- ニンテンドウパワーとは?ローソンの書き換え方法・料金・2002年と2007年の終了を解説
- 1997年、ローソンでゲームを書き換えると何が起きたのか
- 9月30日は「全国一斉サービス開始日」ではなかった
- なぜNINTENDO64が出た後に、スーパーファミコンだったのか
- 中古ゲーム対策だったのは本当。ただし、それだけではない
- ニンテンドウパワーは本当に安かったのか
- 「1本に最大7ゲーム」の本当の意味
- 箱も説明書もないゲームを、どうやって遊んだのか
- ニンテンドウパワーは「昔のゲームを安く売るだけ」ではなかった
- 『トラキア776』は「ニンテンドウパワー専売」ではない
- 『メタルスレイダーグローリー ディレクターズカット』も普通のパッケージ版ではない
- ゲームボーイ版は1999年に始まるはずだった
- ディスクシステム、TAKERU、サテラビューとは何が違ったのか
- では、ニンテンドウパワーは「1997年版Nintendo eShop」だったのか
- 2002年に終わったのは「ローソンでの書き換え」
- ニンテンドウパワーそのものは2007年まで続いた
- なぜローソンから消えたのか
- いま残っているのは、ゲームだけではない
- 消えたのは、ゲームの売り方ではなく「一連の体験」だった
- まとめ|ニンテンドウパワーとは何だったのか
ニンテンドウパワーとは?ローソンの書き換え方法・料金・2002年と2007年の終了を解説

1997年。ゲームを遊びたければ、店で箱入りのカセットを買う。それがまだ当たり前だった時代に、ローソンへ白いカセットを持っていき、中身だけを別のゲームへ書き換えるサービスが始まりました。
名前は「ニンテンドウパワー」。
店内の端末「Loppi」で遊びたいゲームを選び、カセットを差し込み、手続きを終えたらレジへ向かう。そこで店員にカセットを渡すと、レジ側に置かれた専用機からゲームデータが書き込まれる。
いまなら数分で終わるダウンロード購入に似ている部分もありますが、実際の体験はまるで違います。
しかも、調べていくと「1997年9月30日に全国一斉開始」「Loppiがゲームを書き込んでいた」「2002年にサービス終了」といった、現在よく見かける説明にも微妙なズレがあることが分かります。
ニンテンドウパワーは、なぜNINTENDO64がすでに発売されていた1997年に、あえてスーパーファミコン向けとして始まったのでしょうか。
そして当時の利用者は、ローソンへ入ってからゲームを家へ持ち帰るまで、実際に何をしていたのでしょうか。
| 項目 | 確認できる内容 |
|---|---|
| サービス | スーパーファミコン、のちにゲームボーイ用ソフトを書き換えて販売 |
| 最初の稼働 | 1997年9月30日からテスト稼働 |
| 全国本格展開 | 1997年11月1日、約4,000店 |
| SFメモリカセット | 税別3,980円 |
| 開始時の書き換え料金 | 既発売ソフト1,000円、新作は2,000~4,000円程度を予定 |
| ローソン店頭終了 | 2002年8月31日 |
| サービス完全終了 | 2007年2月28日 |
1997年、ローソンでゲームを書き換えると何が起きたのか
まず、当時の利用体験から追ってみます。
スーパーファミコン用のニンテンドウパワーを利用するには、通常のSFCカセットではなく、専用の「SFメモリカセット」が必要でした。
白い外装をした書き換え可能なカセットで、開始時の希望小売価格は税別3,980円。初めて利用する場合は、まずこれをローソンで購入します。すでに持っていれば、ゲームを書き換えるためにそのカセットを再び店へ持っていきます。
Loppiにカセットを差し、遊びたいゲームを選ぶ
店内ではLoppiを操作します。
SFメモリカセットをLoppiのカセットスロットへ差し込み、現在カセットに何が入っているのか、空き容量がどのくらいあるのかを確認しながら、書き込みたいタイトルを選びます。
容量が足りなければ、すでに入っているゲームを残すのか、消して新しいゲームを入れるのかも考えなければなりません。
現在のストアで「空き容量が足りません」と表示されてゲームを整理する感覚に少し似ていますが、違うのは、その記録媒体そのものをコンビニまで持ってきていることです。
実際にゲームを書いたのはLoppiではなかった
ここはニンテンドウパワーで特に誤解されやすい部分です。
「ローソンのLoppiでゲームを書き換えた」と説明されることが多いのですが、厳密にはLoppiだけで書き換え作業が完結していたわけではありません。
