つぶログ深掘り レトロゲーム

マイクロソフトはなぜ「Xbox」を作った?Windowsの会社が家庭用ゲーム機市場へ参入した理由

目次
  1. MicrosoftはなぜXboxを作った?PS2脅威説と初代Xbox誕生を検証
  2. Xbox以前からMicrosoftはゲームに深く関わっていた
  3. Xboxより前に、Microsoftはドリームキャストへ関わっていた
  4. Xboxは本当に「4人のDirectXチーム」から始まったのか
  5. 本当にPlayStation 2がWindowsを脅かしていた?
  6. Xboxは一度承認された後、もう一度「消える寸前」になった
  7. 「Valentine's Day Massacre」で何が起きたのか
  8. Bill GatesはXboxに賛成だったのか、反対だったのか
  9. 2000年3月、Microsoft自身はXboxをどう説明したのか
  10. なぜWindows PCではなく「専用ゲーム機」にしたのか
  11. 初代Xboxは「PCを箱に入れただけ」だったのか
  12. HDDとEthernetは、なぜ最初から入っていたのか
  13. Bungie買収と『Halo』は、Xbox誕生後に加わった
  14. Microsoftは日本市場を軽視していたわけではない
  15. Xbox Liveは「後から追加された成功策」ではなかった
  16. 「Xboxは大赤字だった」は本当。ただし数字の使い方に注意
  17. それでも、なぜMicrosoftは撤退しなかったのか
  18. よくある「Xbox誕生説」はどこまで本当?
  19. 初代Xbox誕生からXbox 360までの流れ
  20. Microsoftが作ったのは「ゲーム機1台」ではなく、ゲームのプラットフォームだった

MicrosoftはなぜXboxを作った?PS2脅威説と初代Xbox誕生を検証

PCゲーム開発環境から家庭用ゲーム機とネットワークへ広がるXbox誕生のイメージイラスト

2001年11月15日。WindowsとOfficeで世界最大級のソフトウェア企業になっていたMicrosoftが、北米で自社ブランドの家庭用ゲーム機「Xbox」を発売しました。

当時の家庭用ゲーム機市場には、Sony Computer EntertainmentのPlayStation 2、任天堂のニンテンドー ゲームキューブ、セガのドリームキャストが存在していました。

そこへ入ってきたのが、PCソフトのMicrosoftです。

なぜWindowsという巨大なゲームプラットフォームをすでに持っていた会社が、わざわざテレビにつなぐ専用ゲーム機まで作る必要があったのでしょうか。

Xbox誕生史では、「MicrosoftはPlayStation 2がWindowsを脅かすと考えたためXboxを作った」という説明がよく使われます。これは完全な作り話ではありません。Microsoft内部でSonyとPlayStation 2、そしてリビングルームの主導権が強く意識されていたことは、後年の当事者証言から確認できます。

ただし、それだけではXboxがなぜDirectXを受け継ぎ、HDDとEthernetを標準搭載し、やがてXbox Liveという共通オンラインサービスへ進んだのかを説明できません。

先に結論をまとめます。

Xboxは単なる「PlayStation 2対抗機」ではありませんでした。

PS2を含む家庭向けデジタルプラットフォームへの危機感を背景に、MicrosoftがDirectXとPCゲームで築いてきた技術・開発者基盤を固定仕様のゲーム機へ持ち込み、ハード、ゲーム、開発環境、ネットワークサービスまで自社で持つゲームプラットフォームへ進もうとしたプロジェクトだった――というのが、当時資料と関係者証言を突き合わせたときに最も実態へ近い姿です。

しかも、Microsoftが最初から完成形のXboxを思い描いていたわけでもありません。Windows PCに近かった初期構想は、開発の途中で大きく姿を変えていきました。

Xbox以前からMicrosoftはゲームに深く関わっていた

まず、「ゲームと無縁だったWindowsの会社が突然ゲーム業界へ入ってきた」というイメージを修正しておく必要があります。

MicrosoftはXbox以前から、かなり本格的にゲーム事業を展開していました。

1996年のE3では、『Microsoft Flight Simulator』をはじめ、アクション、シミュレーション、スポーツ、ストラテジーなど複数のPCゲームを展開。当時Microsoftは、自社をPCゲーム出版社として業界6位と説明していました。

