- 『ミヤネ屋』はなぜ大阪から全国ネットに?『ザ・ワイド』終了が変えた午後のテレビ
- 『ミヤネ屋』は2006年、関西ローカルの夕方番組として始まった
- 宮根誠司を最初から「番組の顔」に据えていた
- 転機は2007年――『ザ・ワイド』が終了した
- 『ザ・ワイド』終了後、日本テレビは再放送中心の午後を選んだ
- 読売テレビは『ミヤネ屋』を13時55分からへ大幅拡大した
- 意外にも、当初は「大阪だけでも構わない」と考えていた
- なぜ26局が『ミヤネ屋』を選んだのか
- 2007年10月に全国ネット?2008年3月31日との違い
- なぜ日本テレビは最初から『ミヤネ屋』を放送しなかったのか
- 宮根誠司自身も全国進出を狙っていたわけではなかった
- 全国へ広がった直後は「関西色が強い」という声もあった
- それでも「大阪発」が番組の個性になっていった
- 制作現場から『ミヤネ屋』をもっと知りたい人には
- 2026年、『ミヤネ屋』は終わっても「大阪発の全国枠」は残る
- まとめ|『ミヤネ屋』を全国へ運んだのは「人気」だけではなかった
『ミヤネ屋』はなぜ大阪から全国ネットに?『ザ・ワイド』終了が変えた午後のテレビ

2026年10月2日、20年間続いた『情報ライブ ミヤネ屋』が最終回を迎えます。
いまでは「全国ネットの午後の情報番組」という印象が強い『ミヤネ屋』ですが、最初から全国放送だったわけではありません。
2006年7月31日に始まった当初は、平日15時50分から17時50分まで放送される関西ローカルの夕方番組でした。
それが約1年後の2007年10月、放送開始を13時55分へ繰り上げて大幅に拡大。系列26局で放送されるようになります。さらに2008年3月31日には日本テレビでも放送が始まり、大阪の読売テレビから全国へ送る午後の情報番組として定着していきました。
では、なぜ大阪のローカル番組がここまで急速に広がったのでしょうか。
「関西で人気が出たから」「宮根誠司さんが人気だったから」という説明だけでは、この経緯はうまく説明できません。
読売テレビの当時の番組審議会資料を追うと、大きな転機として浮かび上がってくるのが、2007年9月の『ザ・ワイド』終了です。
『ザ・ワイド』が終わったことで、日本テレビ系列の平日午後には大きな編成上の変化が起きました。日本テレビは再放送中心の編成を選び、一方の読売テレビは、それまで夕方に放送していた『ミヤネ屋』を拡大して生放送を続ける道を選びます。
さらに、『ザ・ワイド』を放送していた系列局の多くも、午後に生情報番組を続ける選択をしました。
『ミヤネ屋』の全国化は、地方の人気番組が東京へ進出したというだけの話ではありません。2007年、日本テレビ系列の「平日午後に何を放送するのか」という編成が大きく変わった結果でもありました。
| 時期 | 動き | ポイント |
|---|---|---|
| 2006年7月31日 | 関西ローカルで開始 | 15:50~17:50の生情報番組 |
| 2007年9月28日 | 『ザ・ワイド』終了 | 系列各局の午後編成が転換点を迎える |
| 2007年10月1日 | 13:55からへ拡大、26局へ | 日本テレビではまだ放送されず |
| 2008年3月31日 | 日本テレビでも放送開始 | 当初は13:55~14:55 |
| 2008年9月1日 | 関東でも2時間放送へ | 全国の午後番組としてさらに定着 |
| 2026年10月2日 | 『ミヤネ屋』終了 | 20年間の放送に幕 |
| 2026年10月5日 | 『ニュースto』開始 | 読売テレビ制作・全国28局ネット |
『ミヤネ屋』は2006年、関西ローカルの夕方番組として始まった
『情報ライブ ミヤネ屋』が始まったのは2006年7月31日です。
現在の13時55分スタートとは違い、当初は月曜から金曜の15時50分~17時50分。放送エリアも関西だけでした。
