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ゲーム雑誌の付録で発売前のゲームを遊んだ|体験版CD-ROMという消えたゲーム体験

ゲーム雑誌の体験版CD-ROMとは?発売前ゲームを家で遊べた時代と付録ディスクの歴史

ゲーム雑誌の付録CD-ROMを家庭用ゲーム機に入れ、発売前のゲーム体験版を自宅で遊ぶ1990年代後半の様子を描いたイラスト

1997年1月。書店でゲーム雑誌を買い、家へ持ち帰る。

読む前に取り出すのは、誌面ではなく付録のCD-ROMだ。それをPlayStationへ入れると、まだ発売されていないゲームを自分のテレビで操作できる。

現在ならオンラインストアから数分でダウンロードできる「体験版」を、かつては本と一緒に物理的に家まで持ち帰っていた。

しかも、この文化はPlayStationから突然始まったものではない。調べていくとPCエンジン時代まで遡り、PlayStation 2ではCD-ROMからDVD-ROMへ変化し、ゲーム機から体験版をダウンロードできる時代になってからもしばらく続いていた。

消えたのは「体験版」そのものではない。

ゲーム雑誌が、ゲームデータそのものを読者の家まで運んでいた時代が終わったのである。

まず結論|本当に「雑誌のCDをゲーム機へ入れる」と遊べた

ゲーム雑誌の付録CD-ROMは、パソコンで記事を読むためだけのものではなかった。

代表例のひとつが、1997年1月22日に発売された『電撃PlayStation D』だ。

電撃PlayStationが後年公開した回顧記事では、同誌をPlayStationで起動するCD-ROM付き増刊として振り返っている。ディスクには実際に操作できるゲームの体験版が収録されていた。

つまり、読者が特別な開発機やパソコンを用意する必要はない。

雑誌を買い、付属ディスクを自宅のPlayStationへ入れる。それだけでよかった。

ネットが普及する前にゲーム情報をどう集めていたのかについては、つぶログの「ファミ通40周年で考える|ネットがなかった時代、ゲーマーはどうやって情報を集めていたのか」でも扱っている。今回の主役は、そこからもう一歩先へ進んだ「読むだけではなく、雑誌そのものでゲームを遊ぶ」体験だ。

1997年1月22日、発売前の『チョロQ2』まで家で遊べた

『電撃PlayStation D』第1弾を具体的に見ると、この付録がどれほど現在と違うものだったのか分かりやすい。

収録された体験版には、発売前の作品と、すでに発売されていた作品の両方が含まれていた。

収録作品製品版発売日1997年1月22日時点
プリンセスメーカー ゆめみる妖精1997年1月24日発売2日前
チョロQ21997年2月21日約1か月前
エターナルメロディ1996年11月22日すでに発売済み

とくに『チョロQ2』は、製品版発売のおよそ1か月前だ。

当時、雑誌の記事や広告で新作の画面を見ることと、自宅のPlayStationで実際に操作することの間には大きな差があった。

一方で、ここから「雑誌付録の体験版は、すべて発売前ゲームだった」と考えるのは間違いだ。

同じディスクに発売前タイトルと発売済みタイトルが共存している。体験版は発売前プロモーションだけでなく、すでに店頭にあるゲームを試してもらう役割も持っていた。

実はPlayStationより前からあった

「雑誌に家庭用ゲーム機で動く体験版ディスクが付く文化」と聞くと、PlayStation時代を思い浮かべやすい。

しかし、確認できる例はもっと古い。

PCエンジンでは1992年末~1993年初頭まで遡れる

立命館大学ゲーム研究センターの所蔵データには、小学館『PCエンジン CD-ROMカプセル』第1巻について、特別付録としてCD-ROM「ハイパーカタログ」が付属し、誌面に「体験版ソフトの遊び方」が掲載されていたことが記録されている。

発売時期については資料間に少しズレがある。

第3弾の出版社内容情報では「昨年12月の第1弾」とされる一方、ゲーム研究センターの書誌では第1巻の日付を1993年1月10日としている。

そのため、本記事では日単位の発売日を断定せず、『CD-ROMカプセル』第1弾は1992年末から1993年初頭に登場していたと整理する。

少なくとも、「ゲーム雑誌・ムックに家庭用ゲーム機向け体験ディスクを付ける発想はPlayStationから始まった」という説明は成り立たない。

セガサターンにも同じ流れがあった

セガサターンでも、物理ディスクを雑誌・ムックと組み合わせる展開が確認できる。

宝島社の公式書誌には、1995年7月7日発売の『サターンスーパー 1 初めてサターンCDで体験。』が残っている。

つまり1990年代半ばには、PCエンジン、セガサターン、PlayStationと、CD-ROMを扱える家庭用ゲーム機の広がりに合わせて「読む媒体に遊べるディスクを付ける」という形が複数のハードで見られるようになっていた。

