- SNKはなぜ「ネオジオ」を作った?MVSと家庭用を同じゲームにした異例の戦略
- NEOGEOを理解するなら、まずMVSから見た方が分かりやすい
- 1台で複数のゲームを動かす「MVS」は何がすごかったのか
- MVSと家庭用NEOGEOを、同じ「NEOGEO」へまとめた
- ゲームセンターと家庭をメモリーカードでもつないだ
- MVSと家庭用NEOGEOは本当に「まったく同じ」なのか
- なぜ家庭用NEOGEOは最初に「レンタル」されたのか
- NEOGEOはなぜあれほど高かったのか
- 「100メガショック」の100メガは100MBではない
- NEOGEOは最初から「格闘ゲーム機」だったわけではない
- SNK以外のゲームも出ていた
- 高いROMカセットの弱点を解決しようとしたNEOGEO CD
- なぜ1990年のハードで2004年までゲームを作れたのか
- 旧SNKが2001年に終わっても、NEOGEOは終わらなかった
- SNKは任天堂やセガのようなハードメーカーを目指したのか
- では、NEOGEOは成功だったのか、失敗だったのか
- 35年以上たった現在も「AES」という仕組みが復活しようとしている
- まとめ|NEOGEOは「高級ゲーム機」より、アーケードを家庭まで広げた仕組みだった
SNKはなぜ「ネオジオ」を作った?MVSと家庭用を同じゲームにした異例の戦略

ゲームセンターで遊んだゲームを、そのまま家へ持って帰る。
今ならアーケード版と家庭用版の差がほとんどないゲームも珍しくありません。しかし1990年前後は事情が違いました。ゲームセンターの基板と家庭用ゲーム機には大きな性能差があり、人気アーケードゲームが家庭用へ移植されると、グラフィックや音、演出、キャラクター数などが削られることも珍しくなかった時代です。
そんな中でSNKが送り出したのが「NEOGEO(ネオジオ)」でした。
家庭用NEOGEOは、ゲームセンター向けの「MVS(Multi Video System)」と極めて近い構成を持ち、同じNEOGEO向けゲームを業務用と家庭用の双方へ展開するという、かなり変わった仕組みを採用していました。
その代わり、本体もROMカセットも家庭用ゲームとしては異例の価格になります。
では、SNKはなぜそんなゲーム機を作ったのでしょうか。
「任天堂やセガのような家庭用ハードメーカーになりたかったから」と考えると、NEOGEOの成り立ちは少し見えにくくなります。
先に結論をまとめると、NEOGEOは家庭用ゲーム機だけを目的に始まった事業ではありません。
SNKは、複数のゲームを交換して運用できる業務用MVSを軸に、家庭用NEOGEO、ROMカセット、メモリーカードまでを同じ「NEOGEO」というプラットフォームへまとめようとしていました。家庭用の高価格も、この仕組みを理解すると理由が見えてきます。
NEOGEOを理解するなら、まずMVSから見た方が分かりやすい
SNKの前身となる株式会社新日本企画は1978年に誕生しました。1980年代には『ASO』『T・A・N・K』『怒 -IKARI-』『アテナ』『サイコソルジャー』などを送り出し、アーケードゲームメーカーとして存在感を強めていきます。
1986年4月には社名を株式会社エス・エヌ・ケイへ変更。SNKというブランドが前面に出るようになりました。
つまりNEOGEO以前のSNKは、もともと家庭用ゲーム機を主戦場として成長した会社ではありません。ファミコンなどへのソフト供給も行っていましたが、会社の強みを築いてきた場所はアーケードでした。
そのSNKが1990年に投入した新しい仕組みがNEOGEOです。
現在のSNK公式ヒストリーでは、1990年に「MVS・NEO GEO発売」と整理し、業務用のMVSと家庭用NEOGEOを同じ時期に登場した二つのNEOGEOとして紹介しています。
当時の業界紙『ゲームマシン』を見ても、NEOGEOは家庭用ゲーム機だけを単独で売り込むものではありませんでした。1990年初頭の段階から、業務用のMVSと家庭向けレンタル、さらにメモリーカードによる業務用と家庭用の連携まで含めたシステムとして説明されています。
