- 例えば炎の結成秘話|タキノルイ・田上の経歴、漫才とM-1実績
- 例えば炎とは?タキノルイと田上による同級生コンビ
- 例えば炎の2人は中学時代からの同級生だった
- なぜ2人で芸人になった?きっかけは大学時代の飲み会
- 例えば炎はなぜNSCに2回入った?41期で卒業できず43期に再入学
- 旧コンビ名は「エレガンス」「傀儡兄弟」だった
- NSC卒業後も約1年半、劇場入りできなかった
- 例えば炎の漫才は何が面白い?独特な掛け合いとネタ作り
- M-1グランプリの成績|2024年・2025年に2年連続準決勝進出
- 2025年の今宮戎マンザイ新人コンクールで福笑い大賞を受賞
- 2026年NHK上方漫才コンテスト優勝|豪快キャプテンとの決勝を制す
- 2026年の上方漫才大賞では新人賞までわずか1点差
- 初単独ライブからなんばグランド花月へ|舞台活動も拡大
- 2026年現在の活動|Podcast・冠番組・田上のソロ活動
- M-1グランプリ2026とNHK新人お笑い大賞の最新状況
- 例えば炎についてよくある疑問
- まとめ|NSC再入学からNHK優勝まで、例えば炎が歩んだ道
例えば炎の結成秘話|タキノルイ・田上の経歴、漫才とM-1実績

中学時代からの友人同士が、そろって芸人を目指すことになった。
ところが、入学した吉本興業の養成所では卒業できず、2年後にもう一度入学。ようやく卒業しても、今度は劇場のオーディションに約1年半通過できない日々が続きました。
そんな遠回りを経て、2026年3月にNHK上方漫才コンテストの頂点へ立ったのが、お笑いコンビ「例えば炎(たとえばほのお)」です。
メンバーはタキノルイと田上(たのうえ)。M-1グランプリでは2024年と2025年に2年連続で準決勝へ進出し、2024年の敗者復活戦では規定時間を大幅に超える漫才が話題になりました。
一見すると自由奔放で、どこまでが台本なのか分からない独特な掛け合い。しかし、その背景には中学時代から続く2人の関係と、漫才への意外なこだわりがあります。
今回は、例えば炎のプロフィール、NSCに2度入学した理由、旧コンビ名、劇場入りまでの苦労、漫才の特徴、賞レース成績、2026年現在の活動まで詳しく振り返ります。
例えば炎とは?タキノルイと田上による同級生コンビ
例えば炎は、吉本興業所属の男性お笑いコンビです。
正式な結成日は2020年4月1日。NSC大阪43期のタキノルイと田上による2人組で、大阪のよしもと漫才劇場を中心に活動してきました。
2人は中学1年生の頃からの友人で、現在も舞台では同級生同士の会話を思わせる独特な距離感を見せています。
従来のボケとツッコミをきっちり分担する漫才とは異なり、予想外の言葉、話の脱線、即興的なやり取りを交えながら笑いを生み出すスタイルが特徴です。
主な実績は、2024年・2025年のM-1グランプリ準決勝進出、2025年の今宮戎マンザイ新人コンクール福笑い大賞、2026年の第55回NHK上方漫才コンテスト優勝です。
タキノルイと田上のプロフィール・年齢・出身地
吉本興業とM-1グランプリの公式プロフィールをもとに、2人の基本情報をまとめました。年齢は2026年10月31日時点です。
| 項目 | タキノルイ | 田上 |
|---|---|---|
| 読み方 | たきのるい | たのうえ |
| 立ち位置 | 向かって左 | 向かって右 |
| 生年月日 | 1995年10月8日 | 1995年5月3日 |
| 年齢 | 31歳 | 31歳 |
| 出身地 | 兵庫県 | 兵庫県伊丹市・宝塚市育ち |
| 身長 | 175cm | 180.69cm |
| 血液型 | B型 | O型 |
| NSC | 大阪43期 | 大阪43期 |
| 特技 | ゴルフ、バスケットボールなど | 水切り、だんまりくらべ |
田上の読み方は「たがみ」ではなく「たのうえ」です。また、身長180.69cmという細かな数値も吉本興業の公式プロフィールに記載されています。
2人とも1995年生まれで、田上の方が約5か月年上です。
タキノの出身地は公式プロフィールでは兵庫県までの表記ですが、本人取材では宝塚市で育ったことが語られています。