ただし、日本で最初の家庭用ゲーム機向け雑誌付録体験版が何だったのかまでは、今回の資料だけでは確定できない。

「日本初」を無理に決めるより、少なくとも1992年末まで遡れるところで止めておく方が正確だ。

雑誌社は、どうやってゲームが動くCD-ROMを作ったのか

ここで疑問になるのが、ゲーム雑誌の編集部がどうやってPlayStationで動くディスクを作っていたのか、という点だ。

『電撃PlayStation D』については、電撃PlayStation自身の後年回顧からかなり具体的なことが分かっている。

第1号では、メーカーからゲームデータの提供を受け、編集部側でCD-ROMを制作していたという。

制作の中心になったのは、PCエンジン用『イースI・II』『天外魔境II 卍MARU』などにも携わった岩崎啓眞氏。第1号のディスクは岩崎氏を中心とする3人で制作したと電撃側は振り返っている。

岩崎氏の後年の著者プロフィールにも、『電撃PlayStation D』『電撃PS2』で体験版付きディスクを100号以上制作した経歴が記されている。

ここから見えるのは、出版社が完成済みの「おまけCD」をメーカーから受け取り、そのまま雑誌に挟んでいたわけではないということだ。

メーカーからゲームデータを受け取る
↓
雑誌側で複数のコンテンツをまとめる
↓
家庭用ゲーム機で起動できる付録ディスクとして読者へ届ける

少なくとも『電撃PlayStation D』では、こうした制作工程が存在していた。

ただし、PlayStation側の認証手続き、マスター作成、ディスクプレスまでの詳細な工程は、今回確認した資料だけでは完全に追えない。そこを推測で埋めることはしない。

CD-ROMに入っていたのは体験版だけではない

「体験版CD-ROM」という言い方から、ディスクにはゲームの試遊版だけが並んでいたように思えるかもしれない。

実際にはもっと雑多で、それがこの文化の面白いところでもある。

『電撃PlayStation D』第1号にはゲーム体験版だけでなく、「電撃PS表紙Data Base」やクイズ「CDの奴隷」なども収録されていた。後の号ではセーブデータ配布も行われている。

PCエンジンの『CD-ROMカプセル』にも、体験版とともにゲームカタログが収録されていた。

物理ディスクは、単なる「試遊版の入れ物」ではなかった。

ゲーム紹介、映像、データベース、セーブデータなど、紙面だけでは届けられないデジタルコンテンツをまとめて運ぶ場所にもなっていた。

「プレプレ」も同じもの? 実は配られ方が違う

PlayStation世代の体験ディスクを語ると、SCEの「プレプレ」を思い出す人も多い。

しかし「プレプレ」はゲーム雑誌付録ではない。

当時の報道によれば、SCEが運営していた有料会員サービス「PlayStation Club」の会員向けに、新作情報や体験版などを収録したCD-ROMとして配布されていた。PS2時代にはDVD-ROMの「プレプレ2」へ移行している。

形態誰が届けたか主な入手方法
雑誌付録ディスク出版社雑誌・ムックを購入
プレプレSCEPlayStation Club会員向け配布
店頭配布体験版メーカー・販売店などゲームショップなどで受け取る
レビュー用ROMメーカーなど記事・レビュー制作向け。一般消費者用ではない

どれも「発売前後のゲームを先に触れるディスク」に見えるが、誰に、何の目的で、どう届けられたのかは別々だ。

店頭でも配る、雑誌にも入れる――体験版には複数の入口があった

2003年発売の『ANUBIS ZONE OF THE ENDERS』は、当時の体験版が一つの経路だけで配られていたわけではないことをよく示している。

コナミの公式記録によると、2003年1月15日から全国のゲームショップで体験版を配布。同じ体験版は1月24日発売の『電撃PS2』にも収録された。

さらに同年2月には、駅に掲出したポスターへ体験版ディスクを取り付け、持ち帰れるようにするキャンペーンまで行われた。

一つのゲームでさえ、店頭配布、雑誌付録、広告キャンペーンと複数の入口が存在していた。

現在の「ストアページを開いて体験版をダウンロードする」という一本道と比べると、ゲームデータそのものをユーザーへ届ける方法を各社が試行錯誤していた時代だったことが分かる。

