- 昔のゲーム雑誌はなぜ発売日に攻略できた?発売前ROMと制作現場を検証
- まず結論|「昔の雑誌は発売前に完成版を遊べた」だけでは説明できない
- ゲームを遊べなくても、記事制作はもう始まっていた
- では、発売何日前からゲームを遊べたのか
- 1990年、『FFIII』発売7日前には「発売直前超特大号」が出ていた
- ゲーム発売日より先に立ちはだかる「雑誌の締切」
- 画面写真1枚のために、ゲームを最初から遊び直していた
- メーカーから攻略情報を全部教えてもらっていたのか
- 「メーカー監修」は、メーカーが記事を書いたという意味ではない
- 発売前の記事と製品版が違う=未完成ROMを使った、ではない
- 発売日と同時に攻略本まで出せたのはなぜ?
- 長時間RPGはどうやって短期間で攻略したのか
- エンディングまで全部載せてよかったのか
- なぜ雑誌は一日でも早く攻略を載せたかったのか
- インターネットが普及すると、攻略情報の「速さ」が変わった
- 結局、ゲーム雑誌の編集部は私たちより先に何を知っていたのか
- 今回の調査で、断定しなかったこと
昔のゲーム雑誌はなぜ発売日に攻略できた?発売前ROMと制作現場を検証

ゲームの発売日。ようやく自分の手元にソフトが来たのに、ゲーム雑誌を開くと、もう攻略記事が載っている。
序盤の進め方だけならまだ分かる。ところがマップがあり、アイテムや敵のデータがあり、ときには隠し要素にまで触れている。
インターネットも攻略動画もなかった時代、ゲーム雑誌の編集部はどうやって発売日に間に合わせていたのだろう。
先に結論を言うと、編集部が一般ユーザーより前にゲームを遊べる場合は実際にあった。ただし、「発売何週間も前から完成版を自由に遊び、全部自力で攻略していた」と考えると実態から離れてしまう。
確認できる制作現場では、メーカーから先に届くリリース資料や画面素材、発売が近づいてから借りられるゲームROM、編集部や攻略スタッフ自身のプレイ、メーカーから提供されるデータ、メーカーによる記事確認――それらを組み合わせながら誌面を作っていた。
「発売前にゲームを遊べたから攻略記事が作れた」のではなく、発売前から情報収集・実プレイ・撮影・原稿制作・確認・印刷が並行して走っていた。
一般ユーザーが発売日を待っていた同じ時間、編集部の中では何が起きていたのか。残っている誌面と当事者証言から追っていこう。
まず結論|「昔の雑誌は発売前に完成版を遊べた」だけでは説明できない
今回確認できた事実を先に整理すると、ゲーム雑誌の記事は一つの方法だけで作られていたわけではない。
| よくあるイメージ | 確認できた実態 | 注意点 |
|---|---|---|
| 発売前から完成版を遊んでいた | 発売前にROMを借りてプレイする事例は確認できる | そのROMが市販版と完全に同一だったかは一律には確認できない |
| メーカーが全部攻略情報を教えた | メーカー資料を受け取る一方、編集部・攻略本スタッフが実機で検証した事例もある | 媒体・メーカー・作品によって条件は異なる |
| 発売日までゲームを遊んで原稿を書けた | 紙媒体なので、発売日より前に原稿・校正・印刷を終える必要がある | ゲーム発売日と雑誌の締切は別 |
| 同日発売の攻略本なら完全攻略できた | 発売日近辺の「最速本」と、後日の「完全本」は役割が違った | 同日発売=全情報を網羅、ではない |
まず押さえておきたいのは、「ゲーム雑誌」という一語で1980年代から2000年代までを同じ仕組みにしないことだ。
出版社も違えばメーカーも違い、記事の種類も新作紹介、攻略、レビュー、インタビューで条件が違う。以下で扱う証言も、その媒体・時代で確認できた具体例として見ていく。
ゲームを遊べなくても、記事制作はもう始まっていた
