バラエティ/お笑い

めぞんの結成秘話|吉野おいなり君と原一刻、板橋ハウスとの関係

目次
  1. めぞんの経歴とコンビ名の由来|吉野おいなり君・原一刻と板橋ハウス
  2. めぞんは吉野おいなり君と原一刻の漫才コンビ
  3. めぞん結成のきっかけ|NSC時代に2人とも大スベりした
  4. コンビ名「めぞん」と芸名「原一刻」はどう決まった?
  5. 吉野おいなり君と板橋ハウスの関係|原一刻も関わっている?
  6. めぞんの漫才の特徴|自由な発想を観客に届ける掛け合い
  7. めぞんのM-1グランプリ戦績|2025年に初の決勝進出
  8. M-1以外の賞レース実績|マイナビ賞とツギクル芸人グランプリ
  9. 2026年のめぞん|ルミネ単独ライブと2人それぞれの創作活動
  10. まとめ|めぞんは結成秘話も活動歴も個性的な漫才コンビ

めぞんの経歴とコンビ名の由来|吉野おいなり君・原一刻と板橋ハウス

めぞんの結成秘話を描いたイラスト。吉野おいなり君と原一刻の経歴、板橋ハウスとの関係、コンビ名の由来や漫才の歩みを表現。

漫画『めぞん一刻』から生まれたコンビ名、ダーツ勝負で決まった芸名、そして養成所時代の大失敗から始まったコンビ結成。

お笑いコンビ「めぞん」には、2人の漫才にも負けないほど個性的なエピソードがあります。

メンバーは、吉野おいなり君さんと原一刻さん。吉本興業に所属し、2025年の『M-1グランプリ』で初めて決勝に進出した漫才コンビです。

吉野さんは人気動画ユニット「板橋ハウス」のメンバーとしても知られています。しかし、めぞんの歩みは板橋ハウスの成功から始まったわけではありません。

吉野さんは運送会社、原さんは日野自動車での勤務を経験。2人ともNSC時代にピンネタで大失敗し、紆余曲折を経てコンビを結成しました。

長い間、M-1では2回戦前後での敗退が続いていましたが、2025年には漫才の作り方を見直し、初めて決勝へ。2026年にはルミネtheよしもとで単独ライブを開催するなど、活動の幅を広げています。

この記事では、吉野おいなり君さんと原一刻さんの経歴、コンビ結成のきっかけ、名前の由来、板橋ハウスとの関係、独特な漫才の特徴、賞レースの実績、現在の活動まで紹介します。

めぞんは吉野おいなり君と原一刻の漫才コンビ

めぞんは、吉本興業に所属するお笑いコンビです。

向かって左が吉野おいなり君さん、右が原一刻さん。吉野さんが主にボケとネタ作りを担当し、原さんがツッコミを担当しています。

2人ともNSC東京校22期出身で、1994年生まれの同学年です。

M-1グランプリの公式プロフィールでは結成日が2016年6月9日とされています。ただし、吉本興業の公式プロフィールには2017年4月1日と記載されており、公式情報に相違があります。

まずは、2人の基本的なプロフィールを比較してみましょう。

項目吉野おいなり君原一刻
読み方よしの おいなりくんはら いっこく
生年月日1994年2月3日1994年7月22日
年齢32歳32歳
出身地福岡県北九州市宮崎県宮崎市
NSC東京校22期東京校22期
立ち位置向かって左向かって右
主な役割ボケ・ネタ作りツッコミ
趣味ダーツ、HIPHOP、漫画野球、ゴルフ、料理
特技即興ラップ何度やられても立ち上がること

