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『笑っていいとも!』はなぜ終わった?2014年終了の理由と32年の歴史、その後のフジテレビ昼帯

目次
  1. 笑っていいとも!はなぜ終了した?2014年終了理由と視聴率・タモリの意向を徹底検証
  2. 『笑っていいとも!』は1982年、最初から大成功した番組ではなかった
  3. 32年続いた理由は「同じ番組を守ったから」ではない
  4. 実は1987年にも「マンネリ」が問題になっていた
  5. それでも終了前には、視聴率がはっきり落ちていた
  6. 終了1年8か月前、フジテレビは『いいとも!』を27時間テレビの中心にしていた
  7. 2013年夏、タモリが一部コーナーから姿を消した
  8. 2013年10月22日、突然発表された「来年3月で終了」
  9. フジテレビが公式に説明した「いいとも終了」の理由
  10. タモリ自身は「辞めたい」と思っていたのか
  11. 「視聴率?マンネリ?年齢?」よく語られる終了理由を検証
  12. 『いいとも!』は「終わらなければならない番組」だったのか
  13. 2014年、フジテレビは明確に「脱いいとも」を掲げた
  14. 『バイキング』終了後、フジテレビの昼は再び揺れた
  15. 『いいとも!』は、単なる人気番組ではなかった
  16. 最終回の“奇跡の共演”は、32年間の蓄積があったから成立した
  17. では、『笑っていいとも!』は本当に2014年で終わる必要があったのか
  18. 『笑っていいとも!』とは結局、何だったのか
  19. 主な確認資料

笑っていいとも!はなぜ終了した?2014年終了理由と視聴率・タモリの意向を徹底検証

『笑っていいとも!』の1982年から2014年までの32年間と番組終了を象徴する昼のテレビスタジオのイラスト

2014年3月31日、フジテレビの『森田一義アワー 笑っていいとも!』が32年間の放送を終えました。

長寿番組の終了と聞けば、「視聴率が落ちた」「マンネリになった」「司会者が高齢になった」といった理由を思い浮かべるかもしれません。

実際、『いいとも!』の視聴率は全盛期から大きく下がっていました。競合番組も強くなり、2010年代に入ると昼帯で毎日のように圧勝する番組ではなくなっています。

ところが、終了前年の2013年も年間平均視聴率は6.1%で、1989年から25年連続となる民放同時間帯の年間首位でした。

しかもタモリ本人は、最終回まであと10日となった2014年3月21日の放送でも、32年間で番組を辞めようと思ったことについて「ない」と答えています。

さらに意外なのは、『いいとも!』の終了が発表された後も、後番組が決まっていなかったことです。2013年11月29日のフジテレビ社長会見では、後番組について「まだ何一つ決まっていない」と説明されていました。

先に結論

『笑っていいとも!』には、視聴率低下や競合番組の成長など、長寿番組としての衰えが確かにありました。

しかし、2014年春に継続不能へ陥ったことを示す資料は確認できません。

公開資料で最もはっきりしているのは、年間視聴率3位へ低迷していたフジテレビが局全体のタイムテーブルを作り直す必要があると判断し、8000回という節目を前にタモリ側・番組側と協議したうえで終了を選んだ、ということです。

つまり『いいとも!』は、視聴者がいなくなって自然に消えた番組というより、まだ一定の競争力を残していた段階で、フジテレビ全体の編成改革の中から「終了」が選択された番組だったと見るのが、現在確認できる資料には最も近そうです。

『笑っていいとも!』は1982年、最初から大成功した番組ではなかった

『森田一義アワー 笑っていいとも!』が始まったのは1982年10月4日です。

平日の正午、新宿・スタジオアルタから毎日生放送。司会に起用されたのはタモリでした。

今では「昼の顔」としての印象が強いタモリですが、番組開始前は深夜色やアングラ色の強い存在として知られていました。初期ディレクターたちも後年、「昼にタモリ」という人選を当初は意外に感じたと振り返っています。

