- デジキューブとは?FFVIIを発売日の朝7時にコンビニで受け取ったゲーム流通史
- まず結論|デジキューブとは何だったのか
- 1997年、コンビニでゲームを予約すると何が起きたのか
- 一回の購入体験を再現すると、こんな流れだった
- 予約しないと買えなかったのか
- どのコンビニで買えたのか
- なぜスクウェアはコンビニ流通を作ったのか
- ゲームショップより便利だった? それとも高かった?
- 『FFVII』はデジキューブにとって何だったのか
- デジキューブは「スクウェアのゲームを売る会社」ではなかった
- 1年余りで1000万本を超えた
- ゲーム売り場から、音楽・映像・デジタル配信へ
- なぜデジキューブは2003年に破産したのか
- では「コンビニゲーム販売」は失敗だったのか
- 1997年には「二つのコンビニゲーム」が存在していた
- 今のネット予約・店舗受取とは同じなのか
- デジキューブでよくある誤解を整理する
- 発売日の朝、ゲームを取りに行く場所がコンビニだった
デジキューブとは?FFVIIを発売日の朝7時にコンビニで受け取ったゲーム流通史

1997年1月31日、金曜日。
朝6時半ごろから、名古屋市内のコンビニで一人の男性が待っていた。
目当ては弁当でも新聞でもない。その日発売されたPlayStation用ソフト『ファイナルファンタジーVII』だ。
男性は予約受付が始まった前年12月1日に申し込みを済ませ、この朝を待っていた。別の高校生はコンビニでゲームを受け取ると、そのまま学校へ向かった。
ゲームの発売日といえば、玩具店やゲームショップへ行列を作る――。そんな風景がまだ珍しくなかった時代に、「近所のコンビニで予約して、発売日の朝に受け取る」という買い方が急速に広がっていた。
その中心にいた会社が、スクウェアが1996年に設立したデジキューブである。
ただし、デジキューブを「FFVIIをコンビニで売った会社」とだけ説明すると、この時代に起きていたことの半分も見えてこない。
ゲーム売り場には専用モニターが置かれ、衛星放送を使ったゲーム紹介映像が流れる。予約した新作は朝7時から受け取れる。店頭では他社のゲームも普通に売られ、POSで全国の売れ行きを把握しながらコンビニの配送網で補充する。
そして、この仕組みは一時期、年間800万本を超えるゲームを動かすほどの流通網になった。
なぜ1990年代後半の日本で、そんな買い方が成立したのだろうか。
今回はデジキューブという会社の沿革を追うだけではなく、1997年前後の一人のゲームユーザーになったつもりで、ゲームを予約し、発売日のコンビニへ行き、レジで受け取って家へ持ち帰るまでをたどってみたい。
まず結論|デジキューブとは何だったのか
デジキューブは、1996年2月にスクウェアの100%出資で設立された会社だ。
大きな特徴は、従来のゲーム専門店や玩具店を中心とした販売経路とは別に、コンビニエンスストアを使ったゲームソフト流通を本格的に構築したことにある。
1996年11月15日、セブン-イレブン、ファミリーマート、サークルK、サンクスの4チェーン、全国約1万6000店でゲームソフトの常設販売を開始した。
それ以前にもコンビニでゲームの予約販売が行われた例はあったため、「日本で初めてコンビニでゲームを売った会社」とするのは正確ではない。
当時の発表で新しかったのは、専用のゲーム売り場を設置し、多数の店舗で常設販売する仕組みだった。
| 項目 | 確認できる内容 |
|---|---|
| 設立 | 1996年2月 |
| 設立時 | スクウェア100%出資 |
| 常設販売開始 | 1996年11月15日 |
| 開始時の主なチェーン | セブン-イレブン、ファミリーマート、サークルK、サンクス |
| 開始時の規模 | 約1万6000店 |
| 主な仕組み | 専用売り場、POSによる在庫把握、コンビニ物流を使った補充、予約・常設販売 |
| 最盛期 | 1998年3月期にゲーム860万本、売上高約468億3800万円 |
| 終焉 | 2003年11月26日に自己破産を申請 |
しかも、最初からスクウェア作品専用だったわけではない。
