- 東京フレンドパークはなぜ「パジェロ!」だった?金貨・ダーツ・たわしの仕組みを徹底解説
- 結論――前半の「努力」を、最後の「挑戦回数」へ変えたから面白かった
- そもそも『東京フレンドパーク』は1992年に始まっている
- スタジオ全体が「テレビの中のテーマパーク」だった
- アトラクションをクリアすると金貨――通常回は5競技が基本だった
- 金貨1枚でダーツ1本――でも金貨は持ち帰ることもできた
- ビッグチャレンジでは何が起きていた?
- なぜ最後が「ダーツ」だったのか
- 博多大吉が明かした「ダーツだけ練習なし」
- では、なぜ最高賞品が「パジェロ」だったのか
- パジェロはいつから?「1993年4月」には資料の食い違いがある
- 「パージェーロ!」は、いつから始まったのか
- 2004年、「パジェロ!」が突然「クルマ!」になった
- パジェロが消えたあと、本当に別の車が賞品になった
- 2006年秋、パジェロは戻ってきた
- でも、番組末期はパジェロではない
- パジェロに当たったら、本当に車をもらえたのか
- なぜ「たわし」だったのかは、実は分からない
- 車が賞品だったこと自体より、「そこへ至る過程」が特別だった
- 視聴者まで最後のダーツへ参加させていた
- 2026年、パジェロが復活しても「フレンドパーク」が付いてくる
- なぜ最後のダーツは、あれほど緊張したのか
東京フレンドパークはなぜ「パジェロ!」だった?金貨・ダーツ・たわしの仕組みを徹底解説

「パージェーロ! パージェーロ!」
『東京フレンドパーク』を見ていた世代なら、アトラクションそのものより、この掛け声のほうが先に浮かぶ人もいるかもしれません。
ゲストが最後にダーツを構える。目の前では巨大な的が回転し、そこには本人たちが欲しい賞品と「たわし」、そして大当たりの自動車が並んでいる。パジェロがスペシャル賞品だった時代には、客席から手拍子とともに車名そのものが繰り返し叫ばれました。
2026年9月2日、三菱自動車が7年ぶりとなる新型パジェロを世界初披露すると、TBS NEWS DIGもそのニュースを「バラエティ番組のダーツの景品としておなじみだったあの車」と紹介しました。
それほどまでに、パジェロと『東京フレンドパーク』の記憶は結びついています。
ただ、改めて考えると不思議な番組でした。
ゲストは番組の大半を使ってアトラクションへ挑みます。成功すれば金貨が増える。ところが、その金貨で好きな賞品を買えるわけではありません。最後に金貨をダーツへ交換し、もう一度、回転する的へ挑まなければならないのです。
なぜ、せっかく積み上げた成果を、最後にもう一度「一投」に賭けさせたのでしょうか。
制作スタッフが「この狙いでダーツを採用した」と明言した公開資料は、今回確認できませんでした。
それでも、実際のルールや出演者の証言を並べていくと、この最終ゲームがなぜ強烈なクライマックスになったのかはかなり見えてきます。
結論――前半の「努力」を、最後の「挑戦回数」へ変えたから面白かった
先に結論から整理します。
『東京フレンドパーク』の最後のダーツが緊張した最大の理由は、単にパジェロが高価な賞品だったからではありません。
番組は、前半で積み上げた成果をそのまま確定報酬にしませんでした。
『東京フレンドパーク』の基本構造
アトラクションに挑戦する
↓
成功すると金貨を獲得
↓
金貨が多いほど最後に投げられるダーツが増える
↓
回転する的へ一投
↓
希望賞品/自動車/たわし/盤外
つまり、アトラクションが上手かったチームが得るのは「欲しい賞品」そのものではなく、最後の抽選に何回挑めるかという権利でした。
金貨が5枚あっても、5回外せば終わる。
逆に金貨が1枚しかなくても、その1本が自動車へ刺されば最大級の大当たりになります。
実力で有利にはできる。しかし最後の結果までは保証されない。
この「実力で試行回数を増やし、最後だけもう一度、技術と偶然へ戻す」構造こそ、『東京フレンドパーク』のビッグチャレンジを特別なものにしていました。
そもそも『東京フレンドパーク』は1992年に始まっている
番組の歴史は、1994年からではありません。
