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『ウンナンの気分は上々。』は、なぜ「バカルディ」と「海砂利水魚」の名前まで変えてしまった?さまぁ~ず・くりぃむしちゅー誕生の舞台裏

目次
  1. さまぁ~ず・くりぃむしちゅーはなぜ改名?『気分は上々。』の対決と命名の真相
  2. 先に結論|さまぁ~ずとくりぃむしちゅーは同時に改名していない
  3. 改名騒動の始まりは、スポーツ対決ではなく「俳句」だった
  4. 最初に賭けられていたのは「改名」ではなく「敗者引退?」
  5. バカルディは一度の勝負で突然「さまぁ~ず」になったわけではない
  6. なぜ「さまぁ~ず」?夏から生まれ、わざとダサくされた名前だった
  7. 本人たちはなぜ改名を嫌がった?「売れていなかったから」だけではない
  8. それでも「さまぁ~ず」は急速に周囲へ浸透していった
  9. 2001年、今度は海砂利水魚が改名する側になった
  10. もし最初に海砂利水魚が負けていたら「ザ・トライ」だった
  11. 「くりぃむしちゅー」は、本当に有田の好物から付いた
  12. くりぃむしちゅーは2001年の改名で完全決着したわけではなかった
  13. 「改名したから2組とも売れた」は本当なのか
  14. 売れないくりぃむしちゅーを見て、内村は「元に戻すか」と聞いていた
  15. 内村光良は、なぜその後「改名企画」をやらなくなったのか
  16. テレビ局が本人の意思を無視して「強制改名」したのか
  17. なぜ『気分は上々。』では、芸人の名前まで企画になったのか
  18. 2026年、『気分は上々。』が復活した
  19. 「バカルディ」「海砂利水魚」は、今では旧名の方が短い時代になった
  20. ネットで広まりやすい改名話を整理すると
  21. 改名企画は、テレビ番組が出演者の人生へ入り込んだ珍しい記録だった

さまぁ~ず・くりぃむしちゅーはなぜ改名?『気分は上々。』の対決と命名の真相

2000年にバカルディからさまぁ~ず、2001年に海砂利水魚からくりぃむしちゅーへ改名した流れを、テレビ局の楽屋札の掛け替えで表現したイメージ

いまでは「さまぁ~ず」「くりぃむしちゅー」と聞いて、変わったコンビ名だと感じる人はほとんどいないかもしれません。

ところが、この2組はもともと別の名前で長く活動していました。

バカルディが「さまぁ~ず」になったのは2000年。海砂利水魚が「くりぃむしちゅー」になったのは2001年です。

2組が同じ日に改名したわけでも、ひと晩の罰ゲームですべてが決まったわけでもありません。

TBS系『ウンナンの気分は上々。』で始まった両コンビの因縁は、1999年末の俳句企画から対決へ発展し、バカルディの改名、再対決、海砂利水魚の改名、さらに「元の名前へ戻すか」という話まで続きました。

しかも後年の本人証言を追うと、「改名したら2組ともすぐ売れた」という有名な成功物語とも少し違います。

なぜ普通のバラエティ番組が、出演者の正式なコンビ名まで変えることになったのか。25年以上残る2つの芸名は、どのように生まれたのでしょうか。

先に結論|さまぁ~ずとくりぃむしちゅーは同時に改名していない

時期確認できる出来事ポイント
1999年12月3日「趣味を広げよう~俳句編(3)」にバカルディ出演TBSが後に改名対決の発端と説明
2000年2月25日「趣味を広げよう~俳句編(4)」に海砂利水魚出演両コンビの因縁が対決企画へつながっていく
2000年5月26日バカルディVS海砂利水魚当時番組表には「温泉卓球で敗者引退?」
2000年8月11日「バカルディリベンジ企画」当時番組表にも「それはこの一句からはじまった」
2000年10月20日「さまぁ~ずVS海砂利水魚」少なくともこの時点では番組上「さまぁ~ず」表記
2001年3月30日「緊急生放送さまぁ~ず」改名後も企画が続いていた
2001年9月28日「さまぁ~ずVS海砂利▽改名をかけた対決!」海砂利水魚が敗れ、2001年秋にくりぃむしちゅーへ
2002年4月26日「今夜決定!!改名討論会くりぃむか海砂利か!?」改名から半年以上たっても旧名へ戻る選択肢が番組に残っていた

