つぶログ深掘り

『ASAYAN』はなぜオーディションの落選者までスターにした?モーニング娘。誕生の仕組みを追う

目次
  1. ASAYANはなぜ落選者までスターにした?モーニング娘。誕生の仕組み
  2. 先に結論|ASAYANは「落選者を救う番組」だったわけではない
  3. 『ASAYAN』は1995年に突然生まれた番組ではない
  4. モーニング娘。誕生の前に、本当の勝者・平家みちよがいた
  5. では、なぜ落選した5人がもう一度集められたのか
  6. 「5日間で5万枚」は、実際には4販売日目で達成した
  7. なぜ歌の審査ではなく「CDを売ること」が最終条件になったのか
  8. 1997年9月14日、「モーニング娘。」が誕生する
  9. 視聴者はデビューする前から、5人のことを知っていた
  10. ASAYANは「合否の瞬間」より、その前後をテレビにした
  11. ただし「全部リアルだった」と考えるのも違う
  12. デビューしても物語は終わらない――追加メンバーという仕組み
  13. 鈴木あみでは、視聴者自身がスターを選んだ
  14. 太陽とシスコムーンでは、候補者同士の生活まで番組になった
  15. CHEMISTRYでは「誰を選ぶか」だけでなく、組み合わせまで競わせた
  16. ASAYANは毎回、同じオーディションをしていたわけではない
  17. なぜ「落選者」にもファンが付くのか
  18. 「誰が勝つか」より「誰を応援したくなるか」へ
  19. 1990年代後半だからこそ成立した巨大な仕組みでもあった
  20. 「スター誕生!」の焼き直しではなかった
  21. 今のサバイバルオーディションの「元祖」だったのか
  22. よくあるASAYAN・モーニング娘。説を整理
  23. では、本当にASAYANは「落選者までスターにした」のか
  24. 2002年に番組は終了、それでも仕組みは残った
  25. 約30年後も続くモーニング娘。が示す、ASAYAN最大の「予定外」
  26. まとめ|ASAYANが変えたのは「合格者の選び方」より、物語を終わらせる場所だった

ASAYANはなぜ落選者までスターにした?モーニング娘。誕生の仕組み

モーニング娘。は、『ASAYAN』のオーディションで優勝して生まれたグループではありません。

1997年に行われた「シャ乱Q 女性ロックヴォーカリスト オーディション」の正式なグランプリは平家みちよ。中澤裕子、石黒彩、飯田圭織、安倍なつみ、福田明日香の5人は、約1万人の応募者から最終候補11人まで残りながら、そこで一度落選しています。

普通のオーディションなら、ここで5人の物語は終わるはずでした。

ところが『ASAYAN』は違いました。落選した5人を再び集め、新しいユニットを作り、インディーズCD「愛の種」を用意し、「5日間で5万枚を売り切ればメジャーデビュー」という別の物語を始めたのです。

しかも、実際に5万枚へ到達したのは5販売日目ではありません。大阪、福岡、札幌と進み、1997年11月30日のナゴヤ球場、4販売日目で完売。予定されていた東京での販売を待たず、メジャーデビューが決まりました。

なぜ『ASAYAN』では、こんなことが起きたのでしょうか。

調べていくと見えてくるのは、「落選者を救済する番組だった」という単純な話ではありません。

『ASAYAN』は、誰が合格するかだけでなく、その人がどう変わり、その後どうなるのかまでテレビにした。

だから、落選しても物語が終わらなかった。デビューする頃には、視聴者はその新人を初めて見るのではなく、何週間、何か月も前から知っていた。

モーニング娘。の誕生を中心に、鈴木あみ、太陽とシスコムーン、CHEMISTRYまで追うと、『ASAYAN』がスターを生み出した仕組みが見えてきます。

先に結論|ASAYANは「落選者を救う番組」だったわけではない

この記事で最初に整理しておきたいのは、モーニング娘。の印象をそのまま『ASAYAN』全体へ広げてはいけないという点です。

『ASAYAN』で行われた数多くのオーディションが、すべて敗者復活方式だったわけではありません。

モーニング娘。のように、一度落選した候補者を同じ番組が改めて集め、新しいユニットとしてデビューまで追ったケースは、むしろ非常に強烈な例です。

それでも「落選者までスターにした番組」という印象が残ったのには理由があります。

  • 審査の舞台だけでなく、合宿やレッスンまで撮る
  • 候補者を一週で使い捨てず、何週にもわたって追う
  • 歌唱力だけでなく、性格、失敗、葛藤、成長まで見せる
  • 落選しても、その人物を次の企画へ持ち越せる
  • CD購入や電話投票によって視聴者自身も企画へ参加する
  • デビューした後も、新しい課題やメンバー追加を番組で追う