前身の『ムーブ・関口宏の東京フレンドパーク』がTBS系列で始まったのは1992年10月12日。1993年9月20日まで放送されました。
その後、半年ほどの空白を挟み、1994年4月11日から『関口宏の東京フレンドパークII』として復活。こちらは2011年3月28日まで長期にわたって放送されています。
レギュラー放送終了後も番組は完全に消えたわけではなく、2017年以降にはドラマ出演者らによる対抗戦形式で特番として復活。2021年1月3日の新春スペシャルでも、TBS公式は「豪華賞品をかけた最後のダーツ」を番組の見どころとして紹介していました。
つまり最後のダーツは、単なる昔の一コーナーではありません。
番組の形が変わっても残されたほど、『東京フレンドパーク』のフォーマットそのものを象徴する仕組みだったのです。
スタジオ全体が「テレビの中のテーマパーク」だった
『東京フレンドパーク』は、普通のゲーム番組とは少し違う世界観を持っていました。
関口宏は司会者ではなく「支配人」、渡辺正行は「副支配人」。ホンジャマカら番組側の出演者は「従業員」、ゲストは「来園者」と呼ばれます。
放送ライブラリーも、この番組を「番組自体をアミューズメントパークに見立て」たバラエティーと説明しています。
競技も「ゲーム」ではなく「アトラクション」です。
その世界で金貨は、単なる得点表示以上の存在でした。
制作側が公式に「園内通貨」と呼んでいたわけではありませんが、番組の中では、アトラクションを突破した成果を実物の金貨として受け取り、それを最後の挑戦へ使うという流れになっています。
画面の隅に「4ポイント」と表示されるだけではない。
自分たちが今日どれだけ成功したのかを、出演者が実際に手に持てる。
この「成果の物体化」が、最後のビッグチャレンジへ向けた積み上げを分かりやすくしていました。
アトラクションをクリアすると金貨――通常回は5競技が基本だった
レギュラー時代の通常回では、おおむね5つのアトラクションへ挑戦する構成が基本でした。
放送ライブラリーに収蔵されている2004年1月19日放送回では、純名りさと井川遥が、
- ウォールクラッシュ
- ミミックパラダイス
- フラッシュザウルス
- クイズ!ボディ&ブレイン
- ハイパーホッケー
の5競技に挑戦し、「各ゲームの課題クリアに挑戦し、金貨ゲットを目指す」と説明されています。
基本的には各アトラクションに設定されたノルマを達成すると金貨を獲得します。
ただし、特番や特別ルールでは追加金貨が発生するケースもあり、「5アトラクションだから最大5枚」と全時代を一括りにはできません。
全部クリアすると「グランドスラム」
予定されたアトラクションをすべてクリアしたチームには「グランドスラム」の称号が与えられました。
ただし、ここで重要なのは、グランドスラムとパジェロ獲得は別だったことです。
全競技をクリアしても、ビッグチャレンジで外せばパジェロは手に入りません。
前半を完璧に戦ったチームですら、最後にはもう一度勝負しなければならないのです。
金貨1枚でダーツ1本――でも金貨は持ち帰ることもできた
最後の「ビッグチャレンジ」では、獲得した金貨をダーツの矢へ交換します。
金貨1枚につきダーツ1本。
この基本ルールは、TBSの番組を題材にしたニンテンドーDS用ゲームの任天堂公式紹介でも「成功して獲得した金貨の数だけダーツを投げる」と説明されていました。
一方、意外なのが金貨を必ず交換しなければならなかったわけではないことです。
少なくとも一部の時期には、番組内で「金貨1枚は10万円相当」「そのまま持ち帰ってもよい」「金貨1枚とダーツ1本を交換できる」という案内が行われていたことが、当時の放送記録などから確認できます。
実際に金貨を持ち帰った出演者についても当時新聞で取り上げられていますが、ネット上の人物一覧には資料間の食い違いがあります。本記事では、確認できていない名前まで並べることはしません。
また「10万円相当」は、少なくとも番組上そう説明されていたという意味であり、全時代の金地金価格が常に10万円だったという意味ではありません。
ビッグチャレンジでは何が起きていた?