※年齢は2026年10月28日時点。基本プロフィールは吉本興業の公式情報に基づいています。

吉野おいなり君の経歴|運送会社を経て芸人の道へ

吉野おいなり君さんは、福岡県北九州市出身。子どものころからお笑いが好きで、特にチュートリアルやブラックマヨネーズなどの漫才に親しんでいました。

ただし、高校卒業後すぐに芸人になったわけではありません。

地元で運送会社に就職し、大きなソファなどの家具を運ぶ仕事をしていたそうです。

2026年5月のマイナビニュースのインタビューでは、当時からSNSへの投稿に夢中になり、投稿が注目されることを楽しんでいたと振り返っています。

インターネットで自分の発信が広がることにも魅力を感じていましたが、もともと芸人への憧れも持っていました。

その後、地元を離れて東京へ移り、NSC東京校に入学します。

意外なことに、入学時から芸人として成功できる自信があったわけではありません。

本人によれば、半年ほどNSCに通ってみて、駄目なら地元へ帰ることも考えていたそうです。

現在はめぞんのネタ作りを中心的に担当する一方、板橋ハウスの動画出演や小説の執筆など、さまざまな創作活動にも取り組んでいます。

漫画やアニメ、インターネット文化への関心が強く、そうした要素が独特な発想にもつながっています。

原一刻の経歴|日野自動車で衝突試験の仕事を経験

原一刻さんは宮崎県宮崎市出身。子どものころから漫才が好きで、特にトータルテンボスのネタに憧れていました。

地元の工業高校を卒業後、日野自動車に就職しています。

本人によると、トラックの衝突試験を担当する部署で3年弱働いていたそうです。

就職先を決める際には、東京で暮らし、休日にお笑いライブや音楽ライブへ行ける環境を重視していました。

実際に社会人として働きながらライブへ足を運び、芸人への憧れを持ち続けていたといいます。

その後、会社を辞めてNSCに入学。吉野さんと出会い、現在のめぞんを結成することになります。

ちなみに、本人インタビューでは吉野さんが、原さんは衝突試験で使う人形の役だったと冗談を言う場面があります。しかし、原さんはその説明を否定しています。

実際に確認できるのは、衝突試験に関わる部署で勤務していたという経歴です。

現在は漫才のツッコミを担当するほか、動画編集やエッセイの執筆にも取り組んでいます。

吉野さんの個性的な発想を受け止める姿が印象的ですが、舞台以外でもコンビの活動を支える存在です。

めぞん結成のきっかけ|NSC時代に2人とも大スベりした

めぞんの結成には、少し変わったきっかけがあります。

吉野さんと原さんはNSC東京校22期の同期ですが、最初からコンビを組んでいたわけではありません。

養成所時代にはそれぞれ別の相方と活動しており、コンビを解消して1人になった時期がありました。

そこで経験したピンネタの大失敗が、2人を新しいコンビ結成へと向かわせます。

出番を避けようと最後に並んだのに、結局スベってしまった

NSCの授業で、1人ずつネタを披露する機会がありました。

しかし、吉野さんも原さんもネタを十分に用意できていませんでした。

できることなら出番を避けたい。そう考えた2人は、順番が回ってこないことを期待して、列の最後の方へ並んでいたそうです。

ところが、そういうときに限って授業は順調に進みます。

結局、2人とも順番が回ってきてしまい、即興でネタを披露することになりました。

結果は大失敗。本人たちは、非常に大きくスベった経験として当時を振り返っています。

そして、これほど怖い思いをするなら、次は誰かと一緒に舞台に立ちたいと考えるようになったのです。

互いの成功を見て意気投合したのではなく、2人とも1人で大失敗したことが、コンビを組む理由の一つになりました。

いかにも芸人らしい、苦い経験から生まれた結成秘話です。

原は一度、吉野ではなく別の相方を選んでいた

結成に至るまでには、もう一つ興味深いエピソードがあります。

NSCには、相方を探している芸人同士が交流する機会がありました。

そこで吉野さんと原さんは接点を持ち、一緒に帰ることになります。