読売テレビの第476回番組審議会には、番組を立ち上げた背景がかなり具体的に残っています。
当時、この時間帯では毎日放送が『ちちんぷいぷい』、朝日放送が『ムーブ!』という生放送の情報番組を編成していました。
一方、読売テレビは再放送などを編成しており、同種の番組を持っていませんでした。そこで読売テレビが打ち出したのが、「地域密着型」の情報番組を自分たちでも作るという方針です。
つまり『ミヤネ屋』の出発点は、全国ネットの午後番組を作ることではありません。
まず関西の夕方帯で、すでに存在していた生情報番組に対抗する。そのために作られたローカル番組でした。
しかも開始から約3カ月後の番組審議会では、読売テレビ自身が『ちちんぷいぷい』『ムーブ!』について、この時間帯ですでに強い存在であり、『ミヤネ屋』はまだそこまで達していないという趣旨の説明をしています。
後から歴史だけを見ると、「関西で大成功した人気番組が全国へ進出した」と説明したくなります。
しかし少なくとも2006年の同時代資料を見る限り、『ミヤネ屋』はまだ関西の午後で自分たちの居場所を作ろうとしている途中でした。
宮根誠司を最初から「番組の顔」に据えていた
2007年2月の第479回番組審議会を見ると、全国化する前から現在につながる番組の基本形が作られていたことも分かります。
その一つが、宮根誠司さんを明確に番組の「顔」にしたことです。
単にアナウンサーがニュース原稿を読むのではなく、宮根さん自身の目を通して世の中を見る。宮根さんや視聴者が「これは気になる」と感じるニュースを取り上げ、堅い報道番組とは違う分かりやすい情報番組を目指していました。
番組名を『ミヤネ屋』としたのも、こうした設計とつながっています。
ただし、宮根さん個人が番組を制作していたわけではありません。同じ番組審議会で読売テレビ側は、宮根さんは司会者・キャスターであり、制作主体は読売テレビであることも説明しています。
「宮根誠司という強い顔を持った読売テレビ制作の情報番組」という基本形は、全国化する前からすでに出来上がっていたわけです。
転機は2007年――『ザ・ワイド』が終了した
『ミヤネ屋』の歴史が大きく動くのは2007年です。
きっかけとなったのが、平日13時55分から放送されていた『ザ・ワイド』の終了でした。
『ザ・ワイド』は1993年4月に始まり、長年にわたって日本テレビ系列の午後を担った生放送の情報番組です。
ここで重要なのが、その制作体制です。
『ザ・ワイド』は単純な日本テレビ単独制作番組ではありませんでした。日本テレビと読売テレビが共同で制作しており、読売テレビの2007年の説明によれば、特に2004年以降は読売テレビ側がより主体的に担当。多くの読売テレビ社員が東京の日本テレビのスタジオへ入り、番組制作に携わっていました。
つまり読売テレビは、『ミヤネ屋』が全国へ広がる以前から、日本テレビ系列の平日午後の生情報番組に深く関わっていたことになります。
読売テレビは約1年かけて『ザ・ワイド』の枠から下がる交渉をしていた
ところが読売テレビ社内では、『ザ・ワイド』の制作体制を見直す動きが進みます。
第486回番組審議会で読売テレビ側は、人員や制作費、制作体制などを検討した結果、約1年をかけて、自社が担っていた時間帯の責任を日本テレビ側へ戻す方向で交渉していたと説明しています。
ここは誤解しやすいところです。
この資料だけから「制作費が高かったから『ザ・ワイド』が打ち切られた」と結論づけることはできません。
確認できるのは、読売テレビが自社の制作体制について複数の要素を検討し、枠から下がろうとしていたことです。
それと『ザ・ワイド』という番組そのものの正式な終了理由は、分けて考える必要があります。
「低視聴率の『ザ・ワイド』を『ミヤネ屋』に替えた」わけでもない
もう一つ注意したいのが視聴率です。
