ゲーム系 サブカル文化史アーカイブ

90年代ゲーム雑誌Tier表|ファミ通・電撃PS・Vジャンプ・ゲーム批評…あの頃の熱量を振り返る

目次
  1. 90年代ゲーム雑誌は、攻略本より早く“未来のゲーム”を見せてくれた
  2. 今回のTier評価基準|売上順ではなく“ゲーム雑誌として残した熱量”で見る
  3. 今回扱う主なゲーム雑誌
  4. 90年代ゲーム雑誌Tier表|まずは全体評価
  5. SSランク|90年代ゲーム雑誌文化の中心にいた存在
  6. ファミ通|ゲーム雑誌の基準を作った総合誌
  7. 電撃PlayStation|PlayStation時代の濃さを支えた専門誌
  8. SSランクまとめ|“広く知る”ファミ通、“深く遊ぶ”電撃PlayStation
  9. Sランク|特定の読者層に強烈な記憶を残したゲーム雑誌
  10. Vジャンプ|ゲーム・漫画・カードをまとめて浴びる少年向け情報誌
  11. ファミリーコンピュータMagazine|ファミコン時代から続く裏技文化の象徴
  12. セガサターンマガジン|“セガを選んだ人”の熱量を受け止めた専門誌
  13. ゲーメスト|ゲームセンターの熱気を誌面に持ち込んだアーケード専門誌
  14. Sランクまとめ|“みんなの雑誌”ではなく“誰かに深く刺さった雑誌”
  15. Aランク|主流ではないからこそ、強烈な個性を放ったゲーム雑誌
  16. ゲーム批評|ゲームを“褒める情報”ではなく“語る対象”にした異色誌
  17. BEEP!メガドライブ|日本初のセガハード専門誌として残した存在感
  18. メガドライブFAN|もうひとつのメガドライブ専門誌として愛された徳間系の一冊
  19. 電撃セガサターン|サターン後期の濃い読者層に刺さった専門誌
  20. 電撃PCエンジン|PCエンジン後期からキャラクター誌への流れを作った専門誌
  21. PC Engine FAN|PCエンジン専門誌として最後まで残った存在
  22. マル勝スーパーファミコン|角川らしい企画色と読者参加の濃さがあった雑誌
  23. Theスーパーファミコン|スーファミ初期の勢いを受け止めた専門誌
  24. Aランクまとめ|情報量よりも“誌面のクセ”が記憶に残る雑誌たち
  25. Bランク|時代全体ではなく“特定ハードの記憶”に残るゲーム雑誌
  26. 電撃SEGA EX|電撃セガサターンへつながる“前夜”の雑誌
  27. サターンFAN|徳間書店系が出したもうひとつのサターン専門誌
  28. マル勝PCエンジン|角川系PCエンジン専門誌として存在感を放った一冊
  29. ドリームキャストマガジン|セガ最後の家庭用ハードを追いかけた専門誌
  30. Bランクまとめ|短い時代に寄り添った雑誌にも価値がある
  31. なぜ90年代ゲーム雑誌は特別だったのか
  32. 読者投稿・レビュー・ランキングも雑誌の楽しみだった
  33. ゲーム雑誌文化が薄れていった理由
  34. Tier外だけど触れておきたいゲーム雑誌たち
  35. まとめ|結局、90年代ゲーム雑誌の最強時代はいつだったのか

90年代ゲーム雑誌は、攻略本より早く“未来のゲーム”を見せてくれた

インターネットで発売日、攻略情報、レビュー、動画まで一瞬で見られる今から考えると、90年代のゲーム雑誌は少し不思議な存在だったかもしれません。

でも、あの頃のゲーム雑誌には、今の検索結果とはまったく違う熱量がありました。

新作ゲームの小さなスクリーンショットを何度も見返したり、発売予定表にまだ見ぬ大作の名前を探したり、裏技コーナーや読者投稿を読むだけで妙にワクワクしたり。

『ファミ通』のクロスレビューや発売予定表。
『電撃PlayStation』の濃い特集。
『Vジャンプ』のゲーム・漫画・カードを横断する情報量。
そして『ゲーム批評』のように、メーカー寄りではない視点でゲームを語ろうとした異色の雑誌。

さらに、セガ好きにとっては『BEEP!メガドライブ』『セガサターンマガジン』『電撃セガサターン』のような専門誌も、ただの情報源ではなく、当時の“セガ熱”そのものだったと思います。

もちろん今回のTier表は、単純な売上ランキングではありません。
創刊年や刊行時期など確認できる情報を踏まえつつ、当時の影響力、読者の記憶への残り方、ゲーム文化への貢献、そして「その雑誌を読むことで何を感じられたか」を基準に、独自に整理していきます。

『ファミ通』は1986年6月6日に『ファミコン通信』として創刊され、パソコン誌『LOGiN』の一コーナーから独立したゲーム総合誌でした。
『電撃PlayStation』は1994年のVol.1刊行から25年続き、2020年3月発売のVol.686で定期刊行を停止しています。
『電撃セガサターン』も1997年7月に誌名変更され、セガサターン専門誌として濃い時代を支えた存在でした。

今回は、90年代ゲーム雑誌という少し懐かしくて、でも今振り返るとかなり濃かった文化を、Tier表形式で振り返っていきます。

今回のTier評価基準|売上順ではなく“ゲーム雑誌として残した熱量”で見る

今回のTier表は、単純な発行部数ランキングではありません。

90年代のゲーム雑誌は、雑誌ごとに役割がかなり違っていました。
総合情報誌として新作情報を追う雑誌もあれば、特定ハードに寄り添う専門誌もあり、攻略・レビュー・読者投稿・開発者インタビュー・コラムなど、読まれ方もそれぞれ違っていました。

たとえば『ファミ通』は、1986年6月6日に『ファミコン通信』として創刊され、パソコン誌『LOGiN』の一コーナーから独立したゲーム総合誌でした。速報性や発売予定表、クロスレビューなどを通じて、ゲーム雑誌全体の基準を作った存在といえます。

一方で『電撃PlayStation』は、1994年のVol.1刊行からPlayStation専門誌として長く続き、2020年3月発売のVol.686で定期刊行を停止した雑誌です。PlayStationというハードの成長とかなり近い距離で歩んだ存在でした。

そしてセガ系では、『セガサターンマガジン』が1995年から1998年まで刊行され、その後『ドリームキャストマガジン』へ続いていきました。ソフトバンクの発表でも、1995年1月から『週刊セガサターンマガジン』を発行し、1998年に『週刊ドリームキャストマガジン』へ改題・新創刊した流れが確認できます。

つまり、90年代ゲーム雑誌を同じ物差しだけで並べるのは、かなり難しいです。

そのためこの記事では、以下のような基準でTierを判断します。

・当時のゲーム文化にどれだけ影響を与えたか
・その雑誌ならではの個性があったか
・読者の記憶に残る企画、誌面、空気感があったか
・特定ハードやジャンルの熱量をどれだけ支えていたか
・今振り返っても「その時代を象徴していた」と言えるか

逆に、単純な売上、部数、知名度だけでは決めません。

『ファミ通』のようにゲーム業界全体を見渡す雑誌もあれば、『電撃セガサターン』や『セガサターンマガジン』のように、特定ハードの熱量を深く支えた雑誌もあります。

また『ゲーム批評』のように、攻略や新作情報ではなく、ゲームそのものを批評的に語ろうとした雑誌もありました。

今回のTier表は、そうした違いを踏まえたうえで、

「90年代のゲーム雑誌文化を動かした存在だったか」

という視点で整理していきます。

今回扱う主なゲーム雑誌

今回の対象は、主に80年代後半から90年代にかけて存在感を放ったゲーム雑誌です。

厳密に「1990年から1999年に創刊された雑誌」だけに限定するのではなく、90年代のゲーム文化を語るうえで重要だった雑誌も含めます。

たとえば『ファミ通』は創刊自体は1986年ですが、90年代のゲーム情報誌を語るうえで外せません。
同じように、メガドライブ、スーパーファミコン、PlayStation、セガサターン、ドリームキャストへと流れていく時代の中で、読者に強い印象を残した雑誌も対象にします。

主な候補は以下です。

・ファミ通/ファミコン通信
・ファミリーコンピュータMagazine
・Vジャンプ
・電撃PlayStation
・Theスーパーファミコン
・マル勝スーパーファミコン
・ゲーム批評
・ゲーメスト
・BEEP!メガドライブ
・セガサターンマガジン
・電撃セガサターン
・電撃SEGA EX
・サターンFAN
・ドリームキャストマガジン

もちろん、ここに入っていない雑誌にも思い出深いものはたくさんあります。

ただ、あまり対象を広げすぎると、単なる雑誌名鑑になってしまいます。
この記事では「90年代ゲーム雑誌の熱量を振り返るTier表」として、当時のゲーム文化に与えた印象が大きいものを中心に取り上げます。

大事なのは、どの雑誌が上か下かを決めつけることではありません。

『ファミ通』を毎週買っていた人。
『電撃PlayStation』でPSソフトの濃い特集を読んでいた人。
『Vジャンプ』でゲームと漫画とカード情報をまとめて追っていた人。
『セガサターンマガジン』や『電撃セガサターン』で、セガの濃い時代を浴びていた人。
『ゲーム批評』で、ゲームを少し違う角度から見る面白さを知った人。

それぞれに、自分だけの“ゲーム雑誌黄金期”があったはずです。

今回はその記憶を、Tier表という形でいったん整理していきます。

90年代ゲーム雑誌Tier表|まずは全体評価

まず、今回のTier表を先にまとめると以下のようになります。

あくまでこれは、売上や発行部数だけで決めたランキングではありません。
当時の読者への影響、ゲーム文化への貢献、誌面の個性、そして今振り返ったときにどれだけ“90年代のゲーム熱”を象徴していたかを基準にした独自評価です。