タキノルイは漫才のネタ作りを主導する人物
タキノルイは、主にネタ作りや漫才全体の構成を担当しています。
学生時代にはバスケットボールやゴルフに取り組み、高校ではゴルフ部の強豪校で練習を重ね、副キャプテンを務めたこともあるそうです。
芸人になる前はゴルフ関係の仕事も選択肢にありましたが、大学時代に出会ったある芸人の影響で、お笑いの世界に進むことを決めました。
舞台上ではツッコミ役に見える場面が多いものの、本人は大きなボケも担当するという意識を持っています。ネタの長さやツッコミの強さを調整し、観客の反応に合わせてやり取りを変えることもあります。
田上は独特な発言と自然体の掛け合いが特徴
田上は、タキノとは対照的な自然体の振る舞いが印象的なメンバーです。
高校・大学時代は芸人になることを具体的に考えていたわけではなく、進路に迷っていた時期にタキノのNSC入学を知り、自分もついていくことを決めました。
漫才では、タキノが作った流れに反応しながら小さなボケを重ねたり、突然別の話題に触れたりします。
また、田上は幼い頃から長年ピアノを習っており、その経験は後の音楽活動にもつながりました。2026年にはエッセイの執筆とピアニストとしての活動を始めています。
例えば炎の2人は中学時代からの同級生だった
例えば炎の結成秘話は、NSCへ入学するよりもずっと前にさかのぼります。
2人が知り合ったのは、兵庫県宝塚市の公立中学校。中学1年生のときに同じクラスとなり、席が前後だったことから仲良くなりました。
2025年のMARZELのインタビューでは、タキノが田上へ突然、好きなスパゲッティについて質問したことが、交流のきっかけとして語られています。
当時の田上は、宝塚へ引っ越してきたばかりで、まだ親しい友人がいませんでした。
一方のタキノは、すでに冗談を言って周囲を楽しませることが好きな生徒だったそうです。
中学2年生以降はクラスが別々になりましたが、家の方向が同じだったこと、ゲームや塾などの共通点があったことから交流が続きます。
高校と大学は別々の学校へ進みましたが、地元の友人としての関係は途切れませんでした。
中学時代から現在の漫才に通じる掛け合いがあった
面白いのは、田上が現在のタキノについて、中学時代から言動があまり変わっていないと語っていることです。
タキノは当時から先生へ予想外の質問を繰り返し、その返答をきっかけにさらに話を広げていたそうです。
また、中学時代の担任から、タキノは芸人に向いているのではないかと何度も言われていました。
現在の漫才にも、相手の反応を利用して話を横道へ広げたり、強引な理屈で会話を続けたりする場面があります。
つまり、例えば炎の漫才は、芸人になって突然作り出した関係性ではなく、中学時代から続く2人の会話の延長にもあると考えられます。
長い付き合いだからこそ、普通のコンビなら説明が必要なやり取りでも、自然なテンポで続けられるのでしょう。
なぜ2人で芸人になった?きっかけは大学時代の飲み会
例えば炎の2人が本格的に芸人を目指したのは、2018年のNSC入学を控えた頃です。
しかし、もともと2人が一緒にお笑いの道へ進むと約束していたわけではありません。
タキノを芸人志望へ導いた福田和真との出会い
2026年のマイナビニュースの本人インタビューによると、タキノが芸人を目指す直接のきっかけになったのは、大学3〜4年生の頃に働いていたコンビニの夜勤アルバイトでした。
そこで一緒に働いていたのが、松竹芸能に所属していた元「パンドラ」の福田和真です。
タキノは、それまで漫才や劇場にほとんど触れていませんでした。しかし、身近にいる福田が賞レースの予選や舞台に出演する姿を見て、芸人という仕事に憧れるようになります。
最初は福田に弟子入りをお願いしたものの、弟子ではなく養成所へ進むことを勧められました。
当初、タキノは松竹芸能の養成所へ入ろうと考えていました。ところが福田から、吉本興業の方が合っているのではないかと助言され、NSC大阪校を選びます。
もしアルバイト先で福田と出会っていなければ、タキノの進路は違っていたかもしれません。
飲み会でタキノが進路を発表すると、田上も同行を決意