ここから分かるだけでも、よくある「バカルディと海砂利水魚が対決し、2組とも改名した」という一文ではかなり情報が抜け落ちています。

最初に名前を変えたのはバカルディ。海砂利水魚はその時には改名を免れ、約1年後に自分たちが名前を変える側へ回りました。

改名騒動の始まりは、スポーツ対決ではなく「俳句」だった

改名企画の原点については、TBS自身がかなり明確な資料を残しています。

TBSショッピングで現在も確認できるDVD『ウンナンの気分は上々。Vol.3』の商品説明には、バカルディと海砂利水魚の改名対決について、「改名対決の発端となった“趣味を広げよう~俳句編”」と記されています。

収録されているのは、1999年12月3日の「趣味を広げよう~俳句編(3)」と、2000年2月25日の「趣味を広げよう~俳句編(4)」です。

前者にはバカルディ、後者には海砂利水魚が出演しました。

つまり、後に芸人人生を変えるほど大きな出来事になる改名劇は、最初から「芸名を賭けた大会」として始まったわけではありません。

俳句企画で生まれた両コンビのやり取りや対抗意識が、その後の対決へ持ち越されていったのです。

実際、2000年8月11日の当時のテレビ欄にも、バカルディと海砂利水魚の対決について「それはこの一句からはじまった」と記録されています。

DVD発売時にもTBSや紹介媒体がわざわざ俳句編を「発端」と位置づけていることから、現在の記憶では切り離されがちな俳句企画と改名企画は、本来ひと続きの出来事だったと考えるのが自然です。

最初に賭けられていたのは「改名」ではなく「敗者引退?」

直接対決として確認できる大きな節目が、2000年5月26日の放送です。

当時のテレビ番組情報には、

「温泉卓球で敗者引退? 本日バカルディVS海砂利水魚いざ対決!!」

と残されています。

ここで注意したいのは、「敗者引退?」と疑問符付きで告知されている点です。

番組上は大げさな条件を掲げて対決を盛り上げていますが、本当に芸能活動そのものを法的・契約的に終了させる取り決めがあったと確認できる資料ではありません。

『気分は上々。』の中で、両コンビの対立そのものが徐々にシリーズ企画になっていった。その流れの先に「負けた側が嫌がることをさせる」という仕組みがあり、やがてコンビ名まで対象になったと見る方が、残っている資料には合っています。

バカルディは一度の勝負で突然「さまぁ~ず」になったわけではない

2000年5月の対決後も話は終わりません。

8月11日には「バカルディリベンジ企画」が放送され、10月20日のDVD収録タイトルは、すでに「さまぁ~ずVS海砂利水魚」になっています。

さらに11月3日には「さまぁ~ずのネタを考えよう!」が放送されました。

このため、2000年の夏から秋にかけて、バカルディが「さまぁ~ず」と呼ばれる段階へ移っていったこと自体は確認できます。

最初は本人たちも「番組の中だけ」だと思っていた

ここで後年の本人証言が重要になります。

さまぁ~ずは2024年、2026年と改名当時について詳しく振り返っています。

2026年4月に『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』へ出演した際、大竹一樹は、最初は番組内だけで使う名前だと思っていたところ、実際には「全仕事の改名」になっていたと説明しました。

別のテレビ局へ行くと「バカルディ」の名前では入れず、すでに事務所側が「さまぁ~ず」で申請していたというエピソードまで明かしています。

これは、テレビ上だけの呼び名が、いつの間にか本当の芸名へ切り替わったことを示すかなり具体的な証言です。

ただし、公開資料だけでは「2000年の何月何日に、事務所と本人が正式改名を最終決定した」という実務上の一点まで特定できません。

そのため、2000年10月20日を機械的に「正式改名日」と断定するより、2000年の一連の企画を通じてバカルディからさまぁ~ずへ移行し、少なくとも10月20日の放送時点では番組上すでに「さまぁ~ず」になっていたと整理するのが確実です。