Tier主なゲーム雑誌評価の方向性
SSファミ通/電撃PlayStationゲーム雑誌文化そのものを代表する存在。情報、レビュー、特集、読者の記憶への残り方まで含めて別格。
SVジャンプ/ファミリーコンピュータMagazine/セガサターンマガジン/ゲーメスト特定の読者層やジャンルに強く刺さり、90年代ゲーム文化の一部を大きく支えた雑誌。
Aゲーム批評/BEEP!メガドライブ/メガドライブFAN/電撃セガサターン/電撃PCエンジン/PC Engine FAN/マル勝スーパーファミコン/Theスーパーファミコン知名度や規模ではSS級に及ばなくても、独自色が強く、特定ハードや読者層の熱量をしっかり受け止めた雑誌。
B電撃SEGA EX/サターンFAN/マル勝PCエンジン/ドリームキャストマガジン など特定ハードや短い時期に深く寄り添った専門誌。時代全体への広がりは限定的ながら、当時の読者には強い印象を残した存在。

この並びにした理由は、単に「有名だったから」ではありません。

たとえば『ファミ通』は、1986年6月6日に『ファミコン通信』として創刊され、もともとはパソコン誌『LOGiN』の一コーナーから独立したゲーム総合誌でした。速報性、発売予定表、クロスレビュー、読者投稿、業界ニュースなどを通じて、ゲーム雑誌の基本形を作った存在といえます。

『電撃PlayStation』は、1994年のVol.1刊行からPlayStation専門誌として長く続き、2020年3月発売のVol.686で定期刊行を停止しました。90年代後半のPlayStation時代を語るうえでは、かなり重要な雑誌です。

一方で、今回のTierでは総合誌やPlayStation専門誌だけでなく、セガ系、PCエンジン系、アーケード系、批評系の雑誌も加えています。

『BEEP!メガドライブ』や『メガドライブFAN』は、メガドライブという個性の強いハードを支えた専門誌でした。
徳間書店の復刻ムック『BEEP! メガドライブFAN』でも、「メガドライブ」販売当時の専門誌『メガドライブFAN』を復刻し、『BEEP! メガドライブ』とタッグを組んだ特集号であることが紹介されています。

PCエンジン系では、『電撃PCエンジン』と『PC Engine FAN』をAランクに置きました。
『電撃PCエンジン』は1993年2月号、1992年12月26日発売号で「PCエンジン&PC-FX専門誌」として創刊され、のちに『電撃G’sエンジン』『電撃G’sマガジン』へつながっていきます。
『PC Engine FAN』は、国立国会図書館サーチで1988年12月から1996年10月までの刊行が確認できるPCエンジン専門誌です。

つまり今回のTier表は、

総合誌のファミ通。
PlayStation専門誌の電撃PlayStation。
任天堂・ジャンプ系のVジャンプやファミマガ。
セガ系のBEEP!メガドライブ、メガドライブFAN、セガサターンマガジン、電撃セガサターン。
PCエンジン系の電撃PCエンジン、PC Engine FAN、マル勝PCエンジン。
アーケードのゲーメスト。
批評系のゲーム批評。

こうした複数の流れをまとめて見たうえでの独自Tierです。

90年代のゲーム雑誌文化は、ひとつの雑誌だけで説明できるものではありません。
ハードごと、出版社ごと、読者層ごとに、それぞれ違う熱量がありました。

だから今回のTier表では、「どれが一番売れていたか」だけではなく、「その雑誌がどんな読者の記憶を支えていたか」を重視しています。

SSランク|90年代ゲーム雑誌文化の中心にいた存在

SSランクに置いたのは、『ファミ通』と『電撃PlayStation』です。

この2誌は、90年代のゲーム雑誌を語るうえで、やはり別格に近い存在だと思います。

もちろん、役割はまったく違います。

『ファミ通』はゲーム業界全体を見渡す総合誌。
『電撃PlayStation』は、PlayStationというひとつのハードに深く寄り添った専門誌。

それでも共通しているのは、どちらも「ゲームを買う前の時間」を大きく変えた雑誌だったことです。

今なら、発売前のゲームは公式サイト、YouTube、SNS、レビューサイトで簡単に確認できます。
でも90年代は、まだそういう時代ではありませんでした。

新作ゲームのスクリーンショットを見られるだけでうれしい。
発売予定表に知らないタイトルを見つけるだけで気になる。
レビュー欄の短いコメントを読んで、買うかどうか真剣に悩む。

そういう“ゲームを待つ時間”の中心に、ゲーム雑誌がありました。

その中でも『ファミ通』と『電撃PlayStation』は、多くの読者にとって、ゲームの入口そのものになっていた雑誌です。

ファミ通|ゲーム雑誌の基準を作った総合誌

『ファミ通』は、90年代ゲーム雑誌Tier表を作るなら、まず外せない存在です。

もともとは『ファミコン通信』として1986年に創刊され、のちに『週刊ファミ通』へと誌名を変えながら、長くゲーム総合誌として読まれてきました。創刊の背景として、パソコン誌『LOGiN』の一コーナーから独立した流れがあったことも確認されています。

ファミ通の強さは、特定ハードに閉じなかったことです。

ファミコン、スーパーファミコン、メガドライブ、PCエンジン、PlayStation、セガサターン、ニンテンドウ64。
90年代は家庭用ゲーム機の主役が何度も入れ替わった時代でした。

その中でファミ通は、ひとつのハードだけに寄りかかるのではなく、ゲーム業界全体を横から眺めるような位置にいました。

もちろん、当時のレビューや評価に対して、読者それぞれに思うところはあったはずです。
クロスレビューの点数に納得した人もいれば、「本当にそうか?」と思った人もいたでしょう。

でも、それも含めてファミ通でした。

発売前の期待。
レビュー点数への一喜一憂。
ランキングを見て感じる「今、何が売れているのか」。
欄外の小ネタや読者投稿まで含めた、雑誌としてのにぎやかさ。

ファミ通は、ゲームを単なる商品情報ではなく、「毎週追いかける文化」に変えた雑誌だったと思います。

90年代のゲーム雑誌を語るなら、ファミ通をSSに置くのはかなり自然です。
それは、すべての読者がファミ通を一番好きだったという意味ではありません。

ただ、ゲーム雑誌という存在の知名度、影響力、継続性、そしてゲームファンの会話に入り込んだ度合いを考えると、ファミ通はやはり中心に置くべき存在です。

電撃PlayStation|PlayStation時代の濃さを支えた専門誌

『ファミ通』がゲーム業界全体を見渡す総合誌だったとすれば、『電撃PlayStation』はPlayStationというハードに深く寄り添った専門誌でした。

1994年のVol.1刊行から25年にわたって続き、2020年3月28日発売のVol.686で定期刊行を停止しています。編集部からも、雑誌を取り巻く環境やゲーム情報発信の変化を理由に、定期刊行停止が発表されました。

『電撃PlayStation』が特別だったのは、単にPlayStationの新作情報を載せていたからではありません。

90年代後半のPlayStationは、ゲームの雰囲気を大きく変えたハードでした。

『ファイナルファンタジーVII』のような大作RPG。
『バイオハザード』のような新しい緊張感を持った作品。
『パラッパラッパー』のような音楽ゲーム。
『どこでもいっしょ』のように、キャラクターとの距離感を変えた作品。

PlayStation時代は、ゲームが「子ども向けのおもちゃ」から、より幅広い年齢層が語る娯楽へ変わっていく時期でもありました。

その空気を、かなり近い場所で受け止めていたのが『電撃PlayStation』だったと思います。

ファミ通が「今のゲーム業界全体を知る雑誌」だとすれば、電撃PSは「PlayStationで何を遊ぶべきかを深く掘る雑誌」でした。

攻略情報も、作品特集も、誌面の温度感も、総合誌とは少し違っていました。
広く浅くではなく、好きな作品に長く付き合う読者向けの濃さがありました。

特にRPG、シミュレーション、アドベンチャー、キャラクター性の強い作品との相性は良かった印象です。

これは、単に読者層が偏っていたという話ではありません。
むしろ、PlayStationというハード自体が、90年代後半にかなり多様なゲームを抱え込んでいたからこそ、専門誌の深掘りが活きたのだと思います。

新作情報を読む。
攻略記事で進め方を確認する。
スタッフインタビューや設定資料で作品の裏側を知る。
読者投稿や連載コーナーで、同じゲームを好きな人がいることを感じる。

そういう「遊んだあとも続く時間」を支えていたのが、『電撃PlayStation』でした。

定期刊行最終号となった『電撃PlayStation 2020年5月号 Vol.686』でも、『ファイナルファンタジーVII リメイク』の特集や『NieR』シリーズ10周年、ガストブランドの振り返りなど、本誌ならではの企画が掲載されています。最後まで“作品に踏み込む雑誌”だったことがわかります。

今回SSランクに置いた理由は、ファミ通とは別方向で90年代以降のゲーム雑誌文化を象徴しているからです。

ファミ通は、ゲーム雑誌の中心にいた総合誌。
電撃PlayStationは、ひとつのハードを通じて、ゲームを深く楽しむ読者を育てた専門誌。

この2つは、単純にどちらが上という関係ではありません。

ファミ通を読んで発売予定を追い、電撃PlayStationで好きなPSソフトを深掘りする。
そういう読み方をしていた人も多かったはずです。

90年代のゲーム雑誌文化を振り返るなら、総合誌の代表としてのファミ通、専門誌の代表としての電撃PlayStation。この2誌をSSに置くのは、かなり納得感のある判断だと思います。