NSCへの入学を決めたタキノは、地元の友人たちとの飲み会で芸人になることを発表しました。
すると、その場にいた田上が、自分も一緒に行こうと言い出したのです。
当時の田上は大学の単位が不足し、卒業までさらに長い時間が必要な状況でした。将来の進路にも迷いがあり、タキノが芸人を目指すと聞いて、自分も挑戦することを選びました。
タキノは、飲み会の勢いで決めただけではないかと心配になり、翌日あらためて田上の意思を確認しています。
しかし田上の気持ちは変わっておらず、2人でNSCの入学準備を進めることになりました。
こうして、中学時代からの友人2人が、同じお笑いの道を歩き始めます。
例えば炎はなぜNSCに2回入った?41期で卒業できず43期に再入学
例えば炎の経歴で、特に意外なのがNSCへの再入学です。
吉本興業の公式プロフィールでは2人とも「NSC大阪43期」と記載されていますが、実際にはその2年前、2018年にNSC大阪41期として入学していました。
最初の入学では出席日数が足りず、卒業認定を得られなかったため、2020年に入り直したのです。
2018年のNSC41期では出席日数が不足
最初にNSCへ入学した2018年、2人はまだ芸人としての生活に十分な意識を持てていなかったと振り返っています。
タキノは、お笑いへの興味自体は強くなっていったものの、授業に継続して出席できませんでした。
田上も、芸人になることで大学生活の悩みから抜け出したという意識があり、養成所へ通うことへの意欲が十分ではなかったと話しています。
さらに、出席不足を補うための1万字の反省文を提出する機会もありましたが、期限に間に合わず、受け取ってもらえませんでした。
こうして、2人はNSC41期として卒業することができなかったのです。
ただし、この時期もお笑いから完全に離れていたわけではありません。インディーズライブなどには出演しており、芸人として活動したいという気持ちは残っていました。
2020年に再入学|タキノがあえて厳しい道を選んだ
NSCを離れた後、2人はアルバイトをしながら、今後の活動を考えました。
そのままフリーの芸人として活動する道や、別の事務所へ進む選択肢もありました。
しかし、タキノが選んだのは、もう一度NSCに入学することでした。
2026年の本人インタビューでは、人生の大きな選択で、あえて厳しい方を選ぶことがあると説明しています。
田上は最初、以前の同期が先輩になってしまうことや、同じ養成所へもう一度通うことに抵抗を感じていたそうです。
それでもタキノについていくことを決め、2人は2020年にNSC大阪43期として再入学しました。
再入学した年は新型コロナウイルスの感染拡大と重なり、授業がオンラインになるなど、当初想定していた養成所生活とは異なる状況になりました。
それでも、1度目とは違って授業に取り組み、NSC43期を卒業。タキノは次の期の生徒を手伝うアシスタントにも選ばれています。
現在、公式プロフィールに記載されている「NSC大阪43期」は、この再入学後の経歴を表しています。
旧コンビ名は「エレガンス」「傀儡兄弟」だった
例えば炎という名前になる前、2人は「エレガンス」「傀儡兄弟(かいらいきょうだい)」という名前でも活動していました。
これは、別の相方と組んでいたという意味ではありません。
NSC41期時代には「エレガンス」と名乗り、インディーズライブには「傀儡兄弟」として出演することもあったと、本人たちが語っています。
エレガンスの名前は地元・宝塚のホテルに由来
2025年のMARZELの取材によると、「エレガンス」という名前は、地元の宝塚市にあったラブホテルから取ったものです。
現在のコンビ名とはかなり雰囲気が異なりますが、2人にとっては芸人を始めた頃の思い出が詰まった名前でもあります。
実際、2025年に開催した初単独ライブでは、エレガンスと傀儡兄弟、そして例えば炎の3つの名前を並べたタイトルを使用しました。
さらに、ラジオ関西の冠Podcast『例えば炎のあ、エレガンス』にも、旧コンビ名が取り入れられています。
過去の活動を消してしまうのではなく、現在の企画にも生かしているところが印象的です。
「例えば炎」という名前の由来は?