2006年10月の読売テレビ番組審議会では、『ザ・ワイド』について、この時間帯で長く1位を続けてきた番組として説明されています。
一方、その時点の『ミヤネ屋』は、関西の競合番組にまだ追いついていないという位置づけでした。
そのため、
「低視聴率になった『ザ・ワイド』を、関西で絶好調だった『ミヤネ屋』に入れ替えた」
という説明では、当時の資料と噛み合いません。
『ザ・ワイド』は2007年9月28日に終了しますが、『ミヤネ屋』全国化を理解するうえでは、「どちらの番組が人気だったか」よりも、終了後の午後枠を日本テレビと読売テレビがそれぞれどう使おうとしたのかを見る必要があります。
『ザ・ワイド』終了後、日本テレビは再放送中心の午後を選んだ
では、『ザ・ワイド』が終わった13時55分からの枠を、日本テレビはどうするつもりだったのでしょうか。
これは日本テレビ側の公式資料でも確認できます。
2007年度第1四半期決算説明会資料には、10月改編の方針として、『ザ・ワイド』の枠をドラマ再放送へ変更することが明記されています。
実際、日本テレビでは2007年10月から14時台・15時台に『ドラバラZONE』など再放送を中心とする編成が組まれました。
一方、読売テレビは別の判断をします。
これまで十数年にわたり生情報番組を放送してきた時間帯で、再放送番組では戦いにくい。
そこで使える番組として、すでに自社で制作していた『ミヤネ屋』がありました。
読売テレビは『ミヤネ屋』を13時55分からへ大幅拡大した
2007年10月1日、『ミヤネ屋』は大きく姿を変えます。
それまで15時50分から始まっていた番組を、旧『ザ・ワイド』枠を含む13時55分からの約3時間へ拡大しました。
ここで初めて、現在につながる「平日午後の『ミヤネ屋』」という形が生まれます。
第486回番組審議会に残る読売テレビ側の説明では、長年、生情報番組を放送してきた午後の時間帯に再放送を置くのではなく、自分たちで生番組を続ける。そのために夕方の『ミヤネ屋』を前へ持ってきて、放送時間を大幅に広げたという経緯が語られています。
つまり『ミヤネ屋』拡大は、単なる放送時間の延長ではありません。
『ザ・ワイド』終了後の午後を、読売テレビとしてどう戦うかという編成上の選択だったわけです。
意外にも、当初は「大阪だけでも構わない」と考えていた
ここからが、『ミヤネ屋』全国化で最も興味深い部分です。
13時55分からへ拡大すると決めた時点で、読売テレビは最初から全国ネットを前提にしていたのでしょうか。
第486回番組審議会を見る限り、そうではありません。
読売テレビ側は、枠を拡大した当初について、大阪だけで放送する形でも構わないと考えていたという趣旨の説明をしています。
これは、「関西で育てた人気番組を全国へ売り込む」というイメージとはかなり違います。
では、なぜ全国へ広がったのか。
その答えを考えるうえで欠かせないのが、『ザ・ワイド』を放送していた系列局側の編成です。
なぜ26局が『ミヤネ屋』を選んだのか
『ザ・ワイド』は、日本テレビ系列28局で放送されていました。
番組が終われば、それぞれの系列局は平日午後の編成を改めて決めなければなりません。
大きく見ると、日本テレビ側の再放送編成を受けるのか、それとも読売テレビが大阪から送る『ミヤネ屋』を受けるのかという選択が生まれます。
| 選択肢 | 午後の編成 |
|---|---|
| 日本テレビ側 | ドラマなど再放送中心 |
| 読売テレビ側 | 大阪から生放送する『情報ライブ ミヤネ屋』 |
結果として、読売テレビが当初「大阪だけでも構わない」と考えていた『ミヤネ屋』は、26局で放送されることになりました。
なぜ、これほど多くの系列局が『ミヤネ屋』を選んだのでしょうか。
読売テレビ側は、各局がそれまで受けていた生放送の流れを変えず、引き続き生情報番組に対応したいと考えた結果だと説明しています。
ここが全国化を理解する最大のポイントです。