常設販売開始時には、カプコンの『バイオハザード』、ナムコの『ナムコミュージアム』、ソニー・コンピュータエンタテインメントの『アークザラッドII』などが並んだ。
つまりデジキューブは、スクウェアが作った会社ではあるものの、目指していたのは複数メーカーのゲームをコンビニへ流す新しい販売網だった。
1997年、コンビニでゲームを予約すると何が起きたのか
現在なら、新作ゲームを予約するときはAmazonや楽天市場、各メーカーのオンラインストア、家電量販店のECサイトなどを開く人が多いだろう。
1997年には、その入口の一つが近所のコンビニだった。
店に入ると「ゲーム売り場」があった
デジキューブのサービス開始時、提携コンビニにはゲームソフト専用の什器が設置された。
約50タイトルを置ける売り場で、さらにモニターとパーフェクTV!のチューナーを組み込み、「DigiCubeチャンネル」のゲーム紹介映像を流す仕組みになっていた。
つまり、ただレジで予約を受け付けるだけではない。
コンビニへ入る。
ゲームのパッケージや案内を見る。
モニターでは新作ゲームの映像が流れている。
その場で「次はこれを買おう」と思わせる小さなゲーム売り場が、弁当や雑誌、菓子などと同じ店内に存在していた。
ゲーム情報を得るためにゲームショップへ行かなくても、日常的に立ち寄るコンビニで新作を知ることができたわけだ。
予約して、発売日の朝を待つ
『ファイナルファンタジーVII』では、1996年12月1日に予約受付が始まった。
発売日は翌1997年1月31日。
当時の朝日新聞が後に紹介した購入者の一人は、予約受付初日の12月1日に申し込み、発売日当日は午前6時半ごろからコンビニの店内で待っていた。
そして当時のゲーム小売関係者への後年の聞き取りでは、デジキューブの商品は朝7時から発売され、予約時のレシートにも「レジでの引き換えは朝7時から」と記されていたという証言が残っている。
一般的なゲーム専門店が午前9時や10時に開店する時代である。
学校や仕事へ行く前に新作を受け取れる。
これは価格とは別の、かなり大きな強みだった。
「午前0時から必ず買えた」は確認できない
デジキューブについて振り返ると、「コンビニだから発売日の0時になればゲームを受け取れた」という記憶も見つかる。
ただし、今回確認できた資料から、全国の提携店で午前0時販売が正式な共通ルールだったとは確認できなかった。
むしろ確認できる資料では、朝7時という時刻が繰り返し現れる。
深夜に商品が店舗へ届いていた可能性と、客へ販売してよい時刻は別の話でもある。
店舗やタイトルによって実際の運用が違った可能性は残るが、「デジキューブなら必ず0時から買えた」と一般化するのは避けた方がいい。
一回の購入体験を再現すると、こんな流れだった
確認できた資料から、1997年前後の予約購入をできるだけ慎重に復元すると、次のようになる。
| 段階 | 利用者から見えていたこと | 確認上の注意 |
|---|---|---|
| 1. 商品を知る | ゲーム雑誌、広告、コンビニ店内の専用什器、DigiCubeチャンネルなどで新作を知る | 告知方法はタイトルごとに異なる |
| 2. コンビニで予約 | 提携店で発売前のゲームを予約する | チェーンごとの申込用紙や端末の使い方は今回完全には確定できない |
| 3. 控えを保管 | 予約を証明するレシート・控えを持つ | 後年証言では受取開始時刻もレシートに記載 |
| 4. 発売日を待つ | 『FFVII』では朝6時半ごろから店内で待った購入者の記録が残る | すべての店舗で同じ行動があったわけではない |
| 5. 朝7時 | レジで予約商品を引き換える | 7時販売は強い証言があるが、全時期・全チェーンまで一律とは断定しない |
| 6. 持ち帰る | 通常のパッケージゲームを受け取り、自宅や学校へ向かう | タイトルによって予約特典などが付く場合もあった |
一方、今回の資料だけでは確定できなかった部分もある。
予約時に代金を全額払ったのか、受取時に払ったのか。専用の紙へ何を記入したのか。チェーンによって端末を使ったのか。商品をバックヤードのどこへ保管していたのか。
