- ドリームキャストは本当に負ける運命だったのか
- ドリームキャストが抱えていた最大の問題とは
- 実はドリームキャストは未来を先取りしていた
- プレイステーション2はゲーム機ではなく家電だった
- シェンムーという夢は、ドリームキャスト最大の賭けだった
- セガを救えたかもしれない“たった一手”は何だったのか
- もしドリームキャストが勝っていたら、日本のゲーム業界はどう変わったのか
- セガは今もハードメーカーだったかもしれない
- セガの次世代機は“オンライン特化ハード”になっていた可能性がある
- PSOはモンハンより先に“国民的協力ゲーム”になっていたかもしれない
- 龍が如くは“セガハードの看板タイトル”になっていたかもしれない
- シェンムーと龍が如くは同じハードで並んでいたかもしれない
- ソニックはマリオの対抗軸として、もっと強く残っていたかもしれない
- アーケード文化はもう少し長く残ったかもしれない
- Xboxの日本展開はまったく違うものになっていたかもしれない
- 任天堂の進化も変わっていた可能性がある
- 日本のゲーム業界はもっと“濃い”ままだったかもしれない
- Xboxの運命も変わっていたかもしれない
- それでもドリームキャストが勝つのは簡単ではなかった
- まとめ|ドリームキャストは負けたのではなく早すぎたのかもしれない
ドリームキャストは本当に負ける運命だったのか

1998年11月27日。
セガ最後の家庭用ゲーム機となったドリームキャストが発売されました。
当時を知るゲーマーなら覚えているかもしれません。
透明なビジュアルメモリ。
アーケードそのままの美しいグラフィック。
標準搭載されたモデム。
未来を感じさせるオンライン機能。
発売当初のドリームキャストには、確かに夢がありました。
『ソニックアドベンチャー』。
『バーチャファイター3tb』。
『シェンムー』。
『クレイジータクシー』。
『ファンタシースターオンライン』。
今でも語り継がれる名作が次々と登場し、多くのゲーマーを魅了しました。
しかし結果は誰もが知る通りです。
2001年、セガは家庭用ゲーム機事業から撤退。
ドリームキャストはセガ最後のゲームハードとなりました。
歴史だけを見れば、
「プレイステーション2に負けたハード」
という一言で終わってしまいます。
ですが本当にそうでしょうか。
もし歴史のどこかで、たったひとつだけ歯車が違っていたら。
もしセガが、ある一手を打てていたら。
ドリームキャストは勝てたのでしょうか。
そして勝っていたとしたら、日本のゲーム業界はどう変わっていたのでしょうか。
この記事では、単なる懐古ではなく、当時の市場環境や技術的背景を踏まえながら、
「ドリームキャストが勝つ可能性は本当に存在したのか」
を考察していきます。
まず最初に結論を言うと、
私は、
ドリームキャストが勝つ可能性はゼロではなかった
と考えています。
ただし、それには絶対に必要だった“たった一手”がありました。
ドリームキャストが抱えていた最大の問題とは
ドリームキャストを振り返るとき、多くの人は性能やゲームソフトの話をします。
しかし、セガが本当に苦しんでいたのは別の部分でした。
それは「信頼」です。
ドリームキャスト発売前、セガはすでに厳しい状況に置かれていました。
メガドライブの後継機として登場したセガサターンは、日本では健闘したものの世界市場では苦戦。
さらにその前にはメガCDや32Xといった周辺機器戦略もありました。
熱心なセガファンは支えていましたが、一方で一般ユーザーには、
「セガのハードはいつまで続くかわからない」
という不安も生まれていました。
これはゲーム機にとって致命的です。
ゲーム機は本体だけでは成立しません。
ソフトメーカーが参入し、ユーザーが購入し、長く市場が続くという信頼が必要です。
その意味で、ドリームキャストは発売された瞬間から過去のセガの歴史も背負っていました。
性能だけで勝負できる状況ではなかったのです。
実はドリームキャストは未来を先取りしていた
今の感覚で見ると驚くかもしれません。
ドリームキャストは1998年発売でありながら、後のゲーム業界の常識になる機能を数多く備えていました。
代表的なのが標準モデムです。
当時の家庭用ゲーム機で、インターネット接続をここまで重視したハードはほとんどありませんでした。
メールの送受信。
ネット閲覧。
オンライン対戦。
ダウンロードコンテンツ。