しかも初回の世帯視聴率は4.5%。最初から昼の王者だったわけではありません。

ところが放送開始後、数字は急速に伸びていきます。初期ディレクターの証言では、1985年8月には月間平均が20%を超えるほどになっていました。

番組史上最高視聴率は、1988年4月29日の27.9%です。

ただし、この27.9%は一日の最高記録です。終了前年の「年間平均6.1%」と直接比較して、「27.9%から6.1%まで落ちた」とするのは正確ではありません。単回最高と年間平均では集計条件が違うからです。

人気を押し上げた「テレフォンショッキング」

番組を象徴するコーナーの一つが「テレフォンショッキング」でした。

その日のゲストが次のゲストへ電話をつなぎ、翌日にはその人物がアルタへやって来る。「明日は誰が出るのか」という連続性が、平日毎日の視聴習慣とも結び付いていきます。

俳優、歌手、芸人、文化人、スポーツ関係者など、普段なら同じ番組に並ばない人々まで一本の鎖へ入っていく。この仕組みは、単なるトークコーナーを超えて、芸能界の人間関係そのものをテレビで可視化する装置にもなっていました。

なお、長く続いた「友達紹介」の方式は2012年4月に終了し、その後は番組側が翌日のゲストを設定する形へ変わっています。

32年続いた理由は「同じ番組を守ったから」ではない

『いいとも!』を長寿番組として振り返ると、同じ形式を32年間守り続けたようにも見えます。

ところが制作関係者の証言を追うと、実態はほぼ逆です。

後期の演出を担当した木月洋介は、一曜日につき基本的に一人のディレクターが1時間の生放送を担当し、一日に複数のコーナーを制作していたと振り返っています。反応が悪ければ短期間で企画を入れ替えることも珍しくありませんでした。

木月が『いいとも!』を語る際に使っている重要な言葉が、「予定不調和」です。

出演者や観客が制作側の予想を超え、その場で起きたハプニングまで面白さへ変えてしまう。生放送なのにすべてを予定どおりに収めるのではなく、予定どおりにならない余白そのものを番組の武器にしていました。

変わらなかったのは、むしろごく一部です。

  • タモリがいる
  • 平日の正午に放送する
  • 生放送である
  • 観客がいる
  • その日の人と出来事を受け入れる

この骨格を残しながら、コーナー、レギュラー、スタッフ、若手出演者を次々と入れ替える。

『いいとも!』は「変わらなかったから長く続いた番組」ではなく、中身を変え続けられたから長く続いた番組だったと考えた方が実態に近いでしょう。

実は1987年にも「マンネリ」が問題になっていた

この点は、2014年の終了理由を考えるうえで非常に重要です。

2代目プロデューサーの佐藤義和は後年、1987年10月に番組を担当したころには、開始から6年ほどが経過し、マンネリが出てきていたと振り返っています。

そこで選ばれたのは終了ではありません。

スタッフとレギュラー出演者を大きく入れ替える改革でした。

つまり『いいとも!』にマンネリが存在したこと自体は、2013年だけの特殊な現象ではありません。

1990年代半ばにも低迷し、今度は若い世代を入れた

1994年前後にも、制作関係者は番組がやや低迷していた時期があったと振り返っています。

この時期に制作へ深く関わっていた荒井昭博らは、新しい世代を番組へ投入しました。

1994年に中居正広と香取慎吾、翌1995年には草彅剛がレギュラーに加わります。

現在から見ると「人気絶頂のSMAPを入れた」ように感じますが、実際には『いいとも!』が若いタレントを育てる場所として機能していた側面もありました。

香取慎吾は17歳から約20年間出演。中居正広も長期レギュラーとなり、やがて番組を支える側へ成長しています。

1987年にも、1990年代半ばにも、番組は弱くなるたびに人と中身を替えて生き延びていました。

だからこそ、2013年については別の疑問が生まれます。

過去にはマンネリや低迷を大改革で乗り越えてきた『いいとも!』が、なぜ今回は「もう一度変える」ことではなく「終わらせる」ことを選んだのか。

それでも終了前には、視聴率がはっきり落ちていた

「まだ首位だったのだから、何の問題もなかった」とするのも正確ではありません。

長期的に見れば、『いいとも!』の視聴率は明らかに下がっています。

2006年ごろには年間平均で約11%を維持していたと報じられていましたが、2010年代へ入ると一桁が中心になります。

一方、昼帯のライバルは強くなりました。

TBSの『ひるおび!』は2009年に開始。日本テレビでは2011年に『ヒルナンデス!』が始まり、2012年2月には7.8%を記録して昼時間帯トップとなっています。