つまり『ASAYAN』が強かったのは、「敗者復活」というルールではありません。

候補者を“オーディション参加者”ではなく、毎週続きが気になる登場人物にしていたことが大きかったのです。

『ASAYAN』は1995年に突然生まれた番組ではない

『ASAYAN』はテレビ東京で1995年10月に始まり、2002年3月まで続きました。ナインティナインを中心に、時期によって永作博美、中山エミリらが進行を務めた番組として知られています。

ただし、その出発点を1995年だけで考えると、番組の特徴を見落とします。

前身は1992年に始まった『浅草橋ヤング洋品店』、通称『浅ヤン』です。

総合演出をテリー伊藤が手がけた『浅ヤン』は、タイトルだけを見れば若者向けファッション番組のようですが、放送を重ねるうちに料理人、企業経営者、芸人など、さまざまな人物を発掘してテレビの主人公にしていく番組へ変化していきました。

ここに、後の『ASAYAN』につながる重要な感覚があります。

最初から有名な芸能人を呼ぶのではなく、まだ世間が知らない人物の面白さをカメラで見つける。

1995年10月に『ASAYAN』へリニューアルすると、「夢のオーディションバラエティー」という方向が強くなり、小室哲哉を軸にした「コムロギャルソン」などの企画が展開されます。

『浅ヤン』で培われた「無名の人をテレビの主人公にする」という発想が、『ASAYAN』では「無名の人がスターになっていく時間を追う」方向へ伸びていったと見ると、二つの番組はきれいにつながります。

モーニング娘。誕生の前に、本当の勝者・平家みちよがいた

モーニング娘。の結成を語るとき、最も省略されやすい人物が平家みちよです。

1997年春から約5か月にわたって行われた「女性ロックヴォーカリストオーディション」では、約1万人の応募者から11人が最終候補へ残りました。

最終候補者は寺で4日間の合宿審査に参加。歌やダンスだけでなく、早朝の勤行、掃除、自炊なども含む生活そのものがカメラで追われています。

そしてグランプリに選ばれたのが平家みちよでした。

平家はシャ乱Qのプロデュースを受け、1997年11月5日に「GET」でデビューしています。

後にモーニング娘。が巨大な存在になったため、「優勝した平家より落選したモー娘。の方が売れた」と結果だけで比較されることがあります。

しかし、1997年の時点へ戻れば話は違います。

このオーディションの正式な勝者は平家みちよです。

モーニング娘。は平家に代わって選ばれたグループではありません。本来のオーディションが終わった後、落選者を使って始まった別企画から誕生しました。

では、なぜ落選した5人がもう一度集められたのか

ここがモーニング娘。誕生で最も不思議な部分です。

最終候補11人のうち平家みちよがグランプリになり、残る10人は落選しました。

その中から改めて選ばれたのが、次の5人です。

  • 中澤裕子
  • 石黒彩
  • 飯田圭織
  • 安倍なつみ
  • 福田明日香

ここでよく見かけるのが、「つんく♂が落選者を気に入ったため、5人を呼び戻してモーニング娘。を作った」という説明です。

大筋ではつんく♂が重要人物なのは間違いありません。ただし、現在確認できる本人・制作関係者の証言を見ると、つんく♂一人の発案として片付けるのは正確ではありません。

つんく♂は後年、平家を選んだところで番組は終わる予定だったものの、最終選考で落ちた10人にも「磨けば光りそうな子」がいて、その中から5人を選び、自分にプロデュースさせる話が持ち上がったという趣旨で振り返っています。

