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1時間はなぜ100分ではなく「60分」?約5000年前につながる数え方がスマホの時計に残る理由

1時間はなぜ60分?100分ではない理由と60進法・時計の歴史

1時間はなぜ60分なのかを、古代メソポタミアの粘土板・アナログ時計・現代のスマートフォンで表したイラスト

スマートフォンの時計を眺めると当たり前のように「21:37」や「08:59」と表示されています。

ところが、考えてみると妙な仕組みです。

長さなら100cmで1m。日本のお金もかつては100銭で1円。10進法に慣れた現代人からすると、1時間を100分にした方が計算しやすそうにも見えます。

それなのに時間は、59分の次が「60分」ではなく次の1時間になり、59秒の次は00秒へ戻ります。

なぜ1時間は100分ではなく60分なのでしょうか。

先に結論を言うと、遠い源流には古代メソポタミアの「60」を使う数体系があります。ただし、約5000年前の人々が現在の「1時間=60分、1分=60秒」を完成させ、それがそのまま現代まで残ったわけではありません。

「60で細かく分ける数学」と、「1日を24時間に分ける考え方」には別々の歴史があります。そこへ天文学、中世の機械時計、近代の時間制度が重なって、現在の24時間×60分×60秒へたどり着きました。

しかも人類は一度、本当に「1時間=100分」の時計まで作っています。

1時間が60分なのは「60が便利だから」だけではない

60という数が時間の分割に向いていること自体は間違いありません。

60は、2、3、4、5、6など多くの数で割り切れます。正の約数は12個あります。一方、100の正の約数は9個です。

1時間を分ける60分制100分制なら
半分30分50分
3分の120分33.333…分
4分の115分25分
5分の112分20分
6分の110分16.666…分

「半時間」「4分の1時間」だけなら100でも困りません。しかし3等分、6等分となると60の強さが出ます。

だからといって、「割り切りやすいので古代人が60を選んだ」まで歴史的事実として確定しているわけではありません。

数学的に便利なことと、なぜその数体系が生まれたのかは別の問題です。

約5000年前、すでにメソポタミアでは「60」が使われていた

現在の60分・60秒をさかのぼると、古代メソポタミアへ行き着きます。

紀元前3200~3000年頃の原楔形文字資料では、60進系を含む複数の数体系が使われていたことが確認されています。物を数える場合、穀物を量る場合、面積を扱う場合などで数え方を使い分けており、「何でも完全な60進法で表していた」という単純な世界ではありません。

後のバビロニア数学では、60を基礎とした位置記数法が高度に発達しました。現代の私たちが10、100、1000と桁を上げるのに対し、60を大きな区切りとして計算する世界です。

つまりタイトルにある「約5000年前」は、約5000年前から現在と同じ時計を使っていたという意味ではありません。

現在の時間にも残る「60で分ける数学」の遠い源流が、約5000年前までさかのぼれる。

ここまでなら、現在確認できる史料と整合します。

古代メソポタミアの初期数体系については、数学史研究「Numeracy at the dawn of writing: Mesopotamia and beyond」でも、紀元前3200~3000年頃に複数の数体系が併存していたことが整理されています。

では、なぜ「60」だったのか

ここは意外にも、きれいな答えがありません。

60進法の起源については、6進的な数え方と10進法が組み合わさった、10と12の異なる体系が出会った、複数の計量単位を扱いやすくする中で成立した、といった複数の説明が提案されています。

2025年にCambridge University Pressから公開された数体系の研究でも、シュメールの60進的数体系の起源は未確定とされ、複数の仮説が紹介されています。

「60は割り切りやすい」という特徴は、その仕組みが長く利用されるうえで有利だった可能性があります。しかし、それだけで誕生の瞬間まで説明したことにはなりません。

「指の関節12個×5本=60」は本当?