『いいとも!』が年間平均では強くても、日単位なら他局が普通に首位を取れる時代に入っていました。

時期状況見方
1982年初回4.5%。開始直後は苦戦挑戦者
1980年代後半急成長。1988年に単回最高27.9%最盛期
1990年代年間首位を維持しつつ、番組内では改革も継続王者だが更新を続ける
2006年ごろ年間平均約11%まだ高い競争力
2011~2012年『ひるおび!』『ヒルナンデス!』が台頭独走状態が崩れる
2013年年間平均6.1%。それでも民放同時間帯年間首位絶対値は低下、相対競争力は残る

2013年の状況を最も短く表すなら、「全盛期からは衰えていた。でも、まだ首位だった」です。

視聴率低下は事実です。しかし「裏番組に完全に敗れて打ち切られた」という説明にはなりません。

終了1年8か月前、フジテレビは『いいとも!』を27時間テレビの中心にしていた

もう一つ、単純な「かなり前から終了が決まっていた」説を考える際に無視できない事実があります。

2012年7月22日の『FNS27時間テレビ』は、正式タイトルからして『FNS27時間テレビ 笑っていいとも!真夏の超団結特大号!!』でした。

総合司会はタモリ。『いいとも!』レギュラー陣が出演し、スーパーテレフォンショッキングや草彅剛の100kmマラソンなど、30周年を迎える『いいとも!』そのものを大型特番の中心に据えています。

終了まで約1年8か月です。

もちろん、番組の将来についてタモリ側とフジテレビが以前から話し合っていた可能性はあります。明石家さんまも終了発表直後のラジオで、両者が以前から話をしていたという趣旨を語っています。

ただし、「2012年の時点ですでに2014年3月終了が正式決定していた」ことを裏付ける資料は確認できません。

むしろ表に見える動きでは、2012年秋にも新レギュラーが加わり、2013年4月にもパンサー、ウエストランド、アルコ&ピースといった若手芸人を投入しています。

番組を更新する動きは、終了半年前まで止まっていませんでした。

2013年夏、タモリが一部コーナーから姿を消した

終了直前史で最も気になるのが、2013年7月の変化です。

7月1日ごろから、タモリが番組内の一部コーナーへ出演しない構成が見られるようになりました。一日だけの出来事ではなく、その後も複数回続いています。

終了発表翌日、爆笑問題の太田光はラジオで、この変更について当時プロデューサーに尋ねたところ、タモリ本人に「思うところ」があり、いくつかのコーナーを休むという説明を受けた、と振り返っています。

ただし、これはタモリ本人の説明ではなく、太田がプロデューサーから聞いた内容を語ったものです。

当時は体調不良説も出ましたが、番組終了理由としての健康問題はフジテレビ側や所属事務所から否定されています。

「終了へ向けたテスト」だった証拠はない

時系列だけを見ると、

7月にタモリの出演コーナー減少 → 10月に終了発表

なので、後から見れば「終了へ向けてタモリを段階的に外していたのでは」と考えたくなります。

しかし、その目的が終了準備だったことを示す証言や公式資料は確認できません。

しかもタモリは別の企画には普通に参加し、終了発表後にはタモリ自身を中心にした日替わりトーク企画まで新設されています。

したがって、2013年夏については、

終了数か月前に番組の中心人物の使われ方が変わった異例の時期ではある。しかし、それを「終了準備」と結び付ける証拠はない。

という整理が最も安全です。

2013年10月22日、突然発表された「来年3月で終了」

2013年10月22日の生放送。

通常は木曜レギュラーだった笑福亭鶴瓶が火曜日のスタジオへ現れ、番組終了についてタモリへ問いかけます。

そこでタモリ自身の口から、2014年3月で『いいとも!』が終了することが発表されました。

視聴者には突然の出来事に見えましたが、発表自体が完全な偶発だったわけではありません。鶴瓶には事前にタモリから連絡があり、当日の発表へ参加することが決まっていたとされています。

