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『ポケットモンスター 赤・緑』はなぜ2本に分かれていた?「1本では全部集められない」仕組みがゲーム文化を変えた

目次
  1. ポケモン赤・緑はなぜ2本?2バージョン制と通信交換の理由
  2. 結論|赤と緑は「交換したくなる理由」を作るために分かれた
  3. そもそも、赤と緑より先に「交換」というアイデアがあった
  4. ところが「交換できる」だけでは、交換する必要がない
  5. 赤・緑の前には「カートリッジごとに違うポケモンが出る」案があった
  6. 宮本茂氏の提案で「色の違うカートリッジ」へ
  7. 実は田尻智氏は「7色出したい」と考えていた
  8. では、なぜ「赤」と「緑」だったのか
  9. 赤と緑は、何が違ったのか
  10. 厳密には「1人では」ではなく「1本だけでは」全部集められない
  11. 交換が必要なのは「赤と緑の限定ポケモン」だけではなかった
  12. 「容量が足りないから2本に分けた」は正しい?
  13. では結局、「2本買わせるため」だったのか
  14. 面白いのは「同じゲームなのに、全員の体験が同じではない」こと
  15. ゲームボーイの通信ケーブルは「対戦する道具」から「交換する道具」になった
  16. そして「ゲームの外」が遊びになった
  17. 「赤か緑、どっちを買う?」はゲーム開始前の最初の選択だった
  18. ミュウの「151匹目」という噂とも相性が良すぎた
  19. 『青』『ピカチュウ』が出ても、交換という芯は変わらなかった
  20. 30年後も「自分にないものを誰かからもらう」は残っている
  21. 「2バージョン商法」だけでは説明できない
  22. よくある疑問を整理
  23. 『ポケットモンスター 赤・緑』が変えたのは「ゲームの外側」だった
  24. まとめ|赤と緑は「不完全な2本」ではなく、つながるための2本だった

ポケモン赤・緑はなぜ2本?2バージョン制と通信交換の理由

赤と緑の2種類のゲームと、携帯ゲーム機同士を通信ケーブルでつないで交換する仕組みを表現したイラスト

1996年2月27日に発売された『ポケットモンスター 赤・緑』には、今では当たり前に見える大きな特徴があった。

同じ日に、ほぼ同じ物語のゲームが2本発売されたことだ。

『赤』にしか出ないポケモンがいる。『緑』にしか出ないポケモンもいる。

片方だけをどれだけ遊び込んでも、それだけではすべてのポケモンを集められない。

では、なぜそんな仕組みにしたのか。

「同じゲームを2本売りたかったから」

「ゲームボーイの容量が足りなかったから」

現在では、そんな説明を目にすることもある。

しかし、開発者の当時の証言を追うと、赤と緑が2本に分かれた理由はもっとゲームそのものに深く結びついている。

先にあったのは、「ポケモンを友達と交換する」という遊びだった。

そして赤と緑は、その交換を「できる機能」で終わらせず、プレイヤーが本当に交換したくなる状況を作るために生まれた。

さらに2025年、宮本茂氏本人から、そこには商品としての野心も確かにあったことが語られている。

遊びの設計と商品としての設計。

『ポケットモンスター 赤・緑』の2バージョンにはその両方が重なっていた。

結論|赤と緑は「交換したくなる理由」を作るために分かれた

最初に結論をまとめると、『ポケットモンスター 赤・緑』が2バージョンになった最大のゲームデザイン上の理由は、プレイヤー同士がポケモンを交換したくなる状況を作ることだった。

1996年に刊行された『ポケットモンスター図鑑』の開発スタッフインタビューで、田尻智氏はこの点をかなり具体的に説明している。

宮本茂氏から、ポケモンを「交換したい」と思わせる動機をもっと強くするため、色の違うカートリッジを用意し、それぞれ登場するポケモンを変えてはどうかという提案を受けた、という内容だ。

つまり、

交換機能があるから赤と緑を作ったのではない。

交換という遊びをもっと面白くするために、赤と緑という違いを作った。

この順番が重要になる。

段階何が起きたのか
原点田尻智氏がゲームボーイの通信ケーブルから「生き物を行き来させる」交換の遊びを発想
初期構想プレイヤーごとに出現するポケモンを変え、交換する理由を作ろうとする
別案カートリッジごとにランダムなIDを付け、IDによって出現ポケモンを変える案も存在
2バージョン化色の違うカートリッジにして登場ポケモンを変える案が採用される
製品版『赤』『緑』として同時発売。交換しなければ揃わないポケモンが生まれる

