- ナムコのロード画面ミニゲーム特許とは?リッジレーサーと2015年説を検証
- ナムコの「ロード中ミニゲーム特許」は本当に存在する
- 何を特許にした?「ロード画面で遊ぶこと全部」ではない
- 出願翌日に発売された『リッジレーサー』
- なぜこんな仕組みが必要だった?特許文書に残る「10~20秒」
- ところが、ナムコより前にもロード中ゲームは存在した
- 他社は本当に20年間ロード中ミニゲームを使えなかった?
- 「2015年まで有効だった」は主に米国特許の話
- 2015年、海外では「ついに自由になる」と盛り上がった
- 特許が切れたのに、なぜロード中ミニゲームは増えなかった?
- ネットでよく見る「ナムコ特許」説を整理
- 今から見ると、この特許の本当の面白さは別のところにある
- まとめ|特許は本当にあった。でも有名な説明は少し単純すぎる
ナムコのロード画面ミニゲーム特許とは?リッジレーサーと2015年説を検証

初代PlayStationの『リッジレーサー』を起動すると、本編が始まるまでの待ち時間に、往年のシューティングゲーム『ギャラクシアン』を遊べました。
今なら「ロード画面にミニゲームを置いた面白い演出」と受け止めてしまいそうですが、この仕組みには本当にナムコの特許が存在します。
しかも日本で特許出願されたのは1994年12月2日。PlayStation版『リッジレーサー』が発売された1994年12月3日の、わずか前日でした。
ただし、ここから話が少しややこしくなります。「ナムコがロード中ミニゲームを世界で初めて発明した」「この特許のせいで他社は2015年までロード中にゲームを入れられなかった」という有名な説明は、そのままでは正確ではありません。
先に結論
ナムコのロード中ミニゲームに関する特許は本当に存在した。ただし、特許になったのは単なる「ロード画面で遊ばせるアイデア」ではなく、メインゲームと副次的なプログラムをどう読み込み、実行するかという具体的な仕組みだった。さらに1980年代には似た先行例があり、日本と米国では権利が終わった時期も異なる。
ナムコの「ロード中ミニゲーム特許」は本当に存在する
まず、特許そのものは都市伝説ではありません。
日本では特許第2742394号、米国ではUS5718632Aが確認できます。発明者は林陽一氏。日本での発明名称は「ゲームプログラムおよびデータの読込み方法、ならびにこれを用いたゲーム装置」です。
| 項目 | 日本 | 米国 |
|---|---|---|
| 特許番号 | 特許第2742394号 JP2742394B2 | US5718632A |
| 発明者 | 林陽一 | Yoichi Hayashi |
| 日本の優先日 | 1994年12月2日 | 1994年12月2日 |
| 出願日 | 1994年12月2日 | 1995年11月27日 |
| 公開・発行 | 1996年6月18日公開 1998年4月22日B2公報 | 1998年2月17日 |
| 請求項 | 11項 | 16項 |
| 権利終了 | 2014年12月2日とみるのが妥当 | 2015年11月27日 |
日米の特許は同じ発明を基礎にしていますが、請求項の数も表現も同一ではありません。「日本でもアメリカでもまったく同じ特許が、同じ日まで存在した」という理解は避けた方がよいでしょう。
何を特許にした?「ロード画面で遊ぶこと全部」ではない
この話がネットで広まる過程で、もっとも単純化されやすかったのが特許の中身です。
よくある説明は「ナムコがロード中にミニゲームを遊ぶことを特許にした」というもの。しかし特許権の範囲は、原則として特許文書の請求項に基づいて決まります。明細書に書かれているアイデアや実施例のすべてが、そのまま独占範囲になるわけではありません。
日本特許の内容を一般向けに噛み砕くと、中心にあるのは次のような仕組みです。