つまり「まず普通の家庭用ゲーム機を作り、後からアーケードにも利用した」という順番ではありません。
アーケードと家庭を最初から近い規格でつなぐこと自体が、NEOGEOという企画の特徴だったと考えた方が実態に近いのです。
1台で複数のゲームを動かす「MVS」は何がすごかったのか
MVSは「Multi Video System」の略です。
最大の特徴は、ゲーム機本体にROMカートリッジを差し替えてソフトを変更できたこと。さらに複数スロットを備えたMVSでは、最大6本のゲームを1台へセットし、プレイヤーが遊びたいタイトルを選ぶことができました。
後に広く普及した4本入り筐体を覚えている人も多いでしょう。
駄菓子屋やスーパー、本屋の一角などに、小さなゲーム筐体が置かれていた時代があります。その中にはMVSが少なくありませんでした。
従来の「ゲームごとに基板を買う」方式とは違った
当時のアーケードゲームでは、新しいゲームを導入するために基板ごと購入する形が一般的でした。
SNKのNEOGEO MUSEUMによると、当時の一般的な業務用基板は20万円前後。それに対してMVSでは、一度システムを導入しておけば、ゲームのROMカートリッジを1本数万円程度で追加できました。
しかも1台に複数のゲームを入れられます。
店舗から見れば、これはかなり扱いやすい仕組みでした。
| 項目 | 従来型の基板販売 | MVS |
|---|---|---|
| 新作導入 | 基板単位で購入 | ROMカートリッジを交換・追加 |
| 1台で扱えるゲーム | 基本的に1タイトル | 複数タイトル。最大6本対応機も存在 |
| スペース | ゲーム数を増やすほど筐体が必要 | 1台で複数作品を扱える |
| ゲーム変更 | 基板交換の負担が大きい | カートリッジ単位で変更しやすい |
大規模なゲームセンターだけでなく、多数の筐体を置けない小規模店舗でも導入しやすい。
人気が落ちたゲームがあれば別のROMへ入れ替え、新作が出れば追加する。MVSという共通の土台さえ店に残れば、SNKはその上へ継続的にゲームを供給できます。
これは単に「6本のゲームから選べて便利」というだけの話ではありません。
ゲームを1本ずつ基板として売るのではなく、まずNEOGEOという共通プラットフォームを店舗へ置いてもらい、その上でソフトを増やしていく。
MVSには、そんなビジネス上の意味がありました。
SNK側にも大きなメリットがあった
元SNKスタッフへのインタビューでも、この構造について興味深い証言が残っています。
4Gamerの「ビデオゲームの語り部たち」で、元SNKの楠本征則氏は、6本のROMを入れられるMVSについて、ソフト販売本数を増やす狙いがあったのではないかと推測しています。
ただし、これは楠本氏自身が後年に語った「推測」です。6スロットの企画意図としてSNKが公式にそう説明していた、とまでは断定できません。
一方、同じインタビューでは、足立靖氏が当時の川崎英吉氏について「胴元になる」という趣旨の発言をよくしていたと振り返っています。
一つのヒット基板を売って終わるのではなく、自社規格の上でゲームが継続して動く環境を作る。
NEOGEOが単なる「新しい高性能基板」とは違った理由が、ここにあります。
MVSと家庭用NEOGEOを、同じ「NEOGEO」へまとめた
MVSが業務用NEOGEOなら、家庭用として用意されたのが、一般にAES(Advanced Entertainment System)と呼ばれるNEOGEOです。
ここで誤解しやすいのが、「MVSを完成させたあと、それを家庭用へ移植してAESを作った」という説明です。
現在確認できる資料では、MVSと家庭用NEOGEOは同じNEOGEO構想の中でかなり早い段階から並行して存在しています。
SNK公式も「業務用と家庭用の新たな2つのゲーム機」と表現しています。
したがって、
「MVSという完成品を後から家庭用へコピーした」
