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熊に立ち向かったビーグル犬チコの実話|「勇敢な犬ほどよく吠える」が教えてくれた命の物語

熊に立ち向かった小さな勇者──ビーグル犬チコの物語

雪の朝、山あいの集落でビーグル犬チコと初めて出会う男性。やわらかな朝日が差し込み、静かな冬の道で見つめ合う二人の姿が温かく描かれている。

熊の出没が相次ぐこの秋、
新聞の片隅に、静かな感動を呼ぶ記事が掲載された。

登場したのは、新潟県の山あいに暮らす住職と、一匹のビーグル犬。
名はチコ。
「鳴き声がうるさい」と手放されたその犬は、やがて飼い主の命を救う“勇者”となった。

「勇敢な犬ほどよく吠える」──
その一文で締めくくられたこの記事は、
恐怖と優しさ、そして絆の強さを私たちに思い出させてくれる。

もう一度、犬を迎える勇気──ビーグル犬チコとの出会い

3年前、長年連れ添った柴犬チコを老衰で亡くした。
その寂しさを埋めるように暮らしていたある日、
新潟県五泉市の住職・吉原東玄さんのもとに、
「やんちゃなビーグル犬がいるんですが、見てみませんか」
という誘いが届いた。

最初は断るつもりだった。
だが、子どもたちが「もう一度犬と暮らしたい」と願っていた。
その気持ちに背中を押され、半ば迷いながら訪れたペットショップ。

そこにいたのは、両手に乗るくらいの小さなビーグル犬だった。
生後5か月。
最初の飼い主からは「鳴き声がうるさい」という理由で返されたと聞いた。

丸い瞳と、垂れた耳が揺れる仕草。
見つめ合ったその瞬間、
吉原さんは不思議と、亡き柴犬チコを思い出した。

運命を感じ、その場で抱き上げた。
その子に、もう一度同じ名をつけた──「チコ」。

冬の朝、雪道で立ち止まるビーグル犬チコと微笑む吉原さん。新しい出会いの始まりを感じさせる穏やかな風景。

やんちゃなチコと、鳴き声の意味

家に迎えたチコは、想像以上にやんちゃだった。
カーテンを引き裂き、家具の脚をかじり、
気に入らないことがあると、すぐに大きな声で吠えた。

朝は早くから「散歩に行こう」と鳴き、
夜中に寂しくなれば、枕元でワンワンと訴える。
まるで「生きているんだ」と確かめるような声だった。

子どもたちは最初こそ怖がり、
妻は何度も「ブリーダーに返そう」と口にした。
けれど、吉原さんはそのたびに言った。

部屋のカーテンを引き裂きながら元気に吠えるビーグル犬チコ。困りながらも笑顔で見守る吉原さんと家族。温かい家庭のひとコマ。

「ご縁があって、うちに来たんだ。チコはチコのままでいい」

その日から、家の中には再び笑い声が戻った。
そして、鳴き声はしだいに「うるさい」から「頼もしい」へと変わっていった。

熊との遭遇、そして命を救った声

あの日、チコが我が家に来て1年半ほどが経った2024年5月29日。
午前8時半ごろ、吉原さんはいつものように自宅近くの登山道を散歩していた。
木々の隙間から朝日が差し込む静かな山道。
そのとき、茂みの奥から全身真っ黒な影が現れた。

体長1.5メートルを超えるクマだった。
距離はわずか5メートル。
熊は地面を蹴り、思いがけない速さで突進してきた。
吉原さんは身をかわそうとしたが、足を取られて地面に倒れこんだ。
熊がすぐに向きを変え、今にも襲いかかってきそうになった瞬間――
チコが吠えた。

朝の山道で熊と遭遇するビーグル犬チコと吉原さん。静かな緊張感に包まれた場面。

低く響く、これまでに聞いたことのない声だった。
野太く、まるで全身で威嚇するような咆哮。
熊は一瞬たじろぎ、そして身を翻して森の奥へと逃げていった。

安堵の間もなく、チコは熊を追って走り出した。
散歩用のリードが、いつのまにか手から離れていた。
チコの姿は森の奥に消えた。

吉原さんは肩に激しい痛みを感じながら、体を引きずるようにして自宅へ戻った。
その後すぐに車を出し、山中の林道をくまなく走りながら、
「チコ!」と何度も名を呼び続けた。

やがてスマートフォンが鳴った。
出ると、妻の声だった。

「チコ、帰ってきたよ。」

家に戻ると、チコは寺の境内をぐるぐると駆け回っていた。
吉原さんはその場に座り込み、チコを抱きしめた。
涙が止まらなかった。
ぼやけた視界の中で、チコの丸い瞳だけが、りりしく輝いて見えた。

夕暮れの寺の境内で再会し、涙を流しながらビーグル犬チコを抱きしめる吉原さん。温かい光に包まれた感動の瞬間。

勇敢な犬ほどよく吠える

あの日から数か月が過ぎた。
朝になると、チコはいつものように大きな声で鳴く。
散歩をせがむ声は相変わらず響き渡り、
その元気さに吉原さんは思わず笑みをこぼす。

かつて、誰かに「うるさい」と言われた鳴き声。
今ではその声が、吉原さんにとって何よりも大切な音になった。
その声がなければ、あの日、自分は生きていなかったかもしれない。

命を救ったのは、恐れを知らぬ小さな犬の声。
それは本能であり、愛であり、
家族を守ろうとするまっすぐな気持ちの証だった。

「勇敢な犬ほど、よく吠える。」
その言葉の意味を、吉原さんは今も胸の奥で噛みしめている。

朝日を浴びながら境内で元気に吠えるビーグル犬チコと、それを優しく見守る吉原さん。静かな日常の中に宿る勇気の声。

【後書き】

この物語は、実際に起きた出来事をもとに再構成したものです。
雪深い冬の朝、小さな命が大きな勇気を見せた——
その事実は、今も人々の心にあたたかな光を灯しています。

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