一方、番組を日々作っていた制作現場には、終了が広く共有されていませんでした。

後に最終回の総合演出を担当する木月洋介も、自分は知らされておらず、放送を見て初めて終了を知ったと証言しています。

太田光も、番組プロデューサーすら知らなかったという趣旨を終了直後のラジオで語っています。

したがって、日々の制作スタッフ全体で「番組を終わらせよう」と議論して決めたわけではなかった可能性は高いでしょう。

ただし、誰が最初に終了を提案したのか、2014年3月終了が正確にいつ正式決定したのかは、現在確認できる公開資料では分かりません。

フジテレビが公式に説明した「いいとも終了」の理由

終了理由を考えるうえで最も重要なのが、発表から約1か月後、2013年11月29日に行われたフジテレビの社長会見です。

当時の亀山千広社長は、2014年1月に放送8000回を迎えることを踏まえ、タモリ側、番組側と話し合ったうえで終了の結論に至ったと説明しています。

そしてもう一つ、はっきり示したのがフジテレビ全体の問題でした。

当時フジテレビは年間視聴率3位へ低迷。亀山社長は、新しいタイムテーブルを作るため、局全体の編成を変えていかなければならないという考えが強かったと説明しています。

つまり公式説明の中心にあるのは、

  • 8000回という番組の節目
  • タモリ側・番組側との協議
  • フジテレビ全体の視聴率低迷
  • 新しいタイムテーブルを作る必要

です。

「コーナーがマンネリ化したから」「タモリが高齢だから」「スポンサーが離れたから」とは説明していません。

フジテレビ公式の2013年11月社長会見要旨でも確認できます。

しかも後番組は、まだ決まっていなかった

この会見でもう一つ非常に重要なのが、後番組についての説明です。

終了発表から1か月以上たっていたにもかかわらず、亀山社長は後番組について社内で検討中とし、『いいとも!』があまりにも大きな番組だったため、まだ具体的には決まっていないと明かしています。

つまり順番は、

魅力的な新番組が完成 → 『いいとも!』終了

ではありません。

『いいとも!』の終了を決定 → 空いた昼帯をどう作り直すか検討

でした。

これは、「なぜまだ首位だった長寿番組を終わらせたのか」を考えるうえで大きなポイントです。

タモリ自身は「辞めたい」と思っていたのか

終了理由として今でも語られやすいのが、「毎日の生放送に疲れたのでは」「本人もそろそろ辞めたかったのでは」という説です。

しかし本人の発言は、むしろ逆です。

最終回まであと10日となった2014年3月21日の「テレフォンショッキング」で、32年間の中で番組を辞めようと思ったことがあるかと尋ねられたタモリは、「それがない」という趣旨で答えています。

考えてみても思い当たる節がない、とまで話していました。

したがって、「タモリがもう辞めたくなったので番組が終了した」とする説明には、現在確認できる本人発言とのズレがあります。

ただし、これを逆に「タモリは絶対に続けたかったのに、フジテレビに一方的に切られた」と読むのも行き過ぎです。

フジテレビはタモリ側と話し合ったうえで結論を出したと説明しています。

現時点で最も無理のない整理は、タモリ本人から積極的に終了を望んだことを示す資料はないが、局側との協議の末に2014年春で区切る結論を受け入れた、というところでしょう。