なぜ、わざわざ雑誌にCD-ROMを付ける必要があったのか

理由を理解するには、1997年に戻る必要がある。

家庭用ゲーム機がオンラインストアへ接続し、数百MBや数GBのデータを直接ダウンロードする時代ではない。

新作を実際に操作してもらうには、ゲームデータを何らかの方法で物理的にユーザーの手元まで運ぶ必要があった。

ゲーム雑誌は全国の書店へ流通している。

そこへ家庭用ゲーム機で起動できるCD-ROMを付ければ、読者は雑誌の記事を読み、そのまま同じ作品を自宅で試すことができる。

『電撃PlayStation D』は、この組み合わせをかなり徹底していた。付録ディスクと無関係な本にCD-ROMを追加したのではなく、ディスクの収録内容を中心に誌面を組み立てていたと電撃自身が振り返っている。

言い換えれば、当時のゲーム雑誌は一時期、情報を伝えるだけでなく、ゲームデータそのものを家庭まで届ける媒体にもなっていた。

ただし、付録ディスクによって製品版の売上がどれほど増えたのか、CD-ROMの製造費がどの程度だったのかといった具体的な費用対効果は、今回の資料では確認できない。

「昔は体験版を無料でもらえた」は少し違う

現在の感覚から振り返ると、「昔は体験版CD-ROMを無料でもらえた」と語りたくなる。

店頭で無償配布された体験版については、その表現で問題ない場合もある。

しかし雑誌付録は事情が違う。

読者は雑誌やムック自体を購入している。『PCエンジン CD-ROMカプセル』第1巻は2,500円、『サターンスーパー1』も有料商品だった。

ディスクだけの追加料金を払っていたわけではなくても、「無料で配られた体験版」と「有料雑誌に付属した体験版」は分けた方が正確だ。

体験版は製品版の冒頭をそのまま切ったものだった?

これも一律には言えない。

体験版には、製品版の一部分を遊べる形にしたものもあれば、プロモーション用に内容や範囲を調整したもの、開発途中のデータを基にしたものも考えられる。

『電撃PlayStation D』について確認できるのは、メーカーから提供されたゲームデータを使って付録ディスクを制作していたところまでだ。

収録されたすべての体験版について「最終製品版と完全に同じデータだった」「製品版の冒頭だけを切り出していた」と一般化できる資料はない。

体験版と製品版の差を検証する場合は、タイトルごとに確認する必要がある。

ゲーム雑誌編集部が発売前に遊んでいたROMとは別物

もうひとつ混同しやすいのが、ゲーム媒体へ提供されるレビュー用ROMやサンプル版だ。

ゲーム雑誌は記事、レビュー、攻略などを制作するため、一般発売前にメーカーからゲームデータを提供されることがある。

しかし、それは編集部が仕事で使用するための素材だ。

今回扱っている雑誌付録体験版は、一般の読者が自宅の市販ゲーム機で遊ぶために製品化・配布されたもの。

「ゲーム雑誌は発売前からゲームを持っていた」ことと、「読者向け付録ディスクが存在した」ことは、同じ発売前入手でも仕組みが違う。

CD-ROMからDVD-ROMへ、PS2時代にも文化は続いた

体験版付き雑誌は、1990年代だけで終わったわけではない。

『電撃PlayStation D』は2001年8月24日発売のVol.186から、PlayStation 2用DVD-ROMを付属する『電撃PlayStation 2』へリニューアルした。

ゲームの容量が増え、ハードがCD-ROM中心からDVD-ROMへ移れば、付録媒体も変わる。

2006年6月16日発売の『電撃PS2 Vol.356』でも、PS2で起動するDVD-ROMへ複数タイトルの体験版やセーブデータが収録されている。

つまり「体験版CD-ROM」という言葉で象徴される文化は、実際にはCD-ROMからDVD-ROMへ媒体を変えながら2000年代まで続いていた。

ゲーム機から体験版をダウンロードできても、すぐには消えなかった

では、物理ディスクの体験版はいつ消えたのか。

ここで「インターネットが普及したから終わった」とだけ説明すると、実際の時間軸を取りこぼす。

PLAYSTATION 3が日本で発売された2006年11月11日、PLAYSTATION Networkもサービスを開始した。PLAYSTATION Storeではゲームコンテンツだけでなく、体験版の無料配信も行われるようになる。

