
「いらっしゃいませ♪」— 音で始まる個人サイト
ページが開くより先に、部屋の空気が変わる。MIDIが「ここへようこそ」を言っていた。
ダイヤルアップの接続音が静まると、リンクを踏んだ瞬間に流れ出すメロディ。トップの角でちいさく点滅する「♪再生/停止」、もしくは止め方が見当たらない“自動再生”。あの頃の個人ホームページは、文字や画像の前に音で名乗っていました。
店先ののれん代わりに、管理人の好きなRPGのフィールド曲、J-POPの打ち込みMIDI、オリジナルのピアノループ。音色(GM音源)の丸いフルート、やけに主張するスネア、継ぎ目の少しズレた無限ループ——そのクセさえサイトの個性でした。
深夜、家族を起こさないようスピーカーのボリュームを慌てて下げる。職場PCでうっかり鳴らしてしまい冷や汗をかく。だからこそ、目立たない場所に置かれた「停止ボタン」を見つけると、常連だけが知る“合言葉”を得たような気持ちになった。
BGMは飾りではなく、滞在時間を温め、掲示板の書き込みのテンポまで決める“空気”そのもの。ここから、音で始まる個人サイトの作法と楽しさをほどいていきます。
無限ループMIDIの魔法と現実

軽量・無限ループ・著作権フリー素材の隆盛
2000年代初頭の個人ホームページにおけるBGMは、MIDIファイルが主役でした。最大の理由は軽さです。画像1枚が数百KBする時代、MIDIは数KB〜数十KBという極小サイズ。ダイヤルアップ接続やISDNでも一瞬で読み込みが終わり、訪問者を待たせずに音を届けられました。
さらにMIDIは、設定次第で無限ループ再生が可能。サイトにいる間じゅうBGMが途切れず流れ続けるため、「この曲=このサイト」という刷り込みが自然に生まれました。ループの継ぎ目がほんの少しズレていると、それすらも“このサイトらしさ”として記憶されることも多かったのです。
また、当時は著作権フリーのフリーMIDI素材サイトが隆盛を極めていました。「音の葉」「MIDI素材の小部屋」「クラシックMIDIライブラリ」など、素材屋さんが公開する膨大な曲から、管理人は自分のサイトに合う1曲を探し出し、「素材お借りしました」というクレジットとともに設置。これが一種の“礼儀”であり、同じ曲を使っているサイト同士で不思議な仲間意識も芽生えました。
MIDIは軽量で省スペース、しかもループ再生で訪問者の滞在時間を包み込む——そうした特性から、当時のネットにおける音のインフラとして機能していたのです。
ループの継ぎ目/音色(GM音源)のクセと“らしさ”
MIDIのBGMが“サイトの顔”になれたのは、無限ループの継ぎ目にまで管理人のこだわりが宿っていたから。小節頭でフェードを合わせ、最後の長音を短めに切って次の頭へ滑らせる——理想は“継ぎ目ゼロ”ですが、実際はPCごとの音源差やブラウザの挙動でコンマ数秒の空白が生まれます。その“微かな息継ぎ”さえ、常連には「ここで掲示板を開くとちょうどサビ」みたいなサイト固有のリズムとして記憶された。完璧ではないループが、むしろ“手作りの温度”を生んでいたわけです。
もう一つの個性は、GM音源(General MIDI)の音色。同じMIDIでも、FM音源寄りの内蔵サウンドだとピアノがカンカン鳴り、ストリングスは薄く、スネアは「パスッ」。別のサウンドカードでは逆にふくよかなピアノ+モコっとしたベースに聴こえる。だから管理人は「この曲はフルート主旋律が映える環境推奨」「ドラムを控えめに」と音色前提で選曲したり、ベロシティ(打鍵強さ)やパン(定位)を微調整して“どの環境でも破綻しない”ラインを探したりしていました。
GM音源ならではのプリセットの癖も、サイトの“声色”を決めました。
- #1 Acoustic Grand Piano:硬質で前に出る。文章サイトや日記系の落ち着きを演出。
- #41 Violin/#49 String Ensemble:ループの継ぎ目が目立ちにくく、ファンタジー系の世界観に合う。
- #81 Square Lead/#82 Saw Lead:チップチューン風でゲーム系サイトの“ワクワク”担当。
- Standard Drum KitのClosed Hi-Hatが妙に主張して“チッ”が耳に残るのも“あるある”。
この不均質さは、MP3時代に入って消えていきました。圧縮音源は誰の再生環境でもほぼ同じに聴こえる代わりに、機材差・ブラウザ差が織りなす“偶然のニュアンス”は薄れる。MIDIは、同じファイルでも聴く人のPCごとに少し違う音が鳴る——その“揺らぎ”が、サイトと訪問者のあいだに一回性の体験を作っていたのです。