こうした店頭オペレーションは、時期やチェーン、店舗によって違った可能性がある。
当時の体験談から穴を埋めることはできるが、それを全国共通の正式仕様として扱うことはできない。
予約しないと買えなかったのか
デジキューブは「予約商品受取サービス」だけを行っていたわけではない。
1996年11月から始まったのは、ゲームソフトの常設販売である。
流通研究では、提携店に各タイトルを2~5本程度置き、売れ行きをPOSで把握しながら補充していたと整理されている。
したがって、サービス全体としては予約なしで買えるゲームも存在した。
ただし『FFVII』のような超大型タイトルについて、「予約なしでも発売日に必ず買えた」とまでは言えない。
予約分と通常販売分の数量、店舗ごとの在庫、人気タイトルの配分は別問題だからだ。
確実に発売日に欲しい人にとって、予約には大きな意味があった。
どのコンビニで買えたのか
「昔はコンビニならどこでもゲームを買えた」というわけではない。
サービス開始時に確認できるのは、次の4チェーンだ。
- セブン-イレブン
- ファミリーマート
- サークルK
- サンクス
この4チェーンで約1万6000店。
さらに四国スパーでは1996年12月1日に一部商品の予約受付を開始し、12月20日から常設販売へ加わった。
その後、取引網はさらに拡大する。
2000年のトヨタとデジキューブの共同発表では、全国約1万8500店のコンビニでゲームソフトや音楽CDなどを販売していたことが確認できる。2000年代に入ると2万店を超える規模となり、破産時には約2万3000店への卸売網を持っていたと報じられた。
ここで混同しやすいのがローソンだ。
1997年前後のローソンには、任天堂と組んだ別の「コンビニ×ゲーム」があった。
専用カートリッジへゲームを書き込むニンテンドウパワーである。
デジキューブとニンテンドウパワーは同じ時代にコンビニを舞台としていたが、仕組みはまったく違う。
なぜスクウェアはコンビニ流通を作ったのか
ここで、「ゲームショップが嫌だったから」「問屋をなくしたかったから」と一言で片付けると話が雑になる。
1990年代半ばの家庭用ゲーム流通には、メーカー、プラットフォーム会社、問屋、小売店が関わり、ゲーム専門店や玩具店、量販店などへ商品が流れていた。
ゲームソフトは発売直後に需要が集中しやすい。
仕入れすぎれば店頭に在庫が残る。
少なすぎれば売り切れる。
しかも当時は、従来流通で返品が原則認められない取引も多く、小売側にとって在庫管理は大きな問題だった。
デジキューブが持ち込んだのは、単に販売場所をゲームショップからコンビニへ移すことではない。
POS、少量在庫、返品、コンビニの中央配送センター、既存の配送便を組み合わせる流通だった。
店には少量を置き、売れた場所へ補充する
2003年にまとめられた家庭用ゲーム流通の研究では、デジキューブは提携コンビニへ各タイトル2~5本程度を置き、返品を認めていたとされる。
店舗のPOSから販売・在庫状況を把握し、必要な商品をコンビニ側の中央配送センターへ送り、既存の配送便に乗せて各店へ補充する。
ゲーム専用の大型店舗を全国に作らなくても、すでに存在するコンビニを販売拠点にできる。
さらに、どの地域のどの店で何が売れたかを把握しやすい。
1996年という時点で考えると、かなり違う発想の流通だった。
返品できる仕組みには、別のリスクもあった
ただし、「返品できるから在庫問題を解決した」という話でもない。
コンビニ店舗側のリスクを減らせば、売れ残った商品の負担が消滅するわけではない。流通のどこかが引き受けることになる。
後年、スクウェア・エニックス元社長の和田洋一氏は、コンビニ流通では返品があるため、デジキューブ側が在庫を抱える構造になっていたと振り返っている。
実際、会社末期には在庫負担が経営悪化要因の一つとして報じられている。
つまりデジキューブは在庫問題を「なくした」のではなく、在庫をどこで、どの情報を見ながら持つのかを変えたと考えた方が実態に近い。
ゲームショップより便利だった? それとも高かった?