現在では「ポケモンは2種類発売されるもの」という印象が強い。

しかし初代の開発をさかのぼると、最初から「赤版と緑版を作ろう」というところから始まったわけではなかった。

そもそも、赤と緑より先に「交換」というアイデアがあった

『ポケットモンスター』の原点を理解するには、ゲームボーイの通信ケーブルまで戻る必要がある。

1999年、田尻智氏は米TIMEのインタビューで、ゲームボーイを見たときに強く惹かれたものとして通信機能を挙げている。

当時、ゲーム機同士を接続する通信は「相手と競う」ために使われることが多かった。

対戦ゲームなら、1Pと2Pをつなぐ。

田尻氏が思い描いたのは、それとは少し違うものだった。

通信ケーブルの中を、生き物がこちらのゲームボーイから向こうのゲームボーイへ移動する。

情報を送り合うだけではなく、自分が持っている生き物そのものを相手へ渡す。

ここからポケモン交換の基本的な発想が生まれた。

だから『ポケットモンスター』にとって通信交換は、完成したRPGへ後から付けた便利機能ではない。

かなり早い段階からゲームの中心にあった。

ところが「交換できる」だけでは、交換する必要がない

ここでひとつ問題が出てくる。

ゲームに交換機能を付けても、全員が自分のソフトだけですべてのポケモンを捕まえられるなら、わざわざ他人と交換する必要はない。

交換は一度試して終わる機能になってしまうかもしれない。

必要だったのは、通信ケーブルそのものではなかった。

「あの人と交換したい」と思う理由だった。

そこで、プレイヤーごとのゲームに違いを作るという方向へ進んでいく。

赤・緑の前には「カートリッジごとに違うポケモンが出る」案があった

1996年刊『ポケットモンスター図鑑』の開発スタッフインタビューには、製品版とは違う初期案も残されている。

メインプログラマーの太田健程氏によると、当初はゲームを初めて起動したとき、そのカートリッジへランダムなID番号を割り当てる案があった。

たとえばIDが偶数か奇数かによって、出現するポケモンを変える。

同じ『ポケットモンスター』を買っても、自分のゲームと友達のゲームでは出てくるポケモンが違う。

そうすれば、自然に交換が必要になる。

この案を見ると、開発側が求めていたものがよく分かる。

本質は「2本の商品を作ること」ではなく、プレイヤー同士のゲームに差を作ることだった。

ただし、ランダムなIDによる違いには分かりにくさもある。

店で同じ商品を買って、家で起動してみなければ自分がどちら側なのか分からない。

そこで登場したのが、もっと目に見える違いだった。

宮本茂氏の提案で「色の違うカートリッジ」へ

同じ1996年のインタビューで、田尻氏は2バージョン化のきっかけとして宮本茂氏の名前を挙げている。

交換したいと思わせる動機をもっと強くする。

その方法として、色の違うカートリッジを用意し、それぞれ登場するポケモンを変えるという発想が出てきた。

これなら違いが一目で分かる。

自分は赤。

友達は緑。

ゲームを始める前から、すでに違うものを持っている。

しかも、その違いにはゲーム上の意味がある。

赤だけでは出会えないポケモンを、緑を持つ友達から交換してもらう。

緑側も同じように赤のプレイヤーを必要とする。

2本の違いが、そのまま人と人をつなぐ理由になった。

実は田尻智氏は「7色出したい」と考えていた

さらに後年の証言では、最初から2色だけを想定していたわけでもなかったことが分かる。

2008年の『Nintendo DREAM』掲載インタビューで田尻氏は、当初はポケモンを7色のバリエーションで出したいと考えていたと振り返っている。

それを宮本氏に相談したところ、7種類では多すぎるものの、「ゲームを始める前から選択が始まる」という発想自体は面白いとして、2種類程度にする案を示されたという。

そして、捕まえられるポケモンをバージョンごとに変えれば、交換するための土台もできる。

これは発売から12年後の回想なので、1996年当時の証言とは分けて扱う必要がある。

