- キーボードはなぜABC順じゃない?QWERTY配列の理由と歴史を検証
- 結局、QWERTYはなぜABC順ではないのか
- そもそもQWERTYとは何か
- 最初からQWERTYではなかった ABC順に近い時代がある
- 1870年代、文字は何度も場所を変えた
- なぜ電信がキーボードの並びに関係するのか
- 「キーが絡まるから、わざと遅くした」は本当か
- 1873年?1874年?Remington商品化の年が二つ出てくる理由
- 1878年でも、まだ現在のQWERTYと完全には同じではなかった
- 現在と同じ「ZXCVBNM」になるのは1882年
- QWERTY成立までを時系列で見ると「一原因説」が苦しくなる
- 「TYPEWRITER」は本当に上段だけで打てる
- Sholes一人がQWERTYを完成させたわけでもない
- Dvorak配列ならQWERTYより速いのか
- では、なぜ150年近くQWERTYが残ったのか
- 物理キーすらないスマートフォンにもQWERTYが残った
- 「昔決まった規格が今も残る」はQWERTYだけではない
- よくある疑問を最後に整理
- まとめ QWERTYは「一つの理由から作られた配列」ではなかった
キーボードはなぜABC順じゃない?QWERTY配列の理由と歴史を検証

パソコンのキーボードを見れば、左上には「QWERTYUIOP」と文字が並んでいます。
スマートフォンで英字入力へ切り替えても、基本は同じ。ところが、よく考えると妙です。
アルファベットにはA、B、Cという誰もが知っている順番があるのに、なぜ文字を探しにくそうな順番へ並べ替えたのでしょうか。
この疑問に対する有名な説明が、「昔のタイプライターは速く打つと活字棒が絡まったので、わざと打ちにくくして人間の速度を落とした」というものです。
結論から言えば、この説明はそのままでは正確ではありません。
初期のタイプライターに活字棒の衝突や機械的な問題があったこと自体は事実です。しかし、QWERTY全体が「人間を遅くする」という一つの目的から設計されたことを示す史料は確認できません。
むしろ歴史を追うと、最初期にはアルファベット順を基礎にした配列があり、電信での利用、数字や記号の追加、利用者からの要求、Remingtonによる商品化、さらに特許をめぐる事情まで絡みながら、十数年かけて現在の並びへ近づいていったことが分かります。
つまりQWERTYは、一人の発明者が机の上で完成させた「理想の配列」ではありません。
150年近く前に何度も書き換えられた配列の履歴そのものが、現在のパソコンやスマホに残っている。
そう考えると、見慣れたキーボードが少し違って見えてきます。
結局、QWERTYはなぜABC順ではないのか
最初に、よくある説明を整理しておきます。
| よくある説明 | 今回確認できたこと |
|---|---|
| 速く打てないようQWERTYにした | その設計意図を示す一次資料は確認できない |
| 活字棒が絡まないようにした | 機械的な衝突問題は実在。ただしQWERTY全体をそれだけでは説明できない |
| よく続く文字を離して配置した | 一部には当てはまるが、頻出する文字の組み合わせすべてには当てはまらない |
| モールス符号のために作った | 電信利用者が配列形成に関わったことは重要。ただしこれも一原因説にすると単純化しすぎる |
| TYPEWRITERを上段だけで打つため | 上段だけで打てるのは事実。設計目的だったことは確認できない |
国立国語研究所「ことば研究館」の安岡孝一氏による解説も、現在の配列について「キー配列全体が1つの理由で説明できるわけではない」としています。
これが、この記事の答えでもあります。
では、どうしてこれほど複雑な並びになったのでしょうか。
そもそもQWERTYとは何か
QWERTY(クワーティー)は、英字キー上段の左側に並ぶ
Q W E R T Y
の6文字から付いた呼び名です。
現代の一般的な英字部分は、
QWERTYUIOP
ASDFGHJKL
ZXCVBNM
という3段を基本にしています。
ただし、この26文字が最初から現在の位置へ置かれていたわけではありません。
むしろQWERTYの歴史で面白いのは、完成するまで何度も文字が動いていることです。
最初からQWERTYではなかった ABC順に近い時代がある
Christopher Latham Sholes(クリストファー・レイサム・ショールズ)、Carlos Glidden(カルロス・グリデン)、Samuel W. Soulé(サミュエル・ソレー)らは、1860年代後半に実用的なタイプライターの開発を進めました。