さらに『ASAYAN』の構成に携わった鮫肌文殊は、もっとテレビ番組側の事情を明かしています。

オーディション企画は長期間にわたって放送するため、ある企画が終わってから次の大型企画が本格的に始まるまで、番組をつないでいかなければなりません。

そこで、落選した候補者を集めて新しい企画にすれば、次の企画まで番組を続けられる。本人の回顧では、当初から後の大成功まで計算して始めたわけではなかったとされています。

これが事実なら、モーニング娘。誕生の見え方はかなり変わります。

巨大アイドルを作るための完璧な計画から始まったのではなく、テレビ番組が次の展開を必要としていたことと、落選者の中にまだ追ってみたい人物がいたことが重なった。

そして始めてみたら、予想以上に視聴者が反応した。

その後、番組の中心を占めるほど大きな物語へ成長していったのです。

なぜ、この5人だったのかは完全には分かっていない

もう一つ注意したいのが、「なぜ10人の落選者からこの5人だったのか」です。

後年の制作関係者の回顧には、歌だけではなく、テレビに映したときのキャラクターや組み合わせを考えて選んだことをうかがわせる証言があります。

一方で、当時の選考資料として「この項目を評価して5人に決めた」という明確な記録までは確認できません。

現在の5人を知っていると、「年齢や性格のバランスが完璧だったから選ばれた」と説明したくなりますが、それは結果を知った後から作れる話でもあります。

5人の選定に番組制作側とつんく♂の双方が関わった可能性は高いものの、細かな決定過程までは断定しない方が正確です。

「5日間で5万枚」は、実際には4販売日目で達成した

こうして集められた5人へ課されたのが、「愛の種」5万枚企画でした。

メジャーデビューの条件は、インディーズシングル「愛の種」を5日間で5万枚手売りすること。

ここには非常によくある誤解があります。

「5日間」は、11月3日から5日連続で売ったという意味ではありません。

順番場所結果
1販売日目大阪・HMV心斎橋店1997年11月3日に販売開始
2販売日目福岡販売継続
3販売日目札幌販売継続
4販売日目ナゴヤ球場11月30日に累計5万枚達成
予定されていた5販売日目東京名古屋で達成したため、東京販売を待たず終了

つまり正確には、「5販売日以内に5万枚」が条件で、4販売日目に達成したということになります。

また、「5万枚売れなかったら即解散だった」と紹介されることもありますが、公式に確認できるのは「5万枚完売がメジャーデビューの条件だった」というところまでです。

達成できなかった場合に必ずその場でグループを解散する、と正式に定められていたことまでは確認できません。

ここは「デビューできなかった」と「即解散」を分けて考える必要があります。

なぜ歌の審査ではなく「CDを売ること」が最終条件になったのか

この5万枚企画は、今振り返ってもかなり変わっています。

普通なら、歌手になるための最終審査は歌唱力やパフォーマンスでしょう。

ところが5人は、すでにオーディションで落選しています。再挑戦で与えられた条件は、再び審査員の前で歌って合格することではありませんでした。

実際にCDを買ってくれる人が5万人いること。

結果として、これはいくつもの役割を同時に果たしました。

販売イベントそのものがテレビの企画になり、会場へファンが集まる。CDを買った視聴者は、単なる観客ではなく「この5人をデビューさせる側」に回ります。そして販売状況が次週の番組を見る理由にもなる。

5万枚という条件を制作側が「市場調査」の目的で設定したと断定できる証言は確認できません。

ただ、結果として人気の可視化、イベント、宣伝、ファン形成、ストーリー進行を一つの企画で同時に実現したのは確かです。

1997年9月14日、「モーニング娘。」が誕生する

ハロー!プロジェクトの公式記録では、1997年9月14日放送の『ASAYAN』で「モーニング娘」に「。」が付き、つんく♂命名の「モーニング娘。」が誕生したとされています。

