シェンムーIIIは本当に“失敗作”だったのか?

発売から20年以上待たされた“伝説の続き”として登場したシェンムーIIIは、Kickstarter史上トップクラスの約630万ドル超の支援を集め、最終的には約710万ドル規模のクラウドファンディングとなりました。
一方で、いざ2019年11月に発売されると、メタスコアは「賛否両論」の“平均的”評価にとどまり、「時代遅れ」「ファン向けに振り切りすぎ」といった辛口レビューも少なくありませんでした。
日本でのパッケージ初週は約1.8万本と、話題性のわりには控えめな数字に終わり、「やっぱり失敗だったのでは?」というイメージが先行したのも事実です。
しかしパブリッシャー側は、デジタル販売やクラファン分も含めたトータルでは「ニッチだが採算としては“問題ない”(fine)」とコメントしており、単純に「大コケ」と切り捨てられる状況でもありません。
本記事では、
・クラウドファンディングでの期待値
・発売後の評価(レビュー・メタスコア・受賞歴)
・売上とビジネス的な立ち位置
・ファンが「成功」と感じたポイント、「失敗」と感じたポイント
といった要素を一つずつ整理し、「シェンムーIIIは成功だったのか/失敗だったのか?」を感情論ではなく“事実ベース+ファン目線”で公正に検証していきます。
クラウドファンディングの期待値と“重すぎたハードル”
発表時の衝撃と歴史的支援額
2015年のE3で突如発表された「シェンムーIII」は、ゲームファンだけでなく世界中のメディアを騒がせました。
Kickstarter開始と同時に支援が殺到し、開始わずか数時間でサーバーが重くなるほど。最終的には、当時のゲームジャンルでは歴代トップクラスとなる支援額を達成し、“伝説の続きがついに動き出した”という熱気が世界を包みました。
支援者の多くは、単にゲームが遊びたいだけではなく、作品を“完結に導くための力になりたい”という思いで参加しており、シェンムーというコンテンツの特異な愛され方を象徴していました。
「シェンムーの続き」ではなく「奇跡の復活」にかかった重圧
しかし、歴史的支援額は同時にプレッシャーでもありました。
20年以上続編を待ち続けたファンが思い描く“理想のシェンムーIII”は、世代が進んだ技術革新・AAA級の表現力・ハリウッドクラスの演出と膨大な要求を内包していました。
ところが、クラウドファンディングによる支援額は、AAAタイトルを作るにはまったく足りず、実際の開発規模は“中規模タイトル”相当。
この時点で「期待」と「現実」のギャップは埋めきれないほどに開いていました。
ファンの期待値と“現実的な開発規模”の乖離
多くの支援者は「前作の正統進化」を望んでいましたが、開発陣が目指したのは
“当時の雰囲気を保ちながら、現代で動く形にブラッシュアップした続編”。
つまり路線が、
・“最新技術で現代仕様に刷新”ではなく
・“原点回帰”
だったのです。
これにより、リリース時に大きな賛否を生む下地が整ってしまいました。
発売後の評価はなぜ賛否両論に割れたのか