60進法の説明でよく登場するのが、指の関節を使う数え方です。

片手の親指で、人差し指から小指までの3つの節を順番に指すと、4本×3節で12まで数えられます。もう片方の手の5本の指で「12を何回数えたか」を記録すれば、12×5=60です。

方法としては確かに成立します。

ただし、古代シュメール人がこの方法を使ったから60進法が生まれた、と断定できる史料は確認されていません。

数学史資料でも、これは60進法の起源について提案されてきた説の一つとして扱われています。「両手で60まで数えられる」と「それが歴史上の発明理由だった」は分けて考えた方がよいでしょう。

では「1日24時間」はどこから来た?60進法とは別の歴史がある

ここで話が二つに分かれます。

60分・60秒につながる数学の系譜をメソポタミアまでたどれる一方、1日を24時間に分ける考え方の重要な源流は古代エジプトにあります。

メトロポリタン美術館の古代エジプト時間史の解説では、一日の周期を昼の12時間と夜の12時間に分け、夜についてはデカンと呼ばれる星の集団の動きが時間を知る手がかりになったとされています。

紀元前1500年頃以降には、日時計、影時計、水時計を使って時間を測った証拠もあります。一方、古代エジプト人が「分」や「秒」を日常的に数えていた証拠はありません。

つまり、

60という細分の歴史=メソポタミア系
24時間につながる昼夜の区分=エジプト系

と分けると、現在の時計がどうできたのか見えやすくなります。

古代エジプトの時間区分については、メトロポリタン美術館の「Telling Time in Ancient Egypt」でも確認できます。

昔の「1時間」は季節によって長さが違った

さらに現代と大きく違うのが、1時間の長さです。

昼を12等分、夜も12等分する方式では、夏は昼が長く、冬は昼が短くなります。

すると夏の昼の「1時間」は長くなり、冬の昼の「1時間」は短くなります。夜はその逆です。

現代人にとっては「1時間=いつでも同じ長さ」が当然ですが、これは人類史を通してずっと当然だったわけではありません。

機械時計が登場するより前には、こうした季節時・不定時法が長く使われました。

天文学の世界で「60」が受け継がれていった

メソポタミアの60進的な数学が現代の時計へ近づいていくうえで、大きな役割を果たしたのが天文学です。

バビロニアでは天体観測と計算が発達し、60を基礎とする数体系が天文学で利用されました。その知識の一部は、後のギリシャ・ヘレニズム世界の天文学へ受け継がれていきます。

ここから、円を360度とし、1度を60分、その1分をさらに60秒へ細分する考え方にもつながっていきます。

ただし「一年が約360日だから円を360度にした」と一つの理由だけで説明するのは危険です。360は60の倍数であり、12×30でもあり、古代の暦や天文学の体系とも関係します。現在まで残る360度の成立を単一の原因へ還元できるわけではありません。

HipparchusやPtolemyの時代になると、天文学では等しい時間や細かな角度を扱う必要が高まりました。ただし、彼らの学術的な60進細分を、そのまま現在の「時計の1分」と同一視することもできません。

2025年のCambridgeの研究でも、古代・中世の学術世界で使われた60進的な分割と、一般の人々が使う日常時計は別の歴史として整理されています。

「minute」と「second」はなぜそんな名前なのか

ここまで来ると、「分」と「秒」という言葉の正体も見えてきます。

NIST(米国国立標準技術研究所)は、現在のminuteが60進法における最初の細分、secondが二番目の細分に由来すると説明しています。

中世ラテン語では、第一の細分にあたる考え方がpars minuta prima、さらにその60分の1にあたる第二の細分がpars minuta secundaと表されました。