グループ名について現在の公式プロフィールでは、「いろいろついてくる、盛り沢山、おトク感、親しみやすい」といったイメージが由来として説明されています。

一方で、「。」を具体的に誰のどの一言で最終決定したのかについては、後年さまざまなエピソードが紹介されています。

ここでは、公式に確認できる「9月14日の放送で『。』が付いた」という事実と、その場の細かなやり取りに関する回顧談を分けて考えた方が安全でしょう。

「愛の種」5万枚を達成した5人は、1998年1月28日、「モーニングコーヒー」でメジャーデビューします。

しかし、『ASAYAN』にとっては、ここも最終回ではありませんでした。

視聴者はデビューする前から、5人のことを知っていた

モーニング娘。誕生で最も大きかったのは、デビュー曲を発売する前から物語が始まっていたことです。

視聴者は突然、新人グループを紹介されたわけではありません。

オーディションを受け、最終候補へ残り、寺で合宿し、苦戦し、平家みちよに敗れ、それでも再び呼び戻され、5人で曲を録音し、全国でCDを売る。

そこまでをテレビで見てから、ようやくメジャーデビューを迎えます。

これは、新人歌手の一般的な売り出し方とは順番が逆です。

一般的な新人デビューASAYAN型
オーディション・準備オーディションを放送
デビュー候補者の合宿・失敗・成長を放送
宣伝開始落選や再挑戦まで放送
テレビで新人として紹介デビュー条件そのものに視聴者が参加
ファンが付いていくファンができた状態でデビューへ進む

言い換えれば、『ASAYAN』では宣伝がデビューより前から始まっていたとも考えられます。

ただ商品を宣伝するのではありません。

視聴者が知ったのは曲名や顔だけではなく、「ここまで来るのに何があったのか」という時間そのものでした。

ASAYANは「合否の瞬間」より、その前後をテレビにした

『ASAYAN』以前にもテレビのオーディション番組は存在します。

代表的なのが、1971年に始まった日本テレビ系『スター誕生!』です。

『スター誕生!』も一般参加者を審査し、芸能界へ送り出す番組でした。したがって、「ASAYANが初めてオーディションをテレビで見せた」とする説明は正しくありません。

違いを探すなら、審査を見せたことではなく、審査の外側へカメラがどこまで入っていったかです。

『ASAYAN』の女性ロックヴォーカリストオーディションでは、歌やダンスだけでなく、寺での生活、掃除、自炊、早朝の勤行まで放送されました。

モーニング娘。になってからも、デビュー曲のパート争い、新メンバー加入、楽曲をめぐる競争などが次々と番組になります。

合格発表だけなら、一度見れば終わりです。

しかし「来週、この人はどうなるのか」を残せば、オーディションは連続ドラマのように続けられます。

ただし「全部リアルだった」と考えるのも違う

当時の『ASAYAN』には、候補者の生々しい表情が大量に映っています。

泣く、失敗する、怒られる、疲れる、他の候補者を意識する。

こうした場面を見れば、「台本も演出もない完全なリアルだった」と感じるかもしれません。

しかし、制作関係者の証言から分かるのは、それほど単純ではないことです。

女性ロックヴォーカリストオーディションでダンス指導を担当した夏まゆみは、後年の著書で、真夏のレッスン時に冷房を使わなかったことについて、自身の指導方針だけでなく、候補者が必死に取り組むドラマチックな映像を制作側が求めていたことにも触れています。

また、『ASAYAN』の演出を担ったタカハタ秀太は、小室哲哉からアメリカのリアリティ番組について聞いたことをヒントに、ドキュメンタリーをよりショーアップしたオーディションバラエティへしたと振り返っています。

ここから分かるのは、「全部やらせだった」ということでもありません。

実際のオーディションがあり、本当に候補者が競い、本当に結果が決まる。その一方で、カメラを置き、課題を設定し、映像を選び、音楽やナレーションを付け、次週へつながる物語として編集する。