系列局が必要としていたのは、宮根誠司さんという出演者だけではありません。それまで『ザ・ワイド』が担っていた「平日午後の生情報番組」という編成そのものでもありました。
そして読売テレビには、前年に立ち上げ、自社で制作している『ミヤネ屋』がありました。
『ザ・ワイド』終了で生まれた午後の空白と、系列局側の「生情報番組を続けたい」という需要。その二つが重なったことで、関西ローカルだった『ミヤネ屋』が一気に系列局へ広がったのです。
2007年10月に全国ネット?2008年3月31日との違い
『ミヤネ屋』について調べると、「2007年10月に全国化した」という説明と、「2008年3月31日に全国ネット開始」という説明の両方が出てきます。
これは、どちらか一方が単純に間違っているわけではありません。
全国化が二段階で進んだからです。
2007年10月1日=26局へ広がった「ほぼ全国」の段階
2007年10月1日、『ミヤネ屋』は13時55分からへ拡大され、26局で放送されるようになりました。
すでに全国各地で見られる番組ですから、実態としては「ほぼ全国」といってよい規模です。
しかし、大きな例外がありました。
東京の日本テレビでは放送されていません。
当時の読売テレビ側も第486回番組審議会で、この状態を「準全国ネットというか、ほぼ全国」という趣旨で説明し、東京へは行っていないことに触れています。
そのため、2007年10月1日を現在と同じ意味での「完全な全国ネット開始日」としてしまうと、当時の実態が見えにくくなります。
2008年3月31日=日本テレビでも『ミヤネ屋』が始まった
状況が変わるのは約半年後です。
2008年3月31日、日本テレビでも『ミヤネ屋』の放送が始まりました。
ただし、ここにも現在との違いがあります。
日本テレビが最初から読売テレビと同じ長さを放送したわけではありません。
2008年春の日本テレビでは、13時55分~14時55分に『ミヤネ屋』を放送し、その後14時55分から自社制作の生情報番組『アナ☆パラ』を編成しました。
つまり日本テレビが最初に受けたのは、『ミヤネ屋』の約1時間分です。
日本テレビの2008年春改編に関する公式資料にも、平日ベルト番組を復活させて全日帯を強化する施策として、13時55分~14時55分に読売テレビ制作の『情報ライブ ミヤネ屋』を置くことが記録されています。
さらに2008年9月1日からは、関東地区でも2時間放送となりました。
2007年10月1日
関西ローカルから26局へ一気に拡大。当時の読売テレビが「準全国ネット」「ほぼ全国」と説明した段階。
2008年3月31日
日本テレビでも放送開始。東京を含む全国ネット番組として定着していく段階。
現在の番組紹介などで2008年3月31日を「全国ネット開始」とする説明がある一方、2007年10月からすでに全国各地で放送されていたのは、このためです。
なぜ日本テレビは最初から『ミヤネ屋』を放送しなかったのか
系列26局が2007年10月から『ミヤネ屋』を放送したのなら、なぜ日本テレビは最初から放送しなかったのでしょうか。
確認できる事実は、日本テレビが2007年10月改編で、『ザ・ワイド』後の午後帯について再放送を中心とする方針を選んだことです。
一方、読売テレビは同じ時間帯で生情報番組を続けるため『ミヤネ屋』を拡大しました。
つまり、この時点では同じ日本テレビ系列でも、日本テレビと読売テレビが午後について別々の編成判断をしていたことになります。
半年後の2008年春、日本テレビは午後帯を再び改編し、『ミヤネ屋』を13時55分から1時間放送する形へ変更しました。
日本テレビの資料では、この改編を「全日の強化」の一環として位置づけています。
一方で、今回確認できた日本テレビの一次資料には、
「再放送の視聴率が悪かったから『ミヤネ屋』へ変更した」
と一つの理由に絞って説明した記録までは確認できません。