『Age of Empires』シリーズのようなPCゲームだけではありません。ゲーム向け入力機器のSideWinder、オンラインゲームのMSN Gaming Zone/Zone.com、そしてWindowsをゲームプラットフォームにするためのDirectXもありました。

つまりMicrosoftには、すでに「ゲームソフト」「開発ツール」「オンライン」「PC用ハードウェア」「ゲーム開発者との関係」がありました。

持っていなかったのは、自分たちが仕様を決める家庭用ゲーム機です。

DirectXは何を変えようとしていたのか

Xboxの原点を理解するうえで外せないのがDirectXです。

DirectXは1995年に登場しました。当時のPCゲーム開発では、ユーザーごとにグラフィックカード、サウンドカード、入力機器などの構成が異なり、開発側が個別のハードウェア差を意識しなければならないことが大きな負担になっていました。

DirectXは、その間に共通のAPIを置くことで、開発者が個々の機器へ直接対応する負担を減らそうとした仕組みです。

1999年3月のMicrosoft発表では、DirectX 6.1 SDKが短期間で3万回以上ダウンロードされ、Windows向けには2,600本以上のゲームが開発中と説明されていました。

Microsoftはすでに「ゲーム開発者がハードウェア差に振り回されずに済む環境」をWindows上で作ろうとしていたわけです。

この思想は後にXboxへ持ち込まれます。ただし、PCとまったく同じ形ではありませんでした。

Xboxより前に、Microsoftはドリームキャストへ関わっていた

家庭用ゲーム機との接点も、Xboxが最初ではありません。

1998年5月21日、Microsoftとセガは、ドリームキャスト向けのWindows CEを共同で展開すると正式発表しました。

Dreamcast向けWindows CEにはDirectXのサービスが統合され、Visual StudioやVisual C++を使った開発環境も用意されました。狙いの一つは、Windows PC向けゲームを作っている開発者が家庭用ゲーム機へ入りやすくすることです。

ここだけを見ると、後のXboxとよく似ています。

ただし、「すべてのドリームキャストソフトがWindows CEで動いていた」わけではありません。Windows CEは利用可能な開発環境の一つであり、Microsoft自身も不要なOSコンポーネントやDirectXのサービスを削除したり、開発者独自のライブラリへ置き換えたりできる構造だと説明していました。

そして、ここから「Xboxはドリームキャスト2だった」と飛躍するのも危険です。

セガのハード事業をMicrosoftが引き継いだわけではなく、ドリームキャストの設計がそのままXboxになった証拠もありません。

確認できるのは、Xbox以前からMicrosoftが「PCで使っているAPIや開発ツールを家庭用ゲーム機へ持ち込む」という試みを実際に経験していたことです。

この段階を挟んでいるため、Xboxは「PCソフト会社がある日突然ゲーム機を思いついた」という話ではありません。

Xboxは本当に「4人のDirectXチーム」から始まったのか

Xbox誕生史で頻繁に登場するのが、「Microsoft社内の4人が勝手にゲーム機を作り始めた」という話です。

最初期の非公式なグループとして名前が挙がるのは、Otto Berkes、Ted Hase、Seamus Blackley、Kevin Bachusの4人です。

後年の当事者証言では、BerkesとHaseの間で始まった話へBlackleyとBachusが加わり、小さな社内プロジェクトとして動き始めた経緯が語られています。

ただし、「4人だけでXboxを作った」という意味ではありません。

企画が進むにつれ、Microsoftのゲーム事業を率いていたEd Fries、J Allard、Robbie Bach、Rick Thompsonらが関わり、会社として承認を受ける規模へ拡大していきました。

最初から「Microsoft製ゲーム機」だったわけでもない

さらに面白いのは、初期構想が現在知られているXboxとはかなり違っていたことです。

初期メンバーの回想では、Microsoftが毎年一定の性能基準を示し、PCメーカーがその仕様に沿ったゲーミングPCを作るような構想も検討されていました。

Windows PCをゲーム機のように扱いやすくする。その発想から始まり、検討を重ねる中で「Microsoft自身が固定仕様の家庭用ゲーム機を作る」方向へ変わっていったのです。

「Xbox」のXはDirectXから来たのか

これはかなり確度の高い話です。

初期メンバーやEd Fries、Robbie Bachらの後年証言では、企画段階に「DirectX Box」「DirectX-Box」などDirectXを前面に出した呼称が使われ、そこから短い「Xbox」へ変化したと説明されています。

細かな表記には複数の回想があるため、「正式な最初の製品名がDirectXboxだった」と一本化するのは避けた方が正確です。

一方、Xboxの「X」がDirectXに由来すること自体は、複数の主要当事者が認めています。

Xbox公式の20周年ドキュメンタリー『Power On: The Story of Xbox』Chapter 1では、この小さな社内チームから企画が形になっていく過程を当事者自身が振り返っています。

本当にPlayStation 2がWindowsを脅かしていた?