現実の出来事とテレビの演出が重なっていた。

その境目こそが、『ASAYAN』の強烈な見やすさを作っていたのでしょう。

デビューしても物語は終わらない――追加メンバーという仕組み

モーニング娘。がさらに特殊だったのは、デビューした後もオーディションが続いたことです。

1998年には追加メンバーとして保田圭、矢口真里、市井紗耶香が加入。

一度完成したグループを固定するのではなく、新しい人物が入ってくる過程そのものを再び番組にしました。

これは『ASAYAN』にとって非常に相性のいい仕組みでした。

オーディションが始まれば、新しい候補者が登場する。既存メンバーはその結果を待つ。視聴者は「誰が入るのか」「グループはどう変わるのか」を追う。

つまり、モーニング娘。は「オーディションから生まれたグループ」で終わらず、グループの変化そのものを繰り返しオーディション番組へ戻せる存在になりました。

後藤真希は13歳で、一人だけ合格した

その象徴が1999年の第2回追加オーディションです。

このとき合格したのは、当時13歳の後藤真希一人でした。

後藤は同年9月発売の「LOVEマシーン」で早くも中心的なポジションを担い、モーニング娘。はさらに大きく注目されることになります。

後藤本人は後年、最終審査の寺での合宿について、当時はどこにカメラが置かれているか分からず、ありのままの自分がオンエアされて驚いたと振り返っています。

この証言は、『ASAYAN』のカメラが舞台上だけを撮っていたのではないことをよく表しています。

ただし、「最初から後藤だけを合格させることが決まっていた」という裏付けは確認できません。

後の大活躍を知っているからといって、「最初から一人だけ別格だった」という物語へ置き換えるのは避けた方がよさそうです。

鈴木あみでは、視聴者自身がスターを選んだ

『ASAYAN』は、モーニング娘。方式をすべての企画で繰り返したわけでもありません。

1998年の「ヴォーカリストオーディションファイナル」では、東京、大阪、札幌、福岡で行われた地方オーディションから17人がスタジオ審査へ進み、視聴者投票によって5人へ絞られました。

さらに最終決選も電話投票。

そこで802,157票を集めて1位となったのが、当時「鈴木あみ」と表記していた現在の鈴木亜美です。

1位になった後、デビュー曲のプロデューサーが小室哲哉であることが明かされました。

モーニング娘。では視聴者の「CDを買う」という行動がデビュー条件を成立させましたが、鈴木あみでは、もっと直接的です。

視聴者の投票が、そのまま誰を選ぶのかに入ってきた。

現在のサバイバルオーディションで見られる視聴者投票を思わせる仕組みですが、もちろん鈴木のその後の成功まで「電話投票だけ」で説明することはできません。

小室哲哉によるプロデュース、楽曲、レコード会社、テレビ出演など、デビュー後には別の要因が重なっています。

太陽とシスコムーンでは、候補者同士の生活まで番組になった

『ASAYAN』が歌唱力だけを見ていなかったことがよく分かるのが、太陽とシスコムーンです。

「つんくプロデュース芸能人新ユニットオーディション」から、信田美帆、稲葉貴子、RuRu、小湊美和の4人が選ばれ、1999年にデビューしました。

本人たちの後年インタビューによると、候補者8人はサンフランシスコで二つのグループに分かれ、同じマンションで約40日間の共同生活を送っています。

曲選びも自分たちで行い、意見がぶつかることもあった。元体操選手、元アイドル、女優経験者など、背景の違う候補者が一緒に暮らしながら競いました。

本人たちが後年「全員敵だった」と振り返るほどです。

この企画では、ステージ上の歌だけでなく、候補者同士が一緒に暮らしたらどうなるのかまで選考の材料であり、同時にテレビ番組の内容になっていました。

CHEMISTRYでは「誰を選ぶか」だけでなく、組み合わせまで競わせた

番組後期の代表例が「ASAYAN超男子。オーディション」です。

ソニーミュージックの公式資料では、全国約2万人規模の候補者から選考が進められたことが確認できます。

最終段階では、残った候補者から3組のR&Bデュオを作り、2000年12月に「最後の夜」で「仮デビュー」。その3組から1組を正式デビューさせるという、これもまた独特の方式でした。