ダーツの前には、出演者が欲しいものとして挙げた賞品が回転式の的へ並べられます。
そこへスペシャル賞品の自動車、残念賞の「たわし」などが加わり、ゲストは獲得したダーツを順番に投げていきます。
| 結果 | 意味 |
|---|---|
| 出演者の希望賞品 | 事前に希望した品を獲得 |
| スペシャル賞品 | パジェロなど、その時期の自動車を獲得 |
| たわし | 残念賞 |
| 盤外 | 賞品なし |
長寿番組だけに、盤面や細かなルールは何度も変わっています。
時期によっては「全部」などの特殊なマスが存在したほか、同じ賞品へ再び当たった場合の扱い、自動車に命中した際にもらえる台数などにも変更がありました。
少なくとも2000年代中盤には、自動車へ1本命中すると出演者の人数分が用意される運用が確認できる一方、末期には命中した本人単位へ変更されたとする詳細な放送記録もあります。
したがって、「パジェロに1回当たれば、どの時代でも出演者全員に1台ずつもらえた」とする説明は正確ではありません。
なぜ最後が「ダーツ」だったのか
では、なぜ最後のゲームはダーツだったのでしょうか。
ここについて、企画立案者が「こういう狙いでダーツにした」と説明した公開証言は、今回確認できませんでした。
そのため、制作側の意図として断定することはできません。
ただし、実際の番組構造から読み取れる効果はかなり明確です。
努力した人ほど「当たりやすい」のではなく「多く投げられる」
アトラクションに強かったチームは、ダーツの的を大きくしてもらえるわけではありません。
パジェロのマスが広がるわけでもない。
増えるのは、あくまで投げられる本数です。
つまり実力が結果を確定させるのではなく、成功確率を少しずつ高めていく。
ここに、通常のゲーム番組とは違う緊張感があります。
激しく動く番組なのに、最後だけ全員が止まる
ウォールクラッシュでは走って跳ぶ。フラッシュザウルスではタイミングを合わせてジャンプする。ハイパーホッケーではホンジャマカと激しく打ち合う。
ところが最後は、一人が小さな矢を握り、立ち止まります。
スタジオの視線も、その手元と回転盤へ集中する。
番組全体の動きが突然止まり、一投の結果だけを待つ時間になる。この落差も、ダーツを強いクライマックスにしていました。
博多大吉が明かした「ダーツだけ練習なし」
最後の一投がテレビで見るより難しかったことは、実際に出演した博多大吉が後年かなり具体的に語っています。
2020年6月3日のTBSラジオ『たまむすび』で大吉は、『東京フレンドパーク』の各アトラクションには安全確認も兼ねた軽い練習があったと振り返りました。
ところが、最後のダーツだけは練習なしのぶっつけ本番だったといいます。
しかも、その直前に待っているのがハイパーホッケーです。
大きなラケットを握り、ホンジャマカと本気でラリーを続けた直後にダーツへ移動する。大吉は矢を持った瞬間、すでに握力が残っていなかったという趣旨の話をしています。
テレビの前では、「あれだけ大きな的なのに、なぜ外すのだろう」と思える。
しかし出演者は、それまで何種類ものアトラクションをこなし、最後にハイパーホッケーで腕を使った状態から、練習なしで精密な一投を要求されていたわけです。
もちろん、これが制作側によって意図的に設計された「外させる仕組み」だったとまでは言えません。
ただ、結果として一日体を動かしてきた最後に、突然まったく違う能力を問われる構造になっていたことは確かです。
では、なぜ最高賞品が「パジェロ」だったのか
ここで注意したいのは、「スポンサーだったからパジェロ」という一言だけで片付けないことです。
三菱自動車と番組との具体的な契約条件や、車種選定の会議記録、制作スタッフによる「なぜパジェロを選んだのか」という直接証言は、今回確認できませんでした。
一方で、賞品になった時代のパジェロが、単なる高価な車ではなかったことは三菱自動車自身の資料から確認できます。
1991年に登場した2代目パジェロについて、三菱自動車は現在の公式ヒストリーで「RVブームの火付け役」と位置づけています。
スキーやキャンプなどアウトドアレジャーの広がりと重なり、2代目は都市部でも支持されました。三菱自動車によれば最盛期の国内月販は7,000~8,000台に達し、若者やファミリー層のステータスシンボルとして一時代を築いたとされています。