「ゲームの記事を書くなら、当然そのゲームを先に遊んでいるはず」と思いたくなる。
ところが2010年、『電撃ゲームス』編集長だった千木良章氏は、All Aboutの取材で興味深い制作工程を説明している。
攻略記事については、まずゲームをプレイしてネタを出す。一方、新着ゲームの紹介記事では、まだROMをプレイできていないことが多く、メーカーから届いたリリース資料や画面資料をもとに誌面を構成していたという。
つまり、記事制作のスタート地点は必ずしも「ゲームが編集部に届いた日」ではない。
メーカーが新作を発表し、システムやキャラクター、画面写真などの情報を媒体へ出す。その資料をもとに新作紹介ページを準備し、実際にゲームをプレイできる段階へ入れば、攻略やレビューのための作業が始まる。
この段階ですでに、発売日前の誌面に情報が大量に載る理由の一つが見えてくる。
では、発売何日前からゲームを遊べたのか
ここは今回の調査で最も慎重に扱うべき部分だった。
千木良氏は2010年の制作現場について、実際にROMを借りてプレイできるようになるのはゲーム発売直前で、非常に大まかな目安として「ゲーム発売まで1か月を切ったくらい」が多いと説明している。
ただし、同時に「メーカーによってまちまち」とも話している。ぎりぎりまで借りられない場合もあれば、発売前にはROMを出さないメーカーもあったという。
したがって、ここから「昔はどの雑誌も発売1か月前にゲームを受け取っていた」とは言えない。
まして、この2010年の証言をそのまま1980年代や1990年代の全メーカーへ当てはめることもできない。
そのROMは製品版と同じだったのか
これも一律には確認できない。
当事者証言には単に「ROM」と書かれている例が多く、それが一般販売用の最終マスターと完全に同一なのか、発売前の別バージョンなのかまで明示されていない場合がある。
そのため本記事では、出典が「ROM」としているものを勝手に「完成版」「レビュー用ROM」「サンプルROM」と言い換えない。
発売前にゲームを遊べた事例は確認できる。しかし、そのすべてが製品版と同一だったとは確認できない。ここが重要な線引きになる。
1990年、『FFIII』発売7日前には「発売直前超特大号」が出ていた
では、実際の当時誌面ではどこまで早く動いていたのか。
分かりやすい例が、ファミコン版『ファイナルファンタジーIII』だ。
任天堂のファミコン年表では、『ファイナルファンタジーIII』の発売日は1990年4月27日。
一方、ゲーム保存協会に残る書誌情報では、『ファミリーコンピュータMagazine』第6巻第9号・通巻102号が1990年4月20日に発売されている。
号の表記は、そのものずばり「F.F.III発売直前超特大号」。
ゲーム発売のちょうど7日前だ。
ここから確認できるのは、少なくとも読者がまだゲームを買えない段階で、『FFIII』を大きく扱う雑誌がすでに店頭へ並んでいたという事実である。
ただし、ここでも一線を引く必要がある。
この書誌だけでは「何日前に編集部へROMが届いたか」「誌面のどこまでが実プレイ由来だったか」は分からない。
発売前に大量の情報が出ていたことと、完成版ROMを早期入手していたことは同じ証拠ではない。
ゲーム発売日より先に立ちはだかる「雑誌の締切」
発売日当日の雑誌に攻略記事があると、「発売日ぎりぎりまで編集部がゲームを遊んでいた」と考えがちだ。
しかし紙の雑誌には、その前に校了と印刷がある。
2010年の『電撃ゲームス』について千木良氏が示した工程では、雑誌発売のおよそ1か月前から3週間前にインタビューなどを行い、記事制作を進め、雑誌発売のおよそ2週間前にはひと通りの原稿を入校。その後、発売1週間前ごろまで修正やメーカー確認を行い、約1週間前に校了して印刷所へ渡していた。