ここがXbox誕生史でもっとも誤解されやすい部分です。

よくある説明では、「SonyがPlayStation 2を家庭用コンピュータにしようとしていたため、MicrosoftはWindowsの地位を奪われると恐れた」とされています。

では、Sonyは本当にそこまで考えていたのでしょうか。

Sony自身がPS2を「ゲームだけの機械」とは考えていなかった

Sonyの2000年年次報告書を見ると、PlayStation 2は単なる高性能ゲーム機として説明されていません。

DVD-Video再生への対応に加え、PlayStationとPlayStation 2を使ってゲーム、映画、音楽を統合した新しい「computer entertainment」の世界を作り、ブロードバンドネットワーク時代の中心的企業を目指す方針が記されています。

その後、PS2はHDDやネットワークアダプターを利用したPlayStation BBへ進みます。

つまりMicrosoftから見れば、Sonyはテレビの横に置かれるゲーム機を、ゲームだけで終わらないデジタルプラットフォームへ広げようとしていました。

Windowsを中心にPC側のプラットフォームを握ってきたMicrosoftが、これを無関係な話として見られなかったことには十分な背景があります。

ただし「SonyがWindowsを駆逐しようとしていた」は確認できない

ここで一線を引く必要があります。

今回確認したSony/SCEの当時資料には、PlayStation 2をブロードバンド時代の家庭向けプラットフォームへ広げようとする構想はあります。

一方で、「Windowsを駆逐する」「MicrosoftをPC市場から追い出す」とSony自身が公式に宣言した資料は確認できません。

Microsoft側では、Robbie Bachらが後年、Sonyがリビングルームへ事実上のPCに近い機器を持ち込むことへの危機感を語っています。

したがって記事として正確なのは、

Microsoftには、PlayStation 2を含むSonyの家庭向けデジタル戦略への強い危機感があった。ただし「SonyがWindowsを潰そうとしていたからXboxを作った」とまで断定できる資料はない。

という整理です。

そして、この危機感はXboxの唯一の誕生理由でもありません。

企画側ではすでに、DirectXとPCゲーム開発者を家庭用ゲームへつなぐ構想が動いていました。Sonyへの危機感は、その企画をMicrosoft経営陣が「会社として取り組むべき問題」と見るための重要な材料になった、と分けて考える方が実態に近いでしょう。

Xboxは一度承認された後、もう一度「消える寸前」になった

Xbox誕生史を追うと、2000年2月14日の有名な会議だけが切り取られがちです。

しかしRobbie Bachの後年の回想では、それ以前にも重要な承認段階がありました。

1999年春から夏にかけて、Microsoft経営陣の会合で「Microsoftは家庭用ゲーム機へ参入すべきか」が検討されます。

同年7月ごろにはBill Gatesが技術面について前向きな判断を示し、次に「ビジネスとして成立するか」を検討する段階へ進みました。

Bachの証言では、1999年12月21日にProject Xboxの事業計画が経営陣から承認されています。

ところが、その後に問題が起きます。

経営陣が承認したと思っていたXboxと、開発チームが実際に作ろうとしていたXboxが、同じものではなくなっていたのです。

「Valentine's Day Massacre」で何が起きたのか

2000年2月14日。

Bill Gates、Steve Ballmer、Robbie Bach、Ed Fries、J Allardらを含むMicrosoftの幹部とXbox側メンバーが集まりました。

後に関係者が「Valentine's Day Massacre」と呼ぶことになる会議です。

最大の問題はWindowsでした。

経営陣側は、Xboxを「Windowsを使った家庭用ゲーム機」と理解していた部分がありました。ところがXboxチームは、通常のWindows PCとの互換性を中心にした機械ではなく、ゲーム専用に最適化した別のプラットフォームを作る方向へ進んでいました。

