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大雪山の巨大SOSは誰が作った?救助された登山者は「知らない」――1989年の遭難事故を追う

目次
  1. 大雪山の巨大SOSは誰が作った?救助された登山者は「知らない」――1989年の遭難事故を追う
  2. 1989年7月24日、捜索ヘリが見つけた巨大なSOS
  3. 翌日、SOSの周辺から人骨が見つかった
  4. カセットテープには約2分17秒の救助要請が残っていた
  5. なぜ救助を求める声を録音したのかは分かっていない
  6. 遺留品は5年前に旭岳で行方不明になった25歳男性へつながった
  7. ところが、人骨は「女性」と鑑定された
  8. 「謎の女性」はいなかった――1991年の再鑑定
  9. では、巨大なSOSは誰が作ったのか
  10. 1989年の遭難と1984年の遭難が、偶然同じ日に重なった
  11. SOSを作れるほど動けたなら、なぜ自力で戻れなかったのか
  12. 金庫岩とニセ金庫岩――現在の公式資料にも残る道迷い
  13. 現在もニセ金庫岩周辺では道迷いが警戒されている
  14. 「下って来られたなら、同じ道を登ればいい」とは限らない
  15. 「最初にヘリに会ったところ」とは何を意味していたのか
  16. 「女性の骨」「男性の声」という謎は、現在では解消している
  17. これは「未解決事件」なのか
  18. 事故の教訓は、今も旭岳に残っている
  19. 大雪山の巨大SOSは誰が作った?
  20. 1989年に救助された登山者はSOSを作っていなかった?
  21. 「女性の骨」は結局誰のものだった?
  22. SOSを作れるほど体力があったのに、なぜ戻れなかった?
  23. なぜ救助要請をカセットへ録音した?
  24. まとめ|巨大SOSを「怪事件」ではなく、一人の遭難者の側から見る

大雪山の巨大SOSは誰が作った?救助された登山者は「知らない」――1989年の遭難事故を追う

1989年7月24日、北海道・大雪山系の旭岳周辺で、一人の登山者を捜していた北海道警のヘリコプターが、登山道から大きく外れた場所に異様なものを見つけました。

倒木を組んで作られた、巨大な「SOS」です。

当時の報道では一文字が縦約5メートル、横約3メートルほど。上空から救難信号だと読み取れるほどの大きさでした。

遭難者を捜している最中に巨大なSOSが見つかったのですから、当然、その人が助けを求めて作ったものだと考えたくなります。

ところが同日夕方、SOS地点から2~3キロほど離れた場所で無事に救助された男性へ確認すると、本人はそのSOSを知らないと答えました。

では、山中の巨大なSOSは誰が作ったのでしょうか。

翌25日、北海道警がSOS周辺をあらためて捜索すると、人骨やリュックサック、カセットレコーダー、カセットテープなどが見つかります。そのテープには、若い男性が救助を求める声まで残されていました。

さらに人骨は、当初「女性のものではないか」と鑑定されます。

救助された男性とは無関係の巨大SOS。

男性の声が入ったカセットテープ。

そのそばから出てきた、女性とされた人骨。

断片だけを並べれば、現在まで「SOS遭難事件」「旭岳SOS遭難事件」と呼ばれ、不思議な出来事として語られてきたのも分かります。

しかし、1989年当時の報道から、その後の再鑑定、現在の旭岳の登山資料まで順番に追うと、この出来事は当初感じるほど不可解なものではありません。

見えてくるのは、1989年の遭難者を捜したことで、5年前から山中に残されていた別の遭難者の痕跡が偶然発見されたという、時間のずれた二つの遭難でした。

それでもなお、本人にしか分からないことはいくつか残っています。

分かった部分と、分からない部分を分けながら、何が起きていたのかを追ってみます。

1989年7月24日、捜索ヘリが見つけた巨大なSOS

1989年7月、北海道・大雪山系を縦走していた東京の62歳男性が友人とはぐれ、北海道警による捜索が行われました。

7月24日、北海道警航空隊のヘリコプター「ぎんれい1号」が捜索中、旭岳山頂から南側へ外れた場所で巨大なSOSを発見します。

複数の大きな倒木を並べ、三文字が上空から読めるように作られていました。

木の種類や使用された本数については当時資料や後年資料で記述に差があるため、ここでは「倒木を組んだ巨大なSOS」とするのが最も安全でしょう。一文字の大きさについても新聞によって若干の差がありますが、縦約5メートル、横約3メートルとした報道があり、全体では十数メートル規模だったとされています。