現在のコンビ名「例えば炎」は、タキノが考えたものです。
本人は過去の取材で、さらば青春の光のように、印象に残るインパクトのある名前にしたかったと説明しています。
一方、田上はコンビ名に強いこだわりがなく、タキノの考えた名前を受け入れたそうです。
「炎」という言葉の細かな意味や、「例えば」を選んだ具体的な理由までは、今回確認した本人の説明では明らかになっていません。
情熱や勢いを表す名前だと解釈することはできますが、それを本人が語った正式な命名理由として断定することは避けたいところです。
NSC卒業後も約1年半、劇場入りできなかった
2度目のNSCを卒業したことで、ようやく芸人として順調に活動できるようになったのでしょうか。
実際には、ここからさらに長い苦労が待っていました。
2026年の『anan』インタビューで、タキノはNSC卒業後、劇場へ出演するためのオーディションライブに約1年半通過できなかったことを明かしています。
NSC時代には一定の評価を受け、次の期のアシスタントにも選ばれたタキノ。しかし、一緒にアシスタントを担当していた芸人たちが次々と結果を残す中、例えば炎はなかなか勝ち上がれませんでした。
後輩が先にオーディションへ通過することもあり、自分たちだけが取り残されているような感覚になったそうです。
劇場入りを諦めかけ、東京へ行くことも考えた
当時、田上はタキノやほかの若手芸人たちとシェアハウスで生活していました。
周囲の芸人が劇場へ出演する一方、自分たちにはなかなか機会が巡ってきません。
田上は、今の状況がこの先もずっと続くのではないかと感じていたと振り返っています。
タキノも、次のオーディションで結果が出なければ、東京へ行くことを考えようと田上に話したことがありました。
しかし、アシスタントの仕事が終わった半年ほど後、ようやくオーディションライブで初勝利を挙げます。
その後、2022年10月頃によしもと漫才劇場のメンバー入りを果たしました。
最初のNSCを卒業できなかったこと、再入学したこと、卒業後も約1年半結果を出せなかったこと。例えば炎は、芸人として舞台に立つまでに何度も遠回りを経験していたのです。
2022年のM-1ネタ動画も注目され始めるきっかけに
2022年に劇場メンバーとなった頃、M-1グランプリの3回戦で披露したネタの動画が注目される出来事もありました。
田上は2026年の取材で、その頃から劇場での評価も変化していったと振り返っています。
ただし、動画の反響だけが劇場オーディション合格の直接的な原因だったというわけではありません。
長く続いたオーディションでの苦戦を乗り越え、同じ時期にM-1のネタにも反響が生まれたことで、少しずつ芸人として活動する場所が広がっていきました。
例えば炎の漫才は何が面白い?独特な掛け合いとネタ作り
例えば炎の漫才は、一般的なコント漫才の形を使いながら、どこか決まりきっていない会話のように進んでいきます。
身近な設定から始まったはずなのに、突然予想外の言葉が飛び出し、話が横道へそれる。そこへ強いツッコミが入ったと思えば、さらに別の方向へ展開していくこともあります。
先輩芸人から「ギリギリ素人」と評されたり、「令和のナメ漫才」と紹介されたりすることもありますが、本人たちは漫才の作り方について具体的な考えを持っています。
タキノは大きなボケとツッコミ、田上は小さなボケを担当
例えば炎を単純に分類するなら、タキノがツッコミ、田上がボケと紹介されることが多いでしょう。
しかし、タキノ自身は2025年のMARZELインタビューで、自分が大きなボケとツッコミを担当し、田上は小さなボケを担当するという考えを明かしています。
さらに田上は、舞台上で予想外の出来事が起きたとき、漫才の流れから一度離れて、その出来事に触れることもあると話しています。
つまり、2人はそれぞれの役割を完全に固定しているわけではありません。
タキノが漫才の大きな流れを作りながら自らもボケ、田上が自然な反応や小さな脱線を加える。そこに中学時代から続く友人関係が重なることで、独特な掛け合いが成立しています。
伏線を緻密に作り込むより、会話の脱線を大切にする
2025年の本人インタビューで、タキノは、基本的にはコント漫才を行うものの、伏線を緻密に作り込むスタイルをあまり好まないと説明しています。
あまりに作り込みすぎると、自分たちの普段のテンションと合わなくなるからです。
そのため、ネタに必要なさそうな言葉や、普通なら削ってしまいそうなやり取りも、あえて残すことがあります。
一方で、何も考えずに舞台へ出ているわけではありません。2026年の本人取材では、まず長めの台本を作り、そこから実際の掛け合いを通してネタを調整することも明かしています。
近年は医者や刑事、転校生といった、観客がすぐに理解できる題材も使うようになりました。
複雑な設定を説明する時間を減らすことで、その分、2人の言葉や反応を楽しめるようにする工夫です。
一見すると適当に見える会話を、漫才として成立させるための調整こそ、例えば炎の芸風を理解するポイントといえるでしょう。
M-1 2025の「焼肉屋」は約11分のネタから選ばれた