任天堂が1998年に公開したNintendo Online Magazineの利用記事でも、Loppiにはカセットスロットがあるため、そこで書き換えているように見えるものの、実際の書き換え機はレジカウンター側にあり、店員が操作すると説明されています。
つまり役割は、おおむね次のように分かれていました。
| 場所・機械 | 役割 |
|---|---|
| Loppi | カセットを読み込み、タイトル選択や書き換えの申込手続きを行う |
| レジ側のゲームライター | 実際にゲームデータをSFメモリカセットへ書き込む |
| ローソン店員 | 料金を受け取り、書き込み機を操作する |
Loppiで手続きを済ませると伝票が発行され、それとカセットをレジへ持っていく。料金を払い、店員に書き込んでもらったカセットを受け取って帰宅する。
「オンラインでゲームデータを販売する」という発想は現代に近くても、最後は人の手を経てカセットを持ち帰る。ここがニンテンドウパワーの面白いところです。
家に帰れば、普通のスーパーファミコンで遊べた
書き換えが終わったSFメモリカセットは、特別な周辺機器を家庭に用意する必要はありません。通常のスーパーファミコンへ差して起動できます。
複数タイトルを入れている場合は、ゲーム選択用のメニューから遊びたいタイトルを選びます。
ただし、現在のダウンロード購入のように「一度買ったから、消しても後日無料でもう一度ダウンロードできる」という仕組みではありません。
別のゲームへ書き換えるなら、カセットの限られた容量をどう使うかをその都度考える必要がありました。残しておきたいタイトルが増えれば、別のSFメモリカセットを用意する選択肢も出てきます。
9月30日は「全国一斉サービス開始日」ではなかった
ニンテンドウパワーの開始日は「1997年9月30日」と紹介されることがよくあります。
完全な間違いではありません。ただし、任天堂が1997年9月26日に公表した資料を読むと、もう少し細かく分かれています。
1997年9月30日から始まったのはテスト稼働。
その後、11月1日から全国約4,000店舗で本格展開するというスケジュールでした。
さらにローソンの会社資料では、Loppiの全店導入は1998年2月とされています。
したがって、ニンテンドウパワーの始まりを一つの日付だけで表すなら9月30日でも構いませんが、「その日から全国のローソンで一斉に使えた」とすると違ってきます。
当時を復元するなら、
9月30日=テスト稼働開始
11月1日=約4,000店で全国本格展開
1998年2月=Loppi全店導入
と分けて考えるのが正確です。
なぜNINTENDO64が出た後に、スーパーファミコンだったのか
ここで一つ、大きな疑問が出てきます。
NINTENDO64は1996年6月に日本で発売されています。それなのに、翌1997年に始まった新しいゲーム流通サービスの主役はNINTENDO64ではなく、1990年発売のスーパーファミコンでした。
これを「NINTENDO64が売れなかったからSFCを延命した」と説明してしまうのは簡単ですが、任天堂の当時資料はそう説明していません。
1996年の任天堂・ローソンによる発表では、当時すでにスーパーファミコンが国内で1,662万台普及していたことが示されています。翌1997年の正式発表では約1,700万台と説明されました。
全国の家庭に、それだけの本体がすでに存在していたわけです。
そして任天堂は、ニンテンドウパワーの目的として、ユーザーへ安価にゲームを提供することだけでなく、メーカー側の在庫リスク軽減、中古市場への対応、パッケージなどにかかる費用の削減を挙げています。
つまり1997年のSFCは、単なる「古いゲーム機」ではありません。
約1,700万台の本体と大量の既存ソフトを抱えた巨大な市場そのものでした。
新しいROMカセットを大量生産し、箱を作り、全国の店へ運び、売れ残れば在庫になる。ところがゲームデータだけを書き換える仕組みなら、一本一本のパッケージ在庫を抱える必要がありません。
ニンテンドウパワーは、新ハードへ移行しつつあった時代に、すでに家庭へ普及していたSFCを別の流通方式でもう一度活用する仕組みだったと見る方が、当時資料には合っています。
中古ゲーム対策だったのは本当。ただし、それだけではない
1990年代後半は、中古ゲーム販売をめぐってメーカーと中古販売店の対立が大きくなっていた時代でもあります。
ニンテンドウパワーについても「中古ゲーム対策だった」と説明されることがあります。
これは完全な俗説ではありません。
任天堂の1997年資料には、メーカー側のメリットとして中古市場への対応が明記されています。