これで、体験版をユーザーへ届けるために物理ディスクを雑誌へ付けることは、技術的な必須条件ではなくなった。

ところが、その瞬間に雑誌付録ディスクが消えたわけではない。

電撃PlayStationの回顧によれば、最後のディスク付き号は2008年2月22日発売のVol.412だった。

時期変化
1992年末~1993年初頭PCエンジンで雑誌・ムック付録の体験ディスクを確認
1995年セガサターンでもディスク付きムックを確認
1997年『電撃PlayStation D』第1弾
2001年PS2対応DVD-ROMの『電撃PlayStation 2』へ移行
2006年11月PLAYSTATION Storeで体験版のオンライン配信が始まる
2008年2月電撃PlayStationで最後のディスク付き号

オンライン配信と物理ディスクは、一時期同じ時代に存在していた。

「ネット配信が始まった日=体験版ディスクが消えた日」ではない。

新しい配布方法が登場したあとも、従来の方法はしばらく残り、少しずつ役割を終えていった。

2026年、消えたのは体験版ではなく「運び方」だった

2026年現在も、ゲームの体験版そのものは消えていない。

オンラインストアから本体へ直接ダウンロードする形で、多くの作品を発売前後に試せる。任天堂も公式サイトでゲーム機向け体験版のダウンロード方法を案内している。

現在なら、欲しいゲームのストアページを開き、「体験版」を選べばいい。

1990年代は違った。

ゲームデータを家へ届けるためには、そのデータが記録された円盤そのものを運ばなければならない。

出版社がディスクを作る。雑誌へ付ける。雑誌を書店へ運ぶ。読者が買って家へ持ち帰る。そしてようやく、ゲーム機へ入れて遊べる。

現在から見れば遠回りだ。

しかしその遠回りがあったからこそ、ゲーム雑誌を買うこと自体が新作ゲームとの最初の接触になることがあった。

1997年当時のゲームを「どこで知り、何を買うか」という感覚まで含めて追体験するなら、「1万円だけ持って1997年のゲームショップへ行く」も合わせて読むと、現在との距離がより見えやすい。

体験版CD-ROMについて、よくある誤解を整理する

よくある認識確認結果
体験版CD-ROMはPlayStationから始まった誤り。 少なくともPCエンジン時代まで遡れる
『電撃PlayStation D』が日本初だった誤り。 それ以前の例が確認できる。日本初が何かは本記事では断定しない
付録の体験版は全部、発売前ゲームだった誤り。 発売前と発売済みの作品が混在していた
雑誌付録の体験版は無料だった不正確。 雑誌・ムック自体は有料
ディスクには体験版しか入っていなかった誤り。 カタログ、データベース、セーブデータなども収録された
「プレプレ」も雑誌付録だった別物。 SCEの会員向けサービスで配布された
雑誌編集部のレビュー用ROMをそのまま付録にした同一視できない。 一般読者向け体験版と業務用素材は目的が違う
PS2になったら体験版付き雑誌はなくなった誤り。 DVD-ROMへ媒体を変えて続いた
ネット配信が始まった瞬間に物理ディスクは消えた誤り。 電撃PlayStationでは2008年まで物理ディスクとオンライン配信が併存した
現在は体験版そのものがなくなった誤り。 主な配布方法がオンラインへ変わった
体験版は必ず製品版の冒頭部分だった一律には言えない。 内容や開発段階はタイトルごとに確認が必要

雑誌を買ったら、「読む前に遊ぶ」ことができた時代

ゲーム雑誌の歴史を語るとき、攻略記事や新作スクープ、レビューばかりに目が向きやすい。

しかし1990年代から2000年代には、それだけでは説明できない期間がある。

本屋で買った雑誌の中に、家庭用ゲーム機でそのまま動くソフトウェアが入っていた。

しかも、ときには製品版より何週間も早い。

雑誌は情報を読むための媒体であると同時に、ゲームデータをユーザーまで運ぶ媒体にもなった。

PCエンジン時代にはすでにその試みがあり、セガサターンへ広がり、PlayStationでは『電撃PlayStation D』のようにディスクと誌面を一体化した媒体へ発展する。PlayStation 2ではDVD-ROMへ変わり、オンライン体験版が登場してからもしばらく残った。

そして現在。

画面上のボタンを押せば、ゲームデータはネットワークを通って直接本体へ届く。

便利になった代わりに、「あの雑誌に体験版が付くらしいから買いに行く」という行動は主流ではなくなった。

消えたのは、体験版ではない。

発売前のゲームを遊ぶために、円盤の付いた雑誌を本屋から家まで持ち帰るというゲーム体験だった。

主な確認資料

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