批判の中心となったゲームデザイン/テンポの問題
発売直後のレビューで最も多かった指摘は「テンポの遅さ」でした。
NPCへの聞き込み・スキル稼ぎ・資金調達・仕事・修行など、過去作から受け継がれたシステムが丁寧に再現されている反面、それらの工程を何度も繰り返す必要があり、プレイヤーの進行がゆっくりとしたテンポに固定されていました。
「町の空気や生活を味わいながら進行する」という、シェンムーらしさが本来持つ魅力がそのまま残った一方で、
現代のゲームユーザーが求める
・快適性
・テンポの良さ
・即時的な達成感
とは真逆のプレイフィールだったことから評価は割れました。
さらにボス戦に臨むための「鍛錬」要素が強めに設定されていた点も賛否の材料となりました。
“戦いに勝つにはレベルを上げろ”という仕組みはJRPGでは一般的ですが、シェンムーIIIの場合は「修行の反復→バイトやギャンブルで資金→食事で体力→探索→鍛錬」のループが要求されるため、「作業感が強い」と感じるプレイヤーも少なくありませんでした。
これらの構造は、1作目・2作目をリアルタイムで遊び、当時の没入感を愛した層には懐かしさと安心感を与えた一方、
「2020年代のアクションアドベンチャー作品」として触れたユーザーには古めかしさやストレスとして映りやすかったのです。
この「評価の割れ」は、完成度の高低というより、
“ゲームの価値観・求める体験の差”が大きな要因 でした。
それでも評価された「シェンムーらしさ」の再現
批判があった一方で、シェンムーIIIを高く評価する声が確かに存在しました。
その中心にあるのは「シェンムーらしさが失われていなかった」という点です。
NPC一人ひとりが生活リズムを持ち、朝昼晩で行動や会話が変わる世界。
町を歩くと聞こえてくる市場の喧騒、寺の鐘の音、遠くの風鈴、細かな環境音。
人々の“生活”の上に物語が流れていく感覚は、当時のままの濃度で再現されていました。
また、緻密に作り込まれたロケーションも評価の対象となりました。
桂林や村の山道、夜市の明かり、民家や商店の内部まで丁寧に作られており、
「その場所に住む人々の息づかいが感じられる」という没入感は健在。
ファンからは「シェンムーの世界に帰ってきた」という嬉しさを伝えるレビューも多く見られました。
ストーリー面でも、“リョウが拳法家として成長する物語”という原点が改めて強調され、
1・2作目の延長線上にある“淡々とした旅の続き”を描いたことで、
シリーズを愛してきた層には「正しい続編」と認識された側面がありました。
総評論としてよく見られたのは、
- 過去作をリアルタイムで体験したファンにとっては“帰還の感動が強く刺さる”
- 現代設計のアクション作品を求めるユーザーには“地味・不便・古い”と映る
という、明確なターゲット差です。
言い換えれば、
シェンムーIIIは「万人向け」ではなく、「シェンムーを愛する人のための続編」だった
という点が、大きな賛否を生みました。
ライト層と濃いファン層、それぞれの“理想のシェンムー”の違い

シェンムーIIIの評価が割れた最大の理由は、ゲームの完成度そのものよりも、
プレイヤーが求めていた“理想のシェンムー像”が大きく異なっていたこと にあります。
■ライト層が求めていたもの
・現代基準のアクション性
・テンポの良いストーリードライブ
・遊びの密度とメリハリ
・前作の予習なしでも楽しめる導線
・わかりやすい達成感と報酬設計
つまり「2020年代の3Dアクションアドベンチャーとして優れたゲームであること」を期待していたユーザーが多く、
この視点からすると、シェンムーIIIは“古い構造や演出を残しすぎ”と映りやすかったと言えます。
■濃いファン層が求めていたもの
・NPCの生活感を含む世界そのもの
・寄り道や作業を含む“日常”の積み重ね
・大事件ではなく小さな生活の中で進む物語
・会話・挨拶・修行・バイトなどの反復要素
・「リョウが歩んだ旅の続き」であること
この視点からすると、シェンムーIIIは「当時の密度を守った、正統な帰還」と捉えられ、
“ファンのために作られた続編”として正しい方向性だったと言えます。
そして、シェンムーIIIの賛否をより象徴する体験談として、
「ハード性能はドリームキャストからPS4に飛躍したはずなのに、ゲーム内容としてはシェンムー2には遠く及ばないように感じた」
という声は決して少なくありません。
シェンムー2は当時として異例の予算・開発規模・技術を投じた“異常なレベルの作り込み”の作品で、
NPCの密度・マップ構造・演出・テンポ・イベント量すべてが、時代を大きく飛び越えた“奇跡”でした。
その衝撃を知っている人ほど、シェンムーIIIを遊んだときに、
グラフィックは向上しているのに、作品の壮大さや密度は後退しているように感じる
と受け止めやすく、結果として“落差”が失望感に変わったケースもあります。
ただし、その「落差」自体が、まさにクラウドファンディングによる開発規模と現実の制約を象徴しており、
「理想のシェンムー」と「作れるシェンムー」のギャップを目の当たりにさせられる体験でもあった
という点は、シリーズを追い続けたユーザーほど痛感しやすい部分でした。
ビジネス面では成功だったのか