つまり1990年代の視聴者にとってパジェロは、値札が高いだけの車ではありません。
車名を聞いただけで「大当たり」が伝わるほど、時代性の強い商品だった。
その車を、番組の最後に誰もが一目で分かる特別賞として置く。
これがビッグチャレンジとの相性を非常に良くしていました。
パジェロはいつから?「1993年4月」には資料の食い違いがある
パジェロが番組へ登場した正確な時期については、注意が必要です。
岐阜県坂祝町がパジェロ製造の歴史をまとめた広報資料には、「1993年4月 関口宏の東京フレンドパークIIの賞品にパジェロが起用」と記載されています。
しかし『東京フレンドパークII』が始まったのは1994年4月です。
1993年4月はまだ前身『ムーブ・関口宏の東京フレンドパーク』の時代であり、この資料には少なくとも番組名の部分に誤記があります。
さらに、現存する初期放送の詳細記録には前身時代の自動車賞品をダイハツ車とするものもあり、情報が完全には一致しません。
そのため本記事では、「1993年4月からパジェロだった」と放送回まで特定して断定することは避けます。
少なくとも『II』の初期にはパジェロがスペシャル賞品として定着し、その後長く番組の象徴になった、というところまでを確実な範囲として扱うのが安全です。
「パージェーロ!」は、いつから始まったのか
パジェロ以上に強い記憶を残したのが、観客による「パージェーロ! パージェーロ!」というコールでした。
残念ながら、この掛け声を誰が考案したのか、最初の放送回はいつだったのか、最初から演出として用意されていたのかを示す一次資料は確認できませんでした。
ただし、遅くとも2004年には完全に番組の定番になっていたことが分かります。
2004年6月28日付の米誌『TIME』は、『東京フレンドパークII』の終盤で観客が手拍子をしながら「Pa-je-ro! Pa-je-ro!」と叫ぶ光景を、番組の「恒例の終幕儀式」として紹介しました。
これはかなり象徴的な表現です。
一人がダーツを投げるゲームなのに、投げない観客まで参加できる。
「頑張れ」ではなく、狙ってほしい賞品の商品名を全員で叫ぶ。
結果として「パジェロ」という4文字は、単なる自動車名を超えて番組の掛け声になりました。
当然、商品名が毎週繰り返し放送されることには非常に大きな露出効果があったと考えられます。ただし、三菱自動車側が広告効果を狙ってコールを考案・要求したと示す資料は確認できません。
2004年、「パジェロ!」が突然「クルマ!」になった
その掛け声が、2004年に突然使えなくなります。
当時、三菱ふそうや三菱自動車をめぐって、車両の欠陥やリコールに関する問題が相次いで表面化しました。
そして『東京フレンドパークII』にも影響が及びます。
ネット上では長く、
「観客の口は『パジェロ』と動いているのに、音声だけ『クルマ! クルマ!』になっていた」
という話が語られてきました。
これは少なくとも「パジェロコールをクルマコールへ差し替えた」という核心部分については、都市伝説ではありません。
『TIME』は2004年6月、収録済み番組の「Pajero!」という声を「Ku-ru-ma!」へ吹き替えたと明記しています。
しかも記事には、当時の番組プロデューサー・鶴岡滋之のコメントも掲載されています。
鶴岡氏は、賞品は誰もが喜ぶものでなければならず、この状況でパジェロを出し続ければ視聴者が反発するだろう、という趣旨の説明をしています。
これは、パジェロ変更について確認できる非常に重要な制作側証言です。
ただし「最初のクルマコールの日」は断定できない
一つ注意したいのは、『TIME』の記事が差し替えられた番組を「6月17日放送」と記していることです。
当時の『東京フレンドパークII』の通常放送曜日は月曜日で、2004年6月17日は木曜日でした。
したがって、「クルマ!への音声差し替えが行われた」こと自体は当時資料で確認できるものの、その最初の放送日については確定できません。
ネット上で語られている特定の日付を、そのまま初回として採用しない方が安全です。