SSランクまとめ|“広く知る”ファミ通、“深く遊ぶ”電撃PlayStation

SSランクの2誌は、役割がはっきり違います。

『ファミ通』は、ゲーム業界全体を見渡すための雑誌でした。
毎週の新作情報、発売予定表、レビュー、ランキング、読者投稿まで含めて、ゲームを追いかける習慣そのものを作った存在です。

一方の『電撃PlayStation』は、PlayStationというハードに深く寄り添い、作品を長く楽しむための専門誌でした。
単なる速報だけではなく、攻略、特集、インタビュー、設定まわりまで含めて、ゲームを“遊んだ後”の時間まで広げてくれた雑誌です。

どちらも、今のネット時代とは違う形で、ゲームとの距離を縮めてくれました。

スマホで検索すれば数秒で答えが出る今とは違い、90年代のゲーム雑誌は、ページをめくる時間そのものが楽しかった。

まだ発売されていないゲームの写真を見て、想像を膨らませる。
レビューの一文から、自分に合うかどうかを考える。
攻略ページを開いたまま、テレビの前でコントローラーを握る。
知らないゲームの記事を読んで、いつの間にか欲しくなる。

その体験を、最も広い範囲で作ったのが『ファミ通』。
そして、PlayStationという時代の中で濃く作ったのが『電撃PlayStation』だったと思います。

だから今回、この2誌はSSランクです。

もちろん、人によっては「自分にとってのSSはVジャンプだった」「セガサターンマガジンこそ青春だった」「ゲーメストが一番熱かった」という意見もあるはずです。

それでいいと思います。

今回のTier表は、思い出の優劣を決めるものではありません。
90年代ゲーム雑誌という文化を、いくつかの視点から整理するためのものです。

次は、SSには届かないまでも、特定の読者層やジャンルに強烈な印象を残したSランクの雑誌を見ていきます。

Sランク|特定の読者層に強烈な記憶を残したゲーム雑誌

Sランクに置いたのは、以下の雑誌です。

・Vジャンプ
・ファミリーコンピュータMagazine
・セガサターンマガジン
・ゲーメスト

SSランクの『ファミ通』『電撃PlayStation』が、ゲーム雑誌文化の大きな柱だったとすれば、Sランクの雑誌はもう少し読者層がはっきりしています。

ただし、それは評価が低いという意味ではありません。

むしろ、読者によってはSSランク以上に記憶へ残っている雑誌もあるはずです。

たとえば『Vジャンプ』は、ゲーム雑誌でありながら、漫画、アニメ、カード、ホビーまで含めた“少年向けエンタメ情報誌”でした。
『ファミリーコンピュータMagazine』は、ファミコン時代から続くゲーム雑誌文化の古参であり、「ウル技」などの裏技文化を語るうえで外せません。
『セガサターンマガジン』は、セガサターンというハードの熱量を受け止めた専門誌。
『ゲーメスト』は、アーケードゲーム、とくに格闘ゲームやシューティングを語るうえで非常に大きな存在でした。

この4誌に共通しているのは、単にゲーム情報を届けただけではなく、「その雑誌を読んでいた人の遊び方」まで形作っていたことです。

ゲームを買う前に読む。
ゲームを遊びながら読む。
ゲームセンターへ行く前に読む。
カードや漫画と一緒に、ゲーム情報も追いかける。

90年代のゲーム雑誌は、情報誌であると同時に、読者の生活リズムにも入り込んでいました。

だからSランクは、“広く誰もが読んだ雑誌”というより、“特定の読者の記憶に深く刺さった雑誌”として見ていきます。

Vジャンプ|ゲーム・漫画・カードをまとめて浴びる少年向け情報誌

『Vジャンプ』は、純粋なゲーム専門誌とは少し違う存在です。

集英社の公式サイトでは、1993年に『Vジャンプ』が創刊されたことが確認できます。現在の公式サイトでも、ゲーム・カード・ホビー月刊情報誌として案内されており、ゲーム、カード、アニメ、漫画を横断する雑誌として続いています。

この「ゲームだけではない」という点が、『Vジャンプ』の最大の個性でした。

90年代の少年にとって、ゲームと漫画とアニメはかなり近い場所にありました。

『ドラゴンボール』のゲーム情報を見る。
『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』の情報にワクワクする。
カードやホビーの情報も一緒に追う。
漫画も読める。

つまり『Vジャンプ』は、ゲームを単体で扱う雑誌というより、少年向けエンタメをまとめて受け止める雑誌でした。

『ファミ通』のように業界全体を広く見るわけではありません。
『電撃PlayStation』のようにひとつのハードを深く掘るわけでもありません。

でも『Vジャンプ』には、少年ジャンプ系の作品、ゲーム化情報、カード、キャラクターコンテンツが一体になった独特の強さがありました。

特に90年代は、『ドラゴンボール』や『ドラゴンクエスト』など、漫画・ゲーム・アニメが重なり合う巨大コンテンツが強かった時代です。
その空気の中で『Vジャンプ』は、ゲーム雑誌というより「好きなものが一冊に詰まっている雑誌」に近かったと思います。

ゲーム単体の情報量だけで比べると、ファミ通や専門誌に及ばない部分もあります。
しかし、少年層への入り口としての強さ、漫画とゲームをつなぐ役割、そしてカード・ホビー文化への広がりまで考えると、Sランクに置く価値は十分あります。

今回『Vジャンプ』をSランクにしたのは、ゲーム雑誌としての純度よりも、90年代の少年エンタメ全体における存在感を評価したからです。

「ゲーム情報を読む」というより、「ジャンプ系の熱量ごと読む」。

この感覚は、他のゲーム雑誌にはなかなかありませんでした。

ファミリーコンピュータMagazine|ファミコン時代から続く裏技文化の象徴

『ファミリーコンピュータMagazine』、通称『ファミマガ』も、90年代ゲーム雑誌を語るうえで外せない存在です。

創刊は1985年で、徳間書店インターメディアから刊行されていたファミコン専門誌でした。刊行期間は1985年7月5日発売の1985年8月10日号から、1998年3月20日発売の1998年5・6月合併号までとされています。

『ファミマガ』の魅力は、ファミコン文化のかなり早い時期から読者に寄り添っていたことです。

今のようにネットで攻略を検索できない時代、雑誌に載る攻略情報や裏技は本当に価値がありました。

なかでも有名だったのが「ウル技」です。

裏技、隠し要素、ちょっとした小ネタ。
そういう情報は、当時の子どもたちにとって宝物のようなものでした。

学校で友達に話す。
家に帰って試してみる。
本当にできたら妙にうれしい。
できなかったら、何度も雑誌を読み返す。

『ファミマガ』は、そういう時代の遊び方と深く結びついていました。

90年代に入ると、ゲーム機の主役はファミコンからスーパーファミコン、さらにPlayStationやセガサターンへ移っていきます。
その中で『ファミリーコンピュータMagazine』という誌名は、時代の変化に対して少し重くなっていった面もあったと思います。

実際、ファミコンとスーパーファミコンが旧世代機になっていく1990年代半ば以降、同誌の立ち位置は難しくなっていったという振り返りもあります。

ただ、それでも『ファミマガ』をSランクに置きたい理由があります。

それは、この雑誌が「ゲームの情報を読む楽しさ」をかなり早い段階で作っていたからです。

攻略記事を読む。
裏技を探す。
誌面の小さな情報にワクワクする。
ゲームを遊ぶ前から、雑誌だけで気持ちが高まる。

この体験は、後のゲーム雑誌文化にもつながっていきました。

ファミ通がゲーム総合誌として時代の中心に立った雑誌だとすれば、ファミマガはファミコン時代の熱気をそのまま抱え込んだ雑誌です。

90年代だけで見ると、やや古参の印象もあります。
しかし、80年代後半から90年代前半にかけてゲーム雑誌を読んでいた人にとって、『ファミマガ』の存在感はかなり大きかったはずです。

今回Sランクに置いたのは、単なる懐かしさではありません。

家庭用ゲーム雑誌の初期文化、攻略情報の価値、裏技をめぐるワクワク感。
そのすべてを象徴する雑誌として、『ファミリーコンピュータMagazine』は十分に高く評価できる存在です。

セガサターンマガジン|“セガを選んだ人”の熱量を受け止めた専門誌

『セガサターンマガジン』は、90年代ゲーム雑誌の中でもかなり濃い立ち位置にいた雑誌です。

ファミ通のような総合誌ではなく、電撃PlayStationのように圧倒的な主流ハードを追いかけた専門誌でもありません。

この雑誌が見ていたのは、セガサターンという少しクセの強いハードでした。

ソフトバンクの発表によると、『週刊セガサターンマガジン』は1995年1月から発行され、1998年11月に『週刊ドリームキャストマガジン』へ改題・新創刊されています。つまり、セガサターンの全盛期から次世代機ドリームキャストへの移行期まで、かなり近い距離でセガの家庭用ゲームを追いかけていた雑誌でした。

セガサターンというハードは、90年代ゲーム史の中で少し独特です。

PlayStationに比べると、一般的な市場の広がりでは不利な場面もありました。
しかし、アーケード移植、格闘ゲーム、シューティング、サクラ大戦のようなキャラクター性の強い作品、そしてセガらしい少し尖ったタイトルを語るうえでは、今でも強い記憶を残しています。

『セガサターンマガジン』は、そうしたサターンならではの空気を受け止めていた雑誌でした。

単に新作情報を並べるだけなら、総合誌でもできます。
でも、セガサターンを好きな読者が求めていたのは、それだけではなかったはずです。

自分が選んだハードに、まだ面白いソフトが出る。
アーケードで遊んだあのゲームが家庭で遊べる。
メジャーではないかもしれないけれど、このハードにしかない濃さがある。