捜索側が、このSOSと行方不明になっていた男性を結び付けたのは自然な判断でした。

その日の18時50分ごろ、男性はSOSから2~3キロほど離れた場所で無事に救助されます。

ところが、本人はSOSについて知らないと答えました。

つまり、7月24日の時点で、

いま捜していた遭難者と、山中のSOSは別の出来事だった

ことが判明したのです。

後年のテレビ番組では「男性2人を捜索していた」とする説明もありますが、1989年当時の新聞報道では、友人とはぐれた62歳男性一人が捜索対象として伝えられています。この記事では、出来事に近い当時報道を優先します。

重要なのは人数よりも、救助された人物がSOSの作成者ではなかったという事実です。

北海道警は、SOS周辺に別の遭難者が残されている可能性を考えました。

その判断が翌日の発見につながります。

翌日、SOSの周辺から人骨が見つかった

7月25日、警察はSOS周辺を詳しく捜索しました。

そこで大腿骨や上腕骨、骨盤など人の骨の一部が発見されます。

さらに周辺から、リュックサック、カセットレコーダー、カセットテープ、洗面用具などの遺留品も見つかりました。

白骨化の状態や現場の様子から見ても、前日に救助された男性のものではありません。

SOSは、もっと以前にこの場所で遭難した誰かが残した可能性が高くなりました。

そして発見されたカセットテープの一本には、その「誰か」の存在を強く感じさせるものが残されていました。

若い男性の声です。

カセットテープには約2分17秒の救助要請が残っていた

1989年7月27日、旭川東署は発見されたカセットテープに録音されていた音声を公開しました。

当時の報道によれば、録音時間は約2分17秒。

男性は、助けを求めながら、自分が置かれている状況を説明していました。

内容を要約すると、

崖の上で身動きが取れない

笹が深く、上へ進めない

ここから吊り上げてほしい

といった趣旨です。

2017年にTBS『上田晋也のニッポンの過去問』がこの遭難を取り上げた際にも、「場所ははじめにヘリに出会ったところ」「崖の上で身動きがとれない」といった内容が紹介されています。