「視聴率?マンネリ?年齢?」よく語られる終了理由を検証

よくある説明確認できること判定
視聴率が落ちたから全盛期からの低下は事実。ただし2013年も民放同時間帯年間首位一部事実だが、単独原因とは確認できない
マンネリだったからマンネリ感は以前から存在。1987年などは改革して継続終了原因化は根拠不足
タモリが辞めたかったから本人は最後まで「辞めたいと思ったことはない」と話している本人発言と合わない
年齢・体調が理由終了理由としてフジや本人の明確な説明なし裏付けなし
スポンサー離れ終了の決定打だったことを示す資料を確認できず裏付けなし
タモリの高額ギャラ数字を含め都市伝説的な記事が多く、一次資料なし採用できない
後番組が決まったから終了発表1か月後でも後番組は未定事実と合わない
フジテレビ全体の編成改革亀山社長がタイムテーブル変更の必要性を公式説明最も裏付けが強い

もちろん、「視聴率低下は一切関係なかった」と言う必要もありません。

フジテレビ全体が視聴率3位へ落ち込んだ背景には、個々の番組の数字もあります。『いいとも!』自身も2000年代後半と比べて明らかに数字を落としていました。

ただ、通常の「低視聴率番組を終了して、より強い企画へ入れ替える」という説明では処理できないところに、この終了の特殊さがあります。

『いいとも!』は「終わらなければならない番組」だったのか

ここまでの事実を並べると、2014年春の『いいとも!』は少し不思議な位置にいました。

全盛期ほどの数字はない。

競合番組も育っている。

マンネリを指摘する声もある。

しかし年間では同時間帯首位。

新レギュラーを投入する余力もある。

企画も変え続けている。

司会者本人も、辞めたいと思ったことはなかったと話している。

つまり、番組そのものが完全に機能不全へ陥っていたとは言いにくい状態です。

そこで効いてくるのが、フジテレビ自身の事情でした。

問題は『いいとも!』一番組ではなく、フジテレビ全体だった

フジテレビでは、亀山千広社長の就任以前から「新しいタイムテーブル」を作る必要性が語られていました。

2011年に年間視聴率三冠を失い、その後も全日・ゴールデン・プライムで苦戦。長く好調だった番組群の「疲れ」や、バラエティー全体の立て直しが課題になっています。

2013年に亀山体制となり、その延長線上で2014年春には近年でも大規模な改編が実施されました。

この流れを見ると、2014年に選ばれたのは、

「いいともをもう一度改革して残す」

よりも、

「いいともを含めて、フジテレビのタイムテーブルそのものを組み替える」

という選択だったと考えるのが最も自然です。

2014年、フジテレビは明確に「脱いいとも」を掲げた

後番組づくりで象徴的なのが、2014年2月28日の社長会見です。

亀山社長は新しい昼番組について、はっきり「脱いいとも」という考えを示しました。

当初はタモリのように月曜から金曜まで一人で担当できるMCを探す構想もあったものの、それでは『いいとも!』の色が残ってしまうとして、曜日ごとにMCを変える方式になったと説明しています。