結局のところ、完璧なループやリッチな音質だけが“良さ”ではありませんでした。継ぎ目の小さな段差と、GM音源のクセ。その組み合わせが、あの時代の個人ホームページにしか出せなかった匂いと温度を生んでいたのだと思います。
プレイヤー時代:Winamp・RealAudio・Flash埋め込み
Winampが“音の見た目”を連れてきた
MIDI中心の時代から一歩進むと、Winampが個人サイトの顔になりました。トップや「BGM置き場」にスクリーンショットを貼り、スキン配布へのリンクを置く。メタル調、木目、アニメ柄…見た目そのものが世界観。プレイリスト(M3U)を公開して「この順で聴いて」と並べる行為は、いまで言うプレイリスト共有文化の原型でした。
さらにSHOUTcastで自宅PCを“ネットラジオ局”に仕立てる猛者も登場。夜だけオンエアする個人放送は、掲示板の書き込みと相まって「聴きながら語る」空気を作りました。ビットレートは64kbps前後でも、同時接続10人で誇らしい。帯域と機材と根気で回す手作り配信は、コミュニティの芯になっていきます。
RealAudioと“つながりっぱなし”の感覚
RealAudio/RealMediaは“軽いストリーミング”の決定版。.ramリンク→バッファ→再生の一連の動作が、ページ滞在と音をゆるく結びつけました。回線が詰まると音がロボ声になり、また戻る——その不安定ささえ「いま繋がっている」手触り。学校や職場のPCでこっそり聴くには都合がよく、“ながら聴き”文化を静かに広げました。
一方で専用プレイヤー必須/コードが長い/環境差が激しいという弱点も。掲示板に「聴けません」の書き込みが並び、管理人がコーデック案内や代替リンクを追記する——あの“面倒を分け合う”工程自体がコミュニケーションでした。
Flashプレイヤーがもたらした“押して聴く”体験
2000年代半ば、Flash埋め込みMP3プレイヤー(小さな再生ボタン+シークバー)が主役に。ワンクリックで鳴る/停止が分かりやすい/見た目を合わせやすい——MIDIやRealの課題をまとめて解消し、「自動再生しないおもてなし」という新マナーを根づかせました。歌詞・写真・日記と音をページ内で同期させる演出も容易で、曲に合わせてスクロールする、フェードで切り替わるといった“音の演出”が一気に洗練。
ただし、SWFの更新負荷/モバイル非対応/将来的なサポート終了という影も同居。後年のHTML5オーディオへバトンを渡すまでの過渡期の最適解だった、と言えるでしょう。
Winampは音の見た目を、RealAudioはつながりっぱなしの感覚を、Flashは押して聴く操作を連れてきた。どれも「ページの空気を音で作る」試みであり、ラジオ的な共聴/再生UIの共通言語/配信者と聴き手の距離を同時に育てました。次章では、その裏側を支えた素材屋さんとクレジット文化へ――“音を借りる礼儀”が生んだネットの連帯をたどります。
素材屋さんとクレジット文化

“音の葉”をたどる巡礼と、借りる礼儀
個人サイトのBGMを陰で支えたのが、フリーMIDI/効果音の素材屋さんでした。検索で見つけた“音の葉”のような配布サイトを巡礼し、ジャンル別(RPG・和風・ポップ・環境音)の中から自分の部屋に似合う一曲を探す。利用規約はだいたい共通で、非商用・改変可否・二次配布禁止・クレジット必須。管理人は“借りた音”をただ貼るのではなく、作者名とリンクを明記し、トップやBGM置き場に「素材お借りしました」を掲げました。
このクレジット文化は、単なる義務以上の意味を持っていました。初めて訪れた人はリンクを辿って音の出どころを知り、別のサイトでも同じ曲に再会して不思議な連帯感を覚える。作者側もアクセス解析で“使われた場所”を知り、巡回(サーフィン)の動機が生まれる。素材屋→利用者→読者が緩やかにつながる、音を介した相互扶助がそこで回っていたのです。
クレジットの置き方・今に活かす実践
当時の“礼儀”は、いまのウェブでも十分通用します。
- 見える場所に置く:フッターだけでなく、BGM近く・記事本文にも一度は記載。
- 要点は3つ:曲名/作者名(サイト名)/リンク。利用条件(非商用等)も添える。
- 再配布はしない:ファイルを自サーバーに置く前に、規約で“直リンク推奨/不可”を確認。
貼り付け例(現代向け・HTML5)※音は鳴りません:
BGM: 「夜更けの散歩」 by 〇〇Sound(配布元) ※非商用・二次配布不可/クレジット必須