ここからminute、secondという言葉へつながります。

つまり英語のsecondが「第2」という意味を持つのは偶然ではありません。

1段目の細分がminute、2段目の細分がsecond。

角度にも「分」「秒」があり、時間にも「分」「秒」があるのは、もともと同じ数学・天文学上の60進的な細分と深く結び付いているからです。

NISTの時間計測FAQでも、この語源と60進法との関係が説明されています。詳しくは「Timekeeping and clocks FAQs」で確認できます。

古代からずっと「1時間=60分」だったわけではない

ここは「バビロニア人が60進法を使っていたから今も1時間60分」という説明だけでは抜け落ちやすい部分です。

古代メソポタミアに60進的な数学が存在しても、一般の人が「1時間には60分ある」と意識しながら生活していたわけではありません。

ヨーロッパでも、中世の日常生活では1時間を半分、3分の1、4分の1などの分数で扱うことがありました。一方、学術の世界では天文学や数学を通じて60進的な細分が受け継がれていました。

この二つが本格的に近づくのは、機械時計が発達してからです。

最初の機械時計には「分」を細かく見る必要すらなかった

ヨーロッパで機械時計が登場するのは13世紀後半頃です。

しかし初期の時計は、現代の腕時計のように「何時何分何秒」を正確に読むためのものではありませんでした。時計を意味する英語clockの語源も、時を知らせる「鐘」と関係しています。

機械で時を刻むなら、夏と冬で長さの違う季節時より、長さの等しい時間を刻む方が都合がよくなります。時計技術の普及は、等しい長さの時間が日常生活へ広がっていくうえでも重要でした。

それでも「時」を示すことと、「分」まで読むことの間には距離があります。

近世になると分表示を備えた時計が増え、時計の精度も上がっていきます。Cambridge University Pressで2025年に公開された研究では、ヨーロッパの一般の人々が「1時間=60分」と考えるようになった時期を16世紀後半頃と整理しています。

約5000年前から16世紀後半までには、途方もない時間があります。

残ったのは「5000年前の時計制度」そのものではありません。

古代に育った60進的な数学が天文学と学術の中で受け継がれ、後世の時計に取り込まれた。

そう考える方が、現在分かっている歴史に近い姿です。

「だったら100分にすればいい」は本当に試されている

ここまで読んでも、「とはいえ、現代なら100分制の方が分かりやすいのでは」と思うかもしれません。

その発想を、国家規模で本当に実行した時代があります。

フランス革命期です。

革命政府は、暦や度量衡を合理的な体系へ作り直そうとしました。その一環として導入された十進時間では、一日を次のように分けました。

仕組み現在の時間フランス革命期の十進時間
1日24時間10時間
1時間60分100分
1分60秒100秒

フランス国民議会の歴史資料にも、共和暦に関連する十進化として1日10時間、1時間100分、1分100秒が明記されています。

「もし1時間が100分だったら」という思考実験ではありません。本当に制度化されました。

十進時間の1時間は、今の1時間ではない

ここで間違えやすいのは、「現在の1時間を100分に切った」と考えることです。

一日そのものを10時間へ分け直しているので、十進時間の1時間は現在よりずっと長くなります。

十進時間現在の時間に換算
1時間2時間24分
1分1分26.4秒
1秒0.864秒

現在は24×60×60=86,400秒で一日。

十進時間では10×100×100=100,000十進秒で一日です。同じ一日を別の目盛りで切っているわけです。

100分時計は本当に作られた

時計も実在します。

大英博物館には、フランス革命期の十進時間を表示する時計が所蔵されています。通常の時間と十進時間の両方を読める文字盤を持つ時計まで残っています。

現物は大英博物館の「decimal-dial watch」で確認できます。

文字盤には通常時間の60分目盛と、十進時間の100分目盛が共存しています。

現代人が「100進法の方が合理的では」と考えるずっと前に、人類はその時計を実際に作っていたのです。

それでも十進時間は短期間で消えた

十進時間は定着しませんでした。

フランス革命期の時計を所蔵するFondation Napoléonの解説では、生活習慣がすでに根付いていたこと、従来型の時計が存在していたこと、時計を新制度へ対応させる技術上の難しさなどが指摘されています。

十進時間に関する義務は1795年4月7日に無期限停止となりました。一方、共和暦そのものはその後もしばらく続き、1806年1月1日にグレゴリオ暦へ戻っています。

「100進法の方が合理的なのに、昔の人が思いつかなかった」という話ではありません。

思いつき、制度化し、時計まで作った。それでも、すでに社会全体へ組み込まれていた時間体系を入れ替えることは簡単ではありませんでした。

メートル法なのに、なぜ時間だけ10進化されなかった?