現在、この音声はインターネット上で「絶叫テープ」のような名前を付けられて紹介されることがあります。

しかし、実際に残っているのは、遭難して救助を求めた一人の男性の声です。

ホラーの素材として聞く必要はありません。

むしろ重要なのは、録音の中にある「笹が深くて上へ行けない」という状況です。

後に旭岳の地形を確認すると、この言葉は、なぜ男性が自力で正規ルートへ戻れなかったのかを考える大きな手掛かりになります。

一方で、ここには現在まで答えの出ていない疑問もあります。

なぜ、自分の救助要請をカセットテープへ録音したのでしょうか。

なぜ救助を求める声を録音したのかは分かっていない

この録音については、後年さまざまな説明が語られてきました。

録音した声を大きな音で再生し、救助隊や上空の航空機へ知らせようとしたのではないか。

自分の状況を残しておこうとしたのではないか。

救助隊が来たときに聞かせるつもりだったのではないか。

しかし、どれも本人の証言ではありません。

当時の警察も、本人が救助を求めて叫んでいるとき、何らかの拍子に録音スイッチが入った可能性まで含めて考えていました。

したがって、

「救助のために意図的に録音した」

とも、

「偶然録音された」

とも、現在の資料からは決められません。

録音された理由そのものは、この遭難で今も残っている数少ない本当の不明点です。

ただし、音声を残した男性が誰だったのかについては、捜索が進むにつれて候補が絞られていきました。

遺留品は5年前に旭岳で行方不明になった25歳男性へつながった

SOS周辺から見つかった遺留品を調べると、1984年7月に大雪山系へ入り、そのまま行方が分からなくなっていた男性の存在が浮かびました。

愛知県江南市に住んでいた25歳の会社員男性です。

当時の新聞資料では、男性は1984年7月10日に大雪山系へ入ったとされています。

1989年の捜索では、男性の身元へつながる免許証や会員証などの所持品が現場周辺から見つかり、靴やその他の遺留品も男性との関連を強く示していきました。

つまり、1989年7月に突然「謎のSOS」が現れたわけではありません。

5年前から行方不明になっていた一人の男性の痕跡が、別の遭難者の捜索をきっかけに見つかったのです。

さらに1989年当時の報道では、1987年9月に撮影された航空写真を調べたところ、そこにもSOSが写っていたとされています。

これは重要な情報です。

少なくともSOSは、1989年7月24日に突然作られたものではなく、発見より2年近く前にはすでに存在していたことになります。

ただし、この航空写真だけで「1984年に男性本人が作った」と証明できるわけではありません。

SOSが正確にいつ作られたのかは、現在も分かっていません。

ところが、人骨は「女性」と鑑定された

遺留品と録音された声が1984年の男性へ近づいていく一方で、人骨の鑑定は話を複雑にしました。

発見された骨の一部は、当初の鑑定で女性のものではないかと判断されたのです。

後に見つかった頭蓋骨についても女性とみられました。

すると現場には、

男性へつながる遺留品

男性の救助要請

がある一方で、

女性とされた人骨

が存在することになります。

1989年当時、この食い違いが大きな混乱を生みました。

男女二人が同じ場所で遭難したのではないか。

別々の時期に二人が迷い込んだのではないか。

しかし、この周辺で条件に合う女性の行方不明者は確認できません。

現在も「SOS遭難事件」を扱う記事や動画の中には、この時点で話を止め、

「男性の声なのに女性の骨が見つかった」

ことを未解決の謎として紹介するものがあります。

しかし、それではその後の経過が抜け落ちています。

「謎の女性」はいなかった――1991年の再鑑定

人骨については、その後あらためて鑑定が進められました。

そして旭川東署は1991年2月28日、人骨について、1984年に行方不明になった25歳男性一人のものと判断します。

翌3月1日、朝日新聞や日本経済新聞がこの結果を報じました。

つまり、

男性の声

男性の所持品

女性とされた人骨

という三つの別々の存在があったわけではありません。

初期鑑定に誤りがあり、最終的には同じ一人の男性へ集約されたのです。

ここは現在も情報が混乱しやすいところです。

インターネット上では、人骨の身元確定を「1990年2月28日」とする記述が広く見られます。

しかし、保存されている新聞記事は1991年3月1日付で、本文でも1989年のSOS発見を「一昨年夏」と表現しています。

1989年を「一昨年」と呼べるのは1991年です。

そのため本稿では、

1991年2月28日に旭川東署が判断し、3月1日に新聞各紙が報道した

という時系列を採用します。

この再鑑定によって、「現場には男性と謎の女性がいた」という、この遭難を最も不可解に見せていた前提は崩れました。

では、巨大なSOSは誰が作ったのか

ここまで整理すると、最初の疑問へかなり近づけます。

SOS周辺からは、1984年に行方不明になった男性の遺骨が見つかりました。

男性の身元へつながる多数の遺留品もありました。

男性が救助を求める声を録音したテープも同じ周辺から発見されています。

SOS自体も、少なくとも1987年の航空写真には存在していたと報じられています。

そして、別の人物がSOSを作ったことを示す確かな証拠は確認されていません。

これらを合わせると、

1984年に遭難した男性が、自分の位置を知らせるためにSOSを作った可能性が最も高い

と考えるのが自然です。

警察も、そのような経過を有力とみました。

ただし、ここは「可能性が高い」と「証明された」を分けておく必要があります。

誰かが男性の作業を目撃したわけではありません。

木文字に名前が残っていたわけでもありません。

本人の手記に「SOSを作った」と書かれていたわけでもありません。

したがって、

巨大SOSの作成者を直接証明する証拠は残っていない。

これが現在言える正確なところです。

それでも状況証拠が一人の男性へ集中している以上、「正体不明の第三者が作ったSOS」と考える積極的な理由もありません。

1989年の遭難と1984年の遭難が、偶然同じ日に重なった

この事故が分かりにくくなった最大の理由は、異なる時期に起きた二つの遭難が、一つの出来事のように見えたことでした。

1984年の遭難と、1989年7月24日に別の遭難者を捜索していたことで巨大SOSが発見された流れを整理した時系列図。1989年の遭難者と巨大SOSは別件だったことが分かります。