“借りた音に道筋を残す”という発想は、AI時代のアトリビューションにも直結します。誰の手ざわりが重なってこのページの空気ができたのか――その来歴(プロヴェナンス)を残すこと自体が、文化の記録であり、ネットのやさしさでした。
回線と容量のせめぎ合い

ISDN・ADSL時代の重さと待ち時間の演出
MIDI全盛期の背景には、当時の回線事情が色濃くありました。
ダイヤルアップやISDNでは、接続中に電話が使えない・通信料が従量課金といった制約があり、いかに軽く・速く・途切れずに音を届けるかが重要でした。MIDIが好まれたのも、数KB〜数十KBという軽さのおかげです。
しかし2000年代に入るとADSLが普及し、MP3やWAVなど高音質の音源も使えるようになります。そこで起きたのが「重さとのせめぎ合い」です。管理人は音質を上げたい、でもページが開くのに10秒以上かかると訪問者が離脱する。だから128kbps→96kbpsに落としてみたり、イントロだけ短いループにしたりと、“見えない設計”に頭を使っていました。
読み込み待ちの間も無音では味気ないため、「Now Loading...」のアニメGIFや、軽量MIDIを先に流す“前座”の工夫も登場。BGMの始まりを待ち時間の演出に変えることで、ページ訪問が“ちょっとした儀式”のようになったのです。
賑やかし設計とトレードオフ
当時の個人ホームページは、BGMだけでなくカウンタ、キラキラGIF、リンクバナー、掲示板、チャット窓など多機能が同居していました。
- BGMの読み込み
- カウンタCGIのアクセス記録
- 広告や素材画像の読み込み
…これらが同時に走るため、何が原因で遅いのか特定できないことも多々ありました。
その中で、管理人は「重いけど全部入れたい」派と「軽さ優先で取捨選択」派に分かれ、訪問者からの感想や掲示板での声を参考にチューニング。BGMが無事に鳴ること自体が、訪問成功の合図のようなものだったのです。
ページが鳴らす“人格” — 音で伝わる気配
曲調=サイトの表情
文字と画像より先に耳へ届くBGMは、第一印象そのものでした。
- ピアノのワルツなら、穏やかな日記系。
- チップチューンなら、ゲームレビューや攻略系のワクワク。
- 環境音(雨・波音)は、写真や詩を読む速度をゆっくりに。
更新頻度や文章のテンポは、意外とBGMの拍子やBPMに引きずられます。3拍子のサイトは段落が柔らかく、4つ打ちは見出しがキビキビ——耳がスクロール速度を決める、そんな体験が確かにありました。
“声色”を作る音色(トーン)
同じメロでも、音色を変えるだけでキャラが変わるのがMIDI時代の面白さ。
- ストリングス中心 → 物語・創作寄りの“しっとり”。
- 木管(フルート/クラリネット) → 小噺やコラムの“やわらかさ”。
- シンセ・リード → 技術系・Tipsの“明快さ”。
さらに、音域の配分も空気を決めます。高域多めは明るい・軽い、低域が支配すると落ち着く・重厚。BGMの帯域は、ページ全体の照明のようなものでした。
ふるまい=礼儀
人格は音そのものだけでなく、鳴らし方にも現れます。
- 自動再生でもすぐ見える停止ボタンがある → 気配り上手。
- 音量が控えめ・ループが滑らか → 手入れの行き届いた店。
- 説明とクレジットが近くにある → 信用できる管理人。
逆に、止め方不明・大音量・別ページ遷移で切れる…は、“せっかちな店員”の印象に。BGMの設計は、文章より雄弁にサイトのマナーを語りました。
いま再現するなら(実践メモ)
- 短い無限ループを用意(20〜60秒/静かなイントロ)。
- 既定はミュートON+再生ボタン。クリックでフェードイン(0.6〜1.2秒)。
- 章ごとに同モチーフの変奏を当てると、読み進める楽しさが増す。
- クレジット(曲名/作者/制作ツール)は再生ボタンの近くに。
BGMは装飾ではなく、そのページがまとっている人格の一部。
スクロールに合わせてふっと音が馴染む瞬間、読者は“画面の向こうに人がいる”ことを、耳で思い出します。
マナーと“アンチ自動再生”の夜明け
うるさいウェブから、気配りのウェブへ
BGMが“おもてなし”だった時代は、同時に事故再生の冷や汗とも隣り合わせでした。深夜の家族、職場のPC、スマホの通信量――「いきなり鳴る」は次第に迷惑のリスクに。そこへブラウザ側の仕様変更(モバイルの自動再生制限、ユーザー操作がない再生のブロック)が重なり、“押してから鳴る”が標準へと移行します。これは“文化の敗北”ではなく、閲覧環境と礼儀のアップデートでした。
新しいお作法(2010s→今)
- 自動再生しない:初手ミュート or 無音。ユーザー操作で開始が大前提。