もう一つ残る疑問があります。

現代の国際単位系SIは、メートル、キログラムをはじめ10進的な接頭語と非常に相性のいい体系です。それなら、なぜ1分100秒、1時間100分にしないのでしょうか。

ポイントは、SIで時間の基本単位になっているのは「秒」だということです。

分、時間、日はSI基本単位ではありません。

2026年6月に更新されたBIPMのSI Brochureでも、minute、hour、dayのような単位は、長年使われている時間・角度の非SI単位として整理されています。

一方、秒より細かいところへ行けば、ミリ秒、マイクロ秒、ナノ秒のようにきれいな10進法です。

メートル法が「時間だけ60進法を選んだ」というより、すでに世界中へ定着していた分・時間・日を残しながら、科学的な基本単位として秒を採用した、と見る方が実態に近いでしょう。

そして現在の「1秒」は、もう地球の自転で決めていない

時間の歴史をさらにたどると、最後にもう一度大きな転換があります。

かつて1秒は、平均太陽日の1/86,400として定義されていました。

考え方は非常に分かりやすく、

1日 → 24時間 → 1,440分 → 86,400秒

という方向です。

ところが、地球の自転速度は完全には一定ではありません。

高精度な科学計測に使う単位としては、このわずかな揺らぎが問題になります。

そこで1960年には、1900年の回帰年を基準とする「暦表秒」が採用されました。そして1967年、第13回国際度量衡総会(CGPM)でセシウム133原子を利用した原子秒へ移行します。

2018年のSI改定では表現が改められ、2019年に施行された現在の定義では、セシウム133原子の非摂動基底状態の超微細遷移周波数9,192,631,770 Hzを固定値とすることで1秒が定義されています。

BIPMの現在の正式定義は「SI base unit: second」で確認できます。

昔は「地球が1回転する一日」から秒を割り出していました。

今は逆に、物理学的に定めた秒を原子時計が刻んでいます。

古代の太陽や星を見て時間を知る世界から、原子の量子状態を基準にするところまで来たわけです。

地球の自転と原子時計がずれたらどうする?

ここで生まれるのが、「原子で正確に秒を刻むと、地球の自転とはずれていかないのか」という問題です。

その調整に使われてきたのが、うるう秒です。

原子時計を基礎にする時刻と、不規則に回る地球の自転をどのように付き合わせるのかについては、「うるう秒」はなぜ廃止へ?2027年5月から何が変わる・時計は1時間ずれる?で詳しく整理しています。

1秒の定義は将来また変わる可能性がある

2026年9月30日時点でも、1秒の正式な定義はセシウム133です。

ただし、さらに高精度な光時計・光周波数標準が登場したことで、BIPMでは将来の秒の再定義が検討されています。

BIPMのロードマップでは、新しい定義案の正式な批准は早くても2030年とされています。したがって、現時点で「秒の定義が光時計へ変更された」と書くことはできません。