コンビニで買えるなら、ゲームショップより安かったのだろうか。
サービス開始時の答えは、むしろ逆に近い。
1996年のデジキューブへの取材では、「POSシステムを利用しての販売なので、希望小売価格で販売する方針」と説明されている。
一方、2003年の流通研究では、当時のゲーム専門店で新品が希望小売価格の90~95%程度で販売され、さらにポイント還元が行われる例があったと整理されている。
| 比較 | デジキューブ/コンビニ | ゲーム専門店 |
|---|---|---|
| 営業時間 | 長時間営業。発売日の朝7時受取という強み | 9~10時開店の店も多かった |
| 場所 | 日常生活圏に多数 | 専門店まで移動する必要がある場合も |
| 価格 | 開始時は希望小売価格販売の方針 | 値引き・ポイント還元が行われる例あり |
| 品揃え | 選抜されたタイトル中心 | 専門店の方が広い |
| 中古 | 基本的に新品流通 | 中古売買も大きな強み |
| 情報 | 専用モニターや冊子など | 専門スタッフ、店頭広告、豊富な売り場 |
価格だけなら、専門店に魅力がある。
それでもコンビニには、「近所にある」「早朝に受け取れる」「予約しておけば発売日に確保しやすい」という別の価値があった。
デジキューブが売っていたのはゲームだけではない。
「発売日の朝、確実に手にする」という時間まで商品にしていた、と考えると分かりやすい。
『FFVII』はデジキューブにとって何だったのか
そして、その仕組みを一気に世間へ見せたのが『ファイナルファンタジーVII』だった。
1997年1月31日に発売された『FFVII』は、シリーズがスーパーファミコンからPlayStationへ移った最初のナンバリング作品でもある。
発売日の朝日新聞は、前作『FFVI』では大行列ができた一方、今回は混乱を避けるためコンビニを中心に予約制を導入し、比較的静かな立ち上がりになったと報じている。
「発売日に並んで奪い合う」から、「先に予約し、決められた時間に近所の店へ取りに行く」へ。
デジキューブの仕組みが最も分かりやすく表れた瞬間だった。
コンビニでは何本売れたのか
FFVIIについては、「初回出荷の8割がコンビニだった」といった数字が後年の記事で頻繁に語られている。
ただし、この数字については、今回確認した範囲では当時の一次資料へ十分に遡れなかった。
初回出荷に占める割合と、最終的な国内販売本数に占める割合も別である。
そのため「FFVIIの8割がコンビニで売れた」と単純化するのは避けたい。
一方、当時デジキューブで宣伝を担当した黒川文雄氏は後年、最終的に170万本以上のFFVIIをコンビニで販売したと証言している。
これは当事者による後年証言なので、1997年当時に発表された販売資料とは性質が違うものの、デジキューブにとってFFVIIが巨大な商品だったことは間違いない。
デジキューブは「スクウェアのゲームを売る会社」ではなかった
FFVIIの印象が強すぎるため、デジキューブ=スクウェア専用流通と思われやすい。
しかし、これは開始時点ですでに違う。
1996年11月15日の常設販売開始時には、カプコン、ナムコ、SCEなどのタイトルを販売していた。
その後の流通研究では、スクウェアだけでなく、コナミ、ナムコ、カプコン、エニックス、ハドソンなど多数のメーカーがデジキューブ網へ参加したとされる。
2000年代にはPCゲームなども取り扱っていた。
「スクウェアが自社ソフトをコンビニへ置くために作った売り場」から始まったわけではない。
最初から、一つの流通プラットフォームとして広げる方向を向いていた。
1年余りで1000万本を超えた
デジキューブを「珍しいけれど定着しなかったサービス」と考えると、数字の印象がかなり変わる。
JIPDECの『情報化白書1998』によれば、1996年11月の販売開始から1997年末までに、デジキューブは61タイトル、1007万本余りを販売した。
1998年3月期には年間のゲーム販売数量が860万本、売上高は約468億3800万円に達している。
さらに1998年7月には株式を店頭公開。2000年6月にはナスダック・ジャパンへ上場した。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1996年2月 | スクウェア100%出資でデジキューブ設立 |
| 1996年11月15日 | 4チェーン約1万6000店でゲーム常設販売開始 |
| 1997年1月31日 | 『ファイナルファンタジーVII』発売 |