ただ、少なくとも「同じ内容のゲームを最初から2本売る」という単純な発想から始まったわけではないことは分かる。

プレイヤーごとに違う世界を持たせたい。

その違いをどう見せるか試行錯誤した先に、赤と緑があった。

では、なぜ「赤」と「緑」だったのか

ここは「なぜ2本だったのか」と分けて考えた方がいい。

なぜ複数バージョンにしたのかについては、交換を促すためという当時の田尻氏の説明がある。

一方、数ある色の中から、なぜ最終的に「赤」と「緑」を選んだのかについては、後年の資料まで含めると複数の説明が存在する。

そのため、本記事では「赤と緑という具体的な2色が選ばれた唯一の理由」までは断定しない。

確実なのは、2種類の色違いカートリッジという分かりやすい形によって、プレイヤーがゲームを始める前から「どちらを選ぶか」という選択が生まれたことだ。

そして選んだ瞬間、もう片方を持つ人に意味が生まれる。

赤と緑は、何が違ったのか

『赤』と『緑』は、ストーリーそのものが別々に作られたゲームではない。

任天堂とポケモン公式が説明している大きな違いは、出現するポケモンの種類と出現率だ。

片方にしか登場しないポケモンが存在し、同じポケモンでも出会いやすさが違う場合がある。

タマムシシティのスロットマシーンの景品にも一部違いがあった。

項目『赤』『緑』の関係
基本ストーリー同じ
登場するポケモン一部異なる
ポケモンの出現率一部異なる
一部の景品違いあり
通信交換赤と緑の間で可能
通信対戦可能

つまり「違うゲームを2本作った」というより、同じ冒険をしているのに持っているポケモンが少しずつ違うという作りだった。

この「少し違う」が重要だった。

違いが大きすぎれば、別々のゲームになる。

違いがなければ、交換する理由がない。

同じゲームだから話が通じる。

でも、持っているものは少し違う。

その距離感が、交換という遊びと非常に相性がよかった。

厳密には「1人では」ではなく「1本だけでは」全部集められない

この記事のタイトルにある「1人では全部集められない」という表現については、少し補足が必要だ。

文字どおりなら、1人で『赤』と『緑』の両方、ゲームボーイ本体2台、通信ケーブルを用意すれば、自分だけで交換することもできる。

したがって技術的に正確なのは、

「『赤』1本、または『緑』1本だけでは、150種類すべてを揃えられない」

ということになる。

ただし1996年の一般的な子どもの遊び方を考えれば、自分で本体とソフトを2セット揃えるより、赤を持つ子と緑を持つ子が通信する方が自然だった。

任天堂の旧公式ページも、赤と緑には一方にしか出現しないポケモンがおり、仲間を集めて通信ケーブルで交換しなければ図鑑を完成できないと説明している。

さらに、そのためにゲームの外で仲間から情報を集めることを、もうひとつのゲームとして表現していた。

ここまで来ると、単なる収集条件ではない。

人を探すことまでゲームにしていた。

交換が必要なのは「赤と緑の限定ポケモン」だけではなかった

初代ポケモンで他人が必要になる理由は、バージョン違いだけではない。

一部のポケモンは、通信交換そのものが進化のきっかけになる。

また、冒険中の選択によって1回のプレイでは同時に入手できないポケモンも存在する。

最初にもらうポケモンもそのひとつだ。

ひとつのセーブデータで選べるのは1匹だけ。

別の選択肢を図鑑へ登録したければ、別のプレイヤーから受け取る方法が生まれる。

任天堂が2016年に初代作品を振り返った記事でも、図鑑完成には家族や友達の協力が必要だったと説明されている。

同じ回顧記事では、イーブイの複数の進化形を集めるため、周囲の友達をポケモンへ誘ったという当時の体験まで紹介されている。

つまり交換は、

  • 赤と緑の違いを埋める
  • 1回のプレイで選べないポケモンを補う
  • 通信交換で進化させる
  • 自分では持っていない個体を他人から受け取る

という複数の場所に組み込まれていた。

赤と緑という2本は、その仕組みを最も分かりやすく見せる入口だった。

「容量が足りないから2本に分けた」は正しい?