そういう気持ちを支えるのが、専門誌の役割でした。

特に90年代半ば以降は、PlayStationが大きく伸びていく一方で、セガサターンの読者にはどこか“自分たちの好きなものを守る”ような熱もあったと思います。

この感覚は、ファミ通だけではなかなか拾いきれません。

総合誌では、どうしても市場全体の流れが中心になります。
一方で専門誌は、ハードのファンが感じている細かい期待や不安、作品ごとの温度差まで受け止められます。

『セガサターンマガジン』をSランクに置いた理由は、まさにそこです。

ゲーム雑誌全体の代表格ではない。
けれど、セガサターンという時代の熱を語るなら、外すと明らかに物足りない。

セガサターンは、90年代の主流そのものではなかったかもしれません。
しかし、主流ではないからこそ濃くなる文化もありました。

その濃さを雑誌として形にしていたという意味で、『セガサターンマガジン』はSランクにふさわしい存在だと思います。

ゲーメスト|ゲームセンターの熱気を誌面に持ち込んだアーケード専門誌

『ゲーメスト』は、家庭用ゲーム雑誌とはまったく違う方向から90年代のゲーム文化を支えた雑誌です。

新声社から1986年に創刊され、1999年まで発行されていたアーケードゲーム専門誌として知られています。家庭用ゲームではなく、ゲームセンターのゲームを中心に扱っていた点が最大の特徴でした。

90年代のゲームセンターは、今とはかなり違う存在感を持っていました。

学校帰りや休日に立ち寄る場所。
上手い人のプレイを後ろから見る場所。
対戦台の向こう側にいる知らない相手と勝負する場所。
攻略情報が少ない中で、少しずつ上達していく場所。

『ゲーメスト』は、そういうアーケード文化と非常に相性が良い雑誌でした。

とくに90年代前半以降は、対戦格闘ゲームのブームが大きくなっていきます。
『ストリートファイターII』以降、ゲームセンターは単にゲームを遊ぶ場所ではなく、人と人が腕を競う場所として盛り上がりました。

その熱気を誌面で追いかけるには、家庭用ゲーム雑誌とは違う視点が必要でした。

技表。
攻略。
ハイスコア。
対戦の読み合い。
プレイヤー同士の空気。
ゲームセンターで流行っている作品の勢い。

『ゲーメスト』は、そうしたアーケードならではの情報を扱える雑誌でした。

また、同誌には読者投稿コーナー「ゲーメストアイランド」や、読者投票による企画などもあり、単なる攻略情報誌ではなく、アーケードゲーム好きが集まる場所のような側面もありました。

この点も重要です。

90年代のゲーム雑誌は、情報を届けるだけではありませんでした。
読者投稿、イラスト、ランキング、コラムなどを通じて、「同じゲームを好きな人がいる」と感じられる場所でもありました。

『ゲーメスト』の場合、それが家庭用ゲームではなく、ゲームセンター文化と結びついていたところに個性があります。

ファミ通や電撃PlayStationを読んでいた人とは、少し読者層が違ったかもしれません。
でも、アーケードゲームを本気で遊んでいた人にとって、『ゲーメスト』の存在はかなり大きかったはずです。

とくに格闘ゲーム、シューティング、アクション、ハイスコア文化を語るなら、この雑誌を外すのは難しいです。

『ゲーメスト』をSランクに置いたのは、総合的な知名度だけではなく、アーケードゲーム文化への貢献を重く見たからです。

家庭で遊ぶゲームとは違う、ゲームセンターのざわつき。
上手い人への憧れ。
対戦で勝ちたい気持ち。
攻略情報を読み込んで、次にゲーセンへ行くときに試したくなる感じ。

そういう90年代ならではの空気を、かなり濃く誌面に閉じ込めていた雑誌だったと思います。

Sランクまとめ|“みんなの雑誌”ではなく“誰かに深く刺さった雑誌”

Sランクの雑誌は、SSランクの2誌とは違う強さを持っています。

『Vジャンプ』は、ゲーム、漫画、アニメ、カードをまとめて楽しむ少年向けエンタメ誌。
『ファミリーコンピュータMagazine』は、ファミコン時代から続く攻略と裏技文化の象徴。
『セガサターンマガジン』は、セガサターンというハードの濃い時代を支えた専門誌。
『ゲーメスト』は、ゲームセンター文化を本気で追いかけたアーケード専門誌。

この4誌は、読者層も役割もかなり違います。

だからこそ、同じSランクに置いています。

広く全員に届いたというより、特定の読者に深く刺さった。
そして、その読者にとっては「これが一番だった」と言えるだけの存在感があった。

90年代のゲーム雑誌文化は、ファミ通だけで説明できるものではありません。
PlayStationだけでも、任天堂だけでも、セガだけでも、ゲームセンターだけでもありません。

家庭用ゲーム、アーケード、漫画、カード、裏技、読者投稿。
いろいろな入口があったからこそ、90年代のゲーム雑誌は面白かったのだと思います。

次は、SSやSほど時代全体を動かしたわけではないものの、独自の視点や濃い読者層を持っていたAランクの雑誌を見ていきます。

Aランク|主流ではないからこそ、強烈な個性を放ったゲーム雑誌

Aランクに置いたのは、以下の雑誌です。

・ゲーム批評
・BEEP!メガドライブ
・電撃セガサターン
・マル勝スーパーファミコン
・Theスーパーファミコン

Aランクの雑誌は、SSやSに比べると、時代全体を広く動かした存在というより、特定の方向に深く刺さった雑誌です。

ただし、このゾーンが弱いわけではありません。

むしろ、90年代ゲーム雑誌の面白さは、ここにかなり詰まっています。

総合誌として広く届いたファミ通。
PlayStation専門誌として濃い読者を抱えた電撃PlayStation。
少年向けエンタメとつながったVジャンプ。
アーケード文化を背負ったゲーメスト。

それらとは別に、Aランクの雑誌には「普通の情報誌では拾いきれない空気」がありました。

ゲームを批評する。
セガハードを濃く追いかける。
スーパーファミコン時代の攻略や誌面企画で読者をつかむ。
少しクセのある編集方針で、読む人を選びながらも記憶に残る。

今回Aランクにした雑誌は、そういう個性を重視しています。

ゲーム批評|ゲームを“褒める情報”ではなく“語る対象”にした異色誌

『ゲーム批評』は、90年代ゲーム雑誌の中でもかなり異色の存在です。

新作情報や攻略を中心にした雑誌ではなく、ゲームそのものを批評することに重きを置いた雑誌でした。1994年に創刊され、2006年に69号で休刊した雑誌として知られています。

この雑誌が面白いのは、当時のゲーム雑誌の空気とは少し違う場所に立っていたことです。

90年代のゲーム雑誌は、基本的に新作情報、攻略、レビュー、読者投稿、メーカー広告が中心でした。
読者にとっては楽しい誌面でしたが、どうしても「これから出るゲームを盛り上げる」方向に寄りやすい面もあります。

その中で『ゲーム批評』は、もう少し距離を取ってゲームを見ようとした雑誌でした。

有名なのが、ゲーム会社の広告を入れない方針です。
『ゲーム批評』は、ゲーム雑誌でありながらゲーム会社の広告を受け入れない姿勢を持ち、裏表紙に「ゲームの広告を入れません」という宣言を掲げていたことでも知られています。

これはかなり尖っています。

もちろん、広告がないから必ず公平という単純な話ではありません。
批評にも好みや時代性は出ますし、読者によって納得できる意見、できない意見はあったはずです。

それでも、『ゲーム批評』がゲーム雑誌文化に持ち込んだ視点は重要でした。

ゲームを単に「買うか買わないか」で見るのではなく、
なぜ面白いのか。
どこが問題なのか。
作り手の都合と遊び手の体験はどう違うのか。
ゲームというメディアは、どう語られるべきなのか。

そういう問いを誌面に持ち込んだという意味で、『ゲーム批評』はかなり独自性の高い雑誌です。

ファミ通のような総合的影響力はありません。
電撃PlayStationのように特定ハードの読者を長く抱えた雑誌とも違います。

しかし、ゲームを「消費する商品」だけでなく、「批評される文化」として扱おうとした姿勢は、今振り返ってもかなり印象的です。

今回Aランクにしたのは、読者数や知名度ではなく、視点の独自性を評価したからです。

ゲーム雑誌がまだ大きな情報源だった時代に、あえてゲームを褒めるだけではない雑誌を作る。
その存在自体が、90年代ゲーム文化の幅を広げていたと思います。

BEEP!メガドライブ|日本初のセガハード専門誌として残した存在感

『BEEP!メガドライブ』は、セガハード専門誌の流れを語るうえで非常に重要な雑誌です。

もともとの『Beep』は1984年創刊のゲーム雑誌で、その後、1989年に『BEEP!メガドライブ』としてリニューアルされました。『セガハードヒストリア』の商品紹介でも、1989年に日本初のセガハード専門誌として創刊した雑誌と説明されています。

この雑誌が重要なのは、メガドライブというハードにかなり早い段階から寄り添っていたことです。

90年代前半のメガドライブは、スーパーファミコンほど一般層に広く浸透したハードではありませんでした。
しかし、アーケードライクなアクション、海外ゲーム、セガらしいスピード感、そして少し大人びた雰囲気に惹かれた人にとっては、非常に強い魅力を持っていました。

