
🎮 はじめに:今日もまた、迷作という名の階段を登る
発売当時に話題にならず、今では語られる機会も少ない。けれど、一部のファンに強く刺さり、妙に記憶に残る──そんな“迷作”たちを掘り起こすこのシリーズ。第2弾で取り上げるのは、1986年にナムコが世に放ったファミコン用アクションパズルゲーム『バベルの塔』。聖書にインスパイアされた世界観、重厚なBGM、そしてクセの強いゲーム性が特徴のこの作品は、なぜ“幻”になってしまったのか。今こそ、その階段を一段ずつ登ってみましょう。
🧱 作品の概要と独特の世界観

まずタイトル。「バベルの塔」と聞いて、なんか難しそう…と思ったあなた、正解です。でも安心してください、このゲームは“堅苦しさ”と“謎テンション”が絶妙にブレンドされた、ファミコン時代ならではの摩訶不思議ワールドです。
プレイヤーが操作するのは、“インディ・ジョーンズ系考古学者”っぽい雰囲気の主人公「インディー」。とにかく彼はブロックを押して、積んで、登って、登って、また登って……気づけば空のかなたまで挑戦し続けます。ジャンプも攻撃もない、あるのは知恵と根性と重力だけ。思考型アクションパズルの真髄がここにあります。
物語の目的は、なんと“不老不死の秘宝を手に入れること”。いやいや、そんな重要な使命を、こんな無口で小柄な男に任せてよかったのか?──という疑問を抱えながらも、階層ごとに練られたステージ構成と、やたら荘厳なBGMにテンションは否応なしに上昇。特にメインテーマの重厚さは、いまだに「ファミコンBGM傑作選」に名を連ねるほどの完成度です。
ブロックを押し、罠を避け、頭を抱えながら“もう1回だけ…”とプレイを繰り返すうちに、不思議な達成感がじわじわ染み込んできます。まさに、気づけばあなたもバベルの塔の住人。
🌀 迷作と呼ばれる、その理由
バベルの塔。重厚な世界観に反して、妙にシュールなビジュアル。なんだか深そうなストーリーに対して、ゲーム中に語られる情報はほぼゼロ。すべての答えはプレイヤーの想像力にゆだねられており、説明不足ギリギリの“余白芸”が炸裂しています。
最大のクセ、それは操作性とテンポ。インディーはブロックを押すだけの男ですが、その「押す」のがまあ重い。トロい。反応が微妙に遅れるうえ、ちょっとしたミスでブロックが崩れてやり直し。緻密に組んだ“バベル建築”が、あっけなく瓦解したときの絶望感は、ある意味リアルです。
さらに難易度も容赦なし。30階を越えるあたりからは、ほぼ“先読み地獄”。1手ミス=詰み、なんてこともザラ。セーブ? ありません! パスワード? メモを忘れたら一巻の終わり! 当時の小学生が根気と時間のすべてを捧げるに値する“精神修行ソフト”でした。
その結果どうなったかというと──
「ゲームとして面白い。でも…疲れる」
「達成感あるけど…もうやらない」
そんな複雑な感情がプレイヤーの胸に宿る、不思議な作品となってしまったのです。
でも、だからこそ“迷作”。決して“クソゲー”じゃない。でも、“名作”とも言い切れない。この微妙な立ち位置こそが『バベルの塔』最大の魅力と言えるかもしれません。
🔍 このゲームはなぜ“幻”と呼ばれるのか?