今では当たり前ですが、当時としてはかなり先進的な発想です。
特に2000年にサービス開始された『ファンタシースターオンライン』は、家庭用ゲーム機による本格オンラインRPGの先駆けとして知られています。
現在のMMORPGやオンラインゲーム文化を考えると、セガは時代を数年先取りしていたと言っても過言ではありません。
しかし皮肉なことに、未来を先取りしすぎたことが弱点にもなりました。
1998年当時、多くの家庭はまだ常時接続環境を持っていませんでした。
インターネットそのものが、まだ一部の人の趣味だった時代です。
セガが見ていた未来に、市場が追いついていなかったのです。
プレイステーション2はゲーム機ではなく家電だった
ドリームキャストを語る上で避けて通れないのがプレイステーション2です。
2000年3月に発売されたPS2は、単なるゲーム機ではありませんでした。
最大の武器はDVD再生機能です。
当時、DVDプレイヤーはまだ高価でした。
しかしPS2ならゲームも遊べる。
さらにDVD映画も見られる。
多くの家庭にとって、
「ゲーム機を買う」
ではなく
「DVDプレイヤーを買う」
という感覚で購入することもできました。
これはドリームキャストにはない強みでした。
ゲーマーだけを相手にするなら性能やソフトで勝負できます。
しかしPS2は、ゲームに興味が薄い層まで取り込んでしまったのです。
後から振り返ると、勝負の土俵そのものが違っていました。
セガが戦っていたのはゲーム機市場でした。
ソニーが戦っていたのは家庭のリビングでした。
シェンムーという夢は、ドリームキャスト最大の賭けだった
ドリームキャストを語るうえで、どうしても外せない作品があります。
それが『シェンムー』です。
『シェンムー』は、セガの技術力と理想を象徴するような作品でした。
街を歩き、人と会話し、時間が流れ、天候が変わり、生活感のある世界を探索する。
今でこそオープンワールド的なゲーム体験は珍しくありませんが、当時の家庭用ゲーム機であれほど“そこに生活がある世界”を作ろうとしたこと自体が、かなり挑戦的でした。
だからこそ『シェンムー』は、ドリームキャストの夢そのものだったと思います。
セガは、単に高性能なゲーム機を売りたかったのではありません。
これからのゲームはここまで進化する。
家庭用ゲーム機でも、ここまで大きな世界を描ける。
ドリームキャストには、まだ誰も見たことのない未来がある。
『シェンムー』は、そのメッセージを最も強く伝えるタイトルでした。
しかし同時に、『シェンムー』は非常に大きな賭けでもありました。
開発規模の大きさは当時から話題になり、巨額の開発費が投じられた作品として語られてきました。
もちろん、正確な金額については資料や語られ方によって幅があります。
ただ、少なくとも『シェンムー』が当時のセガにとって非常に大きなプロジェクトだったことは間違いありません。
問題は、ドリームキャスト本体の普及台数がまだ十分ではない段階で、これほど大きな作品を投入しなければならなかったことです。
どれほど完成度が高くても、どれほど未来を感じさせても、ハードの普及台数が限られていれば回収できる市場も限られます。
ここに、ドリームキャストの苦しさがありました。
『シェンムー』はセガの夢だった。
けれど、その夢はセガの体力を削る賭けでもあった。
この二面性こそ、ドリームキャストというハードの運命を象徴しているように思います。
セガを救えたかもしれない“たった一手”は何だったのか
では、ドリームキャストが勝つ可能性を作るための“たった一手”は何だったのでしょうか。
単純に考えれば、答えはDVD再生機能です。
プレイステーション2が強かった理由のひとつは、ゲーム機でありながらDVDプレイヤーとしても使えたことでした。
当時の家庭にとって、これは非常に大きな魅力でした。
ゲームを遊ばない家族にも、
「DVDが見られるなら買ってもいい」
と思わせる力があったのです。
しかし、ドリームキャストにDVDを載せれば勝てたのかというと、話はそこまで簡単ではありません。
DVDドライブを搭載すれば、本体価格は上がります。
開発や製造のコストも増えます。
すでに体力を失いつつあったセガにとって、ただDVDを追加するだけでは危険な賭けになった可能性もあります。
だから私は、セガを救えたかもしれない一手は、もう少し具体的にこう考えます。