なぜ「さまぁ~ず」?夏から生まれ、わざとダサくされた名前だった

現在の「さまぁ~ず」という名前からは想像しにくいのですが、本人たちにとって最初からお気に入りの芸名だったわけではありません。

有田哲平は2025年、『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』で当時を振り返り、内村光良がバカルディに共通点を尋ねたところ「夏」という話が出て、「さまぁ~ず」につながったと説明しています。

この証言では、内村が「じゃあ、さまぁ~ずだな」という形で名前を決めています。

過去の二次資料には、有田が「サマーズ」という案を先に口にしたとする説明もあります。この部分は当時の映像を直接確認できない限り、「最初の一言を誰が発したか」まで断定しない方が安全でしょう。

ただ、最終的な名付け役として内村光良が関わったことは、本人たちの複数の後年証言で一致しています。

「~」も小さい「ぁ」も、かわいくするためではなかった

さらに面白いのが表記です。

2026年のさまぁ~ず本人の説明では、改名が「罰」だったため、普通の「サマーズ」にするのではなく、ひらがなにして、小さい「ぁ」や「~」を入れ、わざと恥ずかしく、ダサい感じにしたと振り返っています。

今では柔らかく親しみやすい「さまぁ~ず」という表記自体がブランドになっています。

ところが出発点では、その親しみやすさこそが「罰ゲームらしい格好悪さ」として付け足されたものだったわけです。

本人たちはなぜ改名を嫌がった?「売れていなかったから」だけではない

ここは後世の説明で最も単純化されやすい部分です。

バカルディは「まったく売れていない芸人だったため、起死回生で名前を変えた」というわけではありません。

ホリプロの公式プロフィールではコンビ結成は1988年。1990年代前半には複数のテレビ番組へ出演し、その後に仕事が減る時期を経験しています。

2017年のORICON NEWSによる本人インタビューでは、『めちゃ×2イケてるッ!』の「笑わず嫌い王決定戦」や所ジョージの番組などへ呼ばれ、改名前から少しずつ仕事が戻り始めていたと2人が振り返っています。

三村マサカズは2024年にも「バカルディとして再ブレイクしそうな時の改名だった」と説明しました。

だからこそ、2人にとっては納得しにくかったのでしょう。

10年以上使ってきた名前があり、ようやくもう一度流れが来ている。その時に、テレビ番組の罰ゲームで聞き慣れない名前へ変えられる。

当時の本人たちが嫌がったという話は、「売れていない名前を捨てたくなかった」というだけではなく、バカルディとして再浮上しかけていた時期だったことまで含めて見る必要があります。

それでも「さまぁ~ず」は急速に周囲へ浸透していった

嫌だった名前にも、少しずつ変化が起きます。

さまぁ~ずは後年、名前が変わったことで周囲から話しかけられる機会が増え、仕事も増えていったと振り返っています。

大竹は、バカルディ時代にあった「暗い」「シュール」といった印象に対し、名前が明るくなったと言われたことも明かしました。

2017年のインタビューでは、他局も改名そのものを面白がって起用してくれたこと、その時期に自分たちもテレビでの見せ方を身につけていたことが重なったと説明しています。

ここを「さまぁ~ずに名前を変えた瞬間、魔法のように売れた」と書くのは正確ではありません。

改名前から再浮上の兆しがあり、そこへ改名の話題性と新しいイメージが加わり、出演機会が増えた。

本人たちの証言を総合すると、そのくらいの整理が最も無理がありません。

ウンナンの気分は上々。Vol.4 バカルディ(現さまぁ~ず)vs海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)の改名企画&ナンチャンとデブの旅

2000年5月26日の「バカルディvs海砂利水魚」、8月11日の「バカルディリベンジ企画」、10月20日の「さまぁ~ずvs海砂利水魚」、11月3日の「さまぁ~ずのネタを考えよう!」を収録。バカルディからさまぁ~ずへ名前が変わっていく時期を、当時の『ウンナンの気分は上々。』の映像で確認できるDVDです。品番はANSB-56014。現在は中古品・レンタル落ちを含む流通が中心のため、状態を確認して選んでください。