ネタ作りの特徴がよく分かるのが、M-1グランプリ2025の敗者復活戦で披露した「焼肉屋」です。
タキノによると、2025年のM-1に向けては5本ほどのネタを用意していました。
その中で「焼肉屋」を選んだのは、ほかの候補が先輩芸人のネタと題材が重なっていたことも理由の一つでした。
田上は、焼肉屋のネタには約11分の長いバージョンがあり、当初はM-1で選ぶとは考えていなかったと話しています。
しかし、実際には本番直前にこのネタを選択。結果として敗者復活戦で一度対戦に勝利しました。
田上は、重要な舞台の直前でもネタを変更できるようになったことを、自分たちの成長として受け止めています。
自由な発想と、その場の判断力。両方が例えば炎の漫才を支えているのです。
M-1グランプリの成績|2024年・2025年に2年連続準決勝進出
例えば炎が全国的に注目されるきっかけの一つになったのが、M-1グランプリです。
2024年に初めて準決勝へ進出し、翌2025年も準決勝へ到達。2年連続で敗者復活戦に出場しています。
| 年 | 成績 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 2024 | 準決勝進出 | 初の準決勝。敗者復活戦で時間超過が話題に |
| 2025 | 準決勝進出 | 2年連続。敗者復活戦で1対戦勝利 |
| 2026 | 3回戦進出 | 10月31日朝時点で準々決勝進出の可否は未発表 |
なお、2024年・2025年ともにM-1決勝へは進出していません。準決勝進出と決勝進出は区別する必要があります。
2024年|敗者復活戦で規定時間を大幅に超えた
2024年12月22日、例えば炎は初めてM-1グランプリの敗者復活戦に出場しました。
Cブロックに登場し、刑事を題材にした漫才コントを披露します。
ところが、ネタは規定の4分を大幅に超過。時間超過を知らせるアラームが鳴った後も漫才が続き、最後は爆発音の効果音で終了しました。
通常の賞レースでは、限られた時間内にネタを終えることが重要です。そのため、時間を大きく超えてもやり取りを続ける姿が、視聴者の強い印象に残りました。
結果は、スタミナパンとの対戦で39%対61%となり敗退しています。
ここで注意したいのは、時間超過と敗退の扱いです。
時間を超えたことは事実ですが、確認できる大会結果はスタミナパンとの投票による敗退です。単純に「時間超過で失格になった」と説明するのは正確ではありません。
一方、この敗者復活戦をきっかけに、例えば炎の型破りな漫才は広く知られるようになりました。
2025年|ひつじねいりに勝利、カナメストーンに敗退
2025年12月21日の敗者復活戦では、前年に続いて準決勝敗退組として出場しました。
例えば炎はBブロックに登場。焼肉屋を題材にした漫才を披露しました。
最初の対戦相手は、勝ち残っていたひつじねいりです。
観客投票では、例えば炎が58%、ひつじねいりが42%となり、例えば炎が勝利しました。
しかし、続くカナメストーンとの対戦では、例えば炎37%、カナメストーン63%となり敗退しています。
| 対戦 | 得票率 | 結果 |
|---|---|---|
| ひつじねいり戦 | 58%対42% | 例えば炎の勝利 |
| カナメストーン戦 | 37%対63% | 例えば炎の敗退 |
2024年は最初の対戦で敗れましたが、2025年は一度勝利を挙げたうえで敗退しました。
決勝進出には届かなかったものの、前年とは異なる結果を残しています。
2025年大会全体の決勝結果や敗者復活戦の仕組みについては、M-1グランプリ2025の結果まとめでも詳しく整理しています。
公式映像|M-1グランプリ2025敗者復活戦の漫才
例えば炎の漫才がどのようなものなのか、実際の映像でも確認できます。
以下は、M-1グランプリ公式YouTubeチャンネルが2026年1月31日に公開した、2025年敗者復活戦のネタです。
ネタの題材そのものは身近な焼肉屋ですが、そこから話がどのように脱線し、タキノと田上の掛け合いが広がっていくのかに注目すると、例えば炎の特徴が伝わりやすいでしょう。
なお、公式チャンネルでは権利上の都合などでネタの一部を編集する場合があると案内されています。
2025年の今宮戎マンザイ新人コンクールで福笑い大賞を受賞
M-1以外の賞レースでも、例えば炎は着実に結果を残してきました。
2024年と2025年には、芸歴5年目以内の若手芸人を対象とする「UNDER5 AWARD」で2年連続決勝へ進出しています。
2024年の優勝は清川雄司、2025年の優勝はあなたとネで、例えば炎は優勝には届きませんでした。
そして2025年7月、今宮戎マンザイ新人コンクールで「福笑い大賞」を受賞します。
この賞について、吉本興業のプロフィールには「第45回」と記載されていますが、主催者である今宮戎神社の2025年7月25日付の正式発表では「第43回マンザイ新人コンクール」と明記されています。
そのため、本記事では主催者の発表に合わせて「2025年・第43回マンザイ新人コンクール 福笑い大賞」と記載しています。