というより、
「業務用MVSと家庭用AESを、同じNEOGEOプラットフォームへ近づけて設計した」
と見る方が正確です。
ただし事業上の中心がどこにあったのかを見ると、SNKがアーケード市場を非常に重視していたことは間違いありません。
発売前の業界向け資料でも、MVS導入による店舗経営の効率化と家庭用レンタルを組み合わせる形が強く打ち出されていました。
家庭用だけを大量普及させる一般的なゲーム機ビジネスとは、出発点から少し違っていたのです。
ゲームセンターと家庭をメモリーカードでもつないだ
NEOGEOの共通化は、ゲームソフトだけではありません。
家庭用NEOGEOにはメモリーカードスロットがあり、一部のMVS筐体でも同じカードを利用できました。
対応ゲームなら、自宅で遊んだデータを持ってゲームセンターへ行ったり、ゲームセンターでの進行を家庭側へ持ち帰ったりできます。
現在ならアカウントやクラウドセーブを使った機種間連携は珍しくありませんが、1990年のゲーム環境として見るとかなり先を行った考え方です。
ここまで見ると、NEOGEOが目指していたものが分かりやすくなります。
MVSと家庭用本体は、まったく別々の商品ではない。
ゲームセンターと家庭を「NEOGEO」というひとつのゲーム環境に近づけようとしていたのです。
MVSと家庭用NEOGEOは本当に「まったく同じ」なのか
NEOGEOについては、今でも「ゲームセンターのゲームがそのまま家で遊べた」と説明されます。
これは大筋では正しいものの、「業務用と家庭用のハードが部品単位ですべて同一」という意味ではありません。
MVSとAESは、ゲームを動かす中核部分が非常に近く、同じNEOGEO向けソフト資産を利用できるよう設計されていました。
そのため、他機種でよくあった「アーケード版を家庭用ハードの性能に合わせて作り直す」という意味での移植とは事情が違います。
一方で、用途は異なります。
MVSにはコイン投入、店舗設定、DIPスイッチ、筐体との接続など業務用に必要な仕組みがあります。AESは家庭で遊ぶための本体です。
BIOSも業務用と家庭用で異なり、それによってゲームの動作モードが変化します。
例えばMVSではコインを投入してクレジットを増やす必要がありますが、AESでは家庭用ゲームとしてプレイできます。ゲームによっては家庭用に難易度設定や各種オプションが用意される場合もありました。
MVSカートリッジをAESへそのまま差すこともできない
もう一つ注意したいのがROMカートリッジです。
MVS用とAES用は、内部のゲームデータを大きく共有する作品が多い一方、カートリッジの基板やコネクター構造は異なります。
そのため、MVS用カートリッジを家庭用NEOGEOへ普通に差して遊ぶことはできません。
つまり、
「同じNEOGEO」=ゲームを動かす基本設計やソフト資産を大きく共有している
「完全に同じ」=カートリッジ、BIOS、入出力、ゲームモードまで全部同一
ではありません。
「アーケードそのまま」というNEOGEOの評判は、その時代の家庭用移植と比べれば十分に実態があります。ただし技術的には、業務用と家庭用それぞれに必要な違いが残されていました。
なぜ家庭用NEOGEOは最初に「レンタル」されたのか
家庭用NEOGEOの歴史で、もう一つ誤解されやすいのが発売時期です。
よく「NEOGEOは1991年7月1日に発売された」と紹介されますが、これはかなり単純化された説明です。
家庭向けNEOGEOそのものは1990年から存在し、4月26日にレンタル展開が始まっています。
SNK公式のNEOGEO MUSEUMでも、価格が高かったため当初は一般ユーザー向けの通常販売を行わず、レンタルビデオ店などへ本体を供給し、ユーザーが借りて遊ぶ方式だったと説明されています。
当時の家庭用ゲームとしては非常に珍しい売り方でした。
ところが、ここでも「1990年は絶対にレンタル専用で、ユーザーは本体を一切購入できなかった」とまで言い切ると問題があります。