パジェロが消えたあと、本当に別の車が賞品になった
2004年の問題後、パジェロはいったんスペシャル賞品から姿を消します。
その時期にはランドローバーなど別メーカーの車が賞品になりました。
これについては、後年の出演者本人の証言というかなり強い実例があります。
勝俣州和は2026年、日本テレビ系『X秒後の新世界』の取材で、2005年に『東京フレンドパーク』でランドローバーを獲得したと振り返っています。
つまり「三菱の問題でパジェロが外れたあとも、自動車というスペシャル賞品そのものが消えた」わけではありません。
最高賞品としての「車」という役割は残しつつ、車種が変更されたのです。
2006年秋、パジェロは戻ってきた
三菱自動車は2006年10月、4代目パジェロを発売しました。
番組側でも同じ2006年秋、パジェロがスペシャル賞品へ復帰したことが当時の放送記録から確認できます。
ネット上では「2006年10月16日放送から」とする詳細記録がありますが、今回そこまでの日付をTBSの一次資料では確認できなかったため、本記事では2006年秋に復帰とします。
パジェロコールも再び番組の光景として戻りました。
でも、番組末期はパジェロではない
ここは記憶を整理するうえでかなり重要です。
『東京フレンドパークII』は、最後までずっと「パジェロ! パジェロ!」だったわけではありません。
2010年春、スペシャル賞品はトヨタの「パッソ」へ変更されました。
当時の視聴記録には、従来のパジェロコールに代わって「パピプペパッソ」という掛け声が使われたことも残っています。
レギュラー放送が終了したのは、その約1年後となる2011年3月28日です。
「フレンドパーク=パジェロ」という印象は圧倒的に強いものの、番組史全体を見れば、ダイハツ車とされる初期、自動車賞品の変更期、ランドローバー、再びパジェロ、そして末期のパッソと変化していました。
パジェロに当たったら、本当に車をもらえたのか
「テレビだから、実際には車をもらっていなかったのでは?」
という疑問もあります。
少なくとも確認できる実例を見る限り、これは違います。
陣内貴美子・金石昭人夫妻が2001年に獲得したパジェロ
陣内貴美子は2023年、自身のSNSで、夫の金石昭人と2001年に『東京フレンドパーク』へ出演した際、ダーツで当てた景品がパジェロだったと明かしました。
当時すでに自分たちには車があったため、そのパジェロは親族へ譲られています。
しかも20年以上たった2023年時点でも、その車は大切に乗り続けられていました。
勝俣州和は2008年のパジェロを長年所有
さらに2026年の『X秒後の新世界』では、勝俣州和が白いパジェロとともに登場。
スタッフから「フレンドパークのパジェロですか?」と聞かれ、「そうです!2008年にいただきました」と答えています。
勝俣は前述の通り2005年にはランドローバーも獲得しており、長期間、番組でもらった車を使ってきたと話しています。
少なくともこうした事例を見る限り、「ダーツのパジェロは演出だけで、実際には車両を渡していなかった」という説は成立しません。
一方、登録費用や税金、諸費用を誰がどこまで負担したのかについて、全時代共通の公開資料は確認できませんでした。この部分を推測で補うのは避けるべきでしょう。
なぜ「たわし」だったのかは、実は分からない
パジェロと並んで、ビッグチャレンジを象徴していたのが「たわし」です。
出演者が本気で欲しい賞品を狙って投げた矢が、その横のたわしへ刺さる。
これほど分かりやすい落差もありません。
ただし「なぜ残念賞をたわしにしたのか」について、制作スタッフが理由を説明した公開資料は今回確認できませんでした。
「安いから」「価格差を笑いにするため」「画面で分かりやすいから」といった説明は、どれももっともらしくはありますが、確認された制作意図ではありません。
事実として言えるのは、回転盤の上に高級車、本人が欲しい賞品、たわし、そして何ももらえない盤外が同時に存在していたことです。
一投の数センチの違いで、結果の価値が極端に変わる。
それだけで、視聴者には十分すぎるほど緊張が伝わりました。
車が賞品だったこと自体より、「そこへ至る過程」が特別だった