ただし、同じ資料には、在庫リスクの軽減やパッケージ費用の削減、ユーザーへの安価なソフト提供も並んでいます。
そのため、
「中古市場への対抗も目的の一つだった」
は資料で裏付けられますが、
「中古ゲームを潰すためだけに始めた」
まで単純化するのは適切ではありません。
当時のゲーム流通が抱えていた複数の問題を、一つの書き換えシステムでまとめて解こうとしていた、と考える方が実態に近いでしょう。
ニンテンドウパワーは本当に安かったのか
ニンテンドウパワーの大きな売りの一つは価格でした。
開始時、すでに発売されていたソフトの書き換え料金は税別1,000円。新作については2,000~4,000円程度が予定されていました。
数字だけを見るとかなり安く感じます。
ただし、初めて利用する人にはSFメモリカセットが必要です。
| 利用例 | SFメモリ | 書き換え | 合計(税別) |
|---|---|---|---|
| 初めて旧作を書き換える | 3,980円 | 1,000円 | 4,980円 |
| 初めて新作を書き換える | 3,980円 | 2,000~4,000円程度 | 5,980~7,980円程度 |
| SFメモリをすでに持っている | 不要 | タイトルごとの料金 | 書き換え料のみ |
つまり、「SFCのゲームが1,000円で買えた」という説明だけでは半分しか見えていません。
最初の一回には専用カセット代が必要だった。一方、そのカセットを繰り返し使うほど、書き換え方式の価格メリットは出やすくなる。
この二段構えです。
では1997年当時の中古ソフトより必ず安かったのか。そこまでは一括して言えません。
中古価格はタイトルや時期、店舗によって大きく異なります。十分な当時広告を横断比較しなければ、「ニンテンドウパワーの方が中古より安かった」と断定することはできません。
「1本に最大7ゲーム」の本当の意味
SFメモリカセットについて、「一本に最大7タイトル入った」という説明もよく見かけます。
これも正しいのですが、重要なのは「最大」という部分です。
任天堂の1997年資料によると、SFメモリカセットにはゲームデータ用として32Mbitのフラッシュメモリ、セーブデータ用として256KbitのバックアップSRAMが搭載されていました。
| 領域 | 容量 | 管理単位 |
|---|---|---|
| ゲームデータ | 32Mbit | 8ブロック |
| セーブデータ | 256Kbit | 16ブロック |
小容量のゲームだけなら複数本を詰め込めます。しかし、大きなゲームは複数のブロックを消費します。
さらに厄介なのがセーブ領域です。
ゲーム本体の容量には空きがあっても、セーブ用領域を大量に使うタイトルが入っていれば、別のゲームを組み合わせにくくなる場合があります。
たとえば『スーパーファミコンウォーズ』は、ゲームデータだけでなくバックアップ領域も大きく使用するタイトルでした。
つまり「最大7本」は、
小さなタイトルなら最大7本まで入ることがある
という仕様上の上限であって、
どんなゲームでも7本入る
という意味ではありません。
カセット一本の中で、ゲーム本体とセーブデータの両方をやりくりする。この容量管理も、ニンテンドウパワー特有の体験でした。
箱も説明書もないゲームを、どうやって遊んだのか
パッケージをなくせば安くなる。
しかし、本当にゲームデータだけを販売すると、別の問題が生まれます。
説明書がありません。
1990年代のゲームは、操作方法やシステムを紙の説明書で確認するのが普通でした。箱からカセットと説明書を取り出し、遊ぶ前に読むこと自体がゲーム購入の一部だった時代です。
ニンテンドウパワーでは、この穴を「遊び方シート」や「NINTENDO POWER公式遊び方BOOK」などで補いました。
タイトルごとの操作方法やゲーム内容を紙で確認できるようにし、さらにインデックスシールを使って、SFメモリカセットに何が入っているのかを管理する仕組みも用意されました。
今ならストアの商品ページやゲーム内チュートリアル、Webマニュアルで済む情報を、紙とシールで補っていたわけです。
ゲームを「箱からデータへ」変えると、売り方だけでなく、説明書や所有感まで作り直さなければならない。
ニンテンドウパワーは、その過渡期を物として残しています。
ニンテンドウパワーは「昔のゲームを安く売るだけ」ではなかった
サービス開始時には、既発売ソフト約100タイトルが用意されました。