ここで注意したい。
「2週間前」はゲーム発売2週間前ではなく、雑誌発売のおよそ2週間前である。
一方、先ほどの「1か月を切ったくらい」という話は、ゲーム発売までの期間についての証言だ。
ゲームの発売日、雑誌の発売日、原稿締切、校了日、印刷開始日はすべて別の日付になる。この時間差を無視すると、昔の攻略記事が魔法のように見えてしまう。
ファミ通では土曜夜まで差し替え、月曜朝には印刷へ
ファミコン時代の現場はさらに生々しい。
元『ファミコン通信』編集長の塩崎剛三氏は、4Gamerのインタビューで、当時のファミ通では金曜が入稿の最終ラインだったものの、頼み込めば土曜夜まで対応してもらえたと振り返っている。
月曜朝には印刷機を動かさなければならないため、土曜夜に原稿を差し替えることもあったという。
徹夜や編集部での寝泊まりも珍しくなかった。
つまり速報競争とは、単に「情報を早く手に入れる競争」ではない。
手に入れた最新情報を、印刷機が回り始める最後の瞬間まで紙面へ押し込む競争でもあった。
画面写真1枚のために、ゲームを最初から遊び直していた
現代のゲーム記事なら、キャプチャー機器で画面を取り込めば大量のスクリーンショットを保存できる。
ファミコン初期はそうではなかった。
塩崎氏によると、1984年から1986年ごろはテレビ画面を撮影する専用の便利な機材がなく、暗室にゲーム機を置き、カメラマンがテレビ画面を直接撮影していた。
しかも当時のゲームには、現在のような自由なセーブ機能がない作品も多い。
欲しい場面を撮るには、毎回ゲームを最初からプレイして、その場面まで進めることさえあったという。
ポーズをかけるとキャラクターが消えてしまうゲームもあり、画面を止めるために強制ポーズ用のスイッチを取り付けるなど、撮影側にも工夫が必要だった。
1986年ごろになるとビデオプリンタが使われるようになり、作業方法も変わっていく。
攻略マップを作る「マッパー」という仕事もあった
ファミ通では、ビデオプリンタで出力した画面にトレーシングペーパーを重ね、「マッパー」と呼ばれる担当者が正確にトレースしてマップを作っていたという。
山本直人氏の証言では、『ファミリーコンピュータMagazine』では後にPC-9801へキャプチャ基板を接続したシステムも使われていた。
ビデオプリンタ一式と消耗品を合わせると約20kgあり、任天堂への取材時にそれを持ち込んだこともあったという。
「攻略記事を作る」という言葉から文章を書く姿だけを想像すると、当時の作業量を見誤る。
プレイする。目的の場面まで進める。画面を撮る。マップを起こす。文章を書く。校正する。
発売前の短い時間の中で、それらが同時進行していた。
メーカーから攻略情報を全部教えてもらっていたのか
ここも昔のゲーム雑誌・攻略本をめぐる大きな誤解の一つだ。
答えは、「メーカーからしか得られない情報は実際にあった。しかし、それだけで本を作っていたわけではない」となる。
2010年の電撃攻略本編集部の座談会では、武器やモンスター、アイテムなどのデータのうち、ゲームを普通に遊んだだけでは確認できない情報について、メーカーから資料をもらわなければ分からないものがあると説明している。
例えば内部的な出現確率の数値は、プレイヤーが画面を見るだけでは正確に知ることが難しい。
ところが同じ座談会では、メーカーからそうした情報を受け取っても、可能な範囲でゲーム内でも確認し直すと話している。
出現確率そのものは資料へ頼るとしても、「そのアイテムが本当に出るのか」は実際に出現するまでプレイして確かめる。
メーカー資料と編集部の自力攻略は、どちらか一方ではなかった。
資料でしか知り得ない部分を補い、実際のゲームでもできる限り検証する。これが確認できる制作方法の一つだった。