ナムコ特許の基本的な考え方
記録媒体に「大きなメインゲーム」と「小さな副次的プログラム」を収録する
↓
副次的プログラムを先に読み込む
↓
プレゲームをすぐに実行する
↓
その間にメインゲームを読み込む
↓
読み込みが終わったら本編へ移る
つまり、単に画面に何かを表示するだけの発明ではありません。待ち時間そのものを利用するために、容量の小さい副次側と容量の大きいメイン側をどう扱うかがポイントになっています。
さらに請求項には、副次的なゲームだけでなく、メインゲームの初期条件を設定する処理なども含まれます。「ミニゲーム特許」という呼び方は分かりやすい一方、正式な技術内容をすべて表した名称ではありません。

Tipsや静止画まで特許だったわけではない
ここを理解すると、「ロード画面に何か表示したらナムコの特許侵害だった」という説明がおかしいことも分かります。
| ロード中の内容 | この特許との関係 |
|---|---|
| 画像を表示する | それだけで今回のミニゲーム構成になるわけではない |
| Tipsや文章を表示する | 今回の中心的な仕組みとは異なる |
| ボタンで演出を変える | 操作できるだけでは判断できない |
| 本編の技を練習する | 実装方法次第。単純に「本編と同じだから特許外」とは言えない |
| 小さな別ゲームを先に読み込み、その裏で本編をロードする | 今回の特許が想定した仕組みにかなり近い |
見た目が似ていることと、特許の請求項を法的に満たすことは別問題です。他社ゲームを見ただけで「これは侵害」「これは回避」と断定することもできません。
出願翌日に発売された『リッジレーサー』
この特許をゲームとして体感できる代表例が、初代PlayStation版『リッジレーサー』です。
ナムコが日本で特許を出願したのは1994年12月2日。『リッジレーサー』の日本発売日は、その翌日の1994年12月3日でした。
この時期のゲーム業界全体の空気については、つぶログの「1994年12月、ゲーム業界は何が起きていた?初代プレイステーション誕生前夜の空気感」でも詳しく整理しています。
ここで注意したいのは、「発売前日に特許を取得した」という意味ではないことです。
1994年12月2日に行われたのは出願です。日本で公開公報が出たのは1996年、特許第2742394号のB2公報は1998年です。発売日の時点で、すでに登録済みの特許を持っていたわけではありません。
ロード中に遊べたのは「ギャラガ」ではなく「ギャラクシアン」
初代『リッジレーサー』については、もう一つよくある混同があります。
ロード中に遊べたのは『ギャラクシアン』です。バンダイナムコ公式の『リッジレーサー レボリューション』紹介ページでも、前作『リッジレーサー』には「ローディング時のおまけゲーム(ギャラクシアン)」があったと明記されています。
『ギャラガ』ではありません。
混同しやすい理由の一つが、その次の『リッジレーサー レボリューション』です。こちらでは『ギャラガ'88』のボーナスステージが使われ、40体すべてを撃墜すると選択可能な車が増える仕掛けも公式に案内されています。
| ゲーム | ロード時のおまけ |
|---|---|
| リッジレーサー | ギャラクシアン |
| リッジレーサー レボリューション | ギャラガ'88 |
なぜこんな仕組みが必要だった?特許文書に残る「10~20秒」
なぜ、わざわざ別のゲームをロード中に動かそうと考えたのでしょうか。
特許文書には、その理由がかなり率直に書かれています。当時はゲームのプログラムや画像データが大きくなり、CD-ROMなどからRAMへ読み込むのに10~20秒程度かかる場合がある。それではプレイヤーがすぐゲームを始められず、いらいらする――という問題意識です。
