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東京にはなぜ「東京市」がない?1943年に東京府と一緒に消えた理由

東京市はなぜない?1943年に廃止された理由と東京23区との関係

大阪府大阪市北区と東京都新宿区の住所構造を比較し、東京市がなぜ存在しないのかを表したアイキャッチ

大阪府には大阪市がある。

京都府には京都市がある。

ところが東京都には、「東京市」がありません。

東京都内に市が存在しないわけではありません。八王子市、立川市、町田市など、多摩地域には現在も多くの市があります。

ないのは、東京都の中心部をまとめる「東京市」です。

住所を見ても、「大阪府大阪市北区」とは書きますが、「東京都東京市新宿区」とは書きません。

では、東京市は最初から存在しなかったのでしょうか。

実はそうではありません。

東京市は1889年5月1日に誕生し、1943年7月1日まで54年間、実際に存在していました。

しかも廃止される直前の東京市は、現在の東京23区にほぼ相当する区域を35区に分け、1940年には人口677万人余を抱える巨大都市でした。東京都公文書館は、当時の東京市を「わが国最大の基礎的自治団体」と紹介しています。

そんな東京市が、なぜ消えたのか。

直接の答えは、1943年7月1日に施行された「東京都制」で、東京府と東京市の両方が廃止されたからです。

東京市が東京都へ名前を変えたわけでも、東京府だけが東京都に改称されたわけでもありません。

東京府と東京市という二つの仕組みを廃し、従来の東京府の区域に新しく「東京都」を置く制度変更でした。

その背景をたどると、現在の「東京都新宿区」「東京都渋谷区」という少し特殊な住所の理由まで見えてきます。

東京市は1889年、本当に存在していた

東京市が成立したのは1889年5月1日です。

当初の区域は15区でした。

麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川の15区です。

現在でいえば、千代田区、中央区、港区、文京区、台東区などを中心とした地域で、今の23区全体よりかなり狭い範囲でした。

このころすでに東京府も存在していました。

つまり、

東京府の中に東京市がある

という形です。

現在の感覚に近づけるなら、「東京都の中に八王子市がある」のと似た二層構造を思い浮かべると分かりやすいでしょう。

ただし、当時の地方制度は現在とは異なるため、まったく同じ仕組みだったわけではありません。

ここで大事なのは、東京府と東京市は別々に存在していたという点です。

「東京府が途中で東京市になった」のではありません。

東京市は最初から普通の「市」ではなかった

東京という巨大都市をどう統治するかという問題は、1943年になって突然始まったものでもありませんでした。

1889年に東京市が成立した際、東京・大阪・京都には市制特例という特別な制度が適用されました。

東京市には独自の市長を置かず、東京府知事が市長の職務を兼ね、市役所の事務も府庁が担当するという仕組みです。

法律上は東京市が存在していても、府と市の行政をかなり重ねて運営する形から始まったわけです。

この市制特例は1898年に廃止され、その後は東京市にも市長が置かれるようになりました。

「東京という巨大都市を、府と市でどう分担して動かすのか」という問題は、東京都が生まれる半世紀以上前から続いていました。

1932年、東京市は35区の「大東京市」になった

東京市が誕生したころ、市街地は現在の都心部に集中していました。

ところが20世紀に入ると、鉄道の延伸や住宅地の開発などによって、東京市の外側でも人口が急増します。

特に関東大震災後は郊外の市街地化が進み、従来の東京市域だけで都市行政を考えることが難しくなっていきました。

そこで1932年10月1日、東京市は周辺の5郡82町村を編入します。

新たに20区を設置し、それまでの15区と合わせて35区となりました。

いわゆる「大東京市」の成立です。

さらに1936年には、北多摩郡の千歳村と砧村が世田谷区へ編入されました。

この段階になると、東京市の区域は現在の東京23区の範囲とほぼ重なる規模にまで拡大しています。

人口も巨大でした。

1940年10月1日時点で、東京市の人口は677万人余

「東京市が小さな自治体だったので東京都に吸収された」という話ではありません。

むしろ、巨大になりすぎた東京市と、それを包含する東京府をどのように統治するかが大都市行政の大きな問題になっていました。

なぜ東京府と東京市の併存が問題になった?

ここが、東京市が消えた理由を理解するうえで最も重要な部分です。

当時、東京には広域行政を担う東京府と、巨大な都市自治体である東京市が並存していました。

政府は、この状態を「府市並存の弊」と表現しています。

ただし、「府と市がすべて同じ仕事を二重にやっていた」と考えるのは正確ではありません。

仕事にはそれぞれ分担があり、国や警視庁が関わる分野もありました。

問題だったのは、首都という非常に大きな都市空間の中で複数の行政主体が存在し、政策によって調整が必要になっていたことです。

1930年代までに東京市は現在の23区に近い規模へ広がり、人口600万人を超えました。

一方、その外側の多摩地域や島しょ部などまで東京府が抱えています。

巨大な府と巨大な市が同じ東京で重なっている。

この制度をどう整理するかという「大都市制度問題」は、東京都制ができるずっと以前から議論されていました。東京都公文書館も、1943年の東京都制を、半世紀近く議論された大都市制度問題の一つの到達点として位置づけています。