1868年6月23日には3人の名義で米国特許79,265号が成立しています。
ただ、この時代の試作機を「現在のキーボードの原型」と思うと少し違います。
ピアノの鍵盤のようなキーを使う機械もあり、特許図や現存する特許模型と、後に実用化されたキーボードの姿にも違いがあります。文字一つにつき一つのキーが整然と並ぶ現在の形へ、一足飛びに進んだわけではありません。
安岡氏の調査によると、1867年にSholesらが作っていた機械には、A~Z、数字2~9、ハイフン、ピリオドを含む36個のキーを備えたものがありました。
さらに1868年、シカゴのEdward Payson Porterが運営していた電信学校へ納入された「The American Type Writer」では、印刷電信機に由来するアルファベット順の配置が使われていたとされています。
AからNまでは一方向、OからZまでは逆方向に並べる方式です。
つまり、少なくともSholesらの開発史については、
「最初から謎のQWERTYだった」のではなく、アルファベット順を基礎にした時代があった
と考えてよいでしょう。
1870年代、文字は何度も場所を変えた
1870年ごろになると、Sholesの試作機は38キー・4段へ発展します。
国立国語研究所の解説では、この時点の配列はアルファベット順を土台に、A・E・I・O・U・Yなどを上段へ取り出して作られたものと考えられています。
ただし、この時代の全配列が写真として残っているわけではありません。現存する手紙や特許、後の機械などから研究者が復元した配置も含まれるため、「1870年○月には必ずこの順番だった」と写真資料と同じ強さで扱うのは避けた方が安全です。
一方、1872年になると事情が変わります。
1872年8月10日号のScientific Americanには当時の「The Type Writer」が掲載されており、この時期の配列を同時代資料から追えるようになります。
このころにはQやWなどが現在に近い位置へ動き、数字や記号も加わり、ABC順からかなり離れていました。
しかし、それでも現在型ではありません。
QWERTYは「ある日突然発明された配列」ではなく、試作機を作るたびに少しずつ書き換えられた配列でした。
なぜ電信がキーボードの並びに関係するのか
ここで、タイプライターとは少し離れて見える「電信」が登場します。
実は初期Type-Writerの有力な利用先の一つが、電信でした。
電信士はモールス符号を受信すると、その内容を書き取らなければなりません。手書きの速度が受信作業の足かせになるなら、文字をすばやく紙へ出力できる機械には大きな意味があります。
1868年にはPorterの電信学校へ試作機が納入されました。
安岡孝一・安岡素子氏の論文「On the Prehistory of QWERTY」は、この電信とのつながりをQWERTY成立史の重要な要素として追っています。
特に研究上注目されているのが、S、Z、Eなどの位置です。
当時アメリカで使われていたAmerican Morseでは、信号の区切り方によってZと「Sの後にE」が聞き分けにくくなる場合がありました。受信中に判断を保留し、後続の信号を聞いてからZなのかSEなのかを決めるなら、関係するキーが近いことには実用上の意味があったのではないか――というのが安岡氏らの分析です。
ただし、ここは注意が必要です。
電信学校が初期利用者だったことと、「Sがそこへ置かれた理由を発明者本人がモールス符号だと記録していること」は同じではありません。
特定のキー移動理由については、史料を組み合わせた研究者による復元・推定も含まれます。
そのため「ジャム説は間違いで、本当はモールス符号のためだった」と置き換えてしまうのも危険です。
正確なのは、電信利用者からの要求も、QWERTYへ至る変更の一部に影響したと考えられるというところでしょう。
「キーが絡まるから、わざと遅くした」は本当か
では、最も有名な説へ戻ります。
昔のタイプライターでは、キーを押すと対応する活字棒が動き、紙へ文字を印字します。
初期の機械で複数の活字棒が近いタイミングで動けば、互いに干渉する問題が起こり得ました。
Smithsonian National Museum of American Historyも、1874年のSholes & Glidden Type Writerについて、円形に配置されたtype bar同士が衝突しにくくするためQWERTY配置が採用された、と説明しています。