『パラサイト・イヴ 解体真書』では宝箱を100回ずつ開けた
この姿勢をさらに具体的に示すのが、スタジオベントスタッフによる1998年の『パラサイト・イヴ 解体真書』だ。
代表の山下章氏は、メーカーから受け取った資料をそのまま載せるのではなく、実際にゲームをプレイし、資料のデータがゲーム中で正しく機能するかを可能な限り確認していたと説明している。
『パラサイト・イヴ』では、中身がランダムに変化する宝箱を調べるため、各宝箱を100回ずつ開けたという。
「メーカーがデータをくれるなら楽だったのでは」というイメージとは、かなり違う。
「メーカー監修」は、メーカーが記事を書いたという意味ではない
ゲーム雑誌では、完成前の誌面をメーカー側が確認する工程もあった。
『電撃ゲームス』の例では、原稿やレイアウトがまとまったあと、メーカーによるチェックが入る。
千木良氏が挙げている確認項目は、発売日が正しいか、タイトルが正式表記になっているか、日本語がおかしくないか、読者へ誤ったニュアンスで情報が伝わらないか、といったものだ。
少なくともこの証言から、「メーカー監修=攻略内容をすべてメーカーが作った」とは言えない。
逆に、すべてのゲーム雑誌・すべての記事で同じ範囲のチェックが行われていたとも確認できない。
誌面に「監修」「協力」などの表記があっても、その言葉だけから制作工程全体を推測しない方がよい。
発売前の記事と製品版が違う=未完成ROMを使った、ではない
古いゲーム雑誌や攻略本を見ていると、製品版とは違うキャラクター名、画面、仕様が掲載されていることがある。
すると「編集部が開発途中のROMを遊んでいた証拠では?」と考えたくなる。
しかし、それだけでは判断できない。
分かりやすい実例が、1996年11月28日に発売された『ALL ABOUT ウォーザード』だ。
制作したスタジオベントスタッフによれば、この本はカプコン完全協力のもと、アーケードゲーム『ウォーザード』とほぼ同時に発売することを目指して作られた。
ところがゲーム本体側で、発売直前にあるキャラクターの名前が変更された。
攻略本側は、その変更に間に合わなかった。
紙の本は、ゲームより先に内容を固定して印刷へ回さなければならない。
そのため、ゲーム側が最後の段階で変われば、出版社が早くから正しい資料を受け取っていたとしても差異が残る可能性がある。
発売前資料と製品版が違うことは、開発途中の情報が使われた可能性を示しても、それだけで「未完成ROMを遊んでいた」と証明するものではない。
発売日と同時に攻略本まで出せたのはなぜ?
ゲーム雑誌以上に不思議なのが、「ゲームと同じ日に売られている攻略本」だ。
例えばPlayStation 2用『FINAL FANTASY X-2』は、スクウェアの記録で2003年3月13日発売。
KADOKAWAに残る書誌では、『ファイナルファンタジーX-2 オフィシャルガイドブック』も2003年3月13日発売となっている。
同じ日にゲームと攻略本が店へ並んだことになる。
では、出版社は発売前から『FFX-2』を完全攻略していたのだろうか。
ここで重要なのが、攻略本には発売時期によって違う役割があったことだ。
| 区分 | おおよその発売時期 | 性格 |
|---|---|---|
| 最速本 | ゲーム発売日近辺 | 早く遊び始めるための情報を重視 |
| 中間本 | 発売から約2週間後 | 情報量を増やすが、すべてを載せるとは限らない |
| 完全本 | 発売から1か月以上後 | より網羅的なデータ・攻略を目指す |
これは電撃攻略本関係者が2010年の座談会で説明している区分だ。