この受賞は、翌2026年のNHK上方漫才コンテスト優勝へと続く実績の一つとなりました。
2026年NHK上方漫才コンテスト優勝|豪快キャプテンとの決勝を制す
2026年3月20日、例えば炎は第55回NHK上方漫才コンテストで優勝しました。
NHK大阪放送局で開催されたこの大会には、最終予選を突破した若手芸人8組が本選に出場しました。
例えば炎にとっては初めての本選出場でしたが、堂々と決勝まで進み、優勝を果たしています。
Bブロックでは審査員7人中6票を獲得
本選はA・Bの2ブロックに分かれ、それぞれの勝者が最終決戦へ進む形式でした。
例えば炎はBブロックに出場し、7人の審査員のうち6人から支持を獲得。決勝進出を決めました。
この1本目のネタについては、当日の報道で「食べられるメガネ」と紹介する媒体と、「上京への憧れ」を題材にしたと説明する媒体があり、細かな内容の記述に違いがあります。
そのため、ここでは演目を一つに断定せず、Bブロックを6票で勝ち抜いたという確定結果を基準にしています。
決勝では医者と患者の漫才で5対2の勝利
最終決戦の相手は、Aブロックを勝ち抜いた豪快キャプテンでした。
豪快キャプテンは、例えば炎より先にM-1グランプリ決勝を経験している先輩コンビです。
例えば炎は医者と患者を題材にした漫才を披露。審査員7人による最終投票では、例えば炎が5票、豪快キャプテンが2票となりました。
こうして、例えば炎は初の本選出場で第55回NHK上方漫才コンテスト優勝を達成します。
優勝後、タキノは驚きと喜びを語り、田上も先輩の豪快キャプテンと決勝を戦えたことを喜んでいました。
また、審査員を務めたハイヒール・リンゴのコメントも、2人にとって印象的だったようです。
リンゴは、ネタの一つ一つがウケているかどうかだけではなく、舞台上にいる2人を見続けられる独特な魅力を評価しました。
タキノは、自分たちが目指してきた漫才の形を言葉にしてもらえたことがうれしかったと振り返っています。
この評価は、例えば炎の芸風を理解するうえでも重要です。
細かなボケを一つずつ積み重ねるだけではなく、2人の会話や舞台上の空気そのものを楽しませる。そんな漫才が、大きな賞レースでも評価されたのです。
2026年の上方漫才大賞では新人賞までわずか1点差
NHK上方漫才コンテスト優勝から間もない2026年4月7日、例えば炎は第61回上方漫才大賞の新人賞候補として出演しました。
この大会では、観客審査員100人による500点満点の採点が行われました。
新人賞候補は、ぐろう、三遊間、生姜猫、例えば炎、愛凛冴の5組です。
そして、この大会では珍しい集計トラブルが発生します。
ぐろうの得点が395点から398点に訂正された
トップバッターのぐろうは、当初395点と発表されていました。
しかし、例えば炎のネタが終わった後、集計システムの一部に不具合があったことが説明され、ぐろうの得点は398点へ訂正されます。
その直後に発表された、例えば炎の得点は397点でした。
訂正前の395点であれば上回っていましたが、正式得点の398点には1点届きませんでした。
| コンビ | 正式得点 | 結果 |
|---|---|---|
| ぐろう | 398点 | 新人賞受賞 |
| 例えば炎 | 397点 | 1点差で受賞を逃す |
結果として、新人賞を受賞したのはぐろうです。
例えば炎が一度受賞者として決定した後に取り消されたわけではありません。正式な集計結果で1点差となり、受賞には届かなかったというのが正確な経緯です。
それでも、NHK上方漫才コンテスト優勝に続き、別の大きな大会でも新人賞まであと1点という結果を残しました。
上方漫才協会大賞でも候補に選ばれていた
さらに2026年1月12日の第11回上方漫才協会大賞では、大賞候補47組の一つに選出され、新人賞候補6組にも入っていました。
ただし、この大会での新人賞受賞者は家族チャーハン、大賞受賞者はエバースです。
「上方漫才協会大賞」と「上方漫才大賞」は名前が似ていますが、別の賞レースです。
2026年の例えば炎は、上方漫才協会大賞で候補に選ばれ、NHK上方漫才コンテストで優勝し、上方漫才大賞では新人賞を1点差で逃した、という実績になります。
初単独ライブからなんばグランド花月へ|舞台活動も拡大
例えば炎は賞レースだけでなく、単独ライブにも力を入れています。
2025年3月16日、よしもと漫才劇場でコンビ初の単独ライブ『ワレワレハタトエバホノオダ』を開催しました。
正式な公演名には、過去の活動名である「エレガンス」「傀儡兄弟」と、現在の「例えば炎」が並べられています。
あたかも3組の芸人が出演するようなタイトルですが、実際には例えば炎の2人による初単独ライブです。
公演では漫才だけでなく、コントや映像なども取り入れ、これまでの活動を生かした内容を披露しました。
2025年には東京・大阪で単独ライブを開催
初単独ライブの成功後、2025年9月3日には東京初の単独ライブ『TATOEBA』を開催しました。
さらに同年9月29日には、大阪で『HONOO』を開催。東阪での単独公演へと活動を広げています。
