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『NANA』はなぜ今も心に刺さるのか|大人になって読み返してわかる友情・恋愛・選択

NANAは「読み返すと印象が変わる」作品

漫画『NANA』で、大崎ナナが小松奈々の頬にキスをして、ハチが笑顔で嬉しそうにしているイラスト

昔はナナの生き方に憧れた。

ハチの選択には、少し苛立った。

タクミのことは理解できなかったし、ノブにはもっと頑張ってほしいと思った。

それなのに何年か経って読み返すと、以前は分からなかった人物の気持ちが妙に理解できてしまうことがあります。

『NANA』は、読む側が歳を重ねるほど見え方が変わっていくマンガです。

矢沢あいによる『NANA』は、小松奈々と大崎ナナという同い年・同じ名前の二人が東京へ向かう列車で偶然出会い、その後の友情、恋、挫折、成長を描いていく物語です。集英社Cookie公式でも、この二人の「友情、恋、挫折、成長」が作品の軸として紹介されています。

ただ、『NANA』が長く心に残る理由は、波乱に満ちた恋愛や華やかな音楽の世界だけではありません。

夢を選ぶこと。

誰かを選ぶこと。

一人で立つこと。

誰かに頼ること。

そして、一度選んでしまった人生を、その後どう生きていくのか。

『NANA』が描いているのは、きれいな正解だけでは生きられない人たちの人生です。

だからこそ、大人になって読み返したとき、昔とは違う場所が胸に刺さるのではないでしょうか。

※ここからは単行本21巻までの重要な展開に触れます。未読の方はご注意ください。 集英社公式でも単行本第21巻まで確認できます。

『NANA』は「読む年齢」で見える景色が変わる

『NANA』を久しぶりに読み返したとき、物語そのものは同じなのに、以前とは違う作品を読んでいるように感じることがあります。

変わったのはマンガではありません。

読んでいる自分です。

10代の頃には、夢へまっすぐ進もうとする大崎ナナの強さが格好よく見えるかもしれません。自分の感情に素直で、誰かを好きになり、傷ついてはまた誰かを求めるハチの姿には、もどかしさを覚えることもあります。