帰り道で原さんは、吉野さんのことを面白いと思っていると伝え、コンビを組むなら吉野さんがよいという気持ちを示したそうです。

ところが翌日、吉野さんがNSCへ行くと、原さんは別の人とコンビを組んでいました。

吉野さんにとっては、驚くしかない出来事だったようです。

原さんは後年、ほかの人からも積極的に連絡をもらい、流れで一度組んでみることにしたと説明しています。

現在の2人にとっては笑い話ですが、最初から互いを唯一の相方として選んでいたわけではありません。

相方探しやネタ見せでの失敗を経て、吉野さんと原さんは現在のコンビを組むことになりました。

めぞんの結成年は2016年?2017年?公式の記載が違う理由

めぞんの結成年を調べると、2016年と2017年の両方が出てきます。

これは、公式サイト同士で結成日の記載が異なっているためです。

情報源結成日の記載
M-1グランプリ公式2016年6月9日
吉本興業公式2017年4月1日
お笑いナタリー2016年6月

さらに、2026年5月のマイナビニュースによる本人インタビューでも、2016年結成と紹介されています。

2016年にはM-1グランプリへ出場した記録もあり、少なくとも同年にはコンビとして活動していたことが確認できます。

そのため、この記事では2016年を基本の結成年として扱います。

ただし、吉本興業が2017年4月1日と掲載している理由については、公式な説明が確認できていません。

NSC卒業後の活動開始日など、何らかの区切りが異なる可能性はありますが、それを事実として断定することはできません。

現時点では、両公式サイトの表記に相違があることを押さえておくのが正確です。

コンビ名「めぞん」と芸名「原一刻」はどう決まった?

「めぞん」という名前を聞いて、漫画『めぞん一刻』を思い浮かべる人もいるかもしれません。

実は、その連想は正解です。

めぞんのコンビ名は、高橋留美子さんの漫画『めぞん一刻』から付けられました。

2026年5月20日のENCOUNTによる本人インタビューで、吉野さんと原さんが命名の経緯を詳しく説明しています。

最初の候補は「ドリルマスター」だった

コンビ名を考えていたころ、原さんが最初に提案した名前は「ドリルマスター」でした。

しかし、その名前にあまり乗り気ではなかった吉野さんは、別の案を探します。

そこで目に入ったのが、自宅の本棚に置いてあった漫画『めぞん一刻』でした。

そのタイトルから「めぞん」を採用することになったそうです。

特別な意味を込めて何か月も考え抜いたというより、目の前にあった漫画がコンビ名のきっかけになったわけです。

もちろん、漫画のタイトルを名前に取り入れたことと、作品の作者や出版社との公式な提携は別の話です。

めぞんは漫画作品の公式ユニットではなく、吉本興業に所属する独立した漫才コンビです。

原一刻の芸名はダーツ勝負で決まった

さらに面白いのが、原さんの「一刻」という芸名が決まった経緯です。

NSC卒業時に芸名を考えていた2人は、どちらかが『めぞん一刻』の「一刻」を名乗ることにしました。

しかし、誰が名乗るかを話し合いで決めたわけではありません。

負けた方が「一刻」を名乗るという、ダーツ勝負を行ったのです。

吉野さんはダーツが得意でしたが、原さんはほとんど経験がありませんでした。

結果は原さんの敗北。こうして「原一刻」という芸名が生まれました。

原さんは当初、少し恥ずかしい名前だと感じていたものの、現在では響きも含めて気に入っているそうです。

コンビ名は本棚の漫画から、相方の芸名はダーツ勝負から。2つの名前が生まれた経緯には、めぞんならではの個性があります。

吉野おいなり君の本名は?過去には別の表記も

吉野さんについては、過去のお笑いナタリーのプロフィールや吉本興業の劇場公式YouTube動画で「吉野裕介」という表記が使われています。

ただし、この表記だけでは戸籍上の本名なのか、以前使用していた活動名なのかを確定できません。

現在の吉本興業とM-1グランプリの公式プロフィールでは「吉野おいなり君」が使用されています。

そのため、この記事では現在の公式芸名を基本として紹介します。

吉野おいなり君と板橋ハウスの関係|原一刻も関わっている?