1943年、東京府と東京市は両方とも廃止された

大きな転換が起きたのは1943年です。

第81回帝国議会で成立した「東京都制」は、正式には昭和18年法律第89号。

1943年6月1日に公布され、同年7月1日に施行されました。

その結果、

東京府 廃止

そして、

東京市 廃止

となり、従来の東京府の区域に東京都が設置されました。

ここは非常に誤解されやすいところです。

東京市だけが、

東京市 → 東京都

と名前を変えたのではありません。

東京府だけが、

東京府 → 東京都

と単純に改称されたわけでもありません。

制度としては、府と市の両方を廃し、新しい東京都を設けたのです。

1943年7月1日に東京府と東京市がともに廃止され、従来の東京府の区域に東京都が設置された流れを示す図解

東京都公文書館が東京市を現在の東京都の「前身」と表現することはありますが、それは歴史的なつながりを示すものであって、単純な名称変更という意味ではありません。

なぜ東京都を作った?政府が挙げた3つの理由

では、なぜ1943年にそこまで大きな制度変更をしたのでしょうか。

東京都制案が帝国議会に提出された際、内務大臣の湯澤三千男は、その目的を大きく3つに整理しています。

一つは、首都東京に、その国家的な位置づけに対応した体制を作ること

二つ目は、東京府と東京市が並存する問題を解消し、首都の行政を一元的・強力に進めること

三つ目は、首都行政を刷新し、行政運営を能率化することでした。

現在の言葉なら「府と市の二重行政を整理した」と説明すると分かりやすいのですが、それだけで東京都制を説明すると重要な背景を落としてしまいます。

なぜなら、東京都制が成立した1943年は、太平洋戦争の最中だからです。

東京市が消えたのは戦争が理由だった?

戦争は、明確に関係しています。

ただし、

「戦争が始まったから急に東京市を廃止した」

とだけ説明するのも正確ではありません。

東京の大都市制度をどうするかという問題は、それ以前から長年議論されていました。

そこへ、戦時下で首都行政をより迅速に、一元的に動かす必要性が重なります。

東京都制の議会審議では、防空物資配給と府市の行政体制との関係が具体的に取り上げられています。

例えば防空では、道路、水道、防火対策、避難、救護など複数分野を一体的に進める必要がありました。

資材の配分についても、府を経て市へ回る仕組みを一元化すれば手続きを簡素化できるという説明が政府側からなされています。

食料など生活物資の配給も、戦時下の東京を運営するうえで重要な課題でした。

つまり東京都制は、

長年続いていた府市併存の問題

戦時下で行政を一元的・強力に動かしたいという要求

が重なった制度変更だったと見るのが適切です。

「二重行政だけが理由」でも、「戦争だけが理由」でもありません。

1943年の東京都は、今の東京都とはかなり違った

ここでも現在の感覚をそのまま当てはめると分かりにくくなります。

1943年に誕生した東京都のトップは、現在のような選挙で選ぶ「東京都知事」ではありませんでした。

置かれたのは東京都長官です。

東京都公文書館によると、当時の東京都は現在のような広域的な地方公共団体とは制度上の性格が異なり、国・内務省の強い監督下にありました。

東京市が消えたことで、自治体としての東京市の機能を含めた首都行政が東京都へ一本化され、都長官は官吏として任命されます。

「東京都」という名前は現在まで続いていますが、1943年に現在の東京都制度がそのまま完成したわけではありません。

戦後、地方自治制度そのものが大きく作り直されます。

東京市がなくなった後も「35区」は残った

東京市が1943年に消えたなら、その35区も同時になくなったように思えます。

ところが、そうではありません。

東京市廃止後も、35区は東京都の下部組織としてそのまま存続しました。

つまり1943年7月以降は、

「東京市○○区」

ではなく、

東京都の直接の区として35区が置かれる形になります。

ここから現在の23区までは、さらに4年かかります。

35区が現在の23区になったのは1947年

「東京市廃止と同時に23区が誕生した」と説明されることがありますが、これは誤りです。

正しい流れは次の通りです。

年月出来事
1889年5月東京市成立。15区
1932年10月5郡82町村を編入し35区へ
1936年10月千歳村・砧村を世田谷区へ編入
1943年7月東京市・東京府を廃止。東京都成立。35区は存続
1947年3月15日35区を整理統合して22区へ
1947年5月3日地方自治法施行。「特別区」が誕生
1947年8月1日板橋区から練馬区が分離し23区へ

1947年3月15日の再編で35区から22区となり、同年8月1日に練馬区が板橋区から分離して、現在につながる23区になりました。

35区を整理した背景には、戦争による大きな人口変動があります。

空襲被害によって区ごとの人口や行政基盤に大きな差が生じたため、戦後の自治体として機能できる規模に再編する必要がありました。特別区協議会の資料でも、戦災による区間の不均衡を是正し、自治体としての行財政能力を高めることが再編の背景として整理されています。

東京23区は「東京市の代わり」なの?