Microsoft自身がハードウェア事業のリスクを負い、Windows PCとは違うゲーム機を作る。しかも巨額の投資が必要になる。

Gatesが強く反発したと複数の当事者が振り返っているのは、この変更です。

会議は予定を大きく超えて長時間続きました。

最終的には、Windows PCそのものをテレビの横へ持っていくのではなく、ゲーム機として設計するXboxをGatesとBallmerが支持します。

ここで重要なのは、「2月14日に初めてXboxが承認された」わけではないことです。

1999年末に一度事業計画が承認され、その後、計画の中身が大きく変わったため、2000年2月14日に実質的な再判断を迫られた――という二段階で見ると分かりやすくなります。

Xbox公式ドキュメンタリーのChapter 2は、この会議と「リビングルーム」をめぐるMicrosoft内部の議論を中心に構成されています。

Bill GatesはXboxに賛成だったのか、反対だったのか

この経緯を見ると、「GatesがXboxを作らせた」と「GatesはXboxに反対していた」という正反対の話が両方出てくる理由も分かります。

どちらも一部分だけなら間違いではありません。

GatesはXbox構想を前へ進め、1999年末には事業計画を承認しています。一方で、2000年2月に実際のXboxがWindows中心の機械ではないと分かると、強く疑問を呈しました。

その上で最終的にはプロジェクトを支持し、2000年3月10日のGame Developers ConferenceではGates本人がステージに立ってXboxを正式発表しています。

つまり、Gatesの立場は「最初から全面賛成」「最後まで反対」のどちらでもありません。

Xboxという構想には賛成した。しかしMicrosoftが通常のWindowsから離れ、巨額の投資をして独自ゲーム機を作る段階では激しい議論になった。それでも最終的に経営判断として進めた。

時系列を無視すると、まったく違う人物像になってしまいます。

2000年3月、Microsoft自身はXboxをどう説明したのか

後年の回想だけでなく、Xboxが正式発表された瞬間のMicrosoft自身の説明を見ると、Xboxの狙いがよりはっきりします。

2000年3月10日のGDCで、Microsoftはまだ「コードネームXbox」とされていたゲーム機を発表しました。

このときMicrosoftが前面に出したのは、PlayStation 2への対抗心ではありません。

  • Microsoftのソフトウェア開発力
  • PCで進化してきた3Dグラフィックス技術
  • DirectX
  • インターネット接続
  • 開発者がより良いゲームを、より速く作れる環境

Gatesは、Microsoftがソフトウェア企業として持つ強みを生かし、世界の優れたゲーム開発者に選ばれるプラットフォームを目指すと説明しました。

この時点ですでにXboxは「dedicated video game console」、つまり専用ゲーム機として発表されています。

ここが重要です。

社内でXboxを通す際にはSonyやPS2、リビングルームへの危機感が大きな意味を持った。一方、製品として市場へ示した価値は、「PCゲームでMicrosoftが培ってきた技術を使い、開発者がゲームを作りやすい専用プラットフォームを作る」ことでした。

二つは同じ話ではありません。

なぜWindows PCではなく「専用ゲーム機」にしたのか

ここで最初の疑問へ戻ります。

Windowsを持っているなら、そのままPCゲームを強化すればよかったのではないでしょうか。

PCゲームには自由度がある一方、開発者から見ると厄介な面もあります。

CPU、GPU、サウンド、メモリ容量、ドライバ、OS環境。ユーザーごとに構成が違うPCでは、開発者は幅広い環境を想定しなければなりません。

DirectXはその差を吸収するための仕組みでしたが、ハード構成そのものが同じになるわけではありません。

ゲーム機なら事情が変わります。

同じCPU、同じGPU、同じメモリ、同じコントローラー、同じストレージを全ユーザーが持つ。開発者は一つの固定された環境へ集中できます。

さらにテレビの前で、電源を入れ、コントローラーを持ち、ゲームを始めるという体験も統一できます。

MicrosoftはWindows PCで「さまざまなハードを共通APIで扱いやすくする」ことを進めてきました。

Xboxでは、その考えをさらに一歩進め、ハードそのものを固定してしまったとも見ることができます。

初代Xboxは「PCを箱に入れただけ」だったのか

初代XboxはIntel製CPU、NVIDIA製GPU、HDDなどPCに近い部品を使っていたため、「PCを黒い箱に入れただけ」と言われることがあります。

初期構想について言えば、これは完全な見当違いでもありません。Ed Friesらの回想では、Windows PCを家庭用ゲーム機のように扱いやすくする案が実際に検討されています。