任天堂が公開した開始時ラインナップを見ると、『F-ZERO』『スーパーマリオワールド』『シムシティー』『スーパーマリオコレクション』『ファイアーエムブレム 紋章の謎』『スーパーメトロイド』『MOTHER2 ギーグの逆襲』『カービィボウル』『スーパードンキーコング』などが並んでいます。
ただし、ニンテンドウパワーを「旧作の再販売サービス」とだけ捉えると、重要な部分が抜け落ちます。
この販売経路だからこそ登場した新作やリメイクもありました。
『ファミコン探偵倶楽部PARTII うしろに立つ少女』
1989年のディスクシステム版を作り直したスーパーファミコン版『ファミコン探偵倶楽部PARTII うしろに立つ少女』は、1998年4月1日にニンテンドウパワー用として発売されました。
任天堂の後年の公式紹介でも、基本シナリオを受け継ぎながら、グラフィックからシステムまで作り直された作品だったことが確認できます。
元になったディスク版のように、店頭で媒体へゲームを書き込む文化そのものに興味がある場合は、つぶログのディスクシステムと書き換え文化の記事もあわせて読むと、1980年代と1990年代の違いが見えやすくなります。
『スーパーファミコンウォーズ』
『スーパーファミコンウォーズ』は1998年5月1日にニンテンドウパワーから発売されました。
1988年の『ファミコンウォーズ』を土台としながら、新しいユニットや施設、マップ、4人プレイなどを加えた作品です。任天堂の公式紹介でも、その発売経路がニンテンドウパワーだったことが明記されています。
『はじまりの森』
『はじまりの森』は1999年7月1日発売。
任天堂自身が「ニンテンドウパワーのソフトとして発売」と説明している作品です。
ニンテンドウパワーは、過去作を安くもう一度売るだけでなく、新しいSFCゲームを市場へ出すための販売経路にもなっていました。
『トラキア776』は「ニンテンドウパワー専売」ではない
販売形態を調べるとき、特に注意が必要なのが『ファイアーエムブレム トラキア776』です。
同作は1999年9月1日にニンテンドウパワーで発売されました。
しかし、それで終わりではありません。
任天堂の公式ページには、その後2000年1月21日に通常のスーパーファミコン用カセットとしても発売されたことが明記されています。
つまり正確には、
NPで先に発売 → 後から通常カセット版も発売
です。
「ニンテンドウパワーで発売された」と「ニンテンドウパワーでしか発売されなかった」は同じではありません。
『メタルスレイダーグローリー ディレクターズカット』も普通のパッケージ版ではない
SFC末期を象徴する一本として挙げられるのが『メタルスレイダーグローリー ディレクターズカット』です。
任天堂の当時の公式ページには、二つの販売方法が残っています。
一つは、あらかじめゲームを書き込んだSFメモリカセットを販売する「プリライト版」。予約期間は2000年10月1日~31日、引き渡しは11月29日でした。
もう一つが通常のニンテンドウパワー書き換え版で、書き換え開始日は2000年12月1日です。
そのため、「最後期のSFC新作」だからといって、一般的な箱入りROMカセットとして販売された作品と同じ扱いにはできません。
オリジナルのファミコン版については、つぶログの『メタルスレイダーグローリー』レビューでも取り上げています。
ゲームボーイ版は1999年に始まるはずだった
ニンテンドウパワーはSFCだけのサービスでもありません。
後に「GBメモリカートリッジ」を使うゲームボーイ向け書き換えも始まりました。
ただし、予定通りにはいきませんでした。
任天堂は当初、1999年11月1日からゲームボーイ用の書き換えサービスを始める予定でした。
ところが1999年9月21日に台湾で大地震が発生します。
当時の任天堂公式告知では、この地震の影響でGBメモリカートリッジの生産が遅れ、安定供給の見通しが立たなくなったことを理由に開始延期を発表しています。
実際にゲームボーイ向けサービスが始まったのは、2000年3月1日でした。
後年になって作られた「台湾地震のせいで延期したらしい」という逸話ではなく、任天堂自身が当時説明していた出来事です。
このGB版では『スーパーマリオブラザーズデラックス』のような、書き換えサービスと強く結びついた作品も登場しました。
ディスクシステム、TAKERU、サテラビューとは何が違ったのか
ニンテンドウパワー以前にも、日本では「箱入りソフトを普通に買う」以外のゲーム流通が何度も試されています。
任天堂自身も、ファミリーコンピュータ ディスクシステムで店頭のディスクライターを使った書き換えサービスを展開していました。
ただし、だからといってニンテンドウパワーを単純に「ディスクライターの後継」と断定できる資料は確認できません。