売上・採算・プロジェクト規模の観点
シェンムーIIIに対する評価の議論では「売れたのか/失敗だったのか」という話題が頻繁に語られますが、
ここで重要なのは “どの規模の作品として開発され、どのラインを採算点と見ていたのか” です。
まず前提として、シェンムーIIIはクラウドファンディングおよび追加出資によって成立した中規模開発タイトルであり、
AAA(大規模商業タイトル)と競うことを前提にした企画ではありませんでした。
そのうえで、収益の観点を整理すると次の3点が軸になります。
1)Kickstarterおよび追加クラファンで制作資金の相当部分を事前に確保できていた
→ 販売本数だけで赤字・黒字を決める構造ではない
2)クラファンリワード(支援特典)分の出荷・配布で、一定の販売・利益が初動で担保されていた
→ 店頭販売や一般デジタル販売が不振でも即赤字にはならない
3)販売収益は中規模タイトルとしては“完全に失敗”と呼べるラインにはない
→ 大ヒットではないものの採算レベルとしては“問題ない(fine)”という趣旨の言及が関係者から行われている
つまり、ネットでよく言われる
「売れなかった=失敗だった」
という短絡的な構造には当てはまりません。

ただし、採算ラインを満たしたから大成功だったというわけでもなく、
“ビジネス的には最低限成立したが、市場拡大やライト層の新規獲得という点では伸び悩んだ”
というのがより正確な捉え方です。
このため、
・“シリーズを未来へ繋ぐだけの意義はあった”
・“大ヒットしなくてもシェンムーIIIは必要な1歩だった”
という評価が生まれる一方で、
・“この売れ方では続編は難しいのでは?”
という不安も併存する結果となりました。
AAA級ではなく“中規模タイトル”としての妥当性
シェンムーIIIを語るうえで欠かせない視点が、
「AAAタイトルとして失敗したのではなく、中規模タイトルとしては妥当な成果だった」
という点です。
多くのプレイヤーは、ドリームキャスト時代から受け継がれた“伝説の続き”である以上、
技術・表現・スケールすべてがPS4世代の最前線であってほしい
と期待していました。
その期待自体は自然であり、シェンムーが築いてきた存在感の大きさを考えれば当然と言えます。
しかし実際の開発規模は、
- AAA級のハイエンドアクション
- 広大なオープンワールド
- 映像演出の豪華さ
といった方向ではなく、
中規模開発で“再現”と“継承”に軸を置く設計 でした。
その結果、多くのプレイヤーの評価はこう分かれました:
・AAA級期待 → 期待外れに見える
・中規模制作の前提 → 十分に健闘しているように映る
つまり、シェンムーIIIの受け止め方は “期待の基準点” に大きく左右されたのです。
もし本作が「新規IP」かつ「中〜小規模タイトル」として登場していたなら、
評価はまったく異なるものになっていた可能性があります。
しかし現実には、
歴史的名作の“正統続編”として看板を背負ってしまった
ことが、作品の評価ハードルを跳ね上げた最大要因でした。
あえてシンプルな結論でまとめるなら、
作品の“質”よりも、作品に対する“期待”が重すぎた
この言葉に尽きます。
誰が悪い、どこが悪いという話ではなく、
ファンの純粋な想いと、現実的な開発規模が噛み合わなかった
というのがより公平な視点です。
「続編の制作ラインが閉ざされなかった」という最大の成果