『BEEP!メガドライブ』は、その熱を支える専門誌でした。

ファミ通のように全ハードを広く扱うのではなく、メガドライブを中心に追う。
だからこそ、読者との距離は近くなります。

「自分はメガドライブが好きだ」
「このハードには、このハードにしかない良さがある」
「みんながスーファミを選んでいても、自分はこっちが面白い」

そういう感覚を受け止めてくれる雑誌があることは、当時のセガファンにとって大きかったはずです。

また、『Beep』から続くソフトバンク系セガ専門誌の流れは、その後の『セガサターンマガジン』『ドリームキャストマガジン』にもつながっていきます。『Beep』でセガを推した流れが『BEEP!メガドライブ』『セガサターンマガジン』『ドリームキャストマガジン』へ続いたという整理もあります。

つまり『BEEP!メガドライブ』は、単体の雑誌としてだけでなく、セガハード専門誌文化の出発点としても大きな意味を持っています。

今回Aランクに置いた理由は、影響範囲の広さよりも、セガ専門誌としての濃さと系譜の重要性です。

ファミ通のような全国区の総合感はない。
でも、メガドライブを選んだ読者の記憶には、かなり深く残っている。

90年代ゲーム雑誌を語るなら、こういう雑誌をきちんと入れておきたいです。

メガドライブFAN|もうひとつのメガドライブ専門誌として愛された徳間系の一冊

『メガドライブFAN』は、メガドライブ専門誌を語るなら外せない雑誌です。

『ファミリーコンピュータMagazine』の姉妹誌として展開された雑誌で、ファミマガのコーナーから独立したメガドライブ専門誌として知られています。

『BEEP!メガドライブ』がソフトバンク系のセガ専門誌として強い存在感を持っていた一方で、『メガドライブFAN』は徳間書店インターメディア系のメガドライブ専門誌として、別の角度からメガドライブ読者を支えていました。

メガドライブは、90年代前半の家庭用ゲーム機の中でもかなり個性の強いハードでした。

スーパーファミコンのような王道感とは少し違う。
アーケード寄りの作品、スピード感のあるアクション、海外ゲームの雰囲気、そしてセガらしい少し尖ったタイトル。

そうした空気に惹かれた読者にとって、メガドライブ専門誌はただの情報源ではありませんでした。

「自分が選んだハードには、ちゃんと面白いゲームがある」
「メガドライブには、メガドライブにしかない魅力がある」

そう感じさせてくれる存在だったと思います。

『メガドライブFAN』の存在感は、後年の復刻企画からも伝わってきます。
2019年には、メガドライブミニ発売に合わせて『BEEP! メガドライブFAN―2誌合体!メガドライブミニ総力特集号―』が刊行されました。徳間書店公式でも、「メガドライブ」販売当時の専門誌『メガドライブFAN』を復刻し、『BEEP! メガドライブ』とタッグを組んだ特集号であることが紹介されています。

これはかなり象徴的です。

当時のメガドライブ専門誌として、『BEEP!メガドライブ』と『メガドライブFAN』が並んで記憶されているからこそ、2誌合体という形が成立したのだと思います。

今回Aランクに置く理由は、まさにその“メガドライブ専門誌としての記憶の強さ”です。

『BEEP!メガドライブ』がセガハード専門誌の流れを語るうえで重要な存在だとすれば、『メガドライブFAN』は徳間系の読者目線でメガドライブを支えた雑誌。

同じメガドライブ専門誌でも、誌面の空気や読者の受け取り方は違っていたはずです。

90年代ゲーム雑誌を振り返るなら、メガドライブ系を『BEEP!メガドライブ』だけで終わらせるのは少しもったいない。

『メガドライブFAN』を入れることで、あの時代のセガファンの濃さがより立体的に見えてきます。

BEEP! メガドライブFAN―2誌合体! メガドライブミニ総力特集号―

メガドライブ世代にはかなり危険な一冊。当時ライバルだった『BEEP!メガドライブ』と『メガドライブFAN』が復活し、あの頃の空気をまとめて思い出せる濃い内容です。

価格・在庫・仕様や版の違いなどは変動します。購入の際は各ショップの商品ページで最新情報をご確認ください。

電撃セガサターン|サターン後期の濃い読者層に刺さった専門誌

『電撃セガサターン』は、セガサターン専門誌の中でも、かなり濃い読者層に向けた雑誌でした。

もともとは『電撃SEGA EX』として刊行され、1997年7月に『電撃セガサターン』へ誌名変更された流れが確認できます。電撃オンラインのセガサターン20周年記事でも、1997年7月に雑誌名が『電撃セガサターン』へ変わったことが紹介されています。

『セガサターンマガジン』がセガサターン専門誌の大きな柱だったとすれば、『電撃セガサターン』はもう少し後発で、サターン後期の濃い空気を拾った雑誌という印象です。

90年代後半のセガサターンは、PlayStationとの競争の中で苦しい立場にありました。

それでもサターンには、独自の魅力がありました。

アーケード移植の強さ。
格闘ゲームやシューティングとの相性。
『サクラ大戦』のようなキャラクター性の強い作品。
ギャルゲー、アドベンチャー、RPGなど、濃いファンを持つタイトル群。

『電撃セガサターン』は、そうした時期のサターン読者に向けて、かなり近い距離で情報を届けていた雑誌でした。

全方位に届く雑誌ではありません。
むしろ、読者を選ぶ雑誌だったと思います。

しかし、その“選ばれた読者に深く届く”というところが、専門誌の面白さです。

ファミ通でセガサターンの情報を見るのと、セガ専門誌で読むのとでは、受け取り方が違います。
総合誌では、どうしても市場全体の中でサターンを見ることになります。
専門誌では、そのハードを好きな人の目線で作品を見られます。

『電撃セガサターン』は、サターン後期の「まだまだこのハードで遊びたい」という気持ちを支えていた雑誌だったのではないでしょうか。

今回Aランクにしたのは、セガサターンマガジンほどの代表性ではなく、後発専門誌としての濃さを評価したからです。

90年代のゲーム雑誌文化には、こうした“ハード末期の熱”を拾った雑誌も必要でした。

主流から少し外れても、そこにしかない面白さを追いかける。
『電撃セガサターン』は、その役割を持っていた雑誌だと思います。

電撃PCエンジン|PCエンジン後期からキャラクター誌への流れを作った専門誌

『電撃PCエンジン』は、PCエンジン系のゲーム雑誌を語るなら外せない存在です。

1993年2月号、つまり1992年12月26日発売号で「PCエンジン&PC-FX専門誌」として創刊され、その後1996年6月号で『電撃G’sエンジン』へ誌名変更。さらに1997年8月号で『電撃G’sマガジン』へとつながっていきます。

この流れが面白いのは、『電撃PCエンジン』が単なるPCエンジン専門誌で終わらなかったことです。

PCエンジンは、ファミコンやスーパーファミコンとは違う独自の存在感を持っていました。

HuCARDのコンパクトさ。
CD-ROM²による音声やビジュアル表現。
RPG、アドベンチャー、キャラクター性の強いタイトル。

特に90年代前半のPCエンジンは、家庭用ゲーム機でありながら、アニメ的な演出や音声表現と相性の良いハードとして記憶している人も多いはずです。

『電撃PCエンジン』は、そうしたPCエンジン後期の空気を受け止めた専門誌でした。

さらに重要なのは、この雑誌がのちの『電撃G’sマガジン』へつながっていく点です。

ゲーム情報誌から、キャラクター、読者参加企画、アニメ・ゲーム系エンタメ誌へ。
その流れを考えると、『電撃PCエンジン』は90年代ゲーム雑誌の中でもかなり独特な立ち位置にあります。

『ファミ通』のように広くゲーム業界全体を見渡した雑誌ではありません。
『電撃PlayStation』のように巨大ハードと長く並走した雑誌でもありません。

それでも、PCエンジン後期の濃さと、後のキャラクター誌文化への橋渡しを考えると、Aランクに置く価値は十分あります。

PCエンジンというハードの終盤に寄り添いながら、次の時代の雑誌文化にもつながっていった。
『電撃PCエンジン』は、そういう意味でかなり面白い専門誌だったと思います。

PC Engine FAN|PCエンジン専門誌として最後まで残った存在

『PC Engine FAN』も、PCエンジン系の雑誌文化を語るうえで欠かせません。

徳間書店インターメディアが発行していたPCエンジン専門誌で、国立国会図書館サーチでは、1988年12月の1巻1号から1996年10月の9巻10号・通巻95号まで刊行されていたことが確認できます。

また、PCエンジンおよびPC-FXの専門情報誌として最後まで残った雑誌とも説明されています。

この「最後まで残った」という点はかなり重要です。

PCエンジンは、1980年代後半から90年代前半にかけて強い存在感を持っていました。

ただ、90年代に入るとスーパーファミコンが家庭用ゲーム機の中心になり、その後はPlayStationやセガサターンの時代へ移っていきます。

その中で、PCエンジン専門誌は徐々に厳しい立場になっていきました。

それでも『PC Engine FAN』は、PCエンジンとPC-FXを追いかける専門誌として残り続けました。

これは、当時のファンにとってかなり大きかったと思います。

総合誌では扱いが小さくなっていくハードでも、専門誌ならしっかりページを割いてくれる。
まだそのハードで遊んでいる読者に向けて、新作情報や攻略、読者投稿、周辺情報を届けてくれる。

専門誌の価値は、まさにそこにあります。

『PC Engine FAN』は、90年代ゲーム雑誌全体の中心にいた雑誌ではないかもしれません。
しかし、PCエンジンを追いかけていた読者にとっては、非常に重要な存在でした。

『電撃PCエンジン』が後の電撃系キャラクター誌へつながる流れを持つ雑誌だとすれば、『PC Engine FAN』はPCエンジン専門誌として最後まで踏みとどまった雑誌です。

