
ドンキーコング(FC/1983)
1983年7月15日、ファミリーコンピュータ本体と同時発売された『ドンキーコング』は、アーケードで大ヒットした任天堂のアクションゲームの移植版。プレイヤーはジャンプマン(のちのマリオ)を操作し、恋人レディ(のちのピーチ姫)を救うべく、タルを転がしてくるゴリラ“ドンキーコング”に立ち向かいます。本作は、任天堂がアーケード市場から家庭用ゲームへ本格参入する中で、“自社キャラクターIPによるブランド化”の始まりを象徴する一本です。
🌟 魅力と見どころ

当時の家庭用ゲーム機では珍しい「上下移動」や「ジャンプアクション」が本格的に盛り込まれており、操作性・ステージ構成・BGMすべてが“アーケードの熱量”を忠実に再現。特にファミコン版は、わずか数KBの容量で階層型ステージ、跳ね返るタル、昇降リフトといった多彩な仕掛けを実現しています。
また、主人公「ジャンプマン」はのちに“マリオ”として正式命名され、ここから全てが始まったとも言える一本。実はこの時点でマリオに「帽子・ヒゲ・オーバーオール」というビジュアルが完成しており、現代にも通じるアイコンとしての要素が確立されていました。
🧠 トリビア・豆知識
・マリオの初登場作として知られがちですが、実は「ピーチ姫」もこの作品での登場が起源(当時の名称は“レディ”)です。
・任天堂は本作を巡って「キングコングの著作権侵害だ」としてユニバーサルに訴えられましたが、見事勝訴。この裁判が後のゲーム業界におけるIP(知的財産)保護の重要性を再認識させました。
・本作のアーケード版には3種類のステージが存在しましたが、ファミコン版では技術的制約により1面(建設現場)、2面(リフト)、4面(最終構造物)の3面構成となっており、3面(エレベーター)はカットされました。それでも移植度は極めて高く、家庭用ゲームの限界に挑んだ意欲作です。
💡 裏技・没データ
『ドンキーコング』には、当時のゲームならではのシンプルながらも奥深い仕掛けがいくつか存在します。特定の操作によってステージ内のバレル(樽)の動きを変える“判定ズラし”や、効率よく得点を稼ぐ「火の玉ジャンプ」など、スコアアタックを狙うプレイヤーにとっては定番テクニックでした。
- “はしごバグ”で壁をすり抜けるグリッチ
ステージ1で右下のはしごに特定の角度からジャンプすることで、通常は入れない内部エリアに侵入できる現象が報告されています。スピードランや改造ROMではこの現象を活かした攻略も存在しています。 - 属性パレットの乱れによる色バグ
一部のプレイ環境(特にアーケード移植やエミュレーター)では、背景やスコア表示が意図しない色で描画されるバグが確認されています。これはハードウェアの仕様によるタイル属性のズレが原因とされています。 - 進行不能状態“killscreen(キルスクリーン)”の概念
アーケード版では、レベル22(117ステージ目)に到達すると、メモリの限界によりマリオが即死してしまう「killscreen(進行不能画面)」が存在します。これは家庭用ファミコン版では再現されていませんが、類似の“Jail状態”(画面内に閉じ込められて動けなくなるバグ)とされる現象が一部で確認されています。
※それぞれのバグ・仕様は、公式にアナウンスされたものではないため、環境やプレイ条件によって発生しない場合もあります。記載はあくまで歴史的資料的な側面からの紹介です。
📊 ユーザー評価・雑誌評価

ファミコン創成期において、ドンキーコングは“アーケード品質を自宅で遊べる”ことが驚きであり、ゲーム雑誌や広告でも高く評価されていました。ゲーム専門誌がまだ未成熟だった時代ながら、プレイヤーからは「映画のようなゲーム」「本当にアーケードそのまま!」という感動の声も。
現在では、シンプルながらも繰り返し遊びたくなる設計が評価され、「ゲームデザインの教科書」としてゲームクリエイターたちにも影響を与えた作品と位置づけられています。バーチャルコンソールなどを通じて現代でも手軽にプレイできることから、レトロゲーム初心者にも最初の1本として勧められるタイトルです。
🎤 開発秘話・制作者コメント