整理するとこうなります。

時期起きたこと
1984年7月愛知県の25歳男性が大雪山系で行方不明になる
1987年9月後に確認された航空写真には、すでにSOSが写っていたと報じられる
1989年7月24日別の62歳男性を捜索していた北海道警ヘリがSOSを偶然発見
同日62歳男性はSOSとは別地点で無事救助され、「SOSは知らない」と説明
7月25日以降SOS周辺から人骨、録音テープ、遺留品などが見つかる
1989年夏遺留品から1984年の行方不明男性との関連が強まる
1991年2月28日人骨は1984年男性一人のものと判断される
1991年3月1日新聞各紙が身元確定を報道

1989年の遭難者が迷わなければ、捜索ヘリはその日にあの場所を飛んでいなかったかもしれません。

そう考えると巨大SOSの発見は、まったく別の遭難を捜していたことで、5年前の遭難者が残した可能性の高い救難信号に偶然気づいた出来事だったことになります。

「SOSがあるのに、その日助かった人は作っていない」という最初の違和感も、二つの時間軸を分ければ理解できます。

SOSを作れるほど動けたなら、なぜ自力で戻れなかったのか

それでも、まだ大きな疑問が残ります。

これほど巨大なSOSを作れるほど体力が残っていたのなら、なぜ男性は登山道へ戻れなかったのでしょうか。

平地で考えれば、不思議に感じます。

ところが、この疑問は旭岳の地形を見ると印象が変わります。

旭岳山頂付近には、登山者の目印となる金庫岩があります。

その近くには形の似た別の岩があり、現在はニセ金庫岩と呼ばれています。

この場所は、SOS遭難事故を考えるうえで非常に重要です。

金庫岩とニセ金庫岩――現在の公式資料にも残る道迷い

北海道で開催された2023年度全国高校総体登山大会の公式資料には、旭岳から下山するときの注意点として、このSOS遭難事故が明記されています。

そこでは、過去にニセ金庫岩を目印として誤って南斜面へ下り、SOS遭難事故が起きたと説明されています。

つまり、「ニセ金庫岩とSOS遭難事故の関係」は、後からインターネットで作られた怪談ではありません。

現在の登山安全資料にも残っている事故の教訓です。

ただし、ここでも一段階だけ慎重に考える必要があります。

1984年の男性本人は生還していません。

本人が、

「ニセ金庫岩を金庫岩と間違えた」

と証言した記録もありません。

したがって、

男性が実際に岩を取り違えた瞬間まで確定しているわけではありません。

正確には、現在の公式登山資料でも、ニセ金庫岩付近から南斜面へ誤って進入したSOS遭難事故として扱われている、と整理するのが適切です。

現在もニセ金庫岩周辺では道迷いが警戒されている

この場所が過去だけの問題なら、「昔は登山道が分かりにくかった」で終わるかもしれません。

しかし現在も、旭岳ではニセ金庫岩周辺の道迷い防止策が取られています。

環境省はニセ金庫岩付近で、登山者が誤った方向へ進まないようロープを設置した記録を公開しています。

2026年の旭岳ビジターセンターによる登山道情報でも、周辺のロープから外れないよう注意が呼び掛けられています。

つまり、1984年の遭難を正確に一歩ずつ再現することはできなくても、

この付近が実際に進路を誤りやすい場所であり、現在もその対策が必要とされている

ことは確認できます。

この事実は、「巨大なSOSまで作ったのに、なぜ戻れなかったのか」を考えるうえで重要です。

「下って来られたなら、同じ道を登ればいい」とは限らない

山では、下ることができた場所を同じように登り返せるとは限りません。

特に正規ルートを外れた斜面では、進んでいるうちに深い笹へ入り、現在地や戻るべき方向そのものを見失うことがあります。

遭難者の録音にも、

笹が深く、上へ行けない

という趣旨の言葉が残されています。

もちろん、この一言だけで当時の男性の行動を完全に再現することはできません。

負傷していたのか。

どれほど体力が残っていたのか。

正規ルートがどちらにあると考えていたのか。

いつSOSを作ったのか。

それらは分かっていません。

しかし、

倒木を動かせるだけの体力があったことと、安全な登山道へ自力で復帰できることは別

です。