同じ『FFX-2』でも、スタジオベントスタッフが制作した736ページの『ファイナルファンタジーX-2 アルティマニア』は、ゲーム発売から約2か月半後の2003年5月31日に発売されている。
つまり、ゲームと同時に出せる本と、数か月かけて作る大部の完全攻略本は、最初から同じ商品ではない。
「同日発売の攻略本がある=発売前に出版社がゲームの全情報を持っていた」ではない。
発売日に必要な情報を早く届ける本と、時間をかけて深く検証する本。その両方が存在していた。
公式映像で見る「アルティマニア」ができるまで
スクウェア・エニックス公式番組「スクエニの創りかた」では、スタジオベントスタッフ代表の山下章氏と編集長の大矢和裕氏が出演し、約40年にわたる攻略本制作と「アルティマニア」の成り立ちを振り返っている。攻略本がどのような調査の積み重ねで作られてきたかを知るうえで、今回のテーマと非常に相性がいい。
長時間RPGはどうやって短期間で攻略したのか
ここまで来ると、もう一つ疑問が残る。
RPGならクリアまで何十時間もかかる。発売前の限られた時間で、どうやって大量の攻略情報を作ったのか。
今回確認できた資料からは、実プレイ、担当の分業、マップ制作、メーカーからのデータ提供、短い締切の中での長時間作業といった要素は確認できた。
一方で、「特定の有名RPGを○人で交代しながら○時間でクリアした」「メーカーから途中セーブデータを渡された」「デバッグコマンドで終盤へ飛んだ」といった話を、当時のゲーム雑誌全体の標準手順として裏づけられる資料は確認できなかった。
そのため、ここは昔話をつなぎ合わせて一つの劇的な工程にしない方がいい。
作品や媒体によって条件が違い、必要な情報も違う。序盤攻略ならゲーム全体のクリアは必要ないし、データ記事ならメーカー資料を使える場合もある。後発の完全攻略本なら、雑誌速報より長い制作期間を取れる。
「RPGなのに発売日に攻略できた」のではなく、発売日に必要な範囲の記事と、後から出す完全攻略を分けていたと考える方が、確認できる資料には合っている。
エンディングまで全部載せてよかったのか
現代なら、ゲームメディアには情報解禁日や配信禁止区間、ネタバレに関する細かなルールが設定されることがある。
昔の雑誌もまったく同じだった、と現代の「エンバーゴ」という言葉をそのまま当てはめることはできない。
ただし電撃攻略本関係者の座談会では、攻略本やゲーム雑誌に、ストーリーの最終的な結末をあえて載せない「寸止めの文化」が早い時期からあったという証言が残っている。
読者が本を読んだだけで全部を見てしまうのではなく、最後は自分でゲームを遊ぶ余地を残す。
ただし、これは「すべてのメーカーが契約でエンディング掲載を禁止していた」という意味ではない。具体的な掲載制限は、メーカー、出版社、作品、時期ごとに分けて考える必要がある。
なぜ雑誌は一日でも早く攻略を載せたかったのか
答えは単純で、インターネット以前は情報そのものに値段が付いていたからだ。
新作の画面を見る。発売予定を知る。マップを見る。ボスの倒し方を調べる。隠し要素を探す。
いまなら検索すれば数秒で出てくる情報でも、当時は次の雑誌発売日を待たなければならないことがあった。
だからゲーム雑誌は、スクープ、独占画面、最速攻略を競った。
誌面の最後の差し替えまで粘り、まだゲームを遊べない時期からメーカー資料でページを作り、ROMを借りられるようになれば実機で確認する。
読者が「発売日まであと何日」と数えていた裏側で、編集部側も別の締切へ向かって走っていたわけだ。
当時、ゲームが店へいつ届き、なぜ発売日前に店頭へ商品が存在することがあったのかについては、つぶログの「フラゲ」という消えた発売日前日の文化でも詳しく追っている。今回の話がメディア側なら、こちらは流通・販売店側から見た発売日前の景色だ。
インターネットが普及すると、攻略情報の「速さ」が変わった