つまり、「機械の衝突問題なんて存在しなかった」という話ではありません。
Smithsonianが所蔵するSholes & Glidden Type Writerを見ると、現代の薄いキーボードとはまるで違う機械だったことも分かります。
問題は「ジャム防止」と「人間を遅くする」を同じ意味にしたこと
ここで一段飛ばすと、有名な俗説になります。
「活字棒が衝突した」
から、
「人間が速く打てないよう、わざと効率の悪い配列にした」
へ進む説明です。
しかし、この二つは同じ意味ではありません。
もし機械の衝突を減らして止まりにくくできるなら、結果としてタイプライターをより速く実用的に使える可能性もあります。
そしてSholesの1878年の米国特許207,559号を見ても、「人間が速く入力できないようにする」ことを配列の目的として掲げた記述は確認できません。
さらに安岡・安岡論文は、Sholes & Glidden機の活字棒配置と英語でよく現れる2文字の組み合わせを調べています。
たとえば「TH」は大きく離れている一方、「ER」はかなり近い。
もし頻繁に続く文字を機械的にすべて遠ざけるという一貫したルールで設計されていたなら、この違いを説明しにくくなります。
したがって、現時点で安全に言えるのは次のところまでです。
初期タイプライターには機械的な衝突問題があった。配列変更にその対策が関係した可能性もある。しかし、「タイピストを意図的に遅くするためQWERTYを作った」と断定できる史料は確認できない。
「ジャム対策だった」から「人間を遅くした」へ変わるところに、通説の大きな飛躍があります。
1873年?1874年?Remington商品化の年が二つ出てくる理由
QWERTYの歴史を調べると、1873年と1874年の両方が「Remingtonのタイプライターが登場した年」として出てきます。
これは必ずしもどちらかが間違っているわけではありません。
米国議会図書館は、E. Remington & SonsによるSholes and Glidden Type-Writerの生産開始を1873年3月1日としています。
一方、Smithsonianは、Remington製のType Writerが市場へ出た年を1874年としています。
つまり、
1873年=Remington側での製造開始
1874年=製品が市場へ投入された時期
と分けて考えると混乱しません。
RemingtonはQWERTYをゼロから考案した会社ではありません。
しかしSholes、Glidden、Soulé、資金面や事業化で重要だったJames Densmoreらが作ってきた機械を、量産可能な商品へ仕上げて市場へ広げたという意味では、QWERTY普及の決定的な存在です。
Remington側ではWilliam McKendree JenneやJefferson Moody Cloughらも製品化に関わり、キー配置にも変更が加えられました。
「QWERTYを発明した人は誰?」と一人だけ挙げるならSholesが中心人物になりますが、現在の配列を一人だけの作品として説明するのは実態と合いません。
1878年でも、まだ現在のQWERTYと完全には同じではなかった
1878年にはRemington Type-Writer No.2が登場します。
初代Sholes & Glidden機は基本的に大文字しか打てませんでしたが、No.2ではシフト機構により大文字と小文字を打ち分けられるようになりました。
ここまで来ると、見た目はかなり「QWERTY」です。
1878年のSholes特許図にもQWERTYの基本形を見ることができます。
ただし、アルファベット26文字だけを比べても現在型と完全には一致しません。
Mが現在とは違う位置にあり、CとXの位置関係も現在型とは異なっていました。
このため「QWERTYは1878年に完成した」とだけ書くと、何を「完成」と呼ぶかでズレが生じます。
現在と同じ「ZXCVBNM」になるのは1882年
安岡氏の調査では、現在と同じ英字配列へ到達する重要な転換点が1882年12月です。
同年設立されたWyckoff, Seamans & Benedictが「Remington Standard Type-Writer No.2」を発売。この機種では、それ以前のRemington No.2からMがNの右へ移され、CとXが入れ替えられました。
その結果、
QWERTYUIOP
