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レトロゲーム黎明録|第30回 ファイナルファンタジー(FC/1987)

1987年の冬、吐く息が白く染まる寒い朝。
商店街のゲームショップの前には、開店を待つ子どもたちと、なぜか混ざって並ぶ大人の姿。
みんなのお目当ては、青と白のパッケージに4人の戦士が描かれた、あの新作RPG――『ファイナルファンタジー』。

カセットを手に帰る道すがら、箱を開けたい衝動を必死にこらえ、家に着くや否やテレビの前へ直行。
あの起動音、画面いっぱいに広がるロゴ、そして流れ出すあのファンファーレ。
今でも耳に残っている人は多いはずです。

本記事では、スクウェアの運命を背負って生まれた初代『ファイナルファンタジー』を、
あの頃の空気とともに振り返ります。

📘 作品概要・基本情報

『ファイナルファンタジー』は、1987年12月18日にスクウェア(現スクウェア・エニックス)からファミリーコンピュータ用ソフトとして発売されたロールプレイングゲームです。価格は5,900円。パッケージには、青と白を基調とした幻想的なイラストで4人の戦士が描かれ、発売前から“RPGの新たな挑戦作”として注目を集めていました。

プレイヤーは4人の光の戦士となり、戦士・モンク・シーフ・白魔道士・黒魔道士・赤魔道士の6職業から自由にパーティーを編成。世界各地を巡り、4つのクリスタルに宿る光を取り戻す旅に出ます。当時としては珍しく、ゲーム開始時に職業を自由に組み合わせられるシステムが採用されており、プレイヤーごとにまったく異なる冒険が展開しました。

音楽は植松伸夫氏が担当し、オープニングファンファーレやフィールドBGMは、今なおシリーズを象徴するメロディとして語り継がれています。物語はシンプルながらも時空を超える展開やドラマ性を持ち、プレイヤーに強い印象を残しました。


発売当時の時代背景

あの日、1987年12月―街灯の下、ファミコンを抱えた少年たちが待ち焦がれたのは、スクウェア渾身の“運命の一本”でした。かつては失敗作が続き、倒産の瀬戸際に立っていたスクウェア。しかし坂口博信氏が「これが最後」と自らに課した挑戦が、奇跡的な運命を動かしたのです。

その冬、スクウェアは12月18日に 『ファイナルファンタジー』 を発売しました。

当初は20万本の出荷予定だったところを、坂口氏は「続編につなげたい」と会社に訴え、なんと40万本の出荷を実現。それが最終的に 52万本以上 を記録し、“背水の一作”は見事な大ヒットへと変貌を遂げました。

また、当時のRPG市場は『ドラゴンクエスト』が席巻していました—1986年に登場し、RPGジャンルの基礎を築いた存在です。その7カ月後に生まれた『ファイナルファンタジー』は、ドラゴンクエストとは異なる幻想世界とジョブシステムで新風を吹き込み、「RPGの多様性」を本格的に刻み始めました。

ゲームシステムの特徴

『ファイナルファンタジー』の最大の魅力は、プレイヤー自身が冒険の形を決められる自由なパーティー編成でした。ゲーム開始時に、戦士・モンク・シーフ・白魔道士・黒魔道士・赤魔道士の6職業から4人を選び、それぞれの役割や戦い方を想像しながら組み合わせます。戦士4人の力押し、魔道士中心の戦術派、あるいはバランス型――選択次第で物語の展開や戦いの難易度が大きく変わるのは、当時のRPGでは革新的でした。

戦闘はドラクエ型のコマンド選択式ターン制を基盤としながらも、独自の特徴を備えていました。例えば、敵の種類や行動パターンが多く、魔法はチャージ制(回数制限)で運用されるため、MP制とは違う緊張感が生まれます。序盤から毒・麻痺といった状態異常が頻発し、回復アイテムや魔法の使いどころを見極める必要がありました。

さらに本作では、プレイヤーキャラクターが中盤で“クラスチェンジ”を果たし、より強力な姿に成長します。この成長イベントは、当時のプレイヤーにとって大きなモチベーションの一つであり、長い旅路の節目として強く記憶に残っています。

そしてもう一つ――忘れられないのは、フィールドやダンジョンを彩ったBGM。植松伸夫氏による重厚な戦闘曲、希望に満ちたフィールドテーマは、何時間も冒険を続ける原動力となりました。

物語と世界観

『ファイナルファンタジー』の物語は、古典的でありながらも壮大なスケールを持って始まります。
世界には4つのクリスタルがあり、それぞれ火・水・風・土の力を司っていました。しかし、クリスタルは長き眠りについて力を失い、世界は闇に覆われ始めます。そこへ現れたのが、4つの光を宿した若者たち――光の戦士。彼らがクリスタルの輝きを取り戻し、世界を救うための旅に出る、というのが物語の骨子です。

舞台は広大なファンタジー世界。草原、海、山岳、そして飛空艇で訪れる遠い大陸まで、多彩なロケーションが冒険を彩ります。港町では海賊が酒場で暴れ、山奥には竜族が住み、荒野の果てには古代の遺跡が眠る――プレイヤーは、地図を埋めるたびに新たな発見と出会いを重ねます。

物語の後半では、時空を超えるという大胆な展開が待ち受けます。ゲーム冒頭で倒したはずの敵が、実は全ての元凶であり、時を遡って世界の混乱を引き起こしていた――このループ構造のシナリオは、当時の家庭用RPGとしては非常に珍しく、プレイヤーに衝撃を与えました。