『シェンムー』級の超大型投資を一度抑え、その資金と注目を、DVD対応モデルの準備とサードパーティ誘致に回すこと。
つまり、
「夢の大作でハードを引っ張る」のではなく、
「ハードを長く戦える形に整えてから、大作を出す」
という選択です。
これはかなり苦しい判断です。
なぜなら『シェンムー』は、セガらしさそのものだったからです。
挑戦するセガ。
未来を先取りするセガ。
誰もやっていないことをやるセガ。
その魅力を最も強く示したのが『シェンムー』でした。
けれど、ハード戦争で勝つには、夢だけでは足りません。
本体が家庭に入る理由。
サードパーティが参入する安心感。
ユーザーが数年先まで遊べると思える信頼。
そして、PS2に対抗できるリビング家電としての説得力。
この土台がなければ、どれほどすごいゲームを出しても市場全体は動きにくい。
ドリームキャストが本当に勝つ可能性を作るなら、必要だったのは一本の伝説的タイトルではなく、ハード全体の寿命を延ばす戦略だったのだと思います。
もしセガが『シェンムー』をもう少し小さく作るか、分割するか、あるいは投入タイミングを遅らせていたら。
そのぶんの経営資源を、DVD対応、広告、サードパーティ誘致、オンラインサービス整備に回せていたら。
ドリームキャストは、PS2発売前にもう少し強い市場を作れていたかもしれません。
もちろん、それでも勝利が確定したわけではありません。
PS2のブランド力は圧倒的でした。
初代プレイステーションの成功によって、ソニーにはすでに大きなユーザー基盤とサードパーティの支持がありました。
だからドリームキャストが逆転するのは簡単ではありません。
それでも、
「セガがシェンムーという夢に全力を注ぐ前に、ハードが生き残るための土台を優先していたら」
というIFには、かなり大きな意味があります。
ドリームキャストの敗北は、単にPS2にDVDがあったからではない。
セガが未来を見せることに成功しながら、その未来を支えるだけの時間と体力を残せなかったこと。
そこにこそ、最大の分岐点があったのではないでしょうか。
もしドリームキャストが勝っていたら、日本のゲーム業界はどう変わったのか
ここからは、かなり大胆なIF考察です。
もちろん、実際の歴史ではドリームキャストは敗れ、セガは家庭用ゲーム機事業から撤退しました。
しかし、もしセガが踏みとどまり、ドリームキャストがPS2に対抗できるだけの市場を作れていたら。
日本のゲーム業界は、今とはまったく違う形になっていたかもしれません。
単に「セガがもう1台ハードを出していた」という話ではありません。
任天堂、ソニー、マイクロソフト、アーケード、オンラインゲーム、そしてセガ自身の代表作。
その後のゲーム史全体が、かなり違う方向へ進んでいた可能性があります。
セガは今もハードメーカーだったかもしれない
まず一番大きいのは、セガがハードメーカーとして残っていた可能性です。
もしドリームキャストが一定の成功を収めていれば、セガは2001年にハード事業から撤退せず、次世代機の開発へ進んでいたかもしれません。
そうなれば、2000年代以降の家庭用ゲーム機市場は、
任天堂
ソニー
マイクロソフト
セガ
という4社体制になっていた可能性があります。
これはかなり大きいです。
現実の歴史では、セガが抜けたことで、家庭用ゲーム機の主役はソニー、任天堂、そして後に参入したマイクロソフトへ移っていきました。
しかしセガが残っていた世界では、日本のゲーム市場にもうひとつ大きな選択肢が存在していたことになります。
アーケードに強いセガ。
オンラインに早くから目を向けていたセガ。
ソニックやバーチャファイター、サクラ大戦、シェンムー、ファンタシースターを抱えるセガ。
そのセガがハードを持ち続けていたら、家庭用ゲーム機の競争はもっと混沌としていたはずです。
良くも悪くも、今よりクセの強いゲーム業界になっていたかもしれません。
セガの次世代機は“オンライン特化ハード”になっていた可能性がある
ドリームキャストが勝っていた世界で、セガが次に出すハードはどんなものだったのでしょうか。
おそらく、単なる高性能機にはならなかったと思います。
ドリームキャストの最大の特徴は、標準モデムを搭載し、家庭用ゲーム機でネットワークを重視したことでした。
つまりセガは、すでに「ゲーム機はネットにつながるものになる」という未来を見ていたわけです。
もしその路線が成功していたら、セガの次世代機はもっとオンライン寄りになっていた可能性があります。