ただし、市販されたXboxをそのままWindows PCと呼ぶのは不正確です。

項目初代Xboxの主な仕様戦略上の意味
CPUIntel 733MHzPC系技術を活用しつつ固定仕様化
GPUNVIDIA製カスタムGPU高性能3Dを家庭用で安定して扱う
メモリ64MB・統合メモリアーキテクチャ全ユーザーが同一構成
HDD8GBセーブ、ゲームデータ、音楽、オンライン配信などに利用
DVDドライブ4倍速大容量ゲーム媒体。DVD映像再生には別売キットが必要
ネットワーク100Mbps Ethernetブロードバンドオンラインを標準機能として想定
コントローラー4ポート家庭用ゲーム機として統一された操作環境

通常のWindowsが動いていたわけではない

OSについても誤解されやすいところです。

XboxのOSはWindows 2000系のソースを基礎にしながら、ゲーム機用に大幅に削減・変更されていました。

MicrosoftのSysinternals資料では、通常のWindowsにあるWin32サブシステムを持たず、不要な機能を取り除き、一つのゲームを動かす専用環境として作られていたことが説明されています。

したがって、

  • 「Windows PCをそのままゲーム機にした」でもない
  • 「Windowsとは完全に無関係」でもない

というのが正確です。

HDDとEthernetは、なぜ最初から入っていたのか

初代Xboxで後のゲーム機へ大きな影響を残したのが、HDDとEthernetです。

これはXbox Liveが成功してから後付けされた考えではありません。

2000年3月10日の最初のXbox正式発表ですでに、8GB HDDと100Mbps Ethernetが仕様表へ入っています。

2001年の製品公開時にも、MicrosoftはEthernetをブロードバンドオンラインゲームのための機能として説明していました。

HDDはオンライン専用ではなかった

HDDにはセーブデータを保存できるほか、ゲーム側から大量のデータを扱ったり、音楽CDから取り込んだ曲を保存したりする用途がありました。

後にXbox Liveが始まると、新しいステージやキャラクターなどのダウンロードコンテンツを保存する場所としても使われます。

したがって「Xbox LiveのためだけにHDDを載せた」とするのは単純化しすぎです。

Ethernetは「Xbox Live」の名前が決まる前からあった

Ethernetも同様です。

MicrosoftはXbox Liveを正式発表するより前から、Xboxをブロードバンドオンラインゲームへつなぐ計画を進めていました。

2001年3月には、日本でNTTコミュニケーションズと提携し、OCNのADSL回線などを使ったXbox向けオンラインゲームサービスを共同で検討すると発表しています。

つまり順番は、

「Xbox Liveを思いついたからEthernetを載せた」のではなく、ブロードバンドオンラインゲームを重要視してXboxを設計し、その基盤の上にXbox Liveという統一サービスを作った

となります。

DVD再生に別売キットが必要だった理由は断定しない

初代XboxにはDVDドライブがありますが、DVDビデオを再生するには赤外線受信機とリモコンを含むDVD Movie Playback Kitが必要でした。

これについては「DVDライセンス料を本体購入者全員に負担させないため」と説明されることがあります。

仕組みとしてはあり得る説明ですが、今回確認したMicrosoftの当時資料だけでは、その判断理由を十分に裏付けられませんでした。

そのため、ここは「別売キットが必要だった」という確認できる事実までに留めます。

Bungie買収と『Halo』は、Xbox誕生後に加わった

Xboxと切り離せない作品が『Halo: Combat Evolved』です。

ただし、『Halo』は最初からXboxのために作られていたゲームではありません。

Bungieは1999年7月、Macworld Expoで『Halo』を公開しています。当時の発表ではMacintoshとWindows向けに開発されており、すでに約2年間開発中とされていました。

