。
GBA版の存在は、N64版の幻を完全に上書きするのではなく、“もう一つのMOTHER3があった”という余韻をより強めることになったのです。

幻となった理由を考察

『MOTHER3(N64版)』が幻に終わったのは、ひとつの原因だけではありません。
いくつもの要素が重なり合い、結果的に“発売不可能”という結論にたどり着いたのです。

まず大きかったのは、64DDというハードの不遇です。
書き換え可能なディスク、インターネット接続サービス「ランドネット」、ユーザー間のデータ共有――
夢のような構想を抱えた64DDは、何度も発売延期を繰り返し、ようやく1999年末に限定的に登場しました。
しかし対応ソフトは片手で数えるほどしかなく、ユーザーの関心をつなぎ止めるには力不足でした。
『MOTHER3』が64DDの“目玉”と見られていた以上、その土台が崩れた時点で開発の前提条件が失われていたのです。

次に、技術的な壁
当時のN64でフル3Dの広大な世界を描き、さらに「MOTHERらしい細やかなユーモア」を表現することは、非常に困難でした。
糸井重里自身も「イメージした通りに動かせない」と語り、開発陣も想定以上の調整に追われていたといいます。
とりわけキャラクターの表情や動作を“生活感のある温かさ”で表すことが難しかったのは、シリーズにとって致命的でした。

さらに、任天堂の世代交代も影を落としました。
2001年には次世代機・ゲームキューブが登場予定で、社内のリソースは新ハードに振り分けられていきました。
任天堂としては「いま無理に完成させるよりも、将来の展開に力を注ぐべき」という判断にならざるを得なかったのでしょう。

こうして『MOTHER3』は、“開発中止”という言葉でしか説明できない結末を迎えました。
ただ、それは失敗の産物ではありません。
むしろ、技術と理想のギャップ、時代の要請に翻弄された結果、幻として語り継がれる存在になったのです。

ファンの声と伝説化

『MOTHER3(N64版/EarthBound 64)』が中止になったとき、多くのファンは言葉を失いました。
雑誌の投書欄やネット掲示板には「信じられない」「あの映像は何だったのか」といった声が溢れ、落胆の大きさがひしひしと伝わってきます。

それでも、映像やスクリーンショットが確かに残されていることが、この作品をただの噂で終わらせませんでした。
YouTubeやアーカイブサイトでは、スペースワールドで公開されたデモ映像が今も再生され続けています。
コメント欄には「本当に遊びたかった」「これが出ていたら任天堂64を買っていた」という言葉が並び、二十年以上経った今でも共感の輪が広がっています。

特に印象的なのは、「遊べなかったからこそ余計に理想が膨らむ」という心理です。
N64版を経験した人はいないのに、ファンの頭の中ではそれぞれ“自分なりのMOTHER3”が出来上がっている。
それは完成品が存在しないからこそ生まれた、特別な愛着でした。

さらに、のちにGBA版が発売されたことで、この“幻”はより強い輝きを放つようになりました。
「2Dでの完成版も素晴らしい。でも、あのポリゴンの世界を歩く自分も見てみたかった」――
そうした複雑な感情がファンの記憶に焼き付き、“もう一つのMOTHER3”という伝説を形作ったのです。

今では海外のゲーム史特集でも、必ずといっていいほど「EarthBound 64」は未発売ゲームの代表例として紹介されます。
それは単なる中止作ではなく、“叶わなかった夢”として多くの人の心に居座り続けているからでしょう。

まとめ

『MOTHER3(N64版/EarthBound 64)』は、発売されることのなかった“もう一つの未来”でした。
糸井重里のシナリオ、任天堂の開発陣、そして64DDという野心的なハード――
そのすべてが揃いながら、時代の制約や技術の壁、そして会社の方針転換によって消えてしまった。

けれど、この消えたゲームは「失敗」として忘れられたのではありません。
むしろ、公開された映像や体験版を通じてファンの心に刻まれ、
「遊びたかった」という思いとともに伝説として語り継がれています。

2006年に発売されたGBA版『MOTHER3』は、シリーズの完結作として高い評価を得ました。
しかし、その存在があるからこそ、なおさら「もしN64版が完成していたら…」という想像が膨らむのです。
幻だからこそ強烈に記憶に残り、幻だからこそ語り継がれる――。

『MOTHER3(N64版)』は、単なる未発売ゲームのひとつではなく、
ゲーム史の中で特別な意味を持ち続ける“叶わなかった夢”なのです。

出典

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