吉野おいなり君さんを知るうえで、欠かせない活動の一つが「板橋ハウス」です。

板橋ハウスは、若手芸人3人による動画ユニット。ルームシェア生活を題材にした動画などで人気を集め、TikTokやYouTubeを中心に活動してきました。

吉野さんは、この板橋ハウスの出演メンバーでもあります。

板橋ハウスの出演者は吉野・竹内・つるまるの3人

板橋ハウスの出演メンバーは、次の3人です。

  • めぞん・吉野おいなり君
  • ピュート・竹内智也
  • 軟水・つるまる

2020年12月からTikTokへの動画投稿を始め、その後YouTubeにも活動を広げました。

動画では、日常の何気ない会話や独特な発想による企画などを楽しめます。

3人のルームシェア生活を思わせる、自然な会話の雰囲気が特徴です。

板橋ハウスを通じて吉野さんを知り、後からめぞんの漫才を見たという人もいるでしょう。

ただし、板橋ハウスと、吉野さん・原さんによる漫才コンビ「めぞん」は別の活動です。

原さんは板橋ハウスの通常の出演メンバーではありません。

原一刻は板橋ハウスの動画編集を手伝っている

板橋ハウスの出演者は3人ですが、原さんも制作に関わっています。

原さんは、板橋ハウスの動画編集を手伝っていることを本人インタビューで明かしています。

きっかけは、吉野さんの仕事が忙しくなったことでした。

吉野さんは、めぞんの漫才のネタを作りながら、板橋ハウスの撮影にも参加しています。

その負担を少しでも軽くしようと、原さんが動画編集を手伝うようになったそうです。

原さんは以前、コンビのYouTube活動のためにパソコンを購入していました。

その機材を使い、動画編集を独学で覚えたと説明しています。

漫才ではツッコミを担当し、動画制作では相方の活動を裏側から支える。原さんは、めぞんの活動をさまざまな面で支えている人物なのです。

板橋ハウスの人気によって、めぞんのライブ出演も増加

板橋ハウスの活動は、めぞんの漫才師としての仕事にも影響を与えました。

2026年5月のENCOUNTインタビューで、吉野さんは板橋ハウスが知られる以前の状況について振り返っています。

当時のめぞんは、吉本関連のライブ出演が月に2~3回ほどしかない時期もあり、アルバイトを中心に生活していたそうです。

しかし、板橋ハウスの動画が注目されるようになると、吉野さんの知名度が上昇。

それに伴って、めぞんへの劇場や外部ライブからの出演依頼も増えていきました。

本人の回想では、月20回程度までライブ出演が増えた時期もあったといいます。

動画をきっかけに名前を知ってもらい、その後、劇場で漫才を見てもらう機会が増えたのです。

ただし、これは当時の出演回数についての話であり、現在も毎月同じ数のライブに出演しているという意味ではありません。

また、板橋ハウスで人気が出たことと、2025年のM-1決勝進出の理由を同一視することもできません。

舞台に立つ機会が増えたことは重要ですが、漫才の作り方や観客への伝え方を磨いてきた過程も、2人の歩みには欠かせません。

めぞんの漫才の特徴|自由な発想を観客に届ける掛け合い

めぞんの漫才は、吉野さんの独特な発想と、それを受け止める原さんのツッコミが特徴です。

日常的な会話から始まったかと思えば、突然予想外の言葉や展開が飛び出します。

原さんは吉野さんの発想に対応しながら、強い声量と勢いのあるツッコミで漫才を進めていきます。

2人とも声を張る場面が多く、テンポのよい掛け合いも持ち味です。

吉野がネタを作り、原がその世界観を成立させる

めぞんのネタ作りは、吉野さんが中心となって行っています。

吉野さんは漫画やアニメ、インターネット文化への関心が強く、自分が好きなものから発想を広げることもあります。