当時の広告や業界資料には、1990年の段階から一部で販売も行われていたことを示す記述が残っています。
したがって、この時期は、
1990年=レンタルを主軸とした家庭向け展開
1991年=価格を改定し、一般販売を本格化
と整理するのが無難です。
1991年7月1日には本体価格が48,800円となり、それまでより一般のユーザーが購入しやすい販売へ大きく舵を切りました。
「1991年7月1日にNEOGEOそのものが突然誕生した」のではありません。
NEOGEOはなぜあれほど高かったのか
家庭用NEOGEOを語るとき、どうしても避けられないのが価格です。
初期の家庭用本体については58,000円という価格が記録されています。1991年の一般販売強化時には48,800円となりました。
同時代を見ると、1988年発売のメガドライブが21,000円、1990年発売のスーパーファミコンが25,000円でした。
| ハード | 発売時期 | 当時の本体価格 |
|---|---|---|
| メガドライブ | 1988年 | 21,000円 |
| スーパーファミコン | 1990年 | 25,000円 |
| 家庭用NEOGEO | 1990年 | 58,000円 |
| 家庭用NEOGEO | 1991年一般販売強化時 | 48,800円 |
本体だけでも高価ですが、NEOGEOでさらに大きかったのはROMカセットの価格です。
初期でも1万円台後半から2万円を超える作品があり、容量が増えていくと3万円を超えるタイトルも現れます。後期には『THE KING OF FIGHTERS 2000』のように4万円前後に達するROM版もありました。
普通の家庭用ゲーム機なら、本体を買った後は数千円から1万円前後のゲームを増やしていく時代です。
NEOGEOはソフトを何本か揃えるだけで、本体価格を簡単に超えていきました。
「ぼったくり」ではなく、設計思想そのものが高コストだった
では、なぜここまで高くなったのでしょうか。
理由の一つはROM容量です。
NEOGEOは、ゲームセンターで動かす規模のゲームデータを家庭用ROMカートリッジにも収めます。
容量が増えれば、それだけ大量のROMを搭載する必要があります。当時の大容量ROMは現在のフラッシュメモリーのように安価ではありません。
しかも大型のNEOGEOカートリッジ内部には複数の基板やROMチップが収められています。
ただし、「NEOGEOが高かった理由はROM容量だけ」と決めつけるのも正確ではありません。
大容量ROM、複雑なカートリッジ構造、アーケード級のゲームをそのまま扱うハード設計、一般的な家庭用ソフトより限られた生産規模など、複数の事情が重なっています。
各要素が原価の何%だったのかを示すSNKの詳細な原価資料までは確認できないため、「○○だけが原因だった」と数字で断定することはできません。
確かなのは、「ゲームセンターと同じものを家庭へ持ってくる」というNEOGEO最大の長所と、家庭用としての高価格が表裏一体だったことです。
「100メガショック」の100メガは100MBではない
その大容量路線を象徴したのが「100メガショック」です。
最初に100メガを超えたNEOGEOタイトルは、1992年の『龍虎の拳』でした。
ここでいう「100メガ」は、現在の感覚でいう100MB(メガバイト)ではありません。
100メガビットです。
8bit=1byteなので、100Mbitを単純換算すると約12.5MBになります。
今なら驚く容量ではありませんが、重要なのは1992年当時の家庭用ROMゲームとの比較です。
同時代の家庭用ゲームでは数Mbit規模のROMも珍しくない中で、100Mbitを超えるゲームデータをROMカートリッジへ載せること自体が大きな売りになりました。
その後も容量は増え続け、SNK公式史によれば『THE KING OF FIGHTERS 2003』は716メガビットに達しています。
NEOGEOは性能そのものを何度も刷新したハードではありません。