ASDFGHJKL
ZXCVBNM
という、現在と同じアルファベットの並びになります。
安岡氏によるQWERTY配列の変遷史では、この変更についてSholesの特許を避ける事情があったと説明しています。
ここは非常に面白い部分ですが、「現代QWERTYの最後の変更は特許回避だけで決まった」とまで広げない方がよいでしょう。
確認できるのは、安岡氏の研究では特許を忌避するための変更としてMの移動とC・Xの交換が位置付けられている、ということです。
なお、資料によって1878年機を「Standard No.2」と呼ぶ例など製品名表記には揺れがあります。本記事では配列変化を追いやすくするため、安岡氏の区分に沿って1878年のRemington Type-Writer No.2と、1882年のRemington Standard Type-Writer No.2を分けています。
QWERTY成立までを時系列で見ると「一原因説」が苦しくなる
| 時期 | 主な出来事 | 配列を見るポイント |
|---|---|---|
| 1867~1868年 | Sholes、Glidden、Souléらが試作・特許取得 | ピアノ型など複数の試作段階。現在型とは遠い |
| 1868年 | Porterの電信学校へType-Writerを納入 | アルファベット順を基礎にした配置。電信利用との接点 |
| 1870年前後 | 38キー・4段などへ改良 | 母音などが移動し、ABC順が次第に崩れる |
| 1872年 | Scientific AmericanにType Writer掲載 | 42キー。QWERTYへ向かう途中の配列を同時代資料で確認可能 |
| 1873年 | Remingtonで生産開始 | 量産に向けJenne、Cloughらも改良 |
| 1874年 | Sholes & Glidden Type-Writerが市場へ | QWERTYの骨格が商品として広がり始める |
| 1878年 | Remington Type-Writer No.2 | 大文字・小文字対応。ただしM、C、Xなどは現在型と異なる |
| 1882年12月 | Remington Standard Type-Writer No.2 | M移動、C・X交換。現在と同じ英字3段へ |
| 1910年代以降 | TeletypeなどにもQWERTYが採用 | タイプライターから通信・情報処理機器へ継承 |
| コンピュータ時代 | 端末、PC、各種電子機器へ | 機械式活字棒が消えても配列は残る |
| スマートフォン時代 | 画面上のソフトウェアキーボードでも使用 | 物理的制約ではなく「覚えられた標準」として生き残る |
こうして並べると、「活字棒が絡むから、ある日QWERTYを作った」という説明では足りない理由が分かります。
「TYPEWRITER」は本当に上段だけで打てる
QWERTYには、もう一つ有名な雑学があります。
TYPEWRITERという英単語は、QWERTYの最上段だけで入力できます。
T・Y・P・E・W・R・I・T・E・R。
すべて「QWERTYUIOP」の中にあります。
ここまでは目の前のキーボードで確認できる事実です。
問題はその先です。
「タイプライターを売る営業担当者が、商品名を華麗に実演できるよう上段へ集めた」という説明まで広く語られています。
しかし、その目的で配列を決めたことを示すSholesやRemingtonの同時代資料は確認できません。
安岡氏も1874年型について、上段だけでTYPEWRITERと打てることには触れながら、「Sholes & Glidden Type-Writer」という実際のブランド名を考えればハイフンまで同じ段にないと不自然だとして、偶然と考えています。
つまり、
「TYPEWRITERを上段だけで打てる」=事実
「そのためにQWERTYを設計した」=裏付けを確認できない
です。
雑学では、この2行目だけが後からくっつきやすいので注意が必要です。
Sholes一人がQWERTYを完成させたわけでもない
QWERTYの発明者として最もよく名前が出るのはChristopher Latham Sholesです。
中心人物であることに疑いはありません。
ただし、ここまで見てきたように開発にはCarlos Glidden、Samuel W. Souléが参加し、James Densmoreは資金面・事業化・利用者との橋渡しで重要な役割を果たしました。