実施例では、メイン側の読み込み時間を約10秒、プレゲーム側を約15秒程度として説明している箇所もあります。もちろん「1990年代のゲームは全部10~20秒待たされた」という意味ではありません。あくまで特許文書が想定した一例です。
それでも、この記述は当時の技術的な悩みをよく表しています。
カートリッジに比べて大容量のデータを扱いやすい光学ディスクは、音声やムービー、CG表現を大きく広げました。その一方で、ゲーム機側へデータを読み込む「待ち時間」がプレイヤーから見えるようになります。
初代PlayStationがどんな位置からスタートしたハードだったのかは、「初代プレイステーションの歴史」もあわせて読むと、この時代背景が分かりやすくなります。
また、PlayStationではディスクを正しく読み込めたこと自体が起動体験に関係していました。興味があれば「初代PlayStationの起動音はただの演出ではなかった?」も関連するテーマです。
つまりナムコの発想は、ロードを消すことではありません。
「待たせるしかないなら、その時間までゲームにしてしまえばいい」という方向から問題を解こうとしたわけです。
ところが、ナムコより前にもロード中ゲームは存在した
ここで、この話には大きなひっくり返しがあります。
ロード中に別のゲームを遊ばせるアイデアそのものは、ナムコが世界で最初ではありません。
明確な先行例として確認できるのが、Commodore 64向けの「Invade-A-Load」です。1987年ごろ、Mastertronicのソフトで使われたローダーで、本編をカセットテープから読み込んでいる間に『Space Invaders』風のゲームを遊べました。
開発者Richard Aplin氏自身も後年のインタビューで、C64用の高速テープローダーを作り、ロード中にSpace Invadersを遊ばせたと証言しています。
ナムコの日本出願は1994年ですから、少なくとも7年ほど前に、よく似た発想が実用化されていたことになります。
では、なぜナムコの特許は成立したのか
ここで「それならナムコの特許は無効だったのでは?」と思うかもしれません。
しかし、そこまで単純ではありません。
特許では、似たアイデアが昔から存在したかどうかだけでなく、請求項に書かれた具体的な構成、新規性、進歩性、審査で認識された先行技術などが問題になります。
「ロード中にゲームを動かす先行例があった」ことと、「その先行例がナムコ特許の請求項をすべて満たし、法的に特許を無効にできた」ことは同じではありません。
2026年に公表されたゲームプレイ特許を扱う法学論文でも、Invade-A-Loadは重要な先行例として取り上げられていますが、これだけをもって当時のナムコ特許が法的に無効だったと確定しているわけではありません。
したがって、この記事で言えるのは「ナムコはロード中ゲームという広いアイデアの世界初ではなかった」ところまでです。
他社は本当に20年間ロード中ミニゲームを使えなかった?
もう一つ広く語られているのが、「ナムコが特許を持っていたため、他社は約20年間ロード中ミニゲームを作れなかった」という説明です。
これは影響がなかったとは言えない一方、「世界中で全面禁止」とするのも言い過ぎです。
特許は実際に権利行使されている
まず重要なのは、この特許が「取っただけで一度も使われなかった権利」ではないことです。
日本弁理士会の専門誌『パテント』は、特許第2742394号について、1999年から2000年にかけてのナムコとコナミの訴訟合戦で行使されたと整理しています。
ナムコとコナミの公式共同発表でも、両社がそれぞれ「自社の特許権が侵害された」と主張し、約1年間にわたり東京地方裁判所と特許庁で争ったことが確認できます。
最終的には2000年7月3日、双方が係争を取り下げ、公式発表では「完全に対等な条件」で問題を解決したとされています。
つまり、特許の存在が単なる紙の上の話だったとは言えません。