この説明を、赤・緑が2本になった理由として採用する根拠は確認できない。

赤にしか出現しないポケモンでも、緑から通信交換して赤へ送れば、その赤のゲーム内で表示し、育て、戦わせることができる。

逆も同じだ。

つまり「赤には赤で捕まえられるポケモンのデータしか入っていない」「容量に入り切らないので2本へ半分ずつ分割した」という構造ではない。

公式資料が説明する違いも、出現する種類や出現率だ。

さらに、1996年の田尻氏自身が2バージョン化について「交換したいと思わせる動機」を強めるためだったと説明している。

ゲームボーイの容量制約が開発全体に大きな影響を与えたことと、赤・緑を2本にした理由は別の話だ。

では結局、「2本買わせるため」だったのか

ここは2025年になって、かなり面白い証言が加わった。

2025年11月5日に行われた任天堂の決算説明会・経営方針説明会で、宮本茂氏が初代『ポケットモンスター』について触れている。

宮本氏によれば、最初のポケモンを作る前、田尻智氏から「任天堂のマリオを超えるなら、1人の客にソフトを2本売らなければならない」という趣旨の冗談を言われたという。

そして宮本氏は、それが『ポケットモンスター 赤・緑』が生まれた「理由の一つ」だったと説明した。

これを見ると、「やっぱり2本売るためだったのでは」と思うかもしれない。

ただし、ここで「理由の一つ」という言葉を落としてはいけない。

1996年の田尻氏の証言では、2バージョン化のゲーム上の目的は交換の動機を強めることだった。

一方、2025年の宮本氏の回想からは、商品として2本存在すること自体にも商売上の面白さを感じていたことが分かる。

この2つは、どちらか一方が間違いなのではない。

ゲームデザインとしては交換を促す。

商品としては2種類から選ばせ、場合によっては複数本が売れる。

両方が同じ方向を向いていた。

「2本買わせるだけの商法だった」と切り捨てても不正確だし、「商売上の意図は一切なかった」と美化するのも違う。

面白いのは「同じゲームなのに、全員の体験が同じではない」こと

初代ポケモンの2バージョン制を、現在の追加コンテンツや完全版と同じ感覚で見ると少し分かりにくい。

赤を買っても、物語の半分しか遊べないわけではない。

緑を買っても、エンディングへ行けないわけではない。

1本だけでRPGとしての冒険は完結する。

欠けているのは、収集の「全部」だった。

その不足を埋める方法が、追加料金でデータを買うことではなく、他人とつながることだった。

ここに初代ポケモンの独特さがある。

自分のゲームにないものを、現実世界の誰かが持っている。

その人を探し、話しかけ、交換条件を決め、通信ケーブルをつなぐ。

ゲームの中だけでは完成しないものを、ゲームの外の人間関係で完成させる。

赤と緑は、その仕組みを強制ではなく遊びとして成立させる装置だった。

ゲームボーイの通信ケーブルは「対戦する道具」から「交換する道具」になった

任天堂は後年、『ポケットモンスター 金・銀』を振り返る公式記事の中で、初代『赤・緑』の通信交換について詳しく説明している。

それ以前のゲームボーイ専用通信ケーブルは、パズルやスポーツなど、2人が対戦するために利用されるケースがほとんどだった。

『赤・緑』では、2台のゲームボーイをつないでモンスターそのものを交換する遊びを実現した。

これは、同じケーブルの意味を変えた。

それまでは、

つなぐ → 戦う

だったものが、

つなぐ → 渡す、もらう、集める

にもなった。

現在ではゲーム内アイテムやキャラクターを他人へ渡すことは珍しくない。