価格・在庫・商品状態・版の違いなどは変動します。中古品やレンタル落ちの場合もあるため、購入の際は各ショップの商品ページで最新情報をご確認ください。

なお、このVol.4で確認できるのは主に2000年のバカルディ→さまぁ~ずの流れです。2001年の海砂利水魚→くりぃむしちゅー改名回は、同巻の収録一覧には含まれていません。

2001年、今度は海砂利水魚が改名する側になった

さまぁ~ずが定着していく中でも、海砂利水魚との因縁は終わりませんでした。

2001年9月28日の当時の番組表には、はっきりと

「さまぁ~ずVS海砂利▽改名をかけた対決!」

と残っています。

この対決を経て、海砂利水魚は2001年秋に「くりぃむしちゅー」へ改名しました。

後年の報道や本人証言ではビーチバレー対決だったと説明されています。一方、現在公開されている当時番組表には競技名までは記載されていないため、本記事では「9月28日に改名をかけた対決が放送された」という確認可能な部分を基準にします。

重要なのは、2000年に2組とも名前を変えたのではないことです。

最初の改名対決では海砂利水魚が名前を守り、約1年後の再戦で初めて自分たちが改名する側になりました。

もし最初に海砂利水魚が負けていたら「ザ・トライ」だった

では、海砂利水魚の新しい名前は最初から「くりぃむしちゅー」と決まっていたのでしょうか。

これも違います。

有田哲平は2025年、最初の改名対決を振り返り、もしあの時に海砂利水魚が負けていた場合、上田晋也と有田が高校時代にラグビー部だったことから、内村に「ザ・トライ」と名付けられていたと証言しました。

2026年4月放送のTOKYO FM『川島明 そもそもの話』公式レポートにも、この「ザ・トライ」案が記録されています。

海砂利水魚は最初の対決に勝ったため、この名前を実際に使うことはありませんでした。

つまり現在の「くりぃむしちゅー」は、2000年の時点で用意されていた改名候補ですらありません。

「くりぃむしちゅー」は、本当に有田の好物から付いた

こちらの名前の由来は、本人証言がかなり一致しています。

2021年、テレビ朝日の『くりぃむナンタラ』開始時の公式インタビューで上田は、移動中の会話で内村が有田に「好きなものは何?」と尋ね、有田が「クリームシチュー」と答えたことから現在のコンビ名が生まれたと説明しています。

上田自身は、その命名について「僕の意見、ゼロ」だったと笑っています。

有田も2025年に同じ経緯を語り、内村から好きな食べ物を聞かれてクリームシチューと答えたところ、「くりぃむしちゅーにしよう」という流れになったと振り返りました。

少なくとも、後から作られた都市伝説ではありません。

有田が当時、好きな食べ物としてクリームシチューを挙げ、それが命名の直接のきっかけになった。

ここは本人たちの証言から確認できます。

上田はクリームシチューが大好物だったわけではない

少し気の毒なのは上田です。

有田の好物を聞いて決まったため、上田の好き嫌いはほとんど反映されていません。

2021年の上田は、自分もクリームシチューは「そこそこ好き」だったため、反対するほどでもなかったと笑っていました。

しかも有田自身、2021年にはもうクリームシチューはそれほど好きではなく、現在はうどんやギョーザの方が好きだという趣旨の話までしています。

芸名だけが、当時の「好きな食べ物」を25年以上保存する形になりました。

なぜ「くりぃむしちゅー」というひらがな表記なのか

命名の由来については本人証言がありますが、「クリームシチュー」ではなく、小さい「ぃ」を入れた「くりぃむしちゅー」という最終表記を誰が、どのような理由で決めたのかまでは、今回確認した一次・準一次資料では特定できませんでした。