売上やメタスコアの話題が多く語られる一方、
シェンムーIIIを語るうえで最も重要なポイントは、
「シリーズがここで終わらず、続きの可能性が残された」
という事実です。
長く待ち続けたファンにとって最大の恐怖は、
“シェンムーが未完のまま終わってしまうこと”
でした。
実際、シェンムーIIの発売からIIIの発表までには約18年の空白があり、
その間、続編が出る見込みは限りなくゼロに近いとまで考えられていました。
その状況からシェンムーIIIが実現し、物語が前に進んだという事実だけで、
シリーズの火は消えずに残り続けました。
しかもただ“出た”だけでなく、
原作者・鈴木裕が再び前線に立ち、ストーリーを進めたこと
この一点が何よりの大きな成果です。
さらに、発売後に
・ゲームの継続的な販売
・アートブック/原画資料/公式イベント
・インタビューでの「続けたい」発言
・IPとしての存在感が再び可視化されたこと
といった複数の動きが起きたことで、
「シェンムーが現在進行形のシリーズとして存続している」
という状態につながっています。
たとえIIIが
「爆発的ヒットで大量の新規ユーザーを獲得した」わけではなかったにせよ、
“続編が絶望的な状態”から“続きが可能性として残りつづける状態”に引き上げた
という意味では、ビジネスとしてもシリーズ運営としても大きな前進でした。
もしIIIが存在しなければ、
シェンムーは好きだったが、物語はもう永遠に動かない
という“失われたタイトル”のままだった可能性は高いです。
そしてシェンムーIII終了後も、
SNS・海外ファンコミュニティ・海外メディアなどでは
“Shenmue IVを望む声の継続的ムーブメント”が途絶えていません。
IIIの発売が、こうした「ファンが声を上げ続けられる場所」を守ったと考える人も多いです。
結論として、
シェンムーIIIの最大の成果は、ゲームとしての完成度を競ったことではなく
“シェンムーという物語を未来につないだ”こと
この1点に集約されます。
結論 —— シェンムーIIIは成功か失敗か
シェンムーIIIは、数字の世界では“勝者”でも“敗者”でもありませんでした。
レビューの世界でも“名作”でも“駄作”でもありませんでした。
ただひとつ言えるのは――
シェンムーがそこで終わらなかった。物語が再び動いた。
この事実だけは、誰にも否定できません。
完成度を語るなら、弱さもあった。
理想との落差もあった。
ハードの進化よりスケールが縮んだように感じた人もいた。
それでも、あのエンディングを見たあとに
「続きが見たい」
そう感じたなら、その時点でシェンムーIIIは役目を果たしていたとも言えます。
ファンの記憶が戻った。
キャラクターが再び息をし始めた。
夢が“過去形”ではなく“現在進行形”に戻った。
作品そのものの点数とは別の場所で、
確かに大切なものを守ったタイトルでした。
まとめ —— シェンムーIIIは決して黒歴史ではない

シェンムーIIIという作品を語るとき、
発売からの数年間で積み重なった“印象の言葉”だけでは、真実の輪郭を捉えきれません。
この作品は、たしかに弱点を抱えていました。
テンポの遅さ、反復作業の多さ、現代基準では古く見えるゲームデザイン。
期待されたPS4級のスケールに達していないと感じた人がいたのも事実です。
同時に、失われていなかったものもあります。
NPCが生きる街、寄り道に意味が宿る世界、歩くだけで空気が変わる場所。
前作の記憶を丁寧に受け継いだ“旅の続き”がそこにありました。
ビジネス面でも、ヒット作と胸を張れる数字ではありませんでした。
しかし、クラウドファンディングで成立した中規模開発としては採算ラインに達し、
シリーズを完全に閉じる必要は生まれませんでした。
鈴木裕が次を語り続けられる状況が守られたことは事実です。
そして何より、IIIがあったことで
シェンムーは過去の名作ではなく、現在進行形の物語に戻った。
これだけは、どんなレビューの数値より重い意味を持ちます。
完璧だったとは言えません。
誰にでもすすめられる作品ではありません。
それでも、シリーズがここで途切れなかった理由を求めるなら、
シェンムーIIIの存在を外すことはできません。
黒歴史でも、完全勝利でもない。
ただ、確かに必要だった一歩――
それがシェンムーIIIでした。