しかし1996年、携帯ゲーム機の小さな画面で育てたポケモンが通信ケーブルを通って友達のゲームへ移る感覚は、新しいものだった。

そして「ゲームの外」が遊びになった

初代『赤・緑』について、任天堂の旧公式ページには印象的な説明が残っている。

赤と緑の片方にしか出現しないポケモンがいる。

だから通信ケーブルで交換しなければ図鑑は完成しない。

その結果、図鑑を完成させるためにはゲームの外で仲間から情報を集める必要があり、それ自体が「もうひとつのゲーム」になる、という説明だ。

これは初代ポケモンが何を狙っていたのかを、かなり端的に表している。

「サンドはどっちに出る?」

「そのポケモン持ってる?」

「これと交換して」

「通信ケーブル持ってる?」

画面の中には存在しない会話が、学校、家、友達同士で発生する。

ゲーム攻略情報だけではない。

誰が何を持っているかという、人間そのものの情報が必要になる。

攻略対象の一部が、現実世界へはみ出した。

「赤か緑、どっちを買う?」はゲーム開始前の最初の選択だった

2バージョン制には、もうひとつ面白い効果がある。

ゲームを起動する前から選択が始まることだ。

赤を買うのか。

緑を買うのか。

友達が赤なら、自分は緑にするのか。

好きなパッケージで選ぶのか。

どちらを買うかという店頭での行動が、すでにゲーム内の収集や友達との交換へつながっている。

田尻氏が後年語った「7色案」に対して、宮本氏が「ゲームを始める前から選択が始まる」点を評価したという回想も、この設計を考えると理解しやすい。

パッケージ違いが単なる外装ではなく、プレイヤーの遊び方へ影響する。

これが赤と緑だった。

ミュウの「151匹目」という噂とも相性が良すぎた

この交換文化を知ると、初代ポケモンでミュウの噂があれほど大きくなった理由も見えやすくなる。

当時のプレイヤーは、すでに、

「自分のゲームにはいないが、友達のゲームにはいるポケモンが存在する」

ということを経験していた。

自分が見たことのないポケモンを、他人が持っていることは不思議ではない。

そこへ、

「実は150匹の外に151匹目がいるらしい」

という噂が入ってくる。

普通のゲームなら「そんなキャラクターはいない」で終わるかもしれない。

しかしポケモンでは、友達から知らないポケモンを見せられること自体が、日常の遊びの中にあった。

「友達の友達が持っているらしい」という話が、完全な作り話として切り捨てにくい。

赤と緑によって作られた交換と口コミの文化は、後のミュウ現象にとって非常に相性のいい土台だった。

『青』『ピカチュウ』が出ても、交換という芯は変わらなかった

『赤・緑』のあとには『ポケットモンスター 青』、さらに『ポケットモンスター ピカチュウ』も登場した。

『青』ではグラフィックや図鑑文章が変更され、出現率などにも違いが加わった。

しかし、バージョンが増えても交換の意味は消えなかった。

むしろ選択肢が増えるほど、「自分のソフトでは何が手に入り、別のソフトでは何が手に入るのか」という比較が生まれる。

その後の『金・銀』以降も、本編シリーズでは複数バージョンという形式が繰り返し採用されていく。

初代で作られた「違いを作り、その違いを通信で埋める」という仕組みは、一作限りでは終わらなかった。

30年後も「自分にないものを誰かからもらう」は残っている

2022年発売の『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』でも、バージョンごとに一部の出現ポケモンが異なる。