「くりちゅーという略称を狙った」といった説明もネット上には見られますが、確かな当事者資料まで遡れないものは事実として採用しない方がよいでしょう。

くりぃむしちゅーは2001年の改名で完全決着したわけではなかった

2001年に名前が変わったあとも、まだ話は続きます。

2002年4月26日の『新ウンナンの気分は上々。』には、当時番組表で

「今夜決定!!改名討論会くりぃむか海砂利か!?」

というタイトルが確認できます。

ここは非常に重要です。

海砂利水魚がくりぃむしちゅーへ改名して半年以上がたっても、番組内ではまだ「くりぃむしちゅーのまま行くのか、海砂利水魚へ戻すのか」がテーマとして成立していました。

ネット上では、この回で内村がビリヤードを行い、入ったボールの番号によって名前を決めたという詳細なエピソードが広く紹介されています。

ただし、今回確認できた公開資料で確実に裏付けられるのは、4月26日に「くりぃむか海砂利か!?」という改名討論会が放送されたところまでです。

ビリヤードの細かなルールや「14番ボールで永久改名が決定した」といった部分は、当時映像や一次資料を確認できない状態で断定しない方が安全です。

それでも、この番組表だけで十分面白い事実が見えてきます。

現在では完全に定着した「くりぃむしちゅー」も、2002年春の時点ではまだ「海砂利水魚へ戻る」という話がテレビ企画として成立する名前だったのです。

「改名したから2組とも売れた」は本当なのか

さまぁ~ずとくりぃむしちゅーの改名を振り返る記事では、「内村が名前を変えたら2組とも大ブレイクした」と説明されることがあります。

結果だけを見ると、そう見えるのも無理はありません。

しかし本人たちの証言を追うと、2組の経過はかなり違いました。

さまぁ~ずは、改名前から再浮上が始まっていた

バカルディには、1990年代前半に一度テレビ出演が増えた時期があり、その後に低迷期があります。

そして改名前にはラジオ、バラエティー、ネタ企画などを通じて、少しずつ仕事が増え始めていました。

だから本人たちは「せっかくバカルディとしてもう一度流れが来ているのに、なぜ今名前を変えるのか」と思っていた。

その後、改名そのものを他局が面白がったこと、明るい名前によって周囲の印象が変わったこと、本人たちのテレビでの力が発揮され始めた時期が重なったと、後年のインタビューで説明しています。

改名が何の影響もなかったとする必要はありません。

ただ、「さまぁ~ずという名前にしたから突然面白くなった」わけではないということです。

くりぃむしちゅーは、改名してもしばらく何も起きなかった

さらに分かりやすい反例がくりぃむしちゅーです。

有田は2025年のラジオで、さまぁ~ずが改名後に勢いを増した一方、自分たちは改名しても仕事が増えず、「二番煎じ大失敗」のように感じていた時期があったと振り返っています。

2026年のTOKYO FM公式レポートでも、改名後に約1年間「何もない時期」があり、その後、上田の「うんちく」などがきっかけとなって仕事が増えていったと整理されています。

つまり、

バカルディ→さまぁ~ずと、海砂利水魚→くりぃむしちゅーは、同じ番組から生まれた改名でも、その後の伸び方まで同じではありませんでした。

売れないくりぃむしちゅーを見て、内村は「元に戻すか」と聞いていた

この話を単なる「ウッチャンが名付けて2組をスターにした美談」にできない理由が、ここにあります。

有田の2025年の証言によると、改名後のくりぃむしちゅーに目立った変化がなかったため、内村は責任を感じていたそうです。

そして「元に戻すか」と本人たちへ尋ねるほど心配していた。

有田は、もう一度戻す方が恥ずかしいという感覚もあり、「このまま行く」という道を選んだと振り返っています。

ここまで来ると、最初の意図と結果の違いがはっきりします。

内村は「この名前なら必ず売れる」と計算してプロデュースしていたわけではない。

番組の笑いとして始めた改名が本当の芸名になり、片方では成功と結び付けられ、もう片方では結果が出ず、名付けた側まで責任を感じる事態になっていったわけです。

内村光良は、なぜその後「改名企画」をやらなくなったのか

内村本人も、この出来事を軽い成功談としては振り返っていません。

2014年のORICON NEWSのインタビューでは、改名そのものについて基本的には反対だとしたうえで、2組の名前を変えた結果、「人の人生を変えるのは嫌だ」と感じた趣旨を語っています。