電信学校のEdward Payson Porterら利用者側の要求もあり、Remingtonでの商品化ではJenneやCloughらが改良を続けています。
さらに1882年にはWyckoff, Seamans & Benedictの段階で、現在型につながる変更が入ります。
したがって、
「SholesがQWERTYの出発点を作った」
とは言えても、
「Sholes一人が現在のQWERTYを一度に設計した」
とは言えません。
しかもSholes自身、後年にはQWERTYとは異なる配列を持つ別のタイプライターにも取り組んでいます。
QWERTYは発明者が「これが究極の配置だ」と完成させた固定思想というより、多くの人と製品を通過した結果として残った配置を見る方が実態に近いでしょう。
Dvorak配列ならQWERTYより速いのか
「QWERTYは昔の機械の都合で作った非効率な配列。それなら、もっと科学的な配列へ変えればいい」
そう考える人が出てくるのは自然です。
代表例がDvorak配列です。
August DvorakとWilliam L. Dealeyは1932年に特許を出願し、1936年に米国特許2,040,248号を取得しました。
Dvorak配列は文字や2文字の組み合わせの頻度を考慮し、よく使う文字をホームポジション周辺へ集めるなど、人間の指の移動を明確に意識して設計されています。
その意味では、QWERTYとは設計過程がかなり違います。
ただし「Dvorakなら誰でも圧倒的に速くなる」とまでは言えません。
QWERTYとDvorakの性能差は長く研究と論争の対象になってきました。
1985年には経済学者Paul A. DavidがQWERTYを「経路依存」の代表例として論じました。一方、Stan J. LiebowitzとStephen E. Margolisは、その後Dvorak優位を示す証拠やQWERTYの「非効率な技術が偶然ロックインされた」という説明を批判しています。
さらに2025年にBusiness Historyへ掲載されたCraig S. GalbraithとNeil Kayの研究も、QWERTYを単純な失敗作として扱わず、当時の機械条件や知的財産との関係から再検討しています。
つまり、別配列に合理的な設計思想があることと、QWERTYが「最悪の配列」だということは別です。
では、なぜ150年近くQWERTYが残ったのか
ここまで来ると、QWERTY誕生時の理由より不思議なことがあります。
タイプライターの活字棒は、もうパソコンにはありません。
それなのに文字配列は残りました。
安岡・安岡論文では、QWERTYが1910年代にTeletypeへ採用され、そのTeletypeが後にコンピュータ端末として広く使われた流れが示されています。
タイプライターからコンピュータへ、一度でジャンプしたわけではありません。
タイプライター → 電信・Teletype → コンピュータ端末 → PCキーボード
と、機械が変わるたびに前の時代の入力方法が引き継がれていきました。
利用者側にも理由があります。
QWERTYを覚えたタイピストが増え、学校で教えられ、企業にはQWERTYの機械が導入される。次に新しい機械を作る側も、すでに大勢が覚えている配列を使えば教育し直す必要がありません。
一度広く普及した規格では、単純な性能比較だけでは置き換わらないことがあります。
利用者が覚え直す負担、企業の教育、既存機器との互換性、メーカー側の対応などが全部切替コストになります。
経済学では、こうした歴史的な選択が後の選択肢を狭めていく現象を「経路依存性」で説明することがあります。
ただし、QWERTYが「性能の悪い規格なのに偶然勝ってしまった典型例」であるかについては議論があります。
経路依存という考え方は、QWERTYが残った理由を理解する有力な枠組みではありますが、それだけで歴史が確定するわけではありません。
日本に今も50Hzと60Hzが併存している経緯にも、初期の技術選択が長く残るという似た面があります。詳しくは日本の電気はなぜ東西で50Hzと60Hzに分かれたまま?で整理しています。
物理キーすらないスマートフォンにもQWERTYが残った
そして現在です。
スマートフォンの画面には、活字棒もレバーも歯車もありません。
ソフトウェアなので、極端に言えば明日からABC順へ変更することもできます。
それでも英字入力ではQWERTYが代表的な配置として表示されます。
ここまで来ると、理由は1870年代の機械構造ではありません。
利用者が文字の位置をすでに覚えているからです。