『ドンキーコング』の開発は、後に任天堂の看板タイトルを生み出す宮本茂氏が初めてディレクターとして手がけた作品として知られています。当初はレーダースコープというアーケードゲームの在庫を活かすための“急ぎの代替企画”として始まったプロジェクトでした。宮本氏は、当時としては斬新だった「キャラクターに物語性を持たせる」ことを意識し、ゴリラ・大工・女性の三角関係という単純ながら感情を揺さぶる構図をゲームに取り入れました。
また、登場キャラのジャンプマン(のちのマリオ)には、「髪の毛の動きを描くのが難しかったから帽子」「口の動きを省くためにヒゲ」といった、制約を逆手に取ったデザインが施されています。つまり、技術的限界の中で生まれたキャラクター性が、結果的に“世界的人気キャラ”に繋がったのです。
「ジャンプマン」は、今でこそ“マリオ”として親しまれていますが、現在のマリオと比べるとデザイン面に大きな違いがあります。たとえば、ファミコン版ではつなぎの色が“赤い服に青いオーバーオール”ではなく、“赤いオーバーオールに茶色のシャツ”になっており、後年のイメージとは逆です。
これは、ハード性能の都合で使用できる色数に制限があったことによるもの。
また、ジャンプやはしごの動きもどこか“カクカク”しており、のちのスーパーマリオのような滑らかさとは異なる“誕生初期のマリオ”としての個性が見られます。こうした違いに気づくのも、レトロゲームを味わう楽しさのひとつです。
📅 発売当時の“時代背景”
1983年7月15日、任天堂は家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」を発売しました。そのローンチタイトルのひとつが、今回取り上げる『ドンキーコング』です。もともとアーケードでヒットしていた本作が家庭で遊べるという点は、当時としては非常に画期的であり、多くのゲームファンの注目を集めました。
この時代、日本のゲーム市場は「インベーダーゲーム」ブームの熱狂から次第に落ち着きつつありました。一方で、ゲームセンターの人気が根強く続くなか、「家庭でも本格的なゲームを楽しみたい」というニーズが高まりつつあったのです。ファミコンの登場は、まさにそうした時代の要請に応えるものであり、『ドンキーコング』はその先陣を切る存在でした。
ファミコン本体は14,800円という価格で登場。小学生の手が届く価格帯ではなかったものの、「家族みんなで楽しめる」というテレビゲームの新しい価値提案が、当時の家庭層に受け入れられていきました。事実、当時の日本ではテレビの普及率が98%を超えており、“一家に一台のテレビでゲームを遊ぶ”というスタイルが一気に広まっていったのです。
1983年はまた、ゲーム業界にとっても大きな転換期でした。任天堂がファミコンを投入したのと同じ年に、セガは家庭用ゲーム機「SG-1000」を発売。アーケードで培った技術を家庭用に応用する動きが、国内大手メーカーの間で本格化していきます。加えて、ナムコの『マッピー』やコナミの『ジャイラス』といったアーケードの名作もこの年に登場し、ゲーム文化全体が急激に多様化していく時期でもありました。
任天堂社内では、宮本茂氏をはじめとした新世代の開発者たちが台頭。『ドンキーコング』は、彼らの創造性とゲームの未来へのビジョンが詰まった記念碑的タイトルであり、単なる“ローンチソフト”の枠を超えた、文化的意義のある1本となっています。
🧾 まとめ

『ドンキーコング』は、単なるレトロゲームのひとつではなく、任天堂のゲーム史における大きな転機となった作品です。アクションゲームの原点として、シンプルながらも完成度の高いステージ構成と、明快なルールで多くのユーザーを惹きつけました。また、マリオ(当時は“ジャンプマン”)やドンキーコングといった現在も活躍するキャラクターたちの“原初の姿”を確認できる貴重なタイトルでもあります。
ファミコン初期に登場した移植版は、アーケード版から一部の要素が削られながらも、家庭用ゲーム機での再現性という点で一定の評価を受けました。さらに、今なお解析やスピードラン、リメイク、関連作品などを通じて語り継がれており、その影響力は現代まで色あせていません。
ドンキーコングは「ただの懐かしさ」ではなく、「今のゲームの土台を築いた一本」として、これからも語り継がれるべき1作です。
ドンキーコングって、実は“マリオ”が初めて登場したゲームなんだよ〜!