有田も2025年、くりぃむしちゅーが伸び悩んだことで内村がかなり責任を感じ、それ以降、改名対決をやらなくなったと証言しました。

この二つを合わせると、『気分は上々。』の改名企画を

「内村光良が後輩芸人を売るために名前を付け替え、狙いどおり成功させた」

と描くのは違うことが分かります。

むしろ、テレビ上の罰ゲームとして始まったものが、出演者の人生へ想定以上に入り込んでしまった。内村自身も、その重さを後から実感したという方が当事者証言には近いでしょう。

テレビ局が本人の意思を無視して「強制改名」したのか

ここも言葉を分ける必要があります。

番組上では、明らかに「対決に負けた罰として改名させられる」という演出でした。

さまぁ~ず本人も「嫌だった」「罰だった」と振り返っています。

一方で、TBSが本人や所属事務所の意思を無視し、契約上・法的に芸名変更を一方的に命じたことを示す資料は確認できません。

むしろ、さまぁ~ずの2026年証言では、改名後すぐに所属事務所側が他局への入館申請まで「さまぁ~ず」へ切り替えていたことが分かります。

テレビ上では「強制改名」。実際の芸能活動では、本人たちや事務所も含む現場が、その名前を使う方向へ動いていった。

この二つを混同しない方がよいでしょう。

なぜ『気分は上々。』では、芸人の名前まで企画になったのか

改名企画だけを見ると、とんでもなく乱暴な番組に見えるかもしれません。

しかし、『ウンナンの気分は上々。』という番組の作りを知ると、なぜこの企画が何か月、何年と続いたのかが少し見えやすくなります。

TBSはDVDの商品説明で、この番組を、ロケを通じてウンナンとゲストの人間性が引き出され、新しい親交が生まれる「友情発見バラエティ」と説明しています。

2026年の復活特番でも、出演者の人間性、旅先でのやり取り、カメラを忘れたような「素」の姿を番組の魅力として挙げています。

大きなセットに出演者を集め、毎週同じゲームを繰り返すタイプの番組とは少し違いました。

旅に行く。しゃべる。思わぬ関係ができる。前回の出来事を次のロケへ持ち越す。その人間関係そのものが次の企画になる。

バカルディと海砂利水魚も、俳句で生まれた因縁が対決へつながり、対決の結果が改名へつながり、改名後の反応がまた次の対決につながりました。

企画が出演者へ何かをさせるというより、出演者同士に起きたことを番組が長期間追い続けた。

少なくとも現在残っている放送記録を見る限り、改名劇は『気分は上々。』のそうした性格の中から膨らんでいった企画と見ることができます。

もちろん、制作陣が最初から「正式なコンビ名まで変えよう」とどこまで計画していたのかは、確認できる資料がありません。

結果を知っている現在から、最初からすべて計算済みだったように描くのは避けるべきでしょう。

2026年、『気分は上々。』が復活した

この話が面白いのは、25年前の思い出だけで終わっていないことです。

『ウンナンの気分は上々。』は1996年7月の放送開始から30周年を迎える2026年、TBSで再び特番として復活しました。

1月2日深夜には『ウンナンの気分は上々。 ご無沙汰しておりましたSP』を放送。

TBS公式ページによると、復活のきっかけの一つは名倉潤でした。過去に内村、大竹、名倉で行ったサーフィン企画をもう一度やりたいと名倉が内村へ話し、内村自身がTBSへ相談したことで企画が実現したと説明しています。