共通しているのは、同じ記録媒体を店へ持っていき、中身を書き換えて再利用するという体験です。
一方、ブラザー工業のソフトベンダーTAKERUは、通信回線と店頭端末を使ってパソコンソフトなどを販売する別の仕組みを発展させました。
さらに1995年には、任天堂がサテラビューで衛星からゲームデータを家庭へ届けるという、ニンテンドウパワーとは逆方向の試みも行っています。
| 仕組み | 主な場所 | 媒体 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| ディスクシステム | 店頭 | ディスクカード | ディスクライターで書き換え |
| TAKERU | 店頭 | 対応媒体 | 通信を利用したソフト自販機 |
| サテラビュー | 家庭 | メモリーパック | 衛星放送でデータを受信 |
| ニンテンドウパワー | ローソン店頭 | SFメモリ/GBメモリ | Loppiで申込、レジ側専用機で書き込み |
1980~90年代の日本では、現在のダウンロードストアへ一直線につながった一つの技術だけが存在したわけではありません。
店で書き換える、店の端末から買う、衛星から受信する。
パッケージを使わずゲームを届けるため、複数の異なる方法が並行して試されていました。
では、ニンテンドウパワーは「1997年版Nintendo eShop」だったのか
現在から振り返れば、ニンテンドウパワーとダウンロード販売には確かに似ている部分があります。
店頭にゲームのパッケージ在庫を大量に持つ必要がない。ゲームをデータとして販売できる。同じ記録媒体を再利用できる。
しかし、実際の購入体験はかなり違います。
| ニンテンドウパワー | 現代の一般的なDL販売 | |
|---|---|---|
| 購入場所 | ローソンへ行く | 家庭から購入可能 |
| 記録媒体 | 専用メモリカセット | 本体・SDカード等 |
| 人の介在 | 店員が書き込み機を操作 | 基本的にユーザーだけで完結 |
| 容量不足 | カセット内タイトルの組み合わせを考える | ストレージ容量を整理する |
| 購入履歴・再取得 | 現代型アカウント再DLとは異なる | 購入アカウントから再取得できる場合が多い |
特に大きいのは、現代のデジタル購入で一般的な「アカウントに購入履歴が残る」という考え方との違いです。
現在のDL版でも販売終了と再ダウンロード終了は別問題ですが、その仕組みについては「DL版ゲームは販売終了後も遊べる?再ダウンロード・ストア終了・本体故障で何が変わるか」で詳しく整理しています。
ニンテンドウパワーを「昔のeShop」と呼べば分かりやすくはなります。
ただし、それはあくまで現代人に仕組みをイメージしてもらうための比喩です。
任天堂が1997年の時点で将来のNintendo eShopを想定していた、あるいはニンテンドウパワーが直接eShopへ発展した、と裏付ける資料は確認できません。
2002年に終わったのは「ローソンでの書き換え」
ニンテンドウパワーには、二つの「終了日」があります。
これも非常に混同されやすいところです。
2002年5月31日、任天堂はローソンでの書き換えサービスを終了すると発表しました。
当時のGAME Watchの報道では、次の流れが確認できます。
| 日付 | 何が終了・変更されたか |
|---|---|
| 2002年6月30日 | SFメモリカセット、GBメモリカートリッジの販売終了 |
| 2002年8月31日 | ローソン店頭での書き換え終了 |
| 2002年9月1日以降 | 任天堂「お客様ご相談窓口」で書き換えを継続 |
つまり、
「ニンテンドウパワーは2002年に終了した」
ではなく、
「ローソンでゲームを書き換える体験が2002年に終了した」
が正確です。
ニンテンドウパワーそのものは2007年まで続いた
ローソンから消えた後も、サービスはすぐにはなくなりませんでした。
任天堂側での書き換え対応は継続され、最終的に終了したのは2007年2月28日です。
任天堂の現在も残る終了告知には、「1997年より行ってきたニンテンドウパワーの書き換えサービス」を2007年2月28日で終了したことが明記されています。
ローソン店頭終了から、さらに約4年半。
コンビニでカセットを書き換える文化は2002年で終わりましたが、「ニンテンドウパワー」というサービス自体はその後もしばらく生き続けていました。
なぜローソンから消えたのか
では、なぜ2002年にローソンでの書き換えは終わったのでしょうか。