ウェブ攻略が普及すると、紙の雑誌にはどうしても越えられない壁ができる。
印刷を待つ必要がない。
間違いがあれば更新できる。
ユーザー自身も攻略情報を発信できる。
だからといって、インターネットが登場した瞬間に攻略本やゲーム雑誌が不要になったわけではない。
完全攻略、膨大なデータ、開発者インタビュー、設定資料、イラスト、読み物など、「最速」だけではない方向へ価値を広げた本も多い。
攻略本を、ゲームをクリアするためだけの道具ではなく、遊び終えたあとに世界をさらに深く知る本として買った人もいる。
情報の速さでウェブが勝つようになっても、紙の役割がすぐゼロになったわけではなかった。
結局、ゲーム雑誌の編集部は私たちより先に何を知っていたのか
発売前にゲームを遊べる編集部は存在した。
メーカーから、一般ユーザーにはまだ出ていない資料やデータを受け取ることもあった。
だが、それだけで攻略記事が完成したわけではない。
ゲームを何度も遊ぶ。画面を撮る。マップを描く。資料の数字を実機で確かめる。文章を書く。メーカー確認を受ける。印刷の締切へ間に合わせる。
ファミコン初期には、画面写真を一枚撮るためだけに目的の場面までゲームを最初から進め直していた。
攻略本では、メーカーからデータを受け取っていても、宝箱を100回ずつ開けて確認した制作チームがいた。
そしてゲーム側が発売直前まで変われば、紙の本には古い名前が残ることさえあった。
昔のゲーム雑誌が発売日に攻略記事を載せられた理由は、「編集部だけ先に完成版を遊べた」という一言では説明できない。
読者が発売日を待っていた時間そのものが、編集部にとっては制作期間だった。
ゲーム会社から情報が届き、編集部が動き、攻略スタッフがプレイし、写真とマップを作り、原稿を直し、最後は印刷所へ送る。
発売日の朝、私たちが初めてゲームの電源を入れたころ。
雑誌の中では、そのゲームを巡る別の時間が、すでに何週間も前から動いていた。
1990年代の発売日にゲームを選ぶ側の景色を追体験するなら、1万円だけ持って1997年のゲームショップへ行くでも、当時の情報環境や発売予定を含めて再現している。
当時のゲーム雑誌編集部そのものをさらに知りたいなら、元『ファミコン通信』編集長・塩崎剛三氏の『198Xのファミコン狂騒曲』も今回の記事と相性がいい一冊だ。『ログイン』から『ファミコン通信』が育っていった時代を、当事者自身の視点からたどれる。
元『ファミコン通信』編集長・塩崎剛三氏による自伝。ビデオゲーム黎明期から『ファミコン通信』が成長していく時代を、編集現場の当事者自身が振り返った一冊です。
価格・在庫・仕様や版の違いなどは変動します。購入の際は各ショップの商品ページで最新情報をご確認ください。
今回の調査で、断定しなかったこと
最後に、今回あえて「分かったこと」にしなかった部分も整理しておく。
- 1980~90年代のすべてのゲーム雑誌が、発売何日前にROMを受け取っていたか
- 編集部へ渡されたROMが、市販製品と完全に同じ最終版だったか
- ROMを編集部外へ持ち出せたのか、返却条件がどうなっていたのか
- デバッグコマンド、ステージセレクト、途中セーブデータなどが攻略制作で一般的に使われていたか
- 大手誌と小規模誌で、メーカーから受け取れる情報にどの程度の差があったか
- 任天堂、セガ、ソニー、スクウェア、エニックスなど各社で、提供条件がどこまで違ったか
- すべての雑誌記事にメーカー監修が入っていたか
こうした点は個別事例が存在する可能性はあっても、今回確認できた資料だけで業界全体の標準手順とは断定できない。
「昔はこうだったらしい」という記憶は面白い。しかしゲーム文化史として残すなら、確認できた現場と、まだ分からない部分は分けておきたい。