けれど、自分自身が仕事や恋愛、人間関係を経験していくと、単純には割り切れなくなります。

分かっていても離れられないことがある。

正しいと思う方を選べないこともある。

誰かに必要とされたいと思う気持ちも、自分一人で生きたいという気持ちも、どちらも嘘ではない。

『NANA』の登場人物たちは、いつも理性的で正しい選択をするわけではありません。

だから若い頃には「どうして?」と思った行動が、大人になってから読むと「そうしてしまうこともある」に変わっていきます。

この変化こそ、『NANA』を何度も読み返せる大きな理由の一つです。

ナナとハチの友情は「仲良し」だけでは説明できない

物語の中心にあるのは、やはり二人のNANAです。

大崎ナナと小松奈々。

性格も生き方も違う二人が出会い、一緒に暮らし、互いの人生に深く入り込んでいきます。

二人の関係が特別なのは、単純な「親友」という言葉だけでは少し足りないところにあります。

相手の幸せを願っている。

自分のそばにもいてほしい。

自由でいてほしい。

でも、自分を置いていってほしくない。

相手を大切に思う気持ちと、自分が必要とされたい気持ちが同時に存在しています。

だから二人の友情は美しい一方で、ときに苦しい。

誰かを本当に大切に思えば、必ず相手のすべてを受け入れられるわけではありません。むしろ大切だからこそ、自分が望んでいなかった選択をされたときに深く傷つきます。

『NANA』では、友情が恋愛より安全な関係として描かれていません。

友情にも嫉妬があり、執着があり、すれ違いがある。

それでも、簡単には切れない。

このきれいすぎない友情が、二人の関係を忘れられないものにしています。

「好きな人」と「幸せになれる人」が同じとは限らない

『NANA』の恋愛が今読んでも苦しいのは、恋をすれば幸せになれるという単純な物語ではないからです。

好きだという感情は本物でも、その相手と一緒にいることが自分を幸せにするとは限りません。

逆に、安心できる相手を選べば、すべての迷いが消えるわけでもありません。

恋愛だけではなく、生活があります。

仕事があります。

将来があります。

家族があります。

そして、選択にはその後があります。

『NANA』では、誰かと結ばれる瞬間そのものより、その選択をしたあとに何が残るのかが描かれていきます。

そこが、一般的な恋愛マンガの「誰と誰が結ばれるのか」という楽しみだけでは終わらないところです。

ハチの選択も、ナナの選択も、外側から見れば簡単に評価できます。

けれど、その人物がその瞬間まで積み重ねてきた孤独や不安まで考えると、急に答えが分からなくなる。

『NANA』は、読者に「この人が正しい」と教えてくれる作品ではありません。

どの道を選んでも、何かを得て、何かを失う。

その現実を、登場人物たちの人生として見せてきます。

夢をかなえることさえ「ハッピーエンド」にはならない

『NANA』には、音楽という大きな軸があります。

夢を追いかけて上京し、仲間とバンドを組み、より大きな舞台を目指していく。

物語の入り口だけを見れば、青春マンガとしても非常に魅力的です。

けれど、物語が進むほど、夢をかなえることはゴールではなくなっていきます。

成功すれば忙しくなる。

注目されれば自由が減る。

守りたいものが増えれば、失うことへの恐怖も大きくなる。

欲しかったものを手に入れたからといって、人は完成しない。

ここにも『NANA』らしさがあります。

夢を追うことは美しい。

でも、夢だけで人生のすべてが満たされるわけではない。

恋愛も同じです。

家庭も同じです。

成功も同じです。

「これさえ手に入れば幸せになれる」という答えを、作品は簡単には用意してくれません。

だから登場人物たちは、何かを手に入れたあとも迷い続けます。

その姿が、年齢を重ねた読者には以前より現実的に見えてくるのだと思います。

誰か一人を悪者にすれば済む物語ではない

『NANA』について話すと、どうしても「誰の選択が正しかったのか」という話になりがちです。

あの人が悪かった。

あのとき、別の選択をしていればよかった。

そう言いたくなる場面はいくつもあります。

もちろん、相手を傷つけた行動まで肯定する必要はありません。

間違いは間違いです。

ただ、『NANA』は一人の悪役がすべてを壊していく作品ではありません。

弱さ。

寂しさ。

プライド。

依存。

責任。

夢。

愛情。

それぞれの人物が抱えているものが少しずつぶつかり合い、その結果として関係が変わっていきます。

だから、ある人物の立場では正しく見える選択が、別の人物にとっては残酷に見えることがあります。

人間関係は、一人の視点だけでは答えが出ない。

『NANA』は、その複雑さを最後まで簡単に整理しません。

若い頃には「嫌いだった人物」を、大人になってから完全には嫌いきれなくなる。

そんな読み方の変化が起きるのも、この作品の人物が善悪だけで作られていないからでしょう。

心に残るのは、大事件よりも何気ない時間

『NANA』には、人生を大きく変える出来事がいくつもあります。

それでも、読み終えたあとに妙に思い出すのは、必ずしも大事件ばかりではありません。

同じ部屋で過ごした時間。

仲間たちが集まっていた時間。

誰かを待っている時間。

うまく言葉にできず、気持ちだけが残った時間。

幸せだったことに、その瞬間には気づけなかった時間。

『NANA』には、後から振り返って初めて意味を持つ場面がたくさんあります。

それは現実の人生にもよく似ています。

何でもない一日が、あとになって「あの頃は幸せだった」と思えることがある。

もう戻れなくなってから、その場所がどれほど大切だったかに気づくことがある。

失ったものだけではなく、「失う前の時間」まで切なく見えてしまう。

だから読み返すほど、物語の前半にある明るい場面まで違って見えます。

初読では何気なく通り過ぎたページが、結末を知ったあとでは胸に残る。

これも『NANA』という作品が持つ、強い余韻です。

「居場所」を求める物語として読むと、さらに深く見えてくる

恋愛や音楽と並んで、『NANA』を通して何度も見えてくるものがあります。

それは居場所を求める気持ちです。

自分を必要としてくれる人。

帰ることのできる場所。

一緒に夢を追う仲間。

安心できる家庭。

一人ではないと思える関係。

登場人物たちは形こそ違っても、それぞれに自分の居場所を探しているように見えます。

ところが、居場所は一度見つければ永遠に同じ形で残るものではありません。

人は変わります。

関係も変わります。

環境も変わります。

そして、自分自身の望むものも変わっていきます。

だから『NANA』では、「帰る場所を見つけた」で物語が終わりません。

失いたくない場所ほど、失うことが怖くなる。

誰かを愛するほど、一人になることも怖くなる。

その怖さが、ときに相手への執着や不器用な選択につながっていきます。

この視点で読み返すと、ナナとハチだけではなく、周囲の人物たちの行動にもまた違った意味が見えてきます。

21巻の先が気になるのは「結末」だけを知りたいからではない

集英社公式で刊行が確認できる単行本第21巻は、2009年3月13日に発売されました。

物語には、その先を知りたくなる問いが数多く残っています。

けれど、『NANA』の続きを待つ気持ちは、単に「最後に誰と誰がどうなるのか知りたい」という興味だけではないように思います。

長い時間をかけて登場人物たちを見てきたからこそ、この人たちが最後にどんな人生を選ぶのかを見届けたい。

そこまで読者が思える作品は多くありません。

大切なものを失ったあと、人はどう生きていくのか。

離れてしまった人たちは、もう一度向き合えるのか。

過去を抱えたままでも、新しい人生を作っていけるのか。

それは『NANA』という物語だけに向けられた問いでありながら、同時に、読む側の人生にもどこか重なります。

だから物語から長い時間が経っても、ふと登場人物たちのその後を思い出してしまうのでしょう。

『NANA』が今も心に刺さる理由

『NANA』が心に残る理由を一つだけ挙げることはできません。

ナナとハチの友情。

簡単には正解を出せない恋愛。

夢と現実。

仲間との時間。

失う怖さ。

居場所を求める気持ち。

そして、自分で選んだ人生を引き受けていくこと。

さまざまな感情が複雑につながっているからこそ、読む時期によって刺さる場所が変わります。

昔はナナを見ていた人が、今はハチの気持ちを考えているかもしれない。

昔は恋愛ばかり追っていた人が、今は仕事や家族の場面で立ち止まるかもしれない。

以前は嫌いだった人物を、今読むと少し理解できるかもしれない。

同じマンガなのに、自分が変わるたびに読み方も変わっていく。

そこに『NANA』の強さがあります。

人生は、いつも最善の選択だけでできているわけではありません。

戻りたいと思うこともある。

違う道があったのではないかと考えることもある。

それでも、選んだ先で生きていかなければならない。

『NANA』は、その現実をきれいに片づけません。

だから苦しい。

だから忘れられない。

そして、大人になった今だからこそ、もう一度読み返したくなる。

久しぶりに『NANA』を開いたとき、昔とは違う場面でページを止めてしまったなら、それは作品が変わったからではありません。

あの頃から生きてきた自分自身が、そのページの意味を変えたのだと思います。

それこそが、『NANA』が今も心に刺さり続ける理由なのではないでしょうか。


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