| 1997年末 | サービス開始以来61タイトル、1007万本余りを販売 |
| 1998年3月期 | ゲーム860万本、売上高約468億3800万円 |
| 1998年7月 | 店頭市場へ株式公開 |
| 2000年 | コンビニ網約1万8500店。デジタルコンテンツ事業も拡大 |
| 2000年6月 | ナスダック・ジャパンへ上場 |
| 2001年3月期 | 売上高約449億6600万円ながら約29億7300万円の最終赤字 |
| 2002年 | キオスク端末事業撤退などで巨額損失 |
| 2003年3月期 | ゲーム242万本、売上高約228億7400万円へ縮小 |
| 2003年11月26日 | 東京地裁へ自己破産を申請。負債約95億円 |
少なくとも1990年代後半のある時期、コンビニでゲームを買うことは「変わった買い方」だけではなかった。
家庭用ゲーム流通の一角を占める規模まで成長していた。
ゲーム売り場から、音楽・映像・デジタル配信へ
デジキューブの事業は、やがてゲームパッケージ販売だけではなくなっていく。
音楽CD、DVD、書籍、攻略本などへ商品を広げ、さらにコンビニなどへ設置したマルチメディア端末から音楽や画像などを配信する事業にも進出した。
2000年にはトヨタ自動車と「Gazoo」事業で提携。
当時の共同発表には、ゲームソフト、音楽CD、ビデオ、DVD、PCソフトだけでなく、楽曲、画像、ゲームデータなどのデジタルコンテンツまで扱う構想が記されている。
コンビニでパッケージゲームを売る会社から、デジタルを含むエンターテインメント流通企業へ。
会社は急速に領域を広げていった。
しかし、その拡大が後に重荷にもなった。
なぜデジキューブは2003年に破産したのか
デジキューブは2003年11月26日、東京地方裁判所へ自己破産を申請した。
負債総額は約95億円。
ここだけを見ると、「コンビニでゲームを売る商売が失敗した」と言いたくなる。
実際には、原因はもっと複雑だ。
売上は大きかったが、在庫と先行投資が重くなった
ピークの1998年3月期には約468億3800万円を売り上げた。
2001年3月期でも売上高は約449億6600万円あり、売上そのものが突然消えたわけではない。
ところが、先行投資や在庫負担などが重なり、この期には約29億7300万円の最終赤字を計上した。
コンビニ側へ返品を認める仕組みは店舗にとって扱いやすい半面、売れ残った商品がデジキューブ側へ戻ってくる。
販売規模が大きいほど、在庫の読み違いも重くなる。
キオスク端末事業からの撤退も大きかった
さらにデジキューブは、コンビニなどへ情報端末を置き、音楽などのデジタルコンテンツを販売するキオスク端末事業へ進出していた。
しかし、この事業から撤退したことで、約60億円規模の事業損失を計上した。
その後は物流拠点の集約、経費削減、第三者割当増資などで再建を図ったものの、家庭用ゲーム市場の縮小も重なり、販売数量は減少していく。
1998年3月期に860万本だったゲーム販売は、2003年3月期には242万本。
売上高も約228億7400万円まで落ち込んだ。
翌期も約27億円の最終赤字が見込まれ、債務超過に陥る可能性があるとして、事業継続を断念した。
では「コンビニゲーム販売」は失敗だったのか
ここは、会社の結末と流通の成果を分けた方がいい。
デジキューブという会社は2003年に破綻した。
これは事実だ。
一方で、コンビニでゲームを販売する仕組み自体が、最初から利用されなかったわけでもない。
開始から1年余りで累計1000万本を超え、年間860万本を販売し、2万店規模の流通網へ成長した。
1998年には株式を公開し、2000年にはナスダック・ジャパンへ上場するところまで行った。
つまり、
「大規模な流通として一度は成立したが、会社として長期的に維持することはできなかった」
と分けるのが実態に近い。
「コンビニでゲームを売ったから倒産した」とすると、多角化への投資、キオスク事業、在庫負担、市場変化といった重要な過程が消えてしまう。
1997年には「二つのコンビニゲーム」が存在していた
ここで1997年という年を少しだけ引いて見てみると、面白い景色が見えてくる。
同じころ、ローソンでは任天堂の「ニンテンドウパワー」が始まった。
利用者が専用カセットを店へ持って行き、中身を書き換えてもらうサービスだ。
一方、デジキューブは新品パッケージを予約し、発売日に受け取る。
| ニンテンドウパワー | デジキューブ | |
|---|---|---|
| 中心体験 | ゲームデータを書き換える | 新品パッケージを受け取る |