「SOSを作る元気があるなら歩けばよかった」という単純な話にはできません。

むしろ、自分がどこへ進めば戻れるのか分からず、登り返すことも難しい状況であれば、その場に留まり、上空から見つけてもらう方法を選んだとしても不自然ではありません。

ただし、それも本人がそう判断したという証拠があるわけではないため、可能性以上には踏み込みません。

「最初にヘリに会ったところ」とは何を意味していたのか

録音には、もう一つ気になる表現があります。

「最初にヘリに会ったところ」という趣旨の言葉です。

これだけを聞けば、

以前に救助ヘリが本人を発見していたのではないか

と考えたくなります。

しかし、それを裏付ける記録は確認できません。

本人が見たのはいつのヘリだったのか。

当時の捜索機だったのか。

ヘリ側から本人を視認していたのか。

本人が上空を飛ぶ航空機を見ていただけなのか。

分かっていません。

したがって、

「一度発見されていたのに見捨てられた」

「救助隊が男性を見落とした」

という話へ変えることはできません。

ここもまた、本人の言葉だけが残り、その意味を完全には復元できない部分です。

「女性の骨」「男性の声」という謎は、現在では解消している

この遭難が怪事件のように見える材料を、もう一度整理してみましょう。

最初に不可解に見えたこと後に分かったこと
救助された男性がSOSを知らない1989年の遭難とSOSは別件だった
SOSのそばに人骨があった1984年から行方不明だった男性へつながった
男性の救助音声が残っていた同じ男性の遺留品が周辺から多数発見された
人骨は女性と鑑定された1991年の再鑑定で男性一人のものと判断された
SOSを作れるのに戻れなかった現在も道迷いが警戒される地形がある
なぜカセットへ録音したのか現在も断定できない

こうして並べると、発見直後に感じられた不可解さの多くは、

時間の違う二つの遭難が偶然重なったこと

と、

人骨の初期鑑定が後に訂正されたこと

で説明できます。

「正体不明の女性」が現在も残っているわけではありません。

男女二人の遭難者が同じ場所で亡くなったことを示す証拠もありません。

犯罪が起きたことを示す確かな資料も確認されていません。

これは「未解決事件」なのか

インターネットでは、この出来事が「未解決事件」として紹介されることがあります。

しかし、その表現には少し注意が必要です。

確かに、

SOSを作った人物を直接証明する証拠はない。

SOSをいつ作ったのかも確定していない。

録音の意図も分からない。

遭難後の男性の行動を完全に再現することもできない。

その意味では、答えの出ていない問いが残っています。

しかし、殺人や失踪事件として犯人が分からないという意味での「未解決事件」ではありません。

人骨の身元は後に一人の男性へまとまり、男性の遺留品と救助音声も現場から見つかっています。

第三者による犯罪や隠蔽を示す確かな証拠も確認されていません。

したがって現在の資料から見るなら、

「不可解な未解決事件」よりも、「発見当初はいくつもの情報が食い違って見えた山岳遭難事故」

と考える方が実態に近いでしょう。

事故の教訓は、今も旭岳に残っている

巨大なSOSは、その形の異様さゆえに長く記憶されました。

カセットテープに残った声も、多くの人に強い印象を与えています。

しかし、この事故が現在まで残した本当に重要なものは、そうした不思議さだけではありません。

2023年度の全国高校総体登山大会で使用された公式資料にも、ニセ金庫岩から南斜面へ誤って進んだSOS遭難事故が、旭岳で道を間違えないための実例として記載されています。

現在も周辺ではロープなどによる道迷い防止策が取られています。

37年近く前の遭難が、現在の登山者へ向けた安全情報の中に残っているのです。

一見すると不可解に見える事故でも、現場の構造まで確認すると印象が大きく変わることがあります。

つぶログで扱った岡山の地底湖行方不明事故も、ネット上ではさまざまな憶測とともに語られていますが、洞窟の構造や捜索条件を確認すると、「なぜ発見できなかったのか」が別の角度から見えてきます。

旭岳のSOS遭難事故も同じです。

怖さを足すより、現場へ戻った方が分かることは多くあります。

大雪山の巨大SOSは誰が作った?