フレンド機能。
オンラインランキング。
ボイスチャット。
ダウンロードコンテンツ。
オンライン協力プレイ。
ゲーム内イベント。
こうした仕組みが、もっと早く日本の家庭用ゲーム機に根付いていたかもしれません。
現実には、家庭用ゲーム機でオンラインが本格的に広がるまでには時間がかかりました。
しかし、ドリームキャストが勝っていた世界では、2000年代前半から「ゲーム機はネットにつないで遊ぶもの」という意識がもっと早く定着していた可能性があります。
セガは、単にハード戦争に勝つだけではなく、オンライン時代の入口を日本で先に作っていたかもしれません。
PSOはモンハンより先に“国民的協力ゲーム”になっていたかもしれない
このIFで一番面白いのは、『ファンタシースターオンライン』の立ち位置です。
『ファンタシースターオンライン』は、2000年12月にドリームキャストで発売された家庭用ゲーム機初の本格オンラインRPGとして知られています。
当時、家庭でネットにつないで他人と協力プレイをするという体験は、まだかなり新しかった。
それでもPSOは、遠く離れたプレイヤーと一緒に冒険する楽しさを、多くの人に見せました。
問題は、時代が少し早すぎたことです。
ネット環境は今ほど整っていません。
常時接続も一般的ではありません。
オンラインプレイそのものが、まだ一部の人のものという空気もありました。
しかし、もしドリームキャストが勝ち、セガのオンライン戦略がさらに広がっていたらどうでしょうか。
PSOは、もっと大きなシリーズになっていた可能性があります。
現実の歴史では、日本の協力プレイ文化を大きく広げた作品として『モンスターハンター』シリーズが存在感を持ちました。
しかし別の世界線では、その役割をPSOが先に担っていたかもしれません。
学校で、
「昨日レア武器出た?」
「今夜潜る?」
「あのボス倒しに行こう」
そんな会話がもっと早く広がっていた可能性があります。
もしPSOがドリームキャストの成功とともに国民的協力ゲームになっていたら、日本のオンラインRPG文化はまったく違う形で育っていたはずです。
モンハン以前に、セガが“みんなで狩る”“みんなで潜る”文化を作っていた。
これはかなり大きな分岐です。
龍が如くは“セガハードの看板タイトル”になっていたかもしれない
さらに面白いのが『龍が如く』です。
現実の『龍が如く』第1作は、2005年にプレイステーション2用ソフトとして発売されました。
つまり、セガがハード事業から撤退したあとに生まれた代表作です。
しかし、もしセガがハードメーカーとして残っていたらどうなっていたでしょうか。
『龍が如く』は、セガの自社ハードを代表する独占タイトルとして登場していた可能性があります。
これはかなり熱いIFです。
任天堂にはマリオやゼルダがある。
ソニーには『グランツーリスモ』や多数のサード作品がある。
マイクロソフトには『Halo』がある。
その中でセガは、
ソニック
バーチャファイター
ファンタシースター
シェンムー
そして龍が如く
を抱えるハードメーカーになっていたかもしれない。
特に『龍が如く』は、セガの持つ“街を作る力”と非常に相性が良い作品です。
『シェンムー』で目指した生活感のある街。
その思想は、形を変えて『龍が如く』の神室町にもつながっているように見えます。
もしセガハードが続いていたら、『龍が如く』は単なる人気シリーズではなく、
「セガハードを買う理由」
になっていた可能性があります。
今で言えば、任天堂ハードにおけるゼルダやマリオのように、
「あの新作が出るならセガのハードを買う」
と言わせるタイトルになっていたかもしれません。
シェンムーと龍が如くは同じハードで並んでいたかもしれない
さらに暴れるなら、ここです。
もしセガがハードを続けていたら、
『シェンムー』と『龍が如く』が、同じセガハードの中で並び立つ世界もあり得ました。
これはかなり夢があります。
『シェンムー』は、現実の街のような空気、時間の流れ、人との会話、生活感を描こうとした作品でした。
『龍が如く』は、歓楽街を舞台に、濃密なドラマと遊びの密度を詰め込んだ作品です。
方向性は違います。
でも、どちらも「街を歩くゲーム」です。
セガがハードメーカーとして残っていた世界では、
リアルな街を描く『シェンムー』
濃密な歓楽街エンタメを描く『龍が如く』
という二枚看板が成立していた可能性があります。