同じ基本規格を使いながら、カートリッジ側の容量と開発技術を拡張していくことで、長期間ゲームを作り続けたのです。
NEOGEOは最初から「格闘ゲーム機」だったわけではない
現在NEOGEOと聞けば、『餓狼伝説』『龍虎の拳』『サムライスピリッツ』『THE KING OF FIGHTERS』を思い浮かべる人が多いでしょう。
しかし、NEOGEOは格闘ゲームのために作られたハードではありません。
1990年4月26日の最初期MVSタイトルは、『NAM-1975』『麻雀狂列伝』『マジシャンロード』『ベースボールスターズプロフェッショナル』。
その後もアクション、シューティング、スポーツ、レース、パズル、クイズなど幅広いジャンルが登場しています。
そもそも『ストリートファイターII』のアーケード版が登場するのは1991年です。
1990年に始まったNEOGEOを「ストIIのヒットを見て格闘ゲーム用に作った」と説明することは、時系列上できません。
格闘ゲームブームが、NEOGEOの性格を後から変えた
転機になったのは、NEOGEO誕生後に起きた対戦格闘ゲームブームです。
1991年11月に『餓狼伝説』が登場。
1992年には『龍虎の拳』『餓狼伝説2』、1993年には『サムライスピリッツ』『餓狼伝説SPECIAL』が続きました。
特にSNK公式のNEOGEO MUSEUMでは、『餓狼伝説2』を、本格的に対戦が盛り上がるきっかけとなった作品として挙げています。
そして1994年には『THE KING OF FIGHTERS '94』が登場します。
ここでMVSの仕組みが格闘ゲームブームと非常によく噛み合いました。
新しい格闘ゲームが出たらROMを交換する。人気タイトルを複数同じ筐体に入れる。店側は既存のMVSを活用でき、SNK側も同じプラットフォームへ新作を継続投入できる。
最初から格闘ゲーム用だったのではなく、格闘ゲームというジャンルが後からMVSのビジネスモデルに非常によく適合したと見る方が自然です。
SNK以外のゲームも出ていた
NEOGEOを「SNK専用ハード」と考えるのも正確ではありません。
初期からアルファ電子、後のADKが『マジシャンロード』『ニンジャコンバット』などを供給しています。
その後もデータイースト、ビデオシステム、ビスコ、サミー、タイトーなど複数メーカーの作品がNEOGEOへ登場しました。
『フライングパワーディスク』、『ファイターズヒストリーダイナマイト』、『ソニックウィングス2』、『パズルボブル』など、SNK開発ではない有名作もあります。
MVSはSNKのゲームを動かす専用基板というより、他社作品も加わる「NEOGEO」というゲームプラットフォームになっていきました。
高いROMカセットの弱点を解決しようとしたNEOGEO CD
NEOGEOの長所は、大容量ROMからゲームを直接読み出す速さでした。
しかし、そのROMが家庭用ソフトの価格を押し上げます。
この弱点に対する別の答えとして、1994年に登場したのが「NEOGEO CD」です。
SNK公式史では、ROMカセットからCD-ROMへ媒体を変更した「ライトユーザー向けのNEOGEO」と説明されています。
本体の発売時価格は49,800円。
本体そのものは決して安価とは言えませんが、CD-ROMを使うことでソフト価格はROMカセット版より大幅に抑えられました。
ただし、安くできた代わりに新しい問題が生まれます。
ロード時間です。
ROMカセットなら必要なデータをすぐ読み出せますが、CD-ROMではゲーム開始時や対戦前などにデータを読み込む必要があります。
特にキャラクターやステージを頻繁に読み直す格闘ゲームでは、この待ち時間が目立ちました。
後に高速化したNEOGEO CD-Zも登場しますが、ROM版NEOGEOを完全に置き換えることはありませんでした。
NEOGEO CDは「ROM版の完全な後継機」というより、ROM方式の最大の弱点だった価格を下げる代わりに、ROM方式最大の長所だった読み込みの速さを失った別系統のNEOGEOと見ると分かりやすいでしょう。
なぜ1990年のハードで2004年までゲームを作れたのか