最終的に選ばれた堂珍嘉邦と川畑要は、CHEMISTRYと名付けられ、2001年3月7日に「PIECES OF A DREAM」でデビューします。

ここでも、最初から完成品が置かれていたわけではありません。

候補者一人ひとりを見るだけでなく、誰と誰を組ませたときに最も魅力的になるのかまで番組の中で試されました。

「ATSUSHIはCHEMISTRYに落ちた」は少しだけ言い方が違う

このオーディションには、後にEXILEで活動するATSUSHIも参加しています。

ATSUSHIは、後にEXILE/EXILE THE SECONDで活動するNESMITHらとともに最終候補5人まで残りました。

そのため現在でも「ATSUSHIはCHEMISTRYのオーディションに落ちた」と説明されることがあります。

意味は通じますが、正確には少し違います。

最初から「CHEMISTRY」という二人組が存在していて、そのメンバー選考にATSUSHIが落ちたわけではありません。

男子ヴォーカリストオーディションの結果として堂珍と川畑の組み合わせが選ばれ、その後CHEMISTRYになったという順番です。

ATSUSHIはその後、別のルートでJ Soul Brothersを経てEXILEへ進みます。

これは「ASAYANがATSUSHIをスターにした」という話とは別です。

ただ、普通なら外部から見えないオーディションの落選過程まで全国放送されていたため、落選しても参加歴と人物の印象が視聴者や業界側に残った。その影響まで無視する必要はないでしょう。

ASAYANは毎回、同じオーディションをしていたわけではない

ここまでの代表例を並べると、『ASAYAN』の本当の特徴が見えてきます。

企画主な仕組み生まれた人物・グループ
女性ロックヴォーカリストオーディション長期選考・合宿。グランプリ決定後、落選者から別企画平家みちよ/モーニング娘。
「愛の種」5万枚企画CD購入がメジャーデビュー条件モーニング娘。
追加メンバーオーディションデビュー済みグループへ新メンバー加入保田圭、矢口真里、市井紗耶香、後藤真希など
ヴォーカリストオーディションファイナル視聴者による電話投票鈴木あみ(現・鈴木亜美)
芸能人新ユニットオーディション海外合宿・共同生活・候補者同士の競争太陽とシスコムーン
ASAYAN超男子。オーディション長期選考後、複数のデュオを組ませて仮デビューCHEMISTRY

同じ番組なのに、選び方はかなり違います。

審査員が決める。視聴者が投票する。CDを買って条件を達成する。共同生活をする。候補者同士の組み合わせを変える。

つまり『ASAYAN』は、固定されたオーディション番組というより、候補者に合わせて「どうすれば続きが見たくなるか」を毎回組み替える番組だったと考えた方が実態に近そうです。

なぜ「落選者」にもファンが付くのか

普通の非公開オーディションでは、落選者の名前を世間が知ることはほとんどありません。

『ASAYAN』では事情が違いました。

最終審査まで残れば、その時点で何週もテレビに映っています。

視聴者は歌だけではなく、その人が怒られた場面、努力した場面、泣いた場面、他の候補者と話している場面まで見ています。

だから、審査結果が「落選」でも、視聴者の頭から名前まで消えるとは限りません。

モーニング娘。初期5人の場合、それが極端な形で作用しました。

落選したときには、すでに完全な無名ではなかった。

しかも直後に「この5人にも次のチャンスがある」と新しい物語が始まる。

視聴者はゼロから新人を知る必要がありません。すでに知っている5人を、そのまま次の週も追えばよかったのです。

「誰が勝つか」より「誰を応援したくなるか」へ

この構造になると、オーディションを見る基準も変わります。

誰が一番歌がうまいかだけではありません。

「この子には残ってほしい」「ここまで頑張ったのだからデビューしてほしい」「来週も見たい」。

視聴者がそんな感情を持てば、結果発表は単なる審査結果ではなくなります。

鈴木あみの企画では電話をかける。モーニング娘。ではCDを買いに行く。

応援が番組を見るだけの行為から、スター誕生の結果へ関与する行動へ変わっていきました。

現在ならSNSのフォロー、動画再生、オンライン投票などで当たり前に見られる行動ですが、1990年代後半には、全国放送のテレビと電話、CD販売イベントがその役割を担っていました。

1990年代後半だからこそ成立した巨大な仕組みでもあった

『ASAYAN』の成功を番組のアイデアだけで説明することもできません。

モーニング娘。や鈴木あみが登場した1990年代後半は、日本の音楽ソフト市場そのものが非常に大きな時代でした。

日本レコード協会の統計によると、音楽ソフトの年間生産金額は1997年に約5880億円、1998年には約6075億円に達しています。

CDを買うこと自体が巨大な大衆文化だった時代です。

しかもYouTubeもSNSもありません。

多くの人が同じ日曜夜のテレビ番組を見て、翌日学校や職場で同じ候補者について話せる。番組で告知された販売会場へ行き、CDを買い、次の日曜日にはテレビでその結果を見る。