もしそうなっていたら、セガは“街を作るゲームメーカー”として、今以上に独自のブランドを確立していたかもしれません。
これは、かなり見てみたかった未来です。
ソニックはマリオの対抗軸として、もっと強く残っていたかもしれない
セガがハードから撤退したことで、ソニックの立場も変わりました。
もちろん、ソニックは今でも世界的な人気キャラクターです。
映画化もされ、ゲームシリーズも続いています。
ただ、かつてのソニックは単なる人気キャラではありませんでした。
任天堂のマリオに対抗する、セガの象徴でした。
セガハードが残っていた世界では、この構図がもっと長く続いていた可能性があります。
任天堂にはマリオがいる。
セガにはソニックがいる。
このライバル関係が、2000年代以降もハードごと続いていたかもしれません。
もしそうなっていたら、ソニックシリーズの開発方針も違っていた可能性があります。
マルチプラットフォーム向けのシリーズではなく、セガハードの性能や機能を見せる看板タイトルとして作られていたかもしれない。
ドリームキャストの『ソニックアドベンチャー』がそうだったように、新しいセガハードが出るたびに、
「次のソニックで何を見せるのか」
が注目される世界。
それは、今とは少し違うソニックの未来だったと思います。
アーケード文化はもう少し長く残ったかもしれない
セガが勝っていた世界で、もうひとつ大きく変わる可能性があるのがアーケード文化です。
セガは家庭用ゲーム機だけの会社ではありません。
ゲームセンター、アーケード筐体、体感ゲーム、大型筐体。
そうした分野で非常に強い存在感を持っていました。
ドリームキャストも、アーケードゲームとの親和性が高いハードでした。
もしセガが家庭用ハードを続けていたら、アーケードと家庭用の連携はもっと強くなっていた可能性があります。
ゲームセンターで遊ぶ。
家に帰って続きを遊ぶ。
ネットワークでランキングを共有する。
アーケードのデータを家庭用に持ち帰る。
家庭用で練習して、またゲームセンターへ行く。
今なら珍しくない考え方ですが、セガならもっと早くやっていたかもしれません。
もしそうなっていたら、ゲームセンター文化は今より少し違う形で延命していた可能性があります。
もちろん、スマホゲームや家庭用オンラインの普及という大きな流れを止めるのは難しかったでしょう。
それでも、セガがハードメーカーとして残っていたら、アーケードと家庭用をつなぐ独自の生態系が作られていたかもしれません。
Xboxの日本展開はまったく違うものになっていたかもしれない
ドリームキャストが勝っていた世界では、Xboxの運命も変わっていた可能性があります。
現実のXboxは、2001年に登場しました。
マイクロソフトは家庭用ゲーム機市場に参入し、オンラインサービスにも力を入れていきます。
しかし日本市場では、Xboxはなかなか大きな存在感を持てませんでした。
では、もしセガがハードメーカーとして残っていたらどうなっていたのか。
ひとつの可能性として、マイクロソフトが日本で単独ハードを出すよりも、セガとの連携をさらに深める未来があり得ます。
セガは日本のゲーム文化を知っている。
マイクロソフトはOS、ネットワーク、開発環境に強い。
両者が本格的に組めば、かなり面白いハードが生まれていたかもしれません。
極端に言えば、
「Xbox」ではなく、
「セガとマイクロソフトの共同ハード」
のようなものが日本で展開されていた可能性すらあります。
もちろん、これは完全なIFです。
しかし、ドリームキャストが早くからネットワークを重視していたことを考えると、マイクロソフトとの相性は決して悪くありません。
セガが生き残っていたら、Xboxの日本での失敗の形も、あるいは成功の形も、かなり違っていたはずです。
任天堂の進化も変わっていた可能性がある
ドリームキャストが勝っていた場合、影響を受けるのはソニーやマイクロソフトだけではありません。
任天堂の歩みも変わっていた可能性があります。
現実の任天堂は、ゲームキューブで苦戦したあと、ニンテンドーDSやWiiで独自路線を大きく打ち出しました。
高性能競争から少し距離を取り、遊び方そのものを変える方向へ進んだわけです。
しかし、もしセガがハードメーカーとして残り、PS2、ゲームキューブ、Xbox、セガ次世代機が並び立つ市場になっていたら。
任天堂は、さらに早く独自路線へ振り切っていたかもしれません。
性能競争に巻き込まれるよりも、