同じPCエンジン系でも、役割は少し違います。

新しい流れを作った雑誌。
最後まで寄り添った雑誌。

どちらも、PCエンジンというハードの歴史を支えた存在でした。

90年代ゲーム雑誌を振り返るなら、セガ系だけではなく、PCエンジン系の専門誌文化も外せません。

マル勝スーパーファミコン|角川らしい企画色と読者参加の濃さがあった雑誌

『マル勝スーパーファミコン』は、スーパーファミコン時代のゲーム雑誌を語るうえで、少し独特の存在感を持っていた雑誌です。

前身にあたる『マル勝ファミコン』は角川書店が刊行していたゲーム雑誌で、ファミコン時代から続く流れを持っていました。のちにスーパーファミコン時代へ移る中で、『マル勝スーパーファミコン』として誌名を変えていきます。

この雑誌の面白さは、単なる攻略情報だけではなく、誌面企画や読者参加型のノリが強かったことです。

ファミ通のような総合情報誌とも、ファミマガのような裏技文化の象徴とも少し違う。
『マル勝』には、どこか「雑誌そのものを楽しむ」ような空気がありました。

たとえば、同誌の読者参加型企画として知られる「ごきげんスーパーファミコン」は、もともと『マル勝ファミコン』時代のコーナーから続いた企画で、誌名変更に合わせてコーナー名も変化したとされています。読者から送られてくるネタを掲載し、ポイント制で競うような形式を取っていたことも確認できます。

これは、90年代のゲーム雑誌らしい文化です。

今ならSNSで感想を書き、動画で攻略を見て、コメント欄で盛り上がれます。
でも当時は、読者投稿コーナーが「ゲーム好き同士のつながり」を感じられる貴重な場所でした。

攻略記事だけを読むのではなく、投稿ネタを読む。
イラストを見る。
誌面の企画に参加する。
雑誌の中に、読者同士の遊び場がある。

『マル勝スーパーファミコン』は、そういう“参加するゲーム雑誌”としての味がありました。

また、角川系らしく、ゲームそのものだけではなく、漫画・読者企画・キャラクター的な見せ方にも強さがありました。
そのため、単なる情報誌というより、読者が誌面の空気ごと楽しむタイプの雑誌だったといえます。

もちろん、時代全体への影響力でいえば、ファミ通や電撃PlayStationほどの大きさではありません。
スーパーファミコン専門誌として見ても、圧倒的な代表格とまでは言いにくいかもしれません。

それでもAランクに置いたのは、誌面の個性がはっきりしていたからです。

90年代のゲーム雑誌には、攻略情報だけでは測れない面白さがありました。
『マル勝スーパーファミコン』は、その「雑誌を読むこと自体が遊びになる」感覚を持っていた一冊です。

Theスーパーファミコン|スーファミ初期の勢いを受け止めた専門誌

『Theスーパーファミコン』は、ソフトバンク出版事業部が刊行していたスーパーファミコン専門誌です。

1990年から1996年にかけて刊行されていた雑誌で、略称は『Theスー』とされています。

この時期は、まさにスーパーファミコンが家庭用ゲームの中心に向かっていく時代でした。

スーパーファミコンは1990年11月21日に日本で発売され、ファミコンの後継機として登場しました。発売初期から『スーパーマリオワールド』や『F-ZERO』といったタイトルがあり、そこからRPG、アクション、格闘ゲーム、シミュレーションなど、多くのジャンルで名作が生まれていきます。

『Theスーパーファミコン』は、そのスーファミ時代の入口から雑誌として存在していたことに意味があります。

新しいハードが出たばかりの時期は、読者もまだ何が起こるかわかっていません。

どんなゲームが出るのか。
ファミコンから何が変わるのか。
グラフィックや音はどれほど進化するのか。
次に買うべきソフトは何なのか。

そういう期待が大きかった時期に、専門誌としてスーパーファミコンを追いかけていたわけです。

ソフトバンク系のゲーム雑誌は、『Beep』から『BEEP!メガドライブ』、さらに『セガサターンマガジン』へと続く流れでも知られていますが、同時に『Theスーパーファミコン』のように、任天堂系ハードの専門誌も展開していました。

ソフトバンク系の関係者インタビューでも、『Theスーファミ』の時代に攻略本へ本格的に力を入れていったことや、スーパーファミコンが大きく伸びたハードだったことが語られています。

これはかなり重要です。

90年代前半のゲーム雑誌は、単に発売情報を載せるだけではなく、攻略本ビジネスとも近い関係にありました。
難しいゲームをどう進めるか。
RPGをどこまで詳しく紹介するか。
アクションや格闘ゲームの攻略をどう誌面に落とし込むか。

スーパーファミコンは名作が多いぶん、攻略情報の需要も大きかったハードです。
その時期に専門誌として存在していた『Theスーパーファミコン』には、時代と噛み合った強さがありました。

ただし、今回のTierではAランクにしています。

理由は、スーパーファミコン時代そのものの大きさに比べると、『Theスーパーファミコン』単体の記憶への残り方は、ファミ通やファミマガほど広くはないと判断したからです。

それでも、スーファミ初期から中期の勢いを受け止めた専門誌として、記事の中で外すのはもったいない存在です。

スーパーファミコンという巨大なハードの熱を、専門誌として追いかけた。
その一点で、『Theスーパーファミコン』はAランクに置く価値があります。

Aランクまとめ|情報量よりも“誌面のクセ”が記憶に残る雑誌たち

Aランクの雑誌は、どれも一言で説明しにくい存在です。

『ゲーム批評』は、ゲームをただ紹介するのではなく、批評する対象として扱った異色誌。
『BEEP!メガドライブ』は、日本初のセガハード専門誌として、メガドライブファンの濃い熱を支えた雑誌。
『電撃セガサターン』は、サターン後期の読者に向けて、濃い専門誌らしさを出した雑誌。
『マル勝スーパーファミコン』は、読者参加や誌面企画を含めて、雑誌そのものを楽しませるタイプの雑誌。
『Theスーパーファミコン』は、スーファミ初期から中期の勢いを専門誌として受け止めた雑誌。

このAランクは、SSやSに比べると、全員におすすめできる王道ではないかもしれません。

でも、90年代ゲーム雑誌を語るなら、むしろこのあたりの雑誌こそ面白いです。

読んでいた人の数だけでいえば、もっと大きな雑誌はあります。
けれど、記憶への残り方は部数だけでは決まりません。

少し尖っていた。
読者投稿が妙に濃かった。
特定ハードへの愛が強かった。
攻略や批評の目線が他誌と違っていた。

そういうクセのある雑誌ほど、時間が経ってから思い出したときに妙に懐かしくなります。

90年代のゲーム雑誌文化は、きれいに整理されたものではありませんでした。

総合誌があり、専門誌があり、攻略誌があり、アーケード誌があり、批評誌があり、読者投稿の濃い雑誌がある。
その雑多さこそが、あの時代の面白さだったと思います。

次は、Bランクとして、時代全体への影響は限定的ながらも、特定ハードや短い時期に強く寄り添った雑誌を見ていきます。

Bランク|時代全体ではなく“特定ハードの記憶”に残るゲーム雑誌

Bランクに置いたのは、以下の雑誌です。

・電撃SEGA EX
・サターンFAN
・ドリームキャストマガジン

Bランクは、決して「弱い雑誌」という意味ではありません。

ただ、今回のTier表では、90年代ゲーム雑誌文化全体への影響力、読者層の広がり、今振り返ったときの代表性を基準にしているため、SSやS、Aよりも少し限定的な位置づけにしています。

この3誌に共通しているのは、特定のハードや短い時期に強く寄り添っていたことです。

とくにセガ系の雑誌は、時期ごとの誌名変更や後継誌の流れが多く、少し整理が難しいジャンルです。

『電撃SEGA EX』は、のちに『電撃セガサターン』へ続く前段階の雑誌。
『サターンFAN』は、徳間書店系のセガサターン専門誌。
『ドリームキャストマガジン』は、『セガサターンマガジン』の流れを受け継ぎ、ドリームキャスト発売に合わせて創刊された専門誌です。

どれもファミ通のような総合的な広がりとは違います。

しかし、セガサターンやドリームキャストというハードをリアルタイムで追いかけていた人にとっては、かなり思い出深い名前だと思います。

電撃SEGA EX|電撃セガサターンへつながる“前夜”の雑誌

『電撃SEGA EX』は、今回のTier表ではBランクにしました。

理由は、雑誌そのものの存在感が弱かったというより、『電撃セガサターン』へつながる前段階としての意味合いが強いからです。

国立国会図書館サーチでは、『電撃セガサターン』の関連資料として、継続前が『電撃Sega EX』、継続後が『電撃Dreamcast』と整理されています。『電撃セガサターン』自体は1997年7月11日のVol.1から1998年11月27日のVol.31まで、隔週刊で刊行されていたことも確認できます。

また、電撃オンラインのセガサターン20周年記事でも、1997年7月に雑誌名が『電撃セガサターン』へ変わり、月刊から隔週ペースになったと紹介されています。

この流れを見ると、『電撃SEGA EX』は、電撃系セガ専門誌の土台として見るのが自然です。

セガサターンの時代は、PlayStationとの競争が激しく、情報誌もそれぞれのハードに合わせて色を強めていった時期でした。

その中で『電撃SEGA EX』は、セガ系タイトルを追う読者に向けた雑誌として存在し、のちの『電撃セガサターン』へつながっていきます。

ただし、今回のTier表では、『電撃セガサターン』をAランクに置いているため、『電撃SEGA EX』は一段下のBランクにしました。

これは軽視ではありません。

むしろ、誌名変更後の『電撃セガサターン』がより明確にサターン専門誌として印象を残したため、前身的な位置にある『電撃SEGA EX』は「系譜として重要」と評価するのがちょうどいいと思います。