テレビが候補者を発見し、テレビが物語を作り、テレビが宣伝し、視聴者を店舗へ動かす。

1990年代後半のメディア環境とCD市場があったからこそ成立した循環でした。

「スター誕生!」の焼き直しではなかった

テレビの公開オーディション自体は、『ASAYAN』よりはるか前から存在しています。

1971年に始まった『スター誕生!』も、歌唱力だけでなくタレント性を審査し、スター候補を芸能界へ送り込む番組でした。

そのため『ASAYAN』を「テレビオーディションの元祖」とするのは無理があります。

『ASAYAN』らしさを挙げるなら、舞台上の審査からさらに外へカメラを持ち出したことでしょう。

合宿へ行く。宿泊先を撮る。レッスンを追う。候補者同士の会話を撮る。落選した後まで追う。デビュー後も課題を与える。

スターを選ぶイベントだけでなく、スターになるまでの時間そのものを連載化したところに、『ASAYAN』の特徴があります。

今のサバイバルオーディションの「元祖」だったのか

『PRODUCE 101 JAPAN』『Nizi Project』『THE FIRST』『No No Girls』など、現在のオーディション番組を見ると『ASAYAN』を思い出す要素は少なくありません。

レッスン、合宿、脱落、成長、候補者同士の関係、視聴者参加、デビュー前から生まれるファン。

実際、テレビ東京は2021年に始めた『~夢のオーディションバラエティー~Dreamer Z』を、公式に「ASAYANの系譜を受け継ぐ」オーディションドキュメンタリーと位置付けています。

ただし、だからといって『ASAYAN』を現在のサバイバルオーディションすべての元祖とすることはできません。

日本には『スター誕生!』などの先行番組があり、海外には別のリアリティショーやタレントショーの歴史があります。

現在はSNS、動画配信、オンライン投票、グローバル展開、練習生制度など、1990年代にはなかった仕組みも加わりました。

それでも、デビュー前の無名な候補者を長期間追い、「推したくなる時間」をテレビで作った日本の重要な先行例として『ASAYAN』を位置付けることはできるでしょう。

よくあるASAYAN・モーニング娘。説を整理

よくある説明確認結果
モーニング娘。はオーディションの落選者で作られた事実。ただし単なる早期敗退者ではなく、約1万人から最終候補11人まで残った5人。
女性ロックヴォーカリストオーディションの本当の勝者はモーニング娘。誤解。正式なグランプリは平家みちよ。モーニング娘。は終了後の別企画。
つんく♂が一人で5人を集めてモーニング娘。を作った単純化しすぎ。つんく♂は重要人物だが、番組制作側の企画事情を示す関係者証言もある。
「愛の種」は5日かけて5万枚売った誤り。5販売日以内が条件で、4販売日目の1997年11月30日に達成。
5万枚売れなければ必ず即解散だった確認できない。5万枚がメジャーデビュー条件だったことは公式確認できる。
後藤真希は最初から一人だけ合格すると決まっていた根拠を確認できない。実際に一人で合格したことと、事前決定説は別。
鈴木あみは視聴者投票で選ばれた事実。最終電話投票で802,157票を集め1位。
CHEMISTRYは約2万人規模のオーディションから生まれた公式資料で確認できる。
ATSUSHIはCHEMISTRYに落ちた意味は近いが表現に注意。男子ヴォーカリストオーディション最終候補5人の一人で、堂珍・川畑の組が選ばれた後にCHEMISTRYが成立した。
ASAYANは全部台本なしのガチだったそうは言えない。実際の競争を撮る一方、制作側の演出意図があったことも関係者証言から分かる。
ASAYANが現在のオーディション番組の元祖断定できない。国内外に先行例がある。日本の重要な先行例と見るのが適切。