シンプルながらも神話のような重厚さを持つこの世界観は、その後のシリーズに脈々と受け継がれ、ファイナルファンタジーというブランドの“核”を形作ることになります。

当時の評価と売上

あの冬、『ファイナルファンタジー』という封筒を開けた瞬間の興奮、覚えていますか? 1987年12月18日に、誰もがすでに知っていた宿敵・ドラゴンクエストとは異なる、新しいRPGがやってきました。スクウェア渾身の一本は、当初20万本の出荷予定だったものを坂口博信氏が粘り強く訴え、増産に成功。その結果、最終的には52万本以上を売り上げる大成功へと繋がりました gekicore-gamelife.com

雑誌やメディアの反応も、次第に熱を帯びていきます。ファミ通では当初「ドラクエのフォーマットを模倣した作品のひとつ」と評されたものの、その後は“RPGというジャンルを定着させた名作”として位置づけられていきました ウィキペディア。ゲーム批評家からも、「RPGとは何かを初めて知る人におすすめできる作品」と高く評価されたほどです gekicore-gamelife.com+1

さらに、レトロファンからの評価も今に続きます。読者投票ではファミコン時代を代表する名作として数々のランキングに登場し、Nintendo Power では「ニンテンドーシステム上で最も重要なRPG」として、トップ50圏内にランクインしました gekicore-gamelife.com

時代を振り返る視点では、単なる“ソフト”を超え、「ファミコン文化の中でRPGという土台を築いたタイトル」として、今も語り継がれているのです。

シリーズ化への道

『ファイナルファンタジー』の成功は、スクウェアの経営を立て直しただけでなく、新たな伝説の幕開けとなりました。開発の中心人物である坂口博信氏は、このヒットをきっかけに「続編を作れる体制」を整え、翌1988年には『ファイナルファンタジーII』の制作に着手します。

初代で培われたジョブの自由度や物語演出へのこだわりは、その後のシリーズで進化を遂げます。IIではキャラクターごとの固有ストーリーが導入され、IIIではジョブチェンジシステムが再構築されました。こうした挑戦を続けられたのも、初代のヒットがあったからこそです。

また、海外市場への展開も初代の存在が礎となりました。1990年にNES(海外ファミコン)版として北米に輸出されたことで、日本発のRPGが世界へ広まるきっかけとなり、「JRPG」というジャンル名が認知される足がかりになったのです。

振り返れば、この一本がなければ、後の『FFVII』や『FFXIV』といった世界規模のヒット作も生まれなかったかもしれません。初代『ファイナルファンタジー』は、単なるゲームの一作ではなく、シリーズという長い物語のプロローグだったのです。

🎯 ファイナルファンタジーIの与えた影響

『ファイナルファンタジー』(以下FF1)は、単なるヒット作にとどまらず、RPGというジャンルの幅を大きく広げた作品でした。

まず大きかったのは、「物語性」と「演出」の強化です。FF1は当時のRPGとしては珍しく、オープニングから世界観や目的を明確に提示し、後半に時間逆行という大胆なシナリオ展開を盛り込みました。これにより、プレイヤーは“レベル上げと冒険”だけでなく、“物語の結末を見届けたい”という強い動機を持つようになります。この流れは後の国産RPG全体に広がり、「RPG=ストーリー重視」という潮流を作る土台となりました。

次に、パーティー編成の自由度です。戦士だけの力押しから魔法職主体の戦術型まで、プレイヤーの選択次第で難易度やプレイ感覚が変わるシステムは、後の『ロマンシング サガ』や『ポケットモンスター』など、自由なパーティービルド要素を持つ作品に影響を与えました。

さらに、FF1はJRPGの海外展開の扉を開きました。1990年の北米NES版発売は、日本製RPGが海外市場に受け入れられるきっかけとなり、後の『クロノ・トリガー』『ゼルダの伝説 時のオカリナ』などのグローバルヒットへとつながっていきます。

音楽面でも、植松伸夫氏によるテーマ曲や戦闘曲が高く評価され、「ゲーム音楽が感情を動かす体験」へと進化するきっかけを作りました。以降、BGMは単なる背景ではなく、作品の記憶を形作る重要な要素として扱われるようになっていきます。

結果としてFF1は、ストーリー重視のRPG文化、自由度の高いゲームデザイン、JRPGの海外進出、ゲーム音楽の地位向上という4つの大きな影響を残しました。35年以上経った今も、その足跡はシリーズ作品や他のゲームに色濃く刻まれています。

🎯 総まとめ・永遠の旅立ちの物語

1987年、冬の空気が冷たく澄んだあの日。
『ファイナルファンタジー』は、スクウェアの背水の陣から生まれ、プレイヤーの胸に新しい冒険の火を灯しました。
戦士、モンク、魔道士――自分だけの仲間を選び、広い世界へ踏み出した瞬間の高揚感。初めて飛空艇で空を駆けたときの感動。ラスダンで流れるBGMに胸を締めつけられながらも、必ずクリスタルを輝かせると誓ったあの気持ち。

あれから35年以上の時が経ち、シリーズは姿を変えながらも世界中で愛され続けています。しかし、その原点であるFF1の旅立ちは、今も多くの人の心に鮮明に残っています。

『ファイナルファンタジー』は、ただのゲームではありませんでした。
それは、画面の中に広がるもうひとつの世界への扉であり、少年少女だった私たちが初めて手にした、限りない物語の切符だったのです。

FF1の開発中、坂口さんは“これが売れなかったらゲーム業界を辞める”って決めてたんだって!

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