そのため、後から結果だけを見て「再放送が失敗したので大阪の人気番組に切り替えた」と断定するのは避けるべきでしょう。
事実として言えるのは、2007年秋には再放送を選んだ日本テレビが、2008年春には午後帯の強化策として、すでに系列各局へ広がっていた読売テレビ制作の『ミヤネ屋』を自局でも放送するようになったというところまでです。
宮根誠司自身も全国進出を狙っていたわけではなかった
番組が全国へ広がったとなると、「宮根誠司さん自身が全国進出を狙っていたのでは」と考えたくなります。
ところが本人の回想は、それとは少し違います。
放送20年目を迎えた2025年、宮根さんはORICON NEWSのインタビューで、番組がローカルから始まったことを振り返り、フリーになったからといって全国ネットのアナウンサーになろうとは考えていなかったという趣旨の話をしています。
本人の感覚としては、自分が全国進出を計画したというより、番組のほうがいつの間にか全国へ広がっていったというものでした。
これは放送開始から約19年後の回想なので、2007年当時の会社資料とは分けて扱う必要があります。
それでも興味深いのは、2007年の読売テレビ側が「最初は大阪だけでも構わない」と考えていたという記録と、後年の宮根さん自身の回想が大きく矛盾していないことです。
全国へ広がった直後は「関西色が強い」という声もあった
現在から振り返れば、大阪のスタジオから全国へ放送する『ミヤネ屋』はごく普通の光景に見えます。
しかし2007年秋、全国各地で放送され始めた当初から、すんなり受け入れられていたわけではありません。
ネット拡大から約1カ月後の第487回番組審議会では、読売テレビに届いた視聴者意見として、関西色が強いため違和感があるという声が紹介されています。
第486回でも、26局へ広がった番組を見た委員から、関西弁を前面に出した番組が各地でどう受け止められるのかを気にする意見が出ていました。
これは2007年当時の『ミヤネ屋』が、全国向けに一から作り直された東京型の番組ではなかったことを物語っています。
大阪で作っていた番組が、その性格を残しながら一気に多くの地域へ流れ始めたのです。
それでも「大阪発」が番組の個性になっていった
興味深いのは、その後の変化です。
2015年の読売テレビ番組審議会では、大阪発の番組が東京と同じものを作っても仕方がないという文脈の中で、『ミヤネ屋』のテンポや大阪らしさが全国で受け入れられている、という委員の評価が記録されています。
2007年には「関西色が強い」と違和感を持つ視聴者がいた。
それが長い放送の中で、逆に番組を特徴づける要素として見られるようになっていきました。
もちろん、20年間続いた理由を「大阪らしさ」だけで説明することはできません。
日々のニュースへの対応、事件・事故の中継、芸能情報、専門家とのやり取り、宮根さんの進行、制作スタッフによる改良など、番組そのものも変化してきました。
それでもテレビ史という視点で見ると、東京のキー局で作った午後番組を系列局へ送るのではなく、大阪の準キー局が制作する生番組が東京を含む全国へ流れる形を長期間定着させたことは、『ミヤネ屋』の大きな特徴です。
制作現場から『ミヤネ屋』をもっと知りたい人には
『ミヤネ屋』が大阪のローカル番組から全国へ広がった過程を、制作現場側の視点からさらに知りたい人には、春川正明氏の著書『「ミヤネ屋」の秘密 大阪発の報道番組が全国人気になった理由』があります。
春川氏は読売テレビで報道部長などを務め、『ミヤネ屋』発足時には報道部長、その後は解説委員として番組に関わった人物です。今回の記事とは扱う範囲や視点が異なりますが、番組がどのように作られてきたのかを知る補助資料として相性のいい一冊です。