この方針から生まれたのが『バイキング』です。

フジテレビ公式の2014年2月社長会見要旨でも、「脱いいとも」という表現が確認できます。

ところが1年後には、再び「全曜日共通MC」へ

初期の『バイキング』は、曜日ごとに異なるMCが担当する生活情報バラエティーでした。

ところがスタート直後から、フジテレビ側も一週間を通した視聴習慣を作る難しさを認めています。

そして2015年4月には坂上忍が月曜から金曜まで出演する体制へ移行しました。

2014年に「いいとも色が残る」として避けたはずの全曜日共通の顔を、一年ほどで再び置くことになったわけです。

ただし、その後の『バイキング』は『いいとも!』の代用品を目指し続けたわけではありません。

生活情報バラエティーから、芸能ニュース、時事問題、社会問題を扱う生討論番組へ大きく姿を変えていきました。

この路線が定着し、『バイキング』『バイキングMORE』は2022年まで約8年間続きます。

したがって「いいとも後の『バイキング』は失敗だった」と一言で片付けるのも正確ではありません。

初期構想のまま成功したのではなく、別ジャンルの番組へ変わることで独自の居場所を作ったと見る方が近いでしょう。

『バイキング』終了後、フジテレビの昼は再び揺れた

2022年4月には『ポップUP!』が始まります。

『バイキングMORE』後期のニュース・討論色から離れ、芸能、グルメ、美容、ファッションなどを扱う「情報&Lifeエンターテインメント」へ方向転換しました。

ところが『ポップUP!』は同年12月に終了。放送期間は9か月でした。

そして2023年1月、次に始まったのが『ぽかぽか』です。

2026年の『ぽかぽか』は、構造だけ見ると『いいとも!』にかなり近い

『ぽかぽか』は『いいとも!』の復活番組ではありません。

出演者も企画も時代も違います。

ただ、番組構造を比べると興味深い共通点があります。

  • 平日毎日の生放送
  • ハライチと神田愛花という全曜日共通MC
  • 曜日レギュラー
  • 毎日のゲストトーク
  • スタジオゲームや生企画
  • ライブ感を重視した進行

2026年には放送4年目へ入り、3月30日からは放送開始時刻も11時47分へ変更。新しい曜日レギュラーを加えながら放送が続いています。

フジテレビの2026年3月の公式発表でも、ハライチと神田愛花を中心に、ゲストトークとライブ感のある企画を展開する昼の生バラエティーとして紹介されています。

2014年に一度は「脱いいとも」を掲げ、全曜日共通MCを避けたフジテレビの昼が、その後さまざまな試行錯誤を経て、再び「共通MC+曜日レギュラー+ゲスト+生放送」という構造へ戻っているのは興味深いところです。

もちろん、これを「いいともに戻った」と断定することはできません。

ただ、一度は意識的に捨てた昼生バラエティーの仕組みの一部が、形を変えて再発見されているようには見えます。

『いいとも!』は、単なる人気番組ではなかった

ここまで終了理由を追ってくると、もう一つ考えなければならないことがあります。

なぜ『いいとも!』を終えた後、新しい昼の形を作るのがこれほど難しかったのでしょうか。

理由の一つは、『いいとも!』が一つの役割だけを持つ番組ではなかったことです。

スターを見る場所であり、スターを育てる場所でもあった

テレフォンショッキングには、その時代を代表する俳優、歌手、芸人、文化人が訪れます。

その一方、曜日レギュラーには若い芸人やアイドルも積極的に起用されました。

さらに「いいとも青年隊」のように、新人が平日ほぼ毎日、生放送を経験する枠もありました。

毎週同じ曜日に出演することで、若手がベテラン芸人や俳優、文化人のすぐ横でテレビの技術を学ぶ。

『いいとも!』は完成したスターが来る場所であると同時に、次のスターが育っていく場所でもありました。

スタッフにとっても「学校」だった

育っていたのは出演者だけではありません。

木月洋介は『いいとも!』を、自分たちテレビマンにとっての「学校」だったと振り返っています。

毎週企画を作り、生放送で観客の反応を直接受け、企画が弱ければ次を考える。

『いいとも!』終了で失われたのは、一つの人気番組だけでなく、フジテレビ内部で若手制作者が経験を積む巨大な現場でもありました。

新宿アルタという「住所」を持つテレビ番組

そして忘れられないのがスタジオアルタです。

テレビ局の敷地ではなく、新宿駅東口の街中にある小さなスタジオ。

平日の正午になれば、そこで本当にタモリやレギュラー陣が生放送をしている。視聴者は観覧に応募し、その客席へ入ることもできる。

『いいとも!』はテレビ画面の中だけに存在する番組ではなく、東京の街の中に物理的な場所を持つ番組でもありました。

観客は単なる笑い声のための存在でもありません。

笑う。驚く。反応する。

その反応が目の前の出演者へ返り、出演者が変わる。

編集できない生放送の中で、この往復が毎日起きていました。

最終回の“奇跡の共演”は、32年間の蓄積があったから成立した

2014年3月31日の夜に放送された『グランドフィナーレ 感謝の超特大号』は、28.1%を記録しました。

明石家さんま、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、とんねるず、爆笑問題、ナインティナイン、SMAPなど、普段なら同じ舞台にそろうこと自体が難しい顔ぶれが次々と登場しました。