PCで覚えた位置とスマホで表示される位置が同じなら、新しく配置を学ばなくて済みます。メーカー側にも、広く知られた方式から別配列へ変更する強い理由がありません。
物理的な制約が消えた後には、「そこにある理由」が機械から人間の記憶へ移ったとも考えられます。
日本のキーボードでも事情は似ています。
かな入力用の配列には別の歴史がありますが、英字部分はQWERTYが基本です。ローマ字入力をしている人は、150年近く前に形成された英字キーの位置を使って、日本語を入力していることになります。
「昔決まった規格が今も残る」はQWERTYだけではない
技術の世界では、最初の事情が消えても、その結果だけが残り続けることがあります。
つぶログで以前取り上げた「円」なのになぜ“EN”ではなく「YEN」なのかも、明治初期までさかのぼる表記が現在まで残った例です。
また、1990年代のテレビ欄に載っていた「Gコード」は何だったのかを追うと、当時のテレビ・新聞・ビデオデッキという環境に合わせて作られた仕組みが見えてきます。
QWERTYが特別なのは、その古い仕組みが消えたあとも、配列そのものは世界中の新しい機械へ移植され続けたことです。
よくある疑問を最後に整理
| 疑問 | 結論 |
|---|---|
| QWERTYはABC順を崩して作った? | 初期Sholes系配列にはアルファベット順を基礎にした段階があり、そこから何度も変更された |
| 最初からQWERTYだった? | 違う。1860~70年代には複数の途中配列が存在した |
| 活字棒が絡むからQWERTYになった? | 機械的衝突は実在し、影響した可能性はある。ただしQWERTY全体をそれだけでは説明できない |
| 人間をわざと遅くした? | その目的を示す一次資料は確認できない |
| よく使う文字を全部離した? | そうではない。頻出するERなど近い組み合わせもある |
| モールス符号は関係した? | 電信利用者との関係は重要。特定キーの理由には研究者による復元・推定も含まれる |
| TYPEWRITERを上段だけで打てるよう設計した? | 上段だけで打てるのは事実。設計目的だったことは確認できない |
| RemingtonがQWERTYを発明した? | 違う。商品化・改良・普及では極めて重要 |
| Sholes一人が完成させた? | 一人ではない。多くの開発者・利用者・企業による変更の積み重ね |
| Dvorakの方が絶対に速い? | 効率を意識した設計だが、速度上の絶対的優位まで単純には断定できない |
| コンピュータならABC順へ戻せた? | 技術的には可能。ただし既存利用者の技能、教育、互換性など切替コストが大きい |
| スマホでもQWERTYなのはなぜ? | 機械的制約ではなく、すでに社会で覚えられた標準を引き継ぐ利点が大きい |
まとめ QWERTYは「一つの理由から作られた配列」ではなかった
キーボードがABC順ではない理由を調べると、きれいな一文の答えにはたどり着きません。
初期にはアルファベット順を基礎にした配列がありました。
そこへ電信での利用や数字・記号の必要性、利用者からの要求が入り、1870年代に何度も文字が動きます。
Remingtonによる商品化でも改良が続き、1878年の段階でも現在と完全には同じではありません。
1882年、Mの移動とC・Xの交換を経て、ようやく現在と同じ
QWERTYUIOP
ASDFGHJKL
ZXCVBNM
へ到達します。
初期タイプライターに活字棒の衝突問題があったことは事実です。
しかし、それと「人間をわざと遅くするためQWERTYを作った」は同じ話ではありません。
さらに電信との関係も重要ですが、「モールス符号だけがQWERTYを生んだ」と言い切ることもできません。
QWERTYは、一つの問題を解くために一人が設計した配列ではなく、十数年にわたって異なる人たちが異なる事情で変更した結果、生まれた配列でした。
そして一度広く使われるようになると、タイプライターからTeletype、コンピュータ、PCへ受け継がれました。
現在は、活字棒どころか物理キーすらないスマートフォンの画面にも同じ文字が並びます。
機械は完全に別物になりました。
それでも、150年近く前に何度も動かされた文字の位置だけは残っています。
QWERTYの一番不思議なところは、なぜこの配列が生まれたのかだけではありません。
生まれたときの事情がほとんど消えた現在まで、私たちが同じ配列を使い続けていることなのかもしれません。