MicrosoftがBungieを買収すると発表したのは2000年6月19日です。

買収発表では『Halo』が重要タイトルとして名前を挙げられ、BungieのチームがXbox向けコンテンツ開発でも重要な役割を担うと説明されました。

その後『Halo: Combat Evolved』は2001年11月15日の北米Xbox発売と同時に登場します。

2002年4月には、米国・カナダで100万本を突破したとMicrosoftが発表しました。Xboxを代表するキラータイトルになったことは数字からも確認できます。

一方で、「HaloがなければMicrosoftはすぐXboxから撤退していた」とまで言うことはできません。

それは起きなかった未来を仮定した話だからです。

確認できるのは、Bungie買収とHaloが、Xboxというハードを市場へ定着させるうえで非常に重要なソフト資産になったことです。

Microsoftは日本市場を軽視していたわけではない

初代Xboxは日本で苦戦したため、「Microsoftは日本をあまり重視していなかった」と振り返られることがあります。

当時資料を見る限り、これは成立しません。

2001年3月30日、Bill Gatesは東京ゲームショウで日本向けXbox戦略を発表しました。

Microsoftはこの時点で、セガを含む70社以上の日本企業がXboxへの支持を表明していると発表しています。

セガとは11タイトル規模の戦略提携を結び、『Jet Set Radio Future』、『Panzer Dragoon』新作、『GUNVALKYRIE』、『Sega GT』新作などをXboxへ投入する方針を示しました。

さらに前日にはNTTコミュニケーションズとのブロードバンド提携を発表。日本のユーザーから得たフィードバックをもとに、北米版より小型のコントローラーも用意しました。

後に「Controller S」として知られる系統です。

日本市場を無視していたどころか、Microsoftはかなり大きな準備をしていました。

日本発売は2002年2月22日、34,800円

日本でのXbox発売日は2002年2月22日。

希望小売価格は34,800円で、発売時には12タイトルが用意されました。

セガの『JSRF ジェット セット ラジオ フューチャー』、テクモの『DEAD OR ALIVE 3』、カプコンの『幻魔 鬼武者』、コナミの『サイレントヒル2 最期の詩』など、日本メーカーの作品も並んでいます。

日本で実際にどのようなソフトが展開されたのかは、初代Xbox日本発売全235本Tierランキングで、日本向けラインアップ全体を整理しています。

それでも、なぜ日本で苦戦したのか

「本体が大きかったから」で終わらせるのは簡単です。

実際、初代Xbox本体と初期コントローラーは大きく、日本向けには小型コントローラーが準備されました。

しかし、本体サイズだけを「最大の原因」とする一次資料は確認できません。

Xboxが日本へ入ってきた2002年2月には、PlayStation 2は2000年3月の日本発売からすでに約2年が経過していました。既存プラットフォームとの普及差がある状態からの参入です。

Microsoftは日本メーカーを集め、限定本体や専用コントローラーまで用意しました。それでも新規ブランドとしてユーザー基盤を作らなければならず、ソフトの充実も同時に進める必要がありました。

厳しかった状況を象徴するのが価格改定です。

発売からわずか3か月後の2002年5月22日、Microsoftは日本でのXbox価格を34,800円から24,800円へ1万円引き下げました。

これは少なくとも、発売時の価格と市場への広がり方について早い段階で大きな修正が必要になったことを示しています。

ただし、そこから「発売直後に失敗が確定した」とまで断定することもできません。

日本での苦戦は、既存ハードとの普及差、新規ブランド、価格、ラインアップ、ハードデザインなどを分けて見るべきです。「日本人は洋ゲーが嫌いだった」といった文化論一つで説明するのも適切ではありません。

Xbox Liveは「後から追加された成功策」ではなかった

初代Xboxの意味を大きく変えたのがXbox Liveです。

サービス名「Xbox Live」が正式に発表されたのは2002年5月20日。

北米では2002年11月15日に正式サービスを開始し、日本では2003年1月16日にスタートしました。

家庭用ゲーム機でオンライン対戦そのものを実現した最初のサービスではありません。ドリームキャストなど、先行するオンライン対応ゲーム機が存在します。

Xbox Liveの特徴は、オンライン機能をゲームごとにばらばらに作るのではなく、プラットフォーム側で共通サービスとしてまとめたことでした。

Xbox Liveの機能内容
Gamertag複数ゲームで共通して使う一つのオンラインID
Friends List遊んでいるゲームをまたいでフレンドを確認
Matchmaking条件に合う対戦相手を探す共通機能
Voice ChatXbox Communicatorを利用した音声コミュニケーション
Downloadable ContentHDDへ新しいステージ、キャラクター、ミッションなどを保存