大阪発のローカル番組だった『ミヤネ屋』が全国へ広がっていった背景や、宮根誠司さんと制作現場の舞台裏を、番組に関わった春川正明氏がまとめた一冊。本記事で追った「なぜ大阪の番組が全国ネットへ広がったのか」を、制作側の視点からさらに知りたい人に相性の良い資料です。
価格・在庫・仕様や版の違いなどは変動します。購入の際は各ショップの商品ページで最新情報をご確認ください。
2026年、『ミヤネ屋』は終わっても「大阪発の全国枠」は残る
そして2026年。
『ミヤネ屋』は10月2日で20年間の放送を終えます。
なぜ終了するのか、宮根誠司さんが卒業を申し出た経緯や後番組については、『ミヤネ屋』はなぜ終了?宮根誠司の決断・後番組『ニュースto』・今後を解説で詳しく整理しています。
今回注目したいのは、番組終了後の13時55分という時間帯です。
2026年10月5日から始まる後番組は『ニュースto(にゅーすと)』。
読売テレビの公式発表によると、月曜から金曜の13時55分~15時50分に放送され、全国28局ネットとなります。
番組名も出演者もコンセプトも変わるため、『ニュースto』を『ミヤネ屋』の単なる改題番組と考えるのは正確ではありません。
しかし、テレビ編成の歴史として見ると興味深いものがあります。
2007年、読売テレビは『ザ・ワイド』終了後の午後について、再放送ではなく大阪から生情報番組を送る道を選びました。
その結果、関西ローカルだった『ミヤネ屋』が系列各局へ広がり、翌年には日本テレビでも放送されるようになります。
そして19年後の2026年、『ミヤネ屋』という番組そのものが終了しても、同じ13時55分から読売テレビ制作の生放送が全国28局へ送られる形は続きます。
『ミヤネ屋』は終わる。しかし2007年の編成転換から始まった「大阪から全国の午後へ生情報番組を届ける」という構造は、『ニュースto』へ残る。
もちろん、読売テレビが公式に『ニュースto』を「ミヤネ屋の遺産」と表現しているわけではありません。
それでも20年の番組史を2006年から追っていくと、『ミヤネ屋』が残したものの一つとして、この午後枠そのものを挙げることはできそうです。
まとめ|『ミヤネ屋』を全国へ運んだのは「人気」だけではなかった
『ミヤネ屋』は、最初から全国ネットを前提に作られた番組ではありませんでした。
2006年7月、関西の夕方帯で『ちちんぷいぷい』『ムーブ!』などに挑む地域密着型の生情報番組としてスタートします。
大きな転機となったのが、翌2007年の『ザ・ワイド』終了でした。
日本テレビはその後の午後を再放送中心にする方針を選び、読売テレビは生情報番組を続けるため『ミヤネ屋』を13時55分からへ拡大しました。
しかも読売テレビは当初、大阪だけでの放送でも構わないと考えていました。
ところが『ザ・ワイド』を受けていた系列局の多くが、午後の生情報番組を引き続き必要とした。その結果、2007年10月に『ミヤネ屋』は26局へ一気に広がります。
ただし、この時点では日本テレビでは放送されていません。
2008年3月31日に日本テレビも1時間の放送を開始し、同年9月には関東でも2時間へ拡大。こうして全国の午後番組として定着していきました。
だから『ミヤネ屋』の全国化を、「関西で人気になった宮根誠司さんの番組が東京へ進出した」とだけ説明すると、大事な部分が抜け落ちます。
『ザ・ワイド』が終わり、日本テレビ系列の午後に新しい編成が必要になった。日本テレビと読売テレビが異なる道を選び、さらに系列局の多くが大阪発の生情報番組を選んだ。
そのいくつもの判断が重なった先に、『ミヤネ屋』の全国化がありました。
そして2026年10月。
20年続いた番組は終わりますが、13時55分から大阪の読売テレビが全国へ生情報番組を送り出す流れは、『ニュースto』へ続きます。
『ミヤネ屋』が変えたのは、一つの番組の放送地域だけではありません。
振り返ってみれば、2007年秋に起きた午後編成の転換が、その後約20年続く「大阪発・全国ネットの平日午後」を形作ることになったのです。