NEOGEOのもう一つの異例な点が寿命の長さです。
SNK公式タイトルカタログでは、最初期のMVSタイトルが1990年4月26日。
最後のMVSカートリッジは、2004年4月22日の『サムライスピリッツ零SPECIAL』です。
家庭用NEOGEO ROM版も同作が最後で、2004年7月15日に発売されました。
1990年に始まった規格へ、約14年後にも新作が供給されていたことになります。
家庭用ゲーム機の「最後のソフト」を機種ごとに整理した記事でも、歴代ハードの最終発売タイトルとしてNEOGEOは2004年まで到達しています。
性能競争では古くなっても、「使えるプラットフォーム」として残った
1994年にはセガサターンや初代PlayStationが登場し、ゲーム業界は本格的な3D時代へ入っていきます。
NEOGEOの基本設計は、当然ながら古くなっていきました。
それでも2Dゲーム、特に対戦格闘ゲームでは事情が違います。
すでに各地へMVSが普及している。
開発側には長年蓄積したノウハウがある。
ROM容量は拡張できる。
大量のスプライトを使った2D表現については、ハードの使い方が年々洗練されていく。
1996年の『メタルスラッグ』や1999年の『餓狼 MARK OF THE WOLVES』などを見ると、1990年の初期作品と同じ規格のゲームとは思えないほど表現が進化しています。
ハード性能そのものを刷新するのではなく、開発者が同じ機械を使い込み続ける。
NEOGEOは、その極端な例でもありました。
旧SNKが2001年に終わっても、NEOGEOは終わらなかった
長寿命を考えるうえでは、旧SNKの経営問題も外せません。
2000年前後、SNKは経営的に厳しい状況となり、2001年に旧SNKはその歴史を終えます。
ここで「SNK倒産と同時にNEOGEOも終了した」と思われることがありますが、実際には違います。
2001年に株式会社プレイモアがSNKの知的財産権を継承し、2003年にはSNKプレイモアへ商号を変更。
その間にも『THE KING OF FIGHTERS 2001』『THE KING OF FIGHTERS 2002』『メタルスラッグ4』『メタルスラッグ5』『サムライスピリッツ零』など、NEOGEO向け新作は続きました。
最終的に2004年まで新作が出ています。
会社の体制が大きく変わっても、すでに市場へ広く存在していたNEOGEOという規格自体には、まだゲームを供給する価値が残っていたわけです。
SNKは任天堂やセガのようなハードメーカーを目指したのか
ここまで見てくると、NEOGEOを「SNKが任天堂やセガに対抗するために出した家庭用ゲーム機」とだけ説明すると、かなり大事な部分が抜け落ちます。
もちろんSNKも家庭用NEOGEOを販売し、家庭用ゲーム市場で事業を行っていました。
だから「家庭用市場を狙っていなかった」わけではありません。
ただし、その成り立ちは一般的な家庭用ゲーム機とは違います。
| メーカー/ハード | 特徴 |
|---|---|
| 任天堂 | 家庭用ゲーム機を大規模に普及させ、その市場へ自社・他社ソフトを集める |
| セガ | アーケード事業と家庭用ハード事業をそれぞれ大規模に展開 |
| SNK/NEOGEO | 業務用MVSと家庭用AESを近い規格へまとめ、同じソフト資産を双方へ展開 |
セガもアーケードと家庭用の両方に強かった会社ですが、メガドライブやセガサターンは、対応するアーケード基板と同じゲームを同じROM資産で動かすための機械ではありません。
その意味で、SNKのNEOGEOはかなり特殊です。
セガが自社ハードでどのようにソフトを展開していたかは、メガドライブ・セガサターンを全ソフトから見たセガのハード戦略でも検証しています。
NEOGEOは「家庭用ゲーム機を何千万台売って巨大市場を作る」という方向だけで理解するより、アーケードで築いた市場を中心に、業務用と家庭用の境界をできるだけ薄くしたプラットフォームとして見る方が、SNKらしさがよく見えてきます。