| 主な場所 | ローソン | セブン-イレブン、ファミリーマート、サークルK、サンクスなど |
| 持って行くもの | 専用カートリッジ | 予約の控えなど |
| 持って帰るもの | 内容を書き換えたカートリッジ | 新品ゲームパッケージ |
さらにその少し前には、店頭でゲームを書き換えたファミコン ディスクシステムのディスクライターがあり、パソコンショップにはソフト自動販売機「TAKERU」があった。
家庭では、衛星放送でゲームや音声を届けるスーパーファミコンの「サテラビュー」も動いていた。
今から振り返ると、ゲーム流通はインターネット通販やダウンロード販売へ一直線に進んだように見える。
しかし1990年代にはそうではない。
店頭で書き換える。
自動販売機でソフトを作る。
衛星から家庭へ送る。
コンビニで予約して新品を受け取る。
いくつもの「次のゲーム流通」が、同時に試されていた。
今のネット予約・店舗受取とは同じなのか
デジキューブを知ると、「今のネット通販やコンビニ受取を先取りしていた」と言いたくなる。
似ている部分は確かにある。
欲しい商品を事前に確保し、生活圏にある店舗を受取場所として使う。
発売日に確実に受け取ることを重視する。
販売データを使い、必要な場所へ商品を動かす。
ただし、1990年代のデジキューブは、あくまでパッケージ商品をコンビニ物流で動かす仕組みだった。
現在のオンラインストア、ダウンロード版、POSAカード、ネット通販の店舗受取とは、技術も商流も異なる。
「現在の仕組みの直接の祖先」と証明できるものでもない。
似ているからこそ比較すると面白いが、後世のサービスをそのまま1996年へ重ねるのは避けたい。
デジキューブでよくある誤解を整理する
| よくある説明 | 確認結果 |
|---|---|
| FFVIIを売るためだけに作られた | 違う。会社設立も常設販売開始もFFVII発売前で、開始時から他社作品を扱っていた |
| スクウェア作品しか売らなかった | 違う。カプコン、ナムコ、SCEなどの作品も開始時から販売 |
| セブン-イレブンだけのサービスだった | 違う。開始時点で4チェーン約1万6000店 |
| 全国のすべてのコンビニで買えた | 違う。提携チェーン・店舗による |
| 発売日の0時から必ず買えた | 確認できない。資料では朝7時販売の証言が強い |
| コンビニの方がゲームショップより安かった | 開始時は希望小売価格販売の方針。専門店には値引きやポイントもあった |
| 予約した商品しか売っていなかった | 違う。専用売り場で常設販売も行っていた |
| デジキューブが日本で初めてコンビニでゲームを売った | 広すぎる表現。以前にも予約販売例があり、当時新しかったのは専用売り場を使った大規模な常設販売 |
| FFVIIの8割がコンビニで売れた | そのまま確定できない。初回出荷比率と総販売本数を混同しない注意が必要 |
| コンビニ販売が失敗したから倒産した | 単純化できない。在庫、先行投資、キオスク事業、市場縮小など複数要因が確認できる |
発売日の朝、ゲームを取りに行く場所がコンビニだった
デジキューブの歴史には、会社設立、上場、赤字、破産という大きな数字が並ぶ。
しかし「消えたゲーム体験」として振り返るなら、最も残したいのはそこではない。
1997年1月31日の朝。
まだ7時になっていないコンビニの店内で、新作ゲームを待っていた人がいた。
時間になればレジへ行く。
予約した『ファイナルファンタジーVII』を受け取る。
ある人はそのまま家へ帰り、ある高校生はゲームを持ったまま学校へ向かった。
ゲームショップが開くより早い。
しかも場所は特別なゲーム専門店ではなく、いつも飲み物や雑誌を買っている近所のコンビニだ。
デジキューブが一時代を作った理由は、この距離の短さにあったのかもしれない。
一方で、定価販売、在庫、急速な事業拡大、多額の投資といった問題を抱え、会社は7年あまりで姿を消した。
だからといって、その流通まで「何も残さなかった失敗」と片付けることもできない。
一時期は1000万本単位のゲームを動かし、2万店規模のコンビニへゲーム売り場を持ち込み、「発売日のゲームをどこで買うか」という選択肢そのものを増やした。
ゲームを買うためにゲームショップへ行く。
そんな当たり前の横に、ほんの数年間だけ別の当たり前があった。
発売日の朝7時、コンビニへゲームを取りに行く。
デジキューブが消えて20年以上。
会社の名前を知らない世代が増えても、1990年代後半には確かにそんなゲーム発売日の風景が存在していた。