ゲーム雑誌には、こういう“移行期の名前”があります。

その雑誌名単体では大きく語られにくい。
でも、後から振り返ると、確かに次の時代へつながる場所にあった。

『電撃SEGA EX』は、まさにそういう雑誌です。

サターンFAN|徳間書店系が出したもうひとつのサターン専門誌

『サターンFAN』は、セガサターン専門誌の中でも、少し語られにくい存在かもしれません。

徳間書店インターメディアは、1994年末のPlayStation、セガサターン発売に合わせて新雑誌を創刊していたとされ、その流れの中に『Saturn FAN』も含まれます。

この雑誌をBランクに置いた理由は、セガサターン専門誌として一定の役割を持ちながらも、今回のTier表で扱っている『セガサターンマガジン』や『電撃セガサターン』に比べると、現在の文脈で語られる機会がやや少ないためです。

セガサターン時代は、専門誌の競争もかなり濃いものでした。

ソフトバンク系の『セガサターンマガジン』。
メディアワークス系の『電撃セガサターン』。
そして徳間書店系の『サターンFAN』。

同じサターンを扱っていても、誌面の雰囲気、読者層、得意な企画はそれぞれ違っていたはずです。

ただ、今から振り返る記事としては、『サターンFAN』を過度に大きく語りすぎるのは少し危険です。

確認できる情報が限られるうえ、読者によって記憶の濃さにも差が出やすい雑誌だからです。

そのため今回は、Bランクとして「セガサターン専門誌群の一角」と位置づけるのが安全だと思います。

それでも、入れる意味はあります。

なぜなら、90年代ゲーム雑誌文化は、代表的な雑誌だけで成り立っていたわけではないからです。

同じハードを扱う雑誌が複数あり、読者はその中から自分に合う誌面を選んでいました。
情報の切り口、表紙の雰囲気、攻略の濃さ、読者コーナーのノリ。
そういう細かな違いが、当時のゲーム雑誌の面白さでした。

『サターンFAN』は、セガサターン時代にそうした選択肢のひとつとして存在していた雑誌です。

SSやSのように時代を代表するとは言いにくい。
けれど、サターン専門誌が複数並び立っていた90年代半ばの空気を語るなら、名前を入れておきたい存在です。

マル勝PCエンジン|角川系PCエンジン専門誌として存在感を放った一冊

『マル勝PCエンジン』は、PCエンジン専門誌の中でも、角川書店系の流れを持つ雑誌です。

角川書店が刊行していたNECホームエレクトロニクスの家庭用ゲーム機・PCエンジン専門誌で、ゲーム雑誌一覧系の資料では、1989年から1994年まで刊行された雑誌として整理されています。

この雑誌をBランクに置いた理由は、PCエンジン専門誌として重要な一角ではあるものの、今回のTier表では『電撃PCエンジン』や『PC Engine FAN』をAランクに置いたためです。

『電撃PCエンジン』は、PCエンジン後期から『電撃G’sマガジン』へつながる流れを持つ雑誌。
『PC Engine FAN』は、PCエンジンおよびPC-FXの専門情報誌として最後まで残った雑誌。

それに対して『マル勝PCエンジン』は、角川系のPCエンジン専門誌として、90年代前半のPCエンジン文化を支えた存在と見るのが自然です。

PCエンジンは、スーパーファミコンやメガドライブとは違う魅力を持っていました。

CD-ROM²による音声やビジュアル表現。
アニメ的な演出。
RPGやアドベンチャーとの相性。
そして、少し濃い読者層に刺さる独自の空気。

そうしたハードを追いかける専門誌が複数存在していたこと自体、当時のPCエンジン人気と専門誌文化の厚みを物語っています。

『マル勝PCエンジン』は、ファミ通や電撃PlayStationのようにゲーム雑誌全体を代表する存在ではありません。
しかし、PCエンジンをリアルタイムで遊んでいた読者にとっては、誌面を通じて新作や攻略、周辺情報を追いかける大事な入口のひとつでした。

今回Bランクに置いたのは、軽い扱いではありません。

むしろ、90年代ゲーム雑誌を振り返るなら、こうした“ハードごとの専門誌の層”も見ておきたいところです。

総合誌では小さく扱われる情報でも、専門誌ならしっかり読める。
自分が遊んでいるハードに向けたページが、きちんと用意されている。

その安心感こそ、当時の専門誌が持っていた大きな価値でした。

『マル勝PCエンジン』は、PCエンジン専門誌群の中で、角川系の個性を持って存在していた一冊です。

PCエンジンというハードの記憶を語るうえで、名前を添えておきたい雑誌だと思います。

ドリームキャストマガジン|セガ最後の家庭用ハードを追いかけた専門誌

『ドリームキャストマガジン』は、90年代ゲーム雑誌の最後の方に登場した、かなり象徴的な雑誌です。

ソフトバンクの公式発表によると、『週刊ドリームキャストマガジン』は1998年11月6日に創刊されました。これはセガの次世代機ドリームキャストの発売に合わせたもので、『週刊セガサターンマガジン』のスタッフとノウハウを移行し、雑誌名を改題・新創刊したものと説明されています。

国立国会図書館サーチでも、『ドリームキャストマガジン』は1998年から2001年まで刊行された週刊誌として確認できます。所蔵情報では、1998年11月20日号から2001年5月11日・18日号までが示されており、継続前が『セガサターンマガジン』、継続後が『ドリマガ』と整理されています。

この流れは、かなり重要です。

『ドリームキャストマガジン』は、単なる新ハード専門誌ではありません。

セガサターンからドリームキャストへ。
90年代後半のセガが、もう一度家庭用ゲーム機市場で存在感を取り戻そうとしていた時期に出てきた雑誌です。

ドリームキャストは1998年11月に日本で発売され、インターネット接続機能や『シェンムー』『ソニックアドベンチャー』など、当時としてはかなり先進的な要素を持っていました。

その一方で、家庭用ゲーム機市場全体はPlayStationが強く、さらにPlayStation 2の登場も迫っていました。

つまり『ドリームキャストマガジン』は、期待と不安が入り混じる時期の雑誌だったともいえます。

新しいセガハードへの期待。
サターン時代から続く読者の熱。
ドリームキャストならではのオンライン要素や新作ソフトへの注目。
そして、セガが家庭用ハード事業でどこまで戦えるのかという空気。

そうした時代の境目にあったのが、この雑誌です。

今回Bランクにしたのは、90年代ゲーム雑誌全体で見ると刊行時期がやや後ろで、ドリームキャストというハード自体の期間も長くはなかったためです。

ただし、セガ専門誌の流れとしては非常に重要です。

『BEEP!メガドライブ』から始まり、『セガサターンマガジン』を経て、『ドリームキャストマガジン』へ。
この流れは、セガハードを追い続けた読者の歴史そのものです。

だから『ドリームキャストマガジン』は、評価を低く見すぎるべきではありません。

90年代ゲーム雑誌の終盤に、セガ最後の家庭用ハードを全力で追いかけた専門誌。
その意味で、Bランクの中でもかなり象徴的な存在だと思います。

Bランクまとめ|短い時代に寄り添った雑誌にも価値がある

Bランクの雑誌は、SSやSのように広い読者層を動かしたわけではありません。

『電撃SEGA EX』は、『電撃セガサターン』へつながる前段階の雑誌。
『サターンFAN』は、徳間書店系のセガサターン専門誌として、サターン専門誌群の一角を担った雑誌。
『ドリームキャストマガジン』は、セガサターンマガジンから続く流れの中で、ドリームキャスト時代を追いかけた雑誌。

どれも、時代全体の主役とは少し違います。

でも、ゲーム雑誌文化を振り返るとき、こういう雑誌を抜いてしまうと、当時の空気が平面的になります。

90年代のゲーム雑誌は、巨大な総合誌だけの時代ではありませんでした。

ハードごとの専門誌があり、読者は自分の持っているゲーム機、自分の好きなメーカー、自分の遊び方に合わせて雑誌を選んでいました。

PlayStationを遊ぶ人には、PlayStation専門誌があった。
セガサターンを遊ぶ人には、セガサターン専門誌があった。
ドリームキャストへ進んだ人には、その時代を追いかける雑誌があった。

今振り返ると、そういう細かい分岐そのものが、90年代ゲーム雑誌文化の豊かさだったと思います。

だからBランクは、下位というより「特定の記憶に深く残る雑誌」の枠です。

誰にでも通じる名前ではないかもしれない。
でも、当時そのハードを追いかけていた人にとっては、確かに必要だった。

そういう雑誌を入れてこそ、90年代ゲーム雑誌Tier表は面白くなるのだと思います。

なぜ90年代ゲーム雑誌は特別だったのか

90年代のゲーム雑誌が特別だった理由は、単に「昔だから懐かしい」だけではありません。

当時のゲーム雑誌は、新作情報、発売予定、レビュー、攻略、裏技、読者投稿、ランキングまで、ゲームに関する楽しみを一冊に詰め込んだ存在でした。

今なら、発売日は公式サイトで確認できます。
攻略は検索すれば出てきます。
プレイ映像は動画で見られます。
感想はSNSで探せます。

でも90年代は、そうではありませんでした。

雑誌に載った数枚のスクリーンショットを何度も見返し、発売予定表の小さな文字にワクワクし、レビュー欄の短いコメントを読んで買うかどうか悩む。
攻略ページを開きながらゲームを進め、裏技コーナーを見て友達に話したくなる。