作成者を直接証明する資料は残っていません。

ただし、SOS周辺から1984年に行方不明になった25歳男性の遺骨、多数の遺留品、本人につながる救助要請の録音が発見され、別の人物が作ったことを示す確かな証拠も確認されていません。

そのため、1984年の男性自身が作った可能性が最も高いと考えるのが自然です。

1989年に救助された登山者はSOSを作っていなかった?

はい。

1989年7月24日に救助された62歳男性は、山中で発見されたSOSを知らないと説明しました。

そのため警察が翌日SOS周辺を捜索し、1984年から行方不明になっていた別の男性へつながる人骨や遺留品を発見しました。

「女性の骨」は結局誰のものだった?

1991年の再鑑定で、1984年に行方不明になった男性一人のものと判断されました。

発見直後の鑑定では女性とみられたため「男性の声と女性の骨」という不可解な状況になりましたが、この食い違いは後に解消しています。

したがって、「正体不明の女性の遺骨が現在も残っている」という説明は正確ではありません。

SOSを作れるほど体力があったのに、なぜ戻れなかった?

本人の行動を完全に再現することはできません。

ただし、旭岳のニセ金庫岩周辺は現在も道迷いが注意される場所で、公式登山資料にも、南斜面へ誤って進んだSOS遭難事故として記録されています。

録音にも深い笹のため上へ進めないという趣旨の言葉があり、体力が残っていたことと、正規登山道へ復帰できることは別と考える必要があります。

なぜ救助要請をカセットへ録音した?

現在も分かっていません。

救助のため意図的に録音したという説もありますが、本人の意図を確認できる資料はありません。当時の警察も、救助を求めている際に偶然録音された可能性を含めて考えていました。

まとめ|巨大SOSを「怪事件」ではなく、一人の遭難者の側から見る

1989年7月24日、別の遭難者を捜していた北海道警のヘリが、旭岳の山中で巨大なSOSを発見しました。

その日に救助された男性は、SOSを作っていませんでした。

翌日からの捜索では人骨と遺留品が見つかり、カセットテープには若い男性が救助を求める声まで残されていました。

そして、人骨は女性と鑑定された。

発見直後の情報だけを並べれば、確かに不可解です。

しかし、そこから先まで追うと景色は大きく変わります。

遺留品は、1984年から行方不明になっていた25歳の男性へつながりました。

SOSは少なくとも1987年には航空写真に写っていたと報じられています。

女性とされた人骨も、1991年の再鑑定によって同じ男性一人の遺骨と判断されました。

そして現在の旭岳でも、ニセ金庫岩周辺は道迷いへの注意が必要な場所として扱われ、このSOS遭難事故そのものが登山安全の資料へ残っています。

犯罪や怪異を持ち出さなくても、

一人の登山者が正規ルートから外れ、復帰の難しい場所へ入り込み、救助を求め続けた遭難事故

として、かなりの部分を理解できます。

それでも、すべてが解決したわけではありません。

男性が巨大SOSを作った瞬間を確認した人はいません。

正確にいつ作ったのかも分かりません。

救助を求める声が、なぜカセットテープへ録音されたのかも分かっていません。

本人にしか答えられない部分は、現在も残っています。

その空白を、殺人や怪異で埋める必要はないでしょう。

むしろこの事故で胸に残るのは、5年前に救助を求めた一人の人間が残した可能性の高いSOSが、本人とはまったく関係のない別の遭難者を捜していたことで、ようやく発見されたという事実です。

最初に聞いたときほど不可解な事件ではない。

けれど、現実へ戻して考えるほど、別の意味で忘れにくい遭難事故です。

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