ただし「ナムコが各社を訴えまくった」証拠もない
一方、今回確認した資料からは、この特許を使ってナムコが多数のメーカーを次々と提訴した事実までは確認できません。
一般向けに公開されたライセンス料や、「この金額を払えば誰でも使える」といった制度も確認できませんでした。
したがって、
- 他社は一切使えなかった
- ナムコに金さえ払えば自由に使えた
- ナムコが大量に警告状を送っていた
- 各社が必ずこの特許を理由に企画を断念した
といった話を、裏付けなしに事実として広げるのは避けるべきです。
「Bayonettaは特許を回避するため練習モードにした」も断定できない
海外では『Bayonetta』や『FIFA』シリーズのロード中操作を「ナムコ特許を回避した例」と紹介する記事があります。
ただし、ゲームの構造が特許の請求項と異なる可能性があることと、開発者が特許回避を目的としてその仕様にしたことは別です。
今回確認した範囲では、プラチナゲームズなどの開発者本人が「ナムコ特許を避けるためにこの設計にした」と説明した一次資料までは確認できませんでした。
しかもナムコ特許の明細書は、副次側が本編とまったく別ジャンルのゲームでなければならない、と単純には読めません。本編の練習につながるようなプレゲームも想定されています。
そのため、「本編と同じ操作なら自動的に特許外」という説明も慎重に扱う必要があります。
「2015年まで有効だった」は主に米国特許の話
この特許を調べると、ほぼ必ず出てくる数字が2015年です。
米国特許US5718632Aは1995年11月27日に米国出願され、2015年11月27日に20年を迎えました。米国では1995年6月8日以降の対象出願について、原則として米国出願日から20年で期間を計算し、外国での優先日をそのまま米国特許期間の起算日にするわけではありません。
そのため、「米国のナムコ特許が2015年11月27日に満了した」という説明は成立します。
日本側は2014年12月2日
一方、日本では事情が違います。
Google Patentsには日本特許について「2013年4月22日 Anticipated expiration」という表示があります。ただし同サービス自身が、Legal Statusは法的判断ではないと注意しています。
特許庁は特許権の存続期間について原則「特許出願の日から20年」と説明しており、1994年の法改正に伴う経過措置もあります。また、2015年当時にJ-PlatPatの経過情報を確認したAUTOMATONは、日本国内では2014年12月2日に権利が消滅したと報じています。
1994年12月2日の日本出願からちょうど20年でもあり、本記事では日本側の権利終了を2014年12月2日として扱います。
| 地域 | 基準となる出願 | 権利終了 |
|---|---|---|
| 日本 | 1994年12月2日 | 2014年12月2日 |
| 米国 | 1995年11月27日 | 2015年11月27日 |
つまり、「ナムコのロード中ミニゲーム特許は2015年まで有効だった」と世界共通の期限のように書くのは正確ではありません。
2015年という有名な日付は、主として米国特許の満了を指しています。

2015年、海外では「ついに自由になる」と盛り上がった
米国特許の満了は、当時かなり大きなニュースになりました。
海外ゲームメディアは「ロード画面ミニゲームが戻ってくる」「20年間続いた特許が終わる」といった文脈で相次いで報道。特許満了に合わせて、インタラクティブなロード画面をテーマにしたLoading Screen Game Jamまで開催されています。
当時の空気だけを見ると、翌年からゲームのロード画面がミニゲームだらけになりそうにも思えます。
ところが、実際にはそうなりませんでした。
特許が切れたのに、なぜロード中ミニゲームは増えなかった?