一方、原さんは吉野さんが考えた内容を、舞台でどう演じれば面白く伝わるのかを考える役割を担っています。

吉野さんの発想が突飛であればあるほど、原さんにはそれを観客が理解できる掛け合いにすることが求められます。

2026年のマイナビニュースのインタビューで、原さんは吉野さんがネタの方向性を決め、自分はそのイメージを形にするよう努力していると説明しました。

ただし、これは原さんが漫才に何も意見を出さないという意味ではありません。

実際に、ネタのセリフや動きについて原さんが疑問を伝えることもあり、舞台で試した結果を見ながら調整しています。

自由に発想する吉野さんと、その発想を漫才として成立させる原さん。役割の違いが、めぞんの個性を形作っています。

2025年に「自分がやりたい笑い」から「伝わる笑い」へ

めぞんの漫才を語るうえで重要なのが、2025年にネタ作りの考え方を見直したことです。

それ以前の吉野さんは、自分が面白いと思うものを優先してネタを作ることが多かったそうです。

アニメ作品のタイトルなど、好きな要素を盛り込むこともありました。

ところが2025年には、少し方向性を変えます。

自分たちが面白いと思うだけでなく、実際に観客へ伝わり、笑ってもらえることを強く意識するようになったのです。

これは吉野さんの個性をなくし、一般的な漫才へ変えたという意味ではありません。

独特な発想は残しながら、観客がどこで笑うのか、どんな言葉や動きが伝わりやすいのかを考え直したという変化です。

2024年のM-1では2回戦敗退でしたが、2025年には初めて決勝へ進出しています。

その結果をネタ作りの変更だけで説明することはできませんが、本人たちが語る重要な転機であることは間違いありません。

M-1決勝ネタは約50人の芸人に意見を聞いて調整した

2026年5月のENCOUNTインタビューでは、吉野さんが2025年のM-1決勝で披露したネタについて、約50人の芸人に意見を聞いていたと説明しています。

準決勝から決勝にかけても、細かなセリフや動きを調整し続けていました。

例えば、ネタの中で「逃げろ!」と言いながら後ろへ跳ぶ場面があります。

原さんは最初、そのセリフに疑問を感じたそうですが、実際のライブで試すと大きな笑いが起きました。

そこで採用することになったといいます。

自分たちだけで考えて終わるのではなく、芸人仲間に意見を聞き、舞台で試し、観客の反応を確かめる。

めぞんは、そうした試行錯誤を重ねていました。

一見すると自由奔放な漫才ですが、その裏側には言葉や動きを細かく調整する過程があるのです。

めぞんの漫才を公式YouTubeで見る

実際にめぞんの漫才を見てみたい人には、吉本興業の劇場公式YouTubeチャンネルで公開されているネタ映像があります。

次の動画は、2026年5月2日に公開された「渋谷よしもと漫才劇場・1周年記念プレミアムネタフェスティバル」の映像です。

吉野さんの発想に原さんがどう対応するのか、2人の声量や掛け合いのテンポにも注目してみてください。

※吉本興業の劇場公式チャンネルが公開した映像です。2025年M-1決勝で放送された映像そのものではありません。

めぞんのM-1グランプリ戦績|2025年に初の決勝進出

めぞんが全国的に注目を集める大きなきっかけとなったのが、2025年のM-1グランプリです。

しかし、それ以前は長く予選での敗退が続いていました。

結成当初から2026年までの戦績を振り返ると、その変化がよく分かります。

開催年結果補足
2016年1回戦敗退結成年
2017年1回戦敗退―
2018年2回戦敗退―
2019年2回戦敗退―
2020年2回戦敗退―
2021年2回戦敗退―
2022年2回戦敗退―
2023年3回戦敗退―
2024年2回戦敗退―
2025年決勝10位820点
2026年2回戦通過10月28日時点