約5000年前につながる60の数え方を時計に残しながら、最小単位を決める方法は最先端の原子物理へ進み続けています。

「1時間=60分」ができるまでを年表で見る

時期時間・数学の変化
紀元前3200~3000年頃メソポタミアで60進系を含む複数の数体系が確認される
紀元前3千年紀~2千年紀以降メソポタミア・バビロニア数学で60を使う計算体系が発達
古代エジプト昼12時間・夜12時間という24時間につながる区分が使われる
紀元前1500年頃以降エジプトで日時計・影時計・水時計の証拠
古代ギリシャ・ヘレニズム期天文学で等しい時間や60進的な細分が発展
中世後期学術世界で時間の60分割が広がる
13世紀後半~ヨーロッパで機械時計が登場
16世紀後半頃一般の時計文化にも「1時間=60分」が浸透していく
1793年フランス革命期に1日10時間・1時間100分・1分100秒の十進時間を制度化
1795年4月7日十進時間に関する義務を無期限停止
1960年暦表秒による定義へ
1967年セシウム133を基準とする原子秒を採用
2019年改定SIが施行
2026年現在セシウム133による秒を使用。将来の光周波数標準による再定義を検討中

よくある説明は、どこまで本当?

よくある説明判定実際は
シュメール人が1時間60分を作った誤解を招く60進的な数体系の源流は古いが、現在の時計制度とは別
60進法は約5000年前からある概ね正しい紀元前3200~3000年頃の資料で60進系の数体系を確認できる
指の関節12×5が60進法の起源複数説の一つ数え方として成立するが、起源と断定できる証拠はない
60なのは割り切りやすいから一部正しい60が便利なのは確かだが、それが歴史的起源だったかは未確定
1日24時間もバビロニア由来単純化昼夜各12時間につながる重要な系譜は古代エジプト
昔から1時間の長さは一定誤り季節によって長さの変わる時間が長く使われた
100分時計は存在しなかった誤りフランス革命期に制度化され、実物の時計も現存する
現在の1秒は1日の1/86400現在の定義としては誤り現在はセシウム133原子の遷移周波数で定義される

時計の歴史をさらに読みたいなら

この記事では「なぜ60分なのか」を中心に追いましたが、日時計から機械式時計、クオーツ、原子時計まで、時間を測る道具そのものの歴史を続けて読みたい人には、織田一朗『時計の科学 人と時間の5000年の歴史』も入り口にしやすい一冊です。

時計の科学 人と時間の5000年の歴史

織田一朗著、講談社ブルーバックス。日時計から機械式時計、クオーツ時計、原子時計まで、時間を測る技術の変化を一般向けにたどる一冊です。この記事を読んで、時計そのものの歴史まで続けて知りたくなった人に向いています。

価格・在庫・仕様や版の違いなどは変動します。購入の際は各ショップの商品ページで最新情報をご確認ください。

まとめ|スマホの「59→00」には、数千年分の歴史が重なっている

「1時間はなぜ60分なのか」と聞かれると、「古代バビロニアが60進法だったから」と答えれば、入口としては間違っていません。

ただ、それだけでは現在の時計ができるまでの歴史の半分も見えません。

60で細かく分ける数学は、約5000年前のメソポタミアへつながります。

一方、昼と夜を12ずつに分ける24時間の系譜は古代エジプトへつながります。しかも当時の1時間は季節で長さが変わり、今と同じ60分固定の時間ではありませんでした。

60進的な細分は天文学や数学の世界で受け継がれ、中世後期から近世にかけて機械時計へ入り、ようやく一般の生活でも「1時間=60分」が当たり前になっていきます。

そして18世紀末には、フランス革命政府が本当に1日10時間・1時間100分・1分100秒という時間を制度化しました。100分時計の実物まで残っています。それでも社会全体の時間を置き換えることはできませんでした。

その後、時計はさらに正確になり、現在の1秒は地球の自転ではなくセシウム133原子を基準に定義されています。

測り方は太陽から原子へ変わりました。

それでも手元のスマートフォンでは、今も59秒の次に00秒が来ます。

5000年前の時計が残ったのではありません。数千年前に育った「60で分ける数学」の系譜が、天文学、機械時計、近代科学を渡り歩き、形を変えながら現在の時計に残った。

そう考えると、毎日何度も目にしている「21:37:42」という数字も、人類が何千年もかけて作ってきた仕組みに見えてきます。

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