では、NEOGEOは成功だったのか、失敗だったのか
これは「家庭用本体が何台売れたか」だけで決めると答えを誤ります。
MVSと家庭用NEOGEOを分けて考える必要があります。
MVSはSNKのアーケード事業を長期間支えた
SNK公式史では、MVSについて全国約12,000台が導入されたとしています。
ゲームセンターだけではなく、駄菓子屋、書店、スーパーなどにも広がり、NEOGEO作品をプレイできる場所を増やしました。
しかも1990年から2004年まで新作が続いています。
MVSについては、SNKの代表的なアーケードプラットフォームになったと見てよいでしょう。
家庭用NEOGEOは大量普及型のゲーム機ではなかった
一方の家庭用NEOGEOは、本体もソフトも高価でした。
ファミコンやスーパーファミコンのように、一般家庭へ何千万台規模で広がることを前提とした商品とは性格が違います。
ただし、「大量普及しなかった=失敗」とだけ結論づけるのも乱暴です。
家庭でアーケードとほぼ同じゲームを遊べるという強烈な個性があり、NEOGEOというブランドそのものをゲームファンへ定着させました。
『餓狼伝説』『龍虎の拳』『サムライスピリッツ』『KOF』『メタルスラッグ』など、後のSNKを代表するシリーズの多くがNEOGEOとともに育っています。
業務用MVS、家庭用AES、ソフト資産、ブランド形成。
これらを全部ひとまとめにして「成功」「失敗」の二択へ落とすことはできません。
少なくともNEOGEOというプラットフォームが、1990年代のSNKそのものを形作ったことは間違いありません。
35年以上たった現在も「AES」という仕組みが復活しようとしている
NEOGEOの物語は、2004年に完全に忘れ去られたわけでもありません。
2026年には、SNKのライセンスのもとPLAION REPLAIが「NEOGEO AES+」を発表しています。
これは昔のゲームを内蔵したミニ復刻機ではなく、オリジナルの家庭用AESカートリッジとの互換性を掲げ、新しい物理ROMカートリッジまで展開しようとしている製品です。
発売は当初の2026年から延期され、現在は2027年9月16日が予定されています。
詳細はNEOGEO AES+と旧NEOGEOの互換性・価格・発売延期を整理した記事でまとめています。
35年以上前の物理カートリッジ規格が、現代になって再び商品として使われようとしていること自体、NEOGEOという規格の異様な生命力を感じさせます。
まとめ|NEOGEOは「高級ゲーム機」より、アーケードを家庭まで広げた仕組みだった
NEOGEOというと、「本体もゲームも高かった」「格闘ゲームばかりだった」「100メガショック」という話が目立ちます。
しかし、誕生した理由から追うと見え方はかなり変わります。
SNKが作ったのは、単なる高性能家庭用ゲーム機ではありませんでした。
複数のゲームをROM交換で運用できるMVSをゲームセンターへ広げ、そのNEOGEO規格を家庭用にも展開する。さらにメモリーカードでゲームセンターと家庭までつなぐ。
ゲームセンターと家庭を、できるだけ同じゲーム環境へ近づけようとした仕組みでした。
だから家庭用でもアーケードに極めて近いゲームが遊べた。
そして、だからこそ大容量ROMを使う高価なゲーム機になった。
その高価格問題を解決しようとしてNEOGEO CDが生まれ、アーケード側では格闘ゲームブームとMVSの仕組みが噛み合い、同じ基本規格が2004年まで使われ続けました。
NEOGEOを理解する鍵は、家庭用本体だけを見ないことです。
MVSというアーケードの仕組みから見ると、「なぜSNKはこんなゲーム機を作ったのか」「なぜ高かったのか」「なぜ14年も続いたのか」が一本につながります。
任天堂やセガとはまた違うやり方で、SNKはハードメーカーになりました。
それは家庭用ゲーム機市場だけを奪いに行く形ではなく、SNKがもともと強かったゲームセンターを起点に、業務用と家庭用をひとつの「NEOGEO」へ近づけるという方法だったのです。