『バベルの塔』──名前は立派。でも、レトロゲームファン同士で語られることは、驚くほど少ない。
その“幻”感には、いくつかの明確な理由が存在します。
まず、リバイバルの機会が極端に少なかったこと。
名作とされるナムコ作品の多くが、ファミコンミニやバーチャルコンソールなどで繰り返し復刻されてきた中、『バベルの塔』はなぜか取り残されました。WiiやSwitchにも配信されず、レトロゲーマーが手軽に再プレイできる環境が整わなかったのです。
次に、地味すぎるビジュアルとジャンルの壁。
アクションなのにスピード感がない。パズルなのにキャッチーじゃない。パッケージには神殿と謎の男。子ども心に「うわ、これ難しそう…」と思わせる絶妙な“選ばれないオーラ”を放っていました。並んだ棚の中で、自然と目がスーパーマリオに吸い寄せられてしまう、そんな時代の空気感もあります。
さらに、ストーリー要素が“想像の余白”に任されすぎていた点。
ラスボスもいない。セリフもない。スタッフロールさえない。プレイヤーの頭の中にしか存在しない物語は、時とともに薄れ、語り継がれる「物語」としての遺産を残せなかったのです。
結果的に、誰かの記憶には残っているけど、みんなで共有されることはなかった──
それが“幻”と呼ばれる最大の理由でしょう。
🗣 当時のプレイヤーの声・記憶に残る体験

『バベルの塔』は、発売当時、密かにハマる少年少女を生み出していました。
しかしそれは爆発的ブームではなく、“自宅のテレビの前だけで静かに完結する個人的な戦い”──そんな空気感をもったゲームでした。
ある元プレイヤーは、ブログでこう語っています:
「クリアしても何もなかった。でも、自分の中に“やり遂げた感”は確かに残っていた」
ファミコンの主流はスピードと爽快感が命のアクション全盛期。
そんな中で、ブロックを一つひとつ慎重に動かし、登っていくこのゲームは、“忍耐力”と“観察力”が試される異色の存在でした。
とあるゲーム雑誌の投稿コーナーでは、次のような意見も見られました:
「兄貴がやってたけど、30分見てても1階も進まなかった。
意味わからんのに、なんか気になるゲームだった」
“意味がわからないのにやめられない”──このジレンマも『バベルの塔』らしさ。
SNS上では、近年になって再プレイしたというファンがこんなコメントを残しています:
「子どもの頃、投げ出したままになってたゲーム。今やったらめっちゃ奥が深かった…」
──(X/Twitterより)
記憶の中で眠っていたこのゲームが、再び語られることは稀ですが、プレイした者にとっては心にしっかり“謎の達成感”を刻み込んだ作品だったのです。
📦 再評価の可能性と今なお語られない理由
『バベルの塔』は、その後“名作ランキング”や“再評価ブーム”で名前が出ることは、ほとんどありません。
しかし実は、今だからこそ見直されるべき“魅力の原石”をいくつも持っているのです。
まず注目すべきは、ゲームデザインの先進性。
ブロックを押し引きしてルートを作るというシステムは、当時としてはかなり斬新で、
現代の“物理系パズルゲーム”の先祖とも言える存在です。
しかも、やり込み前提のステージ構成、何度も試行錯誤を促すレベルデザインは、今なら「硬派な名作」として再評価されても不思議はありません。
さらに、謎めいたストーリー性と考察の余白。
「なぜバベルを登っているのか?」「インディーとは何者なのか?」
こうした問いにゲーム内で明確な答えは与えられませんが、それゆえに「語りたくなる魅力」があります。
近年流行の“考察文化”とも相性が良い作品といえるでしょう。
…とはいえ、現実は厳しい。
このゲームが再評価されにくい最大の理由は、
「パッと見で興味を引く要素が薄い」ことと「再プレイ環境の不遇さ」にあります。
配信・移植の機会が極端に少なく、公式の愛も薄め。
ファミコン復刻企画でも取り上げられず、埋もれたままの存在となっています。
Steamで“インディー再誕”なんて展開でもあれば話は変わるかもしれませんが、いまのところ兆しはありません。
結果として、“一部の記憶の中では輝くけれど、表舞台には出てこない”──
それが『バベルの塔』が今なお“語られない理由”なのです。
🎁 豆知識・トリビア
① 主人公の名前は「インディ」──だが公式設定ではない!?
『バベルの塔』のパッケージや説明書には、実は主人公の名前が明記されていない。
しかしファンの間では「インディ」と呼ばれることが多く、これは同時代に流行していた映画『インディ・ジョーンズ』シリーズからの連想によるものと考えられている。
のちにナムコの一部グッズや書籍でこの名前が登場し、“非公式設定”として広まったという経緯がある。
② バベルの「塔」と言いつつ、最上階は空中庭園?