ここが、この話の最後の面白いところです。
1994年のナムコ特許は、10~20秒ほどかかる読み込み時間をどう楽しく過ごしてもらうか、という発想から生まれました。
ところが2010年代後半以降、ゲーム機やPCは別の方向へ進んでいきます。
SSD、高速なストレージ、メモリ容量の増加、バックグラウンドロード、データストリーミングなどによって、そもそもプレイヤーの前に長いロード画面を見せない設計が重視されるようになったからです。
PlayStation 5やXbox Series X|Sの世代では、高速なストレージ自体がハードの大きな特徴になりました。PCでもNVMe SSDが一般化しています。
もちろん現在でもロード時間が完全に消えたわけではありません。しかし、解決の方向は1994年とは大きく違います。
1994年
「待つ時間があるなら、その間に別のゲームを遊ばせよう」
現在
「できるだけ待ち時間そのものを短くし、ロードしていることを意識させない」
特許が切れたころには、その特許が解決しようとしていた問題そのものが小さくなり始めていた。これは少し皮肉な結末です。
ネットでよく見る「ナムコ特許」説を整理
| よくある説明 | 判定 | 理由 |
|---|---|---|
| ナムコがロード中ミニゲームを世界で初めて発明した | 誤り | 1987年ごろのInvade-A-Loadという先行例がある |
| 『リッジレーサー』で遊べたのはギャラガ | 誤り | 初代はギャラクシアン。『レボリューション』がギャラガ'88 |
| ロード画面でゲームを遊ぶ行為全部を特許にした | 誤解を招く | 具体的な読込み・実行構成を請求している |
| 他社は2015年までロード中に一切ゲームを入れられなかった | 誤り | 国や実装構造によって事情が異なり、インタラクティブなロード画面自体も存在した |
| ナムコに金を払えば誰でも使えた | 証拠不足 | 一般向けのライセンス条件や使用料を確認できない |
| ナムコはこの特許で他社を訴えまくった | 誤解を招く | コナミとの権利行使例は確認できるが、多数の訴訟を確認できるわけではない |
| 2015年に世界中で一斉に特許が切れた | 誤り | 日本は2014年、米国は2015年 |
| 特許が切れた途端、ロード中ミニゲームが急増した | 確認できない | むしろロード時間そのものを短縮する技術が進んだ |
| 現在もバンダイナムコがこの特許で他社を止められる | 誤り | 今回扱った日米の特許はすでに失効している |
今から見ると、この特許の本当の面白さは別のところにある
ナムコ特許の話は、「昔は特許のせいでロード画面がつまらなかった」という一言で終わらせるには惜しい題材です。
1980年代にはすでにロード中ゲームの先行例がありました。それでも1990年代半ば、CD-ROMを使う新世代ゲーム機が登場し、ロード時間が家庭用ゲームの体験として改めて大きな問題になります。
そこでナムコは、待ち時間をなくすのではなく、待ち時間に先に小さなゲームを読み込んで遊ばせるという構造を特許にしました。
その代表例が、PlayStation発売日に登場した『リッジレーサー』の『ギャラクシアン』です。
「弱点を隠す」のではなく、「弱点まで遊びに変える」。この発想こそ、30年以上経った今でも面白いところではないでしょうか。
今回の特許そのものを解説する本ではありませんが、当時のナムコがゲーム文化にどんな発想を持ち込み、技術や音楽の面で何を変えていったのかをさらに掘り下げたいなら、鴫原盛之『ナムコはいかにして世界を変えたのか──ゲーム音楽の誕生』も相性のいい一冊です。
まとめ|特許は本当にあった。でも有名な説明は少し単純すぎる
ナムコがロード中ミニゲームに関係する特許を持っていた――これは事実です。
1994年12月2日に日本で出願され、その翌日に発売されたPS版『リッジレーサー』では、ロード中に『ギャラクシアン』を遊べました。特許文書を読むと、小さな副次プログラムを先に読み、その間に大きなメインゲームをロードするという仕組みが見えてきます。
一方で、ロード中ゲームそのものには1980年代の先行例があります。ナムコが世界で初めてこのアイデアを思いついた、とするのは正しくありません。
また、この特許が実際に権利行使された例は確認できますが、「世界中の他社が20年間、ロード中には一切遊ばせられなかった」とまで広げるのも行き過ぎです。
そして「2015年まで」という有名な話も、正確には主として米国特許の満了日。日本では2014年12月2日に権利が終了したとみるのが妥当です。
特許が切れたころ、ゲーム機は長いロード画面を楽しくする時代から、ロード画面そのものを短く、目立たなくする時代へ移ろうとしていました。
待ち時間さえゲームに変えてしまう。ナムコの特許で本当に面白いのは、「20年間ゲームを禁止した特許」という刺激的な伝説よりも、CD-ROM時代の弱点を遊びに変えようとした、その発想だったのかもしれません。