- 見える停止/音量:再生ボタンの近くに停止・ミュート・音量をまとめ、すぐ触れる導線に。
- 小さく、軽く:短いループ(20〜60秒)×128〜160kbpsが体感◎。
preload="none"
で初期負荷も軽く。 - 章替わりは“フェード”:ぶつ切りは疲れる。0.6〜1.2秒のフェードで空気を保つ。
- クレジットは近くに:曲名/作者/ツール(例:U-dio)/配布元 or 自作表記。リンクはnofollowで。
- 既視感の配慮:既読・滞在の邪魔をしない音量の初期値(-12〜-9dB程度)を目安に。
よくある“つまずき”→こう直す
- いきなり大音量 → 初期はミュート、または低音量+「音量メモリ」保存(LocalStorage)。
- 再生場所がわからない → ボタンの文言を動詞に(▶ 再生/⏸ 一時停止)+キーボード操作対応。
- 継ぎ目が気になる → ループ点を小節頭に、数十msの無音調整 or AAC併用で滑らかに。
- ページが重い → 画像の遅延読み込み+音は
preload="none"
、初回はワンクリックでストリーミング。
ルールと体験のバランス
アクセス解析を見ると、「音を鳴らす人」は全体の一部です。だからこそ、鳴らさない多数にストレスを与えず、鳴らしたい少数には心地よくが理想。BGMは“必須”ではなく選べる体験として置く――これが、静かなウェブ時代のやさしいBGM設計です。
小さく始めて、押すとそっと広がる。
いまのウェブで音を置く理由は、相手の時間を尊重するためにあります。
象徴的エピソード集 ― あのBGMが連れてくる光景
- 深夜のボリュームダッシュ
ページを開いた瞬間に鳴り、家族が寝ているのを思い出してスピーカーに手を伸ばす。
「ごめん…!」と心でつぶやきながら、音量ノブをそっと左へ。 - “停止ボタン”を探す小冒険
どこにも見当たらない停止ボタン。スクロールの果て、フッターの小さな♪マークを発見。
常連だけが知っている“秘密の抜け道”みたいで、少しうれしい。 - 同じ曲に、別の部屋で再会
別サイトでも流れる、あのMIDI。
「ここでもこの曲か!」と妙な連帯感が芽生え、クレジットリンクを辿って素材屋さんまで巡礼。 - 掲示板の“サビ合わせ”
ループの位置取りが絶妙で、書き込みを送信する頃にちょうどサビ。
BGMに背中を押され、いつもより一文が軽やかになる。 - Winampスキンで“部屋着”を替える
木目スキンの日はエッセイ、メタルスキンの日はゲームレビュー。
プレイヤーの見た目ひとつで、文章の服装まで変わって見えた。 - RealAudioの“ロボ声”も味
回線が混むと声がロボ化して、すぐ戻る。
不安定さにイラつくより、「いま繋がってる」実感がなぜか勝っていた。 - 素材を“お借りしました”の礼
BGMの下に並ぶ「作者名/配布元」。
ただの義務じゃなく、見知らぬ誰かと静かに握手する所作だった。 - 職場での冷や汗と学習
勢いで開いて大音量。慌てて閉じて学ぶ、“音は押してから”。
その日から自分のサイトにも、目立つ停止ボタンを置いた。 - オフ会の入り口になった曲
「あの曲のサイト、見てます?」が合言葉。
同じBGMを知っているだけで、初対面の距離が一気に縮まった。 - “自作BGM”の初公開
恥ずかしさ半分、誇らしさ半分でアップロード。
「いいね」より先に届いたのは、「クレジットの書き方、合ってる?」という優しい確認だった。
どのエピソードにも共通していたのは、音がページの空気を作るという実感。
静かなウェブの今だからこそ、あの頃のBGMをやさしい設計で置き直す価値があるのだと思います。
終章:音が連れてくる“あの部屋”の温度

ページが開く前に、耳が先に“場所”を覚えていた。
ループの継ぎ目、少し硬いピアノ、控えめなスネア。
それらは文章を読むスピードや、スクロールの呼吸にまで影響して、
画面の向こうにいる「誰か」の生活リズムを、そっと想像させた。
あの頃のBGMは、装飾ではなく合図だった。
「ここは静かにしていこう」「今日は少しだけ賑やかに」——
管理人の手つきが、音量や曲調に滲み、
訪問者の時間の使い方までやさしく誘導していた。
今は静かなウェブが標準で、
自動再生や大音量で驚かせることはもうしない。
だからこそ、押したらそっと鳴るBGMは、
かつての“いらっしゃいませ♪”を、今の礼儀で再現する小さな灯りだ。
音は記憶の近道。
ループの向こうに、いつでも帰れる“部屋”がある。
BGMが鳴った瞬間、そのサイトの“空気”まで届くんだよね。音って、文字よりも速く心に着陸するんだ〜♪