2025年までの成績は過去の大会記録に基づきます。2026年大会は進行中のため、10月28日時点で確認できた結果を掲載しています。

2024年まで長く2回戦敗退が続いていた

めぞんは、結成当初からM-1で順調に勝ち上がっていたわけではありません。

2016年と2017年は1回戦で敗退。その後も2回戦で敗れる年が続きました。

2023年には3回戦まで進みましたが、翌2024年は再び2回戦敗退という結果に終わっています。

芸人としての活動を続けながらも、M-1で大きな結果を残すまでには時間がかかりました。

板橋ハウスの人気によってライブ出演の機会が増えても、すぐに賞レースで勝てたわけではなかったのです。

そして2025年、ネタ作りの方針を見直しながら挑戦した大会で、初めて決勝まで勝ち上がりました。

2025年M-1決勝は10位・820点

2025年12月21日、めぞんは初めてM-1グランプリ決勝の舞台に立ちました。

大会のエントリー数は11,521組。めぞんは、その中から決勝に残った10組の一つでした。

決勝での出番は2番目。9人の審査員による合計得点は820点で、最終順位は10位となりました。

優勝したのは、たくろう。めぞんは最終決戦には進めませんでしたが、前年に2回戦で敗退していたコンビが初めて全国放送の決勝へ進んだことは、大きな転機でした。

決勝では、好きな女性から恋人のふりを頼まれるという話題をきっかけにした漫才を披露しました。

前半では吉野さんと原さんの掛け合いが続き、後半には歌を取り入れた展開もありました。

この構成については、審査員の間でも評価が分かれています。

ミルクボーイの駒場孝さんは94点を付けた一方、かまいたちの山内健司さんとアンタッチャブルの柴田英嗣さんは89点でした。

山内さんは前半の掛け合いを評価しながらも、後半については歌よりも2人の言葉のやり取りで笑わせてほしかったという趣旨のコメントをしています。

ただし、審査員全員が同じ理由で評価したわけではありません。

最終順位が10位だったことと、漫才のどの部分が面白かったのかという評価は区別して考える必要があります。

2025年のめぞんは、ネタ作りの方針を変え、多くの芸人に意見を聞き、実際のライブで試しながら決勝へたどり着きました。

その過程を知ると、10位という数字だけでは見えない2人の歩みが伝わってきます。

2025年大会のほかの決勝進出者や詳しい得点は、M-1グランプリ2025の結果・順位まとめでも紹介しています。

2026年M-1は2回戦を通過し、3回戦へ

めぞんは2026年もM-1グランプリに出場しています。

2026年10月17日、東京・雷5656会館ときわホールで開催された2回戦に出場し、通過しました。

この日の東京会場では18組が合格しており、その中にめぞんの名前が含まれています。

2026年10月28日時点では、3回戦への進出が確定しています。

東京での3回戦は11月2日から4日に開催予定です。ただし、めぞんの具体的な出場日時については、今回確認できた資料では確定できていません。

まだ準々決勝や準決勝への進出が決まったわけではありません。

2025年に続いて2年連続の決勝進出となるかどうかは、今後の大会結果によって決まります。

大会全体の日程や予選の進行状況は、M-1グランプリ2026の日程・結果まとめで確認できます。

M-1以外の賞レース実績|マイナビ賞とツギクル芸人グランプリ

めぞんは、M-1グランプリ以外の大会でも実績を残しています。

特に、2024年のマイナビ賞受賞と、2025年のツギクル芸人グランプリ決勝進出は、初のM-1決勝までの歩みを振り返るうえで重要です。

2024年|マイナビ Laughter Nightでマイナビ賞を受賞

2024年11月9日、めぞんは「マイナビ Laughter Night 第10回チャンピオンLIVE」に出場しました。