そして8月1日には『ウンナンの気分は上々。夏』が放送されました。

この回には有田哲平が、2003年4月4日の「熊本の旅」以来23年ぶりに『上々。』へ出演しています。

25年後、有田「この番組で名前が変わった」

2026年8月の放送で、有田は自分について『上々。』で名前が変わった人間だという趣旨で改名を振り返りました。

すると内村も、当時の命名について現在まで引っかかっていることがあると告白します。

有田へ好きな食べ物を聞き、クリームシチューと答えたから名前を決めた。

しかし、「上田はそうでもないらしい」。

それがずっと心に残っているというのです。

25年以上前、ロケの移動中に有田の好物を聞いて付けた名前について、名付けた内村が2026年になっても「相方の上田はそこまで好きではなかった」と気にしている。

この会話は、改名企画の奇妙さをよく表しています。

当時は罰ゲームの名前だったものが、その後の芸能生活すべてについて回り、名付けた側にまで長く残っているのです。

「バカルディ」「海砂利水魚」は、今では旧名の方が短い時代になった

さまぁ~ずは1988年に結成され、バカルディとして活動したのは約12年。

くりぃむしちゅーは1991年に海砂利水魚として結成され、改名したのは2001年です。

どちらも今では、旧名で活動した年月より、新しい名前で活動している年月の方がはるかに長くなりました。

2021年、上田は「海砂利水魚で10年、くりぃむしちゅーで20年」と振り返っていました。

2026年現在は、その差がさらに開いています。

若い世代にとっては、バカルディや海砂利水魚の方が「昔そんな名前だったらしい」と聞く名前になっていても不思議ではありません。

逆に当時を知る世代にとっては、「さまぁ~ず」「くりぃむしちゅー」と初めて聞いた時の違和感を覚えている人も多いでしょう。

いま普通に聞こえる名前が、最初から普通だったわけではありません。

ネットで広まりやすい改名話を整理すると

よくある説明確認できる事実
2組は同じ日に改名した違う。さまぁ~ずは2000年、くりぃむしちゅーは2001年
一度の対決ですべて決まった俳句企画から複数回の対決、再対決、改名後の企画まで長期間続いた
内村が2組を売るために改名させたその意図を裏付ける一次資料はない。内村は後年、人生を変えることへの責任を語っている
バカルディは全く売れていなかった一度テレビで活躍した後に低迷し、改名前には再び仕事が増え始めていた
さまぁ~ずは名前を変えただけで売れた改名の話題性やイメージ変化は本人も認めているが、再浮上は改名前から始まっていた
くりぃむしちゅーも改名後すぐ売れた本人証言と合わない。有田は約1年何もなかった時期を振り返っている
2001年にくりぃむしちゅーで完全決着2002年4月にも「くりぃむか海砂利か!?」という改名討論会が放送された
TBSが本人を無視して法的に強制改名した番組上は罰ゲームだったが、契約上の強制を示す資料は確認できない

改名企画は、テレビ番組が出演者の人生へ入り込んだ珍しい記録だった

「バカルディがさまぁ~ずに変わった」

「海砂利水魚がくりぃむしちゅーに変わった」

結果だけなら、たった2行で説明できます。

しかし実際に時系列を追うと、その間には約2年以上の番組企画があります。

1999年の俳句。

バカルディと海砂利水魚の因縁。

2000年の対決とバカルディの改名。

新しい名前を嫌がっていた本人たち。

ところが周囲には「さまぁ~ず」が急速に定着していく。

翌2001年には、今度は海砂利水魚が負けて「くりぃむしちゅー」になる。

しかし、さまぁ~ずと同じようには仕事が増えない。

名付けた内村が責任を感じ、「元に戻すか」と心配する。

2002年には、本当に海砂利水魚へ戻すのかという企画まで放送される。

それでも2組は、その名前のまま活動を続けました。

今では「さまぁ~ず」の小さい「ぁ」も「~」も、「くりぃむしちゅー」という食べ物そのもののような名前も、誰も気に留めないほど普通になっています。

けれど、さまぁ~ずの表記は、もともと罰ゲームとしてわざとダサくするためのものだった。

くりぃむしちゅーは、ロケ中に有田へ好きな食べ物を聞いたことから生まれた。

よく考えると、かなり不思議な話です。

番組内の冗談のような名前がテレビの外へ飛び出し、25年以上たっても本人たちの正式な名前として残っている。

『ウンナンの気分は上々。』の改名企画が今も語られる理由は、「名前を変えたら売れた」という成功談だけではありません。

出演者同士の何気ないやり取りを何か月も追い続け、その結果が本当の芸名となり、出演者のその後のキャリアにまでつながってしまった。

一つのバラエティ番組が、そこまで本人たちの人生へ入り込んだ記録そのものが、今から見ると驚くほど特別なのだと思います。

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