開発会社側から見ても、Microsoftが認証、ネットワーク、セキュリティ、課金などの共通部分を担うことで、各社はゲーム制作へ集中しやすくなります。

ここにもDirectX時代から続くMicrosoftらしさがあります。

個々の開発者に同じ問題を何度も解決させるのではなく、プラットフォーム側で共通基盤を用意する。

Xbox Liveは、Microsoftがゲーム機市場へ持ち込んだその考え方が、オンラインサービスにまで広がったものと見ることができます。

「Xboxは大赤字だった」は本当。ただし数字の使い方に注意

初代Xboxについて、「Microsoftは数十億ドルを失った」と語られることがあります。

Xboxを含む事業部門が巨額の営業損失を計上していたこと自体は事実です。

Microsoftの2004年度Form 10-Kでは、Home and Entertainment部門について次の数字が確認できます。

Microsoft会計年度Home and Entertainment売上営業損失
2002年度24億5,300万ドル11億3,500万ドル
2003年度27億4,800万ドル11億9,100万ドル
2004年度28億7,600万ドル12億1,500万ドル

3年間だけを見ても非常に大きな損失です。

ただし、ここで絶対にやってはいけないのが、この数字をそのまま「Xbox単独の赤字」とすることです。

同じ10-KでMicrosoftは、Home and Entertainment部門に、XboxだけでなくPCゲーム、Home Products Division、テレビ向けプラットフォーム事業なども含まれると明記しています。

したがって、この部門の営業損失を合計して「初代Xboxだけで○十億ドル損した」と計算することはできません。

本体が逆ざやだったことは決算資料で確認できる

一方、Xbox本体そのものについて確認できることもあります。

2004年度10-Kでは、損失増加の理由として「negative margin consoles」の販売増が明記されています。

つまりXbox本体を原価より低い価格で販売する、いわゆる逆ざやが発生していたことはMicrosoft自身の決算資料から確認できます。

ただし、「1台売るたびに必ず○ドル赤字だった」という固定額までは、この資料から確定できません。

価格改定、部品原価、地域、製造時期によって状況が変わるためです。

ネット上でよく見かける具体的な「1台○ドル損失」という数字は、原典が確認できない限り使わない方が安全です。

それでも、なぜMicrosoftは撤退しなかったのか

ここまで大きな損失が出ていたなら、なぜ初代Xboxで終わらなかったのでしょうか。

「Microsoftには金があったから」で終わらせると、初代Xboxで何を得たのかが見えなくなります。

2005年4月、Microsoftは初代Xboxが世界で2,000万台販売されたと発表しています。

PlayStation 2と同じ規模に到達したわけではありません。それでも、新規参入のプラットフォームとして無視できないユーザー基盤を作りました。

さらにXbox Liveがあり、『Halo』があり、サードパーティーの開発者とパブリッシャーとの関係がありました。

決算資料では、Xboxソフト販売の増加が高い利益率につながっていることも説明されています。

そして2004年度の10-Kには、すでに次世代Xboxの開発費が損失要因として登場しています。

つまりMicrosoftは、初代Xboxの結果を見てから「360を作るか考えよう」としていたわけではありません。

初代Xboxがまだ現役の段階で、次の世代への投資を進めていました。

初代で手に入れたユーザー、ゲーム、開発会社、オンラインサービス、ゲーム機開発の経験を次へつなぐ方が、ここで撤退するより意味があると判断できる土台がすでに作られていたわけです。

よくある「Xbox誕生説」はどこまで本当?