携帯機。
タッチ操作。
体感操作。
家族向け。
直感的な遊び。
そうした方向へ進む判断が、もっと早まった可能性があります。
つまり、ドリームキャストが勝っていた世界では、任天堂が後に選ぶ“任天堂らしい独自路線”も、少し違うタイミングで生まれていたかもしれないのです。
日本のゲーム業界はもっと“濃い”ままだったかもしれない
ここまで考えると、ドリームキャストの勝利は、単にセガの勝利ではありません。
日本のゲーム業界全体を、もっと濃い方向へ引っ張っていた可能性があります。
セガが残る。
アーケード文化が残る。
オンライン協力プレイが早まる。
ソニックがハードの象徴であり続ける。
PSOが国民的オンラインゲームになる。
龍が如くがセガハードの看板になる。
シェンムーと龍が如くが同じ土俵に並ぶ。
Xboxはセガと組むかもしれない。
任天堂はさらに独自路線へ進むかもしれない。
かなり滅茶苦茶です。
でも、想像すると妙にワクワクします。
なぜなら、ドリームキャストには本当にそう思わせるだけの可能性があったからです。
負けたハードなのに、今でも語られる。
売れなかったのに、忘れられない。
それはドリームキャストが、ただの失敗ではなく、別の未来の入口に見えるからなのだと思います。
もしドリームキャストが勝っていたら、日本のゲーム業界は今より便利だったかはわかりません。
今より洗練されていたかもわかりません。
でも、今よりずっとセガらしく、クセが強く、少し危なっかしく、妙に熱い世界になっていた可能性はあります。
そして正直なところ、そんなゲーム業界も少し見てみたかった気がします。
Xboxの運命も変わっていたかもしれない
面白いのはここです。
2001年に登場したXboxは、日本市場では苦戦しました。
しかし、もしセガがハード事業を続けていた場合、マイクロソフトとの関係は現在とは違ったものになっていた可能性があります。
実際、当時はセガとマイクロソフトの提携も話題になりました。
ネットワーク技術に強いマイクロソフトと、ゲーム開発力を持つセガ。
もし両者の協力関係がさらに深まっていたら、日本市場におけるXboxの立場も変わっていたかもしれません。
もちろんこれは完全な仮説です。
しかし、ドリームキャストの敗北はセガだけでなく、その後のゲーム業界全体に影響を与えた出来事だったのです。
それでもドリームキャストが勝つのは簡単ではなかった
ここまで読んで、
「やはり勝てたのでは?」
と思った人もいるかもしれません。
しかし現実はそこまで甘くありません。
PS2にはDVDだけではない強みがありました。
プレイステーションブランドの圧倒的な知名度。
サードパーティの支持。
スクウェアやエニックスをはじめとする人気メーカーの存在。
そして世界市場での勢い。
これらを考えると、たとえセガが最善手を打ったとしても、勝利は簡単ではなかったでしょう。
ドリームキャストが敗れたのは偶然ではありません。
ただし、
「最初から勝負にならなかった」
とも思いません。
ほんの少し歴史が違っていたら。
あと一手だけ違っていたら。
そう考えさせる魅力が、ドリームキャストにはあります。
ドリームキャストが描いた未来は本当に早すぎたのか。CONTINUE Vol.88では、セガ最後のゲーム機を多角的に特集。当時を知る人はもちろん、今だからこそ読みたい一冊です。
価格・在庫・仕様や版の違いなどは変動します。購入の際は各ショップの商品ページで最新情報をご確認ください。
まとめ|ドリームキャストは負けたのではなく早すぎたのかもしれない
ドリームキャストはセガ最後の家庭用ゲーム機となりました。
歴史だけ見れば敗者です。
しかし、その中身を見ると評価は変わります。
オンライン機能。
ネットワークサービス。
家庭用オンラインRPG。
アーケードとの連携。
どれも現在のゲーム業界につながる要素ばかりです。
ドリームキャストは未来を見ていました。
ただ、その未来に市場が追いつく前に力尽きてしまったのです。
もしDVD再生機能を搭載し、オンライン戦略をさらに強く押し出していたら。
もしセガがあと少しだけ時間を稼げていたら。
もし歴史の歯車がほんの少し違っていたら。
ドリームキャストは「最後のセガハード」ではなく、「ゲーム業界を変えた伝説の勝者」になっていたのかもしれません。
だからこそ今でも多くのゲーマーが考えてしまうのです。
ドリームキャストは、本当に負けるしかなかったのだろうかと。