いずれも、漫才だけでなく2人ならではの発想を生かした公演を展開していく過程に位置づけられます。
2026年にはなんばグランド花月で初単独『ひざる』を開催
2026年3月5日には、なんばグランド花月で初の単独ライブ『ひざる』を開催しました。
タキノにとって、なんばグランド花月で単独ライブを開くことは目標の一つだったそうです。
『ひざる』では、漫才とコントを交互に展開しながら、舞台装置や映像、演出を組み合わせた構成が取り入れられました。
ジャングルを思わせる舞台や、サルを使った演出、炎の演出なども登場し、単なるネタの発表会とは異なる内容になっています。
また、別々のネタに登場する人物や設定が後のコントにつながるような構成もあり、漫才とコントを一つのライブとして楽しませる工夫が見られました。
なお、2025年3月がコンビ初の単独ライブであり、2026年3月の『ひざる』はなんばグランド花月での初単独ライブです。この違いは押さえておきたいところです。
2026年現在の活動|Podcast・冠番組・田上のソロ活動
2026年現在、例えば炎は大阪を拠点とする劇場活動に加え、テレビ、ラジオ、Podcast、YouTubeなど幅広い場所で活動しています。
冠Podcast『例えば炎のあ、エレガンス』
2025年6月6日、ラジオ関西で冠Podcast『例えば炎のあ、エレガンス』がスタートしました。
当初は全12回の期間限定番組として始まりましたが、その後も配信が続き、2026年10月現在も毎週金曜23時頃に更新されています。
番組名には、旧コンビ名のエレガンスが使われています。
2人が地元・宝塚の思い出や普段の出来事を話す内容で、舞台とはまた違った同級生同士の関係を感じられる番組です。
2026年8月には宝塚市のソリオホールで番組イベントを開催。同年10月には、神戸で行われたラジオ関西まつりで公開収録も実施しました。
また、stand.fmでは『例えば炎の沼沼沼沼』も配信されています。こちらは2026年1月から吉本興業の若手芸人による音声番組企画『スタメンっ!!!』の火曜日担当として展開されています。
本人たちのYouTubeチャンネル『例えば炎研究所』では、企画動画やラジオ形式の配信、単独ライブに関する動画なども公開されています。
2025年には初の冠特番『例えば炎の例えばテレビ』を放送
2025年にはTBSチャンネル1で初の冠特番『例えば炎の例えばテレビ』が制作されました。
番組では、例えば炎が自分たちの発想でテレビ番組を作るとどうなるのか、というコンセプトの企画に挑戦しています。
ただし、2026年10月31日時点でTBSチャンネルの番組ページには新たな放送予定が掲載されていません。
そのため、現在も放送中のレギュラー番組ではなく、過去に制作された冠特番として紹介するのが正確です。
田上はエッセイとピアノでも活動
2026年4月、吉本興業は田上のソロプロジェクト始動を発表しました。
一つはエッセイの執筆です。
FANY Storyでは、田上によるエッセイ『それでも、はじめない』が公開されています。
もう一つは音楽活動。幼い頃から長年続けてきたピアノの経験を生かし、「zeRo~ピザ釜~」名義で楽曲制作を始めました。
2026年4月29日には楽曲『朝日』を配信しています。
さらに同年10月のラジオ関西まつりでは、新曲『スクワット』を生演奏したことも番組内で紹介されています。
漫才で見せる独特な言葉の感覚が、文章や音楽ではどのように表れるのか。こちらも注目したい活動です。
M-1グランプリ2026とNHK新人お笑い大賞の最新状況
2026年10月31日朝の時点では、例えば炎は新たな賞レースにも挑戦しています。
M-1グランプリ2026は3回戦へ進出
2026年のM-1グランプリでは、10月29日の大阪3回戦に出場しました。
ただし、10月31日朝時点では、大阪3回戦の準々決勝進出者について公式の最終発表を確認できていません。
そのため、2026年の成績は現時点で「3回戦進出」までを確認済みとしています。
2024年・2025年に続いて3年連続で準決勝へ進めるかどうかは、今後の公式結果によって決まります。
大会全体の予選日程や結果、出場条件については、M-1グランプリ2026の日程・結果まとめでも紹介しています。
11月1日のNHK新人お笑い大賞にも本選出場
2026年11月1日にNHK総合で生放送される『NHK新人お笑い大賞2026』でも、例えば炎は本選出場8組に選ばれています。
Aブロックの2番手として登場する予定です。
| 出番 | Aブロック出場者 |
|---|---|
| 1 | ナチョス。 |
| 2 | 例えば炎 |
| 3 | ぎょねこ |
| 4 | 豪快キャプテン |
本選の放送予定は11月1日16時からです。
2026年3月に優勝したNHK上方漫才コンテストとは別の大会であり、こちらの最終結果はまだ発表されていません。
同じ2026年にNHKの主要なお笑い賞レース2大会へ進出したことになりますが、2冠達成が決まったわけではない点には注意が必要です。
例えば炎についてよくある疑問
例えば炎の2人は本当に中学の同級生?