この大会で獲得したのが、特別賞の「マイナビ賞」です。

ただし、大会の年間チャンピオンとなったのは、かが屋でした。

めぞんは年間優勝ではなく、マイナビ賞の受賞者です。

2024年のM-1では2回戦敗退でしたが、別の大会では評価されていたことが分かります。

2025年のM-1決勝進出だけを見ると突然結果が出たようにも感じられますが、その前から少しずつ実績を積み重ねていたのです。

2025年|ツギクル芸人グランプリの決勝に進出

2025年6月28日には、フジテレビの『ツギクル芸人グランプリ2025』に出場しました。

めぞんは決勝大会に進む15組の一つに選ばれましたが、最終ステージに進む3組には残りませんでした。

この年の優勝者は豆鉄砲です。

めぞんは優勝には届かなかったものの、全国放送の賞レースで漫才を披露する機会となりました。

そして同年12月には、M-1グランプリでも初めて決勝へ進出しています。

2025年は、長く劇場で活動してきた2人にとって、大会実績と知名度の両方が大きく変化した年でした。

2026年のめぞん|ルミネ単独ライブと2人それぞれの創作活動

2025年のM-1決勝進出後、めぞんは漫才を中心に活動を続けながら、舞台以外の分野にも挑戦しています。

2026年にはルミネtheよしもとでの単独ライブを開催。吉野さんはライトノベルを出版し、原さんはサウナを題材にしたエッセイを連載しています。

5月24日|ルミネtheよしもとで初の単独公演

2026年5月24日、めぞんは東京・ルミネtheよしもとで単独ライブ『吉野原ペアvs地獄の三人衆』を開催しました。

ルミネtheよしもとでの単独ライブは、これが初めてです。

公演は19時開演で、オンライン配信も行われました。

2026年5月20日のENCOUNTインタビュー時点では、会場の458席が完売したと報じられています。

原さんにとってルミネtheよしもとは、以前から憧れのある場所でした。

家族と東京旅行をした際にお笑いを見に行ったことがあり、自分が芸人として単独公演を行う場所になったことには、大きな喜びがあったそうです。

なお、公演のタイトルに登場する「地獄の三人衆」は、ライブのために作られた架空の物語設定です。

吉野さんはこうした創作的な世界観を好み、公演の宣伝でも自由な想像力を発揮しています。

ルミネtheよしもとでの初単独公演は、M-1決勝進出後のめぞんの活動を象徴する出来事の一つになりました。

吉野おいなり君はライトノベル『幼馴染同窓廻』を出版

2026年8月7日、吉野さんは初の書き下ろしライトノベル『幼馴染同窓廻』を発売しました。

出版社は主婦と生活社。イラストは、ただのゆきこさんが担当しています。

物語は、幼馴染に強いこだわりを持つ男性がタイムリープし、理想の幼馴染関係を求めて奮闘するという内容です。

吉野さんが普段の漫才や動画で見せる独特な発想が、小説という形でも表現されています。

2026年8月22日には出版記念会見も行われ、執筆には約1年6か月かかったと語っています。

その期間には、2025年のM-1グランプリ決勝進出も含まれていました。

つまり、吉野さんは漫才のネタ作りや板橋ハウスの活動と並行して、小説の執筆にも取り組んでいたことになります。

漫才師としての活動に加え、物語を作る仕事にも進出したことは、2026年の吉野さんの大きな出来事です。

作品は、国立国会図書館の『幼馴染同窓廻』書誌情報でも確認できます。

原一刻はサウナを題材にしたエッセイを連載

一方、原さんも執筆活動に取り組んでいます。

吉本興業関連の読み物サイト「FANY Story」で公開されているのが、エッセイ『めぞん原一刻のサウナ・ロンダリング』です。

サウナを題材にしながら、芸人としての日常や仕事への思いなどを文章にしています。

2026年10月14日には第9話「サウナで引退を考える」の更新も案内されました。