全64ステージを攻略した先に待つのは、“塔の頂上”ではなく、空に浮かぶような謎のステージ。
ブロック配置も左右非対称で、まるで“現実の構造物ではない世界”に迷い込んだかのようなデザインとなっている。
これにより、「塔=垂直に積まれた構造物」という常識を崩し、終盤で世界観が裏切られる構成は、当時としては珍しかった。
③ 一度もバーチャルコンソールに収録されていないナムコ作
『バベルの塔』は、ナムコが提供してきた数多くのファミコンタイトルの中でも、
Wii/Wii U/3DSのバーチャルコンソールに一度も登場していない。
他のナムコットタイトル(例:ギャラガ、ワルキューレの冒険、ドルアーガの塔など)が次々と復刻されていく中、
なぜか『バベルの塔』だけは取り残された。これが“幻”と呼ばれる要因の一つでもある。
🕹『バベルの塔』の移植・配信・リメイク状況
『バベルの塔』(FC/1986)は、意外にも移植・配信・リメイクといった展開が極めて限られています。
以下、現時点で確認できる公式な展開は次の通りです。
✅ 1. オリジナル:ファミリーコンピュータ(1986年7月18日発売)
- 初登場はファミコン。ナムコ(ナムコット)ブランドからのリリース。
🚫 2. バーチャルコンソールでは未配信
- Wii、Wii U、3DSいずれのバーチャルコンソールでは未配信。
- 他のナムコ作品(例:ドルアーガの塔、ワギャンランドなど)が複数VC化されている中、本作は取り残された形。
❌ 3. Nintendo Switch Online(NSO)にも未収録(2025年8月時点)
- 現在進行形のNSO(ファミコン作品ライブラリ)にも、2025年8月時点では未収録。
- 同期タイトルの多くがNSO入りしていることを考えると、ここでも“幻”ポジション。
🔄 4. 移植・復刻パッケージにも非収録(ファミコンミニ等)
- GBAのファミコンミニシリーズや、**復刻型ハード(例:ニンテンドークラシックミニ ファミコン)**にも未収録。
- 復刻のラインナップに選ばれなかったことで、世代を超えた再発見の機会が極端に少なかった。
🧩 5. 一部パズル集CD-ROMに類似ゲームが登場(非公式系)
- 一部のパズルゲーム系アーカイブCDなどに、“酷似した”ゲームが収録されていた例もありますが、公式の移植ではなく、クローン作品やオマージュに近いものと考えられています。
📝 結論
『バベルの塔』は、ナムコのファミコン黄金期を支えたタイトルでありながら、
その後のリバイバル展開からはほぼ完全に外されている作品です。
この「再プレイできないことが“幻”に拍車をかけている」という事実が、
本作を語るうえで非常に重要なポイントです。
🔚 そして誰も語らなくなった──『バベルの塔』という沈黙

かつてファミコン黄金期に登場した『バベルの塔』は、
ナムコブランドの中でも異彩を放つ一本だった。
しかし今、ゲーム史を語るうえでこのタイトルの名を挙げる人は、ほとんどいない。
それは“出来が悪かったから”でも、“売れなかったから”でもない。
むしろ評価のバランスは取れていたし、当時のプレイヤーの間では「独自の面白さ」が確かに語られていた。
それでも、このゲームは沈黙に包まれていった。
その理由は、地味でストイックな設計ゆえの“後追いされなさ”にあるのかもしれない。
アクション性が乏しく、ストーリーも明示されず、派手な演出もない。
SNSで話題になるような“バズの起爆剤”が、ここにはほとんどなかった。
さらに致命的だったのが、リバイバルの機会の少なさ。
名作が語り継がれるには“再会のきっかけ”が必要だ。
だが、『バベルの塔』はその扉すら開かれなかった。
バーチャルコンソールにも、クラシックミニにも、SwitchのNSOにも姿を見せていない。
その結果、若い世代に発見される“橋渡し”がなされなかったのだ。
時代は移り変わり、語り部も減っていく。
やがてこのゲームは「語られなかった作品」として、ひっそりと“幻”へと変わっていった。
それでも今、この記事を読んでいるあなたが存在する。
それはつまり、まだ『バベルの塔』が完全には沈黙していないことの証だ。
この“沈黙の塔”を、再び登るプレイヤーが現れることを願って──。
地味だけどクセになる、まさに“積みゲー”の原点かも?