ゲーム雑誌は、ゲームを買う前の期待も、遊んでいる最中の頼もしさも、遊び終わった後の余韻も支えていました。

特に90年代は、スーパーファミコン、メガドライブ、PCエンジン、PlayStation、セガサターン、ニンテンドウ64、ドリームキャストへと、家庭用ゲーム機の主役が何度も入れ替わった時代です。

ハードが変われば、雑誌の空気も変わる。
読者の興味が変われば、誌面の作り方も変わる。

だからこそ、『ファミ通』のような総合誌も、『電撃PlayStation』のような専門誌も、『ゲーメスト』のようなアーケード誌も、『ゲーム批評』のような異色の雑誌も、それぞれ違う形で意味を持っていました。

90年代のゲーム雑誌は、ただ情報を届けるだけではありませんでした。

まだ見ぬゲームへの想像を膨らませる場所であり、攻略の頼れる相棒であり、読者投稿を通じて全国のゲーム好きとつながれる場所でもありました。

便利さだけなら、今の方が圧倒的に上です。

それでも、ページをめくるたびに「次はどんなゲームが載っているんだろう」と思えたあの感覚は、紙のゲーム雑誌ならではのものでした。

今回のTier表で大事にしたかったのも、まさにその部分です。

どの雑誌が一番売れていたか。
どの雑誌が一番正しかったか。
それだけでは、90年代ゲーム雑誌の面白さは語りきれません。

その雑誌を読むことで、どんなゲームの未来が見えたのか。
どんな読者の熱量を受け止めていたのか。
今振り返ったとき、どんな時代の空気を思い出させてくれるのか。

90年代ゲーム雑誌の特別さは、そこにあったのだと思います。

読者投稿・レビュー・ランキングも雑誌の楽しみだった

90年代のゲーム雑誌は、攻略や新作情報だけを読むものではありませんでした。

読者投稿コーナー、レビュー欄、売上ランキング、次号予告。
そうした細かいページまで含めて、一冊まるごと楽しむ雑誌でした。

とくに読者投稿コーナーは、SNS以前の“ゲーム好きの集まる場所”のような存在です。

ゲームの感想。
イラスト。
ネタ投稿。
編集部へのツッコミ。
妙に濃い読者の文章。

今ならネット上に散らばっているものが、当時は雑誌の中に集まっていました。

レビュー欄も同じです。

点数だけを見て一喜一憂するのではなく、短いコメントを読んで「これは自分に合いそうだな」「思ったより評価が割れているな」と想像する時間がありました。

ランキングも、ただの売上表ではありません。

自分が遊んでいるゲームが世間でも人気なのか。
知らないタイトルがなぜ上位にいるのか。
次に買うゲームはどれにするか。

そういう判断材料として、雑誌のランキングはかなり大きな意味を持っていました。

90年代のゲーム雑誌は、情報源であると同時に、読者がゲーム文化の中に参加していると感じられる場所でもありました。

だからこそ、今でも「どの雑誌を読んでいたか」が、その人のゲーム遍歴と結びついて語られるのだと思います。

ゲーム雑誌文化が薄れていった理由

90年代のゲーム雑誌は、ゲーム情報の中心にありました。

しかし、2000年代以降、その役割は少しずつ変わっていきます。

一番大きかったのは、インターネットの普及です。

新作情報はニュースサイトや公式サイトで見られるようになり、攻略は攻略サイトやWikiへ移り、プレイ映像は動画で確認できるようになりました。さらにSNSが広がると、感想や評価も雑誌を待たずに共有されるようになります。

つまり、ゲーム雑誌が担っていた役割が、いろいろな場所へ分散していったのです。

この変化は、実際の雑誌にも表れています。

『電撃PlayStation』は1994年のVol.1刊行から25年続いたPlayStation専門誌でしたが、2020年3月28日発売のVol.686で定期刊行を停止しました。その発表でも、雑誌を取り巻く環境やゲーム情報発信のあり方の変化が理由として挙げられています。

これは、単に「ゲーム雑誌がいらなくなった」という話ではありません。

昔なら一冊の雑誌に入っていたものが、今は別々の場所にあるということです。

速報はWebニュースへ。
攻略は検索や動画へ。
公式情報はメーカーのサイトや配信番組へ。
感想や口コミはSNSへ。
濃い考察はブログやYouTubeへ。

便利さだけなら、今の方が圧倒的に上です。

ただ、そのぶん「一冊をめくるだけでゲームの世界が広がっていく感覚」は薄れていきました。

90年代のゲーム雑誌は、情報源であると同時に、ゲームを待つ時間そのものを楽しませてくれる存在でした。

新作の写真を眺める。
レビュー欄を読んで迷う。
攻略ページに頼る。
読者投稿で笑う。
次号予告を見て、また発売日を待つ。

この一連の体験が一冊にまとまっていたからこそ、90年代ゲーム雑誌は特別だったのだと思います。

Tier外だけど触れておきたいゲーム雑誌たち

今回のTier表では、90年代ゲーム雑誌文化の中心にいた雑誌を優先して取り上げました。

ただ、今回入れた雑誌だけで、当時のゲーム雑誌文化をすべて語れるわけではありません。

たとえば任天堂系では、『The 64DREAM』があります。
1996年にNINTENDO64発売に合わせて創刊された雑誌で、のちに『Nintendo DREAM』へつながっていきます。NINTENDO64からゲームキューブ、ゲームボーイアドバンスへ移っていく時代を追った任天堂系専門誌として、今も名前を覚えている人は多いはずです。

PCエンジン系では、『月刊PCエンジン』も触れておきたい雑誌です。
『マル勝PCエンジン』と同じく1989年から1994年頃まで刊行されていたPCエンジン専門誌で、PCエンジン専門誌が複数並び立っていた時代を感じさせる存在でした。今回は『電撃PCエンジン』『PC Engine FAN』『マル勝PCエンジン』を本文で扱いましたが、PCエンジン雑誌文化の厚みを考えるなら、この名前も外せません。

ドリームキャスト系では、『ファミ通DC』もあります。
今回の本筋では『ドリームキャストマガジン』を優先しましたが、ドリームキャスト時代にも複数の専門誌がありました。セガ最後の家庭用ハードを追いかけた雑誌文化は、短い期間ながらかなり濃いものだったと思います。

また、少し時期は後ろになりますが、中古ゲームやレトロゲームの文脈では『ユーズド・ゲームズ』から続く『GAME SIDE』系の流れも重要です。
『ユーズド・ゲームズ』は1996年7月創刊の中古ゲーム専門誌で、のちに誌名を変えながら『GAME SIDE』へつながっていきました。レトロゲームの掘り起こしに絞った誌面構成は、懐かしさを単なる思い出で終わらせず、古いゲームを改めて語る流れを作った存在ともいえます。

これらをTier本体に入れなかったのは、重要ではないからではありません。

対象を広げすぎると、Tier表というよりゲーム雑誌名鑑になってしまいます。
今回は、90年代ゲーム雑誌の熱量を象徴する雑誌を中心に絞りました。

それでも、Tier外の雑誌にもそれぞれの読者がいて、それぞれの思い出があります。

NINTENDO64に夢中だった人。
PCエンジンを最後まで追いかけた人。
ドリームキャストに未来を感じていた人。
中古ゲームやレトロゲームの再評価に惹かれた人。

そうした記憶まで含めて、90年代から2000年代初頭のゲーム雑誌文化は本当に幅が広かったのだと思います。

ビデオゲームの語り部たち 日本のゲーム産業を支えたクリエイターの創造と挑戦

90年代ゲーム雑誌を読んでいた人ほど刺さる一冊。クリエイターたちの証言から、ゲーム業界が熱かった時代の空気や裏側が見えてくる、ゲーム文化好き向けの読み物です。

価格・在庫・仕様や版の違いなどは変動します。購入の際は各ショップの商品ページで最新情報をご確認ください。

まとめ|結局、90年代ゲーム雑誌の最強時代はいつだったのか

ここまで、90年代ゲーム雑誌を独自Tier表で振り返ってきました。

SSには『ファミ通』『電撃PlayStation』。
Sには『Vジャンプ』『ファミリーコンピュータMagazine』『セガサターンマガジン』『ゲーメスト』。
そしてA、Bにも、それぞれ濃い個性を持つ雑誌たちが並びました。

ただ、今回この記事を書いて改めて感じたのは、「最強のゲーム雑誌」は簡単には決められないということです。

ファミ通を毎週楽しみにしていた人。
セガサターンマガジンを読み込んでいた人。
電撃PlayStationで攻略を追っていた人。
Vジャンプでゲームも漫画もまとめて楽しんでいた人。
ゲーメストを片手にゲームセンターへ通っていた人。

読んでいた雑誌によって、見えていた90年代は少しずつ違っていたはずです。

同じゲーム好きでも、遊ぶハードが違う。
好きなジャンルが違う。
ゲームセンター派か家庭用派かも違う。

だから、90年代ゲーム雑誌文化は面白かったのだと思います。

今はスマホひとつで情報が手に入り、動画も攻略もすぐ見つかります。

それは間違いなく便利です。

でも、ページをめくりながら「次号は何が載るんだろう」と想像していた時間。
発売前の小さなスクリーンショットを何度も見返した時間。
裏技を試して友達と盛り上がった時間。

あの頃のゲーム雑誌には、情報以上の楽しさがありました。

そして結局、一番強かったゲーム雑誌は何かと言われたら、多分答えは人によって違います。

でも、それでいいのだと思います。

結局、一番強いのは「自分が一番読み込んだゲーム雑誌」。

90年代ゲーム雑誌の黄金期は、たぶんそれぞれの思い出の中にあるのかもしれません。

-ゲーム系, サブカル文化史アーカイブ
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