歴史的な区域だけを見れば、現在の23区は旧東京市を母体にしています。

ただし、

23区全体=東京市

ではありません。

現在の23区はそれぞれ特別区という地方公共団体です。

新宿区には新宿区長と新宿区議会、渋谷区には渋谷区長と渋谷区議会があるように、23区それぞれが住民に身近な行政を担っています。

2026年現在、特別区は基礎的な地方公共団体として位置づけられています。

一方で、一般の市とまったく同じではありません。

通常なら市町村が担う仕事のうち、大都市として一体的に処理する必要がある一部の業務は東京都が担当します。

東京都が現在挙げている代表例が、上下水道と消防です。

つまり現在の東京中心部は、

一つの巨大な「東京市」

ではなく、

23の特別区と東京都が役割を分けて大都市行政を担う

仕組みになっています。

特別区制度も1947年からずっと同じではない

現在の23区制度は、1947年に完成してそのまま続いてきたわけでもありません。

地方自治法が施行された1947年、特別区は基礎的な自治体として出発しました。

ところが1952年の地方自治法改正で、特別区は東京都の内部的団体とされ、区長の公選制も廃止されます。

その後、自治権を拡充する改革が続き、1970年代には区長公選制が復活。

さらに2000年の都区制度改革によって、特別区は現在の「基礎的な地方公共団体」として明確に位置づけられました。

そのため、

「今の23区制度は戦時中の東京都制がそのまま残ったもの」

と考えるのも正確ではありません。

「東京都」という名称や東京市が復活しなかったという歴史は1943年につながっていますが、現在の都区制度は戦後の地方自治改革を何度も経て作られたものです。

なぜ大阪市や京都市は今も残っている?

ここまで読むと、最初の疑問に戻ります。

大阪府には大阪市があり、京都府には京都市があります。

なぜ東京だけ「東京市」をなくしたのでしょうか。

東京・大阪・京都は、明治期にはいずれも大都市として特別な制度の対象になった歴史があります。

しかし1943年の東京都制で対象になったのは首都東京でした。

当時の政府は東京都制の目的として、東京を「帝都」と位置づけ、その国家的性格に対応する体制を作ることを最初に掲げています。

そこへ、巨大化した東京市と東京府の併存問題、さらに戦時中の防空や物資配給を含む行政一元化の必要性が重なりました。

大阪市や京都市まで同時に廃止して、府と市を一つにまとめる制度変更が行われたわけではありません。

だから現在も、

大阪府大阪市
京都府京都市

は存在する一方、

東京都東京市

という自治体は存在しないのです。

「東京市」はこれから復活する可能性がある?

制度を将来変えること自体が法律上永久に不可能というわけではありません。

ただ、2026年現在、東京都と23特別区は現行の都区制度で運営されており、「東京市」を復活させることが決まっている、あるいは具体的な公式計画が進んでいる状況は確認できません。

過去には都区制度の将来像を検討する中で「新東京市」といった案が議論資料に登場した例もありますが、それは現在の東京市復活計画とは別の話です。

したがって、「東京市が近く復活する」と考える根拠は現時点ではありません。

古い住所に「東京市○○区」とあるのは本物

古いはがき、新聞、公文書、地図などを見ると、

東京市麹町区
東京市浅草区
東京市渋谷区

といった住所が出てくることがあります。

これは間違いでも架空の住所でもありません。

東京市が存在した時代には、実際に使われていた住所表記です。

1943年に東京市が廃止されたことで、「東京市」という一段階が住所から消えました。

現在の、

東京都新宿区
東京都渋谷区

という形だけを見ていると少し不思議ですが、その理由は1943年の制度変更まで遡ることになります。

まとめ|東京市がないのは、東京が最初から「都」だったからではない

現在の東京に「東京市」がないのは、昔から東京都だったからではありません。

東京市は1889年に誕生し、1932年には35区を抱える「大東京市」へ拡大。1940年には人口677万人余という巨大都市になっていました。

一方で、その東京市を含む広域自治体として東京府も存在していました。

巨大になった府と市をどう運営するのかという問題は長く議論され、そこへ戦時下の防空や物資配給など、首都行政をより一元的・強力に動かす必要性が重なります。

そして1943年7月1日。

東京府と東京市はともに廃止され、新たに東京都が設置されました。

東京市だけが東京都へ名前を変えたわけではありません。

東京市が消えたあとも35区は残り、戦後に22区へ整理され、練馬区の独立によって現在の23区になります。

その23区も一つの東京市ではなく、それぞれが特別区という地方公共団体です。

大阪府には大阪市があるのに、東京都には東京市がない。

その違いは単なる地名の付け方ではありません。

かつて存在した巨大な東京市と東京府を一度ともに廃止し、首都の行政構造そのものを組み替えた1943年の制度変更が、現在の東京の名前にも残っているからです。

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