ここは慎重に扱う必要があります。
SFC市場の縮小、ゲームボーイアドバンスやゲームキューブなど次世代機への移行、中古ソフトとの競争、専用カセットの初期費用、店頭作業の手間――理由として考えられる要素はいくつもあります。
しかし、今回確認した当時の公開資料からは、ローソン店頭終了の理由を一つに絞って説明する公式資料を確認できませんでした。
利用者数、累計書き換え件数、ニンテンドウパワー単独の売上高についても、今回確認した公開資料だけでは全体像を確定できません。
したがって、
「中古の方が安かったから失敗した」
「人気がなかったから撤退した」
「時代を先取りしすぎた」
といった説明を、そのまま事実として採用することはできません。
少なくとも確認できるのは、ローソンでの書き換えが約5年間続き、その後も任天堂側では2007年までサービスが残ったことです。
終了したという結果だけを見て「失敗」と判定するには、公開されている数字が足りません。
いま残っているのは、ゲームだけではない
ニンテンドウパワーを面白くしているのは、対応ゲームの一覧だけではありません。
白いSFメモリカセット。GBメモリカートリッジ。ゲーム名を管理するためのインデックスシール。遊び方シート。公式遊び方BOOK。プリライト版。
どれも、ゲームを箱入り商品から「書き換えるデータ」へ変えようとした結果、生まれた物です。
現在でも中古市場ではSFメモリカセットなどを見かけますが、中に何が残っているか、正常に動作するか、データの状態がどうなっているかは個体ごとに異なります。
しかも書き換えサービスそのものは2007年に終了しているため、今からローソンへ持っていって別のゲームを書いてもらうことはできません。
一方、ニンテンドウパワーで登場した作品の一部は、その後バーチャルコンソールやリメイクなど別の形で再び世に出ています。
だから「ニンテンドウパワー専用作品は全部もう遊べない」という説明も正しくありません。
作品ごとに、その後の復刻状況は違います。
消えたのは、ゲームの売り方ではなく「一連の体験」だった
現在のゲーム販売に慣れていると、ニンテンドウパワーを「昔にもダウンロード販売があった」とまとめたくなります。
でも1997年の利用者が実際にやっていたことを順番に並べると、別の姿が見えてきます。
白いSFメモリカセットを持ってローソンへ行く。
Loppiの前に立つ。
カセットを差し込む。
どのゲームを残し、どのゲームを消すか考える。
新しいゲームを選ぶ。
伝票とカセットを持ってレジへ行く。
料金を払う。
店員がレジ側のゲームライターを操作する。
書き換えられたカセットを受け取って家へ帰る。
そしてスーパーファミコンの電源を入れる。
ゲームを一本増やすために、これだけの行動がありました。
不便だった、と言ってしまえばそれまでです。
ただ、この仕組みが成立した背景には、約1,700万台のSFC、パッケージ在庫という問題、中古ゲーム市場、全国に店舗を持つローソン、通信端末Loppi、そして書き換え可能なフラッシュメモリという、その時代だからこそ重なった条件がありました。
その結果、通常のパッケージ販売だけでは生まれなかったゲームまで登場しています。
ニンテンドウパワーで失われたものは、単なる「古い販売サービス」ではありません。
コンビニへゲームを持っていき、中身を書き換えて家へ持ち帰る。
いまでは再現できない、その一連のゲーム体験そのものです。
まとめ|ニンテンドウパワーとは何だったのか
ニンテンドウパワーは、1997年にスーパーファミコン向けとして始まり、のちにゲームボーイへ広がったゲーム書き換えサービスでした。
1997年9月30日はテスト稼働の開始日で、全国約4,000店での本格展開は11月1日。利用者はLoppiでゲームを選びましたが、実際にカセットへ書き込んでいたのはレジ側の専用ゲームライターです。
SFメモリカセットは税別3,980円。開始時には旧作を1,000円で書き換えられましたが、初回利用にはカセット代が必要でした。「最大7本」も、ゲーム容量とセーブ領域次第で大きく変わります。
2002年8月31日に終わったのはローソン店頭での書き換えであり、ニンテンドウパワー自体は任天堂側で継続し、2007年2月28日に完全終了しました。
現代のダウンロード販売と似た発想はあります。
それでも、家からボタン一つでゲームを買う現在とは違います。
1997年の日本では、ゲームの中身を変えるために、カセットを手にローソンへ出かける人たちがいました。
その光景まで含めて考えたとき、ニンテンドウパワーは初めて「どんなサービスだったのか」が見えてきます。