そして通信交換によって、他のプレイヤーからポケモンを受け取り、図鑑完成を目指す。

もちろん環境は大きく変わった。

1996年は、ゲームボーイ本体2台を物理的な通信ケーブルでつないだ。

現在はローカル通信だけでなく、インターネットを使って世界中のプレイヤーと交換できる。

『スカーレット・バイオレット』では、相手を指定する通信交換だけでなく、ポケモンを預けて世界の誰かとランダムに交換する「マジカル交換」も用意されている。

技術は変わった。

交換する相手の範囲も、近所の友達から世界中へ広がった。

それでも、

自分のゲームだけでは足りない。

誰かとつながることで、その不足が埋まる。

という初代の考え方は残っている。

「2バージョン商法」だけでは説明できない

赤と緑を現在から見ると、「ほぼ同じゲームを2本出す」という販売方法だけが目立つことがある。

実際、宮本氏の2025年の証言から、2本販売することへの商売上の意識も存在していたことは無視できない。

しかし、それだけでは初代ポケモンの仕組みを説明できない。

もし目的が単純に2本売ることだけなら、2本の間に通信交換という仕組みをここまで深く組み込む必要はない。

逆に、交換という発想だけでも、わざわざパッケージを2色に分ける必要はなかった。

実際、開発初期にはランダムIDによってプレイヤーごとに出現ポケモンを変える案があった。

そこへ「色違いのカートリッジ」という商品上の分かりやすさを持ち込んだことで、

ゲームデザイン上の必要

と

商品としての違い

がひとつになった。

それが『赤・緑』だった。

よくある疑問を整理

よくある説明判定確認できること
容量不足だから赤と緑に分けた根拠なし当事者は交換の動機づけを2バージョン化の理由として説明している
同じゲームを2本買わせるためだけだった不正確商売上の発想はあったが、交換を促すという明確なゲームデザイン上の目的もあった
宮本茂氏が2バージョン化を提案した確認できる1996年の田尻智氏インタビューで、宮本氏の提案がきっかけだったと説明
最初から赤・緑の2種類を作る予定だった不正確カートリッジごとにランダムIDを付けて出現ポケモンを変える案もあった
もともと7種類出す構想もあった後年証言あり2008年に田尻氏本人が7色案を振り返っている
赤1本だけですべて集められる不可反対バージョンとの交換などが必要
1人では絶対に図鑑完成できない厳密には違う複数の本体・ソフトを1人で用意すれば可能。設計上は他プレイヤーとの協力を強く促している
赤と緑はストーリーが違う基本的には違わない主な違いは出現ポケモン、出現率、一部景品など

『ポケットモンスター 赤・緑』が変えたのは「ゲームの外側」だった

赤と緑の2バージョン制が残したものを考えると、単に「色違いの商品を2本出す方法」を発明したという話では終わらない。

大きかったのは、ゲームを完成させるために現実世界の誰かが必要になる設計だった。

ゲームボーイの中にいる150種類のポケモン。

しかし、その全部を自分のカートリッジだけでは集められない。

だから友達に聞く。

見せてもらう。

交換する。

そして自分が持っているポケモンにも、相手にとっての価値が生まれる。

普通なら「手に入らないもの」は不便でしかない。

ポケモンは、その不便を人とつながる理由へ変えた。

ここが『赤・緑』の面白いところだ。

ゲームを1本で完全に閉じなかった。

その代わり、閉じていない部分を友達との通信で埋めるようにした。

1996年当時、通信ケーブルの先にいたのはインターネット上の匿名ユーザーではない。

同じ学校の友達、兄弟、近所の子どもだった。

赤を持つ人と、緑を持つ人。

その違いが会話を生み、交換を生み、ポケモンというゲームの外側にまで遊びを広げていった。

赤と緑の2バージョン制や通信交換が生まれた背景から、さらに初代『ポケットモンスター』の開発そのものを追ってみたい人には、2025年に復刊された『ゲームフリーク 遊びの世界標準を塗り替えるクリエイティブ集団』がよく合う。今回の記事で触れた仕組みを含め、ポケモンが形になるまでのゲームフリーク側の歩みをもう一段深くたどれる一冊だ。

ゲームフリーク 遊びの世界標準を塗り替えるクリエイティブ集団

『ポケットモンスター』誕生前夜から制作、完成へ向かう過程までを、ゲームフリークの歩みとともにたどる一冊。2025年の復刊版には田尻智氏、杉森建氏、石原恒和氏、増田順一氏による文章も収録されています。赤・緑の2バージョン制や通信交換がなぜ生まれたのかを知ったあと、その背景にある初代ポケモンの開発思想やゲームフリークの試行錯誤まで続けて読みたい人に向いています。

価格・在庫・仕様や版の違いなどは変動します。購入の際は各ショップの商品ページで最新情報をご確認ください。

まとめ|赤と緑は「不完全な2本」ではなく、つながるための2本だった

『ポケットモンスター 赤・緑』は、容量不足でひとつのゲームを半分に割った作品ではない。

最初にあったのは、ゲームボーイの通信ケーブルを使ってポケモンという生き物を交換する発想だった。

しかし交換機能があるだけでは、交換する理由が弱い。

そこでプレイヤーごとに出現するポケモンを変えるという考えが生まれ、ランダムID案などを経て、赤と緑という目に見える2バージョンへ発展した。

片方だけでは全部集まらない。

だから別のバージョンを持つ人を探す。

その「足りなさ」が、欠点ではなく遊びになった。

一方で2025年、宮本茂氏は、田尻智氏がかつてマリオを超えるなら1人の客に2本売る必要があると冗談を言っていたことも明かした。

商売としての野心も確かにあった。

ただし、それだけではない。

赤と緑は、2本の商品であることと、2人がつながるゲームであることが同じ仕組みの中で成立していた。

自分のカートリッジだけでは完成しない。

その続きを持っているのは、画面の向こうではなく、隣にいる誰かだった。

それが1996年の『ポケットモンスター 赤・緑』だった。

そして30年後、通信ケーブルがインターネットへ変わっても、「自分にないポケモンを誰かと交換する」という遊びは残っている。

赤と緑が作ったのは、2種類の商品だけではなかった。

ゲームの外にいる人まで、ゲームの一部にする仕組みだった。

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