ただ「豪華な芸能人を大勢呼んだ」だけではありません。

その多くが、別々の時代に『いいとも!』へ出演し、この番組を共通経験として持っていました。

しかも番組は最後まで予定どおりには進みません。

さんまとのトークが延び、ダウンタウンやウッチャンナンチャンが登場し、さらにとんねるず、爆笑問題、ナインティナインまで入り乱れる。

後年の出演者証言では、全員が最初から同時に壇上へ出る予定だったわけではなかったことも明らかになっています。

制作側の想定を出演者が超え、その場で番組が変わっていく。

まさに32年間続けてきた「予定不調和」が、最後の夜にも起きたわけです。

あの場面がどこまで事前に決まっていて、どこから出演者自身の判断で崩れていったのかは、『いいとも!』最終回の“奇跡の共演”はなぜ起きた?で当事者証言をもとに詳しく整理しています。

この最終回は、新番組が予算をかければ作れる種類の豪華さではありません。

32年間、人と時間を積み上げなければ作れない最終回でした。

では、『笑っていいとも!』は本当に2014年で終わる必要があったのか

ここまで確認しても、「絶対に2014年3月で終わらなければならなかった」と証明できる資料はありません。

番組は明らかに全盛期を過ぎていました。

視聴率は下がり、競合番組は強くなり、昼帯の独走時代も終わりつつありました。

しかし2013年も民放同時間帯の年間首位。

終了直前まで新しい出演者や企画を投入する力も残っていました。

タモリ本人も、自分から辞めたいと思ったことはなかったと話しています。

だから「番組として完全に寿命だった」と一言で片付けるのは難しいでしょう。

一方、フジテレビ側には明確な事情がありました。

年間視聴率3位へ落ち、局全体のタイムテーブルを大きく作り直す必要があると考えていた。

その中で、32年間動かなかった正午の巨大な枠まで一度外し、2014年春から新しい昼を作る道を選んだ。

『いいとも!』は、視聴者から見放されて自然に終わった番組というより、まだ一定の力を残した状態で、フジテレビの編成改革の中から終了という選択をされた番組だった――。

現存する公開資料からは、これが最も無理のない見方です。

そして、その判断が「正しかったのか」「続けるべきだったのか」は、簡単には決められません。

もし『いいとも!』を続けていた世界は存在しないからです。

その後『バイキング』は8年間続き、後半には独自の番組として定着しました。一方でフジテレビは、『ポップUP!』を経て、2023年から再び『ぽかぽか』という昼の生バラエティーを作っています。

2014年の「脱いいとも」から12年。

現在のフジテレビの昼には、また毎日同じMCがいて、曜日ごとのレギュラーが集まり、ゲストと話し、生放送でゲームや企画を行う場所があります。

『いいとも!』そのものが戻ったわけではありません。

それでも一度は捨てたはずの「昼生バラエティーの型」を、フジテレビが長い時間をかけて別の形で組み直してきたことは、『いいとも!』が32年間続いた理由を逆に教えてくれているようにも見えます。

『笑っていいとも!』とは結局、何だったのか

『笑っていいとも!』は、単なる昼の人気バラエティーではありませんでした。

新宿アルタという街の中の小さなスタジオへ、タモリ、スター、若手、文化人、一般参加者、観客を毎日集め、その組み合わせから何が起きるのかを全国へ生放送する。

テレフォンショッキングはさまざまな世界の人をつなぎ、曜日レギュラーや青年隊は次の世代を育て、番組そのものが若手テレビマンの学校にもなりました。

番組が32年間続いたのは、同じことを守り続けたからではありません。

タモリと平日正午の生放送という芯を残しながら、中に入る人と企画を絶えず入れ替えられたからです。

だから2014年3月31日に消えたのは、一つの長寿番組だけではありませんでした。

芸能人、若手、一般の視聴者、テレビスタッフ、そして新宿の街が平日の正午に交差する、32年間続いた「テレビの広場」そのものがなくなった。

『いいとも!』終了を12年後の現在まで振り返りたくなる理由は、おそらくそこにあるのでしょう。

主な確認資料

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