1990年代から2000年代のテレビでは、自動車や海外旅行などの高額賞品そのものは『東京フレンドパーク』だけのものではありません。
だから「昔のテレビは豪華だった」で終わらせると、この番組の面白さを取り逃がします。
『東京フレンドパーク』の特徴は、番組の最後に突然パジェロが出てくることではありません。
番組開始から積み上げてきたものが、すべて最後のダーツへつながっていることです。
ウォールクラッシュで壁へ飛びついたことも、クイズに正解したことも、ホンジャマカとのホッケーに勝ったことも、最終的には「あと何本投げられるか」という数字へまとまっていく。
だから視聴者も、最後の一本を単独の抽選として見ていません。
「今日ここまで頑張ってきたのだから、最後に当たってほしい」
という文脈をすでに共有しています。
その状態で一人がダーツを構えるから、単なるプレゼント抽選がドラマになります。
視聴者まで最後のダーツへ参加させていた
ビッグチャレンジは、出演者だけで閉じた企画でもありませんでした。
レギュラー時代には、出演者の挑戦後に視聴者プレゼント用のダーツが投げられる時期がありました。
視聴者向けダーツの開始時期や、歴代の細かな賞品構成までは公開資料だけで完全には復元できませんが、テレビの前にいる人まで最後の抽選へ参加させる仕掛けが存在したことは確認できます。
一方、復活版では形が変わりました。
2021年の新春スペシャルでは、3チームのうち最も多く金貨を獲得した1チームだけが最後のダーツへ進み、視聴者はデータ放送やTBS公式LINEのクイズを通してプレゼントへ応募する方式になっています。
時代に合わせて参加方法は変わっても、「番組の結果を視聴者自身の楽しみへ接続する」という考え方は残っていました。
2026年、パジェロが復活しても「フレンドパーク」が付いてくる
そして2026年9月2日。
三菱自動車は、新型クロスカントリーSUV「パジェロ」を世界初披露しました。
日本仕様は2019年に生産を終了していたため、国内では7年ぶりの復活です。三菱自動車は日本、タイ、オーストラリアを皮切りに、世界約100カ国へ順次展開する計画を明らかにしています。
三菱自動車自身も、パジェロを90年代のRVブームを牽引したモデルの一つと説明しています。
そしてTBS NEWS DIGは、その復活を伝える記事でわざわざ「東京フレンドパーク2のダーツの景品としても親しまれた」と紹介しました。
番組のレギュラー放送終了から15年。
それでも車名を説明するときに『東京フレンドパーク』が出てくる。
これは、単にパジェロが番組スポンサーの商品だったからだけでは説明し切れません。
毎週のように最後の一投を見守り、スタジオ全体で車名を叫ぶという体験が、商品名そのものをテレビの記憶へ変えてしまったのでしょう。
なぜ最後のダーツは、あれほど緊張したのか
『東京フレンドパーク』最大の発明は、パジェロそのものではなかったのかもしれません。
アトラクションをクリアしたら賞品がもらえる。
それだけなら分かりやすい。
しかしこの番組は、そこで終わりませんでした。
体を張って得た成果を金貨という形へ変える。
金貨をダーツへ変える。
そして最後にもう一度、自分の手で結果を決めさせる。
たくさん成功した人はたくさん投げられる。
でも、最後の結果までは保証されない。
逆に一枚しか金貨がなくても、その一本がパジェロへ刺さればいい。
しかも的には、自分が欲しい賞品のすぐ横にたわしがある。
さらにその外には、何もない。
そして投げる瞬間、スタジオ中から聞こえてくる。
「パージェーロ! パージェーロ!」
前半の努力を確定報酬にせず、最後の挑戦回数へ変える。
実力で有利にはできる。でも最後には運も技術も必要になる。
だからグランドスラム目前のチームでも安心できず、逆に金貨が少ないチームにも最後まで夢が残りました。
パジェロは、その仕組みを誰にでも一瞬で理解させる巨大な「大当たり」でした。
『東京フレンドパーク』の最後のダーツがあれほど緊張した理由は、おそらくそこにあります。
一日かけて積み上げたものすべてが、最後には一本の細い矢へ集約される。
だから私たちは、ただ車が当たるところを見ていたのではありません。
そこまでの番組全部を背負った「最後の一投」を見ていたのです。