では、本当にASAYANは「落選者までスターにした」のか

ここまでを見ると、タイトルの問いにも少し補足が必要です。

『ASAYAN』に落ち、その後別の芸能事務所や別のグループで成功した人物まで、すべて「ASAYANがスターにした」とするのは広げすぎです。

ATSUSHIのように番組外の道からスターになった人もいます。

一方、モーニング娘。初期5人は違います。

彼女たちは一度落選した後も同じ『ASAYAN』の中に残り、新企画を与えられ、CDを作り、販売し、番組がその過程を追い、メジャーデビューへ到達しました。

この5人については、「ASAYANが落選後の物語まで作り、その中からスターが生まれた」と言っていいでしょう。

しかし、さらに重要なのは「敗者復活があった」という結果ではありません。

落選するまでに、すでに視聴者が候補者の顔と名前と性格を知っていたこと。

そして落選した翌週からでも、その人物を主人公にした新しい物語を始められるだけの蓄積があったことです。

2002年に番組は終了、それでも仕組みは残った

『ASAYAN』は2002年3月に終了しました。

なぜ終了したのかについては、視聴率、企画の変化、音楽市場の変化などさまざまな説明がありますが、今回確認した範囲では、テレビ東京が単一の終了理由を公式に説明した資料までは確認できませんでした。

したがって、「○○が原因で打ち切られた」と一つに決めるのは避けたいところです。

ただし、番組終了後も、その方法は消えませんでした。

2021年にテレビ東京がスタートした『~夢のオーディションバラエティー~Dreamer Z』では、局自身が「ASAYANの系譜を受け継ぐ」と説明しています。

テレビ東京にとっても、『ASAYAN』は単に人気歌手を何組か輩出した昔の番組ではなく、「オーディションドキュメンタリー」という形式を残した番組として記憶されていることになります。

約30年後も続くモーニング娘。が示す、ASAYAN最大の「予定外」

1997年、女性ロックヴォーカリストオーディションのグランプリを決めたところで、本来の企画は終わるはずでした。

その後の空白を埋めるように始まった落選者5人の企画が、やがて番組の中心的な存在になる。

そして2026年現在も、グループは「モーニング娘。'26」として活動を続けています。

最初から約30年続くグループを設計していたわけではありません。

むしろ、そこに『ASAYAN』らしさがあります。

候補者を見ながら企画が変わる。

落選した人物から、新しい企画が生まれる。

視聴者が反応すれば、その物語をさらに続ける。

完成図を最初に決めて、その通りにスターを製造したというより、テレビで人を追い続ける中から、予想していなかったスターが生まれる余地を残していた番組だったのでしょう。

まとめ|ASAYANが変えたのは「合格者の選び方」より、物語を終わらせる場所だった

モーニング娘。の5人は、一度オーディションに落ちています。

一般的なオーディションなら、その瞬間にテレビから消えても不思議ではありません。

ところが『ASAYAN』は、そこを終点にしませんでした。

落選した5人を集め、名前を付け、曲を作り、5万枚という条件を課し、全国でCDを売り、その結果までテレビで追いました。

さらにデビュー後も、新メンバー、新曲、競争、予想外の出来事を次々と番組にしていきます。

鈴木あみでは視聴者自身が電話投票で選考へ入り、太陽とシスコムーンでは約40日の共同生活を見せ、CHEMISTRYでは約2万人規模の選考から複数のデュオを組ませて最後まで競わせました。

『ASAYAN』は、合格者の名前を発表するためだけの番組ではありませんでした。

無名だった人が、失敗し、落ち、悩み、もう一度立ち上がり、スターになっていくまでの「時間」そのものをテレビにした。

だから視聴者は、デビューの日に初めて新人へ出会うのではありません。

すでに何週間、何か月も見てきた人が、ようやくデビューする瞬間を迎えることになります。

モーニング娘。誕生で『ASAYAN』がやった最も大きなことは、「落選者を勝者に変えた」ことではないのかもしれません。

本来なら物語の最終回になるはずだった「落選」を、次の物語の第1話へ変えた。

それこそが、現在まで『ASAYAN』がオーディション番組史の重要作として語られる一番の理由なのではないでしょうか。

-つぶログ深掘り
-, , , ,