この回では、プロ野球選手の引退セレモニーをきっかけに、芸人の引退や全盛期について考える内容が紹介されています。

舞台ではツッコミを担当する原さんですが、エッセイでは自分自身の考えを文章で表現しています。

吉野さんはライトノベル、原さんはエッセイと、2人がそれぞれ異なる分野で執筆活動をしている点も興味深いところです。

連載は、FANY Storyの『めぞん原一刻のサウナ・ロンダリング』作品ページで確認できます。

原一刻は2026年夏に声帯の治療のため休養を発表

2026年には、原さんが一時的に仕事を休む時期もありました。

7月24日、原さんは声帯結節の手術を受けるため、8月3日から約1か月間休養する予定だと公表しています。

以前から声が思うように出ない日が続いており、万全の状態で漫才をするために治療を選んだという説明でした。

休養中、吉野さんは1人で対応できる仕事を続ける意向を示していました。

その後は9月以降の劇場公演にも出演が案内され、コンビとしての活動が続いています。

ただし、手術の詳しい経過や現在の声帯の医学的な状態について、公開情報だけで判断することはできません。

確認できるのは、原さんが治療のため休養を公表したことと、その後も漫才活動が続いていることです。

劇場ライブやインターネット文化に関するイベントにも出演

2026年9月には、神保町よしもと漫才劇場などでの公演に加え、ほかの芸人との企画ライブにも出演しています。

9月27日には大阪・HEP HALLで開催された『インターネット最高ライブ~いいねの数だけ強くなれる~』にも参加しました。

このライブでは、ジョックロックや春とヒコーキなど、インターネット文化に関心の強い芸人たちと共演しています。

ネットミームやネットスラングを題材にした企画が行われ、吉野さんの得意な分野ともつながる内容でした。

さらに10月20日には、BSよしもとの『第一芸人文芸部 俺の推し本。』公開収録イベントで、吉野さんと原さんの両名が出演者として案内されました。

漫才劇場でのネタ披露だけでなく、インターネット文化や読書に関する企画にも活動を広げています。

2025年のM-1決勝進出は大きな転機でしたが、2026年のめぞんは賞レースだけに活動を限定していません。

漫才を続けながら、吉野さんは板橋ハウスや小説、原さんは動画編集やエッセイなど、それぞれの個性を生かした活動にも取り組んでいます。

まとめ|めぞんは結成秘話も活動歴も個性的な漫才コンビ

めぞんは、吉野おいなり君さんと原一刻さんによる、吉本興業所属のお笑いコンビです。

2人ともNSC東京校22期出身で、2016年にはコンビとして活動していました。なお、結成日についてはM-1公式と吉本興業公式で異なる記載があります。

吉野さんは運送会社、原さんは日野自動車で働いた経験を持ち、NSC時代のピンネタでの失敗がコンビ結成のきっかけになりました。

コンビ名は漫画『めぞん一刻』から採用され、原さんの芸名もダーツ勝負で決まったものです。

吉野さんは板橋ハウスの出演メンバーとしても知られ、原さんも動画編集に関わっています。板橋ハウスでの活動は、めぞんのライブ出演が増えるきっかけにもなりました。

2025年には漫才の作り方を見直し、M-1グランプリで初めて決勝に進出。結果は10位・820点でしたが、長く予選敗退が続いていた2人にとって大きな前進でした。

2026年も劇場での漫才活動を続ける一方、吉野さんはライトノベル、原さんはエッセイの執筆にも取り組んでいます。

めぞんの魅力は、吉野さんの自由な発想と原さんのツッコミだけでなく、それぞれの経験や創作活動が2人の掛け合いにつながっていることです。

コンビ名の由来や結成の経緯を知ってから漫才を見ると、吉野さんの突飛な発想や、それに対応する原さんの姿にも、これまでとは違った面白さを感じられるのではないでしょうか。

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