最後に、Xboxについて頻繁に語られる説明を、今回確認できた資料の範囲で整理します。

よくある説明判定確認できたこと
PS2がWindowsを脅かしたからXboxを作った一部正しいSony/PS2への危機感は確認できるが、Xbox誕生の唯一の理由ではない
Xboxは4人のDirectXチームだけで始まった一部正しい最初期の非公式グループは4人だが、その後多数の幹部・開発者が参加
XboxのXはDirectXのXほぼ確認できる複数の初期関係者がDirectX Box系の名称からXboxへ変化したと証言
Bill Gatesは最初から全面賛成だった誤り企画を承認した一方、Windowsから離れた段階では激しい議論になった
2000年2月14日にValentine's Day Massacreがあった確認できる会議自体は複数証言あり。ただし呼称は後年
製品版XboxはWindows PCを箱に入れただけ誤りPC系技術を使うが固定仕様の専用機。OSも大幅に変更
Xboxでは通常のWindowsが動いていた誤りWindows 2000系ソースを基礎にした専用OS
Xboxは実質ドリームキャスト2事実としては不適切DreamcastとのWindows CE協業はあるが、ハード事業の直接継承ではない
Haloは最初からXbox専用だった誤りMicrosoft買収前からMacintosh/Windows向けに開発
Xbox Liveは発売後に思いついた誤りHDD・Ethernet・ブロードバンド構想は2000~2001年から明確
Xboxが家庭用オンラインゲームを初めて実現した誤りDreamcastなど先行例あり。Xbox Liveの強みは統一サービス
初代Xboxだけで40億ドル以上失った資料からは断定不可巨額の部門損失は確認できるが、Xbox以外の事業も含まれる

初代Xbox誕生からXbox 360までの流れ

時期出来事
1995年DirectX登場
1996年MicrosoftがPCゲーム事業を本格展開
1998年5月MicrosoftとセガがDreamcast向けWindows CE/DirectX協業を発表
1998~1999年Microsoft社内の小規模チームが家庭用ゲーム構想を検討
1999年12月21日Robbie Bachの後年証言によればProject Xboxの事業計画を承認
2000年2月14日後の「Valentine's Day Massacre」。専用ゲーム機案を巡り経営陣と激論
2000年3月10日GDCでBill GatesがコードネームXboxを正式発表
2000年6月19日MicrosoftがBungie買収を発表
2001年3月日本戦略、NTTコミュニケーションズ提携、セガとの11タイトル提携などを発表
2001年11月15日北米でXbox発売。『Halo: Combat Evolved』も同日発売
2002年2月22日日本発売。34,800円、ローンチ12タイトル
2002年3月14日欧州・オーストラリアで発売
2002年5月22日日本価格を24,800円へ改定
2002年11月15日北米でXbox Live正式開始
2003年1月16日日本でXbox Live正式開始
2004年Microsoft決算資料に次世代Xbox開発費が登場
2005年Xbox世界2,000万台到達をMicrosoftが発表。Xbox 360へ移行

Microsoftが作ったのは「ゲーム機1台」ではなく、ゲームのプラットフォームだった

MicrosoftはなぜXboxを作ったのか。

「PlayStation 2が怖かったから」という答えは、完全な間違いではありません。

SonyがPlayStation 2をゲーム、映像、音楽、ネットワークへ広がる家庭向けプラットフォームにしようとしていたことは、Sony自身の当時資料から確認できます。Microsoft内部でも、Sonyがリビングルームの主導権を握ることへの危機感が存在しました。

ただ、それだけならXboxの半分しか説明できません。

MicrosoftはXbox以前からゲームを作り、DirectXでWindowsをゲームプラットフォームへ変え、Dreamcastではセガと家庭用ゲーム機向けWindows CEに取り組んでいました。

そこから生まれたXbox構想は、最初はWindows PCに近いものでした。

しかし開発を進めるうちに、固定ハードを持つ専用ゲーム機へ変わります。

HDDを載せ、Ethernetを標準搭載し、Bungieを迎え、『Halo』を育て、Xbox Liveではゲームを横断する共通オンライン基盤まで作りました。

Microsoftが家庭用ゲーム機メーカーになった本当の変化は、黒い大きな箱を一台発売したことではありません。

Windowsの上でゲームを支える会社から、自分たちでゲームのプラットフォームそのものを持つ会社へ進んだこと。

そこに初代Xboxの意味があります。

同じ「自社ハード」でも、アーケードを起点に業務用と家庭用を同じ規格へ近づけたSNKのNEOGEO、玩具・キャラクタービジネスを背景に携帯ゲーム市場へ挑んだバンダイのワンダースワンとは、出発点がまったく違います。

Microsoftの出発点は、PCソフト、DirectX、開発者、そしてネットワークでした。

その会社らしさがもっとも濃く表れたゲーム機が、初代Xboxだったのです。

-つぶログ深掘り, レトロゲーム
-, , , , ,