はい。兵庫県宝塚市の公立中学校で、中学1年生のときに同じクラスになっています。
席が前後だったことをきっかけに仲良くなり、その後も地元の友人として交流が続きました。
高校や大学は別々でしたが、2018年に2人でNSCへ入学し、現在も同じコンビで活動しています。
なぜNSC41期ではなく43期として紹介されるの?
2018年にNSC大阪41期として入学したものの、出席日数不足で卒業できず、2020年に43期として再入学したためです。
吉本興業の公式プロフィールでは43期とされていますが、2018年の初入学も本人たちが認めている経歴です。
NSC41期を卒業したという意味ではありません。
例えば炎はM-1で失格になったことがある?
2024年のM-1敗者復活戦で、規定の4分を大幅に超える漫才を披露したことは事実です。
しかし、確認できる大会結果はスタミナパンとの対戦投票による敗退です。
時間超過と正式な失格処分は別のため、単に「タイムオーバーで失格」とする説明は避けるべきでしょう。
漫才のネタは誰が考えている?
基本的にはタキノルイがネタ作りと構成を主導しています。
ただし、田上も実際の掛け合いや反応を通して内容に関わっており、舞台上では予想外の発言や即興的な脱線も生まれます。
タキノがすべてを一方的に決めているというより、タキノが作った流れを2人で舞台上の漫才へと仕上げている関係です。
2026年に優勝した賞レースは何?
2026年3月20日の第55回NHK上方漫才コンテストです。
初の本選出場で優勝し、決勝では豪快キャプテンに5対2の審査員投票で勝利しました。
一方、同年4月の第61回上方漫才大賞では新人賞候補となり、397点を獲得しましたが、398点のぐろうに1点届かず、受賞はしていません。
例えば炎は現在も活動している?
はい。2026年10月現在も、吉本興業所属のお笑いコンビとして活動しています。
劇場での漫才やライブに加えて、M-1グランプリ、NHK新人お笑い大賞、Podcast、YouTubeなどに出演・参加しています。
田上はエッセイや音楽活動にも取り組んでおり、コンビ以外の活動も広がっています。
まとめ|NSC再入学からNHK優勝まで、例えば炎が歩んだ道
例えば炎は、タキノルイと田上による、2020年4月1日結成のお笑いコンビです。
2人が出会ったのは中学1年生のとき。地元・宝塚で友人として過ごしてきた関係が、大学時代の飲み会をきっかけに、芸人としてのコンビ関係へ変わりました。
しかし、最初のNSC41期では卒業できず、43期へ再入学。卒業後も約1年半、劇場のオーディションに苦戦しました。
それでも活動を続け、2022年に劇場メンバー入り。2024年と2025年にはM-1グランプリ準決勝へ進出し、2026年にはNHK上方漫才コンテスト優勝を果たします。
漫才の特徴は、身近な設定から生まれる予想外の言葉や脱線、そして中学時代から続く2人の自然な掛け合いです。
一見すると何気ない会話のようで、ネタの題材や長さ、ツッコミの強さを調整しながら、自分たちらしい笑いを追求しています。
NSCへの再入学、劇場入りまでの遠回り、M-1での型破りな漫才、そしてNHK優勝。例えば炎の魅力は、長年の友人関係をそのまま生かしながら、独自の笑いを磨き続けてきたことにあります。
2人が次にどんな題材から思いがけない漫才を生み出すのか。今後の劇場や賞レースでも、その自由な掛け合いに注目したいところです。